幸福な時間

 

みわ はるか

 

 

給食をかきこむように口に運んで、時計を気にしながらいそいでトレイを片づけた水曜日の午後。
一番に到着したと思った図書室にはもう大勢の下級生の姿が。
いつもは均等に配置されている4人掛けの机は隅においやられ、椅子だけが同じ方向をむくように列をなしてきれいに並べられている。
その先にはちょっとしたカウンターがあり、みんなを少しだけ上からみおろせるようになっている。
これから始まる有志の保護者による「お話玉手箱」、本の読み聞かせの会をみんな心待ちにしている。
小学校6学年のほとんどが集うこの時間、図書室は満杯になる。

図書委員長のわたしははじめに 簡単なあいさつをすませ、いつものポジション、一番後ろの壁にもたれかかる。
すぐ後ろの窓からはさわやかな風が舞い込んでくる。
不思議なのは普段そんなに図書室で見かけないような顔がたくさんあること。
毎週この時間だけは広い運動場がいつもより寂しく見える。
みんなが同じ方向を食い入るように見ている。
少しも聞き逃さないようにと耳を傾けている。
そんなみんなの頭を後ろから眺める自分。
感じることは違っても、同じ時間、同じ場所、同じものを共有する。
こんな時間が大好きだった。

トイレの中にも本をもちこんで長い間籠ることがあった。
一度読み始めると食事や睡眠の時間でさえも惜しいと感じた 。
卒業文集の友達への一言の欄には「もっと外で遊んだほうがいい。」と書かれたのはいい思い出だ。
そのせいかどうかはもう覚えていないが中学生時代テニス部に所属している。
図書室にある本は全部読んでやると本気で思っていた。
自分の好きな作家の新刊が出続ける限り生きていく。
大袈裟かもしれないけれどそう心から強く誓ったのもあのときだ。
小説、エッセイ、詩、伝記、専門書・・・・・あらゆる分野の本に目を通した。
田舎の小さな町で育ったわたしにとって、色々な世界を見せてくれる図書室はまるで宝石箱のようだった。

成長して、ふと母校に立ち寄ることがある。
自然と足がむくのは決まって図書室だ。
そこには配置こそ変わっているが、ところせましと本がぎっしり並べられている。
少し黄ばんだページを見つけるとなぜだか妙に懐かしい気分になった。
あのとき読んだ本を、あのときの自分と同じくらいの年の子が手にとっていると思うと無性にうれしかった。
残念なのは当時あった「お話玉手箱」の時間がなくなってしまったこと。
いつか復活することを願っている。

雲ひとつない青空が広がるとある日。
こんな日でも無意識に本に手がのびる。
「こらっ、たまには外で体でも動かさないと!」
旧友の声がどこかから聞こえたきがした。

 

 

 

一族再会  ~短歌詩の試み

 

佐々木 眞

 

 

もうええわ、わたしおとうちゃんとこいきたいわというて母身罷りき 蝶人

 

 

祖父、小太郎は、「主イエスよ」といいながら琵琶湖ホテルで亡くなった。

祖母、静子は、急を知らせるベルを押しながら亡くなった。

父、精三郎は、お向かいの堤さんに頼まれた反物を運びながら、駅前の病院で亡くなった。

母、愛子は、寒い冬の夜、自宅で風呂上りに櫛梳りながら亡くなった。

愛犬ムクは、自分を山で拾ってくれた私の次男に、「WANG!」と叫んで亡くなった。

さて恐らく、次は私の番だ。

私は、どんな風にして死んでいくのだろう?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

私は最後の審判にかけられたら、いったいどんなところへ行くんだろう?

人殺しこそやってないけど、人さまには口が裂けても言えないこともやってきた私。

天国になんか、到底行けそうにない。

絶対に行けそうにない。

では地獄か? 地獄に落とされるのか?

地獄の沸騰した釜の中で、生きたままグツグツ煮られて、閻魔さんだか大天使ミカエルだかに、ヤットコで、えいやっと舌を引っこ抜かれるのか?

それを思えば、そら恐ろしい。ほんまに恐ろしい。

ほんまに恐ろしいが、ちょいと面白くもある。

ワクワクするところもある。

あっちへ行ったら、お母ちゃんやお父ちゃんやおじいちゃんやおばあちゃんやムクに、ほんまに会えるんやろうか?

先に亡くなったお母ちゃんは、またお父ちゃんと一緒に下駄の鼻緒をすげているんやろうか?

おじいちゃんやおばあちゃんは、中庭の奥の八畳の間で、「十年連用日記」をつけたり、裁縫をしたりしているんやろうか?

ムクはムクゲの根方で、朝寝して宵寝するまで昼寝して、時々起きてWANGWANG吠えているんやろうか?

そこへ私が「ただ今」なんて、もにょもにょ言いながら姿を現すと、
みんなびっくりしたような顔をして、
「なんや、まこちゃんやないか。よう戻ったなあ!」
と、口々に声を上げるんやろうか?

ムクはWANGWANG鳴きながら、私に飛びついてくるんやろか?

そうだと、いいな。

そうだと、いいな。

ああ、ほんまにそうなら、ええな。

 

 

 

光の疵  ふたつの川

 

芦田みゆき

 

 

あたしは橋のうえに立っている。
光が欲しくて、
光が欲しくて、光を欲して、
皮フに切れ目を入れる。
眼前の川から、
色分けされていない
大量の光線がなだれこむ。
その時、
皮フの裏側で
川が開始する。
頭部から爪先へ、
ゆるゆると、
あたたかな川は流れて…

 

R0007091-1

 

R0003276-2

 

FH020014-3

 

R0007954-4

 

FH040023-5

 

FH020019-6

 

R0008156-7

 

 

 

 

再婚、煮てたよね

 

爽生ハム

 

 

あどけない、それはない、
容姿の鶏を煮てたよね
半永久に、出会った鶏は
あの虫を納得させるために
出現した鶏

もうキカナイ、このカタカナ
融通、決まりきっている
錆びついた鍋は離婚の勲章
綺麗な離婚だな、楽器のよう

そういえば、というか
前から、思っていた
夕方のピアノの指は
まるで鶏だった

人さし指は交通事故を起こし

薬指は川の水位をあげた

小指は男を浮気させ

親指は口座の金を増やした

中指だけが痛かった

中指は長いからかな
外側ってかんじ
丘ってかんじ、鶏って容姿は
どこ行ったんだいキタナイなあ、
突然、君主が
目の前の桜に止まった

群青だった、グレーの君主を見ると
あどけなく笑ってみせた
無意味だろう
虫は体に入ってくるから
いい貰い手が来る

 

 

 

茅野、そして高遠の

 

薦田 愛

 

 

ダム湖のへりを歩いてお昼の会場へ向かいながら
傘が手放せない
お天気よかったら、もっと暖かかったらねぇ
でも満開だったし、おなかいっぱい
これ以上ないくらい桜ばっかり
そうね、それならよかった
高遠城址公園からさくらホテルへ
下り坂とカーブをきる道は湿っている
よかった、辿り着けてよかった
どうなることかと思ったもの
今朝は

ぬかった
スーパーあずさ1号に乗り遅れてしまった
四月十三日月曜午前七時新宿発の
中央本線茅野駅九時八分着の
母とふたりぶんの席をぽかんとあけたまま
目の前で発車した
低い低い空の朝

高遠の桜をみに行こう
寒いからとやめた二月の河津のかわり
そこにしかないという
タカトオコヒガンザクラを
みに行こう
母と話したのは三月初め
高遠城の名前は知っていたけれど
運転もしないから
長野の山あい高みはるかなところ
行くこともないと思っていたのに
タカトオ、と母が
上田さんからきいたのか、細川さんだったか
口にしたから
行ってみるとしたら、と調べた
ああ、行けないことはない
というか行ける
遠い
遠いよ
それでも日帰りのほうがらくだという
母の誕生日の翌日
週末の混雑を避け
休みをとって行けばいい
散ってしまうよりは咲きかけでも
茅野からはバス
目的の城址公園で三時間
ただし昼食時間を含む
そのあとに梅苑――梅苑?
桜のころに梅の花?
そんな日帰りツアーに申し込んだ春彼岸
カウンター越しに渡された旅程表の
赤で印をつけられた緊急連絡先が
まさか役だつことになるなんて
乗り遅れた場合はクーポンだから
まるまるダメになると思っていたら
違った

新宿駅でみおくってしまったスーパーあずさ
そうと気づいたのは上野でのこと
余裕をみて出かけたはずが
いつのまにか費やされ
JR上野駅山手線外回りのホームで
まっしろになる
ここじゃない
地下鉄銀座線で行かなくては間に合わない
平日朝六時半、東京のただなかで
今しがた行った一本の次はいつなのか
まっしろ
待つのがよいのか経路を変えるのが正解か
いまさら検索しなおしても、とくちびるをかむ
むなしくページを繰る私の干からびた脳
ちいさすぎるケータイの画面
立ちつくす母がことさらちいさくみえる
はらをくくる
ごめんなさい新宿から乗るあずさに間に合わなくなった
なんとかするから、とにかく向かいましょう
いやなんとかなるかどうかわからないけれど
わびるしかないではないか
私はわからないからついて行くしかないよ
そう言って母は

早くしなさい、なにやってるの
ぐずぐずしないで
せきたてられるこども
要領のわるい気質はのこって
年を重ねた
ひとりだけ育てた母も
年を重ねた
連れだって歩いて、つい足早になると
置いて行かれそう
仕返しされてるみたい、と苦笑
仕返しだなんて
せきたてていたのは躾だったんじゃないの?
尋ねたことはない
だから言ったでしょ
もっと早く出かければよかったのに
矢継ぎ早に言われても不思議はないのに
だまっている
言われればくちおしいが
言われなければ心配になる
埋め合わせる言葉を
探したいのに
なんとかできるか考えることで手いっぱい
次の中央本線下り特急新宿発は三十分後
茅野に九時五十一分
ツアーのバスが九時半に出ると次は二時間後
タクシーしか足がない
お城でツアーに合流できるのか
そもそもツアー参加は目的じゃないはず
合流に意味はあるのだろうか
思いが逸れる
ひとりならやめてしまうかもしれない
けれど今日は
母を誘ったのだから
いな
タカトオの桜、という
母の言葉に誘われたのだから

乗り遅れた場合、当日の後続列車、自由席に限り有効
という一行を旅程表に発見
でも中央本線だから新宿発とは限らない
千葉からぎゅうぎゅう詰めで着いたらどうしよう
三両のうち二人ぶんの席
なければ指定席
二時間立ったままは母には酷だ
もしも満席だったら……
不安がふくらむのに待ち時間は充分
駆け寄って駅員さんに聞くとやはり千葉方面発
紛らすように
現地バス営業所すなわち緊急連絡先に電話すると営業時間外
八時まで緊急事態の解消は延期
やがてぎゅうぎゅうのあずさが入線、ドアから降車に次ぐ降車
そう、月曜の朝だった通勤電車なのだ
ひとのあふれ出たあとの車両へ身体をねじ込む
ああ座れる
指定ではないし遅れてはいるけれど
向かっているね
高遠へ
地図の上なぞる思いでたしかめたしかめ
バス営業所へもう一度

あずさに、そしてツアーバスに遅れたと言うと
運転手さんは大笑い
いやいや、だからあなたにお願いするわけで
茅野駅前からアルピコタクシー、午前十時前
鼻先を逃れる
いな
乗り遅れたツアーバスに電話
城址公園で桜をみたあと
さくらホテルの食事会場で合流してください
添乗員の女のひとの声
バスのなかに響いているね
はずかしい
食事のあとバスで梅苑へ向かうから
後半で合流ってことになるのかな
山ひとつ越えて
高遠は茅野より標高が低くて暖かいんですよ、と
運転手さん
高くて遠いところと思っていたけれど
伊那、いえ、否、山あいの
お城は平山城と
あとになって読んだ案内ちらしにあった
山ひとつ越えて近づく道みち
ほのかに赤らむ木々が群れていて
このあたりはまだ木が若いから
色も濃いの
お城のほうが白っぽいかもなあ、とつぶやく

お礼を言って下りる足もとは水たまり
ライナーつきコートに携帯レインコートを重ねた母に
駅で見つけた使い捨てカイロを渡す
濡れながら広げる傘の先ほら
タカトオコヒガンザクラ
小さなほの赤みの差す花は
きゃしゃで小柄な母の手にするデジカメにも易々とおさまる
傘に鞄にデジカメ
両手いっぱい身体いっぱい桜にあずけるように母は
いっぽんからいっぽんへ
カメラを向けて
むちゅう
ねえ、そろそろ行かないと
お城に着く前にメモリがいっぱいになるよ
促す私も深々と息をついて
ケータイで一枚
タカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラ
いちめんのタカトオコヒガンザクラならぶ城址のぬかるむ凹凸を靴裏に写し取りながら
山肌おおう花はな花の綿あめ
融けかけた綿あめの甘い赤みに似た花を追ううち
ふりかえりざま羽がいじめ
低い花枝に阻まれる
しなる枝の鞭
花の虜にならよろこんでなる
母にちがいない
いな、私は
ああ、お昼の時間に
遅れないようにしなくては

 

 

 

ファミレス

 

みわ はるか

 

 

「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。

略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。

気の強い母だった。
不器用な父だった 。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。

耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら 最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり 、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。

何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。

 

 

 

厚くてガッチリ

 

辻 和人

 

 

すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
深呼吸、深呼吸
はぁーーっ
さすがに緊張してます
滅多に着ないスーツとネクタイが
ぎゅぎゅっと体を締めつけてきます
(職場は自由服だもので)
今日はミヤコさんのご両親にお会いする日
下北沢のドーナツショップでミヤコさんと待ち合わせてるんだけど
アイスコーヒー、味が全くしない
すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
あ、ミヤコさん、来た

先週、ぼくの両親にミヤコさんを紹介したんだ
それがさ
いきなり和気藹藹なのよ
いきなりバンザイなのよ
食事の前に母が経営している(といっても一人でだけど)陶器の店に連れてったんだけど
「これ、きれいですね。」
「あら、そうでしょう。有田の若い作家さんが焼いたものでね。」てな調子
ホテルの和食レストランに移動した後は
「インドに出張されたんですか?……あははっ、そりゃ愉快ですねえっ。」てな調子
何しろ女性を両親に紹介したことなんか初めてだからなあ
それだけで両親は舞い上がってる
もちろん、ミヤコさんのきちんとした受け答えがあってのことだけどさ

しかし、逆もこういくとはかぎらない
お父様は「頑固者」だそうだし
……はぁ、腹を括るってこういうことか
えーいっ、何のこれしき
ノラ猫だったファミを実家まで運んだ苦労を思えば
「辻さん、お待たせしました。今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。緊張してますが、頑張りますのでよろしくお願いします。」
いざいざ
相模大野へ、出発

祐天寺のアパートで面倒をみていたノラ猫ファミを
伊勢原の実家で飼ってもらうことにしたのがかれこれ6年前
猫狩りに遭うんじゃないかと心配してね
アパートじゃ飼えないので両親に頼みこんだというわけ
今では家の主みたいな顔してるけど
連れてくる時は大変だったんだよ
運ばれる最中
ファミは猫キャリーの内側を狂ったように引っ掻いて暴れた
引っ掻く、鳴く
引っ掻く、鳴く
ああ、思い出してきちゃったな
その同じ小田急線の電車に
ぼくは手足を硬くさせたまま揺られてマス
深呼吸が途中でふぅっとため息に変わってしまいマス
こりゃ、元気がある分ファミの方が上だ
ちょっと怖いけど大丈夫、なんて言ってたのにさ
ただの顔合わせ、挨拶しにいくだけなんだって
幾ら自分に言い聞かせてもダメなんだよね

相模大野駅で降りてバスに乗り換えて10分
ラーメン屋さんを過ぎて細い路地に入って
すぅーっ
はぁーーっ
すーっ
はぁーーっ
「ここが私の家です。じゃあ、頑張りましょう。」
はい
植木がいっぱい並んだそのお家のブザーを
意を決して
えいっ
押した
すぅーっ
押しちゃったぞ
はぁーーっ

「お待ちしていました。さ、どうぞおあがり下さい。」

出迎えてくれたのは
頭髪はちょっと薄くなっているけれど
精悍な感じのお父様、それに優しそうなお母様

「今お茶お持ちしますからね。楽になさって下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
楽になんかできるわきゃないけど
―どこにお勤めですか?
―お休みの日は何をなさっているんですか?
そんな質問に一つずつ答えていくうち少しずつ落ち着いてきた
サルサのバンドを学生の時からもう30年やっている話をすると
「はははっ、それは結構ですねえ。」
おいおい
フレンドリーな雰囲気じゃないか
お母様は短歌を詠まれているそう
同好の方々と共同で刊行した歌集を見せていただいた
良い歌が幾つもあった
詩集を出したことのあるぼくとしては
「今度単著で歌集を出されてはいかがでしょう?」と
先輩風(?)を吹かせてみた
「いやあ、私なんかがとてもとても。」
謙遜されていたけれどまんざらでもないような……

答えるばかりじゃ会話は成り立たない
余裕も出てきたし、攻勢に転ずるか
「お父様はフィリピンで印刷の仕事をされていたとお聞きしましたが?」
すると
待ってました!

「私はね、若い頃は○○印刷に勤めていたのですが、
その後、縁があってフィリピンの印刷会社に入り
経営に携わることになりました。
ミヤコがまだ小学生の頃でしたかねえ。」
そこからの話はマジで面白い
フィリピンの人たちに印刷についての知識を授けて
信頼を勝ち取っていったというのだ
「日本人が評価されるのはですねえ。
現地の人にノウハウを教えて自分たちの手でできるようにさせるところですよ。
他の国の人はそんなことしない。ただこき使うだけ。
日本人は現地の人と一緒にやろうと考える。
だから信頼されてどんどん次の仕事がくる。」
「フィリピンではたくさん友人ができましたよ。
印刷会社の社長の弟さんでカルロスさんという方がいらっしゃるんですけど
今でも大親友ですよ。
フィリピンに来い来いっていつも言われてまして
前に遊びに行った時は一家で大歓迎でした。」
―日本はフィリピンに侵攻したことがあったじゃないですか?
「そう。すごい迷惑をかけた。
でも、日本を恨んでいるフィリピン人はあんまりいない。
××さんという方なんて
日本軍の捕虜にされたんだけど収容所がそれはそれはひどいところ。
海の近くにあるんだけど
潮が満ちてくると収容所に海水が流れ込んでくるっていうんだ。
それでも自分からはそんな話一言もしない。
後で知った時はびっくりしたねえ。
戦後の日本は戦前とは違うってわかっているんだ。」

熱のこもった話がいつもまでも続く
テレビのドキュメンタリー番組を見ているよりもずっと面白い
日本の繁栄を支えてきた人の中にこういう人がいたんだなあ
まあ、こういう草分け的な仕事をする人は
多少頑固なところがないと務まらないよな(笑)
話題の先を仕事から趣味に変えてみた
「お父様は陶芸がご趣味とうかがっているのですが
この棚にあるお皿やカップはお父様の作品ですか?」
こちらの反応もすごい。

「ええ、ええ、だいたい私が作りました。
引退してから陶芸を始めましたけれど、今では出品して販売もしています。
最近あちこちで陶器市が開催されるようになってきてましてね。
月に何度も展示販売することがあるんです。
仲間と一緒に店を出してね、これが楽しくて仕方ない。」
横からお母様が嬉しそうに口をはさむ
「これだけやってて赤字じゃないんですって。」
「そうなんです。多くはないんですけどね。利益が出てるんですよ。
そのためにはちゃんと使えるものを作らなくちゃいけない。
例えばこの急須は取っ手のところが難しい。
ぽきんと折れちゃったらどうしようもないですから。」

棚に収めてある作品は
母の店の有田焼と違い
分厚く、ガッチリ作られている
でも
マグカップはお茶が飲みやすく
皿は料理が並べやすく
使う人のことを一生懸命考えて作った末にできた形だ
しかも遊び心も忘れていない
「これ何だと思います?
瓢箪みたいな形でしょう。
これ、徳利を真っ二つに切ったものなんですよ。
面白い形のおかず入れができるなと思いついて
切ってみたら意外と使いやすくて評判もいい。
飽きがこないようにするには工夫が必要なんですよ。」

それら線の太い造形物は
にょきっと足が生えていて
踏ん張っているように見える
滑らかではない厚手の体は
紛れもなく生きている者の生きている手で
ヨイショヨイショとこねられたもの
土だけど
生身だ
スキを見て
乗せてある料理を
パクッと
食べちゃう
ん? 一つ残しておいた肉だんご、どこ行っちゃたんだ?
なんてことが起こってしまうかも

後半はすっかり聞き役に回ってしまった初顔合わせ
「またぜひおいでください。」の声に送られて
お家を後にする
「お疲れ様でした。」ミヤコさんが笑う
「ふーっ、疲れたけど、何か楽しかったですよ。」
涼しい風が吹いている
夕暮れが近いな
振り返ると
家の前に並べられた山野草の鉢が
来た時よりずっと鮮やかに見えた

 

 

 

Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.(1)

※2014年10月末から2015年3月までの渡辺洋さんのツイート、FBポストの一部です。

 

渡辺 洋

 

2014年

10月28日
Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.

11月2日
いやはや、今、ちょっと肺と十二指腸を診てもらっていて、いま、ちょうど中日です。それはそうと、こんな日なのに、私の詩集『最後の恋 まなざしとして』(書肆山田)が出ました。できれば買ってください。
hontoでは http://honto.jp/netstore/pd-book_26433803.html
紀伊国屋では http://www.kinokuniya.co.jp/disp/CSfDispListPage_001.jsp…
何か、本屋に行って注文した方が早そうな。/Users/michiosato/Downloads/渡辺洋ツイート1411-1503/渡辺洋ツイート1411-1503.txt
ヘイト・クライムや同調圧力に対する差別などに対抗したものです。
ね、Yoくん、Dくん、Fくん、Sくん、Yaくんほか。

11月12日
個別に答えてるのも何なので、ここでぶっちゃけ話してしまうと(と言ってもそれを話すのも今やっとなのだが)、まあ、肺と肺を原種とする十二指腸潰瘍になってしまったわけです。うん、そういうこと。

11月24日
さっき久しぶりに書いていたら、記述を間違え、薦田さんにご迷惑かけました。えっと「プロフィル欄」の記述を新しい記述に変えたいのですが(癌ではなくて、新刊の記述に)どうしたらいいでしょうか。それがうまく行けば新しい記述の流れにできると思います。

久しぶりに再開。また英語で1行目はと思ったのだけれど、考えてみたら英語での波及度が低い内容なので英語にします。2か月くらい前に体に小さな異変を感じて、いくら何でもそんなはずはと頑張り、結局異変は癌でした。今やっと、グレード4の治療計画が決まり、脳の治療をやって帰って来たところ。

11月25日
おはよう。今日はたぶん会社に行って、社長と現場にあいさつ。これでしばらく通退院を繰り返すのかな。ま、その間に、次のペースをつかみたい、生きていればね。

いやはや、再開のコメントで「英語で」「日本語で」というのを、さっそく「英語で」「英語で」とやっている。ま、最初はこんなものかな?

再入院待ち。

11月26日
再入院待ち。と言っても事態は深刻さを待つものかもしれず。いずれにしてもベッド空き待ちというのはいい気分じゃないです。脳の治療はきつかったにもかかわらず本人は麻酔でクリアしちゃったけど、次に待ち受けるのはまた怖い検査なのかな、とか。

一昨日書いた「グレード4」は「ステージ4」の誤り。

11月27日
7月に発案した、清水哲男さんの評論集、まだ文章集めは9割弱だけれど、書肆山田のお二人がオリジナルの対談を送ってくれたのを読む。友達たちにメール。

いやあ、ぼうっとしていて、たとえば25年近く一緒に働いてきたYさんやアイドルの水原希子ちゃんの名前が出て来なかったり、一昨日も社長あいさつと現場の引き継ぎはしたけど、現場全体へのあいさつはしたかなとか(したとのこと)。まあ、これは脳腫瘍の治療のおかげで楽になったみたい。

ぼくの場合、①肺癌→②十二指腸癌→③脳腫瘍、というセットとのことで、脳腫瘍の治療だけは何とかできたとのことで、肝心の癌治療の方は入院さえできていない。この間、声枯れとか、「生まれて」初めての浣腸とかいろいろありますが、それはゆっくり。

いやあ、入院待ちっていらいら。急患じゃないと入れてもらえないの? 少なくとも今週はもう入れないことに。

少なくとも今週はもう入院できないことに。って、うちの彼女がもっと速くと強硬に病院にごり押ししてくれているから、ぼくは大人しくしているだけなんだけど。

週末、あまりに暇でおかしくなりそうなので、友達のアポを一つゲット。友達、少ねえ~(笑)。

石井輝雄監督の「網走番外地 南国の対立」を録画で観る。大河内傳次郎、吉田輝雄(ど下手)、大原麗子とか60年代の懐かしい役者がどっちゃり。お前がハジキを2度構える前に俺のドスがもう一度お前を刺すぜとか、主題歌の「その名も網走番外地」とか。

復帰前の琉球撮影のせいもあったのか、ただカットが短いだけか、やたらショットが長い。全体にほとんどカットされていない? たぶん、生まれて初めての健さんの映画。

11月28日
あまり眠れないまま起床。眠れないと、ちょっと近所へというだけでも大息切れ。

「「生まれて」初めての浣腸」というのも間違い。2006年の夏に鼠径ヘルニアを患って、手術日の前夜(プロの浣腸)にされたのがはじめて。今回、腸の蠕動がなぜ起きなくなったかについては、酒を飲まなくなったせい? 薬をいろいろ投与されたせい??

午後、担当医師からじきじきに、月曜に検査の上、入院と。

朝、書肆山田のお二人が送ってくれた、清水哲男さんと八木忠栄さんのオリジナルの対談を読み返して、これからのまとめ案なども添えてメール。

薦田愛さんから熱田神宮のお守りが来る。

今日はまあまあ眠れた、7時間ちょっと。

11月29日
イタロ・カルヴィーノさんの『冬の夜ひとりの旅人が』(脇功訳・松籟社刊。1981年刊、ぼくの持っているのは84年刊の3刷)を後少しというところで読みさしにして考える。じつはこの本、30年前に50ページくらいしか読み続けられなくて、(続く)

今回たまたま須賀敦子さん訳による『なぜ古典を読むのか』(河出文庫)を読んで思い出して、娘-24歳-に預けてあった(押し付けてあった)3冊の本の内、何か持ってきてと頼んだら、さすが娘で、宇宙ものや歴史もののパロディではなく、この「書くこと」「書かれること」をめぐる、(続く)

読者たちやいくつもの物語の書き出しに関する、最高の「アヴァンギャルド」作品を持って来てくれた。その頃、前の会社を止める頃だったけれど、何を考えていたのかなあ。もっと左翼的な方向へ?

そして、またその頃、鈴木志郎康さんの影響もあって、現代詩もう一度できるかもしれないという思いがあり少しずつ始めたんだけれど、その時に見落としていた岩田宏さんの詩・散文・翻訳をめぐる「反抗的な」姿勢を今、見直している。これはきついですよ。どう読み込めばいいのか、まだ分からない。

カメラマン・映画監督の大津幸四郎さん、亡くなりましたね。私なぞが言える分際じゃないけど、合掌。

大学の教養時代の同級生、Yくんが遊びに来てくれる。毎日新聞(現在はホールディングス勤務)で、元々異動も多かったのが、最近、東京に戻って来ているらしいとのことで調べ直してクラス会用に連絡をつけて、で、結局ぼく(何と幹事のくせに当日は入院で出られず)も彼もクラス会では会えなかった

30年ちょっとぶりに旧交を温める。何か、出版や新聞の終わりの世代的な(笑)。会話に疲れてきた頃、彼女も帰って来てちょっと楽する。

11月30日
夜中にむずむずして一人浣腸。液は全部入らなかったけれど、そこそこ出る。寝直す。

ところが、あなたたちふたりは、もうなにも聴いてやしない。あなたたちも姿を消し、隅っこの方にへばりついて、たがいに抱き合っている。それがあなたたちの答えなのか? あなたたちは生きている者たちもまた言葉のない言語を持っているのだということを示そうとしているのか? (続く)

ただその言語では本は書けず、一瞬一瞬を生きることができるのみで、記録することも思い出すこともできはしないのだが。(イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』脇功訳・松籟社刊)

この村で育ったからには、ヴィルジーリアに、パドリーノに、いまは亡きすべての人びとに、礼を言わねばなるまい。たとえ、ぼくを引き取って育ててくれた理由が、アレッサンドリア市の孤児院から送られてくる月々の扶養金めあてであったにしても。(チェーザレ・パヴェーゼ『月と篝火』河島英昭訳・岩波

この15歳上の同じイタリア人作家に対して、カルヴィーノさんは「彼が用いるイマージュとアナロジーは強迫観念じみた人身供犠への不安に引き寄せられている」(須賀敦子訳)と書いている。こうしたアヴァンギャルド作家と自死を目の前に書き続けた作家の差。

そして、岩田宏さんの、まだうまく言えないけれど、感性の全体主義(世界はそんなに単純なのか、とか)とでもいったものへの反抗、行分け詩の放棄(?)といったこと。

木、金曜くらいから足萎えかで息切れなのかと思っていたけど、これは呼吸困難? とりあえず病院に入りたい。

木、金曜くらいから足萎えかで息切れかと思っていたけど、呼吸困難まで来てしまったかも。とりあえず病院に入りたい(酸素ボンベ?)。午後、浣腸の続き、細目にやった方が楽みたい。明日からは病院に相談、薬とか変わるとまた違うかもしれないし。

アプリは作ったことがあるけれど、スマホはあまり好きになれずに自分では持っていないまま、今回も娘を頼って買うタイミングが合わなかったし。買ったiPodはバッテリーが干上がってしまって使えず。よって入院後はノート筆記とラジオ。いつかまた会いましょう

夕方、母親(87歳)に電話。今は、父親(89歳)と隣室で小田急線沿線のホームに住んでいる。今までは、うちの彼女を通して、さらに兄夫婦を介して連絡してもらっていたので、直接連絡するのは初めて。比較的、冷静に話せたかもしれない。

 

 

 

Before going to work, I read TAKAGI Jinzaburo’s essay in a cafe. So fine here.(2)

※2014年10月末から2015年3月までの渡辺洋さんのツイート、FBポストの一部です。

 

渡辺 洋

 

 

12月13日
妻娘にiPadを買ってもらって、 病室から発信テスト中.。

入院前に、転移してできた脳腫瘍を別の病院で焼ききり(4本で4時間)、12 月1日に 入院したとき、直前のPET検査では、癌は肺と十二指腸(2か所)で、まず歩けなくなるほどの貧血に輸血しながら、とにかく困難な十二指腸を先に切除し内出血を止めようと打ち合わせしていた。

胃と十二指腸の内視鏡を撮ったところ、出血がすごく、その日(金曜日)から食事止め。明けて8日の月曜から腸が痛み出す。もともと肺が出発点で呼吸器で入院したのだが、打ち合わせをしていた消化器の医師たちが飛んできて、レントゲン、夜には水分も止められて、鼻から胃の中身を吸い出すチューブ。

火曜日、これは今まで見つかっていなかった小腸ガンだということになり、夕方から手術5時間。泰子とは少し話すが、後は昏睡。翌日聞いたら、大腸ガンと後から見つかった出血の中心だと思われる十二指腸のガンひとつを切除したとのこと。今日はここまで。おやすみ。

12月14日
便、開通。1, 2時間ごとに、しばしゆるゆるでトイレに走ることになりそう。尿の管をおととい抜いて、昨日もおとといも「間に合わなかった」ことが(笑)。

ボランティア学生に救われたホームレスのおっさんにしか見えない父娘。 (写真)

ゆうべ一箇所「小腸」を「大腸」と書き間違い。

来てくれた妻とFaceTimeで無料テレビ電話。病室で^_^

五時頃、鈴木一民さんが来てくれる。関西営業から帰ったばかりとか。あらためてこちらの経過を説明し、後は岩田さんの話や、周囲のガンにかかった人の話など。

ヴァイタル(体温、血圧、酸素)、レントゲン(こんなにたくさんとっていいの?)、問診、排泄の繰り返し。12月も半分。あ、採血も1日おきくらい。

12月15日
ex-S堂のすでに退職された大先輩2人が来てくれる。あれこれ話して一時間半。おみやげが折口全集2冊(元本)。これは病室で読むには、モノとして重すぎるんじゃない?

入院してから読んだ本。N.ギンズブルグ『マンゾーニ家の人々(上)』、伊藤計劃『虐殺器官』、富岡多恵子(再話)『近松名作集』、カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』。今読んでいるのは『新選 岩田宏詩集』巻末の散文と解説、パヴェーゼ『月と篝火』。

12月16日
治療のフェイズが変わって身体がついていけない、1, 2日毎に悪夢。ふーっ。トイレがやたら近くてそのたびに点滴の電源を抜くのがちょっとうんざり。

12月17日
窓際のベッドに移してもらえた。 (写真)

午後、ex-青土社/河出(現在は病室から場所の見えるM)のSくんと、ex-新宿書房のMくんが来てくれる。これからどんな経済で生きていくかとか、Mくんのわがままな感じが面白い。

週1, 2回来てくれる若者。「話すこと、あんまりないね」 (写真)

富士、iPadでなんとかかすかに。
右の方。 (写真)

12月19日
パヴェーゼさんの『月と篝火』読了。捨て子である主人公が孤児養育の補助金目当てに貧しい農家の下働きとして買われ、苦労を重ねたのちにアメリカに脱出し、財をなしてイタリアに戻ってくるが、葡萄などの農村の貧しさは変わらず、ファッショとパルチザンとして戦った人々もお金と宗教に回帰している。

主人公の神話のような遍歴、ファッショとパルチザンとの二重スパイとして殺される、元の雇い主の娘。イタリアの映画美しく切り取られそうな風景を背景にえがかれる物語はどこか淡く苦い。そしてこの小説を書いて作者は自殺した。

12月22日
あれこれの意表を付く速い展開に気持ちを整理できない状況。今週末くらいには書けるかな?

12月25日
小腸ガンの手術後の養生も終息に向かい、本当ならぼちぼち退院になりそうなところ、先週なかばから左脚が動かず、立てず、歩けず、踏ん張れず、で調べたところ、脳への転移がまた進んでいるとのことで、今日から放射線の全脳照射。2週間くらい、年越しで。いやはや、やれやれです。転移と治療のいたちごっこにならないといいけど。

みなさん、ありがとうございます。ガン患者としてできるのは落ち込まないでいることだけかもしれません。

医学とくに外科が進んでいるとはよく聞きますね。でも、ぼくの十二指腸のガンの予定される術式を、先日、ドクターXが「悪いとこだけ切りゃいいじゃん」と、あっさり5分くらいで処置して否定してしまったのには唖然としました^_^

左手も若干不自由になって来ました。進行と治療の追っ掛けっこです。二日がかりで入力しやすい体勢を摸索^_^

Sくん、来れば会えるよ。正月でも。

病院の方で、今年と去年の健康診断の記録や写真を 取り寄せたところ、これで見逃すのは仕方ないとのこと。恐ろしい肺ガンのスピード。

全脳照射でびゅー。初回の準備は長く照射はあっという間。

ナイフは見送りです。

これから成長しそうな小さな腫瘍が多そうなのでナイフでは無理という判断

 

 

 

ファミレス

 

みわ はるか

 
 

「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。

略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。

気の強い母だった。
不器用な父だった。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。

耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。

何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。