サワガニ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 70     miyuki さんへ

さとう三千魚

 
 

山と山の
あいだに

沢が
流れている

沢は
川になる

沢は
海になる

沢には
サワガニがいる

虹色の泡を
吹いている

山紫陽花も咲いている

 
 

***memo.

2024年5月25日(土)、
静岡一箱古本市の日に水曜文庫での即興詩イベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第二十五回で作った70個めの詩です。

タイトル ”サワガニ”
好きな花 ”あじさい”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

桜譜の風に

 

藤生すゆ葉

 
 

氷と氷が触れ合うと
木枝が波をうつ
空と地面が触れ合うとき
人はそれを雨と呼んだ
ただひたすらに降り注ぐ透明は
一つの線となり
一枚の五線譜のように

丸みを帯びた淡いピンクは
音符になって流れていく

交わり離れて この一瞬をよろこぶように

遠くの傘は風に形をうつして
いつか羽化するのだろうか

青にピンクが重なる昨日は
今日を知っているのだろうか

 

いつもの景色は記憶を好んだ

雨音が記憶の ため息 にかわるとき
その透明は 寂しさを纏わせる
誰にも気づかれない色
そっとそばに寄り添う色

手に触れる散りゆく花びら

 

記憶の片鱗を呼び起こし
やさしい もの を 
あたらしい旋律を

繋がれた色玉の反射は
今も続いている
今も

知らぬ間にできた歪みの記憶すら
愛せるように

そう口ずさみながら
かろやかに風は吹いていた

 

 

 

雨の夜、
子鹿のいるところ ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 69     utano さんへ

さとう三千魚

 
 

子鹿がいる

子鹿のいる
ところに

ハルジオンも
いる

咲いてる

雨のよるに
咲いて

いる

会いに
いく

 
 

***memo.

2024年5月25日(土)、
静岡一箱古本市の日に水曜文庫での即興詩イベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第二十五回で作った69個めの詩です。

タイトル ”雨の夜、子鹿のいるところ”
好きな花 ”ハルジオン”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

季節がよくわからぬ日々

 

ヒヨコブタ

 
 

体調よくないターンに陥る
とにかく寝すぎていて起きていない
ここまでは久しぶりかな
外の風があたたかいのかもわからぬ日々
時折少しだけ歩く
問題の根っこを知っている
と思いこんでいたのだけれど
だとしたら生きるしかないんだ
ここでこの世よさらば! 
なんてまったくの論外
わたしはこの生にしがみついて生きるのだと決めたのだ
けれども年齢的に若過ぎもせず、熟成もされていないちゅうぶらりんのわたしは
何を見、何を書けば生きていけるのだろう
何もかもを見て、何もかもを書き出したいのに
今はその時ではないということか

私のあとに何が残るのだろうな
誰の記憶にもあまり深く刺さらぬ存在でいたいような
けれどもことばだけは誰かのこころに
ずんとくるいっしゅんくらい、あったらいいのに
高望み高望みと、通院帰りをとぼとぼ歩く

 

 

 

よくあること

 

工藤冬里

 
 

泥色の河岸の風景に崩し字の火災が興っている
繋がれた先の犬の色にズボンが当たっている
若布の海水浴場で遠泳を追う
独りで暮らす
巻く料理のように遅くまで碧い残照
電磁波が立っている
流しのステンのひんやり
蛍への虞に崩し字の若布が川を流れている
赤に染めてみる液晶
軸のように野菜
赤い御影石が光って
ジオラマの目線で
会話を始める
高いバンドエイドを買う
透けた角部屋の壁面に赤い崩し字が流れて
苗字がコロコロ変わるミイラ
折り込み広告に児童画

父親が悪魔だというのはよくあることだ

 

 

#poetry #rock musician

早起き ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 68     yuuki さんへ

さとう三千魚

 
 

目覚めた

朝に

雀に
餌をやる

庭の
カサブランカに

水を
やる

まだ

つぼみは
小さい

きみは
きみになる

白く
かおる

花を咲かせる

きみは
花になる

 
 

***memo.

2024年5月25日(土)、
静岡一箱古本市の日に水曜文庫での即興詩イベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第二十五回で作った68個めの詩です。

タイトル ”早起き”
好きな花 ”百合”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

キガキ ガキガキ

 

辻 和人

 
 

キガキ
ガキガキ
ガキ
じゃない

ころっ寝返りいつでもできるようになったコミヤミヤとこかずとん
夜中見守り用ベッドから見る2人の姿が
顔マットに向けてグーグー
うつ伏せまずい、窒息しちゃう
胸と足の下に腕を入れてコミヤミヤ持ち上げる
熟睡中のコミヤミヤ空中で回転させマットに下して仰向けに
すやすや、これで安心
と思いきや
寝返ってころっ
うつ伏せに戻る
するとさっき仰向けに直したこかずとんも
ころっ寝返って
うつ伏せうつ伏せ
顔は横向きになってるからとりあえず呼吸は大丈夫か
せめて顔を少し上向きに角度つけとくか
やわぁーらかな頭2つ動かして
はい、ひとまずこれで様子見

仰向けに直しても直しても
コミヤミヤがころっ
こかずとんがころっ
気道が塞がれて
息が苦しくならないか
まさか死んじゃうんじゃないか
かずとんパパはとっても心配
ころっといっちゃったらどうしよう
キガキ
ガキガキ
ガキ
じゃない

顔が下を向いてると落ち着くね
マットが頬っぺたにくっついてるのって落ち着くね
すーはー、すーはー
ほらね
吐いた息が逃げないで
すぐ傍にあるよ
あったかくて安心できるね
湿っぽくて安心できるね
薄暗くって安心できるね

すーはーすーはー規則正しい2つの寝息
うつ伏せ横向きの顔眺めて
かずとんパパもごろっ見守りベッドに仰向けになる
コミヤミヤ開いた両手の先をちょこちょこさせてたな
こかずとん首をゆっくりふりふりさせてたな
これも息してるからできること

そういやぼくも息はしてるんだった
暗い天井見上げながら
すーはー、すーはー
吐いた息は規則正しく上へと逃げては消えていく
コミヤミヤ、こかずとん
上がポカンと開いた仰向けってのも悪くないよ
ひと眠りしてから
また様子見
キガキ
ガキガキ
ガキ

 

 

 

終活(Ending Note3)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

詩作最優先の生活と、離婚しようかと、考えている。
そして、生活の中から聞こえる詩と、結婚するのだ。

1991年から2018年まで詩集を出して──。
その間30年詩を最優先する生活と共にあったのだが。

………………………………。

詩集の制作費は、もう尽きてしまった。

ところで、詩集を出していないと、詩人ではないのだろうか?

僕は、1918年に今のところ最後になる詩集をだして以降、詩人・さとう三千魚さんが主宰するウェブ誌「浜風文庫」に詩を寄稿させて頂いている。

ここに載せている僕の詩は、僕の死後「未完詩篇」として、纏めるつもりはない。詩集化することもなければ、さとうさんに強くお願いして、「浜風文庫」内に、アーカイブしていただくことも、前提にはしていない。この数年、特にテーマも無く取り留めもなく書いてきているので、散乱したものをいかにも綺麗に整理して、纏めるつもりはないのだ。

ネット上に遺しておいて、どんな1篇であっても、どなたでも読めるように配慮しておくのが、作者としての誠意、時代の趨勢なのかもしれないが、それは、やらない。僕は、僕が、自信を持てる作品だけを、自分が考えられる限りの方法を持って、遺す。

だから、僕の死後は、予めさとうさんにお願いさせていただいて、「浜風文庫」の目次から、僕の名前を抹消してもらうつもりだ。だからといって、僕が詩を書く人でなくなることにはならない。僕が、死ぬ間際まで書いていた事実はぎりぎりこの世に遺そうと思ってはいるのだから。体を張って詩作をしたことには、しっかりと、誇りを持ちたい。

………………………………。

1991年から2018年まで詩集を出して──。
その間30年詩を最優先する生活と共にあったのだが。

………………………………。

僕は、寝食を忘れて、詩作を続けてきた。通勤電車に乗っている時も、仕出し弁当を食べている時も、会社のトイレに入っている時も、煙草休みのひと時も、そして、とうとう勤務時間にまでさえ詩作をするようになってしまい、それが会社の知るところとなり、解雇されてしまった。(一方で、精神の病気の進行もあったのだが、)その時、僕が真先に考えたことは、「やった!これで毎日満足のいくまで、詩を、書くことができる!!」というものだった。

その頃、僕は、紛れもなく、詩と「結婚」していた。解雇後、多少の貯金と退職金はあったので、再就職する気持ちなんて、さらさらなかった。病気療養中に社会に出てしまったので、再就職することなど、到底無理だったのだが。

………………………………。

2018年以降、だんだん貯蓄も尽きてきて、新しい詩集を出せる見込みは、遂に失くなることとなった。紙媒体=詩集、雑誌、同人誌。電子媒体=ネットオンライン、電子書籍など。僕は、詩集の刊行によって、詩作の道を歩んできたので、紙媒体の良さ=手の上の重さや、紙から漂う匂いなどは理解しているつもりだが、媒体の変遷の話に戻ると紙媒体から後の詩の発表媒体は、ネットに移行してゆくとは、ずっと考えていた。そこに、大きな不安はなかったが、驚いたことに、さまざまな分野でネットに、各々の作品を上げて、どこからでも配信することが標準になってきているのに、詩についてはかなり異なっていた。あくまで昔ながらの紙媒体への固執。ことに同人誌への執拗な拘りには、つくづく驚かされてしまった。ある程度、理由はわかる。例えば、縦書きの詩が、横書きになるのが嫌なんでしょう?だったら、時代の変化とともに、「好き」になれば良いのではないか?大概の人がパソコン、スマホを所有している時代になっているのだから、それらを使って、いつでも、詩を書ける、発表できる媒体に移行していけば良いだけだ。編集会議したり、会費を払ったり、発送作業したりする時代はもう終わりだ、と言ってしまおう。

………………………………。

とは言え、作者本位、読者本位を満たす優れた個人メディアを立ち上げて、集客して、運営するのにはかなり特別な能力が必要だ。読みやすくないデザイフォーマットには、人は集まらない。僕自身、何度か、個人メディアを立ち上げようと試みてみたが、自己満足に終わってしまって、どうにも駄目だった。

── そんな時、知ったのが、詩人・さとう三千魚さんが主宰・運営していたウェブ誌「浜風文庫」だった。それは、僕には、とても眩しく感じられた。ネットの宙(そら)に延々と作品が伸びているように感じられたし、読んでいくと作品の質はとても高かった。僕は、早速さとうさんにお願いして、「浜風文庫」に詩を掲載させていただいた。自分が作品を掲載させてもらっているから言うのでは断じてないが、「浜風文庫」は現在リリースされている詩の媒体の中で群を抜いている、のではないか、と推測する。閲覧しない人は、損をする。

………………………………。

「浜風文庫」に詩を掲載している多くの詩人たちは、自らのテーマに添って、やがて詩集に纏めることを考えて、書き続けているのだと思う。
但し、僕の場合は、詩集にまとめる行為はすでに終了してしまっているので、「浜風文庫」で、何を、どのように書き継いでいくのか、戸惑ってしまった。まさに、低空飛行である。自分で納得できる作品を書けているかどうか……実に怪しい。

………………………………。

そんな折、僕は2023年9月に精神疾患者を対象としたグループホームに、幸いにして入居することができた。そこは、東京都の福祉事務所が運営しているところで、そこでのグループホームスタッフとの出会いが僕の曖昧としていた気持ちを決定的に変えた。彼らは徹底的に「人に尽くす」のである。長い期間、自我に拘って生きていた僕には、それは、あまりにも大きな驚きだった。何か困ったことがあると、すぐに駆けつけて来てくれて、最善の解決方法を一緒に考えてくれる。特に感激したのは、忘れもしない2024年2月29日に、「新型コロナ」に感染してしまった時のことである。通所している作業所で寒気と筋肉痛が出て、ふらふらになって帰宅した後、着替えもせずにすぐにベッドに横になり、グループホームスタッフに携帯で連絡をした。するとほどなく体温計と水枕と食糧と飲み物を持ってグループホームスタッフが僕の居室に訪ねて来てくれたのである。熱は非常に高温でなるべく早く病院へ 、という状態だった。スタッフの1人が車を出してくれて、駅前の内科クリニックまで搬送してくれた。その時は、もう手足が思うようには動かず、ストレッチャーが必要なほどだった。── 速攻検査の結果、「新型コロナ」と診断された。薬局に行ったら、薬局はとても混んでいて、かなり待つこととなったのだが、その時、スタッフの1人が僕に深々と頭を下げて発した「言葉」に、僕は感銘を受けたのである。「……お待たせしてしまって、本当に、ごめんなさいね」。それは…、僕が、発するべき「言葉」だろう。

………………………………。

このような出来事があってから、僕とグループホームスタッフの関係は、ぐっと親密になっていった。入浴支援、買い物支援、洗濯・掃除支援のほか、僕の具合が悪い時には、郵便物を郵便ポストに投函しにいってくれたり、クリーニング屋さんに洗濯物を持って行ってくれたりした ── 。
そして、何よりも感激したのは、ある日のこと、僕がグループホームに謹呈した第1詩集『SWAN ROAD』の読み合いが、事務所で、行われていた、ということである。作者冥利に尽きるとは、このようなことを言うのではないだろうか。

………………………………。

徹底的に「人に尽くす」。このようなことを、僕は60歳にして学んだ。彼らにしても、良い歳をして、僕のような、自己満足人間がいることに、驚いたかもしれないが…。
「自分の為に書く」というのは、表現の基本かもしれないが、手渡す以上、「相手の、為にも、書く」ことも、とても重要なのではないか。── 僕は、目が覚めた思いだ。

………………………………。

これから、僕は、幾つまで生きられるかわからない。不摂生をしてきたから、70歳くらいが良いところかもしれない。70歳を過ぎても生きられていたら、デーサービスに通うことになるかもしれないな。
いずれにしても、僕には決めていることがある。「死ぬまで、詩を書くということ」、そして、対象とする読者には、少なくとも、「かならずお世話になっていく、福祉担当者」を含めていくということ」である。

 

(2024/04/21 グループホームにて。)

 

 

 

終活(Ending Note2)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

萌黄色の花が、あつまっている。

萌黄色の着物の端切れのように。

あの方とはもう逢わないだろう。

僕は、もう60歳に達してしまったし、

あの方は、後期高齢者になる。

慈しみあったことも、あった。

狂ったようにいさかいあったこともあった。

でも、手と手は温かかった。

あの方の手の方が、温かかった。

僕は、もう、平和が、いい──。

墓が、2つ並ばなくていい。

萌黄色の花が、あつまっている。

そのときに、思い出されればいい。

 

(2024/04/20 グループホームにて。)

 

 

 

疑似夫婦(Le Couple,)

2023©Cloudberry corporation
 

今井義行

 
 

これから、型式的なことを、書きます。

将来性など、ゼロの、僕が
24歳エス嬢に、婚姻を申し込む──。
「こんな、真正エムの僕ですが
100分間だけ、夫婦になってください」
「まあね、良いわよ!」
グループホームのベッドの上が聖なるチャーチ。
「僕は、生涯に1度だけ、結婚してみたいんです」
「分かったよ。何度も、うるせえ、な」

聖なるチャーチの中で、僕は
なつめさん、の左の薬指に銀の指環を嵌める。
なつめさんは、身長170cmのスレンダーな美貌の人。
「真正エムは、先ずわたしの指令通りに徹底的に御奉仕すること!」
仰向けになっている、なつめさんの上へと、僕はしなしなと跨がってゆく。
「よしゆき。わたしの股間を
これから、徹底的に、お掃除しなさい!」
「はい。なつめさん!」
「それから、お尻の穴を、徹底的に、お掃除しなさい!」
「はい。なつめさん!」
「まだまだ、御奉仕の仕方が足らないね。では、千切れるほど乳首を噛みなさい!」
「はい。なつめさん!」
僕は、ことごとく、なつめさん、の指令に従ってゆく。悦びの、ひと時。時々、烈しい蹴りや平手打ちなど浴びながら…。
「今度は、倍返しで、わたしが、よしゆきを嬲ってやる番!真正エム野郎!」

── エスエムなんて、あまりに型式的なプレイだということは、もちろん承知しているつもりだ。けれども、僕は、なつめさんにどうしても躰を委ねてしまうのだった。全方位的に、誰かに躰を委ねてもよい空間なんて、この世には、滅多に存在しない、と思うからだ。

「お前、アナルセックスは好きか?真正エム野郎!」「はい。大好きです、なつめさん!」なつめさんは、僕の首根っこを摑んで繰り返す。「お前、アナルセックスが好きなんだな。真正エム野郎!」「はい。大好きです、なつめさん!」「じゃあ、四つん這いになって、わたしの方にケツを向けて、なつめさん、ください!と、心からお願いしろ!」「はい。承知致しました、なつめさん!」

「なつめさん!お願い致します。僕のお尻の穴をめちゃくちゃに犯してください!」
「ペニスバンドにローションをたっぷり塗って今からめちゃくちゃにしてやるから、大きな声を出して、よがれよ!」「はい。承知致しました、なつめさま!」……………
それから、僕は、突かれて突かれて、躰が、どうにかなりそうになり、「あーん、あーん!」と烈しく啼いてしまった…。

そんな時、僕は…ふっと思い出してしまった…のだ。グループホームの優しいスタッフ、山神さんのことを。
山神さんは、僕と同年代の御婦人で、毎週木曜日の午後2時に僕の居室に来てくれて僕の渡したメモに添って近所のスーパーで1週間分の食料品の買い物代行をしてくださる方だ。その山神さんが、今の僕の姿を見たら「醜態」だと思って、僕のことを永遠に毛嫌いすることになるだろうか。「福祉」のちからは、個人の至極プライベートな「性癖」までもは、守り切ることはできないものなのだろうか?僕には、山神さんに烈しい悲鳴を浴びせられない、自信というものがない…。

100分間だけの結婚期間の終わりを告げるベルが鳴った。
「なつめさん、どうもありがとうございました。とても嬉しい時間でした。結婚期間は終わったので、銀の指環は外して、そこら辺に放り投げていただいて結構です」
「いえ、わたし、この指環、いただいておくわ、今日の記念に。こちらこそ、ありがとう!」
それから、僕たちは、着替え、手を繋いで、デリヘルの営業車の待つ駐車場へ駆けていった ──。

 

(2024/04/10 グループホームにて。)