michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

ある提案

 

長尾高弘

 
 

(以下は一種の文学作品のようなものとして読んでいただけると幸いです。つまり、書かれていることをあまり真に受けないようにしていただきたいということです。しかし、今問題になっていることについて考えるきっかけにしていただければ幸いです)

 

安全保障環境の悪化に対処するために、
敵基地攻撃能力を始めとする防衛力の整備・強化が不可欠だって意見が、
国民の多数を占めてるんだってさ。
そのための財源を増税に求めるか、
赤字国債のさらなる発行に求めるかでは、
争いがあるそうだけど。
要するにより小さい争いを前面に出して、
しかももっぱら政府与党関係者を画面に登場させて、
一般市民が軍拡反対を唱えるのを封じてるってわけさ。
この勢いなら、
先の大戦に負けたときの不戦の誓いなんてどっかに吹っ飛んで、
きっと、
戦争を始めるんだろうなあ。
そこでちょっと提案があるんだけど、
どうせ戦争するなら、
悔いのない戦争になるように、
ひとつ法律を作ったらどうかな。
それは、
開戦前に、
最終確認として、
自衛隊の戦争、じゃなくて防衛出動に賛成か反対かを、
国民投票してもらうってものさ。
賛成が過半数を占めたら、
そりゃあもうしょうがない。
どうぞ好きなだけ戦争、いや防衛出動だっけ、それをやってください。
ただし、
自衛隊に召集されて防衛出動に参加するのは、
国民投票で賛成した人だけとします。
だって、
戦争反対の人が戦争に行っても、
もともとやる気がないんだから、
何の役にも立たずに死ぬだけで、
それは犬死にってものでしょう。
それは憲法97条で
「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」
と謳われている基本的人権を侵すことであり、
絶対にやっちゃあいけません。
やる気がある人だけで戦争するのが
合理的ってものですよ。
ただ、この法律にはちょっと難点があるよね。
普通の選挙の投票なんかでは、
誰が誰に投票したかがわからないから、
投票者の自由意志が保障されるわけだけど、
この防衛出動賛否投票では、
投票内容がわからないと、
その人が防衛出動参加不適格者かどうかはわからない。
だから、
投票用紙を見ただけでは誰がどっちに投票したのかがわからないようにしつつ、
自衛隊に召集された人のうち、
防衛出動反対の人だけは、
反対投票をしたことが証明できるような手段を考え出す必要があるわけ。
たとえば、
投票時に全有権者に一意なIDを発行し、
そのIDが印刷された紙に賛否をマークして投票するとともに、
同じIDが印刷された控えを持って帰れるようにする。
もちろん、投票事務を司る人々であっても、
個々人に発行されたIDがどんな数字かはわからないようにする。
同じ投票所に類似のIDが集中しないように、
ID発行マシンはランダムな数値を発行するようにしなければならない。
投票用紙、控えとも、お札のように偽造できない紙を使う必要があるよね。
で、反対投票者が自衛隊に召集されたときには、その控えを持っていく。
投票結果は全部暗号化されたデータベースに保存してあって、
スキャンした控えのIDと投票用紙のIDを照合して、
賛否を確認する。
まあ、敗戦前の言葉で言うところの徴兵検査は必要だろうから、
その最後で照合をすればいいんじゃないかな。
で、照合をしているかどうかは誰も見られないようにする。
投票内容と身体検査等々のどちらで参加不適格になったかわからないようにするわけ。
こうすれば、投票で反対した人でも、
健康上の問題などがなくて照合をしなければ、
戦争に参加できるよ。
そして、反対投票した人の安全が保障されるような措置も必要だ。
たとえば、控えをこれ見よがしに捨てていくようなことは罰則を設けて禁止する。
戦争に積極的な人たちは、
往々にして、
戦争に反対する人たちを非国民扱いしがちだけど、
負ける戦争を無理やり始めようとする人たちの方が、
国を愛する気持ちが弱いっていうものじゃないのかねえ。
そういうときは反対するのが本物の勇気ってものだよ。
まあ、この仕組みにはきっとボロがあるだろうけど、
頭のいい人たちがよく考えたら、
一見不可能に見えるこの条件も可能にできると思うよ。
こういう制度が実現できたら、
先の大戦のように短慮で防衛出動、いや戦争を始めるようなことは少なくなるんじゃないかなあ。
だって、防衛出動の決定に対して
国民一人ひとりが責任を取ることを迫られるわけだからね。
なかなか賛成投票はできないでしょ?
もちろん、国民投票の発議に賛成した国会議員の反対投票は無効です。
誰よりも先にお国のために戦ってくださいね。

 

 

 

また旅だより 52

 

尾仲浩二

 
 

先週から毎日暗室でカラープリントを作っている。
もう誰も使わなくなったフィルムは、この数年で驚く程高価になった。
その上、ロシアの戦争で輸送代が高騰したりで、ぼくの愛用していたフィルムも薬品も印画紙も輸入が止まってしまった。
いつかはこんな日が来るだろうと思ってはいたけど、いよいよ現実的になってきたようだ。
なのに先日、ほろ酔いで入った店で中古のカメラを買ってしまった。
このカメラで何本のフィルムを撮る事ができるだろうか。

2022年12月14日  東京 中野の暗室にて

 

 

 

 

眠の涙、花の涙

 

村岡由梨

 
 

「泣いても誰にも助けてもらえない」
「泣いてる自分が『気持ち悪い』」
「言葉を発しても、誰も耳を傾ける人なんていないから」
「どうせ誰もわかってくれない」

【2022年11月27日 日曜日 眠17歳】
ベッドに横たわる眠が、
小学校中学校ととても苦しんだことを話してくれた。
泣きながら、小さな声で
「ママさん、少し抱きしめてもらっていいですか」
と言うので、胸がいっぱいになって、きつく抱きしめた。
眠が泣いた。
やっと、泣いた。
けれど、泣きながら「死にたい」と何度も言う。
その度に、「一緒に死のうか」という言葉を
何度も何度も飲み込んだ。

 

【2022年11月30日 水曜日 眠17歳 花15歳】
クリニックでの診察が終わったのが19時すぎ。
仕事から真っ直ぐクリニックに来た私は、自転車を押して
眠は歩いたり走ったりして、
経堂から自宅まで約3.5kmの道のりを歩いた。
眠の両眼から錯乱がなかなか消えない。
辛い道程だった。
「死にたい」「家に帰りたくない」
と延々と駄々をこねる眠をなだめて、
何とか自宅の駐輪場に着いた。
自転車をしまって後ろを見たら、
付いて来ているはずの、眠がいない。
アイスクリームの入ったレジ袋を玄関に放り込んで、
慌てて眠を探しに行くと、すぐに見つかった。
神社の裏道約50メートルの彼方にいた。
私の姿を見つけた眠が、少しずつこちらに歩いてくる。

私の中で何かが壊れた音がした。

近寄ってきた眠に言った。
「陸橋から飛び降りて一緒に死のう」
すると、眠はキッパリと言った。
「やだ」
「もうママも疲れたから。一緒に行こうよ」
眠はもう一度「やだ」とはっきり言って、
先にスタスタ歩いて、家へ入っていった。
私はフラフラとした足取りで家に入ると、
そのままトイレに直行して、便座に座り、
声を押し殺して、激しく泣いた。
洗面所にいた花にすぐに見つかり、
「ママどうしたの!大丈夫?」
と訊かれ、
「絶対言っちゃいけないことを言っちゃった」
「絶対言わないって決めてたのに言っちゃったの」
泣きじゃくる私の涙を花が拭いてくれて、
居間まで連れて行ってくれた。
居間では、眠が心配そうにこちらを見ていた。
「ごめんね、ひどいこと言って」
と泣きながら眠に詫びた。
互いに涙を流して、赦し合って、きつく抱き締め合った。
いつの間にか、眠の両眼から錯乱が消えていた。
夜、添い寝をして寝かしつけた。
小さな頃から変わらない、あどけない寝顔だった。
長い一日だった。

 

【2022年12月1日 木曜日 眠17歳】
昼間、薬の影響でトロンとしている眠の頭を
ドライシャンプーして、
体を拭いて、
着替えを手伝う。
寝かしつけても、
すぐにうなされて「ママ、ママ」と呼ぶので、
その度に手を握って、抱き寄せて、頭を撫でる。
足がふらついて危ないので、
体を支えてトイレまで行く。
朝・昼・夕・就寝前に、薬を飲ませる。

 

【2022年12月2日 金曜日】
17:37、自転車で陸橋通過。行きは、心も体も鉛のように重かったのに、帰りいつもと変わらない風景を見て、心が少し楽になる。この陸橋を通る度にあれほど苦しんでいたのに不思議だ。自転車を止めて、環七に連なる車のライトを撮った。映像作家とは思えない、手ぶれのひどい、へたくそな動画が撮れた。

 

【2022年12月3日 土曜日 眠17歳】
眠に付き添って、タクシーで経堂のクリニックまで。良い天気で、眠の調子も良さそうだったので、帰りは電車で帰った。下北沢で、バナナとヨーグルトと、眠の箸を買った。箸は、えんじ色の猫柄のものを選んだ。「花さんの分も」と眠が言うので、花用に空色の猫柄の箸を選んで買った。

 

【2022年12月4日 日曜日 眠17歳 花15歳】
午前中から仕事。9:45頃、陸橋通過。ケアマネとの連絡の行き違いで、30分も終了時間がオーバーしてしまう。イライラしながら、家族皆の昼用のお弁当を買って帰る。眠用に、冷麺を作る。疲れとイライラがなかなかおさまらない。そんな時、花が甘えて抱きついて来たのを、「疲れてるから」と言って拒んでしまう。

少し時間が経ってから、花に「ママって、私のこと嫌い?」と訊かれる。

夕食後、花と近所のバーミヤンでお茶をした。その後、店を出て、緑道沿いを歩きながら話をした。花の「眠のことが好きだから、今の状況が悲しい」という、切実で優しい言葉に胸が打たれた。花が、「もう全員いったん母親の子宮に戻って、イチからやり直そうよ!」と明るく言うので、その明るさが余計悲しかった。月が綺麗だったので、二人で空を見上げて、スマホで撮った。神社の境内を通った時、不意に強い風が吹いて、黄色いイチョウの葉が、花の細い体に降り注いだ。美しかった。

私たちが帰宅すると、夕飯をあまり食べられなかった眠が1階に下りてきて、バーミヤンでテイクアウトしたごま団子と台湾カステラを食べた。眠と花が、彼女たちにしかわからない言葉で話して笑っている。久しぶりの眠の笑顔。眠と花が笑っている、ただそれだけで涙が溢れてきた。

夜、また眠が泣いていた。
「頭と体が動かない」
「苦しくなかったときのことが、思い出せない」
「頑張ってたのに全部無駄になってしまう」
「このまま学校に行けなくて、仕事にも就けなかったらどうしよう」
大丈夫だよ、と何度も繰り返して、泣き止むまでずっと背中をさすっていた。

眠を寝かしつけて、音楽を聴きながら仕事をした。
美しい音楽にまた涙が止まらなくなって、仕事がなかなか捗らなかった。

 

【2022年12月5日 月曜日 眠17歳 花15歳】
小雨の降る中、タクシーで眠と経堂のクリニックへ。
後部座席に寄りかかって、窓に雨粒がぶつかるのを、ぼんやりと眺めていた。

不意に、20年以上昔のことを思い出した。
あの日も私は、母が運転する車の後部座席に寄りかかって、
母の怒鳴り声をぼんやりと聞いていた。
何度目かの自殺未遂をして病院に担ぎ込まれ、処置を受けた、
その帰り道だった。
「もういい加減にしなさい!
そんなに死にたければ人に迷惑かけずに死になさい!!」
母はものすごく怒っていた。
けれど、その一方で、私の知らないところで
母が「由梨が死んでしまう」と取り乱して
泣きながら知人に電話をしていたことを、
随分後になって知った。
女手ひとつで姉と私と弟を育ててくれた
この世界にたった一人しかいない母親を、
こんな形で深く傷つけてしまった。
そんな自分を深く恥じた。
悔やんでも悔やみきれなかった。

クリニックに到着して、
また眠の両眼に錯乱の兆しが現れ始めた。
川畑先生が、頓服でコントミンを飲ませる。
眠の頭が上向きのまま硬直する。
首が引き攣って、眠が「痛い」と苦悶の表情を浮かべる。
眼球が不自然に向きを変え、体が強張り、
手や足が本人の意に反して動いていた。
初めて見る眠の姿だった。
先生が、アキネトンを飲ませる。
改善しない。
今度は、アキネトンを筋肉注射する。
約1時間後、ようやく落ち着いた。
もう辺りは暗かった。

家に帰ると、もうすぐ塾の時間の花が、のり弁と生春巻きを食べていた。私と野々歩さんは丼ものを、眠は消化の良さそうな月見うどんを出前して食べた。まだ物足りなそうな眠に、おしるこを作った。おしるこを作りたくて、あずきを数パック買ってあったのだ。「のどにおもちを詰まらせないようにね」と言ったら、眠は「おいしい」と言って食べていた。

夜22時近く、花が塾から帰ってきた。
雨で、全身びしょ濡れだった。

 

【2022年12月6日 火曜日 眠17歳 花15歳】
花の中学校で三者面談。いよいよ本格的な受験シーズン。
担任の先生から内申点をお聞きする。5科目オール5で9科目でも44というほぼパーフェクトな数字だった。皆で喜ぶ。そのまま意気揚々と帰られたらよかったのだけど、野々歩さんの失言で一気に雰囲気が暗転する。帰り道、ほとんど話すことも無かった。家に一人で留守番している眠からメッセージが何通か来ていた。

花の歯が痛むので、夕飯はおじやにする。豆腐・えのき・ほうれん草・長芋のおじやと、タラのムニエルと、花が修学旅行のお土産に買ってくれたお漬物。

夕飯前、花と、猫用の部屋で話す。受験生の花に、家族全員の不調のしわ寄せが来ている。誰よりも家族全員の幸せを願っている花。このままでは花が壊れてしまう。真っ暗な部屋で「死にたい」「逃げたい」「誰か助けて」とうずくまって泣いている花を見て、心がビリビリに引き裂かれそうになる。

夜、眠と話す。私たちがいなかった間、「さみしかった」「不安だった」と泣いていた。「自分はこの家の厄介者だから、居なくなった方がいい」「入院したら、パパさんもママさんも花さんも居なくなるから、さみしい。けど、治すためには入院しなきゃならない」と言って泣いていた。

「二度とさみしい思いはさせないよ」と言って、抱きしめて、背中をさすった。

眠と花が寝静まった後、階下へ。今度は落ち込む野々歩さんの隣に座る。野々歩さんのことも抱き締めて、背中をさする。「大丈夫、大丈夫」と言ったら、「ゆりっぺの舌ったらずな声聞くと安心する」と言ってくれた。私がしっかりしなければ、と自分自身に言い聞かせる。

 

私は今までに1度だけ、
母に棄てられたことがあります。
小学校中学年のお正月のことでした。
離婚した父が突然やってきて、
食卓にドカンと座って、
私たちに
「白い皿を持って来い!!」
と怒鳴りました。
言われた通り持っていくと、
父は自分の髪の毛をビリビリ引き抜いて
白い皿の上に次々と載せました。そして、
「俺がどれだけ苦労しているのか、わかってるのか!!」
と怒鳴りました。
私も姉も弟も、怖くて何も言えませんでした。
すると、出かける準備をして、目を真っ赤にした母が、
姉→私→弟の順に玄関へ呼ぶのです。
「由梨」と呼ばれて玄関へ行くと、
目を真っ赤にした母が座っていて、
私を抱き寄せて、
「由梨ちゃんはかわいいから。
誰からも愛されるから。
大丈夫。大丈夫よ。」
と言って泣いていました。
私は、直感的に
「ああ、お母さんは、いなくなるんだな。
どこかに、死にに行くんだろうな」
と思いました。
ちょうどその頃、親類にお金を騙しとられたり、
大変な出来事が次々と母に降り掛かっていたことを
私たちきょうだいも知っていましたから、
母が限界を感じて死にたくなるのも
無理はないと思っていました。
でも、母を失いたくありませんでした。
でも、なぜか「行かないで」と言えませんでした。
私は、笑顔で弟と交代しました。
弟との話が終わってから、
母が「ちょっと出かけてきます」と言って、
玄関のドアを出る音がしました。
そして、駐車場の母の車のエンジンがかかる音がしました。
私たちきょうだいは一斉に立ち上がりました。
そして、裸足のまま玄関を飛び出しました。
母の車の後を走って追いかけたけれど、
母の車は50メートル先のゴミ集積場の角を曲がって
やがて見えなくなりました。
私たちは家に戻りました。
そして、見つけたのが、
一人に1通ずつ残された、母の遺書でした。

 

今まで、私は、眠と花を何回棄てただろう。
眠と花が物心ついてからも自殺未遂を繰り返し、
「死にたい」という言葉を繰り返し、
その度に眠と花は、私という母親から棄てられたのだ。
いつ母親に棄てられるかわからない不安を抱えて
生きてきた眠と花のために、今、私ができること、
それが「甘え直し」「育て直し」なのだ。
泣きたい時には、思い切り泣かせてあげたい。
甘えたい時は、気が済むまで甘えさせてあげたい。
眠と花が幼い時に、そうさせてあげられなかったから。

綺麗な言葉を並べるだけでは、
人の心を癒すことは出来ない。
大切なのは、綺麗事の一切を脱ぎ捨てて、
本気で相手と向かい合う覚悟なのだ。
肝心な部分をはぐらかさない。
そして、いつか綺麗な言葉が溢れる日常を取り戻せたら。

 

【2022年12月8日 木曜日 眠17歳 花15歳 由梨41歳】
仕事で中野へ。17時過ぎてようやく終わり、帰途。
夕食の後、眠と一緒に薬局へ行く。
台所用のハンドソープなどを買う。
帰り、遠回りして神社の境内へ。
眠の呼吸が不規則で荒くなる。
「誰もいないからマスク外しちゃおうよ」
そう言ってマスクを外したら、
冬の夜の冷気が顔全体に広がって、気持ちが良かった。
まだ呼吸が苦しそうな眠の手を握る。
眠が一瞬、はにかむように笑った。
私はもう、自分以外の誰かと肌を触れ合うことをためらわない。

「二度とさみしい思いはさせないよ」と約束した。

私、強い母親になります。

 

 

 

偽善者のコラール *

 

さとう三千魚

 
 

昼には
自転車で

河口まで走って行った

海には
風が吹いていた

女は
午後に

エアロビに出掛けていった

GDPの
2%を

軍事費に充てなければならないのか
防衛費に充てなければならないのか

アンケートによると
国民の60%が賛成していると昼のTVニュースはいう

自転車で
河口まで走って行った

女は
午後に

エアロビに出掛けていった

海には
風が吹いていた

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”右や左でみたこと(メガネなしでも)” より 

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

music is

 

工藤冬里

 
 

F F7 Bb Bbm F C F/Bb F/C

F F6 Bb Bbm6 F Dm C/G C
音楽はいつも向こう側を流れている

F Fb6 Bb Bbm6 F C F/Bb F/C
音楽は川ではなく川の向こう側を逆流している

F F7 Bb Bbm F C F/Bb F/C
川に釣り糸を垂れても音楽は作れない

F F6 Bb Bbm6 F Dm C/G C
作りに行く音楽は川で海の魚を釣り海で死んだ川魚を掬うようなものだ

F F7 Bb Bbm F C F/Bb F/C
音楽はいつもその外側を流れている

https://torikudo.bandcamp.com/track/music-is-20221210-syuyukan

https://youtu.be/eC9dxqkdBRU

 

 

 

#poetry #rock musician