音の羽

 

萩原健次郎

 
 

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湿ちゃんのこと

湿、潤。湿ちゃんと潤ちゃんの、潤ちゃんはわかるけど、湿ちゃんって、呼びにくい。湿ちゃんって何かの間違いで生まれてきて、谷を降りてきた。湿ちゃんの縊死。それはおかしな譚にからまれているけど、湿ちゃんの湿り気は、よく知っている。思い出す。扇状地だったね。出会ったのは、死ぬ前。板に張り付いていた、湿ちゃん。ずぼずぼと腰までつかって、人か何かわからなかった。衣服着ていたかなあ。Tシャツやったかなあ。破れてるし、泥だらけで、もう生きてないの。案山子。案山子状。標。人柱で、じっとしてたら、拝まれるぞー、って言ったら、拝めと湿ちゃんは言った。小さな声ではないよ。人の声の最も高い周波数の、喉裂ける嬌声で、オーガーメーって。でも笑っているのはどうしてかなあ。笑いよる。湿ちゃん。笑夜。ショウヤと読めと湿ちゃん。信号で伝えてきた。生きていくのが嫌だとは言わなかったよね。生きたことはないと。それから、言葉を失って、笑夜の毎日で。拝まれる日々が続いて、縊死。にたりとして気色悪い。胴の下、泥土かと思ったら、甘い練り物で、羊羹、ところ天、ゼリーで、その上、見えてる部分がつくりものの。ゼリー状、半液体の上に、朝陽の下に、案山子状なんだもの。植わっている湿ちゃん。言いにくい湿ちゃん。そこにいろ。

潤ちゃんのこと

潤ちゃんごめんね。潤ちゃんのこと忘れてた。潤ちゃんはいつもじゅくじゅくで、湿ちゃんのずぼずぼとはまったく違っていた。羊羹やゼリーを食べる人だった。唇だった。唇の形をした、人だった。気色悪い。転落死。べしゃ。湿潤がふたりとも、べしゃ。それがね。扇状地に広がっているのよ。音羽の川がだらしなく喉ちんこあたりまで切開されて、べろりと扇型にひろがってるのよ。内緒だけど。内緒というのは、真夜中しかその姿は見えないから。真夜中歩けと、湿ちゃんも潤ちゃんも言ってたね。舌。舌出してる。この町の恥だよって、それは僧侶か神さんの言いぐさで、こちら側の言葉ではない。こちら側は、いつも甘い練り物なんだから、へたすると風土に成り下がる。風ちゃん、土ちゃんなどと言いかけて神が、まあまあそこは私に免じて、ご勘弁をなどと言い出すし。潤ちゃんは、とにかく口唇関係の専門家だったから、口の中、石膏みたいなものでからからにかためとられた。うるんでいた時などもう想像もできない。潤ちゃんごめんね。湿ちゃんと一緒に頭下げる。こんなところに池がある。ああ、昔の死が溶けて埋められている。
昔の死って変だよ。昔の生などないもの。昔は、死者だらけ。ほっとけば山になってしまうから、みんな見えなくされてしまう。池に吸い込まれていくのよ。ね。

 

 

 

朝の異変

 

長尾高弘

 

 

朝起きて、パソコンの電源を入れたわけ。
いつものことさ。
スリープしていただけだから、
昨日とおんなじ画面が残っていて、
マシンが立ち上がったらすぐ、
ブラウザのリンクをクリックできるわけ。
だから寝ぼけ眼でちょっとゲームでもしてやろうと思って、
ゲームのリンクをクリックしたわけよ。
そしたらインターネットにつながってないとかいうんだよね。
携帯の画面を見ると、
4Gじゃなくて波のアイコンになってるから、
こっちはつながってるはずなんだよ。
でも、パソコンの設定画面でネットワークの診断てのをやってみると、
おれじゃなくてルーターが悪いんだって言うんだよね。
責任逃れってやつだよな。
こういうときのおまじないで、
ルーターと終端装置の電源を落として、
十数えて電源を入れ直してみたよ。
一度ならず、二度、三度。
パソコンの方も何度も再起動したさ。
でも、ネットにはどうしてもつながらない。
参ったなあ。
ここでひょっとしてと思い直して、
携帯でネットを操作してみたわけ。
波のアイコンは表示されてるけど、
動かねえじゃん。
これはパソコンと同じ症状だぜ。
なんだ、パソコンの責任逃れじゃなくて、
本当にルーターの方が悪いのか。
そういや、IP電話はどうなってるかな。
受話器を取ってみると、
ビジー音がする。
携帯からIP電話にかけたら、
おかけになった電話は電源が落ちているか、
電波が届かないところにあるだって。
どうしてくれよう、ソフトバンク。
料金がちょっと安くなるとか言われて、
ネットを乗り換えたのが間違いだったか。
ここで改めてルーターを見てみると、
インターネット回線のインジケータがついていない。
おんやあ?
終端装置からルーターにつながっているケーブルを抜いて
さし直してみたよ。
インターネット回線のインジケータが今度はついた。
で、インターネットにもつながるようになったよ。
なんだそんなことだったのか。
ごめんねパソコン、ごめんねソフトバンク。
でも、誰もそんなケーブルには手を触れてないぞ。
こっちが寝ている間に
どんな小人が出てきていたずらしたんだ?

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 12

 

一昨日は
高円寺のバー鳥渡で飲んだ

叶 芳隆さんの写真展のオープニングだった
雲に流れて

叶さんが
奄美に行って撮った写真だった

帰りに
新丸子の東急ストアで買い物して帰った

技のこだ割唐辛子 150円
うす皮付落花生 198円
亀甲宮焼酎金宮 618円

 

 

 

ジョン・フォードに捧げる歌

 

佐々木 眞

 
 

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ジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを射った男」を、またしてもみてしまった。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、「リバティ・バランスを射った男」は、「撃った男」の間違いではないかと思ってしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、リー・マービンは悪い奴だけど、ジョン・ウェインはいい奴だなあと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、ヴァラ・マイルズ嬢のレストランのステーキ定食を食べてみたいと思ってしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、エドモンド・オブライエンの新聞社は、ジャーナリズムの王道を走っているなと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を何回見ても、リー・マービンを撃ったのが、ジェームズ・スチュアートではなくて、じつはジョン・ウェインだったことを忘れてしまう。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、ヴァラ・マイルズ嬢をジェームズ・スチュアートに盗られたジョン・ウェインが、可哀想になる。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、『「リバティ・バランスを射った男」は、おもろいのお』と語った父のことが思い出される。

「リバティ・バランスを射った男」を何回みても、「リバティ・バランスを射った男」は、ジョン・フォードの傑作中の傑作だと思う。

「リバティ・バランスを射った男」を、私は死ぬまでに、あと何回みるんだろうか。

 

 

 

まゆだま

 

長田典子

 

 

でっぱったり ひっこんだりの
ひふのひょうめんを
すきまなく
うめあわせ
くっつけます
おたがいのせなかにうでをまわし
きつくきつくだきあったまま
ねむります
ひとばんじゅう

あなたのはいたいきを
わたしがすって
わたしがはいたいきを
あなたがすって
だきしめたり
だきしめられたり

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

だきしめたり
だきしめられたり
めをとじて
あなたの
つめたくて かたい
ひたいに
くちびるをおしつけます

ぷるんとふとい
あなたのもものあいだに
わたしのほそいももをくぐらせて
ぷるんとふとい
あなたのもものうえに
わたしのほそいももを
まきつけます
あなたのふくらはぎに
わたしのふくらはぎを
からめます
あなたのあしうらはざらざらしている

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

あなたのいきは
ふきそくに
とじたり ひらいたり するから
ときどき
そおっと
あなたの とんがった
けんこうこつを
さすります
はねに なってしまわないように と
いのります

ひとばんじゅう
だきしめられたり
だきしめたり
くちづけしたり
くちづけされたり

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

よるのやみのなかで
とけあいます
あったかな
まゆだまに
なります

ときどき そおっと
あなたの とんがった
けんこうこつを
さすります
はねに なってしまわないように と
いのります

 

 

 

通学路

 

みわ はるか

 
 

石ころを代わる代わる蹴りながら小学校に向かう通学路は一直線にのびていた。
ただただ真っ直ぐ歩いていたら目的地に着く。
小学生の歩くスピードでおよそ20分ほどの距離だ。
まわりは田んぼに囲まれていた。
休耕の田んぼにはわざとれんげが植えられていたのでそこだけは濃いピンク色に染まっていた。

春は西洋タンポポが辺り一面に咲いて、そのまわりをみつばちやモンシロチョウが飛んでいた。
程よい気候がみんなの気持ちを高めているようだった。
梅雨は憂鬱だった。
そこいらじゅうにミミズがいた。
踏まないように最新の注意をはらって歩いた。
黄色い長靴が休むことなく降る雨を弾いた。
滝のような雨の日には靴下がぐしょぐしょになった。
真夏はとにかく暑かった。
サンダルで登校したかったが、鬼のように恐い生徒指導の先生がそれを許すはずはなかった。
じりじりと攻撃してくる太陽に勝てるはずはなかった。
滴り落ちる汗をポケットから取り出したハンカチで拭きながらしのいだ。
露出した肌はミートボールのような色に日焼けした。
小学校にやっと着いたころには喉はいつもカラカラだった。
秋は美しかった。
遠くに見える山々は赤や黄色に色づきわたしたちの目を楽しませてくれた。
特にイチョウの葉は形が独特で、舞っていく光景に目を奪われた。
沿道にはいわゆるくっつき虫がたくさんあった。
それを摘み取り、こっそり自分の前を歩く友達にくっつける。
くっくっくっと笑いをこらえながら歩き続ける。
ただ、考えることはみな同じだったようで、ふと気づくと自分の服にもくっつき虫がついていたことが何度もあった。
冬は雪がたくさん降った。
転ばないように、滑らないように、ふわふわした雪の上に足跡をつけていく。
きれいそうな雪を選んで球体を作る。
前を歩く友達にぶつけると当たり前だが怒られた。
そこからはミニ雪合戦の始まりだった。
いつの間にかジャンパーを脱ぎたくなるほどホカホカに体がなっていた。

色んな気候を体感しながら6年間ひたすら歩いた道。
まっすぐなまっすぐな道。
大人になった今は、こんなに狭い道だったかなと感じることはあるけれどあのときとさほど変わっていない道を見るとなぜか安心した。
わたしが卒業してからもたくさんの後輩が歩いただろう。
もちろん今も。
黄色い帽子をかぶって、列をつくって、まっすぐに歩いていく。
時々乱れることはあってもみんな何かを感じながらとことこと。

そこにはきっと小さな小さなドラマがある。

 

 

 

生き延びるための音楽

音楽の慰め 第10回

 

佐々木 眞

 

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古代ギリシアの吟遊詩人ヘシオドスは、大昔は「金」の時代だったけれど、次は「銀」の時代、「青銅」の時代、それから「英雄」の時代を経て「鉄」の時代がやってくると予言したそうです。

この節はテレビをみても、新聞を読んでも暗いニュースばかりで、お先真っ暗。もはや夢も希望もなくなって、生きているのが厭になるような「暗黒」時代に突入したような気がします。

そんなサムイ今日この頃ですが、みなさんはどんな音楽を聴いておられますか?

心身共に落ち込んだとき、私が聴く音楽は決まっています。
まずはピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団が演奏する、ベートーヴェン選手の交響曲第4番第1楽章の出だしのところ。

次はお馴染み中島みゆき選手の「ファイト」。

最後は友部正人選手の「一本道」。

この3曲があれば、どんなひどい時代でも、なんとかかんとか生きていくことができそうです。
死なない限りは。

1)https://www.youtube.com/watch?v=F7vB1Eh1tMs
2)https://www.youtube.com/watch?v=MhiW_svhD28
3)https://www.youtube.com/watch?v=HrBTZvO7E8k

 

 

 

通学路

 

みわ はるか

 
 

石ころを代わる代わる蹴りながら小学校に向かう通学路は一直線にのびていた。
ただただ真っ直ぐ歩いていたら目的地に着く。
小学生の歩くスピードでおよそ20分ほどの距離だ。
まわりは田んぼに囲まれていた。
休耕の田んぼにはわざとれんげが植えられていたのでそこだけは濃いピンク色に染まっていた。

春は西洋タンポポが辺り一面に咲いて、そのまわりをみつばちやモンシロチョウが飛んでいた。
程よい気候がみんなの気持ちを高めているようだった。
梅雨は憂鬱だった。
そこいらじゅうにミミズがいた。
踏まないように最新の注意をはらって歩いた。
黄色い長靴が休むことなく降る雨を弾いた。
滝のような雨の日には靴下がぐしょぐしょになった。
真夏はとにかく暑かった。
サンダルで登校したかったが、鬼のように恐い生徒指導の先生がそれを許すはずはなかった。
じりじりと攻撃してくる太陽に勝てるはずはなかった。
滴り落ちる汗をポケットから取り出したハンカチで拭きながらしのいだ。
露出した肌はミートボールのような色に日焼けした。
小学校にやっと着いたころには喉はいつもカラカラだった。
秋は美しかった。
遠くに見える山々は赤や黄色に色づきわたしたちの目を楽しませてくれた。
特にイチョウの葉は形が独特で、舞っていく光景に目を奪われた。
沿道にはいわゆるくっつき虫がたくさんあった。
それを摘み取り、こっそり自分の前を歩く友達にくっつける。
くっくっくっと笑いをこらえながら歩き続ける。
ただ、考えることはみな同じだったようで、ふと気づくと自分の服にもくっつき虫がついていたことが何度もあった。
冬は雪がたくさん降った。
転ばないように、滑らないように、ふわふわした雪の上に足跡をつけていく。
きれいそうな雪を選んで球体を作る。
前を歩く友達にぶつけると当たり前だが怒られた。
そこからはミニ雪合戦の始まりだった。
いつの間にかジャンパーを脱ぎたくなるほどホカホカに体がなっていた。

色んな気候を体感しながら6年間ひたすら歩いた道。
まっすぐなまっすぐな道。
大人になった今は、こんなに狭い道だったかなと感じることはあるけれどあのときとさほど変わっていない道を見るとなぜか安心した。
わたしが卒業してからもたくさんの後輩が歩いただろう。
もちろん今も。
黄色い帽子をかぶって、列をつくって、まっすぐに歩いていく。
時々乱れることはあってもみんな何かを感じながらとことこと。

そこにはきっと小さな小さなドラマがある。