広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
手遅れ
という舞踏公演が
深夜
蒲団の中で
行われた
東京からは来るな
東京からはコロナ
コーコーコドハコドナ
クークーク ククドゥヌ
k k k rh k rh noh
#poetry #rock musician
花が好きだった
そのひとから
時折届く葉書には
小さな押し花があった
決まった時刻にパンと
少しのスープを食べ
読書もかかさなかった
彼女のひとりという時々を
孤独に思うひともいたろう
わたしには
ゆたかな彼女が思い出されるのだ
ひとつひとつが丁寧で
少しのおしゃべりに笑顔になる
昨冬のこの頃に
まったくひとりで旅立った
幼い頃に編んでくれたセーターの色も温もりもまだ残したまま
かつて彼女がそうしたように
年の瀬わたしも台所で
少しずつの正月料理をゆっくり作る
こつこつと
どこかで重なる
どこかで思い出す
そのひとは
優しい寡黙なひとだったと
出汁や醤油の匂いのなかに
彼女を
みるような
年の瀬
今年ほどの忙しなさを
異質な日々を
彼女が知らなくて良かったと
それだけは
くつくつと煮たつ鍋のその湯気に
写真の女性はかなりの確率で体の暖房全部切って街角に立ち尽くし、俯いて携帯画面を見ている
首を吊れば体温と気温が一緒になって S字の頸椎も直線になるがその代わりに十世代前の非嫡出子の記憶を無理に放流するので結婚はせずに消滅した方が良いのだといった挽歌の蛇行が痛みの三日月湖を作っている
#poetry #rock musician
夢ではない。が、前回幻覚と幻聴について書いたので、ついでと言っては何だが、記憶喪失について書いてみよう。
僕は、十六歳の時、一週間の記憶を喪失したことがある。
高校の柔道部の練習で投げられて、後頭部より畳に落ちた。そこまでの記憶は、はっきりとある。どうやって家に帰ったかも記憶に無い。それからまるっと一週間分の記憶を失った。
この喪失感というのは、文字にすることはとても難しい。喪失しているのは間違いないのだが、感覚的な喪失感というのが全く無いのだ。つまり、分かりにくいかもしれないが、喪失しているのに、喪失していないということだ。
でもこれはとても恐ろしい。
自分の知らないところで、ある時間、もう一人の自分が生きている。僕の場合は一週間だ。
もう一人の自分というのが生きていた痕跡がある。
痕跡は色々あったんだろうが、その当時の記憶として鮮明なのは、柔道の段取りの昇段試合の記録である。記録といっても小さな折りたたみ式のペラペラな紙のカードだ。
今は知らないが、柔道というとみんな講道館、あの嘉納治五郎創設のやつだ。家元制度といえば言えなくはないが、昇段試合にかかる費用はわずかだったと思う。「つきなみ」といっていたから、月一回だったのだろう。名古屋ではスポーツ会館でやっていたと思う。昇段試合といっても、負けても引き分けでも良いのだ。ポイント制で、負ければさすがに0点だが、引き分けでも僕の記憶では、0.5点、もちろん勝てば1点。何度でも昇段試合が出来るのだ。つまり、ポイントを積み重ねていけば、昇段できるという仕組みだ。
茶帯から黒帯になるのも、ちょろっとずつポイントを積み重ねていけば、そのうちなれるという、今から考えると、ゆるいシステムだった。そのおかげで、一応僕も黒帯にはなった。
その「つきなみ」のカードには対戦成績が記録してあった。
しかし、一週間前の「つきなみ」の記憶が無い。くどいようだが、明らかなる自分の行為の記録の痕跡。このもどかしさは、もどかしくもないのだ。
わかりにくいかな。自らの経験の痕跡として肯定はするが、つまり、きっとそうなんだろうとは思うが、自分の中では全く身に覚えがない。
以前の夢素描で、夢の記憶について書いたので、詳しくは書かないが、記憶というのは、極めて抽象的なもので、パルスというか、一生の経験の仔細まで、1秒にも満たないプシュッというか、ピュッというか、ツツツというか、それに完璧に集約されている。よく死ぬ前に、一生分の記憶が蘇るというが、僕は間違いなく本当だと思う。
ただ、いまだもって、あの一週間は喪失したままだ。
喪失は言葉にはできない。