有田誠司
自転車でふたり乗り
靴を脱いで川に入った
暑い夏の午後
心地良い風と彼女の笑い声
彼女の声には魔法があって
流れる水を輝かせた
向日葵の垣根に隠れてキスをした
ふたりだけの秘密のキスを
自転車でふたり乗り
靴を脱いで川に入った
暑い夏の午後
心地良い風と彼女の笑い声
彼女の声には魔法があって
流れる水を輝かせた
向日葵の垣根に隠れてキスをした
ふたりだけの秘密のキスを
ほとんど言わないことなのだが
たまに
言っておいてみても
いいかもしれない
わたしは
じぶんが書くものが誰かに読まれるとは
思っていない
誰かに読まれたことがあるとも
思っていない
いずれは読まれるだろうとも
思っていない
そのように思いながら言葉ならべをする人
わたし
ヘンだとは思わない
わたしは厖大な書籍を所有しているが
古いものは
現代では
まったく読まれていないのを知っている
うちからは十五分も歩けば古書店街に着くが
そこには
かつて発行されたものの
今では好事家にしか見向きもされない本が
まさに山積みされている
本が貴重な尊いものだなどという妄想を一瞬に打ち砕くには
絶好の光景がどこの古本屋にも見られる
書くのが
なにか意義がある
などと
思うのが
どうかしているのだ
書けば
ひょっとして
読まれるかもしれない
などと
期待するのが
どうかしているのだ
読まれたら
どうにかなるのだ
なにかが起こるのだ
などと
考えるのも
どうかしている
読まれる
というのは
書いた者の期待するような読まれ方をする
ということで
パラパラ
ページをめくられて
適当に断片的な言語印象を拾われていくことを意味しない
だいたい
書いた者も
書いた者の未来に
裏切られ続ける
続けていく
本というのは
作ってしまったが最後
死屍累々の紙束のひとつになるだけのことで
それ以上のなにかとして
残るかもしれない
などと
期待するのは狂気もいいところ
ソ連が崩壊し
東ドイツが崩壊してから
しばらくして
マルクス主義専門の古書店に行ったことがある
政治や経済の本はもちろんだが
マルクス主義的文芸批評や文明批評や精神分析の本まで
ごっそりと並んでいて
本や思考や精神が一気に無効化していく現場を眺めていた
『腹腹時計』なども売っていて
あ、これがあれか
これが…
などと
ランボーみたいな反応をしたが
それだけのことで
革命は流産していた
暴力は遠い老人だった
もちろん
本は使いようだから
帝国主義的発想や連合赤軍的文明批評や
オウム真理教による悟り方全書だって
いくらでも価値はある
しかし
それらを論文のための思考の助けに使うことはできなくなる
資料としてしか
もう使えない
その際にも周到に注をつけ
説明を加えながらでしか
使えない
わたしは短歌結社に入っていた頃
毎月発行される歌集をさんざん貰ったり
買ったりしていて
年間で優に数十冊は溜まっていったものだったし
それらのどれもそれなりに面白くはあり
作者の思いというものにそれなりに触れた気になったし
いちいち礼状を書いたし
いちいち感想を書き送ったし
その後に作者に会えば「いい歌集でした」と
紋切り型のご挨拶から始めたものだが
いま手元に残っているのは
もう
一冊もない
ぜんぶ古本屋に売ってしまった
古本屋の中には「こんなの貰っても
ぜんぜん売れないから燃えるゴミなんだよね」と
正直に言ってくる店もあったりで
数十年そんなことをくり返すうちに
歌集というのはまったくなんの意味もないと思い知った
意味が多少とも出てくる歌集というのは
出版社が費用を出してスターを作ろうとする時の歌集で
それ以外の自費出版はなんにもならない
で
スターというのは
どのようにしてなるのだろう?
馬場あき子に何度か言われた
寺山修司は中井英夫のお稚児さんになってまでして
ああして出して貰ったんだからね
中井英夫に尻を差し出してね
なるほど
そうしないと
スターにはなれないのだろうか?
詩集も同じことで
いろいろな人からたくさん貰い続けたものだし
中にはなにかの賞を取ったものや
いろいろと取り沙汰されたものもあったりしたが
引越しのたびに手放し
何度も引越ししたいまでは
もう昔に貰った詩集も雑誌も一冊も手元には残っていない
自分の書いた詩が載っている詩誌さえ
いまの住まいに越すにあたっては全部売ってしまった
あちこちで買い集めた
かつて
ちょっと著名だった詩人たちの詩集も
ほとんど手放してしまった
西脇順三郎全集も売り
ほとんど持っていた入沢康夫もすべて売り
清水昶を売り
清水哲男を売り
飯島耕一だけは好きだが買わなかったので売りさえせず
石原吉郎は残し
ほぼすべてを持っている吉増剛造はすべてを残しているが
たぶんもう読まないだろう
と思いつつ
サイン入りの『熱風』(中央公論社、昭和五十四年)をこの前見たら
これは面白く
見直し始めている
1990年代に盛んに書いていた団塊の世代の詩集は
すべて捨てた
あ
稲川方人だけは手元に起き続けている
あ
堀川正美の『太平洋』の初版は持ち続ける
現代詩文庫はほぼ全部を持っていて
ほぼ全部を読んだが
詩を一度いちおう読みましたというのは意味をなさないので
だから何だ?
ということでしかないがもう読まないと思う
ああ、霊感がいっぱい、あたりまえのこといっぱい*
と
吉増剛造
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき**
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき
この夏の霊魂をのせた一艘の舟が揺籃の地を過ぎるとき
と
吉増剛造
*吉増剛造『熱風』(中央公論社、昭和五十四年)p.66
**吉増剛造『熱風』(中央公論社、昭和五十四年)p.122
ここのところ
アレクセイ・リュビモフのピアノを聴いている
リュビモフの顔は
死んだ
義兄に
似てる
平均律クラヴィーア曲集の第一巻
前奏曲を
聴いてる
繰り返し
聴いてる
そこに
義兄がいて
兄がいる
母がいる
父がいる
中村登さんがいる
桑原正彦がいる
一昨日だったか
朝
河口まで自転車で走った
河口にはサーファーたちが浮かんでいた
ノラたちがいた
空は曇ってた
海浜公園では
ヤマダさんに会った
ヤマダさんはサッカーの選手だった
いまは
育成の仕事をしているといった
義父が亡くなって
みんなで見送ったといった
よくしてもらった
といった
いまあるのはみんなのおかげだといった
感謝しかないといった
#poetry #no poetry,no life
8月30日-9月6日
鳥や蝉を吉濱君のmaxで遅くしていた頃は豊島はまだのどかで、話題に上るのは処理場のことだけだった。
上の水は全部落ちたのではない。虹が映る程度に落ち着いただけだ
比喩なのではない。比喩的なのだ
残り10巻で教えようと思っていたことをネタバレ注意の但し書きなしで吹聴するのが奴らというわけだ
見ても見ても見切れないのはそのためだ
空海のカバラい金
「モーターボートの
湖水を走る
本能の城」
て
ロケットのことだったんだよ露助さん
風物詩
熱帯夜金魚鉢から外に出て浅い眠りを起きる勇気か
憂鬱https://youtu.be/AFn2ogJZoPU
もう森へなんか行かないp81「静寂のなかで黒貂がざわめく」に鉛筆で傍線、William Blake “Tiger”(?)てふ書き込み有驚愕
1世紀以上ユスターシュやってるわけだご苦労さま
ハリースミスはカバラだからだめだ
残雪「突囲表演」はマンボーのさなかに読むと「なんどいえないほど素晴らしい」。もちろん、その「なんともいえない」ことの感じ方は人それぞれであるが。
デュジャルダンと黒田夏子はジョイスを通して繋がるのだが、それによって要支援2とか要介護Iとかのモードに入ったデュジャルダンなどというものが人気のない真剣さとして出版されていかざるを得ないのである
同郷の三品君の二冊目を見る。いま、なにが書けるだろう、とある。そうだろう、タリバンが撃つアルカイックを雑貨と呼ぶ覚悟ならザッカバーグから削除されるくらいの知識は必要だ。
「短歌をたのしく」という百円本の、黄金町の生方たつゑの顔をじーーーーーーーーーーー ✖︎ Xっと見る。ギギの顔は思い出せない。

シンプルなアプローチには勇気が要ります
難解なものや数字はだめです
人を物のように見ない
物を人のように見ない
真実を語るのはなんでも価値があると思っているかもしれないけど、得意そうに悪霊の真実を語るのは意味がない。その組を潰すためにチンピラの性癖のあれこれをスッパ抜いてもしょうがないのと同じことだ。スパッと親のタマを取るのはそれより強い勢力だからだ。
ヨテンボリのマグフォールさんから貰った冷たいブギーを探していたらシングルのテスト盤みたいなのがあったんだけど中にempressも裸で入っていてそれを聴いている雨
冷たいブギーにしてくれ
ジェフリー・リー・ピアースはメイヨの音程とイアンの声質とさらにその二人にはないさらけ出しヨーデルを併せ持った英雄だったんぞなもし

本州を板にパドリング、ですな
https://twitter.com/monaural7/status/1433215101692112897?s=20
アートペッパーとempressは一見関係ないように思うけれど頭蓋の中のコロナ脳を響かせる点で同一のはみ出した音色を持っている
ホンダのガソリン車のアクセルの踏み込みの感じも少し似ている
結果的に命より大事なツイートになっていく
いつの間にか後続の車がいなくなっている
ミキシングの中央のクリック音 異様な前景
これが絵画に於ける象徴界てやつだ
家から出られない猫が幸福であるように金魚鉢の中の人類も自足することが出来る。鏡を貼った店の奥行きに我々は安心する。
水の上を歩き、空に溺れること。虹を逆さに眺めること。
ニコラは泣きそうな笑顔の大柄な人でempressの後はパートタイマーというのをやっていた。泣きそうな大柄な人
bitterendが”貧困”後のカンヌで勝ちに行ったハルキ映画がヒロポン抜きのMC(マイ・チェーホフ)で趣味はフラットアーサーいじめといった通俗ラノベ宇宙の舞台は半導体抜きの日台韓にタクシードライバー経由電通ロードムーヴィー要素。人力のドラムは良かった。
Cesen de amoldarse a este sistema de cosas
金銀銅の序列は文化や版図ではなく滅したり開放したりする関わり方であった。ところが鉄は貴金属とは異なっている。それはひたすら強度に関係している。それは最終的に粘土と対比されるために存在している。
投げ入れて投げ入れて海馬選択岐
洗えば済むと思っているのか
これがそれだ
あれじゃ死ぬわな
と思った
地震の際、水、通信等に関して「なんともない部分」が必ず残っていて、原爆体験がある場合二度生き残ったことになるわけだが、逆にそこが問題なのだった
#poetry #rock musician
近くの神社でたくさんの風鈴が飾られているというのを広報で知った。
風鈴好きのわたしはすぐにとことこと早足でそこへ向かうことにした。
その日はうだるような暑さ、もこもこと存在感をあらわにする入道雲、けたたましい蝉の鳴き声がそこら中で聞こえるような日だった。
黄土色の涼しげな帽子、日焼け止めを露出する肌に塗り、黒いサンダルで出かけった。
サンダルから覗く足の爪は赤かった。
そういえば昨日自分でマニュキアを塗ったことを思い出した。
街は以前のような活気はなくなってしまったけれど、みんな静かに夏を楽しんでいた。
玄関先の朝顔に水をやり、しっかりと庇をつけたベビーカーを母親らしき人が押し、キャップをかぶった若者は汗を滝のように流しながら走っていた。
夏、それだけでなんだかとってもうきうきする。
神社に着いた。
それは見事な風鈴たちだった。
赤、黄、緑、青、紫色の5色が隣同士被らないように丁寧に吊り下げられていた。
風通しがよい場所なので一斉に音色を奏でていた。
同じ方向になびく何百もの風鈴。
首が痛くなるのも忘れてずっとずっと見上げていた。
まもなく夏が終わる。
ものすごく残念で悲しい気持ちになった。
いつまでも見ていたかった。
築100年はたっているだろう茶屋に入った。
小柄で白髪のかわいらしいおばあさんが1人で経営していた。
数席あるカウンターには常連客らしいおじいさんが静かにコーヒーを飲んでいた。
何か話すわけでもなく、ただただ静かに時の流れを楽しんでいた。
縁側には中年の髭もじゃのおじさんがヨレヨレの赤いポロシャツを着て座っていた。
煙草をそっとふかしながら庭を眺めていた。
眼鏡の奥にはつぶらな瞳がひそんでいた。
わたしはあんみつを頼んだ。
少々出てくるのに時間はかかっていたけれど、1つ1つ果物、餡子、寒天がとてもきれいにカットされていた。
甘すぎず、ちょうどいいお味だった。
木造の家屋、昔ながらの柱や土壁、黒電話・・・・・・・。
定休日がなく、マスターの気まぐれでクローズする。
全てのガラス戸や窓が開放されている。
相変わらず蝉の鳴き声が響いていた。
帰りに駄菓子屋に寄った。
昔買ったペロペロキャンディーとショウガ味の豆を購入した。
まだこういう店が残っていることが妙に嬉しかった。
小さなかごをぶら下げてまた来よう。
この時だけは小学生のような純粋で素直な自分になれる気がする。
「夏」、静かな「夏」の終焉をまだもう少し堪能したい。
「浸水からまちを守っています」(*1)
と書いてあった
「まちに降った雨は下水道管へ流れます。下水道管は自然に流れるように少し傾いています。ポンプ所に流れついた雨水は、ポンプで汲み上げ「新中川」へ放流することでまちを浸水から守っています。」(*2)
昭和56年4月、ポンプ所ができた
となりに座っていたけど 一度も口をきかなかった
Kが 泣くのも 笑うのも 驚く顔も 見たことがない
寂しげな 少し困ったような目で 始終黙って 何もしないで ただイスに座っていた
私だけでなく 誰とも話さなかった
授業で指されると 小さなかすれる声で何か言った
ポンプ所開設前の昭和52年
流れ込む下水管を持たない中学校は荒れていて シンナーが流行った
タバコ、万引き、暴力
Kはどれもやらず、 誘われてもいない
似合わない学ランから細い首を出し その首には尖った顎と薄い唇がついていた
Kの世界はいったいどこにあったのだろう
授業が終わり 正門を出る 200m歩き 家に着く
卒業アルバムに載るKの住所(○○荘)は 中学校から200m、ポンプ所のすぐそばで
平屋建ての小奇麗な家が建っていた
アパートと同名の表札がかかるこの「○○」家の裏手にある、同じ平屋の一棟が
きっと○○荘
青白い壁 雨戸が閉まり
駐車場にカラの物干し台が置かれ 一輪車が転がり
静かだった
誰もいないのかもしれないし
これから来るという大雨に備えて 閉じこもっているのかもしれない
Kが 40年たった今も 閉じこもっているかもしれない
ポンプ所が雨水を放流する新中川は、「埼玉県の一部と足立区、葛飾区および江戸川区の広範囲な地域を洪水から守るとともに舟運利用を目的として」(*3)昭和13年に開削が始まり、昭和38年に完成した
その年、私もKも1歳
その新中川にかかる八剣(やつるぎ)橋を
多くの生徒が渡って学校へ行き、また橋を渡って家へ帰る
帰り道 西の空が朱に染まり、遠くに富士山がくっきりと見える
どんな生徒も一瞬「あ」と思い、景色を見る
でも Kの家からだと その橋を渡らなくても学校へ行け、渡らなくても帰れるから、
この橋を 西の空が朱に染まる時間にKが渡ることはない
Kは一日一回きりの 贈り物のようなこの景色をきっと知らない
Kの世界はどこにあったのだろう
KはいまもKの世界にいるだろうか
小ぶりだった雨が次第に強くなってきた
今夜から大雨になるという
その雨の量がある数字を越えると
ポンプ所の努力むなしく
新中川もお手上げで
江戸川や利根川が決壊し、そのどちらか一方でも氾濫すると
Kの家は浸水する
平屋建てなので逃げ場はない
戸を閉めて 静かにじっとしている
あふれだした川の水が低地へと流れ、暴力のようにこのゼロメートル地帯の町を襲うとしても
一時の、シンナーみたいな流行りとして
Kは少し困った顔をしながらも黙ってやり過ごしてしまうだろうか
八剣橋は今、架替工事で風情ある欄干がなくなってしまった
西側に大型マンションが立ち 山も見えなくなってしまった
そんなことも この橋がそもそも必要なかったKには
何の脅威でも悲しみでもないだろう
Kの世界はあるだろう
私は
私の世界は
あるのだろうか あったのだろうか
わからなくて こわくて Kのことを思い出した
家まで行ってみたのだった
(8月某日 ポンプ所そばにて)
*1 細田ポンプ所(東京都下水道局)前の説明板より
*2 同上
*3 三和橋たもとの「記念碑」より
東向きいちめんの型ガラス窓を透かして
なだれこむ中庭の緑
北摂の一隅ちいさな集合住宅の
あかるいリビングダイニングは
ソファの真ん前がシステムキッチン
だから
食べることがメイン
煮ても焼いてもなんて言うけど
ここでは
煮るも焼くも蒸すも揚げるも
避けるわけにいかない
(とはいえ多めの油には及び腰
空0まだ揚げ物にはトライできていない)
三口コンロも広めのシンクも
ソファとサイドボードを並べて置けるのも
古いめ賃貸物件としては破格
つくづく
足りないのは私の料理の経験と腕と知識だな
でも
食べた経験なら年齢相応にそこそこ
家ご飯好きのつれあいユウキのほうが
ひとり暮らし経験もあって料理に慣れてる
のを頼りに
作ってもらう合間あいま
トマトと卵を炒め合わせて塩胡椒振ってみたり
干物をあぶったりまたもや豆腐を焼いてみたり
惣菜パックかかえて帰ってみたり
それで乗り切れるはずもなく
そうだねネット検索
そうだよ図書館で料理本
探すことには慣れてるんだ
なにしろ
話を聞きたい人についての資料とか撮影によさそうな場所とか
手土産に持っていくお菓子とかお疲れさまの食事の店とか
探すのも仕事だったから
それにほらこれ
『料理図鑑』ってタイトルの *
分厚い解説書もあるんだ
食材選びや扱いのコツがこと細かに
オールカラーでも写真入りでもなく
イラストとやさしい言葉とでね
ページを繰っては板ずりだの裏ごしだの
言葉は知っていても
やってみたことないなあなんて
シンク下の食材ラックごそごそ
乾物に乾麺に缶詰
東京をたつ直前は
備蓄しすぎの缶詰をせっせと食べて
未開封の乾物や麺は段ボールに詰めてきた
賞味期限ってどうなのかな乾物の場合
そうだ
高野豆腐煮てみよう
いっしょに干し椎茸、足りるかな
レシピレシピ
ああ小さめのだけど六枚か七枚
ボウルに水そして高野豆腐は三つ
そういえば
椎茸のもどし時間って短縮できるって、
どこだっけ、ああこれ
ぬるま湯に砂糖少々
もどし汁使うんだから
砂糖はそのぶん少なめにってことか
がさりがさがさ
袋をあける出すならべる洗う
ぴぃいっとケトル
おっと沸かしすぎ
ボウルにあつっと浄水足して
ひたす間に、そう
にんじんを
高野豆腐しぼる指がぎとり
油っぽいなんて
食べながら思ったこともなかったけれど
大豆油ってあるものね
おお椎茸のもどし汁
こんなに濃い色だったんだ飴色というか
醤油に砂糖に味醂かくはん
まずにんじんにゅるんと刃をにげる椎茸次いで高野豆腐に
落とし蓋おとしぶた
弱火と言ってもとろ火とは違うよね
ね、と尋ねる相手もいないので
はてなの行列振り切りふりきり
まあなるようになるでしょう
様子見い見ぃって
宙ぶらりん
やっぱりぃ
経験と腕と知恵の足りないぶん
しかたない
それでも
焦がさず煮つめすぎずにんじんかたすぎず
(爪楊枝をそっと刺し)
ほっほっ吹き冷まして口へ
うんまあまあ
汗して帰ってきたつれあいユウキは
「ん、んまい、いいね」
とにっこり
「好きなんだよね、干し椎茸
空0ばあちゃんがよく使ってたんだ」
おばあちゃんが? そうなんだ。
高野豆腐は?
「ん、美味しいよ」
かくてこのとり合わせは
以後
繰り返し登場してよし、とする
それでね
だからさ
高野豆腐に干し椎茸
切らさないようにいつも
でも、でもね
たかいんだぁ干し椎茸
高野豆腐に千切り大根かつお節に昆布
乾物いやとりわけ
干し椎茸もとめてうろうろ
ところが
それがね
その日降り立つバス停
古都東大路通五条あがったあたり
悪縁断ち切る御利益あらたかとか高名なお社手前の店さき
昆布椎茸の小袋大袋みっしりならぶコーナーに
出くわす秋日
町起こし塾の仲間と出かけた地図づくりの課題という一日の振り出しを
するっとわすれた
だってさ
直前に滋賀県産葉つき大かぶらをひとつ手に入れていて
そのうえ抱えあげた大袋は九州産干し椎茸四百五十グラム入り
ふだん手にする小袋や大袋と思っていた中袋のいったいいくつぶん
夫(ツマ)のために乾物
(馬の耳に念仏、じゃなくて)
そう
煮物何十度ぶん
塾の課題あとの空き時間
博物館へはともかく帰りのバスをなぜその停留所で降りたのか
椎茸昆布かつお節の匂いに誘われたのか私は
東大路通をひたすら北上四条通を左折して早足
河原町駅から十三そして宝塚行きに乗換え
型ガラスの窓の部屋へ
大袋と大かぶらにつれあい
「おっいいね」
とひとこと
それでますますあの煮物の出番が増え
たまにひじきや大豆や油揚げと煮ればひとしお
「せっかくなら三つくらい買ってくればいいんじゃない?」
などと唆されたから
ええ
三月に三袋 八月に三袋
もちろん出かければ
干し椎茸だけじゃなくてね
でも
干し椎茸提げて食事会 干し椎茸抱えて美術館
乾物が神仏、見物を上まわってね
そう食い気の産物
東大路通や阪急京都線はさながら干し椎茸みち、乾物ロード
引きずりそうなサイズの手提げに三つ押し込み
がさりがさっと抱え直すボックス席
車体のマルーンカラーまで何だか
干し椎茸の色に見えてくる
*『料理図鑑 「生きる底力」をつけよう』
おちとよこ 文 平野恵理子 絵 福音館書店刊
どんどん広がってゆく
ウィルスの感染拡大
ウィルスは、けつして死なない
別の人の体内で 生き続ける
彼らも生きるのに必死だ
遺伝子を遺そうとしている
私たちの同じ生命
どちらが勝つか
分からない
戦いは ずつと続いていく
いろいろ 理由(わけ)が ありまして
わたしは 半年振りに シャワーを
浴びることに なりました・・・
からだを 立たせたままでは
腰が キツイので
わたしは 浴槽の なかで
あぐらを かく ことにしました
わたしは 半年振りに シャワーを
浴びることに なったので・・・
髪を洗い 次に胸 両腕 というように
スポンジで 体をこすっていくと
たくさんの 垢がでてきました
それから そけい部 両足というように
下へ下へ スポンジを移動させて かかとに たどり着いたとき
「あーん」と わたしのかかとが
喜ぶような 声とともに よりいっそうの
垢を出したのです・・・
「どうしたの わたしのかかと?」
と わたしがわたしのかかとに 尋ねると
「もっと あたしをこすって」と
わたしのかかとが わたしに対して
求めてくるでは ありませんか
「ねえ わたしのかかとさん
あなたは いま どうして おんなことばで わたしに話しかけてくるのですか?」
と わたしがわたしのかかとに 尋ねると
「あたし 別に オカマではありまシェン
あたし じぶんが いま はやりの
LGBTQ の どれに あてはまるか
なんて わからないで シュ シュ
シュッ シュッ シュッ・・・・
でも そんなこと
どーでも いいんじゃ ありませんの?
あたしは もうそんな事 いちいち
カテゴライズしても しょうがないと
思って いるのよ シュッ」
「そうだね わたしのかかとさん・・・
ところで その語尾の シュッていうのは
なんなの・・・?」
「いわゆる オノマトペ でシュよ」
「ああ そうなんだ
わたしのかかとさん もしかして・・・
あなたは 詩人では ありませんか?」
「詩人って 何でシュの?」
「詩人っていうのは ことばを虚構にして
造形化していく 人たちのことだよ」
「ああ そうなのでシュ ね
あたしって 陸上競技のアスリートじゃ
ないから 目や 腿や 胸みたいに
意識されることが 少ないじゃないの?
だから いままで ずっと からだの
脇役だから ほんとうに かなしかった
つらかった もしかしたら
気づかれないまま 火葬されちゃうんじゃ
ないかと 想像したら こわかった
でも きょうは 一所懸命 こすられて
はじめて スポットライトが あたった!
きょうは あたしの 記念日なのでシュ」
「ああ・・・いままで ずっと
気づいて
あげられなくて ごめんね
わたしのかかとさん・・・!」
「いいのよ 気になさらないで・・・」
「わたしに してあげられる ことは
ありますか?わたしのかかとさん」
「そうでシュね・・・」
「じゃあ もっと 強く 強く 強く
こすってください まシュか?」
「ガッテンダだ わたしのかかとさん!」
そうして わたしは わたしのかかとを
ゴシゴシ ゴシゴシ ゴシゴシ
魂をこめて こすり続けました・・・
そうしたら・・・
「あ あっ いいでシュ!
あっ いくっ いっちゃうでシュッ!!」
その瞬間 わたしのかかとは
たくさんのしろいものを 吹きあげました
それは 精子なのか 潮なのか
わたしには わかりませんでした けれど
わたしは わたしのかかとが
なにかに 到達した
ことだけは わかりました
「ありがとう ありがとう!!」
「いいえ どういたしまして
これからは わたしのかかとさんを
もっと 強く 強く 意識して
スポンジで こするからね!!」
「ありがとう ありがとう!!」
いろいろ 理由(わけ)が ありまして
わたしは 半年に 1度くらいしか
シャワーを
浴びることが できないのですが・・・
今日から わたしと わたしのかかとさんのあいだには
あたらしい きずなが
生まれたという わけなのです・・・
夏休みには
川で遊んでいた
近くの雄物川で
泳いでいた
釣りキチ三平の川だった
水底に水草が揺れて
魚たち
水流に逆らって
泳いでた
群れて
泳いでいた
横に並んで
腰を振って
泳いだ
毎日
川で泳いでいた
毎日
川で遊んだ
川には
魚がいた
川には
死体もいた
魚や鳥や猫や犬や豚や
その死体
その骨
流木や小枝や洗剤容器や捨てられた平凡パンチや
たくさん
流れ着いた
夏休みが終わるころ
いつも
空を見上げていた
青空を見上げていた
昨日の朝
河口まで自転車で走った
河口にはサーファーたちが浮かんでいた
浮かんでいた
波を待っていた
#poetry #no poetry,no life