人世にケジメを

 

佐々木 眞

 

 

ある日私が、まず前菜を、次いでカレーライスを喰い、最後にコーヒーを飲みほしてから外野の守備についていると、突如大空の高みからボールが落ちて来た。
思わず両手を伸ばすとグローブにすっぽり収まったので、観客席は「ナイスキャッチ!」と大騒ぎだった。

球場では、対立する両勢力が泥沼の戦いを繰り広げているので、とうとう本邦最大のヤクザの大親分が仲裁に乗り出して、ケジメをつけることになったのだが、裏世界でケジメをつけることが出来るのはヤクザしかいないからこそ、彼らは廃れないのだ、と私は改めて思い知った。

その時だった。
私は、この際新たにケジメカメラマンになって、世界中で対立抗争する勢力がケジメをつける現場へ駆けつけ、その証拠写真を撮ろうと思いついたのだった。
ケジメカメラマン! どうだ、新しいだろう!

すると山口百恵や桜田淳子、西田佐知子、ちあきなおみなど、
もう2度と歌わないと思われていた歌手たちの一期一会のコンサートが開催されるというので、日比谷公会堂へ駆けつけると、長嶋茂雄という人が、悪くない方の足で私の突進を阻止したのである。

私は腰と辞をうんと低うして、
「長嶋さん、申し訳ありませんが、あなたの長くのびたこの足を引っこめてくれませんか」と頼んだのだが、世紀の打撃の天才児は知らん顔して、あろうことか今度は悪いほうの足まで投げ出す。

頭にきた私が、「長嶋さん、いやさ長嶋。なんてことをするんだ。これでは百恵の写真が撮れないじゃないか。おいらはこれまであんたの大ファンだったけど、今日限り生涯敵に回るぜ」と凄んでいると、王選手や金田選手が出てきて「シゲさん、ええ加減にしろや」と云うてくれたので、長嶋茂雄はやっと両脚を引っこめた。

 

 

 

日常

 

みわ はるか

 

 

新しいシャンプーを使った。
ダークグリーンのチューブタイプの入れ物。
白いジェル状のものが中には入っている。。
黒くて長い髪の先まで丁寧に洗った。
何度も何度も指をとおす。
少し熱いと感じるお湯で流す。
つやつや、きらきら、つるつる。
髪が生き返るように潤いをもつようになる。
ぱんぱんと軽くたたきながらバスタオルでふく。
柔軟剤でふわっふわになっている布。
風量が強すぎるほどのドライヤーで髪を靡かせて乾かす。
水分がだんだんなくなって軽くなる。
少し持ち上げるとなんの抵抗もなくすとんと落ちるようになる。
分け目をいつもの場所と変えてみる。
でもやっぱり気に入らないからもとのようにセンターに戻す。
いつまでもいつまでも鼻をくすぐるようないい香り。
自分の鼻に近付けていい気分になる。
そのいい気持ちのままするんとベッドに入る。
眠る。
いい夢を見られるはずだ。

自分専用の急須を戸棚から出す。
お湯を沸かす。
通販で取り寄せた京都で有名な茶葉を用意する。
陶芸教室で自分で焼いた湯呑をテーブルの上におく。
沸いたお湯で湯呑を温める。
茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。
数分してから湯呑に投入する。
きれいな淡い緑 色の液体。
じっと見る。
上から覗き込むようにじっと見る。
口にふくんでみる。
苦味成分のカテキンがいい仕事をしているなと感じる。
美味い。
心が不思議と落ち着く。
昔住んでいた田舎町の茶畑をふと思い出す。
あの時汗を流して茶摘みをしていたおばあさんは元気だろうか。

歩く。
ひたすら歩く。
川沿いまで着てみると高架下で若者たちが楽しそうにバーベキューをしている。
黒いタンクトップ、花柄のロングスカート、厚底のサンダル、蛍光グリーンの小さめの鞄、肉肉肉肉肉野菜。
あのクーラーボックスにはよーく冷えたコーラが入っているに違いない。
さらに歩く。
新しい建売の住宅が並んでいる。
広い庭がついた洋風の家が目立つ。
よそものの集まりなんだろうけれど、そこからきっと新しい組織ができていくにちがいない。
どの家も日当たりはよさそうだ。
雪が多くて寒い地域だからだろうか。
窓が厚くできているような気がする。
近い将来この辺一帯の家々には色んな名字の表札がかかるのだろう。
それぞれの人生がそこにはある。

普段のなんともないことや想像の世界をを文字にしてみる。
それをつなげて文章にしてみる。
ただそれだけのことがものすごく楽しい。
さらに幸せなのはそれを多くの人が見てくれるところ 。

「見て、聞いて、触れて、感じたこと、想像したことをこれからも文章にしたい」
と思う。

 

 

 

Les Petits Riens ~三十五年はひと昔

蝶人五風十雨録第4回「八月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

 

1981年8月30日 日曜
台風、沖縄に来襲。強風吹く。耕君最後の夏休み。いよいよ新学期だね。

1982年8月30日 月曜
再度レーザー最後の打ち合わせ。シャーマンさんと再会。懐かしき感情が湧く。

1983年8月30日 火曜 晴れ 暑し
錦糸町丸井店にキャプテンシステムが導入されるのを高橋、中島両君と立ち会う。

1984年8月30日 木曜 晴れ
巽君と会う。新日本証券のテレビCMのクリエイティブを手伝う。

1985年8月30日 金曜 雨
台風が江ノ島、腰越に上陸す。家族は箱根に行っている。

1986年8月30日 土曜 晴れ 暑し
「モンティパイソン」を見る。テリー・ギリアムの英国流ブラックユーモアが冴えまくる。夜「第2回ネクスト・アパレル研究会」を10時まで。14名の出席。

1987年8月30日 日曜 晴れ
台風遠方より近付きつつあるらし。セルバンテス「ドンキホーテ」読了。

1988年8月30日 火曜 晴れ
INのテレビCMのパブリシティ仕込む。昨日の梅田阪急の売上なんとわずか3万円。ジェイムズ・アイボリー監督、イザベル・アジャーニ主演の「カルテット」を見る。

1989年8月30日 水曜 晴れ
テレ朝ミュージックの中田、フィルムクラフト大森、大川興業上田、サン小森氏など来社。

1990年8月30日 木曜 晴れ
新橋コロンビアにて「殺したいほどI love you」という詰らない映画を見たり。

1991年8月30日 金曜 晴れ
久しぶりに課会、プレス会。来客相次ぎ夕方には疲労困憊す。帰宅してプルーストを読む。オデットに似た少女を知っている。

1992年8月30日 日曜 晴れ
非常に暑い。残り少なき夏の日々よ。ムクと太刀洗い。藪の中で下痢している。もうすぐお払い箱にするプレーヤーでモーツアルトを聴く。

1993年8月30日 月曜 晴れ
角川社長がヘロイン密輸と常用の疑いで千葉県警に逮捕される。

1994年8月30日 火曜 晴れ
次男が初めて女性のヌードを描く。モデルの性格が出ている。吉祥寺東急と伊勢丹へ行く。シュナーベルのベートーヴェンソナタ全集、ブレンデルのシューベルト後期ソナタ集、グルダのベートーヴェン28番を買う。

1995年8月30日 水曜 晴れ
午後講談社の帰りに真言宗の護国寺を訪ねる。江戸時代17世紀中葉に建てられた豪壮な本殿なり。月光殿は室町時代のもの。墓地に三条実美、大隈重信、山県有朋などの墓があった。

1996年8月30日 金曜 陰
秋虫そぞろに泣きたり。午後永代にて城さんと江角嬢の商品打ち合わせ。

1997年8月30日 土曜 晴れ
盲目となりし哀れなムクと太刀洗いに散歩。右も左も分からぬために地面にへたりこむ。夜10時、次男、取手に帰る。

1998年8月30日 日曜 降ったり止んだり
阿武隈川や中州では大水が出て氾濫。家や車が流された。ムクの足だいぶ良し。ダニもかなり減った。

1999年8月30日 月曜 晴れ
酒井君がコミュニケーション部と事業本部の間でデザイナーが孤立して困っているので組織的対応を取ろうという。

2000年8月30日 水曜 晴れ
新橋でテレフンケンのバロック10枚組買う。バラ寿司580円也。午後1時にマドラにて企画打ち合わせ。5時にダーバンにて慰労会。

2001年8月30日 木曜 曇り
講談社オブラの稿料6万円。散歩に出れば蝉が鳴く。ムクてんで元気なし。

2002年8月30日 金曜 晴れ 暑し
次男、冨士山に登る。午後資生堂ワードの仕事で銀座へ行く。

2003年8月30日 土曜 曇り時々晴れ
次男のために太刀洗いで2匹のハンミョウを捕えしが、1匹は負傷し、もう1匹は死にたり。明日は従弟の結婚式なり。

2004年8月30日 月曜 晴れ 暑し
上京して映画3本。韓国映画「オールドボーイ」面白し。カンヌでグランプリを獲得したという。

2005年8月30日 火曜 晴れ
箱根2日目。ルネ・ラリック美術館と湿性花園を訪れる。総選挙公示。

2006年8月30日 水曜 曇り一時にわか雨
土砂降りの中、5時に久しぶりに施設から帰宅する長男を迎えに行く。

2007年8月30日 水曜 曇り時々小雨
長男より盛んに洗濯物を心配する電話あり。午後ホーミング来たりて自宅改造工事打ち合わせ。240万ほどかかりそう。

2008年8月30日 土曜 雨のち晴れのち曇り
夜中に雷鳴ありて眠れず。午後3人で熊野神社。新しいノートパソコンに次第に慣れる。

2009年8月30日 日曜 降ったりやんだり
衆院選投票日。天気が悪いので投票率が心配なり。午後次男が帰宅したので一緒に投票に行く。

2010年8月30日 月曜 晴れ暑し
秋田旅行の準備をする。久しぶりの家族旅行なり。

2011年8月30日 火曜 晴れ
税務署に呼び出されて30万強ふんだくられる。税金の申告漏れと難癖をつけやがる。

2012年8月30日 木曜 猛暑
文芸社の仕事、来ず。

2013年8月30日 金曜 猛暑
ゆかりさんが母上と愛児を伴い、長男のために訪ねてくださる。耕、大喜び。

2014年8月30日 土曜 曇り
降りそうで降らないがもう完全に秋の天気なり。

2015年8月30日 日曜 降ったりやんだり 肌寒し
早朝、絢子おばさん逝去。94歳。同じ年の同じ日に生まれた私の母は13年前に亡くなったが、2人は一卵性双生児であった。環境の差による人世行路の違いについていささかの感慨あり。
安倍内閣の戦争法案に反対するおよそ12万が、国会を取り囲む。そのほか全国各地で大規模な抗議行動が行われ、平和憲法と直接民主主義に新たないのちが吹き込まれた。参加できなかったのが残念なり。

 

 

長男の浮輪潰して葉月尽 蝶人

 

 

 

日常

 

みわ はるか

 
 

新しいシャンプーを使った。
ダークグリーンのチューブタイプの入れ物。
白いジェル状のものが中には入っている。。
黒くて長い髪の先まで丁寧に洗った。
何度も何度も指をとおす。
少し熱いと感じるお湯で流す。
つやつや、きらきら、つるつる。
髪が生き返るように潤いをもつようになる。
ぱんぱんと軽くたたきながらパスタオルでふく。
柔軟剤でふわっふわになっている布。
風量が強すぎるほどのドライヤーで髪を靡かせて乾かす。
水分がだんだんなくなって軽くなる。
少し持ち上げるとなんの抵抗もなくすとんと落ちるようになる。
分け目をいつもの場所と変えてみる。
でもやっぱり気に入らないからもとのようにセンターに戻す。
いつまでもいつまでも鼻をくすぐるようないい香り。
自分の鼻に近付けていい気分になる。
そのいい気持ちのままするんとベッドに入る。
眠る。
いい夢を見られるはずだ。

自分専用の急須を戸棚から出す。
お湯を沸かす。
通販で取り寄せた京都で有名な茶葉を用意する。
陶芸教室で自分で焼いた湯呑をテーブルの上におく。
沸いたお湯で湯呑を温める。
茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。
数分してから湯呑に投入する。
きれいな淡い緑色の液体。
じっと見る。
上から覗き込むようにじっと見る。
口にふくんでみる。
苦味成分のカテキンがいい仕事をしているなと感じる。
美味い。
心が不思議と落ち着く。
昔住んでいた田舎町の茶畑をふと思い出す。
あの時汗を流して茶摘みをしていたおばあさんは元気だろうか。

歩く。
ひたすら歩く。
川沿いまで着てみると高架下で若者たちが楽しそうにバーベキューをしている。
黒いタンクトップ、花柄のロングスカート、厚底のサンダル、蛍光グリーンの小さめの鞄、肉肉肉肉肉野菜。
あのクーラーボックスにはよーく冷えたコーラが入っているに違いない。
さらに歩く。
新しい建売の住宅が並んでいる。
広い庭がついた洋風の家が目立つ。
よそものの集まりなんだろうけれど、そこからきっと新しい組織ができていくにちがいない。
どの家も日当たりはよさそうだ。
雪が多くて寒い地域だからだろうか。
窓が厚くできているような気がする。
近い将来この辺一帯の家々には色んな名字の表札がかかるのだろう。
それぞれの人生がそこにはある。

普段のなんともないことや想像の世界をを文字にしてみる。
それをつなげて文章にしてみる。
ただそれだけのことがものすごく楽しい。
さらに幸せなのはそれを多くの人が見てくれるところ。

御縁に感謝。

 

 

 

ひと串で

 

爽生ハム

 

 

這いずりあぐね
裸電球は空になっていた。
這えば這うほど
光が背中を刺す。

昼って素材が
現実を借りていた頃です。

普段、僕はそこにいます。
言葉をひっこめて

雲が喘いでいます。
見てますか。
脈の発作がきたら、
蓋をした
家路を探らなければならない。

道すがら
手紙を折って影絵をするのです。
内に、折りこんだ言葉を
道にすてて。

ぐつぐつと妾の中へ
お辞儀をする。
さぁ、参ろう
さぁさ、参ろう
佃煮があるってさ

蓋のない家屋を見かけたら
人のしずくの中を
調べてほしい。

うんと匂うから。

 

 

 

谷崎潤一郎著「細雪」を読んで

 

佐々木 眞

 

 

日本が中国を遮二無二侵していた頃に、
そうして手痛いしっぺ返しを喰らうておった頃に、
大阪と芦屋に四人の美しい姉妹が住んでおりました。

一番下のこいさんは、とびっきりのモダンガール。
おっとりと奥ゆかしいお姉ちゃんを尻目に
駆け落ちはするは、男どもを手玉に取るはの小悪魔ぶり。

こいさんが、あまりにも自己ちうやさかい、
中姉さんは、人知れず泣かはった。
幸子はんは、えんえんえんえん、泣かはった。

もしかすると妙子はんの強心臓には、
谷崎選手なんかをカモにするような、
綺麗で邪悪な血が、流れておったのかもしれへん。

案の定、こいさんは、流産しはった。
こいさんは、バーテンダーのその男と、一緒にならはった。
にあんちゃんの婿はんの貞之助はんが、あんじょうやってくれはったんや。

しゃあけんど、そのあとこいさんは、
二人して幸福にならはったんやろうか?
どうもそうは思えんのや。

こいさんは、またぞろ男をひっかけて、
その男も、こいさん自身も
またぞろ酷い目に遭うんやないやろか。

それからこいさんの上の嬢はんの雪子はん。
悪い噂の所為もあって、何度も何度も縁談に失敗してきた無口な雪子はん。
今度こそハッピーエンドになってほしいんやけど、

そううまく、問屋が卸すやろか。
全三巻の「細雪」を、パタンと閉じてしもうてからも、
どうもそうは思えんのや。

「下痢はとう~その日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ續いてゐた」
この文豪、谷崎潤一郎はんの超大作は、
そんなあまりにも尾籠な言葉で、突然幕を閉じてしまいよる。

雪子はんは、下痢してはる。雪子はんは、下痢してはる。
雪子嬢はんの下痢は、止まるやろか。
東京の晴れの結婚式までに、止まるんやろか。

どうもそうは思えんのや。
気の毒なことに、可哀想なことに、
雪姉(きあん)ちゃんは、あれからずっと下痢してた。

1941年4月27日の朝、汽車が東京に着いてからも、
晴れの結婚式が終わってからも、新婚旅行が終ってからも、
何年も、何十年間も下痢をしていた。

雪子はんの悲劇は、日本という国の悲劇と重なって
昭和一六年春にこの物語が終ってからも、まだまだ続き、
七四年後の今日までも、延々と続いとるんや。

ああ、極東の暗くて寒い国ニッポンよ。
雪子はんの下痢が、果てしなく続くように、
お前の前庭には、いつも不吉な断片が降り注いでいる。

黒くて細かな雪は、
あんたらの目には、見えへんやろれど、
ひらひら、はらはら、降り続けとるんや。

いまは真夏の八月やけど、
確かに今も、降り続けとるんや。
ひらひら、はらはら、降り続けとるんや。

 

 

 

秘 密

 

たかはしけいすけ

 

 

神さまはいる
なんて
言わないほうがいいよ

見せてみろ
って 言われるからさ

きみがウルトラマンだっていうことも
黙っていたほうがいい

おかしいやつ
って 思われるから

ぼくも内緒にしてるんだ

自分が詩人だということは

 

 

 

夏の終わりに

 

長尾高弘

 

 

曇っていていつになく涼しいけど、
神社の杜に入ると蝉がうるさく鳴いている。
蝉が鳴き始めてもう二か月くらいになるだろうか。
最初の頃に鳴いていた蝉はもういないんだろうな。

蝉を探すのは面白い。
鳴き声が聞こえても、
たいていは見つからない。
どっちで鳴いているかは大体わかる。
でも大体しかわからないので、
探してもたいていは見つからない。
何本も木があると、
どの木にいるのかがわからない。
そういうときは、
じっとしていないで少し動いてみる。
聞こえる向きが変わるので、
この木で鳴いているのであって、
その木で鳴いているわけではない、
ということがわかる。
それでも見つかるときと
見つからないときがある。
見つかるとうれしい。
もやもやしていたものが
すっと晴れるような気がする。
カメラを向けて写真を撮る。
鳴いていたら動画まで撮る。
撮ろうとすると逃げるやつもいる。
ずっと遠くにいても気配を感じるのだろうか。

でも、
そんなことも二か月もやっていたら飽きる。
あっちからもこっちからも鳴き声が聞こえるけど、
かまわずに歩いていく。
暗い裏参道を抜けると、
ちょっと明るくなって、
ちょっと広いところに
本殿が建っている。
その本殿の前に来たときに、
ぎゃっというような声を上げて、
何かが飛んできて顔をかすめた。
びっくりしたけど、
すぐに蝉だとわかった。
アブラゼミだ。
蝉というやつは、
あんなに立派な羽を持っているのに、
どうして不細工な飛び方しかできないんだろう。
本殿にぶつかりそうになって
慌てて曲がり、
すぐに地面に落ちた。
落ちた蝉を見ると、
片方の羽がひしゃげていた。
今やっちゃったのか、
もうこんな状態だったので、
あんなにバタバタしていたのか。
たぶんもうじき死ぬのだろう。
最初はちゃんとしている方の羽を
バタバタ動かしていたけど、
だんだん動かなくなっていく。

表参道に入るとまた薄暗い。
少し歩いて行くと、
今度はミンミンゼミが飛んできて、
足下に落ちた。
よく見ると、
この参道のあちこちに
蝉の死骸が落ちている。
小さな蟻がたかっているのもある。
考えてみれば、
蝉の季節も終わりに近づいているのだから、
死骸がたくさんあっても、
不思議ではないのだ。
蝉、蝉、と気安く呼んでいるけど、
よく見ればとても精巧にできている。
2つの目があって4枚の羽があって6本の足がある。
胴体はしっかり作ってあって、
胸から腹にかけての曲線が美しい。
羽はステンドグラスのように小さな部分を集めてある。
簡単に作れるようなものではないのに、
一週間もすると死んでしまうという。
蝉を作ったのが神様ってやつだとすると、
ずいぶんもったいないことをするものだ。
せっかく与えた生命なんだから、
もうちょっと長持ちさせてやればいいのに。
そんな考えは余計なお世話ってものだけど。

死んだ蝉はすぐわかる。
確かめてみたりしなくても、
直観でそうだとわかる。
理屈をこねる前にわかる。
なんでだろう。
昨日は蝉の死骸の上で二匹の蜂がホバリングしているところを見た。
スズメバチの一種なのかな。
やばいと思って近寄らずに急いで通り過ぎた。
あれは食べるってことなんだろうね。
さっきたかっていた蟻もそうだし。

参道を通り過ぎると、
頭上を覆っていた木々もなくなり、
空が広い。
参道を振り返ってカメラを構えると、
ひじの裏側に蚊が止まっているのに気付いた。
反対側の手で叩いたら、
潰れて落ちたので死んだのだろう。
でも蚊が止まっているのが見えたらもう手遅れで、
きっとしばらくすると痒くてたまらなくなるに違いない。
自分で触ったひじの裏側は、
ぷよぷよとして柔らかかった。
これは若いときの張りがなくなったってことなんだろうな。
死んだらこれが硬くなる。