はな と グミ

 

村岡由梨

 
 

時計の針が夜の10時を回った頃、
ようやくその日の仕事が終わった。
疲れて、ため息をつきながら
雨に濡れた自転車のサドルを見ると、
パイナップル味のグミが1袋置いてあった。
「?」
一瞬戸惑ったけれど、すぐに誰の仕業か分かった。
傍に、見慣れた文鳥の絵柄のハンドタオルが落ちていた。
雨でグミが濡れないよう、かぶせてあったみたいだ。
タオルは雨に濡れて、砂まみれになっていたけれど、
私は、さっきまで冷たくて硬かった胸の真ん中が、
ジュワッと溶けて、プツンと弾けたような気がした。
タオルを拾って、砂をはらって、グミを手にすると、
急いで自転車にまたがった。
1秒でも早く家に帰りたかった。
はなに会いたかった。

 

こんなことがあった。
今から4年前の夏、
私が名古屋で自分の作品の上映を終えて
東京の自宅へ戻ると、
玄関に、はなが書いた手紙が置いてあった。

「まあ さいしょに たからさがし
くつばこ みてください。」

言われるまま、靴箱を見たら、
また手紙が入っていた。

「まどの近くを みてください。
ヒント 赤と黒シリーズの一つだよ。」

窓の近くを見てみると、また手紙。

「『おめでとう』といいたい ところが まだつづく
2階にいって、本だな 見てみ。
(子どもべやの眠用本だな)」

ねむの本棚を見たら、また手紙。

「かよけのムヒが、階だんにありますと。
ついでに社会の教科書みてね
ちなみに22ページです」

「えんえんとつづく たからさがし
まーた子どもべやの 人形たちをみてごらん」

「リメイクしたような
かわいいママのへやの
ムーミンが さいごの
お手紙をもってるというわけです。」

確かにムーミンが手紙を持っていて、
そこには、こう書かれていた。
「手紙の頭文字 読んでみて」
言われるままに、読んでみた。

「ま ま お か え り」

私が大笑いしていると、
押入れがバーン!と開いて、
はなが、クラッカーをパパーン!と鳴らして飛び出してきた。

はなって、ポコポコと元気に弾けるポップコーンみたいな子だ。

 

こんなこともあった。
今から5年前の冬、私は風邪をこじらせて急性扁桃炎になり
入院することになった。
たった3日間の入院だったけれど、
焼けるような喉の痛みよりも、
娘たちや野々歩さんに会えないことが、とても辛かった。
担当の医師から退院の許可が下りると、
私は急いでタクシーに乗って自宅へ戻った。

娘たちは学校へ行っていて、いなかった。
誰もいない、静かなリビングルームのドアを開けて、
私は思わず息を呑んだ。

冬の朝の冷たい空気で張り詰めたリビングの床に、
折り紙で作られたたくさんの白鳥がきれいに並べられていた。
赤 青 緑 黄色
先頭は、白鳥のお父さんとお母さん。
それに続く、色とりどりの子白鳥たち。

窓から差し込む光が、とてもきれいだった。
こんなに美しい光景を見たのは、初めてだった。
その無垢で一途な気持ちに心が洗い流されて、
もう一度生まれ直したような気持ちになった。

 

はなは、私たち夫婦にとって2番目の子供で、
1番目の子供である、ねむと比べると、
良い意味でも悪い意味でも、肩の力を抜いて育ててきたような気がする。

ねむが赤ん坊の頃は、おしゃぶりを床に落とすと
神経質に熱湯で消毒して冷ましてから口に戻していたけれど、
はなの時は、サッと水で洗ってポイっと口に戻していた。
(こんなことを書くと叱られそうだけれど)

服も、ほとんどねむのお古だった、10月生まれのはな。
ユニクロで買って、洗濯のし過ぎで毛玉だらけになった
黄色とピンク2着のカバーオールを着回して、
私のお布団に入れて添い寝して、
おっぱいをあげながら、一緒に冬を越した。

はなが幼稚園生の頃、
「ママなんか大嫌い!どっかに行って!」
と言って怒ったこともあった。
それを聞いた野々歩さんが、
「ママが本当にどこかに行ったらどうすんの?
ほんとは、ママのこと、好きなんだろ?」
と言うと、はなは、ウンウンと頷きながら
顔をしわくちゃにして泣いて、私にしがみついた。

 

と、ここまで
はなのことばかり書いてきたけれど、
この詩を読んだら、はなは何て言うだろう。
パイナップル味のグミが何より好きな、はな。
折り紙が大好きで、「おりがみ大事典」を見ながら
何でも作ってしまう、器用だったはな。
今はもう、私の身長を追い越してしまった、はな。
きっと「やめてよママ、恥ずかしい」とか
「ママは何にもわかってないんだから」
とか言うだろうな。

でも、詩の中でくらい、
好きなものは好き、
きれいなものはきれいって言わせてよ。

家に帰っても、娘たちはいない。
それは、そう遠くない未来かもしれない。
私の笑った顔が一番好きだと言う、はな。
娘たちを笑顔で「おかえり」と迎えられる、
そんな母親になれたらいいなあ、と思う。

 

 

 

 

また旅だより 24

 

尾仲浩二

 
 

あいかわらずどこにも行けないでいる。
新宿の街にも人が少ない。
そんな新宿の駅前一等地に新しいカメラ屋ができた。
高級感が漂う中古カメラ売場はきっと彼の地の客を想定して作られたのだろう。
10年ほど前に中古で買ったコンパクトカメラが5倍の値段になっている。
ちょっと嬉しいような気もするが、バブルの時代を思い出してしまう。
カメラ屋の一階には新宿の街の大きなジオラマがあった。
写真をもとに作られたジオラマには撮影した時差があって、例えば新宿駅はまだMY CITYだったりする。
そこには僕がバブル前に新宿で暮らした三畳一間のアパートもあった。
もうずいぶん前に取り壊されたアパートだ。
この店が続いてくれて、時々そのアパートを見にいけるといい。

2020年7月19日 新宿にて

 

 

 

 

方法と結果

 

工藤冬里

 
 

事故に遭ったと言うので急いで出かけて行ったが
事故に遭ったと言うので急いで出かけて行ったが
視程は昨日と同じ
うつくしいメロデー
分厚い本を借りて
光は粒だと
一点の曇りなく
そういえば、で終わる
その怪獣みたいな音はなに
長い慰めのノイズ
楽しいんだろ?
だったらもっと口を開けろよ
毛虫にもいろんな顔がある
辺境を拡大できます
何の嬉しさもない
虫が鳴いているな
アケルダマ
フグの背と腹
変身する勢いを保つ

 

 

 

 

 

注釈
アケルダマのダマはアダムのアーダマーだから土,アケルは血、吊った枝が折れて岩に落ちて裂けた

 

 

 

#poetry #rock musician

大絶滅

 

道 ケージ

 
 

大絶滅だ!
ダンゴムシの背伸び
羽根抜く鳥は
生き抜く気か
目ばかりが大きい
へび女たち

全球凍結だ!
欲情は冷え
陸は沈む
大量絶滅は
一つの大量発生である

逆縁だ
けものとして
海リンゴも海ユリも
深い所に移住していく
酸素はない

恐竜は気嚢があるから
生き残った
この青空
もう断然、大絶滅

目の前のへび女を噛み
離さない 

 

 

 

誰もいない海

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

夏だからか盆だからか
誕生月が古稀だからか 残余だからか
気温体温36.8度 庭の蚊々氏はスコブルだ
いやたまたまなのだろうが 来ては去る
右から左から 思い出のヒトばかり
こちらがくしゃみすると
あちらで必ずくしゃみする
呼びもしないのに 思い出の殻を破って
いつのまにかマスクの裏で呵々大笑
いっしょに酒飲んでる 稀有な男たち
懐かしいです 痩せて太っておかっぱで

詩人の昶さんはどうしてますか
反核リュックのケンちゃん八重歯は健在ですか
すみえ姉さんは55歳でしたね 若いです
やけに蝉が鳴いてます 兆億の蝉
歌おうとして 歌詞を忘れてると
鼻歌めいて歌う 誰もいない海
音がはずれてるので 本当に誰もいない

青梅の工房で粘土を捏ねてると
ぐにゃりと指先から顔をだすヤツ
泥んこ遊びが大好きな 餓鬼じゃり子ども
雨の砂場で時を忘れて何日も
なにが楽しいのか 思い出のヒト
日々是好日 死ねばあの世の好々爺
逃げ場だよね 蟻が父さんなら母さんも蟻だ
そこまで言わなくとも
十分にキミの真意は伝わるよとキミ

足の指先はちんちらするので
映画館で靴下をぬぐ
でも途中でまた履いた
襟を正して見なくてはならない
死と生の海辺の映画館に
象は静かに座っている
七時間は長いか短いか人生
オオバヤシ監督は82歳
フー・ボー監督は29歳
お互いの映画のことばで
世界の希望と生と死について語りあったか

終戦解放75年のうち我が70年の夏
2020年8月15日を前にして
ソウル西方坡州市文山僻邑独居の弟よ、
その素焼きの係累兄弟姉妹を
イムジン河に投げ捨ててくれ
川底のナマズ一家に捧げてくれ
やがて眼くらむような明るい未来
千年の堆積からどこかの坊主が拾うだろう
朝の国の無名の坊主がオレと出逢う
体感温度38度線のさてもさてもな妄想です

 

 

 

地軸

 

工藤冬里

 
 

動かない線に張り付いてTLはゆっくり動き
叙事はきみを落ち着かせる
傾(カブ)いたままの章動的な背骨の震えによって
蝉は地球のように空洞だ
言い足りない事があるとすれば
それはいつも公転面に置かれた「愛してる」の解像度の変化による

 

 

 

#poetry #rock musician

醉歌

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

冬夜裡心碎的聲音不影響我
勢不可當地暢飲,
二零一九年的唐朝酣醉,
行步錯步亦步亦趨
拍琴李白歌三千
Wilson來此杯中做晚禱
一切暗夜斷灰藍!
他再臨復缺席,胡語亂言重
又清醒!
行兩步啱三步,步步高昇
老友嚎啕左擺右搖……
Paul咧嘴大笑,月亮反光!
如歌行板街燈趔趄
彌頓殷藍,胡椒手段出不遜的字句!
睨視發黑的警察。
他樂譜零落道路頓悟
誰來收買這疼痛的畫幅?
誰來傾聽我憂傷曲?
沉醉,包含了所有的沉醉!
冬夜裡心碎的聲音幷不
影響我寫下這旋轉詩句,
一段熄滅的歌。
我衹是獨醉,衹是隨手月光清明
我安靜如山中野狗……
今天早上是另一個早上,
一個黑夜之外的所在。
…………末醒…………

 

2019年12月13、14、18日

 

 

冬の夜
胸が張り裂ける音は私に影響しない
現場は飲めない状況だ
2019年の唐朝は泥酔し
間違った手順で同じ道をたどりなおす
琴を奏で 李白の三千の歌を歌う
ウィルソンはこのグラスで夜の祈りをする
全てが藍色の暗夜だ
彼はまた欠席し
くだらないことを言いまくる事この上ない
またシラフか!
二歩歩いてまた三歩 一歩一歩高みへ
旧友は左に右に泣き叫ぶ……
ポールはゲタゲタ笑い
月光に照らされ
アンダンテ・カンタービレの街灯はよろめき
ミルトンマーケッツでは胡椒弾の藍煙が不遜の字句をはじき出す
黒い警察の様子をうかがう
彼の楽譜は落ちこぼれ
路上はたちまち悟る
この痛々しい絵を誰が買うのか?
私の悲しい曲を誰が聞くのか?
泥酔は全ての泥酔をはらむ
冬の夜 胸が張り裂ける音は
この詩句には影響しない
消えていく歌
私はただ独り酔い 月の光がそばにあり
山中の野犬のように静かだ
今朝はまたもう一つの朝で
暗夜の向こうにある場所だ
…未だ醒めぬ…

 

2019年12月13、14、18日

 

・翻訳:清水恵美