あきれて物も言えない 27

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

滝が落下していた

 

ここのところ絶句している。

ほとんど、
絶句している。

朝には窓を開けて西の山を見ている。

昨日の朝も、
窓を開けて西の山を見ていた。

絶句している。
6月の終わりに桑原正彦の死の知らせを聞いてから何も手につかない。

桑原とはこの疫病が終わったら神田の鶴亀でまた飲もうと思っていた。飲もうと約束もしていた。
もうあのはにかんで笑う桑原と会って話すことができない。

絶句している。

昨日の朝も、
窓を開けて西の山を見ていた。

それから松下育男さんの詩「遠賀川」と「六郷川」という詩を読んだ。
それらの詩は「コーヒーに砂糖は入れない」という今年18年ぶりに出版された松下育男さんの新しい詩集に入っていた。

それらの詩をわたしは既に読んでいてどこかわたしの川底のようなところに沈んでいたのだろう。
松下さんの詩は川底のような場所から語られた声だったろう。

そして、
窓の遠くに見えていた青緑の西の山に滝が流れ落ちるのが見えた。

幻影だった。
松下さんの詩を読んだことによる幻影だったのだと思う。

 
 

空0多摩川は下流になると六郷川と名を変えた

空0私が育ったのは六郷川のほとり

空0川は私たちの生活のすみずみを流れていた

空0日本人のふりをしていたが
空0私たちは実のところ川の人だった *

 
 

そう、松下育男さんは「六郷川」という詩で書いている。

わたしも川のほとり、雄物川という川の近くで生まれて育った。

子どものころ、
ただ、川を見に行くことがあった。
釣りをする人たちを後ろから見ていた。
夏休みには川で遊んでいた。
川に潜って川底を泳ぐ魚たちを横から見ていた。
川の人は魚の言葉がわかる人たちだろう。
声を出して話さないが魚たちにも言葉があるだろう。

西の山に真っ直ぐに落下する白い滝を見てわかったような気になった。

水は上から下に落ちるのだ。
それで川になる。
川は流れて海になる。
それからいつか海は空にひらかれる。

当たり前のことだ。そんなことが腑に落ちた気がした。

 

今日は日曜日だった。
雨の音がした。
朝から雨が降っていた。
西の山は灰色に霞んで頂は白い雲に隠れていた。

午後に雨はあがった。
姉から秋田こまちの新米が届いた。

高橋アキの弾く「Cheep Imitation」を聴いていた。
「Cheep Imitation」はサティの「ソクラテス」を題材としてジョン・ケージによって作曲されたという。
それはケージがサティに捧げた音たちだったろう。

 

そこに言葉はなかった。
そこに小さな光が見えた。

呆れてものも言えないが言わないわけにはいかないと思えてきた。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* 松下育男 新詩集「コーヒーに砂糖は入れない」(思潮社)から引用させていただきました

 

 

 

かずとんあるある

 

辻 和人

 
 

9年目ともなれば
家の中には
あるある、が
あるある

夕ご飯の後
食器を洗い終わったら
背後
ぬっと立ってた
結婚9年目のミヤミヤ
「かずとん、洗い終わってスポンジの水切らないよね。
お風呂掃除の時もそうだよ。
いっつもあたしが気づいて絞ってるの。
スポンジの水切らないのって
かずとんあるあるの1つだよね。
かずとんあるある
かずとんあるある」

9年目の重みがこもった声だ
「あー、悪かった、悪かった。
すぐきれいにするからさ。
今度から気をつけるよ」
9年目のミヤミヤは
黙って
ぷいっ
2階に上がってしまった、よ

で、ですね
お風呂入る前にメールチェックしたら
おや、ミヤミヤからだ
「かずとんあるある、以下よろしく。
○スポンジの水気を切らない(細菌が繁殖する)
○マヨネーズやドレッシングの瓶は少しでも残っていると捨てられない(これらは構造上1滴も残さず使い切るのは無理なので、結果としていつまでも捨てられない)
○洋服は切れるまで買い替えない(ヨレヨレとか流行遅れという理由で買い換えることはない)(今の服は丈夫なので言われなければおじいちゃんになるまで着る)
○習慣になるまでは100回以上言わねばならないが、習慣になったものを辞めさせるのも100回以上言わなければならない。
○自分の分担の家事は真面目にこなすが、そこまで清潔好きという訳でないので、詰めが甘い。また、どうしてそう言われたか・家事の原理まで考えていないので、応用が利かない。
○炒めものには玉ねぎを多用。酢を少量加えるのがポイントとか。
○お財布は古いレシートや使わないポイントカードが一般で風水的にも良くないとよく注意されている。
○カバンに読むのかわからない本やバラけたホチキスの針など入っていて重く、毎日整理しろと注意されている」

胸、ドッキドッキ
これは問題
9年目の大問題だ
1つ1つ吟味してみましょう

スポンジ問題
食器洗い終わって、次、次
テーブル拭かなきゃっ
食器洗って→スポンジ絞って→テーブル拭いて
あっ、中間項が弱いか
ぎゅっとじゃなかったか
弱い中間項から細菌が繁殖し続けてたってわけか
絞ってることは絞ってるんだよぉ?

底にちょびっと残ってる問題
構造なんだよねぇ
最後まで使わないともったいないでしょ
まだ底に幾らか残ってる
まだちょびっと、まだちょびっと
永遠に減らないけどさ
ぼくのせいじゃないよ、構造のせいでしょ

洋服買い替えない問題
ほつれたって擦り切れたって
まだ着れるじゃん
流行遅れでも
気にしなきゃいいじゃん
20代で買った青いシャツ
襟に汗の染みついたまま
70代になっても元気に着るぞぉ、お店とかにも入っちゃうぞぉ

100回以上問題
1回でも100回でも
ぶっちゃけそんなに変わんないだよね
覚えてればやるよ
覚えてなければそもそもできないよ

詰めが甘い問題
家事の原理
かずとんには難しいよ
理解できれてればやるよ
理解できてなければそもそもできないよ

玉ねぎ問題
玉ねぎ好きだもん
ついでにお酢も大好き

古いレシート問題
ああ、これね
これは確かに良くないね
うんうん、良くない
けどさぁ
捨てるって作業、意外につらいんだよなぁ
捨てるって否定することでしょ?
否定って基本つらいでしょ?

カバンに読むのかわからない本問題
読んでることは読んでるんだよ
ちょっと読んでは
他に面白そうな本があれば
それも読む
その繰り返しの波がたまらなく快いんだけど
読み終わらない本たちが代わる代わるカバンの中で
起きたり眠ったりしてる様子が
たまらなくかわいいんだけど
あ、ホッチキスは片づけた、ごめんなさい

かずとんはさ
ただハイハイッて表面的に実行するだけで
あたしの言うことを
「心」で聞いてないって
言われたことあった
反省したさ
でもミヤミヤの思想はかずとんには深遠すぎるのさ
かずとんがやっと1歩進むうちに
ミヤミヤは100歩先に進んでしまう
「カズトさん、カズトさん」と呼ばれていたのが
ある時、「かずとん」に変わって、その瞬間から
あるあるとの共存が始まった
さ、これからお風呂沸かすけど
その前に洗面台きれいにしておこう
昨夜言われたもんな
洗面台いつもあたしがきれいにしてるのにかずとん気づかないって
ちゃんと気づいてますよ
「心」で聞いてますよ
でも明日もできるかはわからないですよ
かずとんあるある
9年目を走れ、走れ、走れ!

 

 

 

夢素描 18

 

西島一洋

 
 

汚泥の夢

 

あまり書きたくない。
したがって読みたくもないだろう。
しかし、夢の記憶の中で重きを置いているので、通過儀礼としても書かなければならない。

とても多い。
夢の中のかなりの比重を占めている。
したがっていろんなパターンがある。

大きく分けると、ふたつ。
ひとつは、トイレを探している。
ふたつめは、汚泥の中を泳いでいる。
筆は進まないのに、膨大な夢の記憶がある。
しょうがないので、それぞれに三つづつ書くことにしよう。
三つということに特に意味はない。

トイレを探している。
その1。
その2。
その3。

汚泥の中を泳いでいる。
その1。
川、運河、人工河川。
流されてゆく。

その2。
その3。

と、ここまでというか、後で書こうと思い、題目だけメモった。元々筆が進まないので、ぼんやりとした時間だけが進む。

ふと、たけちゃんのことを書こうと思う。

たけちゃんのうちは貧乏だった。
トイレが、うちの外にあった。
便器は大きな壺で、壺の三分の二くらいが土に埋まっていた。
扉はあったが、腰扉だった。
僕はここで用を足したことはないが、ほぼ野糞と変わらない。
田舎ではない。家の前は飯田街道、角地なのでトイレのある方も道に塩付通に面している。人の往来は多い。

たけちゃんは、僕の小学校の時の同級生、僕のうちから飯田街道を挟んで向こう三軒に住んでいた。小学校の時のと接頭語を付けたのには意味がある。たけちゃんは中学生になったのかどうか記憶が無い。たけちゃんは、その辺あたり、つまり小学生から中学生になるはざま、春休みでは無いが、小学校卒業してから中学校が始まるそのはざま、そして中学校が始まっても中学生としてのたけちゃんの記憶は無い。もうすでに中学校に通う体力が無かったのか、そしてそのはざまあたりにたけちゃんは死んだ。死因は栄養失調だった。たけちゃんは映画どですかでんに出てくる主役の少年に姿形がとても良く似ている。

計算すると、たけちゃんが死んだのは1965年くらいかな。僕がたけちゃんのうちの前に引っ越したのは、小学校に上がると同時だったから、六年間ぐらいは一緒によく遊んだ。

たけちゃんは六年生の時、突然引っ越しをした。正確にはたけちゃんの家族全員が引っ越しをした。

と、ここまで書いて、たけちゃんのことを書いたメモがあることを思い出し、iPad のメモ内をたけちゃんで検索してみると、見つかった。今回は、排便つながりで、たけちゃんのうちのトイレの記憶から、たけちゃんのことを書こうと思ったが、見つかったメモとほぼ同じなので、それをそのままコピーして貼り付けます。重複した箇所や、たけちゃんのうちの便器のことを壺と言ったり、甕と言ったりしているが、これから書こうとする内容がほぼ一致しているので。ややこしいが、こうやって、記憶を辿るという行為は、夢の記憶を辿ることと同じことだと思っている。たまたま見つかったのはiPad のメモ内だが、僕の記憶では、それとは別にさらに過去に数回は書いた記憶があるので、そのメモも探したい。単なる白紙に書いたメモや、原稿用紙のもあると思う。

以下が今回見つけた昔に書いたたけちゃんのことについてのメモです。(どうやら、この時の記憶のきっかけは、傘だったようです。)

『もちろん、僕らが学校に通う時は、番傘の子はいなかったと思う。蝙蝠傘、黒くて、厚い布の濡れるとけっこう重いやつです。
向かいのたけちゃんの家が蝙蝠傘の修理屋だった。たけちゃんとはよく遊んだ。
でも、傘を直してもらった記憶もないし、おそらく、そういうことになっていただけのような気がする。
気がするというか、大人になってみて、分かった。
たけちゃんの家は知らない男の人たちが、入れ替わり出入りしていた。
たけちゃんのお母さんは売春婦で、売春宿だったんだ。
トイレは、外に甕が埋めてあって、それだけだった。一応扉はついていたが、腰までの扉だった。
たけちゃん一家は、僕たちが12歳くらいの時、引っ越しをした。川名中学校の近くにあるアパートだった。役場が、貧困家庭用に用意した施設でもあった。
ぼくも中学生になって、川名中学校に通うようになって、たけちゃんの家に行ったこともある。小綺麗だった。
数ヶ月後に、たけちゃんは死んだ。栄養失調とのことだった。
ちょっと戻る。
たけちゃんが、引っ越ししたあと、たけちゃんの家が解体される前に、同い年の友達数人で、探検に行った。探検というより、ボロ屋に入るのは子供達にとっては単に面白い遊びだった。
腐った畳というか、土のたたきというか、あまり区別もできないほど、建物の中は荒れ果てていたが、おそらく、一家はたけちゃんを入れて5人くらい。こんなところで生活していたんだ。考えてみると、たけちゃんとはよく遊んだが、家の中に入ったことはなかった。
ただ、僕たちは、嬉々となって、探索すると、大量の注射針が見つかった。僕たちは、宝物を探し当てたように、腐った畳や土をほじくってはいっぱい集めた。
大人になって考えてみると、おそらくは、たけちゃんのお父さんとかお母さんは、ヘロインとかヒロポンの中毒者だったのだろう。』

以上が昔、たけちゃんについて書いたメモ。

相変わらず、汚泥の夢の記憶については筆が進まない。
しかし、なぜ、たけちゃんのことを思い出したのだろう。
やはり、たけちゃんのうちの便器…だろうなあ。

 

 

 

幸せな人

 

有田誠司

 
 

猫を抱いて朝を待つ
眠れないんだ
猫を撫でて朝を待つ
餌を欲しがり鳴いている

言いようのない憂鬱が
僕を包む
夜が続くのを願った

幸せな人ってどんな人なんだろう
何を手にしたら幸せになれるんだろう

静かに猫に話しかける

猫はあくびをして目を閉じる