野苺を供えて

 

爽生ハム

 

 

お墓の手前まではうねり道で、
蛇はそこでしか
のたうちまわる事をしない。
砂利がつっかけ側にはいかず、
足の裏をつつく
痛さ比べをよくしたもんだ。
足の裏がふたつかみっつ、宙に浮いた。足の指で威嚇しあってあたためあう。
ここに蛇が噛みついたと思うと
ぞっとする、たぶん誰かが噛まれるんだろう。
誰かが先に怪我をして、誰かがあとで介抱する。そして泣きわめく事もするだろう。
先祖は冷や汗をかきながら、凝視してると思う。
確か、確かな事は、たぶん僕らは
野苺に助けられたんだろう。
いつも野苺がなっていたし、いつも野苺に見惚れていた。
いつもその先へ行かなかった。
墓石という言葉も、蛇の抜け殻も知らないまま、あの頃を過ごしていた。たぶん僕らは野苺に助けられたんだろう。

 

 

 

詩を書くって定年後十年の詩人志郎康にとっちゃなんじゃらほい

 

鈴木志郎康

 

 

やばいよ。
詩人を自称する
わたしこと、
鈴木志郎康さん
あなたにとって、
詩を書くって、
何ですか。
やばいんですよ。
そんなことを自問しちゃあいけません。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

生きてるから
詩を書く。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
パチンッ。

一週間ってはやいねえと言って、
ヘルパーさんが
頭からシャワーの湯をかけて、
わたしのからだをゴシゴシっと、
素早く洗ってくれたっす。
わー、気持ちいい。
ありがとうさん。
毎週月曜日に、
ヘルパーさんはわたしのからだにシャワーの湯を浴びせてくれるっす。
一週間はたちまち過ぎて、
その間に、
わたしはいったい何をしていたのか、
思い出せないってことはないでしょう。
昨日は今日と同じことをしてたじゃんか。
ご飯食べてうんこして、
そのうんこがすんなりいかないっす。
気になりますんでざんすねえ。
うんこのために生きてるって、
まあまあ、それはそれ、
新聞読むのが楽しみ、
そしてあちこちのテレビの刑事物ドラマ見ちゃって、
でも、その「何を」が「何か」って、
つい、つい、反芻しちゃうんですねえ。
記事が、
ドラマの筋が、
昨日今日で忘れちまって、
思い出せないっす。
気にすることではないんっすが、
気にするってことが、
気になるっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
パチンッ。

たった一つなった庭のみかんの実はまだそのまましてあるっす。
緑が少ない小さな庭に、
灯を灯したようにミカン色を濃くしてポツンとなっているっす。
1月26日っす。
今朝はぬかった泥の坂道を
同乗した車が下って行って、
セーターを着ようと頭を突っ込んで頭が出ない夢から覚めちゃって、
起床して、
餌を待ってニャーしている猫のママニに餌を与えたっす。
これは、
FaceBookなどに書いちゃったから、
言葉として、
それなりに覚えているっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

年と、
月日は、
毎日毎日、
違うんだよね。
1年を365日としてですね。
80年で、
閏年が20回として、
29220日余りの
違う日が過ぎたっすよ。
何を当たり前のこと言ってるんだい。
でもね、
わたしの過ぎ去った、
その毎日毎日は、
どんどん忘れ去られてしまうっす。
過ぎ去れば空っぽ。
空っぽ、
素敵な空っぽ、
それが無念といえば無念で、
わたしは毎日したことを、
6000円もする外国製の日記帳に、
日記につけているんでざんす。
他人には読めない小さくて汚い字なんでざんす。
書いてるわたしにゃ、文字は文字、
つまり言葉にしているでんざんす。
でも、まあ、
空っぽは空っぽ。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
パチンッ。

家の中には、
時計が、
わたしが座るテーブルの椅子から見えやすく、
ベッドからも見えるように、
置いてあるっす。
台所にもあるっす。
仕事場にもあるっす。
全部で五つはあるっす。
時刻は刻一刻見てるっす。
パチンッ。

麻理が毎日そばにいてくれて、
よかったなあ。
今日のお昼は、
蕎麦だった。
11時半を回っていたでざんす。
パチンッ。
パチンッ。

朝4時起床、
早い時は3時起床、
紅茶、ブルーベリージャムをつけてクラッカー3枚、
本に埋まった仕事場に降りて詩を書いたっす、
世の中が暗いうちの、
密かな遊びでざんす。
明るくなって、
6時過ぎに朝食、
麻理に運んでもらったっす、
甘い蒸しキャベツ、
甘い蒸し人参、
甘い蒸し玉ねぎ、
とろけそうな甘い蒸し蕪、
美味しいっす。
トマトもブロッコリもセロリも
美味しいっす。
焼いたパンにハムとキャベツを挟んで、
紅茶でごくりっす。
テレビの「あさが来た」を見ちゃって、
ヒロインのあささんの明治の活発に続いて、
うちの麻理さんが、
わたしの痛む足をお湯で濡らしたタオルで拭いて、
マッサージしてくれるっす。
朝日と日経の
朝刊を読んじゃって、
アメリカ合衆国の大統領選挙の
トランプ氏って、なんじやい、
甘利明経済再生担当相の辞任って、なんじゃい、
元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤所持容疑で逮捕って、ばっかだなあ、
これが安倍晋三首相が改憲に意欲を示した
開会中の国会と重なってるんだぜ、が、
うっすら頭の隅に残ったまんま、
それからトイレに行ってうんこしてっす。
また更に朝刊を読んで、
夏目漱石の「門」って、
暗いなあって、
これで二時間まあまあ生きてですね、
それから、よろけながら庭に出てですね、
クリスマスローズの鉢の花の写真を撮っちゃって、
再び階段の手摺りに掴まって仕事場に降りて、
ですね、Macに向かってですね、
SNSに投稿して見て回るっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
パチンッ。

晴れた日は
9時を過ぎると、
部屋の中に、
暖かい陽が射してくるっす。
テーブルの上まで射してくるっす。
紅茶茶碗が光ってくるっす。
懐かしいなあ、って、
あてどもなく懐かしいなあ、って、
パチンッ。
月に二度、
前立腺癌と複視で、
病院に行く日以外の、
午前中は、
こんな具合っす。
午後はといえば、
麻理のベッドに並んだベッドで
テレビを見るっす。
うとうとしながら、
「科捜研の女」とか、
「相棒」とか、
再放送番組っす。
もう飽きちゃったなあ。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

からだ、
身体が介護認定されてるっす。
わたしのからだっすね。
隔週で月曜日の午前中には、
訪問理学療法士さんが来て、
家の前を百メートルほど歩いて、
脚と背中の筋肉をストレッチしてくれるっす。
この紅茶、美味しいですね、何という紅茶ですかって言ってくれるっす。
薬缶にダージリンとアールグレイのパック、それに
ハニーバニラカモミールのパックを放り込むんですよ。
そうですか、美味しいですね。
と言って、
理学療法士さんは電動自転車で次の訪問先に向かうっす。
毎週の水曜日の午後には女性の訪問マッサージ師さんが来て、
細かく体をマッサージしてくれるっす。
詩集、読みましたよって言ってくれるっす。
訪問マッサージ師さんは詩集を買ってくれたっす。
嬉しい思いでマッサージされるっす。
毎週の金曜日の午後にはまた訪問理学療法士さんが来て、
ほぼ全身のストレッチのリハビリでざんす。
自分でもストレッチしてくださいよって言われちゃうでざんす。
これでも、それでも、
すぐに脚やあちこちの筋肉が固まっちまって、
立ち上がると痛いざんす。
二本の杖ついてよろよろって危ないざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。

そうそう、忘れちゃいけないのが、
薬を呑むってことでざんす。
薬は2週間分を40分かけて日分けのケースに入れてるっす。
朝食後には8個の錠剤プラス4カプセル
サプリメント14錠、
昼食後に2錠、サプリメント8錠、
夕食後に5錠、サプリメント11錠、
エビオスはカリカリっと、
集団疎開でお菓子代わりに食べたのを思い出すっす。
パチンッ。

夕方には4時回って夕刊、
夕刊は麻理に玄関から取ってきてもらうっす。
階段を下りる脚が痛いっす。
そして夕食、
野菜スープになんかハンバーグとかレトルトのおかずっす。
翌日は残った野菜スープを牛乳入りのカレーにするんでざんす。
19時半にはベッドで、
うとうとしてっす。
日曜のNHK大河ドラマ「真田丸」を見たいって、
思ってっても、
眠ってしまうんでざんす。
22時回って、
トイレに起きて、
炊飯器の釜を洗って、
歯を磨いて、
喉の薬を吸入してっす。
そして眠るんでざんす。
パチンッ。

そうそう、
眠っても、
夜中に三回は、
おしっこに起きるっす。
そんときざんすね。
目を瞑ると、
眠る前に、
頭の中に、
言葉が巡ってくるんでざんすねえ。
芯の深みがほぐれるんでざんすか。
その言葉が、
早朝目覚めて、
覚えていれば、
めっけ物、
それを脳髄で揺らしながら、
仕事場に降りって行くっす。
詩が書けるんでざんす。
嬉しいですでざんす。
わたしは生きてる。
わたしは生きてるんでざんす。
パチンッ。
パチンッ。

1月30日の「浜風文庫」で、
今井義行さんの詩「きぬかづき」を読んだっす。
パチンッ。
きぬかづきの小芋から皮を剥かずに食べたって、
それが、女の人のからだに重ねられて、
今井さんが自分の心を真摯に語る詩なんでざんすが、
そこにですね、
「勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから
しかし 「給料泥棒」に 本当に 「詩」が書けるわけないでしょう
漫然と盗んできた 者に 本当の 「詩」が書けるわけないでしょう」
ってありましたでざんす。
パチンッ。
パチンッ。

鈴木志郎康こと、わたしが、
今井さんの詩 「きぬかづき」の「浜風文庫」のFaceBookへの投稿に、
「ところで、この詩作品は人の人生にとって「詩とは何か」という問いをはらんでいますね。」って、
コメントしたんざんすら、でざんすね。
今井義行さんは、
律儀に、ですね。
「(前略)この詩では、わたし個人の場合の目標を書いているわけですが、それは、会社でも他所でも、昇進や権威の獲得には興味はなく、日々の場と葛藤しながら書くことで、マイノリティが生きづらい社会でも、生きていく力が湧き、前進できるから書いています。読者の方々の置かれている立場は多様だと思いますので、それぞれの立場から「詩とは何だろう、何処を目指すか」という想像へと繋がっていけば良いなと思います。(後略)」
「(前略)わたしは詩作は、自分が楽しいだけでなく、他者の心を震わすこともあるという意味で、十分社会参加であると捉えていますので、他の分野も含めて、保護法があっても良いじゃない、とも思います。(後略)」
って、ざんすね。
現在の詩作の意味合いと、
詩人の生き方をしっかりと、
返信してくれたんでざんすね。
パチンッ。
そういう考えもあるなあって、
思いましたでざんすが、
パチンッ。
パチンッ。
わたしは、
「詩人保護法」には反対って、
コメントしちゃいましたでざんす。
他人さんのことはいざ知らず、
わたしの詩を書くって遊びが、
国の保護になるなんざ、御免でざんす。
パチンッ。
パチンッ。
わたしにゃ、
詩を書くって、
ごくごく、
極々、
密かな行いで、
誰にも邪魔されない
一人遊びなんでざんすねえ。
読んでくれる人がいれば、
めっけもん、
嬉しいって、ですね。
詩人を自覚してる
わたしこと
鈴木志郎康にとちゃあ、
それだけのことでざんす。
詩を発表するところの、
さとう三千魚さんの
「浜風文庫」に甘えているんでざんす。
やばいんでざんす。
ホント、やばいんでざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
パチンッ。

きょうは日曜日、
あした月曜日、
ヘルパーさんがやって来て、
一週間ってはやいねえと言って、
わたしの全身を頭からゴシゴシって、
洗ってくれるっす。
パチンッ、
パチンッ、
パチンッ。
フウー。

この詩を書いて、
読み返したら、
わたしゃ、
急激に不機嫌なったでざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ。
パチンッ、

 

 

 

幼馴染

 

みわ はるか

 
 

同じ繰り返しの毎日の中で、ふとしたとき人は何を考えるのだろう。
これからの明るい、しかし、それ以上に不安で満たされた未来なのか、もう二度とは戻れない楽しくもあり苦い思い出もたくさんした過去なのだろうか。
わたしは後者のほうが実は多いのではないかと思う。
予期せぬ事態に遭遇するよりは、たとえ苦しかったことであろうとも、一度コンプリートしたものを思い返すほうがずっと安心感が得られるから。
それはまるで結果がわかった対戦型のスポーツを録画したDVDで見るのとなんだか似ているようなきがする。
自分の中にある何かをそっと思い出してその時間に浸る。
そしてまたそっと蓋をする。
丁寧に丁寧に蓋をする。

そんな時間の中で思い出したある友人の話。

うっそうと茂った山々や、どこまでも果てしなく続く田んぼばかりが広がる町。
町と言うよりは村といったほうが適しているかもしれないが・・・。
人口は当時で約6300人。
人口密度の値はとても小さく、子供の人数も少ない。
会う人会う人がどこの誰かがわかるような地域。

小学校は4つあったがどこも1クラスが当り前だった。
それでも教室はすかすかだった。
男子も女子も性別という垣根を越えて一緒に遊ぶのが当然でそれが普通だった。
田んぼに水が張れば、バケツを抱えてオタマジャクシ採りに夢中になり、夏休みになれば朝早くからクヌギの木に蜜を塗りクワガタやカブトムシが来るのを今か今かと待ち望んだ。
水泳の授業では誰か泳げない人がいればみんなで励まし練習に付き添った。
その子が25m泳げるようになったときはクラス中で飛び上がって喜んだ。
そのとき担任の先生がこっそりみんなの分買ってきてくれたオレンジジュースは格別においしかった。
秋の大運動会は「大」がつくのが今ではなんだか恥ずかしいようなこじんまりしたものだった。
人数が少ないのだから仕方がない。
それでも時間をかけて創り上げた組み体操は達成感があったし、みんなが選手のリレーは盛り上がった。
赤と白の2色にわかれて競い合った応援合戦はどちらが勝ってもすがすがしい気持ちになれた。
冬はこれでもかという量の雪が降った。
朝まだ日が出ていないころから起こされ、スキーに行く人みたいな格好を強いられ、手には雪かき用のシャベルを持ち、寒い寒い外に出る。
家の敷地や道路の雪かきをするというのはものすごく体力がいる。
しんしんと降り続ける雪に心の中で舌打ちをした。
今までウインタースポーツにまるで興味がないのもこんな経験があるからなのだろう。
教室の中央におかれたストーブは360度どこにいても温まれるようなつくりになっていた。
そのストーブの周りの床に赤いサージカルテープを貼った。
正方形になるように貼って、ここから中には危ないから入らないようにという印にした。
みんなでストーブに手を近付けて暖まった。
なんだかほっこりした気分になれた。
こんな1年間を当然だけれど6回も過ごした。
その中で彼とはうまが合うというか、わりと仲が良かった。
当時小学生の同級生だった彼は豆みたいなかんじの人だった。
本人に言ったらきっと怒るだろうけど、顔の輪郭というかなんというか、ころんとした感じのかわいらしいタイプ。
かわいいと言われるとあんまり嬉しくないという男子がいるというけれど、きっと彼もそう言うようなちょっとクールな性格の人。
算数がよくできて、バスケットボールが大好きで、通っていたそろばん塾が同じだった。
初めてバレンタインのチョコレートをあげたのも彼だった。
今よく考えるとそれがわたしの初恋だった。
なんとなくいいなと感じる淡いものだった。
ただ、これから先の話になるけれど、この感情はそんなに長くは続かず、中学校にあがったあたりからはいい友人という印象に変わった。
何かあったわけではないけれど、人の感情というのは勝手きままな部分がある。
もちろん今も。
そしてこれから先もきっと。

中学校は4つの小学校の生徒が一緒になった。
初めて経験したクラス分けというものに当時はものすごく感動した。
こんなどきどきという感情を味わったのは初めてだった。
彼とは3年間同じクラスだった。
相も変わらずなクールな性格だった。
成績は優秀で、大好きなバスケットボールを本格的に始めなんだか輝いて見えた。
わたしも負けずに頑張れた時期だった。
何か特別に会話を交わしたことはないけれど、お互いがお互いを認め合って過ごした3年間だった気がする。
ある時、同じ高校を目指していることを知り、相手のテストの点数を少し気にしながら、同じ関門を突破できるようにただただ黙々と勉強した。
わたしたちは無事2人とも希望の高校に進学することが決まった。
一緒に合格できたことが心の底から嬉しかった。
卒業アルバムの彼からのメッセージはたった一言。
わたしを鼓舞する内容だった。
今でもその言葉はわたしにとって大切な一言として心の奥に眠っている。

高校からは別々のクラスになった。
彼がいない教室を初めて味わった。
そして、このころから自然な流れで彼とはそんなに顔を合わせなくなり関係も希薄になっていった。
2年に進級するときには、理系のわたしと文系の彼とで進む方向が全く反対のこともあってもっと疎遠になっていった。
ただ、彼は意外にもアクティブで彼の名前は色々なところから聞こえてきた。
大好きなバスケットボールはキャプテンとして最後まで続けていたし、成績優秀者だけ名前を貼り出される紙には彼は常連だった。
そんな中で彼と出会う機会があった。
それは駅のホームや電車の中だった。
わたしたちの町からその高校に通うには電車は必須で、本数も限られていたためたまに顔を合わせることがあった。
挨拶のあとの会話がなんだかそんなにはずまなかった。
だからといってきまずかったわけではなかったけれど、彼には彼の人生があるんだなと少し悲しくもなった。
そんなとき、学部こそ違うものの同じ大学を目指していることがわかった。
あー本当に腐れ縁なんだなと感じた。
こうやってまた同じ目標にむかっていけることが嬉しかった。
推薦入試の合格を知った次の日、たまたま、また駅のホームで彼に会った。
そのことを報告すると彼は微笑して喜んでくれた。
次は自分の番だと、必ず合格すると意気込んでいた。
わたしも深くうなずいて微笑み返した。
この次に彼に会うことになった場所は喜ばしいことに大学の入学式となったのだ。

大学生になると学部の異なる彼と会うのは奇跡に近かった。
学食で一緒になるとか、道ですれちがうとか、図書館で会うとか、その程度。
けれども、今わたしがいるこの大学に彼もいるんだと思うだけで心強かったし不思議とパワーが出てきた。
3年生の前期の試験が終わって夏休みがやってきた。
図書館で会った彼とどれくらいぶりだろう、夜ごはんを食べに行く約束をした。
わりと都会の大学に通っていたので、界隈にはお洒落なお店がたくさんあった。
その中でもTHEお洒落なお店を選択した。
お酒の種類が多かったのもそこを選んだ理由だった。
そう、わたしたちはお酒を酌み交わせる年にもなっていたのだ。
わたしたちはそれぞれ好きなアルコールを注文してお互いの近況を報告した。
そのあとに口から出てくるのは昔の思い出話ばかりだった。
ひざ小僧に傷口をつくりながら田んぼや運動場を駆け回っていたわたしたちが、今こうしてここにいられることを誰が想像しただろう。
2人そろってあんな小さな町からこんな都会の大学に通えるように成長できたことが不思議で不思議でたまらなかった。
世間のことなんてこれっぽっちも知らなかった。
井の中の蛙だって驚くほど無知だったのではないかと思う。
わたしたちは少しだけ自分たちを褒めた。
お酒がこんなにも人を饒舌にしてくれることを知ったのはこのころだ。

その後、わたしは地元の近くに戻って社会人となった。
彼は日本ではない別の国で邁進している。

 

 

 

光の疵 屋上庭園

 

芦田みゆき

 

 

12669200_887051391413437_252706582_o
 
12669141_887051418080101_1605745167_o
 
12695666_887052014746708_67643865_o

 

ひりひりと疵が痛むとき、夜のデパートの屋上へとむかう。
エレベーターの扉があき、
過剰な光が流れる廊下を渡り、
重いガラスの扉を押すと、
まだらな闇が降りてくる。
あたしは闇をまとって、植物が売られているコーナーに行く。
工事が始まっている。
たくさんの植木鉢や、あいだに置かれた石像たちは端に片づけられてしまった。
代わりに白い布を被った何かがあちこちに置かれている。
あたしは自販機でコーンスープを買って、建物に沿って並べられたベンチに腰掛ける。

目を閉じると夏の喧騒がよみがえる。

 

12669304_887052041413372_1855066640_o
 
12695658_887052141413362_840292486_o
 
12655980_887052204746689_1785936513_o
 
12656493_887052241413352_1714614690_o

 

あたしは生まれてはじめてデモに行った。とけて消えてしまいそうな暑い夜。国会の脇にある木では蝉が鳴き、子どもたちは小さなライトを持ってカブトムシをつかまえていた。みせて?と声をかけると、あの木にいたの、と後ろの木を指さす。この、子どもたちの未来を守るために、あたしは来た。前に進んでいくと、赤ちゃんを背負い、荷物とプラカードを持った若いお母さんがコールを叫んでいる。あたしは人人の手ばかりを見ていた。どの手も白く美しかった。

目を開けると、闇が濃くなっている

 

12696456_887052371413339_1514138100_o
 
12669243_887052438079999_537774131_o
 
12696400_887052478079995_556455384_o

 

さぁ、帰ろうか、と隣のベンチをみると、一冊の本が置き忘れられている。手に取って開いてみると、とても古いロシア語の参考書だった。あたしは本を元のベンチに立てかけて、エレベーターへ向かった。

 

 

 

past 過去の

 

どう
なんだろう

だれにも過去はある

むかし
信濃町に住んでいて

妻も
子どもも

いた

かわいい
とも

思ってた

いまは
別の女と

犬と

暮らして
いる

いま
海がひろがり

空がある
いつか

新潟の記念館で
菩薩という書をみたことがある

 

 

 

hot 暑い 熱い

 

このところ
寒い日が続いた

雪も
降った

風が吹いて
背中がぞくぞくした

コートを三つ
持ってる

田村隆一みたいなやつ

灰色と
黒と

紺色の厚手のコート
紺色は一月と二月しか着ない

電車の中で
汗をかく

ダンディーにはなれない
神田で飲んでる

 

 

 

bell 鐘

 

お昼ごろなの
かな

鐘の音を
聴く

四谷の路地や

三栄町の
公園で聴いた

長崎の西坂の途中でも
聴いた

教会の鐘なんだね

鐘の
音は

振動だ

詩も振動みたいだね

詩人が震える
のでなく

世界が震える

世界は

停止して
激しく振動している