工藤冬里
教頭をいつもおぶって山の内部に
掘ることの先に地図の出口はある
付けたり外したりひらひらさせて
呼吸は感染道路を突っ切る
空室に外された時計
遠近が時間の代わりに時間に
#poetry #rock musician
教頭をいつもおぶって山の内部に
掘ることの先に地図の出口はある
付けたり外したりひらひらさせて
呼吸は感染道路を突っ切る
空室に外された時計
遠近が時間の代わりに時間に
#poetry #rock musician
足元に
いたのか
そうか
わからなかった
エーデルワイス
白い花
きみは
朝の
山の空に
星の声を聴いていた
memo.
2022年5月28日(土)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「無一物野郎の詩、乃至 無詩!」で作ったよっつめの詩です。
お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。
タイトル ”山の朝”
花の名前 ”エーデルワイス”
#poetry #no poetry,no life
「大人のぬり絵あります」
窓ガラスに大きな字で書かれた紙が貼ってある。
3階建てのビルの1階にある町の文具店だ。
外から見るとなんだか薄暗い。
何度かここは通ったことがあるけれど、なんとなく入りそびれていた。
文具は見るのも使うのも楽しい。
最近は文字を書くことも少なくなったし、ペンも黒があれば事足りることが増えた。
文房具というものから自然と距離ができたような気がする。
小学生や中学生のころは必需品だったのに。
今ではPCやタブレットが台頭してしまっている。
それでも時々、無性にアナログが恋しくなる。
自分の手で書きたい、彩りたい、創り上げたい。
えいっと勇気を出して自動扉の前に立った。
思ったよりゆっくりとその扉は開いた。
入口付近にあるレジ。
そこには店番をしていると思われるおばあちゃんがいた。
わたしが入店したことに気づいたおばあちゃんは、びっくりしたようにうたた寝から目覚めたようだった。
あわてて、蛍光灯のスイッチを入れた。
店内がぱぁ~と明るくなった。
そうか、このお店は半分しか天井にとりつけてある電気がついてなかったから薄暗かったのか。
妙に納得して店内を進んだ。
ファイル、ペン、画用紙、スケッチブック、絵葉書、便箋・・・・・。
昔懐かしい文具一式がほとんどそろっていた。
眺めるだけでワクワクして、それはやかんに入れたお湯が沸騰してくるときのような感じに似ていた。
昔よく通った地元の雑貨店を思い出した。
何か足りなければそこに行けばよかった。
お小遣いで十分欲しいものが買えた。
それが手に入った時の幸福度はかなり高かった。
店内は思っていたより広かった。
奥には、学校や企業に納品しているだろうと思われるノートやペンが一定量段ボールに詰められていた。
本屋や印鑑屋と同じで、こういう所は取引先をいくつか持っていることが多いそうだ。
そこでの収入源がかなり大事らしい。
娘さんと思われる人がエプロンをして、忙しそうに作業していた。
邪魔しないようにそこを通り過ぎた。
違う通路に入ると、そこには特別なスペースが設けられていた。
そう、大人のぬり絵だった。
小さいころは24色の色鉛筆をそろえて、アニメ、花、動物・・・・。
色んなぬり絵をした。
それの大人バージョンである。
パラパラと中身を見てみると、大人のぬり絵だけあって複雑な絵柄が多かった。
でもものすごく興味をそそられた。
これはやるしかない。
何冊かあるうちから1冊を選んだ。
花のぬり絵だ。
色鉛筆もなかったため、今回は12色を選んだ。
ふんふんふんと心の中で鼻歌を歌いながらレジにむかった。
またおばあちゃんをびっくり起こしてしまったけれど、きちんとお会計を済ませて店を後にした。
水色のチェック柄のかわいい袋に入れてくれた文具を握りしめて。
パチパチパチと電気を消す音がした。
電気がふたたび半分消され薄暗さが戻っていた。
久しぶりに童心に帰ったようなそんな気持ち。
帰り道の坂をぽつぽつと歩いた。
日が長くなったなぁと身を持って感じる。
1年の中で最も過ごしやすいこの季節。
穏やかに過ぎていけばそれ以上何も要らない、そんな風に思ったとある日の物語。
かはたれ
彼は 誰 と 問ふ
朝ぼらけ
あしもとへとベッドをすべり出で
かけぶとんを私にかけ直し
くちづけをのこして
ゆく
つれあいユウキは
作業服すがた
半睡のまぶたにふれるその生地
するん ひやっ
身体を動かすうち暑くなって
腕まくり どころか
脱いでしまうこともあるという暑がりの
そのくせ古民家の夕餉どき
「さむいんじゃない つめたいんだ」と
膝上さする
ユウキ
そのまとうもの片端から剝がしてゆけば
あらわになるのか
ひととなりっていうのかな
かはたれ
皮は誰
皮はどれ どこまで
身は誰
身はどれ どこから か
春 はるの
ころも次つぎぬがせて
はる 剝ぐ
はる
たけのこ
むっく 剝く
はる めく めくる
べりり
ここは丹波 四方に山のある町
直売所で ああっ
ある日ふいにはじまっていた
たけのこ祭り
うわぁ 息をのみ
堂々太長くてゆるく彎曲したのやら
掻き取られた根元の白うっとりするのやら
わぁ食べたい さわりたい なんてじゅうじつ
ごわっ 剛毛ふもとに赤いぼっつぼつ
錆びた鋲がならぶみたい
みっちりぶあつく鎧った
きみ
春、の
うっとりほころぶ山はだ突きやぶり
ぐうっ ぐっぐぐうっ
あらわれ出でたる浅緑の小さな槍もつ
ずどっ ちいさな重量級の
きみ、は
ぐぐうんぐっぐぐぅんっと
しなるあの
たけ、の
こどもだというのだね
むかしむかしの湯屋にゆくニホンジンさながら
ベージュの粉入り小袋ともない
後や先
連れられてゆくんだね
きみ
そう
関西に来て初めての春
スーパーでまず目にしたきみたちは熊本産
てのひらになんとか乗るくらいの寸法からもちょっと立派なのまで
うーんちょっと手が出ないなあ
眺めてばかりいたのだった
けれど ね
その日てくてく二十五分 石橋の商店街
ちいさなビルの奥に陣取る八百屋さんに
あっ あったあったぁっ やっぱり熊本産
いっぽんいっぽん めで なめ
選び取ってみると
三十センチあるかなし
ずしっ
ほんのすこし湿った重み
三月なかば
確定申告をなんとか終えて
ほっとしたのと少しの還付金の額に
ちいさな財布の紐もゆるんだのだったか
今日こそはと持ち直したものの
あれ小袋が
糠がない
レジのひとに聞いてもわからない
米屋さんを探してわけてもらおうにも
その米屋さんなるものが見当たらない
あれっ税務署のある池田駅のそばにあるよ
ガラパゴス携帯で発見
たけのこ双六
申告済ませた町までひと駅あと戻り
たどり着いた高架下
えり抜きのお米を扱う米屋さんらしかったけれど
その日はお米を提げて帰るゆとりがなく
ぬかだけ分けてくださいと言うと
このくらいでいいかなと袋に入れてくれて代金は受け取ってもらえず
ありがとうございますすみません助かりますとくりかえし繰り返し
お礼を言って押しいただいて帰った
さあて
尖端を斜めに削ぎ
皮の上から縦に切り目を入れた
いちばん深い鍋に水を張りえり抜きのお米の糠を入れ
そこへ沈めて沈まないので落としぶたして着火
ややあって沸騰したら火を弱める、のがまにあわず
ぁあああっ
駆け寄るまえに泡あわが鍋のふちを越え
うわあっ
指は火を止め鍋の耳をつかんで隣の五徳へ移し
けれどあつくて鍋の汚れをすこし拭いただけでまた小さく点火
タイマーあと五十三分くらいかなこういう時
システムキッチンと向かい合わせのリビングは好都合
はぁっとソファに腰から落ちながらも
目は離さないように
竹串がないので細身のフォークを
皮越しぐううっ突き刺あっしてみるうっ すぅっとって
これくらいでいいのかな
一時間茹でたら放置五時間ゴールは遠ぉおい
双六 いっそく跳びってわけにはいかないな
出かけて戻ると
五徳のうえ冷めた鍋にたぷっ
しらっとしてゆるんだ皮ごとボウルに引きあげ
鍋を傾けたら
シンクいっぱい白茶けた汁があふれた
ボウルからずるっ
摑みあげ剝がし
穂先とまんなかのヨの字はできるだけうすく
かたい根元はえいっざくっと
切りさいなんで
かつお出汁をとり筍ごはんと若竹煮
「おっ いいね」って 風呂あがりのユウキ
いやいや湯気じゃ味までわからないでしょ
祭りまつり
直売所に並ぶいくつもいくつものコンテナがきみたちでいっぱい
ご近所さんが小声で予告してくださった季節が来たんだ
どうぞ掘ってねと呼んでくださるのを
ああ待ちきれない だって
いちめんのたけのこ いちめんのたけのこ いちめんのたけのこ
だもの
コンテナの前を通りすぎては戻りまた通りすぎ
また戻って中くらいのきみを籠に
次の日
ちょっと細身のきみは下三分の一で切って二枚剝き
先端を落として縦に浅く切りめを入れ鍋に沈めた
丹波では糠に不自由しない
ボックスのコイン精米機でもらえる
たっぷり入れて着火タイマー四十五分
夜のメニューを紙束ファイルとネットから探り出す
後ろに押しやっていたたけのこメニューの出番
木の芽和えもステーキもまだつくったことがない
型ガラスの外まぶしい うとっうとっ
ひとのこえがして呼び鈴
あっご近所さん お誘いだ
ガスの火とタイマー止めて
つば広の帽子と軍手でスニーカー
ありがとうございます、とあとを歩き
これを使ってねとクワだろうか受け取り
日当たりのいい土のそこここの盛り上がりを
ほらここにもある
四十五度におろすといいのよと示され
よいしょっと腕ばかりで振り下ろすのを
じょうず上手と励まされ
土からのぞく白のかたくてやわらかいきみを
小ぶりだけれど五本もいただき
また採ってねと笑顔を向けられた
ずしっ あったかい
祭りまつり たけのこ祭り
あく抜きってなんだか
米の糠を剝ぎおとすのに似てる
剝ぎ落としたものを使って抜くんだな
と こころづくところまでゆかずに
糠と唐辛子をそろえて煮立たせていたけれど
採りたてなら糠も唐辛子もいらないというひともいて
おおなんてシンプル
かと思えば
皮を剥いて切ったのを大根おろしに小一時間
浸すだけでいいというひとも わあ
どの道すじを選べばいいのか
まよいまよい
けれど今年も
今度はユウキが三本掘らせていただいたあとまた
三本届けてくださり
なんて豊作
茹でると浸すのと両方
やってみればいい
いく度でも
朝採れどころか掘りたてだなんて
産直の極みなりなぁんて
ありがたや
洗った焦げ茶のぶ厚い外皮に包丁を
縦に入れ ぐぐっとひく
びりりっ ぐいいっ
引き剝がし引きめくり
先っぽの小槍を
めりっ ぐいっ 斜めにおとす
のぞく断面のまんなかにあわく黄色く
そう鳥の子いろ
あっ 切りすぎたかな
いく度切ってもどっきり
いやまだまだこう見えて硬ぁい
うすくざらっとほらぜんぜんだ
皮はたれ
皮はどこまで
まことに
かたさからやわらかさへの階調は皮ひとえ
茹でずに大根おろしに浸すとひときわ見きわめにくい
焦げ茶から紫へうすむらさきへ鳥の子色へと
彩りの階調も皮ひとえ
姫皮っていわれるうすぅい美味しいところは
どのあたりからかな
指の先少ぅしでもこすれる引っかかりがあればまだ皮
美味しいところはもう一枚内っかわに違いないと
めくるやつっつるっ あっ
ちぎれちゃったよこれが姫皮ってことかな
味噌汁に入れるか穂先のスライスと一緒に炊き込みご飯
お椀の内がわぴとっと貼りつくんだ
煮るなと焼くなとっていっても結局
「焼くのがいいな」とユウキ
ホイルに包んでグリルしたのを切ったり丸かじり
「たけのこの味が楽しめるから何もかけなくていいよ」と
醤油いってきも滴らせずに
さあ
お節で活躍した大き目タッパー並べ
カットした端から詰める
ひたひた水を張りぴったりふた
冷蔵庫におさめ
剝がしぬがせたなんぼんぶんものごわっごわから薄手の皮の山を
重ねかさねてぎゅぎゅっぎゅぎゅっ
新聞紙にくるむ
あっ
あのいろ
たけのこども きみの薄手の皮
あれは
ぶつけた皮膚の下 内出血のいろだ
剝がして剝ききれないユウキの
うちがわは知れないけれど
ぶつけた私の膝に宿るうすむらさきの
正体は知れている
ソコツモノの証しは
淡く肌のいろを黄ばませすみれいろに染める
あのいろののこる皮は剝く
剝けばいい
縦にびっしり走る千筋万筋が消え
するん ひやっ 光を宿す
鳥の子いろのつやがみえたら
きっと さ
それが裸身
たけのこ きみの
出てる
出たぞ
この病院では育児の実践をいろいろやらせてくれるけど
オムツ交換はそのハイライト
今まで4回やらせてもらってみんなおしっこだけだった
今度はどうかな
うぎゃーうぎゃー
こかずとんの暴れる腰持ち上げて
新しいオムツを履いてるオムツの下に敷いてっと
うん、青い線が出てるからおしっこはしてる
オムツのテープ剥がすと
出てる
出たぞ
ぷちっ
黄色い
ウンチだ
これがウンチか
お尻の下、スプーン一杯分くらい
ぷちっと黄色く存在を主張
ちょっと甘い匂い
ミルク味のお菓子みたい
やったね、こかずとん!
「あ、ウンチしてますね。いい色です。
お尻拭いて古いオムツはこのビニールに捨てて
新しいオムツ履かせて下さい。
ギャザーはしっかり立てて下さいね」
スタッフさんがにっこにっこしながら言う
空中蹴る足躱しながらお尻きれいきれい
新しいオムツでお股をしっかり包んで
ギャザギャザギャザっと
はい、おしまい
うぎゃーうぎゃー
沸き立っていた声がだんだん沈んで
ベッドではうっすら目に涙を浮かべたこかずとんが再び眠りに落ちるところだった
ウンチっていうのは嫌われもんになりがちだけど
ここではさ
すっごく価値あるものとして扱われるんだ
「さっきいっぱいウンチ出ましたよ」
「いい色のウンチでしたよ」
「柔らかすぎず固すぎずの立派なウンチでしたよ」
明るい声が
ウンチの上で飛び交ってる
若いスタッフさんもベテランのスタッフさんも
みんなウンチが大好き
存在を全肯定して張りのある声で抱き締める
食べ物から栄養を吸収して要らないものを出す
腸がきゅっきゅ動いてる証拠だ
命がきゅっきゅ動いてる証拠だ
出てる
出たぞ
期待に応えたなあ
いいウンチしたこかずとん
新しいオムツの舟に乗って
すーやすや
次の交換の岸辺に流れ着くまで
木漏れ日の
下を
歩いて
いった
みどりの
台座のうえに
首を長くして
きみは
いたね
オオイヌノ
フグリ
きみの
青い色の
瞳は深かった
memo.
2022年5月28日(土)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「無一物野郎の詩、乃至 無詩!」で作ったみっつめの詩です。
お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。
タイトル ”山道に咲く花”
花の名前 ”オオイヌノフグリ”
#poetry #no poetry,no life
わたしの朝でない朝がきた
だからまた目を閉じる
わたしはオートバイではない
陽が照らすわたしをオートバイと人は呼ぶ
どしんとまたがってエンジンをかける
まっぴらなのに
走るなんてできない これっぽっちもしたくないのに
親でも恋人でもないヒトをのせてわたしの道でもない道を走る
だからそれは わたしではない
わたしはオートバイではない
チャイムが鳴った
わたしは草の布団に包まれ 目を閉じている
ピンポンピンポン鳴りつづける
わたしはオートバイじゃない
だから 学校になんか行かないよ
いくら呼んだって 起きないよ
土手に引きずっていかれ写真を撮られた
川が見えた 発泡トレイが浮いていた
それから蹴飛ばされ 転がり落ちて
発泡トレイが見えなくなった
黒い鉄の柵の内側に
こわれたオートバイたちがぞんざいに置かれ足から錆び 腐っていく
もうそれらは走れない 歩けもしない
だからもうオートバイとは呼ばれないで
ごみと呼ばれる
雨が続き雑草がぐんぐんのびピンク色の花が咲いた
子どもたちが列になって黄色い帽子をかぶって電車みたいにつながって
歩いていく 黄色い旗を持ったおじさんがその先で待っている
「おはよう」「おはよう」と声がする
あちこちから似たような黄色い集団が現われて
1か所に収れんされていく
わたしはオートバイじゃないから
そこには行かない
手はなかった
鼻は半分潰れ 下半身はメチャメチャだった
黄色い旗のおじさんは子どもたちを見送ると
その石の塊の前で手を合わせる
子どもたちが無事でありますように
正しく成長しますように
だけど
わたしは地蔵じゃないから
祈られたってどうすることもできないよ
地蔵と呼ばれる塊は ニヤリと笑ってウインクをした
ウインクを返す
夢がむくむくと広がっていた
心はいっぱいで はじけそうだ
雲がわきたち
わたしをオートバイに見せる太陽が隠れていく
わたしはオートバイじゃない
だから どこまでも自由だ
(奥戸6丁目、産業廃棄物置き場のそばで)
ゆめを
みたんだ
野原のうえには
青空が
ひろがっていた
白い
雲が
浮かんでいた
あなたは窓辺に
佇っていた
庭には
もっこうばらの
花が
咲いていたね
黄色い花が
memo.
2022年5月28日(土)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「無一物野郎の詩、乃至 無詩!」で作ったふたつめの詩です。
お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。
タイトル ”のはら”
花の名前 ”もっこうばら”
#poetry #no poetry,no life