ベートーヴェン、交響曲第7番、そして映画

音楽の慰め 第25回

 

佐々木 眞

 
 

 

昔から楽聖と呼ばれたベートーヴェンの音楽は、昔から映画音楽によく使われてきました。
けれども彼の音楽は男性的で、柔道一直線的な要素が強いので、映像との組み合わせが難しい。

スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」では、交響曲第9番がテーマになっていました。これなどは映画と音楽のつながりに必然性がありましたが、たとえばあの有名な「合唱」の調べを、感動的な映像シーンにかぶせると、なんだかダサくてしらけた映画になってしまうことが多いようです。

これと対照的なのがモーツァルトやラフマニノフのピアノ協奏曲で、「みじかくも美しく燃え」とか「愛と哀しみの果て」や「逢びき」などのラブストーリーにはぴったり合うのですが、ベートーヴェンはなかなか難しく、私が知っているほとんど唯一の例外はピアノ協奏曲第5番の第2楽章を印象的に使った1975年製作のオーストラリア映画「ピクニックatハンギングロック」くらいでしょうか。

私はこの曲を聴くたびに、ピクニックに出かけた美貌の女生徒が失踪するという「神隠し」事件を描いたピーター・ウィアー監督のこの隠れた秀作を思い出さずにはいられません。

そんな次第で映画とは縁遠かったベートーヴェンでしたが、最近になってなぜか交響曲第7番の第2楽章を鳴らす映画が頻繁に登場するようになりました。例えば2010年製作のトム・フーバー監督の「英国王のスピーチ」です。

ご存知のようにこの映画は、吃音に悩むジョージ6世(コリン・ファース)と、その治療に挑んで勲章をもらったオーストラリア人(ジェフリー・ラッシュ)との交情の物語です。

他の医者は、吃音を外部から物理的にアプローチして治そうとして失敗するのですが、その豪人は、吃音の真因が幼時からの父親との精神的な軋轢にあると見抜き、全人格的な関わりの中で溶解させようと腐心するのです。

なんとかかんとか吃音障がいを克服して、ヒトラーへの宣戦布告を告げるジョージ6世の演説の背後に鳴っているのが、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章でした。

あそうそう、この曲は、名匠ジャック・ドゥミ監督の名作「ローラ」でも使われていました。
これは1960年に製作された白黒のフランス映画ですが、ヒロインの踊子ローラに扮したアヌーク・エーメが、たとえようもなく美しく、チャーミングなんですね。

音楽を担当したのは「シェルブールの雨傘」で有名なミシェル・ルグランですが、ここであえてベートーヴェンをもってきたところ、見事にフィット。映像との違和感がまったく無いのは演出の魔術としか思えません。
撮影監督はジャン=リュック・ゴダールの無二の相棒ラウル・クタールでしたが、その「実存的な」キャメラが全編に亘って冴えまくっておりました。

驚いたことに、そのゴダール監督による2014年の3D最新作、「さらば、愛の言葉よ」でも、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章のアレグレットが実に効果的に使われていました。

意表をつく言葉と斬新な映像と大胆な音声音楽が三位一体となって、観客を驚きと混乱の極に陥らせ、おのれとおのれを取り巻く世界についての新しい光を投げかけるこの監督お得意の手法は、もはや定番といってもさしつかえないほどゆるぎなく確立された行き方です。

しかし今回は、それがさらに余裕と遊びを持ち、映画という古典的な領域を大きく逸脱しています。まるで重層的で知的な映像ゲームを楽しんでいるような錯覚を覚えるほどで、ここには今年87歳になった映像革命家がついに達成した、軽妙にして深淵な芸術世界が繰り広げられているようです。

ワーグナーが「不滅のアレグレット」と呼んだ、そのベートーヴェンの音楽に伴われて突如インサートされる森の若葉や紅葉の綺麗なこと! いつもと同様、いろいろカッコつけている映画ですが、結局ゴダールが見せたかったのは、四季を彩る自然のこの刹那の美しさ、だったのかもしれません。

それでは最後にベートーヴェンの交響曲第7番をカールベーム指揮ウィーン・フィルの東京ライヴの演奏で聴いてみましょう。

コンサートマスターは、1992年に哀れザンクト。ギルデンに散ったゲルハルト・ヘッツェル。彼の不慮の死から現在に至るウィーン・フィルの緩慢な没落が始まりました。

 

 

 

 

愛する大地

 

駿河昌樹

 
 

数日前に使った鉛筆削りを
机の上の
電灯の下の
スタンドの
上に
出しっぱなしにしてある

そんな風景
インスタにも上げたりしないし
データ保存もしない

だいたい
写真に撮りもしない

…こう記してみて
じつは
これだと
気づく

写真に撮られない風景がいっぱいなほうが
ほんとはいいな

撮ろうとも思われない
見逃されっぱなしの
見捨てられっぱなしの
風景とも光景とも呼ばれないような…

そんな
“愛する大地”っぽいもの

ほうへ

 

 

 

電車

 

みわ はるか

 
 

真冬の夜中、寒いので体を縮こめて布団の中で丸まっていた。
世間では梅の花が開花したところがあるとニュースで言っていたけれど、とても同じ日本とは思えなかった。あー明日の朝も布団から出るのが億劫なんだろうなと思って眠りに落ちようとしていた。
そんな時、遠く駅の方から軽快な音が聞こえてきた。
どこかで聞いたことあるなとよくよく考えていると、踏切で遮断機が降りているときのメロディーだった。
夜中、静かだと家の中まで聞こえてくるんだと驚いた。
その音が聞こえなくなるまでわたしは布団の中でずっと耳をそばだてていた。

高校、大学と合わせて7年間、わたしはJRにお世話になった。
朝は通勤ラッシュで車内は混んでいたし、それが夏なら汗臭く、雨なら濡れた傘の置き場に困ったものだ。
たいてい、通学の学生や通勤の社会人と一緒になった。
新聞を読んでいる人、ガムを噛んでいる人、マナー違反だが化粧をしている人、英単語帳を開けている人。
みんながみんな眠い目を擦りながら電車に乗っていた。
同じ時間の車両に乗れば大体顔ぶれは同じで、その人の着ている服から季節が感じとれたりもした。
ニットのセーターにコート、マフラーで完全に防寒対策されていた服装が、麻の白いワンピースを着てくるようになった社会人らしき女性を見て、冬から夏の到来を肌で感じた。
人身事故や機械的トラブルで電車が急に止まることが多々あった。
どこからともなく舌打ちする音や、無意識に腕時計を確認する人、会社や友達へ遅れるという連絡をする人へと雰囲気が変わった。
みんなイライラしていた。
中には耐えきれなくなって車掌に罵声を浴びせる人もいた。
誰も悪くないのに、悲しいけれどそれはよく目にする光景だった。

夜はこれまた学校帰りの学生や、会社終わりの社会人と一緒だった。
朝と違うのは疲れてはいるけれどどこかみんなほっとした顔で椅子に座ったり、吊り輪につかまっていたところ。
1日の終わり、真っ暗になった景色を窓から見ながら安堵しているように見えた。
金曜の夜は特にお酒に酔った人をよく見かけた。
頬を赤らめ、同僚や後輩だろうか、肩を借りて立っているのがやっとというような感じだった。
肩を貸している方はなんだか大変そうだったけど、決して嫌な顔ではなくてむしろ嬉しそうに見えた。
きっとものすごく気心知れているんだろうなと思った。
そんな人と金曜の夜にお酒を飲みに行けるなんて、なんて素敵なんだと羨ましかった。
一生のうちでそんな人に出会える確率は思っている以上に低いはずだ。
気のせいだとは思うけれど、電車がホームに入っていく音が朝よりも夜の方が静かなような気がした。
疲れた乗客に気を使うように遠慮がちにそっと停車しているかのようだった。

電車の中の人を観察するのが好きだった。
そこには一人一人小さなドラマを抱えている。

 

 

 

鰺フライ

 

塔島ひろみ

 
 

ハサミでアジをさばいていた
生臭いにおいが立ち込めている
頭部を開くと目玉が飛び出る
あー手が痛い
リウマチで日ごと動かなくなっている指を押さえ、Jは言った

栃木から上京し、下町のこの地に美容店を開業した
八百屋、鶏屋、駄菓子屋なども軒を連ね、小さな商店会を作っていた
今は住宅地にJの店だけがポッツリとある
「どうしてもっと早く来なかった」
と、Jは責めるように言い、
バケツに、切り刻まれたアジの死体を放った

今日はマウスピースを受け取りに来た
歯軋りで奥歯が痛むので、型を取ってもらったのだ
ところがうまく嵌まらない
この間に歯列がずれ、歯型が変形しているという
昔の私の口に合ったこのマウスピースは
昔の私以外に合う人はなく
行き場を失くした

Jの強張った手が
私の歯ぐきをグイと持ち、押す
イタタタタ
私でなく、Jが叫ぶ
私の口に突っ込んだ手を押さえ、
Jはその手に
ハサミを持った

ジョキン ジョキン
バサッとまとめて 髪の毛が落ちる
イタイ イタイ イタイ イタイ
リウマチの指は 何度もハサミを取り落としながら、また拾い、
私を、昔の私に戻す努力をする
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
生臭いにおいが充満する
切り刻まれた口中にマウスピースが押し込まれ、歯に嵌った

診察室に入ると 老いぼれた私が
アジフライを食っている
バリバリ ボリボリ 歯ぐきを真っ赤に染めながら 旨そうに食っている

 
 

(2018年2月19日、江橋歯科医院待合室で(Jに遇って))

 

 

 

ちいさなアスリート

 

ヒヨコブタ

 
 

失ったと感じるのは
なぜだろうか
あまりにも安直な導きでしか
あの雪のなか
勝つことなど求めず
ただひたすら前を向きゴールにたどり着いたころの

じぶんには
ことばもなく
それでも夢みたのは

なぜだろうか

雪は見た目より冷たくもなく
そこに横たわるとあたたかく包まれて

わたしはほっとしたのだと

氷柱はすこし鉄の味がする
血に似ているんだ

氷柱を食べていた頃から
世の中はいつも不思議だらけ

 

 

 

2月の風鈴

 

正山千夏

 
 

もっとも陽当たりの悪い月が終わる
太陽はよたよたとビル平線のきわをうろつき
私をイライラさせる

どこかで季節外れの風鈴が鳴っている
まるで雪の妖精の魔法のきらめき♡
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

20年前の自分の詩を翻訳する
不思議な運命のめぐりあわせか
それとも根強いカルマか
今の私の心情とまったく変わらないことに
あ然とするとともに
モーレツな共感にふるえる心
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

に耐えられず分厚い布団にくるまって
ひたすら眠ってしまう2月
ほんとうは20年間こうして
眠っていたのだろうかとも思う
そのあいだも忘れ去られた風鈴は
やむことのない風に翻弄されながら
遠くでりりんりりんと鳴っていたのだ

まるで熊
皮下脂肪に貯めた養分も
今ではすっかり消化され痩せ細った熊が
寒さに耐えきれず起き出してきて
また何かをさがしている
2月の風鈴が
遠くでりりんりりんと鳴っている

 

 

 

そだねー、そだねー

——茨木のり子詩集「倚りかからず」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 
 

題字をみると、「寄」りかからずじゃなくて、「倚」りかからず、なんだなあ。
でもお客さん、
「倚」りかからずなんて、辞書でもパソコンでも出てこないぜ。

しゃあけんど「倚りかからず」のほうが、「寄りかからず」より、よりかからないで、
なんちゅうか、
毅然と立っているような感じの漢字、に見えないか?

そだねー、そだねー。*
さすが茨木のり子さんは、詩人だなあ。
というか、もともと自らを恃むすべを身につけた、立派な人だったんだなあ。

ところがぎっちょん、軟弱なおらっちときたら、
できあいの宗教にこそ倚りかからなかったが、
できあいの思想には、相当倚りかかってきたような気がする。

そもそも学問なんか出来ない、というより、しなかったので
できあいの学問になんて、倚りかかりたくてもできなかったが、
権威という奴には、昔からかなり倚りかかりたがって、きたようだ。

そんなおらっちが、いまどっぷり倚りかかっているのは、
椅子の背もたれ、
でなくて、うちの奥さん。

私は彼女から、
「にんげんいつ死ぬか分からないんだから、なんでもかんでも、わたしに頼るのは、やめなさいよ」

とか、
「わたしはあなたの母親ではないのよ。いい加減に自立してくださいね」
(きょうママンが死んだ!)**

などと、再三再四にわたって、つよーく警告されているのだが、
私ときたら、基本的には、彼女より先に死ぬつもりなので、
なかなかその気になれないのだ。

でも、突如彼女がいなくなったら、
私はすってんどうと「高ころびに、あおのけに、転んで」***
涙が枯れるまで、エンエンエンと泣くだろう。

そだねー、そだねー。
西御門の寂しい洋館で、愛する妻に先立たれた江藤淳のように、
オイオイオイと泣くだろう。

けれども私は、
自分が江藤淳のように、風呂の中で血管を切って、
哲人セネカのように自死する勇気と根性はない、と知っている。

その時になって、はじめて私は、妻君に倚りかかりすぎてきたことを、
激しく悔やむに違いないのだ。
でも、それではもう遅すぎるのだ。

そだねー、そだねー。
全国の学友諸君! いまのうちから、否、否、本日只今から、
たとえほんの少しずつでも、妻君に倚りかからないように努めようではないか。

倚りかからないぞ!
倚りかからないぞお!
私は、もう誰にも倚りかからないぞお!

そだねー、そだねー。
「奥さん、おらっちは今日から、絶対あなたに倚りかからないようにしますから」
と呟きながら、私は茨木のり子の詩集「倚りかからず」を、パタンと閉じたんだ。

 

 


*平昌五輪日本女子カーリングチームの合言葉
**アルベール・カミュ「異邦人」より
***安国寺恵瓊「井上春忠宛書状」より