ミミズ談義

 

根石吉久

 

写真-641

 

ミミズのことを書こうかと思った。
畑にまたミミズが増えているのである。

畝の脇に通路を作るのに、ポリエチレンのシートを敷き、その上を刈った草で覆ってみた。ポリエチレンのシートは、生ごみ処理用に売られている大型の黒い袋の二辺を鋏で切って作るのだが、開けば90センチ×160センチのシートができる。
90センチは歩くだけの通路には広すぎるので、シートの端を折って下に入れ込んでしまう。これを敷いたら、通路に草が生えて歩きにくくなる問題はまったく解決した。それだけでなく、畑が見通せるようになった。どこに何をやったか、どこが途中までやったままになっているかが見えるようになった。

労力が消失しにくくなったのである。

一つの仕事をしていて、畑の別の場所に行くと、先に片付けなければならない別の作業が見つかることがある。みつかったものを優先してやっているうちに、先にやっていた仕事がわからなくなる。草が生えて、先にやっていた仕事の場所自体がわからなくなることもある。特に梅雨の時期から盆にかけて、どんどん伸びる草がやりかけてある仕事とその場所をわからなくしてしまう。去年までは、草を刈って通路で乾かし、土の中に埋めることを繰り返していたのだが、草を肥料にして草を育てていることになることが多かった。
畑がいつも見渡せると、そういうことがなくなり、労力を消失することがなくなった。去年までと今年とはまるで違う。

シートの上を刈った草で覆うのは、シートが風に飛ばされないようにするためである。草がクッションになって、歩いて疲れないという利点もある。
草は乾いてからも何度も足で踏まれるのでだんだん細かくなっていく。通路の枯れ草はシートによってその下の土と遮断されるので、靴が泥で汚れるということもなくなった。
畑の帰りにコンビニに寄りコーヒーを頼むようなことをしたとき、店の中で靴が泥だらけであることに気づき気がひけたことがあった。今年からそれもない。

今は畝にポリマルチをしないことを試している。ポリマルチをしてもしなくても、畝にはミミズがいない。畝の土に混ぜる有機資材を、刈って乾かした草からモミガラに変えたが、そのことによる変化はない。枯らした草にせよモミガラにせよ、堆肥にしないで、直接土と混ぜたところにはミミズは増えないようだ。

通路に降った雨が畝の方に流れるように、通路と畝の境目になるところでポリエチレンのシートの端をめくり、土を畝に上げて、わずかな傾斜を作るという作業をすることがある。その作業をしていて、通路と畝の境に限ってミミズが増えていることに気づいた。シートの端に近いところは、シートの下にもいるがシートの上にいる数の方が多い。乾いた草が踏まれて、5センチに満たないくらいの枯れ草の層ができるが、その層の下、ポリエチレンシートの上にミミズがいる。通路の草をめくると、ポリエチレンの上をミミズが逃げる。

今は六月で雨が多い。
水を含んだ枯れ草の層の下にいるのは全部ドバミミズだ。

五月にほとんど雨が降らなかった。その間はミミズを見なかったが、雨が降り始めたら、通路と畝の境目あたりの枯れ草をめくれば必ずドバミミズを目にするようになった。10センチくらいの長さのやつが多い。

YouTube で炭素循環農法を広めている人が、ミミズのいる畑はよくない畑だと言っているのを聞いたときはびっくりした。畑にミミズが多いと言って自慢している人は恥を自慢しているようなもんだと言うのだった。
畑をやっている友達にその話をすると、友達もびっくりした。ミミズの多い畑を駄目だというのは初めて聞いたと言うのだ。

その後、シマミミズとドバミミズは住んでいるところが違うなと思った。人間の都合で、有機物の分解過程を腐敗と発酵に区別するが、シマミミズは明らかに腐敗に傾いた土の中にいる。シマミミズのいる土は臭い。

堆肥を積んであるのを見なくなった。今では、「普通の農業」は農機具会社、農薬会社、化学肥料会社に飼われているが、日本人が百姓仕事を熱心にやれた頃は、堆肥の裾にはシマミミズがいたものだ。
子供の頃、鮒を釣る餌を手に入れたいときは、堆肥の裾を木の棒でほじってシマミミズをつかまえた。棒で土をほじると腐敗臭がした。

炭素循環農法の偉そうなおやじが、ミミズのいる畑はよくないと言っているのが、シマミミズのいる畑のことならわからないでもない。シマミミズのいるところは確かに浄化された土とはほど遠い状態の土だ。見るからに酸っぱそうな感じの土だ。食ってみたことはないが・・・。

シマミミズは大きくても7、8センチの長さで、ドバミミズよりはずっと小型だ。ドバミミズの大きいやつは二十センチを越えるようなやつがある。

ドバミミズにはのんきなところがあって、雨が降ると安心して道の上などに這い出す。急に晴れて強い日差しにさらされ、潜り込める柔らかい土がみつけられずに死んでいるのを見ることがある。子供の頃は死んだドバミミズを見て、単にでかいミミズだと思っていただけだった。それがドバミミズという名前を持っていると知ったのはいつのことなのか思い出せない。
子供の頃は、シマミミズとドバミミズが住む環境が違うことには気づいていなかった。シマミミズとドバミミズを名前で区別することはなかったが、違うミミズだとは思っていた。要するに、小さいミミズと大きいミミズという風に区別していた。肌の光の撥ね具合で、違うミミズだということはわかった。

ドバミミズはたまに見るだけだから、どこにどんなふうに生きているのかは謎だった。子供がドバミミズをつかまえることができるのは、ドバミミズが子供の目の前に来たときであり、子供がドバミミズのいるところに行くことはできなかった。この場合の子供とは、ひとまず10歳前後の俺一人のことである。

堆肥を見れば、シマミミズのいるところだと知っていたから、シマミミズは住所不定ではなかった。堆肥のあるところに定住するからシマミミズをつかまえるのは簡単だった。
ドバミミズは住所不定というか、流れ者なのかと思っていた。雨の後、道の上でドバミミズが死んでいるのは、流れ者の行き倒れという感じがあった。シマミミズに較べれば、ずうたいというくらいにでかいので哀れであった。

川口由一の農法を本で読み、真似したみたことがある。真似はごく一部で、「草は刈ってその場に置く」というやり方だけを真似したのだった。朝方寝るような暮らしをしている者には、明るくなったら畑にいるような真似はできなかった。
「草は刈ってその場に置く」をやってみてわかったことは、刈って置いた草の下にドバミミズが増えることだった。ははあ、ドバはこういうところにいるやつだったのかとようやくわかった。いつ自分が大人になったのかはわからないが、ドバミミズの棲んでいるところは、おおざっぱに言って、大人になってからわかったのだった。

草を刈ってその場に置くと、草にもよるが、土と草が接触する部分ができる。根元で刈れば枯れる草なら土とよく接触する。芝草のたぐいは、根元で刈っても、切った茎の芯からまた草の体になる薄い緑が伸びてきて、前身だった枯れ草を持ち上げてしまうから、刈った草と土が接触しにくい。
ドバミミズは、枯れた草と土が接触するところを這って湿った枯れ草を食っているらしい。枯れ草の層は、たとえ3センチばかりの薄い層でも、その下にいるドバミミズに直射日光が射さないようにしてくれる。つまり日光に対する屋根になる。晴れた日には土の中から水気があがってくるから、枯れ草の下部には湿り気がある。そういうところにドバミミズがいる。あんまりみんな乾いてしまったら、ドバミミズは土の下にもぐるだろう。
芝草を刈ったところは、芝草の新しい芽が柱になって屋根は空中「低く」持ち上がってしまう。刈れば新しい芽を出さない草なら、枯れ草の屋根の下部はドバミミズの餌になる。ドバは、屋根の下にいて屋根を食っているのだ。

ドバミミズの餌、乾いた草が水を吸ったものは発酵も腐敗もしていない。発酵と腐敗の中間の状態、どっちかに傾く前のニュートラルな状態の草をドバミミズは好むのではないかと思う。

ドバミミズは活発である。こんなに移動するのかとわかったのは、畝の草を刈っている時だった。「草は刈ってその場に置く」ということをやっていると、ノコギリ鎌が畝の草を刈る震動が土に伝わる。ドバミミズはそれを嫌う。土の中から這いだし、遠くへ逃げようとして這う。けっこうきびきびと這う。しきりに逃げようとする。

ドバミミズの棲息環境がわかった頃は釣りをしていたので、ナマズやコイを釣る餌を手に入れるのに、ドバミミズのこの習性を利用した。畑に行き、畑仕事をするためではなく、釣り餌を手に入れるために、畝の草をノコギリ鎌で刈るのだ。ドバミミズがあわてて這いだしてくる。速く動くから草の間を這っていてもわかる。それを拾うと、10分もかからずに3時間や4時間釣りをするための餌は簡単に手に入るのだった。

酸っぱそうな嫌な臭いがする土、腐敗過程の中にある土の中で、ろくに動きもせずまどろんでいるシマミミズと、緊急事態を感じてしきりに動くドバミミズはまるで違う。
シマミミズは棒で掘り起こされてもろくに動かない。5センチ前後の体をノローとさせるだけだ。場所を移そうなんて気は全然ない。
ドバミミズはずうたいがでかいくせに、移動をいとわない。這うのが速い。シマミミズのように伸びたり縮んだりして進むのではない。長いまま這う。蛇のような鱗はないが、体をくねらせて進む。ドバミミズには明らかに意志というものを感じる。

子供の頃、シマミミズのことを単にミミズと呼んでいた。その頃、ドバミミズには呼び名がなかった。でかいミミズというだけのことだった。ドバミミズ、略称ドバだが、ドバという呼び名は、釣の本かなんかで読んだのかもしれない。

これだけ生活環境も生活態度も違うものを、ひとくくりにミミズと呼んで、「ミミズのいる畑はよくない畑」などと言う炭素循環農法のおっさんは、あまりにも大雑把だと言うしかない。こんなおっさんが好き勝手を言って、シュタイナーだのなんだのとテツガクテキなことをぬかすのを聞くと笑ってしまう。炭素循環農法自体が大雑把で、シマミミズのようにまどろんでいるのだ。

シマミミズとドバミミズくらいはちゃんと区別しろ。そうじゃないと、炭素循環農法自体がシマミミズだ。反農薬でやるかいがない。俺のことじゃない。炭素循環農法にとってかいがないのだ。
川口由一なら、シマミミズとドバミミズの違いのことはすぐにわかってもらえるだろうと思う。川口の農法が俺に一番役だったのは、鯉の釣り餌を手に入れることだったにしても・・・。
川口がシマミミズとドバミミズを区別しないということはないだろう。福岡正信はどうだろう。あの人は大雑把というのではなくおおらかなのだが、シマとドバは区別しないかもしれない。

ドバミミズのいる土は臭くない。枯れ草が湿った臭いはするが腐敗臭ではないし、発酵臭でもない。
ドバミミズの糞ははっきりそれとわかるくらいの大きさがある。丸い糞だが、直径で2ミリくらいある。片手で掬うだけですぐ集まるくらいにポリエチレンのシートの上にいっぱい糞をしてあるところでは、糞を畝に移して土とまぶしてしまう。何が「ミミズのいる畑はよくない畑」かよ。臭わないドバミミズの糞は、そのまますぐに土になる。それが悪い土だとはとうてい信じられない。「俺、ドバミミズの味方です」であるのであるのであるのである。

ドバミミズの糞を畝の土に混ぜてやれば、畝の土は良い土になるんだよ、炭素循環農法のおっさん。ドバミミズの糞を微生物がまた食ってくれるんだよ、おっさん。

炭素循環農法に限らない。川口由一だってそうだ。理屈にとらわれたら、そこでまどろんだシマミミズになるのだ。

いきなりだが、吉本隆明だってそうだったと思う。晩年の談話をメディアがねじ曲げた可能性は考えられるが、それ以前に、朝日新聞や岩波書店を毛嫌いする一方で、原発村から原稿料をもらっていた。そんなことにつべこべ言う気もないが、亡くなる前の発言は、自分が長年言い続けた理屈に自分がとらわれてしまっていたと思う。あの事故を直視して、事故そのものから考えていったとは思えない。起こったことをあまりにも速く判断し、被害を小さく見積もってしまった。ただいま現在15/06/30でも、被害の規模は本当はわかっていないのだ。

吉本は科学に対する信仰と科学者に対する信頼が強すぎた。科学者連中も金で転ぶんだということは多分一度も書いたことがないのではないか。科学者が白を黒と言うことはあるのだ。福島第一原発事故直後に雨後の筍のようにテレビに出てきたやつらを見よ。
そんな連中は科学者でもなんでもないと言うのなら、それはその通りだ。しかし、吉本はいつも科学者には甘かった。

福島第一原発が爆発した後、「原発をやめれば猿に逆戻りだ」という発言を読んで、冗談じゃねえと思った。

吉本は、京都奈良くんだりの四季の風情だけ言葉にする詩人どもを否定したかったのかもしれない。その頃にでも、四季を歌わずに、四季に従っていた百姓たちはいた。百姓たちから搾取したのでなければ、キゾクドモは歌など歌っていられなかった。
その百姓たちがどんなふうに土とつきあっていたかは、記録としては何も読んだことがない。そういうものはまるで残されていないのかもしれない。だからあてずっぽうを言うしかないが、その時代では、土の浅いところに枯れ葉などの有機物を混ぜ続ける「古代農法」とそんなに距離はなかったのではないか。鎌倉か江戸かは知らないが、牛や馬を使って土の深いところまで耕すようになって「古代農法」は廃れたのではないか。記録がない限り、自分が今やっている農法からのあてずっぽうを言うしかないのであてずっぽうを言っている。

「古代農法」という語は、炭素循環農法からの借り物であることはお断りしておかなければならない。

炭素循環農法が「有機物を土の浅いところに混ぜる」と言うとき、「浅いところ」というのがミソである。何度も当てずっぽうで申し訳ないが、「浅いところ」というのが「古代農法」の眼目だろうと思う。それは「耕す」とか「耕起」という観念とは違う。単に「混ぜる」というだけのものだ。5センチから10センチ程度の土を動かすだけなのだ。

土が軟らかくなってくれば、何の道具も要らない。手で混ぜるだけでできる。それを古代の人々が知らなかったとは考えにくい。

「古代農法」というものがあったとして、それはただ想像することができるだけだ。これが農の原形だろうというものを、想像し、やってみることができるだけだ。

奈良時代や平安時代あたりでも、「混ぜる者たち」は「歌う者たち」とはまるで違うものを見ていたのだと思う。眺めて歌う者と、土の硬さや柔らかさを触ることで知る者とは、まるで違うものを見て(観て)いたのだと思う。同じ四季を相手にしていたのであっても、目や耳で「観る」者たちと、手で触って「観る」者たちがいたのだと思う。
身分も糞もなく、その違いはあったのだと思う。

吉本の言葉には、こちらの胸のまんなかにずどんとくる言葉がある。だけど、ずっと読んでいるうちに、なんか違うんじゃねえかというわだかまりがたまってくるのは、吉本が農を知らなかったということなのだろうと思う。おそらく科学ほどには農を知らなかった。そんなことは、俺が東京の下町の暮らしを、暮らしそのものとして知らないことと同じで、知っていたからどうだというのでもない。それは体に根付く前の知識に過ぎないというだけだ。

吉本さんは農村を知らないんじゃないかと正津勉が言ったことがあり、その通りだと思ったことがある。今は、それも違っていたと思う。吉本は農政も農村も知っていたと思う。隣の家の晩飯のおかずまでわかるようなところは、東京の下町も農村も同じだ。それに対する嫌悪や愛着は同型ではないかもしれないが、慣れの度合い、親しみの度合い、それに対するひそかな反発の度合いというところでは同じようなものがある。
吉本は農政も農村も知っていたが、農そのものは知らなかったのだと思う。俺の中にわだかまってくるのはそれだけのことだ。それはしょうがないことなのだ。

俺が読んでいる吉本隆明は、土佐の松岡祥男さんが発行している「吉本隆明資料集」のシリーズだけだが、喉に魚の骨がひっかかったような感じがあって読み続けることをやめることができない。そういう種類のわだかまりがある。

農って何だ。土という基体に触るものだ。土に触る体が知るものだ。土に触る体が知っていくものだ。それは書くという作業に似ていないか。自分が書いた言葉を自分が読んで、反芻される過程が書く作業にはある。
固かった土が軟らかくなっていくプロセスに触り続けることは、畑という原稿用紙にびっしりと字を書くようなことではないか。反芻は、目の前にあり、しかも向こうにある。書くという行為がこっちにあるものなら、農は向こうにある。
菌が世代交代を繰り返し、ミミズが小動物が反芻し、また菌に返す。言葉も、菌であり、ミミズであり、小動物である。目に見えたり見えなかったりし、育ったり育たなかったりする。

俺の農は、市場経済に取り込まれる前のものだ。いや、鍬や鋤や牛や馬以前のものだ。そこにポリエチレンのシートを一枚噛ませただけのものだ。

これは体力のない人にもできる。基本形だけだったら、道具も要らない。ああ、200円で買えるノコギリ鎌一本くらいはあった方がいいか。農薬も科学肥料も農業機械も使わずに、少なくとも自家消費分の野菜を作ることはできる。

農ってのは、タオってことだなとは思うが、それで話が通じるニホンの現在ではない。ひとまず、ドバミミズにかぶせられるフウヒョウヒガイをひっぺがすことくらいから始めるしかないのだ。

 

 

 

Les Petits Riens ~三十五年はひと昔

蝶人五風十雨録第2回「六月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

 

1981年6月30日 火曜
記事欠落。

1982年6月30日 水曜
巴里Rue de Carneの Hotel Stellaに宿す。

1983年6月30日 火曜
AddendaのCM。CⅩのアナウンサーのフィッテング。

1984年6月30日 土曜 曇り時々晴れ
AddendaのCM。ベルギー大使館のシャンタル・コルネイユ美人にて好まし。モデルが地球儀を投げるアイデアは余の演出案なり。久野去り、永原入社。

1985年6月30日 日曜 晴れ
巴里にて朝から夕方まで愛機ベータムービーにてセーヌ、エッフェル、凱旋門、ノートルダム寺院、メトロの中などをライブ撮影。夜Hotel Concorde St.Lazareのバーにて偶然J=L.ゴダールに会う。昨日はスイスのロールの自宅兼スタジオで一緒だった。

1986年6月30日 月曜 曇り
午後電通にてソフィージョルジュTVCM試写。原君の演出なり。

1987年6月30日 火曜
アルフィオにて池田ノブオvs今井広報室長MTG。

1988年6月30日 木曜 曇り
今年の梅雨はうっとおしいが空梅雨ではない。雨も降る。橋本次長、宣伝部長としてダーバンに転籍。

1989年6月30日 金曜 晴れ
ナベプロS課長来社。チョー・ユン・ファの「男たちの挽歌Ⅱ」をみる。日本のやくざ映画からの引用があって笑わせる。

1990年6月30日 土曜 曇り
会社休みて「福翁自伝」を読む。プロパン屋のおじさんがプロパンの運搬で傷ついた玄関の石段を丁寧に直してくれた。次男のテスト結果悪し。前途を憂う。

1991年6月30日 日曜 くもり
妹が黙想会を終えてわが家にやって来た。新宗教家となりて大悟せしか。ユーゴ・クロアチア共和国と連邦軍の戦い再燃の気配あり。

1992年6月30日 火曜 雨
課長会。気合いを入れて報告してやった。マリークレール、GQ、オッジの編集の人たちと会う。

1993年6月30日 水曜 雨
ボーナスでる。去年より多いのか少ないのか分からず。田中さんが庭に植えてくれた桃が
2個なりました。

1994年6月30日 木曜 くもり
午前中かなり大きな地震あり。午後3時より会社の前の大蔵省住宅で不発弾処理あり。村山内閣組閣終わる。副総理兼外相に河野、大蔵武村など。主要部は自民が抑える。
スタイリストの鈴木さんからパーカー万年筆を頂く。余に「啓発された」と仰るが身に覚えなし。

1995年6月30日 金曜 くもり 蒸し暑い
真夏のような暑さの中を表参道、原宿、渋谷とマーケットリサーチ。HMVにてマクベス,死の都、薔薇の騎士のLD買う。1万4千円也。

1996年6月30日 日曜 くもり
昨夜次男がパリに行きたいというので地図を出して説明してやった。
長男と一緒にいると私を嫌って叩くので困る。

1997年6月30日 月曜 晴れ
香港本日をもって英国より中国に返還さる。じつに155年ぶりのことなり。チャールズ英皇太子、マウントバッッテン総督、中国李鵬首相参加の祝典開かれたるが生憎の雨なりき。

1998年6月30日 火曜 晴れ 暑し
失業率1%。午後伊藤忠ファッションシステム、米国マテル社との三者会談。交渉不調ならタカラのジェニー人形と組むという案もある。

1999年6月30日 水曜 雨
昼豪雨あり。余は長年務めた会社を辞するのほか道なきか。

2000年6月30日 金曜 晴れ
午後同文社の前田、斎藤両氏と池袋に無印良品を訪ね、婦人画報メンクラ企画を売り込む。午後五反田ダーバンにてメンズ打ち合わせ。同級の直木賞作家、高橋義夫氏起用案でOKとなる。

2001年年6月30日 土曜 小雨
終日文化服装学院講義の準備をする。

2002年年6月30日 日曜 くもり
W杯決勝戦カーンの健闘空しくドイツ0-2でブラジルに敗れる。北朝鮮が韓国船を銃撃し4名死す。太刀洗にてニイニイ蝉鳴く。

2003年年6月30日 月曜 はれ
昨夜突然次男帰宅し、寿司を喰らいて夜また戻る。3月以来の椿事なり。丸坊主となりてなかなか男前なり。余を前にしていろいろ批判する。頼もしきかな。

2004年6月30日 水曜 雨
台風襲来の余波で、新幹線止まる。義母縁側から転落すれど、さいわい無事なりき。

2005年年6月30日 木曜 雨のち曇り
工芸大の三浦さんは綺麗だ。次男に30万振りこんだので次男よろこぶ。ビデオを買ったそうだ。

2006年6月30日 金曜 曇り暑し*
とうとうたまりかねて文芸社に催促のメール入れる。文化の試験の採点をする。
小泉がブッシュを訪ねて、プレスリー大好き等々莫迦なことを喋っている。

2007年6月30日 土曜 晴れのち雨
カーペットを干した。耕と熊野神社に行ったが例の怪しいメガネ男はいなかった。
先日宮沢元首相が死んだ。

2008年6月30日 月曜 小雨のち曇り
文化服装学院授業。建築課題で都庁タワーに登る。文化女子大講義はネット広告。

2009年6月30日 火曜 曇り
東京工芸大学へ行く。就職相談相手の学生は1名のみ。就職課のS課長は本日より厚木へ転勤となり、厚木から新任女性課長がやってくるそうだ。

2010年6月30日 水曜 雨のち曇りのち晴れ
猛烈な暑さなり。昨夜W杯日本PK戦でパラグアイに敗れる。岡ちゃんも選手もよくやった。

2011年6月30日 木曜 晴れのち一時にわか雨
耕を迎えにいったが雨が上がる。十二所で義姉たちとランチ。従弟の子の障がいありやなしやを案ず。

2012年6月30日 土曜
この日の記録欠落して無し。

2013年6月30日 日曜 晴れたり曇ったり
日経歌壇投稿全滅。市内の商工会議所で行われた高橋源一郎氏の講演を聞く。はなはだ面白し。彼はまた鎌倉に戻り、比企ガ谷辺に住んでいるようだ。

2014年6月30日 月曜 曇り
妻湘南鎌倉病院にてパニック障害の判定。すべて余のなせる業と深く反省するも時既に遅し。

2015年6月30日 火曜 曇り 蒸し暑し
新幹線車内で焼身自殺。2名死亡、負傷者多数。
ギリシアは借金を返せず債務不履行寸前。財政破綻の責はチプラス首相と国民自身にある。もって他山の石とすべし。
歯痛に耐えながら藤沢で息子の小田急回数券、大船で乾電池を買う。

 

東西で宰相居直り水無月尽 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第27回 

 

佐々木 眞

 

 

西暦2015年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

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「をが句愛もラテジナび詩ごで安画ずづレナベデグアジも短匹ら、具女駄ぺ土地うぞ殿鴈てれぴとだんき独輪階じ上舌で、聴わ人選鬱欒きららぺち雲虫郎舎が電畜以欄たですうぬ。だち、あり典膣、具みざて」2/1

(承前)私が自分のパソコンで打って印刷したパンフレットの文章は、私以外の人間には解読できないという不可解な理由で、私は長年勤務していた茂原印刷を解雇されました。さて、この文章、読めるかな。2/1

外付けHDDが壊れてしまったので困っていたら、誰か親切な男が、「大丈夫だよ、ほら、内蔵されていたソフトを全部取り出してあげたからね」と云いつつ、長い天秤棒を振り回しながら、茶色をしたそれらを地べたに丁寧に並べた。2/2

「今日は2月3日の節分なので、神様が天からマナを降らして下さいました」と言いながら、耕君たちにケーキをあげた。2/3

ブリザード吹きすさぶ団結小屋で一晩中ガタガタ震えながら、私は改めて冬山登山は危険だと痛感していた。しかしそれでもなぜ多くの中高年の人々は、冬山に登ろうとするのか?と考え続けていた私に、天啓がひらめいた。人は死ぬために冬山にやってくるのだ。2/2

「緑が必要だ。5月の青空に強烈に映える若草のような緑が! だから私は、そのまだ見ぬ緑を求めて、全国津々浦々の山野をロケハンしているのだ!」と、その監督は叫んだ。2/3

私たち親子がその温泉場に素っ裸で入っていくと、真っ白な大蛇の親子が待ち構えていて、真っ赤な舌をチラチラさせるので、恐怖のあまり私と耕君は、ひしと抱き合った。2/4

或る人が、「○○と人質の命のどちらかを選べと迫られたら、必ず○○を選べ」と云い切ったのは、どんなに人質の体がバラバラにされていても、後から必ず修復できる自信があったからだろうが、首のない人間をどうやって元に戻すことができるのだろう、と私は訝った。2/4

僕らはお国のために役立つ善いことをしたご褒美に、全国を遊覧する無軌道不定期臨時列車を1カ月自由に乗り回す許しを得たのだが、どこへ行こうとしても定期運行の列車が間断なく走り回っているので、危なくてなかなかその隙間を走れないのだった。2/5

フマ君が呉れたペットボトルの水を飲むと、その中に入っていた虫が口の中に入ったのでペッペと吐きだしたが、これは単なる虫ではなく吸血蛭で、彼の家にはたくさん繁殖しているというのであった。2/6

三越の岡田が、自家の銘菓栗饅頭を抛り投げたので、ドタマにきた私が、彼奴に摑みかかろうとしたら、神戸のモロゾフおじさんが、梶川与惣兵衛のように懸命に阻止するのだった。2/6

土地測量の結果、3人の土地所有者のうちの一人である切通氏の所有スペースが無くなってしまったので、氏は残る2人を激しく怨んだ。2/7

バルリン映画祭の初日にメイン会場で上映を待っていたのだが、待てど暮らせど始まらない。そのうちに超満員だったはずの会場がガラガラになり、私はたった一人で取り残されてしまった。2/8

撮影が終わって草原でランチをしていると、北欧生まれの透きとおった肌をした若い女優が、どういう風の吹きまわしか艶然と微笑みながら、その柔らかいからだを押しつけてきた。こういうことは人世では稀有なことなので、絶対に機を逃してはならない。

私が彼女の手を引きながら、鬱蒼と茂った大樹の黒い木陰に身を隠し、大急ぎで抱擁し、接吻し、乳房を愛撫しているうちに、彼女は急速にその気になってきたというのに、私のはまたしても我関せず焉で、物の役に立ちそうもない。嗚呼!2/9

もうすぐ芝居の本番が始まるので、私はさっきから何回も自分の台詞を大声でしゃべったり、全身を屈伸させたりして、一瞬もじっとしていなかったが、そうすれば緊張がほぐれると思っていたからだ。2/10

急激に没落しつつあるユニットMASOPのために起死回生の新作を書けと依頼された私は、七日八夜七転八倒した挙句、四畳半の押し入れの中から出てきた旧曲「みんな、みんな、ありがとう」を恐る恐る発表した。2/10

私がひそかに盗み出したカタログを彼女に渡すと、彼女はとても気に入って5日間貸してほしいとねだる。1日、2日ならともかく、それ以上はとても無理だと断ったのだが、どうしても貸してほしいと、彼女はあくまでもねばるのだった。2/11

朝誰かから電話が来て「飛行機は今日成田から出るやつに乗るんだよ」と云われたが、何時のどこ行きの便かも分からず、チケットはおろかパスポートもないしので、いったいどうしていいのか分からない。2/12

旅行に行く学生には、学校からその費用が全額支給されるのだが、国内外各地の行き先によって値段が違う。だから僕たちは北極や南極などできるだけ遠方の海外旅行を選ぶことにしていた。2/12

旅行に持って行くBGMに何を選ぼうかとさんざん迷った挙句、「バナナボート」か「ビデBIO」のどちらかにしようと思ってヨーコに尋ねたら、即座に「ビデBIO」にしなさいと言うので、どうしていつも彼女のいいなりになってしまうのかと思いつつ、私は喜んで彼女に従った。2/12

中国の有名デパートに台湾の友人と一緒に買い物に出かけたら、その友人がどんどん値切り始めた。いつまでたっても値切るばかりでなにも買わないので、業を煮やした店長がやってきて、「いい加減にしてくれ」と怒鳴って、僕らはとうとう追い出されてしまった。2/13

敵のサロチュウ軍とわれらハクコ軍が一蝕即発の事態を迎えていたので、某国が仲介に立って国連監視団の派遣を要請したのだが、その間情勢はますます緊迫し、ふと外を見回すと、私と吉田が乗った戦車を両軍がずらりと取り囲んでいた。2/14

錦織の私は、テニスの試合を前にしていろいろ慣れないことをして疲労困憊していたので、肝心の本番では実力を発揮できず、無様な姿で敗北してしまった。2/15

ふと気付くと、何匹ものカツオが三艙の船の上に降り注いでいたので、私は網を海に入れる作業をただちに中止して、空から落ちてくるカツオを捕まえることに全力を集中するように指示した。2/15

ここアンデスの山奥深くに埋められていた茶色い金属の板が偶然発見され、これが地球各地の古代世界で共通して使われていた「カロン」という単位の重量原器であることが分かった。1カロンはだいたい1キロに相当する。2/16

商標課からこの営業部へ配転になった男は、わが社の製品につけられているすべての商標がもぐりであるから、1日も早く販売を中止してほしい、と会議のたびに訴えたが、誰も耳を傾ける者はいなかった。2/16

私が働いている外資系企業には、政治的チョンボで首になった渡辺氏や英語やフランス語はペラペラだが日本語が全然出来ない帰国子女などのユニークな社員が大勢いたが、なぜかうちの耕君もそのメンツに加わっていて、3時になると好物のキャラメルアイスを美味しそうに舐めるのだった。2/17

お隣のМサンちに、いつの間にこんな可愛い子供が生まれていたのだろう。大きなかまぼこ板に乗せられたその子の首には、目も歯も口もちゃんとついているのだった。2/18

ある企業の新任ADとして招かれた私は、先輩ADと事あるごとに対立競合していたが、企業CMの製作では2人とも社長にギャフンと言わされた。彼は私たちの案の「小異を乗り越えて大同につく」という手法で、大成功したのだ。2/19

先輩はその企業製品の機能性を、私はデザイン性を強調するプランを提示したのだが、したたかな社長は、「会社は機能やデザインより、やっぱり人だね」と云って、創業を共にした90代の3人のOGを引っ張り出して福知山音頭を踊らせたのだった。2/19

今世紀最大の天才と天才少年が一堂に会したので、大きな話題になった。まず天才が「お前は誰だ」と聞いたら、天才少年は「糞ったれ」と応じたので、世界中のメディアが「糞とは何か?」「誰とはたれか?」と大騒ぎになった。2/20

まず前菜を喰い、次いでカレーライスを喰い、最後にコーヒーを飲みほしてから外野の守備についていると、突如大空の高みからボールが落ちて来たので、思わず両手を伸ばすとグローブにすっぽり収まったので観客席は「ナイスキャッチ!」と大騒ぎだった。2/21

対立する両勢力が泥沼の戦いを繰り広げているので、とうとう本邦最大のヤクザの大親分が仲裁に乗り出してケジメをつけることになったのだが、裏世界でケジメをつけることが出来るのはやくざしかいないからこそ彼らは廃れないと改めて知った。2/22

そこで私はこの際新たにケジメカメラマンになって、世界中で対立抗争する勢力がケジメをつける現場へ駆けつけ、その証拠写真を撮ろうと思いついたのだった。ケジメカメラマン!どうだ、新しいだろう。2/22

すると山口百恵や桜田淳子、西田佐知子、ちあきなおみなどもう2度と歌わないと思われていた歌手たちの一期一会のコンサートが開催されるというので、日比谷公会堂へ駆けつけると、長嶋茂雄という人が悪くない方の足で私の突進を阻止したのである。2/22

私は腰と辞をうんと低くして「長嶋さん、申し訳ありませんが、あなたの長くのびたこの足を引っこめてくれませんか」と頼んだのだが、世紀の打撃の天才児は知らん顔して、あろうことか今度は悪いほうの足まで投げ出す。2/22

頭にきた私が、「長嶋さん、いやさ長嶋。なんてことをするんだ。これでは百恵の写真が撮れないじゃないか。おいらはこれまであんたの大ファンだったけど、今日限り生涯敵に回るぜ」と凄んでいると、王や金田選手が出てきて「シゲさん、ええ加減にしろや」と云うてくれたので、長嶋茂雄はやっと両脚を引っこめた。2/22

折悪しく春一番が吹いて一睡も出来なかったので、私は夢と眠り、眠りと夢の間を区切る鉄板を大量生産し、その2つの間に建ち上げるのに大わらわだった。2/23

開演5分前になったのに、誰ひとり聴衆がいないので、私はだんだん不安になった。このT先生の大講演会は私が企画し入場券を売りだしたから、このままでは経済的に破滅してしまう。

開演時間がやってくると先生は無人の会場に向かって「ザウルスというてもフジザウルス、ウツボザウルス、エレクトロザウルスなどなどいろいろな種類のが別々の山で美味しい水を飲みながら楽しく暮らしているんだ」と云ってワハハハと豪快に笑った。2/23

M社に投稿した短歌が入選したので喜んでいたら、似たような短歌をA社にも投稿していたことに気がついて大慌てしているうちに朝になった。2/24

ガス屋さんがやってきて配管工事をしてくれたのだが、待てよ、昨日大工さんは、「ガスの配管はとっくに終わっているから何もしなくても大丈夫ですよ」といっていたことを思い出した。はて、どっちが本当なのだろう?2/24

悪ガキどもがうちの耕君をいじめていたので、私は彼とワルツを踊る振りをしながら様子を見ていた。するとそのうちの一人が突然襲いかかろうとしたので、私は耕君を巨大な振り子ブのようにいったん遠くに飛ばしておいて、ガツンと彼奴にぶつけた。2/25

すると、私の手を離れた耕君は、その悪ガキもろとも物凄い勢いで、よもつひら坂を転がり落ちていった。周章狼狽した私は、急いで真っ暗な坂道を駆け下りて愛する息子を探そうとしたのだが、坂下から広がる黄泉の国は真っ暗で何も見えなかった。2/25

彼女はラテン、ギリシア、英独仏露語を自在に操るカリストと聞いていたので、もしかすると日本語もできるのではないかと思って、私は学食でコーヒーを飲んでいる彼女に「やあ、こんにちは」と話しかけたのだが、女のキリストのように微かに頬笑んだだけだった。2/27

はじめはいつもと同じ坂道と見えたのに、登れども登れども、いっこうに行程がはかどらない。それでも我慢して急峻な坂を登攀しているうちに、翻然と悟った。いつの間にか私の体がいつもの三分の一くらいに縮んでしまっているのである。2/28

「世界何でもギフト本舗」の高橋という人からメールが舞い込んできて、全世界の恵まれない人々のために貴殿の短歌を寄付してくれないか、という申し出があったのだが、それはいったいどういう意味なのか分からず、私は途方に暮れていた。2/28

 

 

 

Les Petits Riens ~ 三十年は一昔

蝶人五風十雨録「五月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

 

1981年5月30日
花巻で宮澤清六氏に頂いた賢治の「貝の火」を読む。

1982年5月30日
藤沢にて「第9回神奈川県県域自閉症連続講演会」を開催。聴衆約200名。講師は東大の太田昌孝先生。併せて県域親の会総会も開催。

1983年5月30日 快晴
サミット閉幕。次男が燕の巣を壊す。壊された人が怒り狂って妻、但任の先生平謝り。友人に軽々に同調してしまう弱さが問題なり。

1984年5月30日 曇
婦人服アデンダのテレビCM「建設会社編」を、六本木スタジオAbiにて撮影。帰宅して深夜まで「宣伝会議」の生徒の課題添削をする。

1985年5月30日 晴
池袋サンシャインで「チェーンストアフェア85」をみる。この頃、三半規管がおかしい。地軸がずれる。

1986年5月30日 雨
新橋TCC試写室にて「モロン」みる。SFお笑いカルトの怪作。半蔵門ぴあにて「インディアン・キャバレー」をみる。インドの女流監督によるドキュメンタリー映画なり。

1987年5月30日 曇
会社を休んで、次男の授業参観。国語の時間で高見順の「われは草なり」の詩鑑賞。意欲的な教師だが、子供には退屈だろう。

1988年5月30日 晴
ユミリオ・エステベスの「WISHDOM」、エリック・ロメールの「友だちの恋人」をみる。後者はありそうな話をありそうに描き出す才人ロメールの気取りのない佳作なり。

1989年5月30日 にわか雨
3日続けてにわか雨。早くも夏か。デパートは消費税のあおりで売上落ち込む。博報堂の営業担当がはじめて来社。

1990年5月30日
「フンクイの少年」をみる。侯孝賢の初期の自伝的映画なり。夜、池田ノブオ氏に御馳走になる。

1991年5月30日木曜 晴
会社休む。長崎雲仙岳で溶岩流出の大災害。ソクラテス最期の日の言動を「弁明」「クリトーン」などで読む。

1992年5月30日土曜 曇時々雨
会社を休む。長男に付き添い、彼が材木座の散髪屋で髪を切られるのを見守る。

1993年5月30日日曜 降ったり曇ったり
「杜詩」とシューベルトのCD2枚を買う。雨上がりにムクと太刀洗まで散歩。妻の父母来たりて、共に「鎌倉古寺地図」をみる。

1994年5月30日月曜 雨後晴
久しぶりに会社へ行く。部下の女性はみな年収が上がっているのに、俺は去年と同じだ。妻は長男を高尾山の麓の本屋まで連れて行ったそうだ。

1995年5月30日火曜 曇
大阪出張の足を伸ばして奈良国立博物館の「日本仏教美術名宝展」をみる。空海、最澄、聖徳太子の真筆、平家写経など素晴らしき眼福なりき。されど大仏、三月堂には失望す。

1996年5月30日木曜 曇
会社休みて静養す。長男は今日から「ゆりの木ホーム」に短期入所。ムクと太刀洗を散歩する。

1997年5月30日金曜 晴
会社に電話ありて、次男のカメラがマニュアルにできるか問い合わせあり。次男、夜帰宅す。

1998年5月30日土曜 陰
失業率4.1%と過去最高。米国並みなり。パキスタンが再度核実験を行う。夜妹より夫婦間のことで電話あり。

1999年5月30日日曜 快晴
素晴らしき5月の好天なり。妻と長男は炎天下知的障がい者のスポーツ大会「ゆうあいピック」に出席したので、赤く日焼けして帰宅。ムクのダニを50匹ほど取って罎に入れたり。

2000年5月30日 火曜 晴暑し
午前、六本木篠山事務所の隣にあるエース社渡辺氏を訪ねる。webサイトの仕事をしているらし。午後集英社「メンズノンノ」編集長石井さんを訪問。「ロードショー」の田中洋子編集長を紹介してもらった。

2001年5月30日 水曜 雨時々曇
ムクと散歩。ジャコウアゲハ、エノキにテングチョウ見ゆ。昨日飛んでいた4匹のアオスジアゲハはもういない。講談社、小学館、文芸社より連絡あり。

2002年5月30日 木曜 晴
駅前の早見美術学園でメンズモードの講義。妻と海岸近くのレストランで仏蘭西料理を食す。気の早い人がもう海で泳いでいた。

2003年5月30日 金曜 晴
文化学院で講義、第8回。商業施設論の途中まで。新橋森第一ビルに鴨澤さんを訪ねる。「夕映えの道」をみる。

2004年5月30日 日曜 晴暑し
3人で熊野神社へ行く。夏日で蒸し暑い。文芸社リライトやる。

2005年5月30日 月曜 雨
文化学院講義。EU加盟国25なのに23しか列挙しなかったと学生に指摘され、焦る。ルーマニアとブルガリアが抜けていた。元貴乃花の二子山親方死す。55歳なり。

2006年5月30日 火曜 晴れたり曇ったり
夕方工芸大で映像科の女子学生が就活相談で駈けこんできたが、責任者の橋本氏にバトンタッチして帰宅。今村昌平死す。79歳。

2007年5月30日 水曜 雨
南長崎の画廊に次男のグループ展をみにゆく。作品は1枚8万5千円なので、買ってやってもいいのだが。

2008年5月30日 金曜 曇
中野坂上工芸大、若干名。疲れる。

2009年5月30日 土曜 曇時々雨
妻と一緒にNHK共同アンテナの積立金払い戻しについてのチラシを各戸に配り歩く。なんでも1軒あたり3万円還ってくるとか。

2010年5月30日 日曜 曇
民主党連立内閣から社民党が離脱。普天間基地移転問題の署名を拒否した福島大臣を罷免した結果なり。

2011年5月30日 月曜 雨後曇
文化講義、専門学校と女子大で授業2連発。

2012年5月30日 水曜 曇後晴
3年ぶりの箱根。午前中に湿性花園をみて午後4時に帰宅す。

2013年5月30日 木曜 曇時々小雨
妻と大和へ行きニトリで長男のベッド、無印良品で机と椅子を買い、6月9日に彼が入居するホームに納品してもらうことにした。

2014年5月30日 金曜 晴
文芸社リライトの依頼あれど、その料金異常に安し。

2015年5月30日 土曜 快晴
太刀洗にて無数のルリシジミをみる。この蝶は毎年特定の日に大量に発生するのである。例年より早くサラシナショウマの白い花がたくさん咲いていた。小笠原沖でM8.5。 この頃地震多し。遠からず列島マグマ大爆発するらむ。夜、妻と森戸橋に行きてホタルをみる。

 

 

戯れに死者の名で呼ぶ蛍かな 蝶人

 

 

 

今日も駄目の人

 

根石吉久

 

 

私は、百姓の真似事をやる他に、英語塾もやっている。主にインターネット上で、スカイプというソフトを使っているので、生徒の住所はあちこちだ。かつては北海道から九州まで、今は山形県から福岡県までか。よくわかっていない。一度も顔を合わせたことのない人たちにレッスンしているので、なかなか住所も覚えられない。レッスンを始めるときに、一応住所を教えてもらってあるが、手紙でも出すようなことがなければ住所を調べることもない。
スカイプを使うのにカメラを使うと、音声が途切れたりすることがあるだろうと思いレッスンでは音声だけでつなぐ。この場合、都合がいいのは、私の顔や着ているものが相手にわからないことだ。
畑で百姓をやっていて、軽トラックに戻って時間を確認したら、レッスン開始まであと10分しかないというようなことが何度かあった。百姓仕事の道具もやりかけの仕事もほったらかして帰宅する。シャツにモミガラがくっついているし、手の指の爪の先には黒い土が入っているし、顔は日に焼けてまっくろけのケだし、ぼさぼさアタマだし、要するに英語のレッスンのコーチにはとうてい見えない。カメラを使わないでいてよかったと思う時は、そんな事情の時でもある。
ところが、通塾の生徒の前で姿を見られないままレッスンすることはできない。仕方がないので、畑から舞い戻ったばかりの格好でレッスンすることがある。泥のついたシャツ、泥のついた手、砂埃でジャリジャリする顔や首。

入塾したばかりの生徒が、私の格好を見て馬鹿にしたような顔をすることがある。

そういう生徒は、なるべく早く退塾してもらうようにしている。がんがん怒鳴りつけたりもする。英語なんかやる以前の問題が親にあるのだと思う。泥がついていたり、砂ぼこりが髪の毛の間から落ちて、机の上がジャリジャリしたり、英語で言うところのred neck であったりする者を、小馬鹿にするような目つきで見る者の家の中でも、親たちにそういう感覚があるのだと思う。言ってみれば、第一次産業の格好を馬鹿にする感覚と言えばいいのか。第一次産業の人口がどれだけ減っても、泥や砂を馬鹿にするような者は、俺がお前の英語を馬鹿にしてやんだよ。そんな根性のやつが英語なんかできるようになったってろくでもねえし、くだらねえ。

その昔、家を自作したので、コンクリートをよく練った。コンクリートも服に付着するとなかなか取れない。
東京で娘が学生をやっていた頃のある日、現場でコンクリートを練ったまま、着替えもせずに新幹線に乗った。新宿の紀伊国屋の前で待ち合わせていたので、紀伊国屋の前で娘が現れるのを待った。なかなか来ない。かなり待ってから、娘が人混みの中に立ち止まってこちらを見ているのをみつけた。こちらから娘に近づいて、なんで立ち止まっているんだと訊いたら、「わかんないの?」と言った。「お父さんの周りだけ、人が何十センチも離れて立ってるんだよ。汚い服に触るといやだから」と娘が言った。そういえばそうだったかもしれないが、別に気にもとめなかった。
住んでいる千曲市というのは田舎で、田舎にいれば人が10センチとか20センチのところまで近づいて来るなんてことはまずない。長野駅に行けばあるだろうか。長野駅でも30センチやそこらは人と人が離れている。50センチや60センチ離れていることだっていくらでもあるので、紀伊国屋の前でも60センチや70センチ人が離れていても普通だと思っていた。

新宿を歩きながら、レストランの脇を歩きながら、「ここで飯食うか」と聞いたら、「駄目だって」と言われた。曇りのないガラスから店内を見ると混んでいたので、あまり味で外れないんじゃないのかと思ったのに。

私は今日も「駄目だって」のままだ。
今日は里芋の種芋を土の中に埋めた。

 

 

 

幸福な時間

 

みわ はるか

 

 

給食をかきこむように口に運んで、時計を気にしながらいそいでトレイを片づけた水曜日の午後。
一番に到着したと思った図書室にはもう大勢の下級生の姿が。
いつもは均等に配置されている4人掛けの机は隅においやられ、椅子だけが同じ方向をむくように列をなしてきれいに並べられている。
その先にはちょっとしたカウンターがあり、みんなを少しだけ上からみおろせるようになっている。
これから始まる有志の保護者による「お話玉手箱」、本の読み聞かせの会をみんな心待ちにしている。
小学校6学年のほとんどが集うこの時間、図書室は満杯になる。

図書委員長のわたしははじめに 簡単なあいさつをすませ、いつものポジション、一番後ろの壁にもたれかかる。
すぐ後ろの窓からはさわやかな風が舞い込んでくる。
不思議なのは普段そんなに図書室で見かけないような顔がたくさんあること。
毎週この時間だけは広い運動場がいつもより寂しく見える。
みんなが同じ方向を食い入るように見ている。
少しも聞き逃さないようにと耳を傾けている。
そんなみんなの頭を後ろから眺める自分。
感じることは違っても、同じ時間、同じ場所、同じものを共有する。
こんな時間が大好きだった。

トイレの中にも本をもちこんで長い間籠ることがあった。
一度読み始めると食事や睡眠の時間でさえも惜しいと感じた 。
卒業文集の友達への一言の欄には「もっと外で遊んだほうがいい。」と書かれたのはいい思い出だ。
そのせいかどうかはもう覚えていないが中学生時代テニス部に所属している。
図書室にある本は全部読んでやると本気で思っていた。
自分の好きな作家の新刊が出続ける限り生きていく。
大袈裟かもしれないけれどそう心から強く誓ったのもあのときだ。
小説、エッセイ、詩、伝記、専門書・・・・・あらゆる分野の本に目を通した。
田舎の小さな町で育ったわたしにとって、色々な世界を見せてくれる図書室はまるで宝石箱のようだった。

成長して、ふと母校に立ち寄ることがある。
自然と足がむくのは決まって図書室だ。
そこには配置こそ変わっているが、ところせましと本がぎっしり並べられている。
少し黄ばんだページを見つけるとなぜだか妙に懐かしい気分になった。
あのとき読んだ本を、あのときの自分と同じくらいの年の子が手にとっていると思うと無性にうれしかった。
残念なのは当時あった「お話玉手箱」の時間がなくなってしまったこと。
いつか復活することを願っている。

雲ひとつない青空が広がるとある日。
こんな日でも無意識に本に手がのびる。
「こらっ、たまには外で体でも動かさないと!」
旧友の声がどこかから聞こえたきがした。

 

 

 

Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.(1)

※2014年10月末から2015年3月までの渡辺洋さんのツイート、FBポストの一部です。

 

渡辺 洋

 

2014年

10月28日
Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.

11月2日
いやはや、今、ちょっと肺と十二指腸を診てもらっていて、いま、ちょうど中日です。それはそうと、こんな日なのに、私の詩集『最後の恋 まなざしとして』(書肆山田)が出ました。できれば買ってください。
hontoでは http://honto.jp/netstore/pd-book_26433803.html
紀伊国屋では http://www.kinokuniya.co.jp/disp/CSfDispListPage_001.jsp…
何か、本屋に行って注文した方が早そうな。/Users/michiosato/Downloads/渡辺洋ツイート1411-1503/渡辺洋ツイート1411-1503.txt
ヘイト・クライムや同調圧力に対する差別などに対抗したものです。
ね、Yoくん、Dくん、Fくん、Sくん、Yaくんほか。

11月12日
個別に答えてるのも何なので、ここでぶっちゃけ話してしまうと(と言ってもそれを話すのも今やっとなのだが)、まあ、肺と肺を原種とする十二指腸潰瘍になってしまったわけです。うん、そういうこと。

11月24日
さっき久しぶりに書いていたら、記述を間違え、薦田さんにご迷惑かけました。えっと「プロフィル欄」の記述を新しい記述に変えたいのですが(癌ではなくて、新刊の記述に)どうしたらいいでしょうか。それがうまく行けば新しい記述の流れにできると思います。

久しぶりに再開。また英語で1行目はと思ったのだけれど、考えてみたら英語での波及度が低い内容なので英語にします。2か月くらい前に体に小さな異変を感じて、いくら何でもそんなはずはと頑張り、結局異変は癌でした。今やっと、グレード4の治療計画が決まり、脳の治療をやって帰って来たところ。

11月25日
おはよう。今日はたぶん会社に行って、社長と現場にあいさつ。これでしばらく通退院を繰り返すのかな。ま、その間に、次のペースをつかみたい、生きていればね。

いやはや、再開のコメントで「英語で」「日本語で」というのを、さっそく「英語で」「英語で」とやっている。ま、最初はこんなものかな?

再入院待ち。

11月26日
再入院待ち。と言っても事態は深刻さを待つものかもしれず。いずれにしてもベッド空き待ちというのはいい気分じゃないです。脳の治療はきつかったにもかかわらず本人は麻酔でクリアしちゃったけど、次に待ち受けるのはまた怖い検査なのかな、とか。

一昨日書いた「グレード4」は「ステージ4」の誤り。

11月27日
7月に発案した、清水哲男さんの評論集、まだ文章集めは9割弱だけれど、書肆山田のお二人がオリジナルの対談を送ってくれたのを読む。友達たちにメール。

いやあ、ぼうっとしていて、たとえば25年近く一緒に働いてきたYさんやアイドルの水原希子ちゃんの名前が出て来なかったり、一昨日も社長あいさつと現場の引き継ぎはしたけど、現場全体へのあいさつはしたかなとか(したとのこと)。まあ、これは脳腫瘍の治療のおかげで楽になったみたい。

ぼくの場合、①肺癌→②十二指腸癌→③脳腫瘍、というセットとのことで、脳腫瘍の治療だけは何とかできたとのことで、肝心の癌治療の方は入院さえできていない。この間、声枯れとか、「生まれて」初めての浣腸とかいろいろありますが、それはゆっくり。

いやあ、入院待ちっていらいら。急患じゃないと入れてもらえないの? 少なくとも今週はもう入れないことに。

少なくとも今週はもう入院できないことに。って、うちの彼女がもっと速くと強硬に病院にごり押ししてくれているから、ぼくは大人しくしているだけなんだけど。

週末、あまりに暇でおかしくなりそうなので、友達のアポを一つゲット。友達、少ねえ~(笑)。

石井輝雄監督の「網走番外地 南国の対立」を録画で観る。大河内傳次郎、吉田輝雄(ど下手)、大原麗子とか60年代の懐かしい役者がどっちゃり。お前がハジキを2度構える前に俺のドスがもう一度お前を刺すぜとか、主題歌の「その名も網走番外地」とか。

復帰前の琉球撮影のせいもあったのか、ただカットが短いだけか、やたらショットが長い。全体にほとんどカットされていない? たぶん、生まれて初めての健さんの映画。

11月28日
あまり眠れないまま起床。眠れないと、ちょっと近所へというだけでも大息切れ。

「「生まれて」初めての浣腸」というのも間違い。2006年の夏に鼠径ヘルニアを患って、手術日の前夜(プロの浣腸)にされたのがはじめて。今回、腸の蠕動がなぜ起きなくなったかについては、酒を飲まなくなったせい? 薬をいろいろ投与されたせい??

午後、担当医師からじきじきに、月曜に検査の上、入院と。

朝、書肆山田のお二人が送ってくれた、清水哲男さんと八木忠栄さんのオリジナルの対談を読み返して、これからのまとめ案なども添えてメール。

薦田愛さんから熱田神宮のお守りが来る。

今日はまあまあ眠れた、7時間ちょっと。

11月29日
イタロ・カルヴィーノさんの『冬の夜ひとりの旅人が』(脇功訳・松籟社刊。1981年刊、ぼくの持っているのは84年刊の3刷)を後少しというところで読みさしにして考える。じつはこの本、30年前に50ページくらいしか読み続けられなくて、(続く)

今回たまたま須賀敦子さん訳による『なぜ古典を読むのか』(河出文庫)を読んで思い出して、娘-24歳-に預けてあった(押し付けてあった)3冊の本の内、何か持ってきてと頼んだら、さすが娘で、宇宙ものや歴史もののパロディではなく、この「書くこと」「書かれること」をめぐる、(続く)

読者たちやいくつもの物語の書き出しに関する、最高の「アヴァンギャルド」作品を持って来てくれた。その頃、前の会社を止める頃だったけれど、何を考えていたのかなあ。もっと左翼的な方向へ?

そして、またその頃、鈴木志郎康さんの影響もあって、現代詩もう一度できるかもしれないという思いがあり少しずつ始めたんだけれど、その時に見落としていた岩田宏さんの詩・散文・翻訳をめぐる「反抗的な」姿勢を今、見直している。これはきついですよ。どう読み込めばいいのか、まだ分からない。

カメラマン・映画監督の大津幸四郎さん、亡くなりましたね。私なぞが言える分際じゃないけど、合掌。

大学の教養時代の同級生、Yくんが遊びに来てくれる。毎日新聞(現在はホールディングス勤務)で、元々異動も多かったのが、最近、東京に戻って来ているらしいとのことで調べ直してクラス会用に連絡をつけて、で、結局ぼく(何と幹事のくせに当日は入院で出られず)も彼もクラス会では会えなかった

30年ちょっとぶりに旧交を温める。何か、出版や新聞の終わりの世代的な(笑)。会話に疲れてきた頃、彼女も帰って来てちょっと楽する。

11月30日
夜中にむずむずして一人浣腸。液は全部入らなかったけれど、そこそこ出る。寝直す。

ところが、あなたたちふたりは、もうなにも聴いてやしない。あなたたちも姿を消し、隅っこの方にへばりついて、たがいに抱き合っている。それがあなたたちの答えなのか? あなたたちは生きている者たちもまた言葉のない言語を持っているのだということを示そうとしているのか? (続く)

ただその言語では本は書けず、一瞬一瞬を生きることができるのみで、記録することも思い出すこともできはしないのだが。(イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』脇功訳・松籟社刊)

この村で育ったからには、ヴィルジーリアに、パドリーノに、いまは亡きすべての人びとに、礼を言わねばなるまい。たとえ、ぼくを引き取って育ててくれた理由が、アレッサンドリア市の孤児院から送られてくる月々の扶養金めあてであったにしても。(チェーザレ・パヴェーゼ『月と篝火』河島英昭訳・岩波

この15歳上の同じイタリア人作家に対して、カルヴィーノさんは「彼が用いるイマージュとアナロジーは強迫観念じみた人身供犠への不安に引き寄せられている」(須賀敦子訳)と書いている。こうしたアヴァンギャルド作家と自死を目の前に書き続けた作家の差。

そして、岩田宏さんの、まだうまく言えないけれど、感性の全体主義(世界はそんなに単純なのか、とか)とでもいったものへの反抗、行分け詩の放棄(?)といったこと。

木、金曜くらいから足萎えかで息切れなのかと思っていたけど、これは呼吸困難? とりあえず病院に入りたい。

木、金曜くらいから足萎えかで息切れかと思っていたけど、呼吸困難まで来てしまったかも。とりあえず病院に入りたい(酸素ボンベ?)。午後、浣腸の続き、細目にやった方が楽みたい。明日からは病院に相談、薬とか変わるとまた違うかもしれないし。

アプリは作ったことがあるけれど、スマホはあまり好きになれずに自分では持っていないまま、今回も娘を頼って買うタイミングが合わなかったし。買ったiPodはバッテリーが干上がってしまって使えず。よって入院後はノート筆記とラジオ。いつかまた会いましょう

夕方、母親(87歳)に電話。今は、父親(89歳)と隣室で小田急線沿線のホームに住んでいる。今までは、うちの彼女を通して、さらに兄夫婦を介して連絡してもらっていたので、直接連絡するのは初めて。比較的、冷静に話せたかもしれない。

 

 

 

Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.(2)

※2014年10月末から2015年3月までの渡辺洋さんのツイート、FBポストの一部です。

 

渡辺 洋

 

 

12月13日
妻娘にiPadを買ってもらって、 病室から発信テスト中.。

入院前に、転移してできた脳腫瘍を別の病院で焼ききり(4本で4時間)、12 月1日に 入院したとき、直前のPET検査では、癌は肺と十二指腸(2か所)で、まず歩けなくなるほどの貧血に輸血しながら、とにかく困難な十二指腸を先に切除し内出血を止めようと打ち合わせしていた。

胃と十二指腸の内視鏡を撮ったところ、出血がすごく、その日(金曜日)から食事止め。明けて8日の月曜から腸が痛み出す。もともと肺が出発点で呼吸器で入院したのだが、打ち合わせをしていた消化器の医師たちが飛んできて、レントゲン、夜には水分も止められて、鼻から胃の中身を吸い出すチューブ。

火曜日、これは今まで見つかっていなかった小腸ガンだということになり、夕方から手術5時間。泰子とは少し話すが、後は昏睡。翌日聞いたら、大腸ガンと後から見つかった出血の中心だと思われる十二指腸のガンひとつを切除したとのこと。今日はここまで。おやすみ。

12月14日
便、開通。1, 2時間ごとに、しばしゆるゆるでトイレに走ることになりそう。尿の管をおととい抜いて、昨日もおとといも「間に合わなかった」ことが(笑)。

ボランティア学生に救われたホームレスのおっさんにしか見えない父娘。 (写真)

ゆうべ一箇所「小腸」を「大腸」と書き間違い。

来てくれた妻とFaceTimeで無料テレビ電話。病室で^_^

五時頃、鈴木一民さんが来てくれる。関西営業から帰ったばかりとか。あらためてこちらの経過を説明し、後は岩田さんの話や、周囲のガンにかかった人の話など。

ヴァイタル(体温、血圧、酸素)、レントゲン(こんなにたくさんとっていいの?)、問診、排泄の繰り返し。12月も半分。あ、採血も1日おきくらい。

12月15日
ex-S堂のすでに退職された大先輩2人が来てくれる。あれこれ話して一時間半。おみやげが折口全集2冊(元本)。これは病室で読むには、モノとして重すぎるんじゃない?

入院してから読んだ本。N.ギンズブルグ『マンゾーニ家の人々(上)』、伊藤計劃『虐殺器官』、富岡多恵子(再話)『近松名作集』、カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』。今読んでいるのは『新選 岩田宏詩集』巻末の散文と解説、パヴェーゼ『月と篝火』。

12月16日
治療のフェイズが変わって身体がついていけない、1, 2日毎に悪夢。ふーっ。トイレがやたら近くてそのたびに点滴の電源を抜くのがちょっとうんざり。

12月17日
窓際のベッドに移してもらえた。 (写真)

午後、ex-青土社/河出(現在は病室から場所の見えるM)のSくんと、ex-新宿書房のMくんが来てくれる。これからどんな経済で生きていくかとか、Mくんのわがままな感じが面白い。

週1, 2回来てくれる若者。「話すこと、あんまりないね」 (写真)

富士、iPadでなんとかかすかに。
右の方。 (写真)

12月19日
パヴェーゼさんの『月と篝火』読了。捨て子である主人公が孤児養育の補助金目当てに貧しい農家の下働きとして買われ、苦労を重ねたのちにアメリカに脱出し、財をなしてイタリアに戻ってくるが、葡萄などの農村の貧しさは変わらず、ファッショとパルチザンとして戦った人々もお金と宗教に回帰している。

主人公の神話のような遍歴、ファッショとパルチザンとの二重スパイとして殺される、元の雇い主の娘。イタリアの映画美しく切り取られそうな風景を背景にえがかれる物語はどこか淡く苦い。そしてこの小説を書いて作者は自殺した。

12月22日
あれこれの意表を付く速い展開に気持ちを整理できない状況。今週末くらいには書けるかな?

12月25日
小腸ガンの手術後の養生も終息に向かい、本当ならぼちぼち退院になりそうなところ、先週なかばから左脚が動かず、立てず、歩けず、踏ん張れず、で調べたところ、脳への転移がまた進んでいるとのことで、今日から放射線の全脳照射。2週間くらい、年越しで。いやはや、やれやれです。転移と治療のいたちごっこにならないといいけど。

みなさん、ありがとうございます。ガン患者としてできるのは落ち込まないでいることだけかもしれません。

医学とくに外科が進んでいるとはよく聞きますね。でも、ぼくの十二指腸のガンの予定される術式を、先日、ドクターXが「悪いとこだけ切りゃいいじゃん」と、あっさり5分くらいで処置して否定してしまったのには唖然としました^_^

左手も若干不自由になって来ました。進行と治療の追っ掛けっこです。二日がかりで入力しやすい体勢を摸索^_^

Sくん、来れば会えるよ。正月でも。

病院の方で、今年と去年の健康診断の記録や写真を 取り寄せたところ、これで見逃すのは仕方ないとのこと。恐ろしい肺ガンのスピード。

全脳照射でびゅー。初回の準備は長く照射はあっという間。

ナイフは見送りです。

これから成長しそうな小さな腫瘍が多そうなのでナイフでは無理という判断

 

 

 

Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.(3)

※2014年10月末から2015年3月までの渡辺洋さんのツイート、FBポストの一部です。

 

渡辺 洋

 

 

12月26日
井上雄彦さんの『リアル 14』読む。障害者バスケのコミックが今までより身近? 1センチちょっとの幅のテーブルに簡単に付けられる書見台がほしい^_^

ま、障害者バスケの人びととは腕の太さも違いますし、左手がアウトだと話になりません。

本の差し入れ多し。「重い」本は自宅行き(あとで読む)。それでもやや満腹状態。一月半ばまでこの続き。

手帳、十数年間、サラリーマン向けのシリーズを続けて買ってきたけれど、うつ病、ガンなど、さしていいことはなかった。娘が何か買ってやるというので、クリストファー・ロビンの楽しげなものを頼む。来年、帰宅した時に使い始めとしたい。

年賀状も印刷済みだけど、出すのも、来年、一時退院出来てからに。

初めての長期入院が年越えです

薦田さん、そんなにかっこよくないですよ。帰っても車椅子はないは、階段はあるはで、家族が大変すぎるということじゃない? 年末なのに混んでます、病室。

12月27日
五時、看護婦さん二人に助けられてトイレに行くも「大」出ず。泣き笑いの1日の始まり。

尿瓶のときは、娘のような年頃のお嬢さんにつままれちゃいます。^_^

軽い本がいいなと家族友人に頼むうち、「居眠り磐音」と「ビブリア古書堂」の新刊、『すべてがfになる』『半七捕物帳 1』、とそれなりに増えてしまう^_^

現代詩手帖の水島さんによる紹介を読ませていただく。ありがたい。問題は語り手の社会性、あるいは語り手の中で社会性がどのように位置付けられているか、見えない作品が多すぎるということ? 引きこもりのエミリ・ディキンソンの作品にも社会との葛藤があった。その辺が次のステップの鍵。

一月半ば退院できたとしたら欲しいもの: 自分が要求されているのかと心当たりのある方も、強制力はありませんのでご安心ください。
加藤和彦ヨーロッパ三部作(CD+本)
デヴィッド・ボウイ「シングルス コレクション」
ルー・リード 5枚組セット(「ベルリン」ほか)
スティング「ザ・ラスト・シップ」
パティ・スミスの「ホーシズ」のTシャツ
『トマ・ピケティの新・資本論』

秘密兵器(書見台)と守護神カエル(帰る)くん(写真)

入院後初めて詩を書いてまとめていたら(16行)、看護師さんに見つかり、お客さんにあげるために置いておいた詩集まですこし読まれてしまった^_^

カルヴィーノさんの最初の長編小説『くもの巣の小道』読了。自身のそれ以降のファンタジー系の作品とはまったく異なる、パルチザン体験をベースにしたリアリズム小説。少年ピンは娼婦の姉の客のドイツ兵からぬすんだ銃をくもの巣に埋める。地面にくもが巣を作るのは世界でここだけだ。

程なくピンはドイツ軍に捕まるが脱走。転がり込んだのはパルチザン中でも最悪のボロ支隊だった。確たる思想もなく自分たちの利益を守るためにファッショに転向してもおかしくない群れ。その無秩序さと荒っぽさは日本で言えば「兵隊やくざ」的な? ピンが目にするのは怠惰、不潔、卑猥、武器マニア。

上の命令に従って敵にやられないために出発する奴ら、うじうじと止まる奴ら。後から言うきれいごとにならないリアリズム。こんな生き生きとしたリアリズム小説を青年カルヴィーノが描ききっていたとは。

その後、カルヴィーノさんは、ネオレアリズモの俗化の風潮や共産党への失望、彼を評価し、導いてくれた先達パヴェーゼさんの自死などをきっかけに、リアリズムを離れ、ファンタジー、アヴァンギャルドへとシフトしていく、その変貌も興味深い。

12月28日
オヤジ向け書き込み: 午後、ベッドで二人の妙齢の看護師に全裸にされ、全身を拭かれ、おチンチンを洗われ、乾燥のきつい背中ほか満遍なく保湿剤を塗ってもらって着替えさせてもらって、気持ちEー^_^^_^

乾燥肌なので、背中がかゆくてたまらなくなっちゃうんです。池波さんはあぶら質?

三上延さんの『ビブリア古書堂の事件手帖 6』読了。テレビ先行で活字で読むのは初めて。この巻は太宰の初版本を巡ってうかびあがる人間の愛憎、主人公の二人の恋がメイン。本好きが突っ込みつつも自分で書きたくなるようなところがいのかな?

12月30日
20分おきにベッド上での位置を直す。カクッカクッとしかうごかない動かない固いベッドでは背中を上げておくと、体がズリ落ちてしまうのだ。片手片足が不自由というのは本当にしんどい。胡座もかけない。

忌野清志郎 IMAGINE http://youtu.be/QnKykvIp4Yg

生き続けよう、できるだけ恥ずかしくない人生を。都合よく引きこもらないで

畏友のMくん(ex-新宿書房)がパティ・スミスのTシャツを持ってきてくれた。うれしいです。

12月31日
大晦日、比較的よく眠れたけど、怖い夢(全然知らない医学用語に振りまわされる)。来年の今頃はどうしてるかなあ。

うとうとしたり、『マンゾーニ家の人々 下』を読んだり。骨格のしっかりした端正な文(訳)が時間を支えてくれる。でも1番大切なのはひとが来てくれること。十二月だけで述べ40人弱の人が来てくれた。ありがたいことです。

スタッフが交代で休んでやや静か。でも、昨日くらいに入院してくる人もいます。

消化器系の処置後なので、ケーキも蕎麦もお節もなし、ひたすら粥  ^_^

 

 

 

Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.(4)

※2014年10月末から2015年3月までの渡辺洋さんのツイート、FBポストの一部です。

 

渡辺 洋

 

 

2015年

1月1日
明けましておめでとうございます。病院の朝食はお節ではなく、消化器術後のおかゆメニューでした。今日も実際にはないトラブルで悩む遠回りの夢を見ました。

夕食、ついにお節が! と思って蓋を開けたら、配膳の人がとんできて、「間違えましたっ」と、おかゆメニューと差し替え。他の患者さんはあんな立派なものを食べているのかっ^_^

『マンゾーニ家の人々 下』、ビートルズ、眠くなる。

『マンゾーニ家の人々』を読み終わったら、いよいよKindleデビューかと思って本を探したけど、驚くほどまだまだって感じ。

1月2日
トラブルをきっかけに臓器売買の連絡先、ルートを知り、調べてもらう。ちょっといい初夢?

栄えあるkindle読書第一弾は岩波文庫の『新選 谷川俊太郎詩集』になりました^_^

ナタリア・ギンズブルグさんの『マンゾーニ家の人々』読了。マンゾーニが誕生し、成長し、19世紀のイタリアを代表する国民的文豪として名をあげていく第一部に対し、再婚した妻の病気がちな心身に引きずられるように、先妻との間にできた女子たちが次々に病む第二部。

男子たちは経済的に破綻して、マンゾーニを苦しめる。オーストリア・ハンガリーの占領とイタリア統一へという激動の時代。第一部と第二部は人生の春と秋のような対比をなす。ひとつひとつが作品のような書簡を読み込み、伝記的事実をそえて再構成した見事な伝記文学。

19世紀の貴族たちの理想主義?的な、嫌味ではない高貴な語りを、須賀敦子さんの清潔な訳が生き生きと再現している。

1月3日
新聞は週末に来る一週間分のテレビ番組表だけ家から持ってきてもらっている。でもそれももういいかな。「おとなしくて」読む価値ないし。テレビも病床から身をひねって見るにはつまらなさすぎ。

買って来てもらったカルヴィーノさんの『宿命の交わる城』。訳のわからないもの(アヴァンギャルド)を読む喜び^_^

今年あなたがたくさんつぶやいた言葉ベスト10で2014年を振り返る
10.在特会
9.政府
8.差別
7.大臣
6.新聞
5.テレビ
4.派遣
3.女性
2.治療
1.入院
http://appli-maker.jp/analytic_apps/9014/results/32205233 …

1月4日
いつまでもベッドにはりつけは嫌だなあとゴネる夢。6時前に起きちゃった。だって寝たのが夜の9時半h^_^

アヴァンギャルド小説、と言うか、『宿命の交わる城』は文芸を遊び=プレイとして、想像力を搾り出すような試み + ビートルズ → 非常に眠い^_^

深い森と宿命の城とタロットの束がここまで私を連れてきてしまった、私自身の物語を見失うほどまでに、ひしめく物語のなかにまぎれこんだ一粒の塵埃と化すまでに、そしてほかならぬ私を物語の枷から解き放つまでに。(『宿命の交わる城』)

左手が少し動くようになっているという都合のいい夢(確かに少し軽くなっている感も)。じゃあそれをプレゼンしないと、とか言っている(仕事か⁈)。6時前起床。今日から治療再開。

1月5日
屋台の上にいくつかの品物を並べて、しきりにそれらを離したり、また寄せ集めたり、置き換えたりして、何らかの効果を測っている。幻術師、あるいは手品師、それこそはいまの私だ。(『宿命の交わる城』)

『宿命の交わる城』読了。二組のタロットを使っての二章だて。城、あるいは第二章の舞台である酒場に辿り着くまでに言葉を失った人びと。彼らにできるのはタロットを選び縦横に配列しそこに自分の物語を読むことだった。

それぞれのカードの絵柄の性格に引きずられすぎずに、むしろ配列の方に妙を見るように、作者の個もそぎ落とすようにして、物語を巧みに繰り出していく。中世の名品の絵柄からの連想なのにコンピューターとか地下鉄、合成洗剤とか出て来るのが悪戯心でおかしい。

最後は絵画をモチーフにしたり、シェイクスピアの悲劇をタロットの配列で語ったりと、自分を捨てて自在に語り抜けている。

またも6時前起き。ゆうべはなぜか疲れて9時まで起きているのがやっと。斜め向かいのベッドのちょっと重い感じの人が、今すぐ家に帰りたいと言って看護師を困らせていた。仕事先で水害に遭うが脱出、なんて夢。

1月6日
二度寝、三度寝、まだ午前。みなさん、お仕事がんばって〜^o^

今日も早寝早起き(今、5時40分)。あれこれと快方に向かう夢(現実はその三分の一くらい? 左足が少しだけ動くようになった)。

1月7日
配膳がオートになるが、いいような悪いようなという夢。週刊ポストに昔のアイドル 桂木文さんの伝記の連載が始まり、読んでいるうちに本人に会ってしまう。5時すぎ起き。今日もストレスとの闘い?

1月8日
今日は昼寝するのにもってこいの日ですね。当方、午後になると患者たちの体温があがる、南に面した病室^o^

「おとなしくさせればいいだけのことでしょう」某国首相

朝から病室をカスタマイズ^o^

「悪い」方じゃないといいけど^o^ 2015年のテーマは「金」 http://curazy.com/archives/57533 @curazycomさんから

夜中に動かない左足の腿が張って痛い(動かせないので、重みで変なポジションに?)。看護師さんに診てもらうがすぐ元通りに。結局、眠さに負けて。六時まで寝た。

1月9日
誰か女性がそばにいたような、思い出せません、夢(^o^)。夜中に左の腿がまた痛くなって看護師さんに診てもらう。六時過ぎまで寝る。

1月10日
僕としてはずっとサザンの曲としては散漫だなと思っていたのですが…

あと十日我慢すればというのが一月以上続いている(^ー゜)

カルヴィーノさんの『アメリカ講義』3分の1読んで、ちょっとお疲れ。そこそこ集中しないと読めないくらいで、面白い文庫はないかな?

カルヴィーノさんの文庫、ちょっと休んで、つなぎの文庫を探す。鶴見さんや植草さんのコレクションは厚すぎ、で小沢信男さんの未読の、千人斬り、にしました。

昨夜、そんなに遅い時間でもないのに、トイレに行きたいと言ったら、オムツをつけられてしまって(それでベッド上で排便できるほど「ゆるんで?」はいない)、左腿が痛いこともあってあまり眠れず。違和感が気になってしまうので5時すぎに無理やり起きてしまう。

1月11日
ガンが見つかってから2篇目の詩のモチーフが見えてきた。

早く眠ってしまう。足の痛みは出なかった。お尻がもぞもぞするけど、下剤がうまく効くのを、待ってあきらめ、6時近くまで眠る。

1月12日
アベハラ って言葉として分かりやすいかも。歌にするのも簡単? 「バラバラ」のリフで♪アベハラ アベハラ アベハラ 地上げよりアベハラ いじめならアベハラ

カルヴィーノさんの『アメリカ講義』読了。ハーヴァード大で予定されていた集中講義の草稿。ハーヴァードの学生でも各回ごとにプリントをもらってチューターと復習したくなるようなヘヴィーさ。

見えてくるのは世界文学の深さ。日本で、これは「純」文学か否か、なんて言っているのが、しらけてしまうレベル。

吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』半分くらい。kindle、少し慣れてきた。

吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』、kindle本で読了して、10時前寝る。5時半すぎ起きる。親鸞の方法は世界の現状を見つめ、対峙するには役立つかも知れないけれど、よほど突き詰めないと、軽くは言えない。

1月13日
kindleで「自選 谷川俊太郎詩集』。僕の生まれる前の作品から直近のものまで。それぞれの時代に合わせて新しい試みをしてきた。高校の教科書で読んだ「ネロ」とか、大学の時に読んだ「夜中に台所でー」とかかっこよかったなあ。

今の目で見ると時代の中でプロとして貫いてきた分、ほころびてきているように感じる。概念的なものの扱いなど、いつも「この辺」までだったなあという不満も。でも行き過ぎないのが「ウケ」の原因かも。個人性への確執じゃないんですね。

1月14日
何か西洋史の登場人物になって、焼き討ちにあうという情報が入る(笑)。でも夢のなかで助けてくれる人々がいたようです(爆)。6時起き。

考えに考えて注文した本が、文庫ではなく、ハードカバーだと家からメール。安すぎたので中古文庫と感違い。本が途切れるのは嫌だなあ。

kindleで河合隼雄さんと小川洋子さんの対談を購入。

早く寝すぎて、日付が変わってからはずっとウトウト。患者の中で一人だけ(誰? カリスマ?)特別にするかという議論。と言っても、パジャマの下にシャツを彼だけ着せるべきではなんてレベルの話。五時過ぎに起きちゃう。

新聞やテレビの内部の劣化を明快に分析する、内田樹さんの『街場のメディア論』、必読です。一般人より事実に触れているべき彼らが、報じません、そんなことがあるんですかととぼけながら、業界の利益優先になるとき、一気に存在価値を失う。

「メディアが急速に力を失っている理由は 、(略) 「誰でも言いそうなこと 」だけを選択的に語っているうちに 、そのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人々が気づいてしまった 。そういうことではないかと思うのです 。」内田樹さん

1月15日
夜中に目が覚めてしまって、新しく病室に来た、元気な入院ベテランの肺炎のおじいさんの、寝言ともつかない、おおきないびきで眠れず。6時前に起きる。

内田樹さんの『街場のメディア論』了。メディアを贈与と返礼という視点で捉え、ビジネスとしか考えられなくなっている現状を批判。僕も本や音楽にもらったものを、いまだに返そうとしている気がします。

1月16日
これから読む本。『悲願千人斬の女』『資本主義の終焉と歴史の危機』『新しい風土記へ』『思い出袋』『パロマー』『シチリアでの会話』『パパの電話を待ちながら』

抜け毛が分け目を襲い出した^o^

僕は「ピースとハイライト」も「アベーロード」もそんなに面白いと最初から思ってない。時々ビートルズを気取りたがる人気者の彼らの元々の曖昧さを再確認するだけ。謝罪? でホッとするファンも多いのでは?

パリの事件について、僕の気分としては、仏教の団扇太鼓をたたいて念仏を唱えたい。こーゆーことを言うと知り合いが去っていく感も。でも西欧とユダヤ教のペースにどんどん巻き込まれているんじゃない?

何か社長から大きな企画の提案(ヴィジュアル辞書?)。ベッドが狭くて寝苦しいともがきつつ、5時半まで寝た。

1月17日
自分が世界の抵抗点になるような言葉や行為を探さないと。かっこよく言えばそんなところ。

ブログの「ノート」シリーズの第2弾から始めるかと思うが、ログインの仕方がわからない^o^ PCだと、アカウントとか、すぐ読めるんだけど

水野和夫さんの『資本主義の終焉と世界の危機』了。中世史までを取り込んで、アベノミクスを批判し、成長神話を捨てての定常状態へのソフトランディングを提唱。ピケティさんより明快かも(読んでないけど^o^)。

根治はしないけど、家に帰れたなんて、考えているのか、都合のいい夢うつつ? 5時過ぎに起きちゃう。

この間の本についての書き込みをブログに一部整理してみました。
http://blog.livedoor.jp/f4511

1月18日
個別的な理由ではなく 、もっと根本的な理由でアメリカはイスラームと 「不俱戴天 」の関係にはまり込んでいる 。それはアメリカ主導のグローバリゼーションはイスラーム圏が存在する限り成就しないからです。(内田樹さん『一神教と国家』集英社新書、中田孝さんとの対談より)

国民国家 ・領域国家それぞれの主権と独立性を強化し 、隣国との利害の対立を強め 、国民同士が憎しみ合うように仕向ける 。つまり国民国家 ・領域国家を強化するという政策が選択される 。それがイスラ ーム圏におけるアメリカの基本的な戦略だと思います 。(同前)

5年前に飛ばし読みで終わらせてしまった感の、鶴見俊輔さんの『新しい風土記へ』(朝日新書)と『思い出袋』(岩波新書)を家から持ってきてもらい、ゆっくり再読。前者は対談集、後者は月一回で7年に渡って書き継がれた短章集。一見軽そうでゆっくり読むと、立ち止まらざるを得ない箇所につまずく。

『新しい風土記』では、アジアの国境地帯で活動する中村哲さんやホスピスケアのある診療所を運営する徳永進さんの、裏付けのあるさりげない言葉。さらに、中国の日本研究者、孫歌(スン・グー)さんとの、竹内好さんの戦争中の、反動的ととらえられかねない文章に、抵抗の姿勢を見抜く姿勢(続)

池澤夏樹さんの北海道や沖縄に移り住むことで、東京中心の世界観に毒されずに、そこに生きる人々の怒りを感じられるようになるといった指摘が、さっと読み飛ばせない重さを持つ。読み終わったと思わずに、何度もページを開いてみたい。

1月19日
ブログの文章の直しを考えたり。うとうとしつつ、5時半一回起きる。

朝から目がさえてしまって、ブログ更新^o^
http://blog.livedoor.jp/f4511/

小金でも使ってやるかと思っても、けっきょく見るのは中古本やkindle本、着る機会、今のところないのにロックTシャツ^o^ ま、所有欲はないので、こなせないものは買えないですね。

頑張ったけど、昨日から今日にかけて、文庫と新書、三冊しか?買えない(^ー゜)

iPadに慣れていないせいもあるけど、Amazon以外に本をうまく探せる方法がないかしら。
内田樹さんのユダヤ文化論、中沢新一さんと河合隼雄さんの仏教談義、富士正晴さんの中国の賢者譚。昨日から今日にかけての注文、ここまでか(^O^)

1月20日
元ユリイカの畏友Sくんが編集部の水道をいたずら。水祭りのようなことをもくろんでいたらしいが、使えなくなっちゃったので、社長にバレる前に何とかしないと。うとうとして6時起き。

これだけ本関係の人を厚くフォローしているのに、政治関係のツイートばかりが多い。政治を真面目に考えている人が増えているわけでもなく、RT野郎の跋扈?

事故でバラバラになった体をつなぎ合わせて、人工皮膚をかぶせてもらった自分が、今、ここに寝ているという夢。5時過ぎ起きる。早起きナースコールが少ないのは寒いからまだみんな寝ている?

ザ・ニュースペーパーがテレビから干されても何も感じない人々が、サザンに揺れている(≧∇≦)

1月21日
またブログ更新しました。「非国民」の方々にも「非国民」と思われる内容?http://blog.livedoor.jp/f4511/

ま、オバマの尻にくっついて、イスラーム国破壊に加わりたいとすれば、人質の命とか関係ないというあたり?

「積極的非国民」と自分を呼ぶことに。かっちりした定義はまだないが、ウヨから「反日分子」「非国民」と呼ばれる人々からも煙たがられる存在といったあたり。

その後、鶴見さん編の『本と私』、網野さんの『歴史を考えるヒント』、『無根のナショナリズムを越えて 竹内好を再考する』を注文。面倒なことは集中して考えて、あとは本でも読んで考えていたい。送料込みで計916円^o^

1月22日
よく眠れず。頭の中で文章を書いたり、今までに見たライブや芝居を思い出したり。特殊なドレーン(身体にさした管)が大変なことになって大騒ぎ、でも、その存在も含めて夢だった。5時に起きちゃう。

5時に起きて夢うつつに考えたブログのモチーフを、検索して確認しつつ親指入力していたら1時間ちかくかかっちゃった^o^

足が少し楽になったので、久しぶりに体重を測ったら43キロ、通常は60キロ弱。小中の頃以来か、この軽さ。

体力は落ちているはずなのに、何かもてあましている感じで眠れない。5時起き。で、安心して、もうすぐ二度寝へ?

1月23日
一番バカなのは安倍で、悪いのはオバマとネタニヤフ。

わりと眠れた。5時起き。また寝ます。

合州国で日本語の先生をしているSさんからコメントいただきました。外国での事情も見えてくるといいですね。今後もよろしくお願いします。 http://blog.livedoor.jp/f4511/archives/52404782.html#comments …

1月24日
ブログ更新しました。伊勢﨑賢治さん、「あの」山内和彦さんたちを取り上げました。
http://blog.livedoor.jp/f4511/

iPhoneの右チャンでサービスプログラムをやると言われても、長時間付き合えないなあ(だいたい持ってないし)、なんて夢。うとうとしつつ、朝まで起きなかった。その代わり4時半起き、また寝るけど。

安倍が起きていたというだけでびっくりしている。

で、次にどうするるかはオバマ待ちですか。

1月25日
戦争がしたくて勢いのいいことを言い続けてきた安倍が、蓋を開けたら、米国とイスラエルのただの道具、笑い者にもされてバカ丸出し。

つまらないからネット古書でも探しにいこう。1日、送料込みで千円まで許す^o^ ただし、ちゃんと読むという方向で。

自衛隊は、武力行使しないままで、世界の紛争地区でソフトな存在感を発揮していくべきという、伊勢﨑さんの提言に賛成。武力行使を求める声はむしろ無知な国内勢力? http://blog.livedoor.jp/f4511/

安倍はオバマのシナリオ待ち。突撃しろと言われればするだろう。

だから欧米が民主主義とか言論の自由とか言っていることの滑稽さがバレバレになったこの一月。オバマはソフトに見える人殺し。安倍はその巾着。

ネット古書、朝から頑張って探して、1冊注文。送料込み305円^o^

日本の古本屋だと、振り込みのケースも。これは家族に負担だな。入院中ですので。

読書熱を冷ましたい時は、高野さんがオススメと言って買ってきてくれた「半七捕物帳」を一話分読む。えぐぐなくてよい。

ただ今現在、ネット古書二冊、送料込みで563円。充実^o^

今日のネット古書買い、大江さん、ドストエフスキー、カフカ、計3冊。送料込みで1066円。予算の1000円をオーバー、許す^o^

俺は権力だ、偉い、という思いと、取り巻きのヨイショ以外に、今の安倍を支えるものがあるのだろうか。

安倍問題を抜きにすると、日本のピースフルな存在感は国際貢献に使えるのでは、という視点で考えてみました。米国もNGOなど、金まみれのトップを除けば、見えにくいかもしれないけれどまだ行ける。 http://blog.livedoor.jp/f4511/

夜半にベッドなど、病室の器具についてアンケートをとると言われて、どこまで夢なのか、アンケートはやっぱりあって、眠れず。4時に一回起きちゃう。志郎康さんに追いついてしまった^o^

昨日3冊もネット古書を注文したのに、夢の中でうつつに、今、読みたいのは家にある2冊だと思う。ちょっと落ち着け^o^

1月26日
富士正晴さんの『中国の隠者』、基本的に「論語」の解釈、それまでの読みのひっくり返し。あと100ページも読めば慣れるかな。

難しい決断を前にホイホイとネット古書をポチッとしている私^o^

僕としての考えはできているつもりだが、それが家族の物理的・心理的負担にならないよう。うーん。もう一冊買いに行くか、ネット古書(≧∇≦)

やめとこ。

夜半に緊急入院の人が病室に入ってばたばた。余波?で、手塚マンガ的な大事故にあって治療される夢。5時前に起きる。

1月27日
辺野古、こいつらが反対するから、とことんやってやれ、みたいになってないか。

Amazonの連想ゲームでは、これが読みたかったんだという本を思い出せない、出会えない。堂々めぐりっつーか。

『むずかしい愛』『江戸怪異草子』『ジョン・レノンが見た日本』、今日のネット古書送料込みで904円^o^ 病院の薬品の空き箱で本棚を作って遊んでます。

ある大事故を巡って社会面で処理するチームと心理面のチーム(僕はこっち)の交信が混戦。交信はテレパシー。好きな女の子と小学校で居残り自習してるのに、先に帰っちゃうという展開?で4時起き。

とりとめもないことですが、考えから外せないことをブログに。
http://blog.livedoor.jp/f4511/

1月28日
朝から病室をカスタマイズ^o^

子ども1♀が選んでくれた、非ビジネス手帳。手の動きが安定して、字もきれいに書けそうなので、これから使います。

二時間くらい寝たら目が覚めかけてしまって、頭が書いた詩を17行メモ。皆さんはずっと起きてるんですね。僕はまた寝ます(^_−)−☆

1日3冊買ってどうなると思ったけど、岡崎武志くんの5分の1程度と思えば、全然問題ではないと「納得」(^_−)−☆ 植草さんは最初から対象外(^_−)−☆ また眠れるかな。

結局、4時までうとうとして起き出す。うとうとしながら、一応かたちついた詩の入力、これは見直してさとう三千魚さんにみてもらおうかな。忘れていた作家の著作を調べてもう少ししたらまた寝る。

で、やっぱり寝ながら考えたけど、植草さんや岡崎くんのように、お店で本を探すのではなくて、ネットのデータ見て買うなんて、いつでも出来ることだと思って、やめます。

さとう三千魚さんの「浜風文庫」に、詩「坂の上の家」を載せていただきました。お読みいただければ幸いです。 https://beachwind-lib.net/?p=4762

1月29日
一昨々日に運び込まれた患者さん、苦しそうな上に、脳に来ているらしく、拘束されているという妄想? 4時前にさすがに起きちゃったら、少し静かに(^O^)

1月30日
TLからユーモアやゆとりがなくなってしまうというのも、ペラサだと思うんです。

戦争が始まる。中東のどこかにいる。親の仕事の関係らしいが、親は出てこない。まだ戦地にはなっていない。よその地域にいる友達に連絡する、夢。三時に一回起きて、ゴロゴロするが、眠れず、四時に起きちゃう。

1月31日
ロウの雨を浴びる。病室に寝ているのに何で、と思いながら、久しぶりに3時半くらいまで、目が覚めず。寝直して、いま、5時。

残念というより、これは安倍、菅、麻生らによる、明白な殺人である。

今日は比較的よく眠れた。病室では読書ばかり。寝る前と起きた時の緩い読書は、大学の同級生のTさんがくれた、『半七捕物帳 2』と植草さんの『いつも夢中になったり飽きてしまったり』。