広瀬 勉
東京・杉並松ノ木。
指が消える。
手が消える。
腕が消える。
リヒテル* が、消える。
ハイドンが消える。
谷を降りるときに、背後から追ってくるもの
水の音のする、その方角まで、斜面を下っていく。
突然、空が激情しても、
消えていく、音楽の試みに、空が諭される。
手を、冷水でしゃばしゃば
そして、咽喉にごくごく。
降りていって、ピアニストの錯誤と斬り合う
きれいな誤りね。
ハイドンの音楽で
手を洗っても、口を濯いでも、それはそれで正しい所作で
齟齬を遊ぶ、そのやり方は、自由なのだから。
些事という、苦しい時間を
リヒテルもハイドンも
空も谷も川も
流れている。
錯乱する自由と
しない自由と、
滑落する放恣と
覚り留まることと、
水の流れを見つめて
吸い込まれるように入水することと。
その鈴の音は、確かか ?
ほそく、風景の断面を斬る
やわらかな、鈴の音は
あるのかなあ。
谷の底で
さそわれて透けているのは、
わたしではなかったのかもしれない。
*名手リヒテルでさえ、暗譜で演奏するのを恐れていたという。
昨日は
神田で
荒井くんと飲んだ
飲んで
帰りに
新丸子の
夜道で花を見た
花と
会った
花を見て
わたしがいた
わたしがいて花を見た
のでなく
わたし花を見た
海もそうだろう
山もそうだろう
原始のヒトたちも
そうだったろう
見なかった
のか
夢は
新丸子の
夜道を帰ってきた
雨の日に
見た
小さな紅い花たちが
枯れて
た
内田光子の
シューベルトを聴いて
眠ったのか
夢は
見なかったのか
忘れて
しまったのか
朝になり
空白の夢の後を追う
紅い花が
咲いて