最後から2番目の思想

 

佐々木 眞

 
 

プーチンの不条理な命令で、ウクライナに侵攻し、軍民はもちろん、民草まで根こそぎ殺戮する、無慈悲な戦争犯罪の映像を見せつけられながら、考える。

もしおらっちが、第3国の日本人ではなく、ウクライナ人のまだ若い成人男子なら、どうするだろうか?

もとより、ロシアがすべて悪で、ウクライナがすべて善、という訳ではないが、今回のこのケースでは、非がプーチン率いるロシア軍にあることは、自明の理だ。

おらっちは、戦争に大反対だし、こよなく平和を愛する者だが、今回の侵略戦争に限って言うなら、それを是として、黙って見ているわけにはいかないだろう。
これはあえていうなら“正義の自衛戦争”だ。

では、軍隊に入り、武器を取って戦うか?
 
もし戦えば、おらっちは、敵の兵士を殺めたり、傷つけたりするかも知れないし、自分が殺されたり、傷ついたりするかも知れない。

どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

しかし、もしも武器を取って戦わなければ、おらっちは、まわりから卑怯者と罵られ、徴兵を拒否した罪で、牢屋に入れられるだろう。

どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

それでは、敵の兵士を殺めたり、傷つけたり、自分が殺されたり、傷ついたりするのと、まわりから卑怯者と罵られ、徴兵を拒否した罪で、牢屋に入れられるのとでは、どっちの方がより嫌か?

嫌だ、嫌だ、どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

すると、どこかで、誰かの声がした。

「お前さんは、愛する家族を、敵から守ろうとは、これっぽっちも思わないのかね? 攻め込んできた敵が、お前さんの愛する家族を、傷つけたり、殺しても平気なのかい?」

するとそのとき、おらっちは、自分の奥底に、またしても「嫌だ、嫌だ。嫌だ」、とは、どうしても言えない、もう一人の自分がいることを、初めて知ったのだった。

もしおらっちが、武器を取って敵と戦ったとしても、敵が愛する家族を傷つけたり、殺したりするかも知れないけれど、それでもなお、ここはやっぱりあえて戦場へ赴いて、なんとまあ!おらっちとしたことが、「一人でも多くの敵を倒さなければなるまい」と、思ったのだった。

―Q.E.D証明終り。

かねてから、あらゆる戦争を悪と断じ、たとえ武装した無法者の敵が侵略してきたとしても、抵抗せずにいさぎよく降伏し、最悪は、捨身飼虎の薩埵太子や聖徳太子の子の山背大兄王のように、家族もろとも皆殺しにされても構わない、と密かに考えていた筋金入りの“非武装絶対平和主義者”が、いともたやすく“積極果敢な殺戮主義者”に転向した瞬間なのだった。

しゃあけんど、頭の中ではすでに解決済みの問題だったはずなのに、身体の方では、まだそれをいさぎよく受け入れることが出来ず、相も変わらず胸の奥の方で、ぶつぶつぶつぶつ言うておる、そんなおらっちなのだった。

どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 

 

*魔訶羅陀王の第3王子、薩埵太子は、飢えた虎の親子のために自らの肉体を「布施」したという伝説があり、聖徳太子の子、山背大兄王とその一族は、643年11月1日に蘇我入鹿に襲われ、「わが身一つを入鹿に賜う」の言葉を遺し、滅亡したと伝わる。