続とがりんぼう、ウフフっちゃ。

 

鈴木志郎康

 

 

急げ、
急げ、
追いかけろ、
掴まえろ、
とがりんぼうを
掴まえろ。
それしかないっちゃ。

夜明け前の
三時を回ったところだっちゃ。
目が覚めたっちゃ。
今や、
とがりんぼうは、
外に出たっちゃ。
ということは、
中に入ったってこっちゃ。
二本杖でも外歩きできない、
ベッドに横になってる
俺っちの
頭の中に、
入っちまったってこっちゃ。
外へ出るのが中に入るって、
とがりんぼうは、
ややこしいこっちゃ。
出たり入ったり、
入ったり出たり、
ややこしいこっちゃ。
とがりんぼう、
ウフフ、
ウフフっちゃ。

世が明けたっちゃ。
中の中で、
追っかけろ、
外の外で、
追っかけろ、
捕まえろ、
とがりんぼうを、
捕まえろ。
iPadで、
掴まえろ。
腹へったっちゃ。
せんべい一枚口にして、
とがりんぼうを
掴まえろ。
とがりんぼうは
掴みどころがないっちゃ。
つるつるつるーん。
捕まえても、
ツルリンボーって、
すり抜けて、
逃げちゃうっちゃ。
俺っちの、
このごっつい手じゃ、
掴めねえな。
ほら、もう、
中の中の、
外の外の、
セブンイレブンの角を曲がって、
見えなくなったっちゃ。
げそっと来ちゃうぜ、
とがりんぼう、
ウフフ、
ウフフっちゃ。

とがりんぼう、
とがりんぼう、
尖ってるのは、
俺っちの
言葉の切っ先か。
つるつるつるーんは、
俺っちの気分か。
つるつるつるーんを
被った
尖った言葉が
外の外の、
中の中の、
セブンイレブンの角を曲がって、
何処かに行っちゃった。
ツルリンボー、
今朝もまた、
摑まえるのに失敗だっちゃ。
げそっと来るんだっちゃ。
とがりんぼう、
ウフフ、
俺っちには、
それしかない
とがりんぼう、
ウフフ、
ウフフだっちゃ。

 

 

 

夢は第2の人生である 第49回

西暦2016年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

突然家の中に大きな蛇が入ってきたので、ゼンチャンもコウチャンもケンチャンも大騒ぎ。お母さんが大蛇の上に座布団をかぶせたので、私はその上から岩を落としてやろうと思ったが、念のために座布団の下をそっと覗いたら、それは大蛇ではなく人間の顔だった。12/1

某国との平和友好条約が締結され、その記念式典が開催された。私はその祝祭コンサートの演奏をする一員なのだが、最高に盛り上がったコーダの部分で、携帯の呼び出し音をうまく鳴らせるかどうか自信がなくて、ひどく緊張している。12/2

私の目の前で、前田嬢が、あほばかナベショーの横暴と徹底的に戦っている。じつに偉い。立派な女性だ。12/2

最近会社へ行っても、竜宝部長も今中課長もいない。事務の安永さんに聞いても「さあどうしたんでしょうねえ」と言うばかりなので、近所の居酒屋を探したら、朝から飲んだくれていた。12/3

兄貴が、おらっちのスケをこましたので、おらっちも、兄貴のハクイスケを、2回こまして、倍返ししてやった。12/7

私は、私に、致命的な毒液を注射しようとした、電通の営業の男を、投げ飛ばし、崖から突き落として、九死に一生を得た。12/8

久しぶりに海づりに行ったら、タイやヒラメがどんどん釣れるので、驚いていると、海から死んだ祖父が出てきて「わしは、じつはコヤナギルミという童話作家だったんだ」というたので、驚いた。12/9

幕府から選ばれた10名の男女は、下にも置かない厚いもてなしを受けたのだが、「1対の男女でも親しくなれば命はない」と厳命を受けたので、ひどく緊張を強いられていた。12/10

今中課長から「君は関連会社へ出向してくれ」といわれ、今の会社に飽き飽きしていた私は喜んで、まずは偵察にといそいそ出かけたのだが、そこでじつに不可思議な女と出くわした。12/10

コンサートが終わって、会場から出てくる群衆の中に、死んだはずの義母を見つけた。神宮プールを覗きこんでいるので、きっと私の死骸が浮いていないか心配しているのではないかと思って、私はおずおず「おかあさん」と声を掛けた。12/11

すると彼女は驚いた顔をして、「あらマコトさん、どうしてこんなところにいるの?私はミエコを探しに来たのよ」というので、「ミエコはここじゃなくて、逗子のプールで泳いでいるんですよ」と教えると「あらそうなの」と答えたその顔は、ずいぶん若かった。12/11

今年の世界図書館展は、アフリカで開かれたのだが、書籍の展示が天地さかさまになっているので、修正するのに半日掛かった。食堂へ行っても、食事も水さえないので、私はどうしてこんなところまでやって来たのか、と我が身を呪った。12/12

運転などやったことがない私は、女をスピードカーに乗せ、ひしと抱きしめたまま、山から野原へ、野原から街へ、街から海へ、ドドシシドッドと全速力で疾走したが、不思議なことに、誰にも出会わず、何物とも衝突しなかった。12/13

大混雑のレジで、私は誰かの財布を拾った。中に入っていた5千円札をこれ幸いとこっそり引き抜いて、それで勘定をすませようとしたら、担当のオヤジが「ちょっと待ってください」と言うので、小心者の私はびくっとした。12/13

新宿まで進出してきた中国軍を、わが連隊は奮戦して銀座8丁目まで押し返したので、彼らは、東京湾から撤退していった。12/14

「おいらはCMをウオッチするために、これまで民放ばかりみていたので、いましばらくはNHKだけみることにしているんだ」というと、テツちゃんが「こないだやっていた「たきやかな夜」というドラマみましたか?」と尋ねた。そんなの聞いたこともない。12/15

万能の人工知能アンドロイドをプレゼントされたので、私は、こいつをローマ時代の奴隷のようにこき使ってやろう、とひそかに考えた。12/18

私は破産してしまったので、来年3月まで、キンサンギンサンのために勤労奉仕をするように命じられた。12/19

私の膝に倒れ伏した芸者の松坂慶子が、「わたし、もうどうなってもいいの。今夜ここに泊めてください」と泣きながら訴えたのだが、うぶな私はどうしていいか分からず、うんともすんとも答えられなかった。かくして運命の決定的瞬間は過ぎ去った。12/20

行動計画表を見ると、午後2時に鎌倉ではなく相模原を出発することになっていたので、私は郷土防衛軍第8連隊を率いて、急遽相模原に向かった。12/21

「冬場は火事にならんように、火の用心をするんじゃよ」と、そのお爺さんは何度も警告していたのに、わたしたち子供会の落ち葉焚きが原因で、街は丸焼けになってしまった。12/24

セイさんと一緒に帰り支度をしていたら、赤ちゃんを連れた若い女性が、わたしたちになにやかにやと話しかけてくるので、「うざったいなあ」と思いつつも、なかなか可愛い顔をしているので、むげに振りきることもできず、いつまでもうだうだ関わっているわたくし。12/25

永代のデザイナーとショーを見物していたら、松平さんが「あなたずいぶん昔のスーツを着ているのね?」と揶揄するようにいうたので、「ええ、昭和10年代の古着です」と答えてしまった。本当は80年代のコムデギャルソン・オムの残骸だったのだが。12/28

隣の家との隙間に3.15平方メートルの土地を持っていたのだが、ついもののはずみで、「御主人に差し上げてもいいですよ」と言ってしまったことを、私は朝まで後悔していた。12/29

NYの美術館から10枚のスケッチの発注を受けた田中君が、あっというまに訳のわからない心象画を描き上げるのを、私は茫然と見つめていた。12/30

判決が下り、私は海に突き落としたばかりの武者人形を、たった一人で海底から地上に引き揚げなければならなくなった。12/30

橋本氏と別れた後、プラットホームで電車を待っていると、赤ちゃんを連れた若い女が、どこかへ連れて行って欲しい、とねだるので、映画を見たりお茶をしたりしていたが、ずいぶん遅くなって電車も終わってしまったので、ホテルに入って寝た。12/31

私が浅草公園から引っ張ってきた風来坊シェフの超お買い得弁当は、物凄い売れ行きである。100名様限定の「さわこの初恋弁当」などは、それこそあっと言う間に売り切れた。12/31

 

 

 

教諭

 

萩原健次郎

 
 

 

桜の不均衡は、
一木であることの寂しさを超えて、
強く見える。

雄か雌か、
木の性が傾いている。

景物の中では、あやうく
斜に浮いている。

強情で頑なで
まだ冷ややかな浅い春に
咳き込んでいる。

あるいは、吐息ならば激しく、
欲動している。

薄い空気に流れてくる
目刺を焼く煙。

目を刺すんだよ。
くりくりと刳り抜いた鰯の眼球に
藁ひもを通して火で焙る。

火のあたりに坐っているのは
女の私か
男の私か

生活を殺してはだめだよ。

とカラスが教える。

花を見て、うっとりしていると
おまえは、もう目刺の目だと
カアカア言う。

いい匂いの煙もあると
茶色くなった煙は、宙に溶ける。

ふりかえる身体という
枝が老いていく。

白米に、桜を植え
目刺をまぶして

なんとかどんぶりが
鉢ごと、川を流れていく。

 

 

 

ケロちゃんとコロちゃん

 

辻 和人

 
 

ケロケロ鳴いていますよ
コロコロ鳴いていますよ
でもって
コロコロ転がっていますよ
ケロケロ転がっていますよ

新居に引っ越してひと月
ミヤミヤが薬局のオマケでもらってきた
ケロちゃんとコロちゃん
小さなアマガエルのマスコットで
マツゲのある赤い洋服のケロちゃんは多分女の子
マツゲのない青い洋服のコロちゃんは多分男の子
両手を広げにっこり顔で突っ立っている
「かわいいでしょ。ここに飾っておくね。」
キッチンの縁に置かれたケロちゃんとコロちゃん
ご飯食べている時もソファーでくつろいている時も
ぼくたちをちょっと上から見下ろす感じ
「あ、また落ちちゃった。かずとん、拾っておいて。」
軽い軽ーい彼らはちょっとした振動でも転がって
すぐ床に落ちちゃう
何気に存在を主張してるんだなあ

ミヤミヤは国分寺の丸井に買い物に出かけて
ぼくはお掃除
ひと息入れようとコーヒー沸かしてたら
「ゥグゥーー、ゥグゥー、コイツラー、ナニー、ナニー。」
新居までついてきた光線君
体をタオル状に変形させ
ふらーりふらーり家中を回遊してるうち
ケロちゃん、コロちゃんの存在に気づいたらしい
「アヤァー、アヤァー、アヤァーシィ、コイーツラー、シィー、シィー。」
ケロゃん、コロちゃんの周りをぐるぐる旋回しながら光線君が叫ぶ
どうやら対抗意識を燃やしているらしい
光線君、お前も十分怪しいんだがなあ
「ただのオマケだよ。気にするようなもんじゃないよ。」

っとっと
触ってないはずなのに床に落ちちゃった
光線君の念が落としたのか?
よいしょっと拾ってキッチンの縁に置き直す
定位置に戻ったケロちゃん、コロちゃん
仲良さそうだ
両手を広げ目をぱっちり開けて
ケロケロ鳴いているよう
コロコロ鳴いているよう
安心したのかなあ
でもまた落ちちゃうんだろうなあ

そう言えばここに越す時に
いろんなモノが処分されてったなあ
「かずとん、この小型の電気ストーブ、今にも発火しそう。危ないから捨てるね。」
「かずとん、このジャージ、くたびれてるから捨てるね。
かずとんって何でモノを買い換えないの?
大切に扱わない割に
モノ持ち良すぎるんじゃない?
このジャージだって、あたしが言わなかったらおじいちゃんになるまで着てたでしょ?」
ああ、そうだよ
今着ている「welcome!」ってTシャツもそうだよ
15年くらい前に買ってまだ着てる
着ない理由が特にないから
着るなって言われなかったら
60になっても70になっても着てるだろう
ああでも、これもそのうち処分されちゃうな
「かずとん、今度一緒に、丸井に新しい服買いに行こうね。」

服や日用品に対してさっぱり思い入れがないんで
買ったら買いっぱなし
同じ奴をいつも着たり使ったりして
その他は捨てるのもめんどくさいから放置
そんな暮らしの臭いが
前の引っ越しではまだ少しは残っていたけれど
今回の引っ越しで根こそぎになりそうだ
見ろよ
このリビング
明るいだろ?
面積は狭いけど
無駄なモノがないし、無駄な仕切りもないから
広々と見える
棚の上には
グラジオラスとウイキョウと名前のわからない黄色い花
勤務先の華道部でお稽古した花を活けたんだそうだ
「ね? 部屋がぐっと華やかになるでしょ?」
窓の外の3坪半しかない庭は更地のままだけど
今度ウッドフェンスを立てるらしい
昨夜、ミヤミヤは
取り寄せたカタログをそれはそれは熱心に見てた
ページから目を離すと振り向きざまに
「ちょっと高いけどずっと使うものだし、ある程度材質の良いものにしないと。
植える植物もこれから考えなくっちゃ。」
うぉ、すごい気迫
不意を突かれたぼく
「ああ、いいんじゃないかな、きれいになるんなら。
ぼくとしてはできるだけ安くあげたいもんだけどさ。」

落ちちゃうモノがあって
拾われてくるモノがある
それもこれもみーんな
生身との接触のおかげ
強い意志を持つ生身にはかなわない
かなわなくてもいいさ
接触して変化する
うん、自然
すごく自然だ

てなこと考えてたら
せっかく淹れたコーヒー、少し冷めちゃったよ
生身と接触しなくても
変化する時は変化するんだ
これはこれで自然なこと
ズズッとひと口啜って
うん、まあまあうまい
ちょっとは落ちたけどちょっとは拾えた
落ちて、拾って
こんなことが
この明るい、狭いけれど広く見える空間の中で
姿を変えながら
繰り返されていくんだろうな

ケロちゃんとコロちゃん
今のところまだ静かに立っている
ケロケロ鳴いていますよ
コロコロ鳴いていますよ
でもって
何かの拍子に
コロコロ転がっていますよ
ケロケロ転がっていますよ
になるかもしれない
「ゥグゥーー、ゥグゥー、コイツラー、
オーマーケー、、アヤーシィクー、ナーイーイー。」
三角の目を丸に変えた光線君が叫ぶ
そうそう、その調子
光線君、いつまでも仲良くしてやってね
ぼくとミヤミヤも
落ちたり拾われたりしながら
仲良くやっていくからさ

 

 

 

とがりんぼう、ウフフっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

尖った
尖った
とがりんぼう、
ウフフ。
とがりんぼう、
ウフフっちゃ。
ウフフ。

春だなあ、
四月も半ば、
夕方の日差しがながーく、
キッチンの床に射し込んでるっちゃ。
こんな一日もあるっちゃ。
とがりんぼう、
ウフフ。

とがりんぼうっちゃ、
何ね。
俺っちの、
禿げてきた
頭のてっぺんってか。
ウフフ。
違う、違う、
違うっちゃ。

尖った、
尖った、
とがりんぼう。
ウフフ。
春の気分の、
とがりんぼう。
ウフフ、
ウフフ。

 

 

 

さくら

 

長尾高弘

 
 

さくらはやっぱりさ、
満開だってときより
ちょっと散ってる方がいいなって感じだよね、
そんなこと言っちゃいけないんだけど。
ってそこまで言ってから、
あれ、変なこと言っちゃったなって思ったよ。
そんなこと言っちゃいけないんだけどって
言ったことだけどね。
言われた相手はスルーしちゃったけどさ。
これって、毎年さくらの時期には言ってたことなんだよ。
でも、今年に限っては、
さくらのように潔く散れって言われて、
戦争で命を落とした人のことが頭をよぎったんだ。
なんでかって?
たぶん、
学校で銃剣道を教えてもいいってことになったとか、
教育勅語を教材にしてもいいと閣議決定したとか、
そんなニュースばかり聞かされてるからさ。
銃剣てさ、単なる人殺しの道具でしょ。
戦争のときはあれで無抵抗な人をどんどん突き殺したって話じゃない。
そうやって殺された人たちの子孫はどう思うんだろうね?
それにさ、戦後になってもあんなのやってたのは、
自衛隊だけだっていうんだよね。
誰が教えるんだよってことさ。
学校の体育の先生だって教えられないでしょ?
元自衛官が臨時教員にでもなって
学校に教えに来るのかしらん?
それじゃあ戦時中の軍事教練と変わんないじゃないか!
で、教育勅語といえば、
戦争になったら天皇のために死ねっていう
絶対的権力者の臣民に対する命令だよ。
さくらのように潔く散れって言葉のもとさ。
自分の生命を大切にしないことを叩き込まれて戦場に行ったから、
手当たり次第誰でも平気で殺せたんだと思うよ。
いや、平気ってことはなかったと思いたいけど。
だからこそ、今の憲法には、
国民は、個人として尊重される
って書いてあるんじゃないの?
その憲法に真っ向から対立するものとして、
国会が排除無効を宣言した教育勅語を
なぜ政府が勝手に復活させられるんだ?
そんなこと考えてたからさ、
潔く散れって言われて殺された人や
その人に殺された人のことを考えたら、
さくらが散るのがきれいだなんて、
とても言えないよねって、
思っちゃったんだよね。
むしろ、今までそこに頭がまわらなかったのが
おかしかったんじゃないかってことだよ。
でもさ、
そんな悪い比喩にいつまでも振り回されたくないじゃん。
さくらの花はたださくらの花として愛でたいよ。
戦前日本ときっぱり決別しない限り、
それが許される日は来ないんだけど。

 

 

 

引っ越しで生まれた情景のズレっちゃ何てこっちゃ。

 

鈴木志郎康

 

 

詩人のさとう三千魚さんが引っ越しちゃった。
「さよなら、新丸子」のFaceBookの投稿だっちゃ。
前の座席の背後の写真だっちゃ。
さとうさんは車の後ろの座席からスマホで撮ったっちゃ。
「新丸子から先程、しぞおかに帰ってきました。
あの洋品店のウインドウの老姉妹や、
帰りの裏道の花たちをもう見ることはないんですね。」
って、
日々を追ってFaceBookに投稿されてた、
老姉妹のあの洋品店のウインドウの写真、
夜の闇に吊るされてたセーターの写真、
帰りの裏道の花たちの写真、
それを、
俺っちも、
もう見ることはないっちゃ。
ここが、実は、極めての、
問題なんっちゃ。
さとう三千魚さんはコメントに、
「意味を持たずに堆積した記憶がわたしたちの自己の意識を形成していますね。
ことばはその堆積から生まれる萌芽でありましょうか。」
って、書いてるっちゃ。
日頃の生活で、
どんなふうに詩が生まれてくるかってこっちゃ。

人が生きてそこに居れば、
そこにその人を囲む、
ぐるりの情景が生まれるっちゃ。
「新丸子には、13年程住みましたが、
週末には静岡に帰っていましたので静岡と東京を行ったり来たりしている感じですね。」
って、
さとうさんは、
週始めに、
新幹線で静岡から東京に、
その早朝の
「ひかり 5号車、通路にて」の車窓からの写真、
熱海辺りの遠い海と流れる家。
その週末に、
静岡への夜の車窓から、
「こだま 5号車11番A席」で、
縦横に並んだマンションの窓の灯り。
そして、
翌朝、
「good morning moco!
good sunday everyone!!!」
愛犬に挨拶、
SNSの徘徊者に挨拶。
そして海辺に散歩して、
「海辺にて」の写真。
磯辺に波が寄せてるっちゃ。
三千魚さんの写真はほとんどお決まりの写真。
お決まりの生活から撮られた
お決まりの写真。
ウフフ、
それがいいのだっちゃ。

さとう三千魚さんは
詩を書く。
言葉を書くって、
もともと、
権力者が支配の定めを書いたってところから、
始まったっちゃあね。
だからさ、
個人が
行き先の定まらない言葉を書くっちゃってことはさ、
己れの生きる権利の行使なんっちゃ。
貨幣に組み込まれたお決まりの生活、
お決まりの生活で産まれる言葉、
個人の感情の言葉、
個人の思考の言葉、
個人と個人の連けいの言葉、
俺っちたちは、
そこに生きてるってこっちゃ。
さとう三千魚さんは、
お決まりの生活して、
「左手でiPhoneを持って、
右手の親指でiPhoneの丸いボタンを押して」
お決まりの写真を撮って、
頭の中に、
詩の言葉が生まれたっちゃ。
そして、
その言葉を書いたってこっちゃ。

これがさとう三千魚さんの詩だっちゃ。

貨幣について、桑原正彦へ 28
投稿日時: 2017年3月15日

昨日は
ライヒのCome Outを聴いて

東横線で帰った
目をつむってた

ライヒは

外に出て彼らに見せてやれ
そう言ってた

外に出ろ
そう言った

新丸子で降りて

夜道を
帰る

老いた姉妹のウィンドウの前で佇ちどまる
重層した声が外に出ろと言った

さとう三千魚さんは引っ越しちゃった。
川崎の新丸子から
もともと住んでる静岡の下川原へ引っ越しちゃった。
もう老いた姉妹のウィンドウの前で佇ちどまることは
ないっちゃ。
このズレっちゃ、
このズレっちゃ。
ズレるとそれまでみえなかった姿が見えてくるっちゃ。
「引越し、やっと終わりました。
これから片付けが大変です。」
なんとも意味深い片付けだっちゃ。
言葉を書くと、
言葉の形が出てきちゃう、
形と意味とのぶつかり合い、
そこんところで、
言葉をぶっ壊す力が
要るんだっちゃ。
「外に出ろ」
ぶっ壊す力、
ぶっ壊す力、
それが、
俺っちの心掛けっちゃ。
ウフフ、
ハハハ。

 

 

 

4月の歌

 

佐々木 眞

 
 

 

だいだい色の夕空の下、
ぼくらは、思いっきり、両手を伸ばして、羽ばたいた。

のぶいっちゃんが、いた。ひとはるちゃんが、いた。
みわちゃんが、いた。ぜんちゃんも、いた。

ブーン、ブーン、ブーン
ぼくらは、みんな、ヒコーキだった。

丹波の、綾部の、西本町だった。
春の空気は、冷たかった。

のぶいっちゃんが、歌った。
「だーるまさん、こーろんだ」

ひとはるちゃんが、歌った。
「ぼんさんが、へーこいた」

みわちゃんが、歌った。
「商売繁盛、笹持ってこい」

ぜんちゃんも、歌った。
「弁当忘れても、傘忘れるな」

みんな、みんな、幼かった。
みんな、みんな、夢を見ていた。

みんな、みんな、いいこだった。
みんな、みんな、いいこだった。

 

 

 

俺っち赤ん坊を抱いたの何年振りだっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

みつききぬよよしみつつばさの
尻取り名前家族が、
俺っちの、
家にやって来たっちゃ。
義光ちゃん、三ヶ月と一日、
三月ちゃん、七年零ヶ月十三日、
翼さん、二十三年八ヶ月二十五日、
絹代さん、三十四年四ヶ月二十日、
麻里、六十六年五ヶ月と九日、
俺っち、八十一年十カ月と六日。
わーいわーい、
生きた日にちの数が部屋に溢れたっちゃ。
みんな、生きているっちゃ。
三ヶ月と一日の義光ちゃん、よっちゃん、
義光坊よ、
これから事故に合わず病気せず、
事件にも戦争にも巻き込まれずに、
九十、百まで、
長い長い月日を生き抜いくれっちゃ。
その時この世界はどんな世界っちゃあね。
俺っちはもういないっちゃ。
ホイホイ。

母親の絹代さんに抱かれた
義光くんは
喃語を口に、
父親の翼さんに渡されて、
俺っちの
この部屋の
テーブルの
椅子にちょこんと、
座らせられ、
王子様よろしく、
頭をぐるりと回したっちゃ。
可愛いねえ。
そして次に、
お父さんから、
俺っちに、手渡されたっちゃ。
おう、おう、
俺っちは、
何年振りかで、
赤ん坊を抱いたっちゃ。
重いっちゃ、
重い。
頬を指先で触って見た。
ウッホッホッ、
ウッホッホッ。
義光ちゃん、
義光坊、
どんどん大きくなれっちゃ。

義光ちゃんは
お母さんの胸に抱かれて、
両方の乳房からおっぱいを飲んで、
両腕の中で、
ゆるゆる揺られれて、
喃語をつぶやき、
眠っちまった。
満腹の至福に眠るって、
それが人が生きるってことっちゃ。
生き物ってことっちゃ。
おやおや、
俺っち、
赤ん坊を前に哲学かいな。
ウフフ、
ホイホイ。