向こうの条

 

萩原健次郎

 

DSC01501

 

彼岸までは、すぐ近くに見えるのに
それは、永遠でないことが虚しい。
機雲が、美しい夕空に傷をつけていく。
猫の爪、
女の爪、
それらを想像してしまう貧しい性質。

向こうからは、私は見られている。
私の傷などは、地に溶けて何も描いてはいない。

向こうにいるかもしれない
虚空の果てには、砕けた神の欠片がある。
それは、粒状の、音楽の切れ端にすぎないのかな。
そこから鳴り始めて、何年も前に閉じている。

形象のない、食物のような
それも、ちいさな動物が生き延びるために食する
木の実の中のさらにその中の胚の、
その中の虚空なのだろう。
猫も、女も、私も、
精髄の擦過でもう、欠片でもなくなった
微塵の神様に、祈っている。

煙にすぎないのだろう。
白煙ではない、鈍い航跡は、
混淆の証しだと、うなづいて

白い季節にまで生き延びた
蚊を叩く。

 

 

 

けもの路から あるいは、 if・・・・・・・・・。

 

今井義行

 

 

PCを中心 にして 組んだ 狭い スペース
ここが言葉と舞い踊る わたしの場となっています
うねる荒川を渡り 緑の繁れるなか
わたしは ここへとやってきたんだ

まずタイトルのてまえにけもの路と渚

印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

なんども なんども はしる その路

わたしは 画面の中を スクロールし

すると太陽の 黒点の 泣きぼくろが

あるの 詩を書く楽しみがそこにあり

出発「点」だけが そこにともるので

いま始めている詩を「NOW PRI

NTING」と仮のタイトルとします

その路は 林道から外れ 鬱蒼として

何処までも 地平線に 続いているの

なんども なんども ふみあらし・・・・

そこには 渚の気配が添い 波が鳴り

なんども なんども ふみかため・・・・

そこには おびただしい 種子が散り

芽ばえを まちわびる ときが 跳ね

明日もプリントしているの 明後日に

も 「NOW PRINTING」とプ

リントしているの 終着駅が 決まっ

ていないので けもの路は わたしを

印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

昂揚させる≪「愛」ハ、不思議ナ言葉

「あい」ト書クト、白イ綿ノヨウ「ア

イ」ト書クト、硬イ物質ノヨウ。サワ

レソウナ気モスルノニ、中ヲ見ヨウト

スルト、霧ノヨウダ。≫ 詩はそのよ

うに書きためされた 更に数行書いて

はプリント、おもに 余白についての

顧みを 「NOW PRINTING」

蕨ふみながら あるいは、if・・・・・・・・・。

if・・・・・・・・・。もしも 渚から浅草へ出て 暖簾の和菓子屋

さんへ佇み わたしが 胡桃餅を 頬ばると みちばたに

向日葵の 数千の種
が 見つめているの

疲れたときはベッド
おおく眠っていると
血液が
煮凝りのように
ぷるぷるとして
パイプを通り辛く
なるようです・・・・

飴玉みたいに沢山の
錠剤を飲む毎日
どれにも眠気成分が
ふくまれていて
泳いでいた魚が
煮つけられてその
翌日の甘い煮汁が
煮凝りのように
血管を塞ぎ動く力を
奪うようです

眠りと眠りの濃霧の
間を見出しては
ことばをさがす
ことばをさがす
ことばをさがす
そうして再び濃霧の
世界へ入っていく

印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

わたしという者は
ぷるぷる震える
煮凝りを含んでいます
だからわたしは
透過性の高い夢を
見たいと欲する けもの路 あるいは、if・・・・・・・・・。

陽に透けて向こうが
見えるような夢

海の街で生まれたので
渚まで 歩いて行けた

光る渚に太陽が重なる
わたしは堤防に跨って

風に吹かれていたんだ
釣り人や 恋人たちが

たおやかな光景に溶け
時には半裸で寝そべり

肌を灼いてる人も居た
ヘッドフォンを付けて

ヨットハーバーが傍に
あり帆がはためいてた

海の街で生まれたので
渚まで 歩いて行けた

別室のような物だった
たおやかな 別室・・・・

それからまた あるいは、if・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あまりに暑いのでアイスクリームを買ってきた
眺めていたらあまりにも涼しげなたたずまいに
憎しみが湧き 食べることはやめて燃えるゴミ
へとだしたアイスクリームが燃えていくという
イメージそれがその日のわたしの暮らしの実感
となった溶ける事を大きく越えて青々と燃えろ

あるいは、if・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
賃貸料の安い都営住宅の 申込用紙をもらいに

区役所の出張所へ 行った 担当者がぽかんと

して 「あの、紙」いつも 何処にあるんだっけ

と 同僚にたずねた 同僚もすこしたってから

前回の申込は終わりましたので 次回の申込用

紙の配布は秋になりますねえ・・・・・・・・と言った

申込用紙は どうやったら入手できますかと訊

いてみたら ええと あの、「花」の ところで

すと言います あの花、と言われても判らない

その、「花」 は何処にあるのですか と訊いて

みたら あの、テーブルですよ、と言う その、

「花」は あのテーブルにありますよと 語る

パンフレットを欲したけれど その、「花」 が

つぎに咲くのは秋の何処かになるのだそうです

けもの路 あるいは、if・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
つぎに咲くのは秋の何処かになるのだそうです

きょうは いっぽも しゃばへ でず
みずは あまりとらず 尿もすくない

皮膚の露命が欠けていた
皮膚の露命が欠けていた
皮膚の露命が欠けていた
けれど 動いている指先

きょうは いっぽも しゃばへ でず

画面と ベッドの あいだに いきて

まずタイトルのてまえにけもの路と渚

わたしは 画面の中を スクロールし

すると太陽の 黒点の 泣きぼくろが

あるの 終日 へやの暗がりに居ても

出発「点」だけが そこにともるので

いま 始めている詩を 「けもの路から

あるいは、if・・・・・・・・・。」という タイ

トルにしてみました 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

夏の日がおわる わたし いきていくのです・・・・・・・・・。

 

 

 

光の疵 「青い矢」(十九歳)

 

芦田みゆき

 

 

部屋の窓をすべて鎖で縛った
無数の青い矢があたしに向かって
その一瞬確かに見た三次元の肉体が
黒いラシャ紙に焼きついて丸まった

マッチ売りの少女が戸を叩く

外は何世紀昔だろう

あたしは
探されていることを意識しながら
息を潜めたが
青い矢に成り変わったあたしは
向かう的をやはり探さなくてはいけない

マッチ売りの少女が獣に跨って
戸を突き破ってきた

不規則に燃え上がるマッチの火は
唯の炎に過ぎず
黒いラシャ紙が少女の体を裂いた

 

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―『記憶の夏』昭森社―

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その4

 

佐々木 眞

 
 

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「お母さん、輸血ってなに?」
「怪我をしたときに他の人の血を入れることよ」
「宇宙戦艦ヤマトの島大介さん、輸血したお」
「そうなの?」

「マコトさんとファミリーナの田中さん、好きだお」
「マコトさんって、お父さんのこと?」
「そうですよ」
「ありがとう」

「お母さん、向こう岸てなに?」
「川の向こう側のことよ」

「キョウコさんが、気をつけてお茶飲むのよと言ったお」
「誰が?」
「キョウコさんが」
「ああ、亡くなったおばあちゃんがそういったのか」

「お父さん、トシヒコちゃん結婚したの?」
「結婚したよ」
「お父さん、トシヒコちゃん、子供できたの?」
「できたそうだよ」

「鎌倉郵便局は本局だお。しばらくお待ちください。ただいま修理をしております。
ぼく、鎌倉郵便局の真似をしたお」

「お父さん、こちらこその英語は?」
「ミー、トゥかな?」
「こちらこそ、こちらこそ、こちらこそ」

「さて耕君、今日の晩御飯はなんでしょう?」
「分かりませんよ。なにがつくもの?」
「ヒがつくものよ」
「ヒ、ヒ、ヒレカツ!」
「あたりー!」

「ぼくハッピーバースデイ歌いますお」
「今日は耕君のお誕生日だからね。お父さん、お母さんと一緒に歌いましょう。耕君は何歳になりましたか?」
「41歳だお」

 

 

 

年の暮に考える

 

みわ はるか

 

 

今年も早々と紅白歌合戦の司会が決まった。

外をものすごい勢いで通過する風が身に染みるほど冷たい。
去年の薄手のコートをクローゼットからだして着てみたら少しナフタリン臭い。
色も買った時より褪せてきた気がするし、デザインもどこか気に入らない。
新しいのが欲しいなと思うけれど、こんな寒い中外出するのは億劫だ。
できればもこもこの布団の中でずっーと過ごしたい。
1年でこの時期だけ熊になりたいと思う。
彼らのように冬を冬眠という形で過ごしてみたいと思う。
もこもこの布団の中で色々考える。
そういえば、「ナフタリン」に似た名前の果物をこないだ食べたな。
なんだったかな。
あっ、そう「ネクタリン」。
ものすごくこういう時間が好き。

ある映画監督の密着番組を見た。
その人の人生は山あり谷ありで、わたしの心にぐっとくる何かがあった。
「絶望から希望が生まれる。」
「毎日地道なことを続けていれば幸せな瞬間が来るんだよ、来ると信じてるんだよ。」
「映画というのは、明日はきっといいことがあるよと大声で言っているようなもんなんだよ。そうでないにもかかわらずね。」
録画したこの番組をもう何十回も見ている。
実は彼の作品は一度も見たことがないのだけれど。
朝がくることが怖いと思うときがある。
新しい一日が始まるのが恐怖としか捉えられない時がある。
いいこともあるんだろうけど、それ以上に辛いことがあって。
後者に比重をおきすぎて、前者が完全に隠れてしまった。
でもそうではないんだと、そのほんの一瞬の喜びのために生きるのも悪くない。
そう思えた。
朝が辛いことは変わりないけれど、どこかいつもより洗面所までの足取りが軽くなった。

最近初めて心の底からライブに行ってみたいと思えるミュージシャンと出逢った。
なんといっても彼の考え方、歌の詩がいい。
某テレビ番組のメインテーマ曲にもなっている。
かざる部分が なく、人間の心の奥深くでくすぶっている部分までもきれいに言葉になっている。
改めて言葉のパワーや威力の強さを知った。
人の心を両手で優しく救ってくれる言葉は本当に素敵だ。
そのミュージシャンの出演番組やライブの日程をポチポチと検索してみた。
瞬時に欲しかった情報が手に入る便利さに改めて感動しつつ、それを紙に書き留めた。
当分の間は、その人の出演番組はすべて見るつもりだ。

学校の教壇に立っている先生は昔からずっと先生だと思っていた。
自分が赤ちゃんから保育園、小学校、中学校、高校、大学へと間違いなく成長しているにも関わらず先生は生まれた時から学校にいると思っていた。
年 をとらないと思っていた。
悩みなんてこれっぽちもないスーパーマンだと思っていた。
いつも強く元気で、学校の催し物がおこなわれるときには先頭に立って活躍する。
何十人もの生徒から毎日提出される日記に怠ることなくきちんとコメントを書く。
給食は残さず生徒よりもやや多めの量を食べる。
動きやすい機能性のいい服を着て長い長い廊下を大股で歩く。
○と×をつけ続けるテストの採点にあんなに時間がかかるものだとあのときはこれっぽっちも思っていなかった。
職員室はそんなものすごい大人の集まりだと思っていた。
そんな職員室の扉を開けるときはものすごく緊張した。
扉のノブをおそるおそる回し、少 しだけ押して中の様子をうかがう。
ほとんどの先生は机の上の書類とにらめっこ。
そんないつもの様子に安堵しながらするっと中にお邪魔する。
あの空間にはきっと色んな悩みや、困りごとが渦巻いていたにちがいない。
そんなそぶりはみせないけれど。
先生もみんなと同じように生まれてきて、大人にかわいがられた時期があって、試験を受けてあの教壇に立っている。
そんな「先生」という魔法のトリックが解けたのは案外自分が社会人になってからなんじゃないかなと思う。
もっと前から知っていたはずなのにうまく完璧な解答までたどり着けていなかったきがする。

そんなことを貫々と考えるのは季節のせいなのだろうか。
2015年ももう11月に突入している。

 

 

 

年の暮に考える

 

みわ はるか

 
 

今年も早々と紅白歌合戦の司会が決まった。

外をものすごい勢いで通過する風が身に染みるほど冷たい。
去年の薄手のコートをクローゼットからだして着てみたら少しナフタリン臭い。
色も買った時より褪せてきた気がするし、デザインもどこか気に入らない。
新しいのが欲しいなと思うけれど、こんな寒い中外出するのは億劫だ。
できればもこもこの布団の中でずっーと過ごしたい。
1年でこの時期だけ熊になりたいと思う。
彼らのように冬を冬眠という形で過ごしてみたいと思う。
もこもこの布団の中で色々考える。
そういえば、「ナフタリン」に似た名前の果物をこないだ食べたな。
なんだったかな。
あっ、そう「ネクタリン」。
ものすごくこういう時間が好き。

ある映画監督の密着番組を見た。
その人の人生は山あり谷ありで、わたしの心にぐっとくる何かがあった。
「絶望から希望が生まれる。」
「毎日地道なことを続けていれば幸せな瞬間が来るんだよ、来ると信じてるんだよ。」
「映画というのは、明日はきっといいことがあるよと大声で言っているようなもんなんだよ。そうでないにもかかわらずね。」
録画したこの番組をもう何十回も見ている。
実は彼の作品は一度も見たことがないのだけれど。 朝がくることが怖いと思うときがある。
新しい一日が始まるのが恐怖としか捉えられない時がある。
いいこともあるんだろうけど、それ以上に辛いことがあって。
後者に比重をおきすぎて、前者が完全に隠れてしまった。
でもそうではないんだと、そのほんの一瞬の喜びのために生きるのも悪くない。
そう思えた。
朝が辛いことは変わりないけれど、どこかいつもより洗面所までの足取りが軽くなった。

最近初めて心の底からライブに行ってみたいと思えるミュージシャンと出逢った。
なんといっても彼の考え方、歌の詩がいい。
某テレビ番組のメインテーマ曲にもなっている。
かざる部分がなく、人間の心の奥深くでくすぶっている部分までもきれいに言葉になっている。
改めて言葉のパワーや威力の強さを知った。
人の心を両手で優しく救ってくれる言葉は本当に素敵だ。
そのミュージシャンの出演番組やライブの日程をポチポチと検索してみた。
瞬時に欲しかった情報が手に入る便利さに改めて感動しつつ、それを紙に書き留めた。
当分の間は、その人の出演番組はすべて見るつもりだ。

学校の教壇に立っている先生は昔からずっと先生だと思っていた。
自分が赤ちゃんから保育園、小学校、中学校、高校、大学へと間違いなく成長しているにも関わらず先生は生まれた時から学校にいると思っていた。
年をとらないと思っていた。
悩みなんてこれっぽちもないスーパーマンだと思っていた。
いつも強く元気で、学校の催し物がおこなわれるときには先頭に立って活躍する。
何十人もの生徒から毎日提出される日記に怠ることなくきちんとコメントを書く。
給食は残さず生徒よりもやや多めの量を食べる。
動きやすい機能性のいい服を着て長い長い廊下を大股で歩く。
○と×をつけ続けるテストの採点にあんなに時間がかかるものだとあのときはこれっぽっちも思っていなかった。
職員室はそんなものすごい大人の集まりだと思っていた。
そんな職員室の扉を開けるときはものすごく緊張した。
扉のノブをおそるおそる回し、少しだけ押して中の様子をうかがう。
ほとんどの先生は机の上の書類とにらめっこ。
そんないつもの様子に安堵しながらするっと中にお邪魔する。
あの空間にはきっと色んな悩みや、困りごとが渦巻いていたにちがいない。
そんなそぶりはみせないけれど。
先生もみんなと同じように生まれてきて、大人にかわいがられた時期があって、試験を受けてあの教壇に立っている。
そんな「先生」という魔法のトリックが解けたのは案外自分が社会人になってからなんじゃないかなと思う。
もっと前から知っていたはずなのにうまく完璧な解答までたどり着けていなかったきがする。
そんなことを貫々と考えるのは季節のせいなのだろうか。
2015年ももう11月に突入している。