michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

マネキンの笑顔を真似た日

 

一条美由紀

 
 


見たことのない誰かとだって
心を通わせられる
自分のウソを数えていけば、
他人の嘘も愛おしくなる
本当に大切なものを一つ持って
大地に立てば
みんなの存在を感じる

 


私のばあちゃんはいつも
誰にも迷惑かけずにぽっくり逝きたいと望んでいた
ボヤ騒ぎをおこし
料理の得意なばあちゃんが
調理の仕方がわからないと言い
今食べた食事を忘れ、飯をくれという
自分のウンチを家の小さな金庫に入れた
ばあちゃんは20年近く呆けて私の母の看護を受けた
そして母にはばあちゃんの看護は生き甲斐の一つだった

 


自分の限界を知る時
今やるべきことを知る

 

 

 

くねくねくねる

 

辻 和人

 
 

くねくねくね
くねる手
ウィーンウィーンウィーン、ウッワァーン
22時過ぎ
泣き叫ぶコミヤミヤ
どうしよう
コミヤミヤは元々観音菩薩様のように優しい顔つき
目も口も鼻も
顔の真ん中にちょこんと小さくまとまってる
なのに突如
菩薩様の顔がウィーンと歪む
口が四角く割れる
眉毛が逆八ノ字に折れ曲がる
ふわふわの頬に
ごっついヒビが入るぴくぴく震える
般若だ、般若の顔だ
その顔の周りでは手が
くねくねくねくね
右手が左にくねる
左手が右にくねる
これは何かのまじないか
ウッワァーン
さっきオムツ替えたばっかりなのに
さっきミルク飲ませたばっかりなのに
あ、右手が飛んでくる
メガネ弾き飛ばされた!
どこだ、どこだ、ここだ
わぁー、レンズはずれちゃったあ
生まれてひと月たたないのに
くねる力はこんなに強い
意識をなくしたいのに
意識がある
空間に溶け込んでいたいのに
体が邪魔をする
その怒りが般若を呼び出す
ああ、コミヤミヤよ
この世に生を受けるってそういうことなのに
個としての意識があって体があるってことなのに
まだ納得してくれないんだね
くねくねくね
くねる手
かわしながら
抱っこして背中ポンポン
ポンポン、それ、ポンポンポン
少しは怒りを鎮められるか
…………
ん? くねる速度遅くなってきた
0時5分
眉毛まっすぐ
しわしわ消え失せ
般若の面、溶けていくぞ
目も口も鼻も
顔の真ん中にちょこんと小さくまとまって
やったぁ、菩薩様の顔が戻ってきたぁ
手は上に投げ出してバンザイポーズ
もうくねらない
すーやすや
でもコミヤミヤ、納得してくれたのかな?
くれてないだろうな
ぼくだって何十年も生きてるけど
いまだに納得してるかどうか定かじゃない
コミヤミヤ
かずとんパパと一緒にこの世って奴の勉強をしようか

 

 

 

deepest fall

 

工藤冬里

 
 

色を選べる
目に映る色は選べない
このドームの端の寒さの中に
マスターは飛ばされ
色の心強さを蜜柑色のトラムにもとめる
どれも似ているマスターの物語made in chinaのボールペンで重ね書きする
地球はほぐれながら浮かんでいる
郵便配達員は熊の子を散らすように山に入った
名前の付いた神社たちに
ほつれた縄糸は張り巡らされ
二、三本足を失った親たちが逆さになって待っている
閃光除けのゴーグルをかけて
殺風なぬめりのある壁を背景にして
妄想が拉致される
犀のラインのマスクのまま
微妙な歳差に切り込め、
蒸発せよ、とバビロンに言う
南予のイントネーションで赤道辺りの蓋を開け
熱水による結晶を見せる
ホラホラこれがきみの中身だ
エリシャは王将に居たが
マスターに誘われると戻って肉を煮、餞別として人々に与えた
悲しみがどう表れるかは人によって違う
呼吸だけに集中とか言うけど目が詰まったマスクをしてたら苦しいだけだ
馬鹿な質問するんじゃない
子熊たちは散り散りになった

 

 

 

#poetry #rock musician

ポジティブ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 21     michiru 様へ

さとう三千魚

 
 

やわらかい
花弁で

きみは立っていた

ピンクや
白や

紅い花の
きみがいた

風に揺れていた

さわさわ
揺れていた

わかい

きみがいた
光っていた

 

 

memo.

2022年11月6日(日)、静岡駅北口地下広場で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第六回で作った詩です。

お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、詩の画像をメールでお送りしました。

タイトル ”ポジティブ”
花の名前 ”秋桜”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

帆をあげたる舟

 

駿河昌樹

 
 

来る冬。
まだ仕舞っていない団扇。
ヴェランダに出したままのアレカヤシ。
すぐ出せるが箪笥の冬物の引出しにしわくちゃになっているセーター。
夏も冬もズボンはだいたい同じだが夏物の短パンはそろそろ。
かなり死んだがメスばかりまだ生き残りのいる鈴虫。
冷蔵庫に入れなくてもよくなった飲みかけのワイン。
玉葱も馬鈴薯ももう室内に出しっぱなしでいい。
家の中でもTシャツより長袖のシャツを選ぶようになって。
足先はいつのまにか冷え始めているのにまだソックスを履かない。
急に温度が冷えた時のために一応スカーフをバッグに潜ます。
居酒屋ではおでんを求める客が出てきている。
朝少し冷えたので薄いコートを着て出ると駅では蒸して困る。
いつのまにか萩の花がちょんちょん口紅をさしている。
まだ草木は色づかず紅葉の頃もまだまだ遠い。
タンクから来て蛇口から出る水が下がった気温の中で温かい。

来る冬。
いなくなった人。
なくなった物。
私からいなくなった私。
私の内からなくなった何か。

 ただ過ぎに過ぐる物。
 帆をあげたる舟。
 人の齢。
 春夏秋冬。
       清少納言『枕草子』