広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
いまは どこも コロナ禍で 閉鎖されて
しまって いるのだろうけれど
ウエノ アサクサ ウグイスダニは
東京の 3大・男街で
わたしは ウグイスダニの かなり古い
旅館へと 足繁く通う 常連客だった
番頭さんに 2000円 払って
「きょうは ちょっと 遅いんだね」なんて 言われて ロッカーで
浴衣に 着替えて 2階の部屋へ のぼっていったりした 部屋は 全部で
4つあって わたしのお気に入りは 薄ら陽の射すミックス・ルームだった・・・
そこには 4つの 蒲団が 並べられていて 天井には 紅いランプが
灯っていた そこでは もう 浴衣を脱いで絡み合っている 人たちもいれば
浴衣を着たまま うつ伏せになって
相手を 待っている 人たちもいた
わたしは 浴衣を 着たまま
仰向けになっているのが 好きだった
誰かがおとずれて 浴衣をめくられ
なすがままにされるのが 好きだった
・・・・・・・・・
ひと遊びしてから わたしは風呂に入った
そして からだを 丁寧に洗ってから
もう夜になっている ウグイスダニの街へ出て 屋台の焼き鳥屋で 焼き鳥を
食べながら コップ酒を2杯呑むのが 好きだった
そのあと わたしは 夜の ウグイスダニを 徘徊するのが 好きだった・・・
ラブホテル街を 徘徊していると
あちらこちらに タチンボが立っていた
ニホンジンも居れば ガイコクジンも居て
わたしは 幾たびも 声をかけられた
わたしは タチンボを 買う気は無かったのだが ある通りへ出たとき
小さな交番があって 2人の若い巡査が 立っていた
小さな交番の前には 小さな通りを挟んで
ガイコクジンのタチンボが 客引きをしていた 「オニイサン ドオオ?」
目の前で 客引きを しているというのに
2人の若い巡査は 何にも 言わなかった
不思議に思ったわたしは 若い巡査の1人に 「・・・あの 余計なお世話かも
しれませんが あのガイコクジン女性 注意しなくても いいんですか?」
「ああ いいんだよ 彼女は 若いアルゼンチーナで 毎日の生活が かかっている
んだもんね」
「ああ それは そうですよ ね」
「上司が 目を 光らせているわけでもないし 今では 彼女とは 友だちだよ おーい アルゼンチーナ 今夜の売り上げは どう?」
そうしたら 若いアルゼンチーナが 交番に近づいてきて
「オマワリサン コンヤハ ダメダメ」と 大げさな身ぶりで 答えた
「・・・ここのところ 何にも 事件が 起こるわけでもないしねえ ああ
ちょっと お腹が すいてきちゃったなあ おい アルゼンチーナ
それから アナタ せっかく会ったんだから めしでも 食いにいかないか? 俺が おごるから」
「アア イクイク」と アルゼンチーナは 跳び上がって 喜んだ
「じゃあ わたしも ご一緒させて もらいます」
「それじゃあ 行ってくるわ」と 巡査が もう1人の巡査に 言った
「おう 楽しんでこいよ」
わたしたち3人は 近くのラブホテルの1階にある ひなびた定食屋さんに
入った
「いらっしゃーい おまわりさん! あら 今夜は 3人連れで 何だか 楽しそうねえ・・・!」
初老のおかみさんが エプロン姿で そう言った
わたしたちは 4人掛けの テーブルに座って 店に貼ってある メニューを見た
「俺は 天津丼!」
「アタシハ ショウガヤキテイショク!」
「アナタは 何にする? ここの餃子は 皮から手作りだから 美味いよ」
「じゃあ わたしは ジャンボ餃子定食!」
「せっかくだから ビールでも 飲もう!
オーイ おかみさん 瓶ビールの大きいやつ とりあえず2本ね」
「はい はい」
・・・・・・・・・・・
しばらくしたら 湯気を立てた 料理が運ばれてきた
わたしたちは コップに ビールを注ぎあって 「かんぱーい」と 言った
「くうーっ ビールが 冷えてて 美味いこと!」
「ワタシノ ショウガヤキテイショクモ サイコウーッ!!」
「ああ おまわりさん ここの餃子 皮が モチモチしてて うま~い!!」
「・・・だろうっ?」
「おかみさーん ビール あと2本追加」
わたしたちは 最近あった 出来事など
ああだ こうだと しゃべりあって
顔を 赤く 火照らせながら
2時間くらい 楽しく 過ごした
・・・・・・・・・・・
「さあ そろそろ それぞれの持ち場へ
引きあげると するか! アナタはどこから 来たの?」
「調布市から 来てます!」
「気をつけて 帰りなよ また会おうな!」
「はい」
「オマワリサン ゴチソウサマデシタ」と アルゼンチーナも 言った
「JRの 山手線 間にあうかな」と
わたしも 言った
「また 待ってるよお」と
定食屋さんの おかみさんも 言った
わたしたちは 外へ出て
お月さまが 煌々と出ている 空を見た
「ああ いい気分 おまわりさんなんて
バカバカしくって やってらんねえよ!」
そうして わたしは 巡査と アルゼンチーナに 手を振って
「じゃあ また 今度ね」って 言った
・・・・・・・・・・・
そういう 出来事から ずいぶんと 経つけれど わたしは もう 彼らとは
1度も 会ってはいない
夢の ウグイスダニで 彼らは どうして いるのかなあ・・・なんて ときどき
思い出したりは するけれど も・・・
・・・・・・・・・・・
わたしは今 東京の下町の 「平井」という 街に住んでいる
平井は おじいさん おばあさんの多い街だ
平井の駅前にも 小さな交番があって
わたしは 駅前に出る度に 交番を見てしまう
すると やはり 若い巡査が 立っていて 重いショッピング・カートを苦労して
押している おばあさんに つかつかと 近づいて
ショッピング・カートを 一緒に押してあげたりしているのだ・・・
そんな時 わたしは 「こうゆう おまわりさんもいるんだな」と
つい 思ってしまうのだった・・・・・・・・・・・
好きで好きで
胸が締め付けられる想い
まるで熱病のように
恋焦がれる
はやる気持ちが止められなくて
君への想い 溢れ出す
今すぐ君の元へ駆けつけたい
僕だけの君でいて欲しい
いつか雑誌で読んだ
大人の恋なんて
僕には出来ない
自転車でふたり乗り
靴を脱いで川に入った
暑い夏の午後
心地良い風と彼女の笑い声
彼女の声には魔法があって
流れる水を輝かせた
向日葵の垣根に隠れてキスをした
ふたりだけの秘密のキスを
ほとんど言わないことなのだが
たまに
言っておいてみても
いいかもしれない
わたしは
じぶんが書くものが誰かに読まれるとは
思っていない
誰かに読まれたことがあるとも
思っていない
いずれは読まれるだろうとも
思っていない
そのように思いながら言葉ならべをする人
わたし
ヘンだとは思わない
わたしは厖大な書籍を所有しているが
古いものは
現代では
まったく読まれていないのを知っている
うちからは十五分も歩けば古書店街に着くが
そこには
かつて発行されたものの
今では好事家にしか見向きもされない本が
まさに山積みされている
本が貴重な尊いものだなどという妄想を一瞬に打ち砕くには
絶好の光景がどこの古本屋にも見られる
書くのが
なにか意義がある
などと
思うのが
どうかしているのだ
書けば
ひょっとして
読まれるかもしれない
などと
期待するのが
どうかしているのだ
読まれたら
どうにかなるのだ
なにかが起こるのだ
などと
考えるのも
どうかしている
読まれる
というのは
書いた者の期待するような読まれ方をする
ということで
パラパラ
ページをめくられて
適当に断片的な言語印象を拾われていくことを意味しない
だいたい
書いた者も
書いた者の未来に
裏切られ続ける
続けていく
本というのは
作ってしまったが最後
死屍累々の紙束のひとつになるだけのことで
それ以上のなにかとして
残るかもしれない
などと
期待するのは狂気もいいところ
ソ連が崩壊し
東ドイツが崩壊してから
しばらくして
マルクス主義専門の古書店に行ったことがある
政治や経済の本はもちろんだが
マルクス主義的文芸批評や文明批評や精神分析の本まで
ごっそりと並んでいて
本や思考や精神が一気に無効化していく現場を眺めていた
『腹腹時計』なども売っていて
あ、これがあれか
これが…
などと
ランボーみたいな反応をしたが
それだけのことで
革命は流産していた
暴力は遠い老人だった
もちろん
本は使いようだから
帝国主義的発想や連合赤軍的文明批評や
オウム真理教による悟り方全書だって
いくらでも価値はある
しかし
それらを論文のための思考の助けに使うことはできなくなる
資料としてしか
もう使えない
その際にも周到に注をつけ
説明を加えながらでしか
使えない
わたしは短歌結社に入っていた頃
毎月発行される歌集をさんざん貰ったり
買ったりしていて
年間で優に数十冊は溜まっていったものだったし
それらのどれもそれなりに面白くはあり
作者の思いというものにそれなりに触れた気になったし
いちいち礼状を書いたし
いちいち感想を書き送ったし
その後に作者に会えば「いい歌集でした」と
紋切り型のご挨拶から始めたものだが
いま手元に残っているのは
もう
一冊もない
ぜんぶ古本屋に売ってしまった
古本屋の中には「こんなの貰っても
ぜんぜん売れないから燃えるゴミなんだよね」と
正直に言ってくる店もあったりで
数十年そんなことをくり返すうちに
歌集というのはまったくなんの意味もないと思い知った
意味が多少とも出てくる歌集というのは
出版社が費用を出してスターを作ろうとする時の歌集で
それ以外の自費出版はなんにもならない
で
スターというのは
どのようにしてなるのだろう?
馬場あき子に何度か言われた
寺山修司は中井英夫のお稚児さんになってまでして
ああして出して貰ったんだからね
中井英夫に尻を差し出してね
なるほど
そうしないと
スターにはなれないのだろうか?
詩集も同じことで
いろいろな人からたくさん貰い続けたものだし
中にはなにかの賞を取ったものや
いろいろと取り沙汰されたものもあったりしたが
引越しのたびに手放し
何度も引越ししたいまでは
もう昔に貰った詩集も雑誌も一冊も手元には残っていない
自分の書いた詩が載っている詩誌さえ
いまの住まいに越すにあたっては全部売ってしまった
あちこちで買い集めた
かつて
ちょっと著名だった詩人たちの詩集も
ほとんど手放してしまった
西脇順三郎全集も売り
ほとんど持っていた入沢康夫もすべて売り
清水昶を売り
清水哲男を売り
飯島耕一だけは好きだが買わなかったので売りさえせず
石原吉郎は残し
ほぼすべてを持っている吉増剛造はすべてを残しているが
たぶんもう読まないだろう
と思いつつ
サイン入りの『熱風』(中央公論社、昭和五十四年)をこの前見たら
これは面白く
見直し始めている
1990年代に盛んに書いていた団塊の世代の詩集は
すべて捨てた
あ
稲川方人だけは手元に起き続けている
あ
堀川正美の『太平洋』の初版は持ち続ける
現代詩文庫はほぼ全部を持っていて
ほぼ全部を読んだが
詩を一度いちおう読みましたというのは意味をなさないので
だから何だ?
ということでしかないがもう読まないと思う
ああ、霊感がいっぱい、あたりまえのこといっぱい*
と
吉増剛造
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき**
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき
と
吉増剛造
*吉増剛造『熱風』(中央公論社、昭和五十四年)p.66
**吉増剛造『熱風』(中央公論社、昭和五十四年)p.122
ここのところ
アレクセイ・リュビモフのピアノを聴いている
リュビモフの顔は
死んだ
義兄に
似てる
平均律クラヴィーア曲集の第一巻
前奏曲を
聴いてる
繰り返し
聴いてる
そこに
義兄がいて
兄がいる
母がいる
父がいる
中村登さんがいる
桑原正彦がいる
一昨日だったか
朝
河口まで自転車で走った
河口にはサーファーたちが浮かんでいた
ノラたちがいた
空は曇ってた
海浜公園では
ヤマダさんに会った
ヤマダさんはサッカーの選手だった
いまは
育成の仕事をしているといった
義父が亡くなって
みんなで見送ったといった
よくしてもらった
といった
いまあるのはみんなのおかげだといった
感謝しかないといった
#poetry #no poetry,no life