レドについてのとっておきの話 3日目

 

辻 和人

 
 

3日目
一睡もできないで一夜明かしてしまいました
夜中に何度も捕獲器見に行きました
懐中電灯持って幅の広い坂道を何度も下りました
捕獲器にはかかっていませんでした
またかかっていませんでした
朝になれば便利屋さんが来てくれる、来てくれる、と
何度も坂を上って帰りました
そして5時半になりました
ぼくだけでいいと言ったのに責任を感じた父母も来てくれることになりました
腫れた目をしょぼつかせながら
歩き慣れてしまった薄明るい坂をしょぼしょぼ下りました

さてこれを書いている今はゴールデンウィーク真っ只中
この時季はミヤミヤと旅行行くんだけど今年は無理だから
人通り少ない道選んでせめて小金井公園をお散歩
ぽかぽか緑美しい
ところが向かいから来る人来る人、みんな「怖い人間」
ランニングする白いTシャツ姿のおにいさん
危ないぞ、ソーシャルディスタンス取らなくちゃ
ほら、あそこ
四角いメガネかけたお父さんと
ちっちゃい女の子の手を引いたロングヘアーのお母さん
その少し前で全力疾走しては戻ってくる男の子
危ない、危ない
家族同士とは言え
濃厚接触、濃厚接触
みんなマスクしてるから顔全体がわからない
ぽかぽか緑の大好きな小金井公園
「怖い人間」がうろうろする「怖い公園」に変わっちゃったぞ

実は緊急事態宣言出てからこんなことがあったんだ
ぼくが所属するサルサバンドが時々出演させてもらってる
ライブハウスのクロコダイルがコロナ騒ぎで経営が厳しくなってね
グッズ販売するから応援してねってWEBサイトに書かれてた
こりゃいかん
思い出ある大事な演奏の場がなくなっちゃう
バンドの会計係であるぼくはメンバーに応援しようとメール
全員の賛成を得て
「SAVE CROCODILE」というTシャツを10万円分買うことにしたのさ
にゅうーっと身をくねらせたかっこいいワニの絵柄
クロコダイルには90年代初めから出演させてもらってた
あの頃サルサが若い人の間で流行っててさ
ライブをやるとぼくらアマチュアバンドなのに
店に入りきらないくらいお客さん来たよ
ラテン音楽だから黙って座って聞いてるわけじゃない
お客さん同士でダンス、ダンス
濃厚接触、濃厚接触
汗で潤んだ体、体
濃厚接触、濃厚接触
ワニを救え! ワニを救え!

Iさん宅に着きレドがまだ物置の下に隠れているのを確認
車道に出て便利屋さんを待つ
母は物置を見張りに行って
父は立ち会ってくれたIさんに頭下げている
もう6時回っちゃったのに便利屋さん来ないなあ
いらいらしてたら父がずんずんやって来て
「カズト、レド出てきたよ。今お母さん抱っこしてる!」
ほんと?
レド、救われた!

「怖い公園」にはなってしまったけど
遠目には普段とそれほど違いはない小金井公園
幾らか人がまばらで遊具が使えなくてお店やってないだけ
木に囲まれた広場に行くとさ
キャッチボールしたり追っかけっこしたり
ちびっ子わぁわぁ遊んでる
でっかい声で叫んでる
3万人近い死者を出したイタリアでは
2か月ぶりに外出制限が緩和されたとのこと
久しぶりに外の空気吸ったちっちゃな男の子が
感激の余り泣きそうな顔
テレビ映像を破って男の子の目から涙がぷるぷる
零れる零れる
涼しい陽光に運ばれて
小金井公園の広場の芝生を湿らせた

父の後を追って慌てて物置見に行ったら
ありゃま
レド、母の腕に抱かれてやんの
左手で両前足の脇を抱え込み
右手でお腹をポンポン
黒目真ん丸でぼくの方もちら見したけど
安心しきった様子で逃げ出すそぶりはない
のーこーせっっしょく
ポンポン
よしよし
近づいてアゴを撫でてやったら
気持ち良さそうに喉ゴロゴロ
肉球ぷにゅぷにゅされるがまま
「家猫レド」が帰ってきたあ
そのままおとなーしく
安心しきった様子でキャリーバッグに入っていきました、とさ

安心と言えば
さっきクロコダイルの応援ページ見たら
応援のお金が700万以上にも達していたんだ
目標200万だったから3倍以上
クロコダイルに恩を感じていたミュージシャンが
いっぱいいっぱいいたってこと
いやあ、安心したあ
運営責任の西さん、良かったねえ
音響よし、広さよし、料理よし
トイレが仮設トイレ方式でちょっと狭いけど
よしよしよし
クロコダイルではさ
いつも盛り上がるから演奏後の一杯もうまい
ぼくが好きなのは名物の「かち割りワイン」
ビールジョッキにたっぷり赤ワイン注いでかち割り氷ざくざく入れて
ごくろうさん!
ひゃー、こたえられんねえ
演奏後の火照った体に効くねえ
サルサの演奏ったらメンバーとメンバーの濃厚接触
ピィーと鳴らすハイトーンと濃厚接触
踊るお客さん同士の濃厚接触
汗が出るねえ
かち割りワインが
ごくごく、効くねえ
濃厚接触に
ごくごく、効くねえ

そこへ便利屋さんの大型バンが到着
「道に迷っちゃってすみません。……えっ、もう捕まったんですか」
便利屋さんの荷物を見せてもらうと
投げ網、たも網、ブルーシート、ハンマー、角材、煙幕発生装置などなど
レドが隠れていた物置の一部を解体して後で組み立て直す
なんてことまで考えていたらしい
前例なんかに囚われず必要な処置を考える
猫探しの専門家さんたち、少しは見習えば?
コロナの専門家会議にもいてくれたらいいな
交通費だけでいいって言ってくれたけれど当初の約束の2万円を渡し
車で動物病院に連れてってもらう
診察室では院長先生がじきじきに尿を取ってくれた
3日間も溜めたから尿に膿が混じってて膀胱を洗浄
動物病院でのレドは
検温もどうぞ、注射もどうぞ、もう好きにして状態
「疲れていると思うので入院はせずにおうちで休むようにして下さい」

帰りの車での母の話
「いやあ、レドちゃんレドちゃんって呼びかけていたら
目が合ってね、物置の下から顔出して近づいてきてね。
こっち来たところで足を掴めたから
よしって、ぐいって
暴れたけど絶対離さないって
こっちも死に物狂いよ
ぐいって掴んで引き寄せたら
急におとなしくなっちゃってね。
これはもう大丈夫と直感で思って
左手で足掴んで右手で背中擦りながら引っ張り出したら
いつも通りのレドちゃんよ。
おとなしくって甘えん坊でねえ。
頭撫でたりお腹撫でたり
いい子いい子、いい子ねえ」
家に着いたレドはファミにどやしつかされながらも
いつもの優しい顔つきに戻って
キャットフード食べて、大好きなミルクごくごく飲んで
ぺろっと舌舐めずりしてから
お気に入りの椅子に飛び乗り
丸く丸く
いつまでも丸くなっていた

離さない
ぐいっ
濃厚接触
クロコダイルの大音響
ハッとして
「別猫」から「家猫」に戻ったんだ

実はその1年後、もう1度だけ
レドは外に逃げたんだよ
去年の10月下旬の朝
ドアをちょっと開けた隙にすすすっと走り抜けて
庭にちょこん
素手で捕まえるのは前回同様無理だけど
今度は家の周りだからちょっと安心
近づくと逃げるけど辺りをぐるぐるするだけだ
時々、ベランダに来ては家の中を覗き込むような仕草をする
果たして夜にはお腹が空いて家の中に入ってきて
待ち構えていた父の手によって
ベランダの戸、ぱたりと閉まり
それからレドは2度と外の空気を吸うことはなかった

ぼくもその日、知らせを受けて実家に行ったのだけど
濡れ縁に横たわって
レドは手足をのびのび投げ出して
風に吹かれていた
黒目真ん丸
忘れることができない
1メートル30センチ
それがぼくとレドのソーシャルディスタンス
それ以上踏み込むと前足をきっと緊張させて
立ち上がる態勢を作ろうとする
だから、追いかけるのやめてさ
ただ傍に立ってるだけにしたんだ
したらずっとそのまま、逃げることなく寝そべってた
ふわぁ、あくびまでしちゃってさ
結婚してから実家に帰る日は少なくなってたから
ちょっとよそよそしくなっちゃったけど
あの黒目真ん丸は
赤ちゃん猫の頃からのふかーいつきあいだってことをわかってた目
ぼくをまっすぐ見て
人差し指出すと鼻先近づけて匂い嗅ごうとしてたよ
ヒの字になる前に一度外に出られて
レド、良かったね
「別猫」の気分たっぷり味わって
レド、良かったね
10月の涼しい風と暖かい陽光に洗われ
1メートル30センチ、ソーシャルディスタンス保ちつつ
互いの顔じっくり見ることができて
レドとぼく、良かったね

 

 

 

レドについてのとっておきの話 2日目

 

辻 和人

 
 

2日目
早朝母と一緒にIさんのお宅へ
捕獲器にかかってなくてがっかり
レドは物置の軒下に入り込み徹底抗戦の構え
ここは家全体の床下にも通じているからやっかいだ
それにしてもIさん、熱心なのはいいけど
「レドちゃん、レドちゃん」、あーあー、そんなに追っかけちゃだめ
ささっ、ぴょーん
臆病だからズカズカ近づくと逃げちゃうんですよ
レドは遠くへ行くわけではなく黒目真ん丸でこっちを見てる
まだ望みあるな

ところで2020年4月のぼくは今日も自宅にお引きこもり
本も読み飽きたし
そうだ、ウチの会社の若い女性社員が
「どうぶつの森」っていうゲームにはまってるって熱弁してたな
ぼくは全くゲームはしない人だけど
Youtubeで概略を見てやろう
何々、たぬき開発による「無人島移住生活パッケージプラン」だって
ヘリコプターで無人島へ
まずは「たぬきち」さんから移住費用を借金
お魚釣ったり、フルーツ狩りしたりして返していく
島に生えている木を使ってDIYを楽しむこともできる
うまく工作できると動物たちが手を叩いて喜んでくれるぞ
昆虫採集も面白そう
おっ、捕まえた虫、もにょもにょ動いて結構リアルだな
レドちゃん飛びつきそうだ
キャラクターはいつもふらふら肩や手足を動かしてる
島に咲いているお花はいつもそよそよ揺れている
画面の中で生きた時間が流れていて
人間も動物も植物もいっときたりともじっとしてない
ゲームも進化したもんだ

さて、日本ではさ
ここにきてどっと感染者が増えてきたよ
亡くなる方も日に2けた
規制がゆるくてお花見の時季に出歩く人が結構いたけど
そのツケが回ってきたのかな
マスクしないでいるとぶぅぶぅ
レストラン入るとぶぅぶぅ
さっき牛乳買いにコンビニ行ったんだけどさ
レジの店員との間がビニールのパーテーションで仕切られてた
「はい、20円のお返しです」、トレイだ、手渡しじゃない
硬貨や紙幣も危なそうだし
Suicaで払えば良かったかなあ
早く「どうぶつの森」みたいにとことこ自由に歩き回りたいもんだ

とことことことこ
島の広場を
走る、走る
タコさん走る
タコさんの頭には爪楊枝が突き刺さってるぞ
タコ焼きとミックスされたタコさん、「タコヤ」っていうんだ
食べ物のタコと生き物のタコ
一つの体に同居してる
鉢巻締めたにこにこ顔に
死が搭載されてるわけか
ゲームって自由だなあ

そんな自由を求めてレドちゃん
軒下をさっと抜け出し
捕獲器の横をすり抜けて
とことことことこ
草っ原に入る
胴体くぬっくぬっとくねらせて
ああ、大好きな草の感触だ
草たちはにこにこ顔で
そよそよ
おおっ、「どうぶつの森」とおんなじだ
無条件に求めて受け入れられ
膀胱破裂の危機で死が搭載されてても
にこにこ顔でへっちゃらだ

夕方になっても一向に捕獲器に近づかない
レドちゃーん、と優しく呼ぶと
とととっ
黒目真ん丸くりんくりんさせて近づいてくれるんだけど
一定の距離のところでぴたっと止まる
これ以上近づいたら捕まるってわかってる
猫もバカじゃない
まずいな、こりゃ
膀胱がそろそろ限界に近づいてる
かかりつけの獣医に相談したら
「見慣れない捕獲器を警戒してるんでしょうね。
今は膀胱よりもむしろご飯食べてないことの方が心配です。
尿は溜まってくると肛門からも少しずつ漏れるのでまだ大丈夫。
絶食して体力が落ちると危ないです」
その不安をIさんにちょろっと話したら
何と何と
「ちょっと待ってて」と家に入り
紙皿に載せて運んできたのが焼きサンマ
「これレドちゃんに食べさせて。元気がつくと思うの」
ひぇーっ、すみません
Iさんの温かさに涙が出そう
半分あげたらガツガツ
やっぱお腹空いてたんだ
あとの半分は捕獲器に入れて様子見

実家に戻り、ネットで迷子の猫探しの業者を検索して電話してみる
「もしもし、猫が逃げ出しちゃって。居場所はわかるんですが、
元ノラ猫で外が大好きなもんで戻ってこないんです。
排尿障害抱えているので早く捕まえたいんです」
すると答えは
「いなくなった猫ちゃんを探すことはしますが、
逃げる猫ちゃんを捕まえるのは管轄外です。
お役に立てなくて申し訳ありませんが、
捕獲器に入るのをお待ちになってはいかがでしょうか」
それが待てないからお前に電話してんだろうがっ!
どの業者に相談しても判で押したようにこの回答
えーっ、そんなもんかあ
いつもの仕事のパターンからはずれるからってそりゃないだろ
厚生労働省じゃないんだから
困り果てた末に電話したのが横浜に住む「便利屋」さん
事情説明したら
「それは心配ですねえ。
たも網とか道具いろいろ持ってますし、
猫ちゃんが籠っている物置の奥を塞いで棒で追い立てるとか方法があると思います。
やってみましょう。
明日の朝6時にうかがいます」
一条の光が!
ありがとう、ありがとう!
専門家じゃない人の方が頼りになる!

またYouTubeでぼんやり検索してみると
おりょ、物置作る過程を説明している人がいる
茶髪メガネの女の子キャラ
立ち止まって上を向くと資材や道具の一覧がパッと表示される
どれ使おうかな?
ノコギリ選択して角材作ってトンカチやれば
まあ、不思議
山小屋みたいなかわいい物置の出来上がり
軒下ないからレドちゃん隠れることができないな
結構立派な造りだしお金かかるだろう
あ、手早く儲ける方法ある?
「ウリ」というキャラから「カブ」を手に入れて売買するらしい
すげーなー、これ、子供もやるゲームなんでしょ?
コロナ騒ぎで大恐慌になる可能性あるけど
だからこそ値が上がる銘柄もある
アタマ使えば億万長者も夢じゃないって
「ウリ」がにこにこ顔で言ってるよ!

 

 

 

レドについてのとっておきの話 1日目

 

辻 和人

 
 

うわぁ、人生初だよ
新型コロナウィルスの流行を受けた非常事態宣言
外出しちゃいけない
集まっちゃいけない
ウチの会社も自宅待機
亡くなった方が大勢
苦しんでいる人が大勢
仕事がなくなって困ってる人が大勢
そんな中
週の真ん中でぽかーんとお休みだ
この、ぽかーん、どうしよ
そうだ
こないだ「ヒの字」になってしまったレドについての
とっておきの話をしよう

一昨年の10月、木曜の夜に母から電話
レドが動物病院への通院の帰りに逃げ出してしまったって
看護士さんがキャリーバッグの鍵をきちんと閉めてなかって
久しぶりの外で鉄砲玉みたいに飛び出したって
病院には父が連れてったけどレドは父にあんまり懐いてなくて
呼んでも戻って来ないって
レドは排尿障害抱えてるから3日以上尿を取らないと危ないって
ミヤミヤに話すとそれは大変って
すぐ写真入りの猫探しチラシ作ってくれてありがとミヤミヤ

1日目
家の急用ですって有給取って朝イチの電車
父母がいなくなった場所に連れてってくれて
猫の行動範囲は狭いからいなくなった辺り集中的に探そう
バス道路に沿った家がまばらに建ち並んだ一帯
近所の人にチラシ配ったり
そう軒下軒下
レドは元々アパートの軒下にいたんだから今回もどこかの家の軒下にいるに違いない
レドちゃーん、レドちゃーん
立派なお庭のある大きな家の敷地に、失礼、ひと足ふた足入ったら
おりょ、あっさり
いた
軒下じゃないけど縁側の前に
ひょこっと立ってる
黒目真ん丸で不思議そうにぼくを見てる

やったぁ、さ、帰ろうこっちおいで
レドの傍に近づいたら
ささっ
もう一歩近づいたら
ささっ、ぴょーん、ぴょーん
ダッシュで逃げるその速いこと速いこと
レドが特別懐いている母を呼んでみよう
「レドちゃん、どうしたの? こっち来て一緒に帰ろう」
手を差し出しても
ちょちょっ、近づいては
ささっ、ぴょーん
こりゃだめだ
いつものレドじゃない
ファミは外に出ても1時間もしたら家に帰ってくるけれど
レドは一旦ノラ猫モードになると「別猫」だ
3、4日戻らないことがある
今のレドにはぼくも父母も
自分を捕まえようとする「怖い人間」
うん、気持ちはわかる
ぼくたちだって自粛だ、家にいろ、って言われたら嫌になるしな
ニューヨーク州のクオモ知事って人が都市封鎖を決断して支持を集めてるそう
外出して他人と適切な距離を保たなかったら罰金1000ドル!
考えようによっちゃ「怖い人間」だ
死者の数が尋常じゃないから仕方ないかもだけど
こうなる前に医療費払えない層のために貧困対策やっとけっての
それに引きかえ日本は緊急事態宣言ってったってユルユル
お店は結構開いてるし電車満員だし外出も罰則なし
どころかウィルスの検査させてもらえないって怒ってる人がいっぱい
器具の個数が限られてるから重症患者以外は後回しという理由っぽい
布マスク2枚あげるから外出する時は必ずしてねって
バカにしてんのか
それでも外大好き&病院大嫌いなレドちゃんは
日本の方が断然いいだろう
キミはおしっこ自分じゃできないんだから戻んなさい
そう言いながら鼻先に手を伸ばしてご機嫌取ろうとするぼくなんて
「別猫」の黒目真ん丸のくりんくりんで
一瞬にして「怖い人間」指定
ささっ、ぴょーんとレドの勝ち

とにかく居場所がわかってひと安心
最後は得意の軒下籠り、待ち構えるぼくに
「どうなさったんですか?」
お家の人だ、やばっ、挨拶忘れてた
Iさんという品の良い中年の女性に事情を説明し頭を下げる
「ああ、それは大変。お庭に入るのは全然差しつかえないですが心配ですねえ。
私も様子を見てみます」
ピアノ教室をやっているIさんは何でも協力すると言ってくれた
午後、保健所が猫の捕獲器貸してくれるというので飛んでいって早速仕掛ける
が、レドは銀色に光る捕獲機をあからさまに警戒
そろーりそろーり捕獲機に近づいて嗅いで嗅いで
低くした姿勢でゆっくり後退
いつかお腹が空いて入ってくれるだろうか
夜になっちゃたし今日のところは引き上げだ

それにしても
「怖い人間」がうろうろしてるってのに
レドはIさんのお宅の周りを離れない
「家猫」の魂も残ってるんだ
ぼくは今日一歩も外に出てない
ミヤミヤからコーヒーは日に2杯までって言われてたのに
もう4杯目飲みながらおとなしく「家人間」してるぼくは
「別猫」を満喫するレドの気概が
少し羨ましかったりするんだよなあ

 

 

 

並んだ、走った

 

辻 和人

 
 

並んだ、並んだ
麒麟が並んだ
3頭、いや、ぼくのも入れて4頭
かんぱーい
金色のアルミの表面を
走った、走った
麒麟が走った
ぼくのも入れて4頭
ガハハッ

40歳から楽器始めて今やセッションに引っ張りだこのベースの佐藤さん(女性)
大学で数学を学びながらジャズ研でしごかれてるピアノの姫川くん(男性)
ロックやってたけどエルヴィン聞いてジャズに転向したドラムスの小谷さん(女性)
帰宅して消音器つき30分の練習が命のリーマンラッパ吹きのぼく(男性)
セッションで知り合った仲間だけどコロナのせいで演奏も飲み会もできない

ってことで今流行りのオンライン飲み会
画面を挟んでじゃ今イチ一緒にいるような気がしないから
ってことで
飲み物は統一
一番搾り<超芳醇>
「やっぱ日本酒の方が好きだけど、みんなで飲むとビールもおいしいね」
メガネを直しながら佐藤さんが笑うと
提案者の小谷さん
「あたし元々ビール好きだけど、この麒麟のイラストかわいくて好きなんだよね」
「あ、ぼくもですよ。よく見るとちょっとおマヌケでいい感じ」
同調する姫川くん
「ほんとはいない動物だから遠慮なくデザインできるよね」とぼく

ガハハッ
ほんとは、いる
4頭もいるよ
みんないつもはバラバラな酒注文するくせに
パソコンの画面に収まれば
おマヌケな顔が並びやがって
おマヌケなカッコで走りやがって
ガハッ
統一感を醸し出してくれるぜ
ガハッ
場の共有を意識させてくれるぜ
ガハッ
同じ曲演奏してるって気にさせてくれるぜ

並んだ、並んだ
走った、走った
金色のアルミの中を
かんぱーい
ガハハッ
ほんとはいないのに、いる
4頭の麒麟と
4人の人間が

 
 

*飲み物統一のオンライン飲み会のアイディアはhmさんよりいただきました

 

 

 

ヒの字

 

辻和人

 
 


ヒ、ヒ
ヒ、ヒ、ヒ
ヒの字
こりゃ
手まっすぐ、足まっすぐ
伸ばしたら

だよ
こりゃ
で、確かに
眠ってるみたいだよ
こりゃ

「あのねえ聞いてよ。レドちゃん、死んじゃったのよ。
夕ご飯の時、いつもみたいに食卓の椅子に上って頂戴頂戴するから、
牛肉を小さく切ってやったらおいしそうに食べて、
もうひと切れ、
それもおいしそうに食べて、
もっともっと、
鼻くんくん言わせるからどうしようかと思ってたら、
いきなり、いきなりなのよ、
ばたんと椅子から転げ落ちて、そう、
ヒの字
みたいな姿で床にべたっとしてるから、
あらあらレドちゃん急におねんねしてどうしたのって触れてみたら、
息してないの。
慌ててお医者さんに電話してみたら車で来てくれて、
そしたら心臓マヒで即死ですって。
ほんと、眠ってるようにしか見えないの。
悲しいより何よりただただびっくりしちゃってねえ」

母からの電話を受けたのが帰宅途中の電車の中
ぼくもただただびっくりしちゃって
言葉出ない
涙出ない
出ない出ない
出ないまま

今日土曜日
庭に埋めるためにやってきた
バスタオルを敷いたダンボール箱に収められた、あれは
レドだあ
手足は畳まれてるけど
前足と後足ピンと伸ばしたら
まさにヒの字
ヒの字のレドだあ
かたぁい
つめたぁい
でも苦しそうな感じはない
眠ってるみたいって
ほんとだったんだ
口からひと筋うすーく血が流れてるけど落ちた時の衝撃だろう

「今年に入って急に痩せてきちゃったんでどうしたんだろうと思っていたんだけど、
食欲もあるし甘えてもくるしで、
元気にしてたんだけどねえ。
やっぱりあのケガが基で臓器全体が弱ってきてたんだろうねえ。
預かったのにすまないねえ」
杖ついた父が申し訳なさそうに話す
レドが懐いていた母は辛いからと「お葬式」には出ずにお店に行ってしまった
どっかの誰かさんが外に出たレドのしっぽの部分を力任せに叩いたおかげで
腰の骨が折れてレドはおしっこが一人ではできなくなってしまった
父が体を押さえてペニスを飛び出させ
母が尿道にカテーテルを通して排尿させる
毎朝毎晩、毎朝毎晩
レドは最初はちょっと抵抗したものの
じきに慣れておとなしくおしっこを取らせるようになった
目を細めて舌をぺろりと出したりとか
父母にかわいがってもらえる時間と思っていたのかもしれない
「いいえ、こんなに手厚くしてくれて本当にありがとうございました。
お父さんとお母さんには感謝しかないです」
「そうかい。そう言ってもらえると心が軽くなるねえ。
とにかくレドはピンピンコロリのお手本みたいだったよ。
自分も死ぬ時はああいきたいもんだね」

焼いた牛肉をふぅふぅ
小さくちぎって
鼻の先に差し出す
黒目真ん丸がくるっと動いて
くんくん
ぱくっ
おいしいおいしい
もう一つもう一つ
母の腕に前足かけて黒目真ん丸きゅっとさせて
くんくん、ぱくっ
おいしいおいしい
またまた黒目真ん丸
鼻ひくひく
前足かけて後足もちょっと伸ばして

ヒの字

かたぁいつめたぁいレドが収められた箱の傍には
ホタテ
マグロ
ササミ
の猫缶と
牛乳
お葬式なんだあ
故人の好きなものが並べられてるんだあ
手を合わせる
そろそろ庭に埋めに行きますか

椿の木の下
フキが植わってるここ
日当たりがいい
ここがいい
スコップで穴を掘る
おやおや、根が張り巡らされていてなかなか進まないぞ
すると父が杖を置いて貸してみなさいって
スコップの先でまず周辺の植物の根を切って
掘る、また切ってまた掘る
なーるほど
いろんなものが植わってる庭で穴を掘るってことは
土を掻き出すってことじゃなくて
まず根を切るってことなんだな
すいませんね
庭仕事あんまりしたことなくて
お父さんさすがだね
でも、コツわかったから代わるよ
がしっ、がしっ
根を切って掘る、を繰り返していると
いつのまにかファミがベランダ近くにやってきた
ガラス越しにぼくの作業を見ている
にゅあにゅあ鳴いてるじゃないか
ファミもここ数日レドの姿が見えないことに不安を覚えてるんだろう
ぼくが庭で何やら妙なことをやってることと
相棒がいなくなったってこと
何か関係あるって勘ずいてる
レドとはすごく仲良しってわけじゃなく時々ケンカもしてたファミ
それでもベランダを行ったり来たり
にゅあにゅあ、だ

がしっ、はい、長方形の穴ができました
レドの体を箱から出しました
眠ってるみたいでした
いつものレドの顔でした
いつものレドちゃん
最後の頬ずり
かたぁいつめたぁい
紙に包みました
穴の中に置いて、がしっ、がしっ、土を被せました
すっかり埋め終わって土をスコップでとんとんしました
ホタテ
マグロ
ササミ
牛乳
土の上に撒きました
父と一緒に手を合わせました
黙祷
にゅあにゅあ
良い天気
「この上にフキを植えてやるかな。レドも賑やかな方がいいだろう。
椿の季節になったら赤い花が落ちてきれいだぞ」

帰って母に感謝の言葉を伝えて
さあお風呂
ちょぽーんとお湯に浸かると
ありゃま
浮かび上がってたぞ
ヒの字
おいしいものをひと切れ、もうひと切れ
おいしいおいしい
くんくん
もっともっと
一番いいトコで
ヒの字
前足が横の棒
頭からズッと線が走ってしっぽで曲がって後足が横の棒
食いしん坊のレドらし過ぎる
2008年、ノラ猫クロがくわえてきて
ご近所さんの目を盗んでご飯あげて遊んでやって
猫路地に放り込まれたのを救ってやって
2009年、祐天寺のアパートから伊勢原の実家へ
あれから10年
自分の分を食べ終わってファミの皿に手を出して一喝されシュンとなったレド
成長してファミが遊ばなくなったというのにいつまでも猫じゃらしに飛びついていたレド
マッサージして欲しくなると食卓に飛び乗って背中をしなしなさせていたレド
レド全開のまま

ヒ、ヒ
ヒ、ヒ、ヒ
ヒの字
あーあー、やっぱりくるよなあ
丸い透明な液体があとからあとから
ホタテ
マグロ
ササミ
牛乳
を連れて
湯気の立つヒの字の周りを
ぽたぽたぽたぽた、旋回
レドちゃんレドちゃん
楽しかったね
また遊ぼう

 

 

 

もうすぐ終わり

 

辻 和人

 
 

セーフ、セーフ
滑り込んだ
てんや武蔵小金井店
残業で遅くなっちゃって
ミヤミヤ仕事忙しくって
今日は夕ご飯各自ってことで
滑り込んだ22時5分
もうすぐ終わり
もうすぐ終わり
てんぷらそばにするか
すいません、そばは冷たい方でお願いします
若いオネエさんの店員さんタイマー渡してくれて
鳴ったらカウンターまで取りに行くんだって
空きまくってる席に腰を下ろす
オネエさん、すぐさま営業終了の看板出した
ビール飲みながらのんびり天ぷらつまんでる真っ白髪のオジイさん
天丼大盛り夢中でかっこんでる長髪のオニイさん
50代オジさんサラリーマンのぼく
ぽつんと3人
オジイさん、独居のお楽しみタイムかなあ
オニイさん、横の席にギターケース立てかけてるからリハの後かなあ
こんなのも縁だ
ここで大地震が起こったら
声かけあって
3人一緒にテーブルの下に身を隠して
揺れが収まったら足をくじいたオジイさんをオニイさんと一緒に助け出して
おっと忘れちゃいけない
店員のオネエさんと調理場にいる誰かさんの安否も確かめなきゃ
大丈夫ですかぁ
お怪我ありませんかぁ
ゆっくり頭を起こしたオネエさん、ずれたメガネをかけ直しながら
「大丈夫です、お客様はご無事ですか?」だって
えらいなぁ
こんな時でも客の安否を気遣えるなんて
ビィーッ、タイマー鳴った
ちょっとびっくり
意外と大きな音だな
慌ててタイマー止めてカウンターへ
オネエさん、上の空みたいな笑顔で「どうぞごゆっくり」だって
ごゆっくりも何もあと15分でおしまいじゃん
トレイにのったエビにイカにキスにカボチャにインゲンにざるそば
いただきまーす、じゃあイカの天ぷらから
くにっくにっ、噛み応えあってなかなかうまい
そばはどうかな
するっつるっ、立ち食いそばのよりかだいぶいい
極上ってわけじゃないけど700円の価値は十分ある
カボチャ
そば
盛り上がってきたぞう
キス
そば
いいね
盛り上がってきたぞう
インゲンにたっぷり汁につけた
丁度その時だ
オジイさん、ビールの最後の一滴をグラスに注ぎこんで、くいっ
オニイさん、丼から満足そうに顔あげてコップの水を、ぐいっ
ほとんど同時
おいしかった、おいしかった
良かったねえ
オジイさん、床に寝かせた杖を拾い上げて、どっこいしょ
オニイさん、立てかけたギターケースを起こして、どっこいしょ
オネエさん、調理場の人とのお喋りを中断して慌ててレジへ
あ、行っちゃうの?
一緒に地震を生き延びた仲なのにぃ?
がらっとしてきた
がらっとしてきたぞう
終わりのムードが盛り上がってきたぞう
最後に残ったエビ
お箸でつまんで
ちょっと高く持ち上げてみる
エビの向こうに見えるのは
斜め四角に伸びる影のお守りをしてばかりのテーブルと椅子
薄ぼんやり光ってこびりついた水分と遊んでばかりの給茶機
そして調理場さんとのお喋りやめて
カタカタカタ伝票と電卓の間を行ったり来たりするばかりのオネエさん
パクッ
噛みちぎられたエビはゆるゆるした曲線を描きながら
50代オジさんサラリーマンの口の中に吸い込まれ
ムグムグムグ、濃厚とまでは言えないけエビらしい味をニュッと舌に刻んで
ごくっ、暗い奥に落っこって
いなくなっちゃった
♪ソドーミソードドーーラーラ
ソーミファレソミーーーー
聞いたことあるメロディが流れてきた
さみしいような懐かしいような節回しだ
エビはいい
そばはいい
終わりはいい
さみしくて懐かしくていい
終わりったってこの店にいる時間が終わるだけなのに
これからまだまだ
バスに乗るってこともお風呂に入るってこともミヤミヤにお休みを言うことも
しなきゃいけないのに
もうすぐ確実に終わるこの時間がもうすぐ確実に終わるが故に
とってもぽっかり広がってる
さみしくて懐かしくていい
時間にも部屋みたいなものがあって
ここは居心地のいい部屋なんだろう
照明奥の方消えて
盛り上がってきたぞう
さあ、お帰りだ、コート着なくちゃ
と思ったら着たまま食べてたことに気がついた
50代オジさんサラリーマンはこれだから困るね
こんなんじゃミヤミヤに怒られちゃうぞ
♪ソドーミソードドーーラーラ
ソーミソファレドーーーー
レジに歩き出すと待ってましたとばかりオネエさんがレジに滑り込み
揺れが収まった直後の縮こまった表情とは打って変わった
早くしろと言わんばかりの笑顔で「ありがとうございました」
♪ソレーソミーソファーミレーレ
レーミファレラソーーミー
盛り上がってきたぞう
もうすぐ終わり
もうすぐ終わり
終わりを胸いっぱい吸い込む
ふわぁわぁーっ
くちゃくちゃコートの50代オジさんサラリーマンのぼく
最後の客として
盛り上がって消えるのさ
♪ソドーミソードドーーラーラ
ソミドソレミドーーーーー
終わり
終わり

 

 

 

長田典子詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(思潮社)について

 

辻 和人

 

 

長田典子さんの最新詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』は、ニューヨークに2年間語学留学した体験をドキュメンタリー形式で書いたものだ。長田さんは小学校の先生をしていたが、50代半ばに退職して一発奮起し、長い間の夢を実現させた。帰国後、この一世一代の体験が自身の人生にどのような意味を持つかについて懸命に考え、詩の言葉によって結晶させたのが本書である。

 

空0高層ビルに囲まれた
空0四角いセントラルパーク
空0そこは むかし 羊のいた牧草地だったという
空0羊のかわりにヒトがたくさんいて
空0海辺でもないのに水着になって
空0芝生の上に寝転がり 肌を焼いていた
空0影のないヒトたち
空0わたしは過去から迷い込んだ
空0一匹の羊なのか

 

渡米してすぐ、セントラルパークを訪れた日を描いた「笑う羊」。最初は日本では見慣れない光景を珍しく感じていただけだったが、観光に来たのでない長田さんは、この風景のただ中に飛び込み、新しい環境に溶け込もうとして、大胆に想像力を膨らませる。

 

空0ワタシは羊ナノデス
空0ぴょーん ぴょーん
空0飛び跳ねる
空0羊なのです
空0<中略>
空0わたしを助け出さないでください
空0わたしを連れ出さないでください

 

小学校の先生として、厳しい規律を身に染み込ませ、子供たちに教える立場であった彼女は、一転して自由の身になった。気力の漲った、飛び跳ねたくなるような爽快そのものの気分。生まれ変わったような解放感が伝わってくる。そしてこの、伝えたいことを細かいところまできちんと説明して伝えていくという姿勢は最後まで貫かれる。

長田さんは、次の詩「Take a Walk on the Wild Side」で留学を決意するに至った深層の理由を説明する。これから200ページにわたって延々と紡がれる留学の記録は、単なる異国への訪問記ではなく、人生を進展させるための重要なステップの記録なのだ。まじめな人の冒険にはそれなりの理由がなければならない。順を追って読者に対する説明責任を果たそうとするところがいかにも元教師らしい。
早朝、昨夜ラジオで流れていた歌の「Doo, do, doo」という掛け声と「Take a Walk on the Wild Side(危ない方の道を歩け)」という歌詞を思い出したことをきっかけに、作者は幼い頃の酷い体験に浸り込む。

 

空0「お父さんは、いません」
空0玄関先で早朝から訪れる借金取りに言うのがわたしの役目だった
空0父は逃げて行方不明
空0次々と商売を始めては失敗に次ぐ失敗
空0恋人の家に隠れているらしかったが
空0夜中になるとまた借金取りが来て
空0家のドアを怒声を上げて叩き続けていたっけ

 

長田さんの父親は事業に失敗し家族に負担をかけていたのだった。「Doo, do, doo」は、借金取りがドアを叩く音に重なる。しかし、ここでひねくれなかったのが長田さんのすごいところだ。父の二の舞を踏むまいと、勉強して教師になり、安定した生活を築くことができた。

 

空0手堅い仕事は世間的には立派だった
空0手堅い仕事は満身創痍であった
空0手堅い仕事は大変に屈辱的だった
空0手堅い仕事は四冊の自作詩集と建売住宅を与えた
空0手堅い仕事はそこで終わりにして
空0わたしは異国で暮らし始めた
空0永遠に遂げられなかった愛を成就させるために

 

どうやらこの語学留学は英語を取得することが第一目的ではないようなのだ。もっと根源的な目的、即ち、奔放な父親の失敗を見て、こうはなるまいとまじめ一筋に過酷な仕事に長い間打ち込んだ挙句、自分を本来あるべき自由な姿に戻すためなのだ。外国語の取得を口実に未知の世界に飛び出すこと。本来の長田さんは、新事業に挑んで敗れたお父さんのように、冒険をする性質の人だったのだ。まさに「Take a Walk on the Wild Side」そのものだ。

 

空0ああ お父さん
空0わたしも ここで
空0もう一つの命を始めます

 

故郷から遠く離れたニューヨークで、ようやく父親との「和解」を果たすことができたというわけだ。

そしてそれからは勉強、勉強。中年期に達してからの語学学習には困難が伴ったようだが、努力家の長田さんは持ち前のガッツで着実に実力をつけていく。そして休日、久々にのんびり過ごしていたところ、思いがけないニュースを耳にする。

 

空0え、地震? トーホク?
空0一時間前に起きた地震を知らせる赤い文字、
空0配信映像、クリック、
空0キャスターがヘルメットをかぶって叫んでいる
空0「落ち着いて行動してください!身の安全を確保してください!」

 

東日本大震災である。長田さんはあの大惨事をニューヨークで知ったのだった。この「ズーム・アウト、ズーム・イン そしてチェリー味のコカ・コーラ」は、詩集の中のハイライトとも言うべき、長大で手の込んだものとなる。インターネットを介して映像を食い入るように見続ける長田さんは、この世のものとも思えないような悲惨な光景にショックを受けながら、その災禍が自分の身にふりかかっていないことから、次のような感慨を覚える。

 

空0ズームアウト、上空から、
空0分裂したもうひとつの意識がむしろ画面と一体になってしまう、上空から、
空0なんでこんなに冷静なんだわたし!
空0リアリティ、
空0リアリティ、ってなんなんだ!

 

現場にいないのだから、冷静なのは実は当たり前なのだ。これが別の国で起こったことであればどんなに悲惨であってもそれは「ニュース」であり、冷静であることも自分で納得できただろう。しかし、長田さんは災害が起こった日本を故国とする人である。そのため現場に立ち会えなかった者特有の罪障感、つまり一種の意識の倒錯が訪れる。そして長田さんは咄嗟に、今いるニューヨークでかつて起こった惨事、あの9.11事件を思い起こす。

 

空0ニホンで
空0ツインタワーに飛行機が突っ込むのを見ていたあのときテレビで
空0ビルに突っ込む飛行機と黒い噴煙に圧倒されてビルの中にいる
空0数えきれない人たちに思いが及ぶまで時間がかかった
空0映像の中のツインタワーだった

 

メディアが発達した現在、我々は大災害を、まず映像を見ることで体験するのが普通だ。そして、映像の中で多くの人が苦しんでいるのにもかかわらず、自分が掠り傷一つ負っていないことに違和感を覚えてしまうのだ。長田さんが日本にいたならば、たとえ被害に遭わなかったとしても、東日本大震災を自分の問題として受け止めることができただろう。周りに被害者を悼み、救済について考え、日本の将来を憂える、共感してくれる知人がたくさんいるからだ。しかし、ここはニューヨークだ。共感の輪の中にいない長田さんは、かつてニューヨークで起こった悲劇を、今日本で起こったばかりの悲劇と、「テレビの映像を見た」という体験の共通項で衝動的に結びつけてしまう。
いかにショックを受けていると言っても、日常生活を送らないわけにはいかない。猫に餌をやったり、洗濯したり。そして長田さんは原発についてのアメリカでの報道と日本での報道の違いを気にしたりしながら、次のようなことも書く。

 

空0いつものようにベーグルや水や果物を買いに出掛けるついでに
空0お気に入りのバナナリパブリックやGAPでのウィンドウショッピング
空0傷物のトレンチコートが百ドルで売られているのを見つけて買ってしまう
空0裏地は白に水色のストライプの布がとってもキュートな
空0“This is really beautiful” (これ、ほんとに素敵ですよね)
空0店員さんが言いながら袋に詰める横顔を見て大いに満足する
空0<中略>
空0朝 ニューヨーク三月十三日
空0泣きはらした目で支度をし
空0クラスメイトとバスでハーレムを横切ってクロイスターズ美術館に出掛ける
空0会うなり百ドルで買ったトレンチコートの自慢をする

 

実はこうした何気ない日常の描写がこの作品のうま味を作っているのだ。泣くほど衝撃を受けているのに、同時にのんびりと生活を楽しんでしまう、人間の二面性を、長田さんは細やかなタッチできびきびと描いている。オイスターバーの料理に舌鼓を打って帰宅すると、フクシマ第一原発が爆発したことを知る。

 

空0有名なニュースアンカーが被災地の報告をする
空0立っている場所はどう見てもトーキョーのどこか
空0同じだよ、
空0わたしもこんなに嘘くさい
空0遠い、ヨコハマ、遠い、トーキョー、センダイ、トーホク!
空0ズーム・アウト、わたし、上空から、わたし、ズーム・イン、
空0ぐうたら、ぐうたら、ズーム・イン、ズーム・アウト、
空0地震、火災、家屋倒壊、津波、余震、死者多数、死者多数、原発爆発!、原発爆発!!

 

いろいろな感情が錯綜し、混乱した長田さんは自分を「嘘くさい」と感じるようになり、落ち着きを失ってしまう。翌日の「午後のマイク先生の授業」では、何と皆の前で一時間も一人で地震や原発についての考えを喋ってしまうのだ。

 

空0眉間に皺を寄せて喋り続けてしまって喋るのが止まらなくなってしまって
空0マーク先生はわたしの話を遮らずに最後まで聞いていた
空0午前中、映画のCGみたいだったね、と無邪気に喋っていたクラスメイトたちも
空0黙り込んで下を向いていた

 

このクラスはすごく良いクラスだと思う。一人の生徒の心の痛みを皆で受け止めようとしてくれるのだから。言いたいことのある人が喋り、周りは真剣に聞いて理解する。言葉の教育とはこうあるべきではないだろうか。マイク先生は「もし、世界で一つだけ変えられることがあるなら、わたしは……」というテーマで作文の宿題を出し、長田さんは一週間後に原発事故について書いたエッセイを提出する。そのエッセイは英語の原文と日本語の訳文の両方でまるまる詩の中に引用される。長くなるので引用は避けるが、高揚した気分が伝わってくる熱い文章である。そして詩は、「たとえば/葬儀に参列したとき/きゅうに、ぷうっと吹き出したくなる/あの感じ」を想起しながら

 

空0同じだよ
空0わたしも
空0こんなに
空0嘘くさい
空0そらぞらしい

 

と締めくくられる。この詩全体は、海外に身を置いて東日本大震災のニュースに接した日本人の意識を生々しく書き留めた、非常に貴重な記録となるだろう。ここには、矛盾する行動と心理の混淆が、場面に即して精確に描かれている。現実というものはこうしたものなのだろう。「嘘くさい」のリフレインは、逆に作者の率直さの表れである。この「率直」をできるだけ落とさず、余さずに読者に説明するというのが、この本詩集のスタイルだ。

長田さんは語学学校の学生であり、そこには様々な地域から訪れた学生がいる。当然、文化の違いに敏感にならざるを得ない。「蛙の卵管、もしくはたくさんの眼について」は自作の英文の詩の引用から始まる。蛙の卵の一つが「僕」という話者として語るというもの。兄弟たちは成長してオタマジャクシになり、水から出ていくが、「僕」は卵のまま水の中に留まっていつしか干からびてしまう、そして「空に浮かぶ眼」となり、いつしか空で兄弟たちと再会し、また蛙の卵管に入っていく、という内容である。これもマーク先生の教室に提出されたものだ。

 

空0きょう
空0creative writingの授業で
空0マーク先生は
空0とてもよい詩だ、と褒めた後で
空0実はまったくわからないのだ
空0輪廻転生ということが……
空0キリスト教では
空0死は完全に終わってしまうことだから
空0穏やかに微笑みながら言った

 

このマーク先生という人は「自分はエジプト人とポーランド人の/血が混じっていると/誇らしげに」話すキリスト教徒ということだが、日本人の男女から生まれ、つきあう人々も皆日本人という環境で育った長田さんも実は教会に通っていたのだった。

 

空0田圃で蛙の卵塊を見かけるたびに
空0怖くなって走って家に帰ったあの頃
空0河岸段丘の底の小さな集落から
空0斜面に沿った急な坂道を登って
空0山の上の町に行き
空0そこをさらに横切って西に歩き
空0教会のある幼稚園に通った
空0礼拝の日は入口で神父様の前でひざまづき
空0パンを口に入れてもらったのだ

 

更に次のような告白をする。

 

空0幼い頃
空0いつも誰かに監視されているように感じていたんだ
空0小さな集落や教会のある町はわたしを縛りつけるたくさんの眼だった
空0強い結束が絡み合った大きな家族のようだった

 

同じキリスト教の経験でも随分違う。マイク先生の場合、異なる習慣を持つ多民族が共生する環境の中で、キリスト教が皆を束ねる軸の役割を果たしていたのではないだろうか。長田さんの場合は、互いを見張るような関係の密な村落の中で、教会はたまたまそこにあったものの一つでしかなかった。何しろ「幼稚園に行かない朝は/お仏壇にお線香をあげて拝みました」というのだから。

 

空0ずっと人の眼が怖かった
空0いや、自分の眼だ
空0人の眼は自分の眼だ
空0とてつもなく捻じれたコンプレックスの闇だ

 

長田さんは蛙の卵の詩を書くことによって、「眼」と対決しようとしていたのだった。しかし、ニューヨークには「わたしを見るたくさんの眼はどこにもない」。

 

空0Oh My God! Frog’s fallopian tubes are Chinese dessert ingredients!
空0(なぁんだ! それはチュウゴクのデザートの食材だよ!)

 

こんな声があがり、教室は爆笑の渦に包まれる。外からの「眼」によって相対化された蛙の卵は、凝り固まった自意識を解きほぐす。長田さんはふっきれた気分になり、明日はチャイナタウンで蛙の卵を食べようと決意するのだ。

ニューヨークでの生活も長くなってくるとちょっとした冒険もしたくなる。「DAYS/スパイス」は、「メキシコ料理店でホモセクシュアルやゲイやトランスジェンダーの人たちが/集まるパーティがあるから行かない?」とメキシコ系の女友達に誘われた時のことを書いた詩。長田さんは、メキシコ料理を食べてみたいという単純な思いから店に足を運ぶ。聞かされた通り、皆「とてもいい人たち」で、「どの人も穏やかな笑顔でずっと前から知り合いだったみたいに話しかけてくれた」。おいしい料理を堪能し、女友達に誘われて二階のダンスホールに行く。

 

空0階段を上がり終わったら急にアップテンポの曲が始まり
空0もともとダンサーの彼女はカクテルを頼むのもそこそこに
空0めまぐるしく交差する赤や黄色や青や白のライトの下で
空0ここぞとばかりに気持ちよさそうに全身を躍動させて踊り始め
空0わたしはあっという間に彼女を見失った

 

「料理を食べる」という目的を果たし、頼りにする知り合いを見失った長田さんは宙に浮いた存在になってしまう。店の隅っこでカクテルを飲んでいた長田さんだが、ここで「アクシデント」が起こる。

 

空0音楽が急にスローになり肩幅が広くて胸の厚い男の腕に肘を引っぱられた
空0ちらっと見えた大柄の男の横顔は浅黒いメキシコ系だった
空0顔を見たのはそのときだけだった
空0手をとって一緒に踊ろうというしぐさをしたかと思うと
空0すでにわたしの身体は男の分厚い胸や太い腕に抱きすくめられ
空0マリオネットのように男と一緒に踊っていた
空0赤や黄色や青や白の線状のライトも音楽のテンポに合わせてスローな動きになっていた
空0悪い気分ではなかったボタンの留められていない男の上着が
空0大きな翼のようにわたしの細い身体をくるみむしろすっかり安堵していた
空0留学生活はまるで薄氷の上を歩くみたいに冷や汗の連続だから
空0スパイシーな体臭さえも心地良くわたしの鼻を満足させた

 

映画のような豊かで細密な描写に魅せられる。ここで注目すべきは「顔を見たのはそのときだけだった」という一行だ。ダンスに誘われた長田さんは相手を個人としては認識していない。酒に酔い空気に酔い、その流れで、「異国の男」に酔ったのだ。

 

空0わたしは指先に弛んだ男の贅肉を見つけてちょっとだけ摘んでみた衝動的に
空0いつのまにか目を閉じていたはじめから目は閉じていたのかもしれない
空0それから男はわたしの唇に唇を押しあててきた
空0すごく柔らかい唇だった厚くて少し湿った唇はわたしの唇のうえを蠕動し
空0何年も前からわたしたちは恋人同士だったかのように自然に口づけをしながら
空0男の大きな懐に自分の身体をまかせていた
空0両方の掌を男の肌にぴったりあてたたまま
空0男がそっとわたしの口の中に舌をすべり込ませてきても自然に受け入れた
空0男はわたしの舌をも尊重かのするような人格のある舌をゆっくりと動かし舌と舌は
空0うっとりと絡み合いつづけ時がたつことなんかすっかり忘れていた
空0男はそれ以上のことはしなかったしわたしもそれだけでよかった

 

堅実な元教師で勤勉な学生である長田さんの隠れていた一面がくっきりと浮かび上がる。もし長田さんが日本にいたなら絶対にこのような行動はとらなかっただろう。誰しもなりふりかまわず官能に身を任せてみたいと思う時はある。が、若い頃はともかくある年齢を迎え社会的な地位ができると、歳相応・地位相応の振る舞いをするようになる。それを、分別がついた、と世間では言うのである。長田さんは、束縛の強い村から束縛の強い学校へと、「分をわきまえる」ことを強いられる生活を送ってきた。愛する男性との生活も「結婚」という枠の中で営まれてきた。まじめに、堅実に、悪く言えば小心者として、半生を送ってきた長田さんは、ここで一個の生命体としての欲求に身を任せることをしてみたのだ。

 

空0店を出てタクシーに乗るころには
空0わたしは男のこともメキシコ料理の味もすっかり忘れていた
空0柔らかく蠕動する唇と人格をもったような舌の動きだけは覚えていた

 

男のことは忘れたけれど「舌の動き」だけは覚えている―そのはずである。舌は、相手の男の部位であることを超えて、長田さんが自身の心と身体の自由を感じる、生きている律動そのものだったのだから。

この詩集は、留学生活の様々な局面を、具体的に描写することで成り立っている。いつ、どこで、誰が、何をした、ということが小説のようにきちんと明示的に書かれている。作者の内面を暗示的な方法で描くことを軸とした現代詩の多くとは、対称的な書法であると言って良いだろう。暗喩を中心とした書法では、読者が「何となく類推できること」から遠くへは行けない。だが、この小説的な、明示的な書法であれば、複雑な状況をその状況に即して幾らでも細かく描くことができる。散文的な手法を取り入れてはいるが、本作はあくまで詩であって小説ではない。表現の軸は、その時々の心の震えを言葉の律動として際立たせることにあり、そこから決してブレることはない。詩の表現の幅をぐーんと広げる、新しい書き方であると言えよう。
そして長田さんは散文性を大胆に取り入れた書法で、その時その時の自分を、ある時は外からある時は内から、しっかり眺め、その像を読者にしっかり伝えようとしている。まるで教室で30名程の人を相手に発表を行うかのように。一番後の席の人にも届くようにはっきりした発音で、じっくり丁寧に順序立てて、自分の一世一代の体験の意味をわかってもらおうとしている。
そこに長田さんの生来のきまじめな性格が明確に表れる。それは、強いられたのでない、内側から湧き出るきまじめさなのだ。

 

 

 

ごっ……くんっ

 

辻 和人

 
 

さあさあ
デジカメで撮った写真
パソコンに移すんだ
USBケーブル引っ込抜いて
乱暴にキーボードの上に投げ出したら
ケーブルは
そろりそろりとキーボードの上を滑るんだ

(ひと呼吸)

垂れ下がったかと思ったら

(1/2呼吸)

椅子をかすめ
しなる、しなる
しなって、床へ落ちるんだ

(1/4呼吸)

落ちた
何、これ?
さっき、さっき……

(ゼロ呼吸)

おおっ、これ、知ってます
つい、つい
さっき
ぼくはペットボトルの水を口に流し込んだんだ
その時、喉の筋肉は
伸びたり縮んだりしたんだ

ごっ……くんっ

(ひと呼吸)
(1/2呼吸)
(1/4呼吸)
(ゼロ呼吸)

誰にも知られるはずはない
ぼくの動作だったんだ
誰にも見られてない
まるで意識していない
ぼくの動作だったんだ
それがこんな風に
(滑って、垂れ下がって、しなって、落ちて)
かすめ取られて
再現されて
目の前に突きつけられるとは

もっかい
辺りを見渡すんだ
やっぱり誰もいないんだ
ドアには鍵もかかってるんだ
カーテンも降りてるんだ

ごっ……くんっ

ふぅーっ
ま、いいでしょ
気を取り直して写真をパソコンに取り込むんだ
そこにはたくさんの昔の時間が
再現を待ってるんだ
待ってるんだ

(ひと呼吸)
(1/2呼吸)
(1/4呼吸)
(ゼロ呼吸)

さあさあ
床に落ちたままぐったりしているUSBケーブルを拾い上げるんだ
そして
相似をなした者同士
改めて顔を見合わせるんだ

ごっ……くんっ

 

 

 

UFOみたいなのが降りてきました

 

辻 和人

 
 

ぷわっ、ぷわり
左に傾き、右に傾き
降りてきたよ
UFOみたいなのが
仕事お休みになった日は雨ザーザー
出かける気力がくじけたところ
つけっぱなしのテレビが「いいもの見せてやるよ」って教えてくれたのが
ぶわっ、ぷわり
六角柱の
UFOみたいなの
がっちりした台の上に
ぺたっ着陸
ほぉー、見事見事
てっぺんにエラソーな金色の鳥さん
6つの角っこをちょっと地味な鳥さんたちが守ってる
ほぉー、見応えあるある
てっぺんの鳥さん、長い首をぷるーんっと折り曲げて
毛づくろいする余裕を見せる
地味な鳥さんたち、時々上を見上げては
てっぺんの鳥さんが毛づくろいする隙に
羽の中に隠し持ったポップコーンを放り投げては飲み込んでる
ほぉー、上手上手
おっと、長身のカラス天狗みたいなのが2人、UFOみたいのに近づいて
おっと、扉を開けたぞ
ほぉー、ほぉー、ほぉー
出てきた出てきた
星人みたいなの
茶色の前掛けみたいなのをまとって
髪がびゅーんと上に伸びる
伸びて伸びて
おっ、もっと伸びるぞ
ぷるーんっ
後ろに折れ曲がった
てっぺんの鳥さんの毛づくろい姿とおんなじだ
手にでかいシャモジみたいなの握ってる
目、ぱちくりさせたかと思うと
UFOみたいなのの中から
出てきて出てきた
正方形の台の下にはいつのまにか
ペンギンみたいなのが一羽畏まって立っていて
それを見たてっぺんの鳥さん
対抗意識か、羽をパタパタさせる
六角を守る地味な鳥さんたちもポップコーン食べるのやめてパタパタ
壮観だなあ
星人みたいなのはカラス天狗みたいなのからカンペを受け取ると
ぱちくりさせてた目を見開いてぎゅっと中央に寄せ
「私の星の住民が幸せになると自動的にこの星は平和になりますよーっ」
ってひと言
え? 何言ってんの?
意味わかんない
ペンギンみたいなのは目をぱちくり
カラス天狗みたいなのも目をぱちくり
てっぺんの鳥さんも地味な鳥さんたちもパタパタやめて目をぱちくり
おいおい、大丈夫か、とテレビ越しに不安になったが
ペンギンみたいなのが気を取り直して
「バンザーイ、バンザーイ」
両手を挙げる
カラス天狗もてっぺんの鳥さんも地味な鳥さんたちも唱和したから
ぼくもつられて「バンザーイ」って叫んじゃったよ
星人みたいなのは満足気にUFOみたいなのの中に戻り
カラス天狗みたいなのが扉を閉め
てっぺんの鳥さんと地味な鳥さんたちは羽を広げた姿勢で静止して
ぷわっ、ぷわり
左に傾き、右に傾きながら
UFOみたいなのは飛び去ってしまった
結局何しに来たんだかわからなかったけど
あんたんトコの星の人が幸せだとどうして地球が平和になるのかわからなかったけど
あー、見応えあった
雨ザーザーを楽しく乗り切れたよ
つけっぱなしのテレビさん
教えてくれてありがとね

 

 

 

キャッ、シュッ、レス、キャッキャッ

 

辻 和人

 
 

10月だなあ
まだちょっと暑いなあ
街路の緑は心なしか褪せてるかなあ
10月と言えば
消費税上がったなあ
8%から10%へ
最初に導入された時は確か3%だったなあ
ぼくは社会人2年目であの頃大騒ぎだったなあ
それが、それがだなあ
5%だなあ
8%だなあ
ってきて
キリのいい10%
2%上乗せっていうとそれほどでもない気がするけど
当初から3倍以上だぜ、やっぱりすごいなあ
子供が多い家なんか大変だろうなあ
さて、昼飯昼飯
会社から歩いて3分のいつものコンビニへ
うーん、あんかけ焼きそば本体価格445円にするかあ
並んで並んで
急速にベテランになりつつあるランさんに
レンジでチンをお願い
小銭出しかけて
ストップ

キャッシュレス決済すると幾らか還元されるってテレビで言ってたなあ
めんどくさがりなんで電子マネーの登録はしてないなあ
キャッシュレスと言えるのはクレジットカードとSUICAだけだなあ
SUICAはカバンの中だから手元にあるのはクレジットだけだなあ
普段はこんな少額でクレジットなんか使わないけど
じゃあ、こいつでお願いします
「はい、かしこまりました」
ランさんの褐色の声、いつものようにきりっと縁取りされてるなあ

キャッ
シュ
レス

いつものように鳩さんいるなあ
公園のベンチに腰を下ろして
焼きそば食べながらレシート確認
本体445円に消費税35円
8%じゃないかあ
そうか、軽減税率かあ
食料品は持って帰れば8%のままなんだあ
おりょ、この9円ってのは何だあ
うひょ、キャッシュレス還元だあ
キャッ
シュ
レス
2%なんだあ
キャッキャッ

445円+35円-9円で471円かあ
おいおい
増税って聞いてたのに
クレジットで決裁しただけで
9円得しちゃったぞお
いいのかいいのかいいのかなあ
うーん、いい世の中だあ
このペースでお昼のお弁当買えば
10日ちょっとで缶コーヒー1本くらい買えちゃうんだあ
目に見えないけど
キャッ
シュッ
って存在して
レス
がつく
見えなくなった分だけ
凹と思ってたお金が凸に変わるんだあ
見えれば損するんだあ
見えないと得するんだあ

ほんとはさあ
見えなくなったものを
どっかで見てる奴がいるんだよなあ
キャッ
シュッ
って
その一瞬逃さない
レス
その分おまけ
嬉しいなあ
キャッキャッ
でもでも
お金動いたなあ
こいつお金払ったなあ
見てるなあ
見られてるなあ
キャッ
シュッ
この情報、どんな風に溜め込まれるんだろうなあ
どんな風に使われるのかなあ
わからないなあ
見られてることは確実なのに
こっちから向こうの姿は見えないなあ
それにさ
この還元、そのうち終わるんだなあ
得してるのは今だけなんだあ
そしたら
キャッ
シュッ
レス
するたびに
見られることになるんだなあ

ま、ま、気にすんなあ
とにかく今は9円の得だあ
10日ちょっとで缶コーヒー1本だあ
てな考えてるうちにお昼休みそろそろ終わりだあ
てなこと考えてたから焼きそばの味わかんなかったあ
焼きそばの味返せ
このぉー、見てる人

キャッ
シュッ
レス

おっとあの人いつもの鳩さんのエサやりさんだあ
こっそりパン屑みたいのあげてんだあ
集まってきたあ、降りてきたあ
鳩さん、よく見ると嘴の根本のトコ白いんだあ
足はピンクなんだあ
鋭い爪がカチッとついてるなあ
尾は心持ち上向きなんだなあ
ポットみたいなすっきりした形態だあ
いっつも体中を小刻みに震わせてるなあ
頭が微妙に上がったり下がったり
羽はバサバサッと広げたり閉じたり
袋を持ったエサやりさん、あと10歩
これからもらえるご飯への期待に
ポポポポポッ
沸いて震えるポットに足と羽が生えて
その姿
味わいがあるなあ
キャッ
シュッ
はないんだあ
レス
もないんだあ
得も損もないんだあ
まだ見ぬ缶コーヒー1本分の
味より
食べたのにわからなかったさっきの焼きそばの
味より
多分深いんだあ

キャッ
キャッ