洞門行

 

工藤冬里

 
 

辻の気狂い
ただの行き違い
吉祥寺の頃から

体の中に茶筒があって
捻ると音がする

溝(ドブ)の黒
収穫は終わった
セメンの中の果実色した宝石
こげ茶のN/
納得できない事柄を考え続けるより
目の前の物を楽しむほうが良い
うずら
こわばり

 

 

 

自転車屋のおじいさん

 

みわ はるか

 
 

マンションの窓から向かいの自転車屋さんが見える。
70才近いだろうか。
白髪、眼鏡、中肉中背、すらっとしたおじいさん。
1階は自転車を売ったり直したりしている店舗、2階3階が自宅だと思われる。
カーテンという概念がおじいさんにはないのか、2階の部屋は夜になると中がよーく見える。
窓際にマッサージ付きかなと思われる大きな椅子、テーブル、その向かいにテレビが置いてあるようだ。
お店を閉めた後には必ずそこにおじいさんが現れる。
1人、何かを飲みながらテレビの方を見ている。
たまに大きな口を開けて笑っている。
たまに勢いよくビールだろうか飲んでいる。
外でお祭りをやっている日でも、数年に1度の台風が来た夜も、おじいさんはいつもと変わらず椅子に座って休んでいる。
とても幸せそうだった。

ある日、たまたまお昼にその自転車屋さんの前を通った。
おじいさんが仕事をしている時間だった。
ちらりと覗くと、おじいさんと目が合った。
口をもごもご動かしていた。
傍らにはお饅頭が箱ごと置いてあった。
いたずらが見つかった少年のように目をまん丸くしてこちらに会釈してきた。
わたしも軽くお辞儀した。
お饅頭の箱をそーっと後ろに追いやっていた。
なんだかとてもかわいらしかった。

これから寒い寒い冬がやってくる。
おじいさんはあの椅子に座り続けるだろう。
半纏でも着るようになるのかな。
熱燗でも飲むようになるのかな。

これからもこっそり迷惑にならない程度に垣間見てみようと思う。

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

満員電車で運ばれていた
多くのものが足がなく、多くのものが鼻もなく、
たいていは合成樹脂だった
知らないもの同士だったから、
話す言葉を持たず、
話す理由を持たないから、
黙って運ばれ、
こんなに満員でも、車内は静まり返っている

ポイントを通過し、電車が揺れた
私たちはグラグラと動き、圧迫し合う
ニッケル合金の私の肘が隣の女の腹を突いたが
女は痛くもないのだろう、呻きもせず少し体をずらしながら、何かを私にポトリと垂らす
女の額から黒い汗がこぼれている

咳が聞こえた

満員の車内で、誰かがコンコンと小さく、咳をしている

咳は一度止み、間をおいてまた、始まった

沈黙の車内に、咳の音だけがひびく
咳が聞こえるたび、貨物たちはムズムズと、少し動いた
みんなが咳を聞いていた
積み重なった肩のへりや、頭の後ろで、皮膚のどこかで、
その生々しい、貨物の発する咳を聞いた

Y駅で少しの乗降があり、さらに混みあった電車は橋にさしかかる
荒川河川敷に射し込む朝の日差しが、車内にも届く
貨物たちは一瞬、金色に染まった
そしてその金色の光の中で、私は
眼下に12匹のタヌキの子どもの姿を見たのだった

咳は聞こえなくなっていた
ギュウ詰めの電車内から解放されて、タヌキたちは河原で飛び跳ね、じゃれ合っている

電車はもうすぐ地下に入り、私は都営線に乗り換えて、職場へ向かう

まるで自らの足で歩いて向かうように、職場へ向かう

この足は、誰の足だろうか?
私は、モノだろうか? それとも、タヌキだろうか?

あるいはもしかして私は、ヒトだろうか?
そう思い至ったとき、背筋にゾクッと、生々しい戦慄が走った

 
 

(10月某日、京成押上線上り列車で)

 

 

 

枕辺の

 

薦田 愛

 
 

めざめて
いた
ぼんやり
ひとり
ひとの
でかけてゆくひとの
くちづけに
めざめた
まえにだったか
足もとの
あけはなされた窓からきこえる
虫の音にふうっと
ひとねむりした
あとにもういちど
めざめてだったか
ほうけて
いた

花をかかえてまっすぐ
帰ってくる
ひと
おとこの
そのひととの床に
いるのだ
てあしのすらりとしたおんなの子が
ふたり
いる
おとこは
おこづかいをあげたりしてるんだ
という
たりって何
と、おもう
ひまもない
教科書の入ってなさそうな
かばんが
ほうりだされている
と、気づくやいなや
ふたり
みかわして
わらいごえをあげて
でていった
いってしまった

おとこは
ゆうべ
花をかかえてまっすぐ
帰ってきたのではなかったか
わるびれるでもなく
でかけていったのだろう
おんなの子たちのあとを
いないのだった
だれも
わたしたちの床には
あけはなされた
足もとの窓から
みおろしたのか
タクシーが
(と、おもった)
おとこをのせて
(と、おもった)

つづらに曲がるみちを
(未知、を)
いくたび折れて
その先でいつか車はとまる
おりた場所で
おとこが
荷を解いて積みあげて
とりにくる
だれかを待っている
まっている
(と、おもった)
わたしの
窓をとおく
よぎってゆく
ひとかげがそれであろう
(と、おもった)

虫の音がやむ
鳥たちの時間
朝、だ
まばたき
そして
目をあげれば
みえていた
(と、おもった)
かげは
プラごみ回収車の
はしりさったあとに
あとかたもなく
今朝のひたいをぬらした
おとこの
くちづけが
つれてくるかんじょう
(なみのけはい
(あるいは
(なみだににたなにか
(いえこれは

わたしを去った
あまたの恋の
卒塔婆をたてた野の末で
砕けた
対の茶碗がわらいだす
誰やらのぬけがらがおどる
にゅうねんに
あやとりするのは蜘蛛
地中深くから
蘇生して
けさ
くちびるのふれたあたりから
午前九時
あさいねむりと
わるいねがえり
いくども
いくどでも死んでゆく
細胞
その底で
とおくにぶく
うずく
それは
もえるだろうか
それは
分別をこのむ
指さき
朝の
こわばりを脱いで

今宵
ひとは
おとこは
帰ってくる
今日の花をかかえて
まっすぐ
ぬけがらでもなきがらでも
ない
おとこの
弁当箱をあける
かるい
梅干しの種がぬれている