ぼくはこの山が好きだ

 

鈴木志郎康

 
 

ぼくはこの山が好きだ。
誰か昔の人が作った山、
高さ5メートルほどの山、
春は緑に身を投げ、
夏にはアイスクリームのサジの底に映して眺め、
秋には枯草を駆け上り、
冬は冬で、雪でも降れば
滑って遊ぶ。
ぼくはこの山が好きだ。

 

 

 

spring without winter

 

工藤冬里

 
 

「冬なしの春」

 
文房具屋のノートにはもうだまされなくなった?
「うん」 低い声だった
それから
笑い転げた

着膨れした現存在が十六夜に躄(イザ)り歩く
全き春を脱ぎ捨て寒暖は灘に消える
花は自分で根を引き抜いて放浪する
これは俺の永仁の壺なのだ
私は純粋に遭難した
雨の音は私を食べている音だった
私は、私がちっぽけな存在であることを思い知らされました
私は白骨化しました

「語呂はあってるかもしれんがそれだけじゃねえ。真実を突いてんだ」フアン・ルルフォ「北の渡し」

19世紀末から20世紀初頭と比べると進歩というものは殆どなくなっていて葡萄玉くらいの雨の音で起こされ警備のバイト忘れて辞めたいけれど制服一式失くしていて辞められないまま21世紀も随分過ぎている

白について書かれた本には原研哉の「白百」があった。ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」もその系譜に属すが、両者を比較すると白磁の苦闘のようにして白の上の白が見えてくる。

冬なしの春なら二月の手帳には「暴力革命上等」と記す

 

「冬なしの白」

 
活字吹雪の梅ヶ枝に
声色使う朗読の
〽あんたは必ず、多くの国の人々の父となる
遠い稜線は心には仕舞い易い
カニ道楽色の廃油の路地
スレッドの絡まりは鞠として蹴られ
四代目が戻ってきた
今の流れがこうなるということを予告していた
息子は息子のまま老人になり
メダリヨンは魚の額に貼りついていた
月の暦を追う時の温度
ハルは冬なしでやって来て
洋風のインド語族の白を盗む
赤い糸の貼り付く地表
なんの教訓があるというのか
九十で子を産め
執事は助けてくれる
カレー食わないのか
オチのない崖っ淵の
白亜
その白はヒンと言う
還元の石の青白
その玉を
ひとりで持っている
イチジクは
死ななければならない
べらんめえ調の真理はあるか
どうしたら種子から殺せるか
法外な埒外の清浄
近道に使うな
地表は中庭なので
怒りの赤糸が展がる
岩盤を削り事故に至る
数日後の死に向けて掘鑿していく
スリムな俺が喋る
いつまで金属を舐め続けるか
大流行は特色のひとつ
目は電子版に馴らされ
ディスプレイに血が飛び散る
白羊色てウールのことか・・・
ぎょっとして星々に振り向き
昼の不足の奪略を星々に誓う
星々に誓ったりするからだめなんだ

 

「コロナ」

 
こうなろうと思ってあの頃奈良から六甲にトンコロしたわけじゃないんですがこの子ナロー粉野郎コロッケ何個なん?とか泣かれコロッと太陽黒点コロナイダーになって熟れたナローロード

「語呂はあってるかもしれんがそれだけじゃねえ。真実を突いてんだ」フアン・ルルフォ「北の渡し」

蕗の薹幾つか採って一つ遣り
蕗の薹浮かべて春に苦さなし断頭の日の密かにくるう
蕗の薹浮かべて春に苦さなし暖冬の非に密かにくるう
これからはDJも詩も参加型だね
コミュニティのないラッパーのように

 

「歌謡ショー」

 
leprosy
India song
1918年から1919年にかけて流行したインフルエンザ(スペイン風邪)は感染者5億人、死者5,000万~1億人でした
太陽の中を人の形をしたものが歩いているのが見えます
内側を食い尽くすものが反転して
地上では外側が汎デミックの氾濫
ちなみにうちのエアコンはコロナ社製
朱鱗洞もそれで死んだ
最近平気
細菌兵器
地震併記
自身兵器
too wetな日本のジャズ
代償としてのフリージャズ
涙目のパトロン
網走番外地の歌詞の文法的破綻
その裂け目から生まれている
wet wet wet
リュウグウノツカイの死体置場のモノローグ
腐乱
焼芋
三本の同じナイフ
切干

 

「the slope of cedars」

 
同じセリフ同じ時
というフレーズが露天で聴こえて
真の命とは永遠の命のことなので
入れ替わる従兄弟丼
死ぬようには造られていないので
ロトの二人の娘のトラウマ
従兄弟の伊作のようには
ミシュランなしで結果を味わう
永絶するものがある
珍の命
朕や貂や
島々の奪い取り
レアメタル・グラインド
筆致
線の代わりに彫るパイロットが
点検を続ける
好ましい変化を遂げ続けているでしょうか
池が妨げ、溜め池が!
茨の蒔かれた茨城県
富の誘惑富山県
高い生活レベルを維持したい
塞ぐとは完全に絞め殺すこと
無理な要求を掴むこと
首が曲がっている
民族を横断する顔が
傾いている 九十年以来
杉の列
切られたトラウマ
絵の根に毛が生えている
ヒヤシンスの根はポキポキ
杉のかたちに鋳抜かれている
jubilee
send all the punks away free
視聴覚教室
元気だった頃
澄ました声の九十六歳と
白い海生哺乳類の肌の
型押し
油紙に鋏を入れる
赤の反転塗り潰し
恩讐の彼方
ササクレのない渡り廊下
マッチ棒を刺して足
暇がなくなると思っている奴
無駄な労苦がなくなるだけだ
家に興味はない
穴でいい
煮て溶かす失透白
自由の中に白の斜線がある
jubileeには斜線があるのだ
杉の斜面が

 

 

 

また旅だより 18

 

尾仲浩二

 
 

年が明けて韓国へ行ったり、いくつかの写真展が始まったり、還暦になったりと慌ただしかったが、2月に入って久しぶりにのんびり。
仕事で誰かと会う約束も遠くへ行く予定もない。
昼に近所の八百屋を覗いたり、まだ明るいうちに銭湯に行ったり、ファミレスで午後からワインを飲んでみたり、猫を撫でながら配信で古い映画を観たり。
なにもしていないように見えるかもしれないけれど、ちゃんと写真集の発送したり、なにやら考えたりもしているし、たまにはこんな時間が大切なのだ、などと誰に言い訳をしているのか。確定申告もやったし。 

2020年2月14日 東京中野にて

 

*****
 
写真展情報
1月18日より4月5日まで
奈良市写真美術館にて個展「Faraway Boat」
http://www.irietaikichi.jp/

 

 

 

 

「夢は第2の人世である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第80回

 

佐々木 眞

 
 

 

最高権力に逆らった罰として、私は荒れ狂うゴリラの入った檻に入れられたまま血に飢えたサメどもがうようよ泳いでいる海の中に放り込まれた。11/1

バッハについての講演会があるというので、指定された会場に定時に到着したのだが、誰一人いなかった。11/2

母国の崩壊の報に接し、恐怖を覚えた私は、これまで書き続けてきた敵国呪詛の過激な日記を焼却して、隣国に亡命した。11/3

「洋服と人世についてスピーチせよ」と命じられたが、ふぁっちょん業界からずいぶん遠ざかっているので、「そんなの無理だぜ」と思いながら、懸命にショップ探訪しているわたし。11/3

こないだ女の処へ忍んで行った時に、衿足にしてくれた接吻の快感が忘れられないので、昨夜また「してくれえ」と頼んだが、「え、もう賞味期限が切れたの」と笑うばかりで、冷たくあしらわれた。11/4

現政権の政策に対して反対し続けてきたボクだったが、金策に困じ果てて某大使から50万円借りてしまったために、友人たちからは裏切り者と指弾され、大使からは返済を求められて、ついに万事休してしまった。11/5

するとそれに見かねたヨリシゲが、ボクに100万円相当のぶんぶく茶釜を譲ってくれたので、これでなんとかしようと、地元に「なんでも鑑定団」がやってくるのを待っている次第だ。11/5

ジャーネー事務所の管理体制の強烈な締め付けに逆らって、私は個人的クーデタを企図していたのだが、私の担当マネージャーの女子が、それによって蒙るであろう致命的な被害と虐待を思うと、なかなかそれを決行できないでいた。11/6

皆が役場に集まると、村長が52枚のトランプを並べて、「皆の衆、お好きなカードを選びなはれ。取ったその数字が、今年の年貢の数じゃ」と言うたが、誰一人手を出さなんだ。11/7

私は夜中の12時半に出発する京急バスを待っていたが、流れ者に交じって諸国一見の放浪の旅に出てしまえば、可愛い女房子供はどうなるのだろう?という一抹の不安が、胸中から消え去ることはなかった。11/8

大きな蝶が飛んでいたので、ジャンプ一番捕まえたが、ふと上空を見上げると、アパートの窓から、2つの首つり死体が風にぶらぶうらと揺られており、そのひとつは、なんと私だった。11/9

妻に近寄って下手な冗談をいう男がいたので、私はいきなり殴り倒し、起き上がってくるところに膝蹴りをして、やっつけたつもりでいたが、そいつは、明らかに私よりも強そうなので、これからどのように決着をつけようかと戸惑っていた。11/9

大学のゼミにおける私のテーマは、何もしないで戸外をぶらぶら歩きする「東京散歩」という脱力系なのかなぜか人気があって、毎年大勢の学生が希望するので、うれしい悲鳴を上げている。11/10

大きな沼に不気味な生き物が棲んでいるというので、20名の部下を潜水させ、沼に垂らした20本の糸を一手に握りしめているのだが、いきなり水中に部下もろとも吸い込まれてしまう危険があるので、おさおさ警戒を怠らないようにしているのだ。11/11

散髪屋で髪を切ってもらい、頭を洗ってもらい、髭を剃ってもらったところで、財布を持っていないことに気づいて、えらく焦っているわたし。11/11

大晦日なのに新作CMの制作打ち合わせが入ったので、取り合えず会社を飛び出してTYOのキムラ氏の事務所へ急いだが、町は「ええじゃないか、ええじゃないか」の阿呆莫迦踊りの群衆に満ち溢れていて、一歩も進めない。11/12

私らは大望を胸に懐いて決起したものの、丹波地方を治める波多野氏の強力な武装兵に阻まれて、京への道を突破することができないでいた。11/13

敵は我が軍勢を一撃の元にほふったが、なぜか私の小隊だけは殲滅しないので、部下の青くん、赤くんを偵察に出したら、私らを鮎の友釣りの見せ鮎にして、友軍を引きずり出す餌に使おうとしていると分かった。11/13

工場で時間ぎりぎりまで働いていた私は、社食で食べ放題のスイカが殆ど残っていないので頭にきて、「お前たちはろくろく働かないのに俺の大好物のスイカを全部喰うてしまった。絶対に許さないぞ!」と見栄をきったが、誰も聞いてはいなかった。11/14

利害を異にする3社が、共同で立ち上げる新規ブランドのネーミング会議がもたれたが、3名の代理人が、他社の案を1対2で否決して潰しまくったので、結局何も決められずに散会したのよ。11/15

数か月の籠城虚しく、遂に明日は落城と決まった日も、城の牢番の私は、そこに新たに幽閉される人々のための大掃除を、せっせとやっていた。11/16

おらっちはルンペンなんだけど、この展示会場でゴロゴロしていると、たまにデザイナーに呼ばれて、「流れ者風のモデルになってくれ」と頼まれることがあるので、ゴロゴロしてるのさ。11/17

南海を疾走する私のヨットの帆には、実際に航海中に艇内に飛び込んできた飛び魚を貼付することによって表示された、巨大な飛び魚の絵が描かれていた。11/18

PCで袋と打つと袋が出てくる仕組みだが、レジに客が殺到してくるので、袋が出てくるのを待ちきれない連中が、自分で勝手に乱打しはじめた。袋、袋、袋。11/19

見た目そっくりの可愛らしい双子の男の子が、笑いながら私の顔を覗き込んでいるので、目を覚ますと、そこは今年の2月に亡くなったいうタツミ君の家だった。11/20

ギルガメッシュハイム語の原稿は、あまりにも膨大すぎて、私が家にあるプリンターとダンボール2箱分のB5用紙で印刷しても、まだまだ残っていた。11/21

クレーンに乗って愛の唄を歌う、という私の短歌に感動したというて、その2人はクレーンの上でセックスしたりして、どうにもこうにも引き離せない2人になってしまった。11/22

昆虫採集などしたこともないその貴賓が、「絶滅する前に我が国の蝶を収集したい」というので、私は仕方なく私は志賀昆虫店に絹製の補虫網を買いにった。11/23

冬休みで無人の大学に毎日通ってくる学生がいるので、「あんさんなにしてはるんや」と訊ねると、「たくさん単位を落としているので、その穴埋めに自習して、その証拠をこのカセットに録音しておいて、新学期に先生に渡すんです」と答えた。やれやれ。11/24

私はカナガワ氏からパリ駐在員を命じられ、「語学も出来ない老人なのに困ったことだ、どうしよう」と迷っていたのだが、かてて加えてダブル勤務の学校からもEU駐在員に任命されたので、もうこうなったら彼の地で骨を埋めようと、悲壮な決意をした。11/25

私はクライアントの指名により、コオタロウと組んでCMの企画とコピーをいやいや担当したのだが、営業が見積書を持っていくと、私らのギャラのあまりの高さに驚いて、「やはりコオタロウは止めにしてくれ」と頼んできた。11/26

世界一高く、遠くまで飛ばせるロケットの開発を目指していた私だったが、「そんなに闇雲に頑張らなくとも、テキトウなとこまで飛べば、そこからもう一度ジャンプさせるほうが安全だと」といわれて、すっかりやる気をそがれてしまった。11/27

私は大家にメール添付で大量の短歌を送りつけたが、大家からは何の反応もなかった。感じ悪うう。11/28

人物を撮らせたらナンバーワンという噂のカメラマンが当地にやって来たのだが、あいにく人っ子ひとりいないので、一度もシャッターを押すことなく帰ってしまった。11/29

町内の青年が議員に当選したというので、彼の同級生である長男もその祝いの席に仲間たちと一緒に並んでいたのだが、彼の脳髄では選挙も当選もまったく意味がわからないので所在無げに佇んでいるところを、私が手を引いて「さあ家に帰ろう」と言うとコックリ頷いた。11/29

101歳で大往生した中曽根元首相の業績を、マスコミは大ぎょうに称えているが、あにはあらんや国労をぶっ潰して本邦の労働運動の息の根を止めたのがこの人物であった。11/30

 

 

 

歩道橋

 

道 ケージ

 
 

オマエ 橋なのか
近いのに遠ざけるって
橋なのか
遠ざかって近づけるって

安楽に高く
恥ずかしく低い
蛇の抜け殻のペンキは剥がれて
青いくせに青くない

なぜ薄汚れた
有り難がられず
恥ずかしげもなく跨る
「渡りなさい」

義務走る小学生が
一目散に上っていく
「遠回りじゃないよ」

 

足 上げた朝
お腹空かして 出アフリカ
殺し合いは御免と海に出た
足だけで生きなさい

十万年
つま先を繰り出す
そこしかないと
倒れ込む

昔から
渡してきた
継ぎ足し継ぎ足し
オマエの足先は
その末端にすぎぬ

海跨って
かけるかける
のぼるのぼる
夜空

口曲がったオヤジの
オヤジが(炭鉱でしこたま儲けて)
建てたとさ

 

 

 

不在童子 Ⅰ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

立春だ おまえらしく 
笑える詩を書いたらいいじゃないか
天国のKが ささやく
ふ〜ん 「笑門来福」かね
幼少期の曲がり角で
笑いながら 服を着替えて
一瞬 襟を正して 
すぐさま それはさておき
僕に来る 音楽の夢をみている
オーボエとかバソンとか
木管がいいな
去年は老いたホリガーの 
恥じらう笑顔に触れた  *
でも 笑える詩は むずかしいよ

散乱ということばは 美しい
積み上げられ 崩れおちて
悲鳴をあげているような
本と本のあいだには
記憶喪失の思い出が
栞のようにはさまっている
失われて 失われていないような 
ナウマン象の牙に 擦り込まれた
恩寵なのだろう 眠ったように生きている
僕に来る 未来のことを

小庭に梅の古木がある
二月になれば白梅がほころび
満開のころともなれば うっすらと
香りたなびき ここにも ゆめうつつ
また来ては去る メジロやキセキレイ
花のあいだに 不在童子が座っている
毎年この季節になると 梅の木に
ちょこなんと座っている
どこにもいないくせに  

あいつは誰だ

 

* ハインツ・ホリガー(1939〜 オーボエ奏者・作曲家) 椌椌偏愛の音楽家です。

 

 

 

人とそのお椀 extra

 

山岡さ希子

 
 

 

この作品には番号はない。額装された1枚。

数字とその感情について。

「描いた人」、「所有する人」という「2」がここにある。作品のシリーズは、当初28枚シリーズで描かれた。それは、お遍路などで数えられている7の4倍として。だが、それは1997年のことで、1997年の展示の際に、失ったり、破れたりしたので、今は22枚。実物としては存在しないコンセプトとしての28、は残る。
2018年、所有する人は、その中から11枚を選んだ。そして、その次の月から、所有する人のwebsiteで、ひと月に1枚ずつ絵が紹介され、そこに、絵を描いた人の110文字の文章が載せられることとなった。

しばらくして、作品を飾るために、1つの額を制作しようということになった。描いた人は、手元に残ったそのシリーズの中から1枚を選び、額装した。描いた人は、その1枚を、所有する人へのサプライズギフトにしようと考えた。仕上がって、それは所有する人に送られた。所有する人は喜んだ。そしてその1枚は、所有する人の元で、めでたく12枚目になるのだと、描いた人は思っていた。ところが、所有する人は、額装は希望していたが、その1枚には戸惑っていた。

そして、所有者は、それは12枚目ではないと言う。12枚目、という考えは存在せず、11で完結だと。11枚の絵に11の文を組み合わせるという、所有する人のコンセプトがあったのだ。そのことに、描いた人は気がついていなかった。それで、もう1枚、調子良く送ってしまった。
宙ぶらりんになった1枚の絵。所有場所は移ったけれど、その作品のコンセプトは、描いた人のもとに差し戻された。

そして、そもそもの28枚の絵には、文を付けるというコンセプトはなかったのだから、描いた人の手元に残った10枚の絵がそうであるように、このextraにも、文はいらない。つまり、論理的には、絵と文の紹介は11回で終わって良い、ということになる。

だが、描いた人は、この絵が不憫に思えた。絵が、「描いた人」「所有する人」両者の目論見のズレの「板挟み」とは、ジョークと言えばジョーク。絵は、額の中で、ガラスと板の間にぴちっと挟まっている。しかし、意外に、嬉しそうにしている。

代案として、「絵」とその文は、なんにしろ、紹介はするということになった。そんな経緯で、この、これまでの字数110の決まりを捨てた、体裁のない、だらりとした悪文が、ぶらりと、ずるりと書かれたというわけだ。詩人に送るには、全く相応しくない。

せめて、手足を伸ばして、くつろぐ。

 

 

 

その天辺で男が歌っている *

 

墓参してきた

けさ

義母の
墓に

線香をあげた
手をあわせた

きょう
きみのお誕生日だね

きみの幸を

祈った

詩を書くために
君たちから

離れた
かもしれない

いま海を見てきた

海は

空を映して
青く

平らだった

ヒトは何万年もまえから
海をみてたろう

このまえ駿河さんの詩を読んだ

宇宙はまったく待ってなどいない **
という詩だった

そう
宇宙はまったく待ってなどいない **

だけど

海をみてると

この海も
この男も

宇宙だと思う

宇宙は待ってなどいないよ
だけどこの胸の中にあるよ

その天辺で男が歌っている *
その天辺で男が歌っている *

その歌をきみに伝えたい

ここがほんとうのはきだめなら *
ここがほんとうのはきだめなら *

その歌を

きみに伝えたい

 
 

* 工藤冬里の詩「三つ巴」からの引用
** 駿河昌樹の詩「宇宙はまったく待ってなどいない」からの引用