オマケのある光景

 

工藤冬里

 
 

草が光っている
敵ではないものの中から
逆らって終結した忠実さが出る
子孫に抜け道は残す
決して殴り返さなかった僕に
また熱烈に会いたいと思っている
ということは
生きているのも同然だ
熱烈にとはゴムを引き延ばすこと
エイプリルフールが溺れた
BBCにも真面目な人は居るが今年は難しいんじゃないか
ヴァーノン・コールマンの最終兵器彼女は、
とか
冗談にならない

オマケ
#シン
シン・マヘル
シン・大久保

 

 

 

 

#poetry #rock musician

雨が降っていた

 

さとう三千魚

 
 

昨日は

日曜日でした

予報は
午後から

雨となるようでした

白い
車で

女と

法事に
向かいました

四十九日の法事でした
臨済宗なのか

お寺には
白隠の

半身達磨図が掛かっていました

法事の間は広く
窓々は

開けられていました

庭の緑が
光っていました

読経の後に
雨はふりはじめました

雨がふっていました
雨はふっていました

雨の音を
聴いていました

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

履歴書

 

みわ はるか

 
 

住所
山の中

性別
女性

年齢
30才

略歴
山や田んぼに囲まれた田舎に生まれる。
当時は3世代で暮らしていた。
みんな忙しそうに働いていた。
保育園に入る前は兄弟や近所の幼なじみと野山を駆けずり回っていた。
ひどい擦り傷はしょっちゅうしたけれど、ガハハガハハと毎日笑っていたなぁ。
と、実はこの辺りはこの程度の記憶しかない。

地元の家から徒歩15分の保育園に入園。
同じ組の友達は13人。
男子7人、女子6人。
少数精鋭でみんな仲がよかった。
わたしが階段から落ちて左手を骨折したときみんなが心配してくれた。
ちょっとヒーローになったような気分になった。
みんなで鯉のぼりを作り、プールで水をかけ合い、スイカ割もした。
園内のお祭りのカレー作りは新鮮な体験で本当に楽しみだった。
冬はわりとたくさん雪が降るところだったので雪だるまをこれでもかという程作った。
ウェアは水浸しになった。
保育園の先生は明るくてきれいな人ばかりだった。
卒園は悲しくみんなで泣いた。
小学校も同じメンバーだというのにね。

上記のように13人そろって保育園のすぐ隣の小学校へ入学した。
少し大人になったような気がして嬉しかった。
けれど、入学して数ヵ月たったころずる休みを数日してしまった。
保育園とのギャップでなんとなく行きたくなくなってしまった。
公園でぼんやり過ごしていたがやっぱりみんなや先生に会いたくて、その後はきちんと通った。
小学校時代、そろばん、水泳、英語の習い事をした。
どれもそんなに長続きはしなかったけれどいい経験になった。
ポケモン、モーニング娘、テレビゲームにものすごくはまった。
ポケモンゲームは特に育て対戦に勝っていくスリルがよかったし、モーニング娘は全盛期のメンバーでとにかくかわいかった。
ぬいぐるみ、カード、シール、何でも集めた。
大分捨ててしまったけれどカードはまだ100枚くらい残っている。
相変わらずみんな仲良しで卒業式をみんなで迎えた。
このころからなんとなく将来こういう業界で働きたいかもと思えるものが頭の中をフワフワしていた気がする。

4つの小学校が集まって中学校に入学した。
80人くらいで2クラスに分かれた。
色んな個性の人の集まりだった。
様々な理由で人と人とがトラブルをおこす所を何回か見たし、体験もした。
人が多いのは良し悪しだなと感じていた。
新しいこともたくさん始まって、このころからか、なんだか勉強を頑張りだした。
通信教育しながら長期休暇には隣町の塾にも通いだした。
部活はテニス部に入部したけれどわたしはへっぽこだった。
でもテニスという競技は楽しかったし、部員で出た駅伝大会は団結することの達成感を味わった。
きれいな汗をみんなかいていた。
今でもテレビでテニス中継を録画して見ている。
高校受験は併願校合わせて志望校2校に絞った。
最も通いたいと思った高校は、大学のキャンパスのような校舎で自由な校風に憧れた。

念願だった第1志望の高校に入学した。
同級生が320人(8クラス)もいたので本当に驚いた。
電車や自転車を駆使して片道1時間程かけて通った。
通学は苦ではなかったが、宿題が多く、本格的に塾にも入ったのでその宿題もあった。
勉強もものすごく難しくなったけれど、特に数学はきちんと道筋をたてればきれいな解答がでたので美しいなと思った。
文理選択は理系を選び(文系に進むことを反対されてしまったため)、世界史の授業中にはこっそり塾の数学の宿題をやった。
数学や物理は好きだったがどうにも化学を好きになれず、たまたま地元のおじさんが化学の教師だったため恥ずかしい思いをした。
学校はあまりにも人が多かったので気後れして、あぁわたしは大人数って得意じゃないんだなと認識した。
図書館、文芸部、美術部には部員でもないのによく出没した。
静かな空間が心を癒してくれた。
先生はみんな一生懸命に勉強を教えてくれた。
夜遅く質問に行っても嫌な顔一つせず対応してくれた。
この時、「大人って悪くないな、いいな」と、ずっと子供がいいと感じていたわたしの考えを変えてくれた。
わたしも社会に貢献できるようなこんな「大人」になりたいと心から思った。
今でも連絡をとる数人の友人ができたことは宝である。
自由な校風が辛うじてわたしをここにいさせてくれて卒業証書をゲットすることができた。
小学校のころからなんとなくと思っていた業界に絞って受験勉強をしたため(人生で1番ガリ勉)、現役で大学に滑り込むこともできた。

家から通える、自由な校風な大学生活がスタートした。
同級生は3000人くらいであったと思う。
実際関係してくるのは数十人なのだが、キャンパスを歩けば知らない顔ばかりだった。
臆病なわたしはおどおどしながら歩いていたかもしれない。
片道1時間30分~2時間であったけれど、電車や地下鉄を乗り継ぎ通っていた。
都会に住むというのはどうも肌に合わなかったからだ。
単位を落とさないように計画的に授業選びはしたし、ボランティア団体に所属し長期休暇は東京へよく行った。
バイトも様々なこと(飲食、花屋の裏方、旅館・・・・・)を経験したが、家庭教師は卒業までずっと続けたし自分に合っていた気がする。
「お洒落」というのもなんとなく感覚的に学び、色んな都道府県から来る友人の話や価値観は興味深かった。
「お酒」というものも嗜むようになりちょっぴり大人に近づいた気になっていた。
ここでも、数人今でも連絡をとる友人ができたことは宝となった。
就職活動も人並みにし、地元に決まった。

社会人というのは思っていたより大変だった。
仕事の責任、人間関係、プライベートの過ごし方。
社会人になれば自由になれると思い描いていたけれど、ここからがまさに修行だった。
信頼できる人の話を聞き、本を読み、友人の話を聞き・・・・・・。
やっとこさっとこ社会という軸を自分の中で受け入れられる様になってきた。
不安は今でも大いにあるけれど、あまり先を考えず「今」を生きることが一番楽なのではと思っている。
居心地の良いパートナーができ初めて地元を離れた。
今、ここである。
この土地で自分ができることをして過ごしている。
 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白以上
 

所有している資格
いくつか諸々

趣味
読書 文章を書くこと 散歩 温泉 サイクリング お茶を飲むこと

自己PR
居心地のいい環境で流動的に信頼できる人と過ごしていきたい。
社会に貢献できる人間でありたい。