母のことを

 

鈴木志郎康

 
 

母のことを、
おかあさーんと
呼んだことなかった。
ママなんて時代が違う。
おふくろとも呼ばなかった。
かあちゃんと呼んでた。
はらへったよお
かあーちゃん
なんて 甘えてた。
でも、かあちゃん
私が私立中学に上がるとき、
中学のえらい人に頼みに行った。
それが心に残って
固まっている。
固いしこり。
でも、その中学高校で
私は文学に目覚めて
友人を得たのだ。

 

 

 

私は純粋に遭難した *

 

ここ
二十年ほど

高橋悠治のシンフォニア11を聴いてます

ジャケットの
表紙には

和田誠さんの描いたピアノを弾く
高橋悠治さんの

イラストが使われています

この
シンフォニア11を聴いてきました

義兄が死んだとき
葬式の後で

内陸縦貫鉄道に乗りました

ひとり
青森の深浦まで行きました

それで
深浦の海をみた

詩を書いた

その詩をみた志郎康さんが
いいですね

そう
いってくれた

言葉をドライブすることができれば
“芯”は独りでに出てきますよ

そういってくれた

中村さんが死んだ
渡辺さんが

死んだ

和田誠さんが死んだ

あのヒトも福島で死んだ

母が死んだ
義兄が死んだ
義母が死んだ

言葉は
無力だった

母の骨は
味がなかった

私は白骨化しました *
言葉の届かない場所がありました

きみにも
かれにも
あなたにも

あのヒトにも

じつは届かない

届いていませんでした

きみも
かれも
あなたも
わたしも

いつか

わからないことがわかるだろう
この音は

骨のようです

今朝も
シンフォニアを聴いてます

 
 

* 工藤冬里の詩「spring without winter」からの引用