michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

文学と日本酒と

 

みわ はるか

 
 

高校1年で初めて実施された校外模試で早々に志望校を書くようにと担任から指示があった。
その時のわたしは絶対にこれになりたいとか、この大学に行きたいとか全くなかったため困った。
ただおぼろけながら文学部に行けたらなとは思っていたので、近隣の大学の文学部を第一志望校に書いた。
なんとなくだけれど、哲学とか文学者とかの思想を学びたいと感じていたし、あわよくば大学にずっと残って研究できたらなと思っていた。
ちょうど担任は文学部卒だった。
その先生によると、文学部の卒業後の進み先は狭い範囲だそうだ。
昨今も新聞やテレビで取り上げられているけれどそうなのかもしれない。
研究者だってほんの一握りしかなれないし・・・・。
致命的だったのはわたしは世界史や日本史を好きにはなれなかった。
カタカナで並ぶ横文字や、複雑に列をなす漢字にも親しみをもてなかった。
国語の古文や漢文もチンプンカンプンだった。
今では全く畑違いの人生を送っている。
だけれども、文学部が決して無駄な学部だとは思わないし、わたしは素敵な学部だと信じている。
最近、ある記事でとても感銘を受けた文章があるのでここに残しておきたいと思う。

ある大学の文学部長の話。

文学部の学問が本領を発揮するのは人生の岐路にたったときではないか。
人生には様々な苦難が必ずやってくる。
恋人にふられたとき、仕事に行き詰ったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、
自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、
自らの死に直面したとき・・・・。
その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考えるてがかりをきっと与えてくれます。
しかも簡単な答えは与えてくれません。
ただ、これらの問題を考えている間は、その問題をを対象化し、客観的に捉えることができる。
それは、その問題から自由でいられるということでもあるのです。
これは、人間に与えられた究極の自由であるという言い方もできるのです。
人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。
その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であると思うのです。
人文学は人生の岐路に立ったときに真価を発揮するという。
特に人文系に対する風当たりが強い昨今、こんなにも力があるんだよということを伝えたい。
世の中に対し顔を上げて生きていってもらえたらと。
肉体的、精神的につらい状態にあるときに、考えることがつらさを和らげてくれるという実感は何度か経験しております。   ※

とてもわたしの心に響きました。
無駄なことはやっぱりないんだなと感じました。
素敵な文章だと思います。
 

 
さて、最近また少しずつ外でお酒を飲むようになりました。
今実は日本酒に興味があります。
全然詳しくないのですが、飲みやすくて、とっくりがかわいいのが気に入っています。
昔、おじいちゃんが熱燗を毎日家で飲んでいたことを思い出します。
ただ、残念ながら周りに日本酒が好きな人がいないのです。
誰かと楽しく飲めたら素敵だなと思います。
熱燗も冷酒もいいものですね。
おでんなんかにも合うのかな。
どうなんだろう。
まだまだ未知の世界です。

秋はどんどん深まっています。

 
 

※2012年 朝日新聞より引用

 

 

 

避難訓練

 

塔島ひろみ

 
 

重みに耐えきれず手を離した
途端、その、ヒトの入った大きな寝袋みたいな物体は階段を滑り落ち
徐々に速度をあげて落下していく
息を呑む私に
「大丈夫ですよ、ニセモノですから」と、防災係長が言い、
すでに落ち終わったニセモノは袋から顔を出し
笑いながらこちらに向かって手を振っている
「大丈夫ですよ、本番ではあきらめますから」と、
今度は車イスに乗ったホンモノが言うので、皆で笑った

全体訓練はとうに終わっていて、私たちは2次避難場所へは行かなくていいらしい
2次避難所で配ったという焼鳥缶と、サバ缶をもらう

家に帰ると、2階の窓が少し開いて、庭に何か落ちている
ネコが死んでいる
アイ! 駆け寄ると、違う、知らないネコだ(よかった!)
ニセモノは少し口を開けて、まるで笑っているように死んでいた
そしてアイはいなかった

夜11時半過ぎ、アイを見つけた
うちから500メートルほど離れた公園で遊んでいた
一度も走ったことのなかった本当の地面を、走り、はしゃいで、遊んでいたのだ
誰か、飼い主らしい人間と

遊び終わり帰っていく彼らのあとをつける その人は、ひどい跛で、早く歩けない
秋の夜空は曇っていて、生ぬるい空気がたゆたっている
アイは抱っこされて 眠っているのかもしれない
ゆっくりゆっくり尾行して着いたのは 私の家だ

ドアが閉まり、しばらくして2階から、サバ缶の蓋を開ける音が静かに聞こえた

庭にはニセモノの私の死体が落ちている
私は口を開けて少し笑って
その上に雨が降ってきた

(大丈夫、ニセモノだから)

 
 

(2018年10月25日 職場避難訓練の後、自宅付近で)

 

 

 

スモークサーモンは煙だらけ

 

正山千夏

 
 

ケムリにまかれたあたまは
重くゆれるぐるぐるまわる
シラフだというのに
柱にあたまをぶつけ
扉にあたまをぶつけ
不躾な肉体持て余す

ただひたすらケムリにいぶされた
肉体なぶりたいhold me tight tonight
骨と皮は乾燥
可哀想なお年頃
落とし所探してさまよう
毎日の台所で刻む包丁のビートが

顔に刻むシワ
一方脳みそのシワは伸びてく一方
アルツハイマー若年性痴呆
恐れながらもあいつは今
どうしているんだろう
かすかな記憶とぬくもりにすがり

現実に翻弄されっぱなしの人生
とめどなくあふれるネガティブ思考
ケムにまくため巻き続けるジョイン
情と愛情のあいだのJOY
噛みしめることのできる中年の
顎と歯も大分いぶされ茶色く着色

Ah こんなスモークサーモンでも
山を越えて川を遡上り帰って来る場所がある
肉体なぶりたいhold me tight tonight
クマと戦い尽くすまで
目の下のクマ
アイクリームでは消えないママ
パパ髪振り乱し通勤電車の刻むビート

スモークサーモンは煙(けむ)だらけ
うまみ通り越しやばみ
骨と皮は乾燥
人生という名のマラソンを完走
してみたいお年頃
ないゴール探してさまよう
鮭の腹は空洞

 

 

 

oppekepey!な日々に

 

ヒヨコブタ

 
 

あらゆることの悲しみが理不尽に近いなら
それらすべて
oppekepey! とおきかえてしまおうか
ことばのひびきだけに頼ってみるとする

はて
oppekepey! という単語が存在するか
わたしは知らないのだ
それに近い日本語があるらしいことは知りながらね

疲れたなあ、ほんとうにoppekepey!ばっかりだ
それでいい
悪口ばかり拾うときはoppekepey!とつぶやいて
にっこりしてしまえ

たいへんにとてもとにもかくにもめちゃくちゃに疲れはてたのだ
今夜からしばらくはoppekepey! を眠り落ちるまで羊がわりにとなえて眠ろう

いろんな理不尽にもかなしみにも
さみしさにもお守りがわりに
oppekepey!

 

 

 

発酵

 

昨日
マヘルを聴きに

甲府にきた

山々のあいだをぬって
電車できた

葡萄の
発酵が終わった後には

音楽が聴きたくなるのだという

発酵には
酸素がいらないのだと

微生物たちが
酸素なしで

発酵させるのだという

ぷちぷち
いう

発酵の
音を聴いた

酸素も愛もいらない

そこにいる