貨幣について、桑原正彦へ 30

 

世界は自己利益で回っている

安倍も
金髪の花札男も

自己利益を見ている
ヒトの自己利益を見ている

ライヒは

外に出ろ
外に出て彼らに見せてやれ

そう言った

貨幣に
外はあるか

貨幣に外はあるのか
いやだなあ

そこには
枯れた花が在るだけですよ

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 29

 

一昨日
山形新幹線で帰った

新庄で降りて
車で西馬音内まで帰ってきた

ライヒは

外に出ろ
外に出て彼らに見せてやれ

そう言った

母は
去年の昨日

涙を一つ流して逝った
ライヒは外に出ろと言った

貨幣に
外はあるのか

世界は自己利益で回っている

 

 

 

夢は第2の人生である 第48回

西暦2016年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

私が乗った船が遭難して沈没しそうになったので、SOSを発信すると、「遭難マニュアルをよく読め」という返信があったので、読んでいるうちに、船は沈んでしまった。11/1

私は理科部長に部活の時間と場所を訊ねたのだが、教えてくれない。どうやら私は、部長に嫌われているようだ。11/1

僕らのパーティーは、豪華ホテルの一室で開かれていたが、隣の大広間では、集英社の大パーテイが同時に開催されており、ちらとそちらを見ると石井さんの姿もあったが、あの人たちは家族同伴でやって来ているようだった。11/1

町内でいつも面白い話をしている、おじいさんがいて、「わしの名前はシュニッツエルじゃ。誰かわしの話を記録しておいてくれないか。あとで1冊の本になれば、皆の衆が喜んで読んでくれるだろうからな」と語った。11/3

雛段の真ん中よりやや右側が、彼女の定位置で、ここで美しきヒロインは、くつろいで飲み食いしたり、客とおしゃべりしたり、調子に乗ると、その場でセクスしたりするのだが、だんだん疲れて嫌になって来ると、右端の個室に退くのである。11/4

久しぶりに会ったオオミチ君が、「会社のノルマで追い詰められているから、この中元セットを買ってくれ。1個1500円だ」というので、10セット買ったら、とても喜んでくれた。働くのって大変だ。11/7

男子学生たちはみなホモだったので、女子はみな老学生の私の部屋に押し寄せたが、いくらなだめすかしても、肝心の一物が物の訳に立たないので、頭に来て、全員立ち去ってしまった。11/8

おりしも、そのマンションでは、子供たちと大人の女性テームとの野球大会が開催されていた。11/9

買ったばかりの冷蔵庫からかなり離れたところで、その家の息子が、なにやら懸命に工事をしていた。窓際に佇んでいる彼女に近づこうとしたが、彼女が待っているのは、私ではないと分かったので、そのままにして別れてしまった。11/10

長い間隣国に占領されていた私たちは、ようやく解放された後も、彼らに対して屈折した感情を長く懐いていた。11/11

課長が出張先でレンタカーを借りて、ものすごいスピードでぶっ飛ばしたために、事故ってしまった。幸い怪我はなかったが、車は大破してしまった。クワバラ、クワバラ。11/12

疲労困憊した私は、もうすべてにおいて投げやりになって、国家機密事項を平文のウナ電で全世界に発信してやった。いい気味だった。11/15

夕方、会社から帰ろうとエレベーターを降りたら、ナベショーがお客さんに「すんまへん、こんな時間に来ていただきまして」と謝っていた。この男は、大物ぶっていつでもダブルブッキングしているから、こういうことになるんだ。11/16

その男は、いい女だと思うと、ダンスに誘ってチークダンスをするのだが、彼奴は踊りながら、膨らんだ局部をやたらとこすりつけるので、女たちは、嫌がってたちまち逃げ出してしまうのだった。11/16

砲撃を受けると、そのたびにコンクリートのフロアが崩れ落ちる。次の砲弾がどこに落ちるか分からないので、運を天に任せて、思い思いの場所に佇んでいると、目の前でドカンという音がして、私らは最上階から地下室まで猛烈な勢いで落下していった。11/17

ダリ展の隣で開催されている展覧会は、奇妙だった。会場はだだ広いのに、何ひとつ展示物も説明パネルがない。にもかかわらず、ダリ展より高い入場料を取られるので、みんな頭に来ているのだ。11/19

ちょっと油断していると、野良猫と野良犬と野良詩集が家じゅうに氾濫して、足の踏み場もない。そこで私は、我が家を犬猫詩集叩き売りショップにすることに決めた。11/19

我われの明日の計画を、カーテンの向こうで盗み聞きしている奴がいたので、妖刀村正をギラリと引き抜いて、グサリと突き刺すと、アベノシンタロウが朱に染まって斃れていた。ザマミロ、ふてい野郎だ。11/20

長い間行方不明になっていたクラタ氏が、突然この世に戻ってきたのだが、無気力そのものだし、眼はいつも死んだ魚のようだし、どうも様子が変だ。11/21

「恒例の社長年頭訓示によると、最近のわが社の業績は非常に好調らしい」、と海の底で立ち泳ぎしながら、時々あくびして、常務が教えてくれたが、本当にほんとだろうか。11/21

あるい夏の日に、黄色いワンピースを着た痩せた女がやって来て、挨拶抜きに「ポコペン」というたので、私はなにもいえずに、その場に立ち尽くしていた。

その翌日、ブーベリックという男がやって来て、やはり挨拶ぬきに「ポコペン」というのだったが、私が彼と一緒に村のあちこちを散歩していると、村人たちもいつしか「ポコペン」「ポコペン」と挨拶するようになってしまった。11/22

ある朝、関東平野を3.1で揺らしながら、地震は、「今度は6.0だぞ」と脅かすのだった。11/23

その男は、「私は、生涯で2度もサルガッソーの海で死にかけたことがある」と語った。11/25

原発事故による放射性物質で汚染されたというのに、この病院では、いつもと同じように安気に無警戒に業務を続けているのだが、それは病院長をはじめ首脳陣がどのように対応したらいいのか、てんで分からないからだった。11/27

小津監督が、新しい映画のエンデイングの音楽のために、大太鼓を買って来たのだが、実際に使ってみると、うまくいかなかったので、ヤオフクに出したが、誰も応募してこないいようだ。11/28

滔々と落下する千尽の滝壺を茫然と眺めていたら、隣に立っていた女が、私を背後から抱きかかえたまま、青い水底へ飛び込んだ。女は、大蛇のような両腿で、私の下半身をがっちりと締めあげ、両手を背中に回して身動きできないようにしてから、私の唇に舌を差し込んだ。11/29

私とセイさんが、どの席に座ればよいのかを巡って、その料亭の女将と若女将が喧嘩し始めたので、私らは、いつまでたっても座ることができなかった。11/30

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 28

 

昨日は
ライヒのCome Outを聴いて

東横線で帰った
目をつむってた

ライヒは

外に出て彼らに見せてやれ
そう言ってた

外に出ろ
そう言った

新丸子で降りて

夜道を
帰る

老いた姉妹のウィンドウの前で佇ちどまる
重層した声が外に出ろと言った

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 27

 

今日
海辺のプールで500m 泳いだ

平泳ぎで
ウミガメのように泳いだ

両足を大きくひらいて漕ぎだす
手をあわせて

頭から
水中に潜り込む

そのとき青い水になりたいと思う

それから
ジャグジーに浸かり

空をみてた

カモメたちが空中に浮かんでいた

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その16

 

佐々木 眞

 
 

 

京浜東北線205系は平成26年までだよ。
それからどこかへ行っちゃったの?
インドネシアだお。

ひいでるってなに?
優れてるってことよ。

とにかくって、とりあえず、のことでしょう?
そうだよ。

盛り上げる、盛り上げる。盛り上げるってなに?
よーし、と頑張っていくことよ。
盛り上げていきましょう。

お母さん、強引てなに?

ちょっとタンマって言ったお?
誰が?
キンニクマンだお。

お母さん、叫ぶってなあに?
やっほー!

ぼくタイ子さんすきですよ。
タイコ?
イクラちゃんのお母さんですお。

お母さん、こなごなってなに?
小さくなってしまうことよ。
こなごな、こなごな。

申すと甲、漢字がちがうよねえ。
ほんとだ。

ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。

まえトイレットペーパー使いすぎって言われたよ、スギウラさんに。
大丈夫よ。

耕君もほんとうに苦労しながら生きてるのね。
そうだお。
ほんとうに我慢しながら生きてるのね。
そうだお、そうだお。
これからも頑張って生きていこうね。
はい、そうしますよ。

お父さん、武蔵野線、東京まで?
そうなの?
そうなんですお。

トキワ君なくなっちゃったよねえ。
病気だったの?
そうよ。
ぼくトキワ君ですお。
こんにちはトキワ君、あの世で元気にしていますか?
元気ですよ。

お母さん、それにしてもってなに?
そうねえ……
それにしても、それにしても。

お母さん、ぼく妙高高原好きだ。
耕君行ったの?
行きましたお。
どうだった?
良かったですお。

お母さん、修了証書もらいましたよ。
そうなの。
以下同文、以下同文。

お父さんに「ばか、キライ」っていわれたお。
wwwwww

ただいまって現在のことでしょう?
そうだよ。

お母さん、地震のとき武蔵野線とまったよね?
そうなの。
ぼく、武蔵野線好きだよ。
そう。

お父さん、宏さん、おじさん?
そうだよ。

お父さん、赤羽駅に自動改札ある?
あると思うよ。一緒に赤羽駅行きますか?
いやだお。

お父さん、京浜急行、赤でしょ?
そうだよ。

お父さん、十日市場、横浜線でしょ?
そうなの?

お父さん、再は再放送の再でしょ?
そうだよ。

お母さん、オトゾオさんはずっと生きてたでしょ?
ええ、生きていましたよ。

オトゾウさん、目を閉じたでしょ?
閉じましたか?
閉じたお。

お母さん、しりとりしよ。脳波。
ハ、ハ、花。

終点って電車の終りでしょ?
そうだよ。

お母さん、えみちゃん好きだよ。

お母さん、最低ってなに?
全然駄目なことよ。
最低、最低。

10分経過って10分たつことだよ。
そうだよ、耕君よくしってるね。

耕君の工賃は500円でしょ。月500円しか使っちゃいけないのよ。だから無駄遣いしないでください。
wwwwこれから気をつけますお。

バンザーイ、バンザーイ!
お母さん、ぼくいまバンザイしましたよ。
あら、そう。

健ちゃん、ファイトみた?
見たと思うよ
ふぁいと!

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 26

 

昨日は
信濃町の駅で降りた

若い頃
ここに女と棲んでた

男の仔が生まれた

信濃町で
井上洋介さんの絵をみた

死体の横で
女たちが犯されていた

街が真っ赤に燃えてた
鬼が開いた女陰に合掌していた

今日
午睡から目覚めた

サイレンが鳴りひびいていた

 

 

 

ヴァイオリンとヴィオラのための。

 

萩原健次郎

 
 

 

幼齢の私の変態を待つ蛹の手前の蠕動のあるいは卵形の透明な滴のもっと前の成り立ちの生成の行為の場所の雌雄の触れる隠れ家の句紡ぐ片割れの帰路に流れる右岸と左岸の結ばれた橋上に見知らぬ親族が多く集まり逃亡してきた者らは命拾いしたとか誰某はもういつの間にか消えてしまったとか言いながらぬるい酒を飲み酩酊し潰れ揺すられて目を覚ましまた酒を飲み潰れいっぴきの芋虫は知っている筋脈伝書に書かれていること匂いの色いんきに筆を浸して這ってそこに血色に対比する水色の文字を書いた芋虫の変態の節の時間にふたつの性が交わったのだろうと夢の想像はもうサイレンの音が高鳴って消えていくまでに透かされて空になる芋虫の父母の微細な鱗に塵は挟まってもうそれよりも細いブラシでしかはらうことはできない葉は時とともに色を変え一年のすべての色を混ぜると暗黒の先の穴の先の闇の中の暗い絵の中の黒焦げの墨となり提唱する宗教のまるで穴の中の芋虫と同じ私と父母と同じ腐敗していく舞踏の席で国の家ではないかと怒鳴る異星の女がいて恋しく肩を抱いて昔の歌謡曲を唄ったりまた潰れ交わりまた透かされて五トンはある鉄の車に轢かれて弦二丁の弦楽合奏はまだ閉じないで檻の中では五色の芋虫だらけになりそれを一瞬で潰す親族がやってきて粉末味噌汁のフリーズドライの神話がぬるい湯で溶かされて模様となりああもうどんな清い細胞があっても元の姿に戻れないヴァイオリンとヴィオラの合奏なら焼け落ちてもいい

 

 

 

神の代理人

 

長尾高弘

 

 

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(第1条)
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス(第3条)
明治憲法体制では、
天皇以外はすべて臣民だったわけよ。
天皇が主で臣民は奴隷、全然平等ではないのよね。
憲法にはちょっと自由を認めてやるよってことが書いてあるけど、
天皇の命令でどんな自由もいつでも奪えるようになっていたわけ。
でもさ、天皇はたったひとりで、
「臣民」は何千万人もいたわけで、
どうやってひとりが何千万を抑えつけていたんだろうね?
たぶんこういうことなんじゃないかと思うんだけど、
軍人やら政治家やら役人やら教師やらといった連中がいたでしょ。
そいつらが身近な天皇の代わりになったんじゃないかな。
最初は神の言葉を代弁していた神主が、
そのうちに神そのものに成り上がるって、
民俗学にたしかそんな説があったと思うんだけど、
まさにそういう関係よね。
天皇の代理人は、
天皇に対しては臣民かもしれないけど、
一般臣民に対してはまるで天皇のようにふるまうわけ。
すると、一般臣民に対しては主なんだよね。
一般臣民はそいつらの奴隷さ。
一段上に立って、一般臣民の批判を許さないわけ。
戦前の体制に戻したい連中って、
そうやって自分にとっての天国を作りたいんじゃないかと思うよ。
ゲスだな。

 

 

 

潜水艦

 

佐々木 眞

 
 

 

あなたは、潜水艦を見たことがありますか?
私は、時々それを見るのです。
はじめて実物を見たときは、ちょっと驚きましたが。

それは横須賀の岸本歯科へ行くとき。
JRの横須賀駅で降りて、すぐ左手のヴェルニー公園まで歩くと、
そいつはいつでも、ずんぐりむっくりとした怪異な姿を、浮かべているのです。

潜水艦は、今日も波穏やかな軍港に停泊していました。
珍しく大勢の人々が艦橋に乗って、なにやら作業をしていました。
今日明日にも、出港するのでしょう。どこへ行って、なにをするのか知らないが。

潜水艦を見るたびに、私はヨシナガさんを思い出します。
ヨシナガさんは、戦争中、潜水艦に乗っていたそうです。
「伊○○号」とかいう名前がついた、日本帝国海軍の潜水艦に。

誰でも思うことですが、潜水艦の中は、きっと狭くて暗かったことでしょう。
航海中は、酸素や電気や食料を浪費してはならないから、
乗組員は、腹を空かせた酸欠状態の金魚みたいに、息苦しかったに違いない。

そして、そんな息詰るような極限状態の中で、
ヨシナガさんは、戦った。
朝から晩まで、見えない敵と戦ったのです。

ヨシナガさんが、どうして海軍に入って潜水艦に乗るようになったのか、私は知らない。
どんな恐ろしい目に遭い、あるいは敵にそんな目に遭わせたかも、知りません。
でも彼は、恐らく死とすれすれの危険な目に、遭ったのではないでしょうか。

しかし、もし私がヨシナガさんだったら、
冷たい水の奥底で、人知れず死ぬことだけは避けたい、と思ったことでしょう。
せめてさんさんと降り注ぐ太陽の下で、新鮮な外気を吸いながら死んでいきたい、と願ったことでしょう。

さいわいなことに、ヨシナガさんは、死ななかった。
奇跡的に生き延びて、無事に内地に帰還したヨシモトさんは、基督者となった。
そして私の郷里の丹陽教会で、毎週日曜日の礼拝にご夫婦で出席されていました。

日曜日以外のヨシナガさんは、町の外れの醸造会社で働いていて、
当時私たち子供が夢中になって集めていた、「ヒガシマル」などの醤油瓶の
商標シールを、自由に採取させてくれました。

いつもかすかに微笑みながら、
「ほら、そこにもあるよ。取っていいよ」
と、優しい声で教えてくれるのでした。

だから私は、横須賀で黒塗りの潜水艦を見るたびに、ヨシナガさんを思い出す。
ヨシナガさん、あれからどうされただろうか?
もしかして、まだ生きておられるのかしら?