掴み得ぬこころの

 

ヒヨコブタ

 
 

ふとしたときに
なにかの合間に
かつて友からの便りにあった
おもはゆいということばを
思い出しては想像する
おもはゆいこころもちであった彼女は
いまどうしているだろう
はたして
わたしはおもはゆいということばの
彼女の意図するところを
きちんと掴めたのだろうか
おもはゆいはそんなふうにわたしのまわりを漂って
手をすり抜けるようにしているのに
ある日ぬんと表れる
おもはゆさとはこんな感じだろうか
いや違うだろう

何年経ってどんな人生になっていても
お互い関係や思いが変わらぬままというのは
憧れではあるものの
すれ違っていくのを感じるとき
それが重なるとき
彼女のことばは表れる

照れくさいほどに顔を会わせたくなるひとたちの
一人ひとりを思い浮かべては
ぼんやりとしてしまう
それらはわたしのなかにある記憶で
現実の彼女彼らではないのだろう
この世界は
思い浮かべるほど広くなりまた狭くもなる
思いこみの世界なのか
あまりに膨大で
深い海のように