あと何回の緑

 

工藤冬里

 
 

4月8日
「ヘルパー」として造られた(ge2:18)と述べられている同じ言葉がpslm27:9では神に関して用いられている。ということは女は神であり神に倣う男は女でなければならない、ということにもなる。オバマ-ライスを 父子とするバイデン-ハリス体制のようなものだ。バイデンはヘッドであるスーザン・ライスに倣い、カマラ・ハリスの皿洗いを買って出なければならないのである。
整理してみよう。男はオバマ夫人とカマラだけである。男は志願してヘルパーに「ならなければならない」。「女は存在しない」というのはそういうことなのだ。逆に、男になろうとする女を揶揄ってはならない。それは必敗者としての人間の自治そのものだからである。

ヘッドとヘルパーで成り立っている。
ヘッドはヘルパーでなければならない。
ヘルパーはヘッドであってはならない
ヘッドはヘッドであってはならない
ヘルパーしか存在しない
女しか存在しないのに「女は存在しない」と言い続けること、それが苦しみの全てだ

人口削減のアジェンダの中では男女の区別などもうどうでもよくなってきているのだ

蛞蝓のように舐め籤のように雌雄を選ぶ時代になった
ナメクジの雌雄があやふやなことについてはここを参照
https://t.co/ny4B1hDQEt

死にたいなら死なせてやろうホトトギス

「うごめく・けはい・きず」の中で一日だけ、火地風水が企画しますという日があった。プログラムには演奏者の組が予め指名されていて、「フリーインプロヴィゼーションを中心に」と書かれていた。その日参加したのは「TOKYO」の比田さんと白石さん、佐藤さんと敏子さん、大里、イベントアクシデント小山さん、吉原潤、火地風水(太田弥生、高橋文子、三上久美子、織田淳子)、そして僕であった。僕は三番目で、三上さんと二人でやることになっていた。三上さんは三階にあったマイナーに下から駆け上がってきてハアハアしている息をマイクに吹きかける、というのをやった。いや、織田さんだったかもしれない。僕がどうしたかは覚えていない。他の組の演奏も覚えていない。違う日だったかもしれない。

半夏舎の集合写真によく知らない女の人が写っているが彼女らには名前も時間もない。マイナーの死に絶えた全歴史の中で唯一覚えている音が前述の高校生の息だったというのも何がリアルかという自分のその後の展開と関係ある気がする。
4月9日
顳顬グシグシ
思い出ぼろぼろ
頭蓋ほろほろ
かなしみウトウト
ハラホレヒレハレ
青線ばるぼら

シーン1
毒物で切り売りする永遠
カット

シーン2
薹が立ったゴム
カット

地球の中心は赤ではなくエメラルドグリーン

4月10日

字体は木の種類のように

この人は元祖かなくぎ流だ

4月11日
美空どれみとか寒空はだかという名前がシティーロードに載っている誌面を紙面ごと思い出した。

4月12日
藤と八重見納めるごとたらちねの母はスマホを上に向けたり

 

 

 

#poetry #rock musician

凪いでいた

 

さとう三千魚

 
 

昨日
朝には

洗濯をした
洗濯物を

ベランダに干した

朝食を食べた

味噌汁と
ご飯と
野菜サラダと
納豆と
鮭と
漬物と

食べた

ご飯には
梅干しをのせた

昼前に
車で

海浜公園に行った

芝生の上に
バスタオルを敷いて

海を見ていた
半島の上には雲がいた

海は
凪いでいた

新聞を開いて
ポッドの珈琲を飲んだ

昼を過ぎると
浜辺には

風が吹きはじめます

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

クルギ・タ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

今日の謎めきに入ってゆきたい
とりわけて謎というのでもない
「詩が」「詩のようなもの」が離れてゆく
言葉が孑孑(ぼうふり)のように
重力をすてて泳ぎまわるのだ
だがしかしながらささとさすれば
西多摩郡日の出町の陶房に行くと
面白いようにテラコッタの仮面が出来る

青梅駅までの車中で読む本は
毎回本棚からほぼ無作為に引っ張り出した本
今日の無作為がこれだ
思潮社現代詩文庫82『犬塚堯詩集』
1985年発行当時に買った記憶はあるが
いつか読もうと詩の書棚に押し入れて
これまで35年間読んだことがなかった
出かける前に本を開くと64ページ
「河との婚姻」という詩が目に入った
 
空0ある日 哈爾濱の私の家をたずねてきた
空0クルギ・タと名乗る巨きな女を
空0私はすぐに河だと気づいたのだ

この三行で始まる詩に息をとめた
西武新宿線東伏見駅から拝島まで
また本をあけると哈爾濱のクルギ・タ
途中本を閉じてまたあけると
哈爾濱のクルギ・タ
犬塚堯という詩人が住んだ哈爾濱

クルギ・タという名前がすごく気になる
クルギ・タがどの国のどの民族かなど
類推するしかない茫茫としている
その河が「北満州の広野でみた一本の河」
さらに魅力的な料理と食事の場面

空0私は幕をおろして灯をつけて
空0うつむくクルギと食事する
空0彼女の瞼の上に浮ぶ月
空0煙を上げる酒 酔い痴れる大地
空0女の白皙の宏い胸に手を置いて
空0百里先の山脈の熱さを感ずる

男とクルギ・タは密語で交情し
女は歯を食いしばって
伝承と曙のゆりかごの中に子供を生み
さらに風は興安嶺を越え アロン湖を越え
とあれば東シベリア酷寒の
荒涼とした大地に想像が及ぶ
ツングース、タタール、ウリャンカイ
闇と光の巨大な迷路に
吹き荒ぶ砂嵐の航跡が浮かび上がり
確信の風景が眼前に下りてくる

クルギ・タは僕たちの姉に違いない
巨きな乳と肥沃な三角州をもち
ヘラジカの舐める蜜のような無限の交接
シベリアの深く単調な子守唄を歌う
それは延々と低くつぶやくような

犬塚堯さん謎めきの詩行に誘われました
あなたのような詩人が
南極越冬隊従軍記者として
何年にも渡って越冬の記事と詩を書いた
仲間の隊員を氷雪の嵐に失いながら
哈爾濱のクルギ・タを思い起こしただろうか
哈爾濱と南極ブリザード荒ぶ
極寒の円環閉じることなく
凍らない乳の河は透明に乳濁して
悠々と泳ぎつづけるクルギ・タ

僕はぼくのクルギ・タを思い出している
この世の人類の姉たるクルギ・タ

 
 

✶ 浜風文庫、三ヶ月間お休みさせていただきました。今回は犬塚堯さんの詩に深く曳かれて、「河との婚姻」からの引用を含め、このような形になりました。未完のエチュードです。テラコッタの写真は、哈爾濱・ハルピンのクルギ・タを想起しながら作った仮面です。

 

 

 

暮光之俳 七首

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

1)
耳際停珍珠
暮色晦暝秋水澈
等待著古曲

2)
繁星暗潜伏
秋光璀璨秋溪黯
山居彌虛空

3)
黃昏的神祗
潜心閲我斑爛光
恢宏奏鳴曲

4)
寂寂萬聖殿
曆史森然山海暗
黑警出色旗

5)
壁屋出彩虹
破事一件接一件
斷霞錯詩句

6)
看榮光來臨
我的城順從麈世
沉睡敗意中

7)
莫名的星磒
可能在將來寫成
幷遺失的詩

空白.

 

 

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