夢は第2の人生である 第34回

西暦2015年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 

 

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久しぶりに3大テノールのCDを聴いたら、なぜだかパバロッティを除くドミンゴとカレーラスの声が妙にしわがれている。そうか2人ともいつの間にか歳をとって老化していたんだな、と妙に納得してしまった。9/1

国境警備員の私は常に極度の緊張を強いられていたが、時折「侵入禁止」の立て札を捨ててたり、両軍の衝突で負傷した兵士の人命救助に従事していた。9/3

私は「戦にしてあればなんちゃらかんちゃら」という文字をコピペしてから、新しい原稿を書こうとするのだが、何回やり直してもその「戦にしてあればなんちゃらかんちゃら」がしゃしゃり出てきて、どうしても他の文字は打てないのだった。9/4

ところがしばらくするとPCの画面に「山猫さんこんばんは、いかがお暮らしでござんすか」というどどいつ野郎が勝手に出てきてのさばっているので、私はこれは駄目だ、と今日の仕事をあきらめてしまった。9/4

川沿いの小道を歩いていると、子供たちがさわいでいる。川の真ん中にある大きな石の上で大猫と鳶がにらみ合っていて、天然ウナギのウナジロウを狙っているのかと思ったが、そうではなくて大猫が捕まえて両手で抱え込んでいる台湾栗鼠を、鳶が奪い取ろうとしているのだった。9/5

豪雨が降り注ぎ、凄まじい雷鳴が轟きわたるその瞬間、峠の頂から今来た路を振り返ると、生まれてこの方私が歩んできた道筋が、ありありと見渡せた。9/6

北欧のどこかの国に出張に来ていた私は、取引先と夕食を共にすることになり、赤子を連れた女性とレストランに先発したのだが、途中ではぐれて途方に暮れてしまった。9/6

ある人が「いつも3冊の本を読め。ただしそのうちの1冊はちんぷんかんぷんの本にせよ」と助言してくれたので、後生大事にそのようにしていたら、ちんぷんかんぷんの人間になってしまった。9/7

全国知事会が、向後は第1次産業と第2次産業製品の生産を取りやめ、もっぱら第3次産業の製品のみを生産すると決定したので、政府はもとより全国民が一驚した。9/8

テレビドラマと映画の2本の仕事が、いよいよ大詰めを迎えた。後はそれぞれのラストショットの撮影と編集をすればいいのだが、最大の問題は社長の小林だ。彼奴は自分の強烈な口臭が、スポンサーからもスタッフからも嫌われていることを知らない。9/10

家族を殺された恨みを晴らすために、私は最前線の敵軍めがけて、単身で突撃していった。9/11

おやおやこれは一体どういうことなんだと、私が驚いている間にも、私の体はみるみる剛直して、巨大な玩具の兵隊になっていった。9/12

地球最後の日がやってくるというので、人々は狂乱したり、集団自決したり、久しぶりに一族郎党が団欒したり、思い思いに残された日々を過ごしていたのだが、滅亡の予定日を過ぎても何事も起こらないので、しばし途方に暮れていた。9/13

私は独立機械時計の弟子として長年修業を続けてきたのだが、目がどんどん悪くなってきたので、師匠に「迷惑を掛けるから首にしてください」と頼んだら、「俺なんか全然見えないけど、なんとかやってるから、お前も頑張れ」と励まされた。9/14

何十年も英語を勉強してきたにもかかわらず、てんで身につかない私は、アメリカ大使館でも衛兵と、アトランタ空港でも税関の悪名高いいちゃもんおばはんと大騒動を巻き起こし、ようやっと帰国した成田空港の税関でも、ここでは日本語でひと悶着起こしたのだった。9/14

東京暮らしが長い割にその地理がよく分かっていない私は、時折迷子になった。今日もそうなったのだが、幸い渋谷行きのバスに乗れたので安心していたら、折からの台風で通行禁止になり、バスから降ろされた私は、泥だらけになって大水の出た道無き道を歩き続けた。9/15

今次の戦にボランテイアで応じた富裕層には7%、中間層には9%、下層民には11%の一時金追加支給が国から出されるという法案に対して、私は支給額ゼロを主張したが、却下されてしまった。9/15

彼奴をやるかやるまいかと悩んでいたが、手元にあった葛根湯を呑んだ途端、急に元気が出てきて、その悪辣な権力者の胸元を、柄も通れと突き刺すと、彼奴はどうと倒れ伏した。9/16

夜、誰かがベンチに腰かけていた。近付くと腰の曲がった老人が、上半身裸で目を閉じていたが、よく見るとその背中は無残にただれて、大きな傷が出来ていた。もしかすると原爆の犠牲者かもしれない。

やがて夜空に満月が昇った。見たこともない巨大なフルムーンだ。やがて月から流れ出た乳白色のまばゆい光は、ベンチに座っている老人の背中に降り注いたが、ふと気がつけばあの醜い傷跡は跡かたもなく消え去っていた。9/19

私は恋人を盗られたと思って、後を追ってきたタコと格闘して、ナイフで刺し殺し、彼女の故郷まで辿りついたのだが、この噺をショートムービーにしたら、カンヌの短編映画祭でグランプリを呉れたので驚いた。9/20

その会社は途方もない広さを誇っていて、その敷地の中には事務所や工場や社員寮のほかに、海も山も草原も町も村も、寺や神社や教会も、数多くの住宅や路地や植物園、動物園にはパンダ、水族館にはリュウグウノツカイまで揃えていたので、誰も仕事をしないで遊んでいるのだった。9/21

どういうわけか厚生省の偉い役人になったので、施設で働き、ホームで生活している息子を苛める陰険な職員を解雇しようとしたのだが、まてよ彼奴も妻子と生活があるだろうと思って、特権を振りかざすことをやめた。9/23

総務課の川口さんから電話があってちょっと話があると云うので部下の酒井君と待機していると、来期の経費をすぐに出せと云う。「おラッチはよう、安倍蚤糞は失敗すると読んでいるけどよお、株式の投資が莫迦当たりしたんでよう、売り上げも利益も全然駄目だけど、経費だけは削らなくてもいけそうだと、社長が言っておられるんだそうだ」9/24

「だからあんたの課も大至急予算計画を出してほしいんだ」という不景気な中にも景気の良い話なので、私が「そんなら念願の新規ブランドの立ち上げが織り込めそうだ。酒井君と相談して一発どでかい計画をぶち上げてみますかな」」といいながら、目の前の川口さんの顔を見ると、顔と目鼻の輪郭がどんどん霞んでいる。

「おうそうよ、どうせ会社の金なんだからバンバン使いまくってくれよ」という声だけが聞こえてきたので、私はハタと気づいて、「でも川口さん、あなたはもう10年、いや20年近く前に亡くなっていますよね。そんな人がどうして来年の予算を担当しているんですか?」と尋ねると、

「いやあそういう小難しい話はよお、おらっちもよく分かんないんだけどさ、まああんまり堅く考えないで柔軟に対応してよ、柔軟に」と相変わらず声ばかりが元気に聞こえてくるので、「そんなこと言われてもなあ、酒井君」と後輩の顔を見ると、彼もまたなぜだか目鼻立ちが急激にぼうっとしてきているので驚いたが、じっと見つめているうちに彼は去年の今頃入浴中に急死していたことを思い出した。9/24

またしても単位が足らなくなってきたので、毎日のように大学へ行って見境なしに授業に出ているのだが、このままでは卒業できそうにないので、やむを得ず単位屋に頼んだ。彼奴は学校や教員のPCに侵入してデータを書き換えてくれるのだ。9/25

妻と子の姿が見えなくなったので、2階の窓からのぞくと、夕暮れの遥かな野道を歩いている。あわててバスに乗って、次のバス停で追い付いて、「早く乗れ」と声をかけると、2人の子供は乗り込んできたのだが、妻をおいてけぼりにしたまま発車してしまった。9/26

「みんないるかあ?」と誰かが声をかけたので、「妻だけがいません」と答えたら、「大丈夫だ、私の目には3つの物体の映像がちゃんと映っている」とその人物は請け合った。見ると、彼の腕には3つの腕時計が巻かれており、それぞれ別の時を刻んでいるのだった。9/26

「わたしには1ダース以上の子供がいるので、北朝鮮のスパイに1人や2人誘拐されたって全然構いませんよ」と豪語する男が、岸壁にいた。9/27

なんだか知らないけれど、こんな田舎で突然世界博覧会が開催されることになり、私は俄かプロデューサーとして現地に乗り込んだが、各国のブースはとっくに出来あがっているのに、中央会場と日本館の設営は誰も手掛けていないのだった。9/27

その有名タレントと契約を更改しようとしたのだが、彼は「君はこのトラックを全速力で飛ばせ。俺はそのトラックを全速力で追い越して運転席に乗り込み、そこで契約書にサインしよう」というので、私はスタートさせた。9/28

全国大会の時間の都合で報告が出来なかった連中が、怒り狂って司会者の私のところへ押し寄せてくるという話を聞いたので、戦々恐々としているところだ。9/29

私が夢を見ている最中に横尾忠則画伯が出てきて「この夢を絵に描いてやろうか」と言うので、「どうぞ、どうぞ」と頼んだら、実際の夢とはかけ離れた物凄く派手な極彩色の絵になってしまうのだった。9/30

しばらく政府の専横に不平と不満を抱く旧士族たちと生活を共にしたのだが、その政治的主張はともかく、彼らの清廉潔白な生き方には、目が洗われるような思いだった。9/30

 

雪の日には詩を書こうぜ  蝶人

 

 

 

river 川

 

生まれた
とこは

雄物川という川の
そばで

鵜の巣
といった

泳いでたんだ

裸で

小さな尻をだして
泳いでたんだ

姉がいて
兄がいて

笑っていた

裸で泳いでたんだ

小魚と
ならんで

泳いでいた

川が海に繋がってる
なんて

知らなかったのさ

 

 

 

違うよサクソフォン

 

爽生ハム

 

 

すり鉢っぽい底辺には脳天気な陽気が漂っていて、そこへ向かう彼らの背中の荷物には、引っ掻き傷がついていた。彼らは、目の前の彼の傷を見て徐々に笑顔をつくり、目的をもつくる。傷は、どこかの川のようで生命力を感じさせた。彼の次にくる彼や、その数メートル後方の彼などは、涙のような水滴を浮かべて、興奮していた。たぶん痛いんだろう。私が見る限りは、痛いと名づけるのは非常に簡単だった。彼らの痛みなど、見物するには丁度いい痛みだった。私の手前で蒸発する非常に健全な痛みだった。あまりにも脳天気な陽気だから、もしかして辛いのは私の方なんじゃないかと、余裕綽綽たる名づけ親になってみたりもした。
私は通常の健康では、明くる日を見逃したりはしない。
むかしむかし、名づけられた響きを交換しあって抑揚がついた動物の完成。淋しさとうまくつきあえる巣穴も、そして底も、内在が溜まりすぎて、困り果て。常夏の短パンのように急遽、膝を潮風がノックする。ぐたぐたと恐怖心を芽生えにかかる露出とは別の魂胆の、肌の水は、人を人が汚ないと感じさせるにはじゅうぶんな汁だろうな。目の前の人が怖すぎるって確かに彼は言った。いらだちの解散のために、彼は感情を放つ、放つ、放つわ放つ。いきり勃った塔の女楽は仕切り板を溶かすほどの勢いがあり、私は彼らは硫酸を飲む人と名づけました。
だって傷が喋るんですもの。

 

 

 

岩波文庫版『石垣りん詩集』を読んで

 

佐々木 眞

 

 

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詩集を贈呈された者は、けっして古本屋に売ってはならない。
贈呈した詩人が、回り回って手にすることがあるからだ。
のみならず、それが詩に書かれて、一生物笑いの種にされることもあるからだ。

岩波文庫版の『石垣りん詩集』のなかに、『へんなオルゴール』というへんな詩がある。
「歴程」夏のセミナーに出席した詩人が、見知らぬ紳士からサインを求められる。
それは『表札など』という彼女の代表作のひとつだった。

「サインせよ とはかたじけない」*と喜んだ詩人だったが、開いた扉に一枚の名刺。
見れば「丸山薫様 石垣りん」と自分の筆で書いてある。
敬愛する偉大な詩人に送った詩集が、古本屋に並んでいたというのである。

「ひとりの紳士が1冊の本をひらくと
空0丸山薫さま 石垣りんです。
空0と明るいうたがひびき出す。」*

「どうしてうらんだり かなしんだりいたしましょう。
空0売って下さったのですか 無理もないと
空0それゆえになお忘れ難くなった詩人よ。」*

などと無理やり陽気にふるまおうとするものの、
そのとき彼女のはらわたは、煮えくりかえっていたに違いない。
だからこの詩を書いたのだ。

東京品川の糞尿臭い十坪の借家に、祖父と父と義母と二人の弟と住み続け、
たった一人の女の二本の細腕で、六人の暮しを支え続けた石垣りんは、
毎日のように押し寄せてくる詩歌集を、ただの一冊も捨てなかったのだろう。

詩集を贈呈された者は、けっして古本屋に売ってはならない。
贈呈した詩人が、回り回って手にすることがあるからだ。
のみならず、それが詩に書かれて、一生物笑いの種にされることもあるからだ。

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白*石垣りん『へんなオルゴール』より引用

 

 

 

sea 海

 

こだまは

小田原を
過ぎた

熱海まで

トンネルは
あり

トンネルの切れ目から

海が
見える

青くひろがる

海を見る
海を見たい

嬉しい

海は
たいらに

揺れてる
揺れている

ここで
生まれたんだろう

きみも
遠い人たちも

ここに帰るんだろう

 

 

 

だから言葉を探してた

 

もり

 

 

「元気になってはやく学校へきてね」
クラスみんなからメッセージ
ぼくはなんの病気なんだろう
黒いランドセルに積もったほこりを
ふぅーっと吹きながら考えた
机の上で彫刻刀の先が熱かった
「レンジで2分温めてください」のメモ
つめたい焼き飯を食べながら
ニュース番組を見た
子どもは学校へ通う
大人は会社に行く
母さんは・・知ってる、ぼくのせい
みんなが大なわとびをとんでいる
そうしてぼくを呼んでいる
なんで? どうして? どこが痛いの?
山ほど呼び名があってとまどった

だから言葉を探してた

はだしのままで おそるおそる
背中で声をうけながら 歩きはじめた
スニーカーショップへ
歩きはじめたんだ

 

 

 

機心一転っちゃあ、「現代日本詩集2016」をぜーんぶ読んだっちゃあでざんす。

 

鈴木志郎康

 

 

ご存知の詩の雑誌でざんす。
「現代詩手帖」の1月号っちゃあ、
恒例の「現代日本詩集2016」でざんすね。
機心一転っちゃあ、
特集された、
48人の詩人の、
詩を
全部、
ぜえーんぶっちゃあ、
読んじゃったっちゃあでざんすね。
読んで毎日FaceBookなんかのSNSに、
ちょこっと、
2015年の暮れから2016年の正月に掛けて、
感想を書こうって思っちゃたっちゃあでざんすね。
ちゃったっちゃあ、
そりゃ、まあ、大したことでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
うふふ、
ハッハッハッ、ハッ。

今までっちゃあ、
好きな詩人とか、
気になる詩人とかの
詩を読むくらいでっちゃあでざんしたが、
特集された詩人の詩を全部読むなんてこっちゃ、
まあ、なかったっちゃあでざんすよ。
それが機心一転したっちゃあでざんすね。
そりゃ、まあ、大したこっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
うふふ、
ハッハッハッ、ハッ。

機心一転ってっちゃあ。
そりゃ、まあ、どういうことでざんすか。
現代詩っちゃあ書かれてるっちゃあでざんすが、
選ばれたり選ばれなかったりっちゃあ、
こりゃまあ、こりゃまあ、でざんす、ざんす。
日本国にはどれくらいっちゃあ、
詩人がおりますっちゃあでざんすか。
ひと月前の「現代詩手帖」12月号っちゃあ、
「現代詩年鑑2016」とあってっちゃあ、
その「詩人住所録」っちゃあ、
1ページ当たりおよそ44名ほどと数えてっちゃあざんす。
それが47ページっちゃあで、
おおよそ2068名くらいが登録されておりますっちゃあでざんす。
いや、いや、
もっと、もっと、
詩人と自覚している人は沢山いるはずっちゃあでざんすよ。
それに自覚してなくてもっちゃあ、
沢山の人が詩を書いているはずちゃあでざんすよ。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
そんでもって、
「現代日本詩集2016」っちゃあ、
48名っちゃあでざんすよ。
91歳のお年寄り詩人から
24歳の若い詩人までっちゃあ、
48名っちゃあでざんすね。
選ばれましてっちゃあ、
おめでとうございますっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、
うふふ、
ハッハッハッ、ハッ。

断わっておきますっちゃあでざんすが、
詩人のあっしがここに選ばれなかったっちゃあて、
やっかんでるってんじゃないっちゃあでざんすよ。
機心一転っちゃあ、でざんすね。
機心一転っちゃあ。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うふふ。
わかってるっちゃあでざんすね。
「現代詩手帖」さんが、
今、活躍してるっちゃあ、
推奨する
数々の受賞歴のあるっちゃあ、
48人の詩人さんっちゃあでざんすよね。
ざんす、ざんす。
つまりで、ざんすね。
48人の詩人さんっちゃあ、
「現代日本詩集2016」っちゃあ、
まあ、今年の日本の詩人の代表ってことっちゃあでざんすね。
選ばれればっちゃあ、
名誉っちゃあ、
嬉しいっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うふふ。
うふふ。
ハッハッハッ、ハッ。

前置きが長くなりすぎましたっちゃあでざんす。
まあ、まあ、
毎朝の4時に起きてちゃあでざんすね、
作品をぜえーんぶ読んじまってちょこっと感想をっちゃあ、
昨年の12月30日から今年の1月3日までの、
SNSに書いたっちゃあでざんすね。
んっちゃあでざんす。
ざんす。

昨年2015年の12月30日に、
「11人のお爺さん詩人と2人のお婆さん詩人の詩を読んだ。皆さん老いを自覚しながら自己に向き合うか、またそれぞれの詩の書き方を守っておられるのだった。ここだけの話、ちょっと退屈ですね。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすか。
ざんす、ざんす。
翌日の31日には、
「10人の初老のおじさんおばさん詩人の詩を読んだ。ふう、すげえー、今更ながら、書き言葉、書き言葉、これって現代文語ですね。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすか。
ざんす、ざんす。
年が明けて1月2日に、
「11人の中年のおじさんおばさん詩人の詩を読んだ。中年になって内に向かって自己の存在を確かめようとしているように感じた。複雑ですね。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすね。
ざんす、ざんす。
そして1月3日で、
「11人の若手の詩人の詩を読んだ。自己の外の物が言葉に現われきているという印象だが内面にも拘っているようだ。これで「現代日本詩集2016」の48人の詩人の詩を読んだことになる。まあ、通り一遍の読み方だが、書かれた言葉の多様なことに触れることはできた。今更ながら日常の言葉から遊離した言葉だなあと思ってしまった。」っちゃあ、
書いちゃったっちゃあでざんすね。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。

幾人かの詩人の詩は頭に残ってるっちゃあでざんすが、
どの詩人の詩がどういう詩だったかっちゃあ、
もう忘れちまったっちゃあでざんす。
申し訳ないっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うっ、ふう。

ぜえーんぶ、
紙の上に印刷された言葉なんっちゃあでざんすねえ。
現代詩っちゃあ、
書かれた言葉だったっちゃあでざんすねえ。
書かれ書かれ洗練されっちゃあでざんす。
書かれ印刷された言葉で伝わっていくっちゃあでざんすねえ。
その書かれ印刷されるっちゃあでざんすに、
挑戦してるって見えたっちゃあでざんすが、
あっしが敬愛する
吉増剛造さんの
「 Ledburyニ、鐘音(カネ乃於止(、、))ヲ聞(キ)キ、歌(ウタ)比(、)だしていたノハ、誰(タレ)」(括弧内は原文ルビ)っちゃあ、
タイトルの詩っちゃあ、誰も真似できませんぜ。
うん、ざんす、zansu。
イングランドのLedburyっちゃあところで、
聞いた鐘の音に感動なさってっちゃあ、
英語や朝鮮語や万葉仮名やらを混じえてっちゃあ、
Blakeの神話の人物のリントラに託してっちゃあ、
「恋ノ羽撃(キ)ノ、、、、、、
空白空白空白空白空白羽音(ハネ)、
空白空白空白空白空白空白空白緒(ヲ)
空白空白空白空白空白空白空白空白空白、毛(も)、枯(ガ)、零(re(アクセント記号付きのe))、手(te(アクセント記号付きのe)」っちゃあ、
激しいお気持ちっちゃあを、
歌い上げてるっちゃあでざんすねえ。
でもでも、
その誌面にびっくりっちゃあでざんすが、
吉増さんの感動が文字を超えていくっくっくっちゃあが、
言葉の高嶺っちゃあでざんすか、
ただただ驚くばかりっちゃあで、
真意っちゃあが、
解らなかったっちゃあでざんすねえ。
残念でざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ
ざんす、ざんす。
うっ、ふう。

こりゃ、
吉増さんっちゃあ、
手にしたペンで書いてるに決まってるっちゃあでざんす。
紙の上っちゃあ、
文字書いてるっちゃあ、
あの繊細な手が見えてくるっちゃあでざんすよ。
それでいいっちゃあでざんすねえ。
んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うふふ。
ハッハッハッ、ハッ。

あっしが尊敬する先生っちゃあ、
藤井貞和さんの詩っちゃあ、
「鳥虫戯画から」っちゃあ、
穏やかなタイトルっちゃあでざんすが、
先ずは
古典短歌を能舞台に置くっちゃあって、
笑っておられるっちゃあでざんす。
そしてっちゃあでざんす。
キーボード打つ手元を見つめながらっちゃあ、
ご自身が書きつつある詩っちゃあ、
詩歌の歴史の流れに置いてるっちゃあでざんすか、
言葉の高嶺を行くっちゃあ、
うっとりさせられるっちゃあ、
なんか苦し紛れって感じでもあるっちゃあ、
ブツブツっと、
書き言葉でつぶやいていらしゃっるっちゃあでざんすよ。
「短歌ではない、
自由詩ではない、
自由を、
動画に託して、
月しろの兎よ、」っちゃあ、
うさちゃんに呼びかけてっちゃあでざんすね。
何やら深刻なことを仰せになってるっちゃあでざんす。
そしてでざんすね。
「あかごなす魂か泣いてつぶたつ粟をいちごの夢としてさよならします。」っちゃあて、
終わっちまうっちゃあでざんすよ。
ウッウッウッ、ウッ。
ウッウッウッ、ウッ。
藤井貞和さんの魂がわかんないっちゃあでざんすねえ。
悔しいっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす、ざんす。
ウッ、フウー、ふうー。
うふふ。
ハッハッハッ、ハッ。

長谷川龍生老っちゃあ、
「万事 日本は 覚悟せよ」っちゃあ言葉っちゃあ、
頭に残ってるっちゃあでざんす。
谷川俊太郎老っちゃあ、
「知らず知らずのうちに
強面の口調に成っている私の内心
よちよち歩きの子がいるとほっとする」っちゃあて、
お二人とも、
昨年テロ事件があった現実にっちゃあ、
敏感っちゃあでざんすねえ。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。

昔あっしと「凶区」の同人だったっちゃあ
天沢退二郎老人っちゃあ、
「半ぺん噺」っちゃあ題で、
中近東の市場で買った赤黒い50個つなぎのはんぺんっちゃあが、
居眠りしてっちゃあ、
時限爆弾じゃあないかと心配したがっちゃあ、
「どれも猫の毛で編んだミニ・サッカーボール」っちゃあ
作り話を作ってっちゃあ、
「我が家ではかわいい孫たちが
あれで遊ぶのを楽しみに待ちこがれてるのさ。」っちゃあ、
退二郎おじいちゃん、お孫さんに囲まれて、
よかったっちゃあでざんすねえ。
さいでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ
ざんす、ざんす。
ハッハッハッ、ハッ。

それからっちゃあでざんすね。
好きな色はオレンジ色だっちゃあて、
オレンジ色のセーターを着てっちゃあ、
「広い道
中ぐらいの道
狭い道
目印は骨、だんだんわかりにくくなる。」ってっちゃあ、
「通りのみなさん
あまり正確ではないが
ぼくのうちへ来る地図だ。」っちゃあ、
かっこいいっちゃあ、
初老の映画監督っちゃあ、
福間健二さんは書いてるっちゃあでざんすが、
言葉が開けてっちゃあ、
ほっとしたっちゃあでざんす。
んっちゃあ、んっちゃあ、
ざんす、ざんす。
うっ、ふう。

あと一人っちゃあ。
気になってるっちゃあ。
ドイツ文学者っちゃあ、
首都大学東京都市教養学部名誉教授っちゃあ、
最早、初老の瀬尾育生さんっちゃあでざんすよ。
もう68歳っちゃあでざんすね。
今回の詩のタイトルっちゃあ、
「『何かもっと、ぜんぜん別の』もの」っちゃあ、
またまたあっしには通り一片で読んだだけっちゃあ、
何のことがかいてあるっちゃあ、
理解できないっちゃあ詩っちゃあでざんした。
繰り返し読んだっちゃあでざんす。
第一行からっちゃあ、
「薄れゆく記憶のなかで濃い色を帯びた瞬間を掘り出す金属の手当ては」っちゃあ、
何だっちゃあでざんす。
それからっちゃあ、
「バルコニーの日差しが斜めになるときは
その窓を開けておいて。滑るようにそこから入ってくる神の切片を/迎えるために。」
「神の切片」っちゃあ、
何だっちゃあ、
わからんっちゃあでざんす。
まあ、まあ、
「だからあんまり速く/歩かないで。きみからきみの輪郭が遅れてしまうよ、あんまり速く/その切りとおし道を過ぎてゆかないで。」っちゃあ、
親しい人に優しく話しかけてるっちゃあでざんすね。
そして、一連跳び越えてっちゃあ、
第三連目っちゃあ、
「『別の人』はよい(傍点ルビ)。わたしは『何かもっと、ぜんぜん別の』ものへ行くのだから。そして
『別の人』もまた『何かもっと、ぜんぜん別の』ものへ行くのだから。
『何かもっと、ぜんぜん別の』ものは、あなたにはあなたの形、わたしにはわたしの形。」っちゃあ、
死ってことっちゃあでざんすか。
そして、そして、
第四連目っちゃあ、
「『つらぬきとおして流れる』ものがその身体を流れ終わった子が、『向こうの部屋』でしずかに眠っている。『つらぬきとおして流れる』ものがその身体を流れ終わった子が、『向こうの部屋』で、瘡蓋のついた小さな鼻孔から、息を終えた沈黙の形で『何かもっと、ぜんぜん別の』ものへ『ながいながい曲がりくねった道(傍点ルビでロング・ロング・アンド・ワインディング・ロード)』をささやき続けている。」っちゃあで、
終わってるっちゃあでざんす。
よくわからんっちゃあでざんすが、
哀悼の詩だったっちゃあでざんすねえ。
悲しみが伝わって来るっちゃあでざんすね。
ざんす、ざんす。
んっちゃあでざんす。

あっしの機心一転っちゃあ、
お読みいただけましたっちゃあでざんしたか、
ご苦労さんでざんした。
はい、おしまいっちゃあ。

 

 

 

もへら

 

白鳥信也

 

 

そういうふうにみられているのかもしれない
あいつにも
あっちこっち
喉のおくのほうに吐き気がよどみはじめている
ひくひくする

つるんととびこえられないものか
書類ひとつ

あんなにたくさんいたのにいまはだれもいない
くらがりのなか
もへら と笑ってみる
筋肉がもどらない
まっいいか はいやだ
もういいか はどうだ
もういいかい と大声をだしたきおくがする
とおいい

もういちど
もへら と笑ってみる
これいじょうないってくらい
笑いをよどませる
筋肉をゆるめて
肩をすとんとおとす
しおたれぶう
しょげきってしまえ
したへしたへ

ちっともおかしくなんてないから
もへら
もへら笑って

よるもゆれてなみうっている

 

 

 

spoon スプーン

 

昨日は

外に
出なかったのか

ソファーに
一日

横になってた
のか

スヌーピーのスプーンで

アイスを
掬う

コーヒーをかき混ぜる

柄のところにスヌーピーがいて
笑っている

いない子供と

おなじ
スプーンを使ってる

夕方
モコと散歩した