友と呼べる存在がいることの奇跡

 

みわ はるか

 

 

「あー元気だった??髪切ったよねー??」
「切った切ったー。そっちも切ったでしょー!」
こんな会話から久しぶりの大学の友人との食事が始まった。
社会人になって4年目。
こうして今でも定期的に会えることにふと感動することがある。
地元から近い大学を選んだことが正解だったと思える瞬間だ。
彼女とはもう8年目の付き合いになる。
彼女はすらりとした体型でスタイルがいい。
白いパンツスタイルがよく似合う。
わたしより少し背が高く、肩まで伸ばした黒髪に緩いパーマをあてている。
それがとってもよく似合っている。
化粧も気を抜くことなく細部まで完璧だ。
身に付けている時計や鞄も品がある。
美人だ。
でもどこかふんわり抜けている部分があって、男性は放っておかないだろう。
わたしのつまらないだろう話や愚痴もいつもきちんと最後まで聞いてくれる。
自慢の友人だ。

お互い20代も後半に突入して、もっぱら仕事の話と恋愛話で盛り上がる。
大学時代に思い描いていた社会とはどこか違う現実世界をなんとか受け入れ飲み込んでいる。
思い通りに進まない人生をお互い嘆き、ときに笑い飛ばす。
そうでもしないと何か見えない大きなものに吸い込まれてしまうから。
近い境遇に生きる者どうし共有し乗りきっていく。
ときにお酒の力を借りて。

SNSに投稿される写真や文面は幸せに満ちたものばかりだ。
本当はそうでない時間の方が長いにも関わらず。
そうでない部分を隠して、見つからないように振る舞う。
それはきっと誰もに備わる本能なんだと思う。
けれども、そうでない部分をわたしは彼女には打ち明けられる。
聞いてもらいたいと思える。
彼女はそんな友人のうちの一人だ。
頻繁には会えないけれどチャンスがあればスケジュールを調整する。
笑っている写真の中に写っている自分だけが本当の自分でないことを理解してくれる存在だから。

桜はあっという間に散ってしまったけれど、そのあとに残る深い緑の葉はどこか頼もしい。
力強く幹にくっついている。
これからまた暑い暑い夏がやってくる。
そのころにでもまた会えたらいいなともくろんでいる。