広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
Every …body……、
野生の、creature!!
自分で自分の肛門に、指先を挿入すれば
ウンチ、がまとわりつくのは、
自然なことさ……、
糸を引くくらいが
良い デスネ……、
人工衛星、ジャナクテ腎臓肛門、
オシッコ、モ!出チャウ!!
それを口に運び、
目を瞑り、味わう、なんて
幸福行為以外の
何物でもないと、
……………………………
Guys and Dolls、高笑い。
そんな僕らは、青姦スポットへ
行くと、良いぜ😂
【本質】だけで、生きられる。
When Men were Men, and Girls were Girls
……………………………
Un homme et une femme「男と女」と記せば
チョット、違うねと成り、
ヤリチンヤリマンと言い換えれば素敵
ヤリチンヤリマン無敵、
そんな連中…溢れる、
日本、東京都、
黄金公園のさなかで、
男「性」は、男根、
女「性」は、女陰、
懐かしさも
匂い立つような……感覚の中踏み込む。
Someone just commented that Yoko Ono should have given these girls vocal lessons. Say What? Yoko was a feral screecher whose “songs” were an everlasting embarrassment to her, and were produced only because she was John Lennon’s wife.
イマサラ、
小野洋子の騙る自由に、、腐ったgrapefruit
白石かずこ聖なる淫者ぶち込み
Wandering for the sun…………、
混ぜっカエシ、
この刻(トキ)、
ヒト泡、吹かせてやる。
2023,
何か新しいもの創るからJoinusじょいなす……!!
僕が嘗て「自由主義的で、良いなあ」って、
想っていたのは……
1990年代の渋谷……
一人で、彷徨い、マクッテたら、
強いguitarのカッティングに
【野宮真貴】さんというポップアイコン。
(1960年3月12日 ー)
Maki Nomiya……!!
popiconは、僕の目の前で……燦めいてた、
貝殻のeye shadow、lips,
変容自在な鬘(カツラ)、
徹底して造り込まれた明暗……
LondonーParisーLondonーParisー
LondonーParisー、🇬🇧 🇫🇷
yeah、yeah、yeah……🎶
何だったの? あの唄……は?!
渋谷でLondonーParisかい😂【ぶっ飛びー】ダッタネ😂
あの、スキャット……!!
LondonーParisーLondonーParisー
LondonーParisー、
yeah、yeah、yeah……
textile!
textile design日本に居ながら「馬鹿言ってんじゃないよ」って翻案した……!!
その、【野宮真貴】さん、
現在(2023年)も、燦めいてらっしゃる
と、伝え聴いたから、
僕は、黄金公園(?!😳)のライヴ……、
黄金現場へと 😂、行って、みたのさ。
その、夜は、ね……
ふたご座流星群、が見られる、
という奇跡の日、だった………。
黄金公園の【自由主義的広場】では、
自由主義的学問を修了してきた者達
を除いた、単なる青姦愛好家=【ヤリチンヤリマン】が、まだ青空の残る
夕刻から…スーッポン…スーッポン、
自由主義的性愛=【オフパコ】*に…
耽る光景が、
展開されていたという訳、だった…。
──自由、って、いやらしい、わ😉
中央に、特設ステージが在り、
Introductionの後……、
バトントワラーをしながらウサギスタイルの真貴さんが、
ムニュウ………って、
迫り上がってきたんだ!!
ウサギスタイルの真貴さん……、
股の切れ目から陰毛バサバサ…、
「さあ、かかっておいで」
と、うらごえで煽る、煽る……。
a,udienceの…群がる希望!
押し退けて………… 、😆😆
「はいっ!!」って、
一番最初に、手を挙げた
のは、僕だった、さ。
僕は、黄金公園の木陰から、
中央特設ステージへ
なだれ込み……、
「真貴ぃ、真貴ぃ、…」と、
高揚していた、よ!!
そして、誰にも命ぜられて居ないのに
ズボンを脱いで……、
下半身、丸出し◎に、なったのさ。
ブルンと、オチンチンが、出た。
「ぶらぼー」「ぶらぼー」……と、
僕のオチンチンをねっとり捉えたa,udienceが、
熱くなって、将棋倒しになった、
「将棋倒し」って、古臭い表現じゃないか?!
というところで、僕を含む
自由主義的観客は、うねりとなり、
訳も分からず、交配して……、
深夜まで…スーッポン…スーッポン、
自由主義的性愛=【オフパコ】*に…
耽る光景が、
展開されていたという訳、だった…。
──自由、って、いやらしい、ね😉
ねーーー、😵😆
心の壁を生きよう、裸の刻(トキ)を生きよう! (ここは、青姦スポット、ふたご座流星群の流れる場。真貴さんの唄は μ’s……。)
「ワタシのいもうと、“原田知世” ちゃんの40th Anniversary Special Concert “fruitful days”も、
よろしくお願いしますねーッ………!!」って、
真貴さんは、拡声器でannounceした。
LondonーParisーLondonーParisー
LondonーParisー、🇬🇧 🇫🇷
yeah、yeah、yeah……🎶
と、歓喜の、どよめきが沸き起こる……、
黄金公園…、特設ステージ…で。
そう…、知世ちゃんと言えば……、
永遠のアイドル顔に加え【食糞主義】の…、
噂の絶えない、
これもまた、僕たちのμ’s……サ!!
はは、彼女たちみたいに
強い自由主義者に、成りたい、モノダ……!!
😆😆 twist & shout!!
下半身、丸出し◎に、なって………、
ブルリ ブルリ 🥶と、オチンチン、出した、
僕は、「真貴さーーーん!!」と
叫びながら、ステージの上…転げ回った、
ソシテ 真貴さんの…手のひらに
熱い塊…を脱糞した。「ま…まあ、
美味しそーう🤤…………!!」って
真貴さんは、歓喜して…………、
僕から出た…黄金時代を頬バッタヨ!!
「ああっ、サーイコー!!😋」
良い、役どころを、すっかり……
舞台で…独り占めしてしまった、僕は……、
周りを取り囲むグルーピー、
Hells angelsの連中から羽交い締めに
され、ちゃって……、
ストンストン…!! 他愛なく去勢されて
しまった、のさ……!!
「ああっ、サーイコー!!😋、
それもまた、大いに、良きこと哉!!
……………………………
🌠雑食、万歳!!🌠
……………………………
死ぬ前に たった 一度だけで いい
思いっ切り 笑って みたい
陽の当たる 大通りを
口笛吹いて 歩いていく………………、
(陽の当たる大通りより)
*ジョンレノンのアルバムタイトルを参考にした。
*オンラインで知り合ったもの同士でセックスすること。
・男女ともに遊び目的である
・周りの人にバレにくい
・恋愛経験が必要ない
・男性のライバルが少ない…などが、メリット。
2022年12月14日、水曜日。
眠が可愛がっていたアメリカザリガニのザリ子が亡くなった。
赤いパーカーを着た眠が、
水槽の前でうずくまって泣いていた。
しばらくして野々歩さんが、
ひとしきり泣いた眠を促して
庭のネムノキの根元に、ザリ子を埋めた。
花屋で赤いパンジーを一株買って来て、
ザリ子の亡骸の上に、植えた。
眠は涙を流しながら、
懸命に、シャベルで土をかぶせていた。
12月13日。
下北沢で眠と買い物。
眼鏡屋で眠の眼鏡を直してもらい、
モスバーガーでポテトをテイクアウトした。
帰る途中、小さな雑貨屋に立ち寄って、
手作りのアクセサリーを見る。
赤い小さなバラのイヤリングを買う。
本物のバラを樹脂で固めたものだという。
眠と二人で「かわいいね」と笑いあう。
その後、ドラッグストアへ。
金曜からの入院に備え、必要なものを買う。
12月16日、今日から入院。
出迎えた看護師に、荷物チェックをされる。
ドライヤー、手鏡、ガラス製の容器に入ったヘアオイル
「自殺の恐れがあるため」と返される。
別れ際、施錠されたガラス扉を隔てて、
手と手を合わせた。
さっきまで握っていた手の温もりが
未だ残っていて、急激に切なくなる。
12月17日。
世田谷代田での仕事を終えて、
自転車で病院へ向かった。
16時頃、到着。
本2冊(ピッピシリーズ)
クリスマス柄のチョコウェハース3枚
ベジタブル味のおっとっと
もなか3個
ヘアバンド
スリッパを差し入れる。
二重扉のさらに向こう側にいる眠に手を振ったら、
眠も手を振り返してくれた。
声も届かない。直接触れることも出来ない。
眠をここにひとり残して、
私が帰る姿を見せたくなかった。
けれど、どうすることも出来なくて、
出来るだけ自分の背中を見せないようにして、病棟を後にした。
病院の寂れた敷地内を、ひとりで歩く。
帰り道、眠から着信がある。
さみしい、つらい、と言って、泣いている。
そばにいてあげたい気持ちが募る。
帰宅後、花と野々歩さんと三人で夕食。
夜、久しぶりに自分で髪を洗った。
12月某日。
花が、今朝、眠が亡くなる夢を見て
泣いて目が覚めたという。
12月21日。
午前中、眠から着信がある。
「学校きちんと行けるから、ここから出して」
と言って、泣いていた。
自分のカウンセリングの前に病院に寄り、
もなかとボディシートを差し入れる。
心配したけれど、思ったより元気そうで安心する。
扉の向こうの眠と、メッセンジャーでやり取り。
「もなか持ってきたよ!」
と送ったら、嬉しそうに手を振っていた。
病院を後にして、経堂のクリニックへ。
今後の方針を話し合う。
「入院期間1ヶ月くらい。
クリスマス年末年始も病院で」
夜、眠に電話して伝える。
小さな声で「がんばる」と言ってくれた。
「ねむまろが頑張るんならママも頑張る」
「毎日会いに行くよ」
尖った爪で心が抉られるように、痛かった。
12月22日。
朝、冷たい雨が降る中、陸橋通過。
眠から「帰りたい」「ここから出して」
と泣いて電話。
仕事が終わる頃には、
空がきれいに晴れ上がっていた。
野々歩さんと合流して、病院へ。
扉を隔てて、メッセンジャーでやり取りする。
眠の病室からは、公園や電車が見えるらしい。
「きれいなんだよ」と眠。
「今日は、看護師さんと一緒に散歩したよ。
敷地内にガチョウがいたんだよ」
「寒くなかった??」
「大丈夫。赤のパーカー羽織ってたから」
「赤のパーカー」
「赤のパーカー?」
「うん、赤のパーカー。」
「赤。」
「うん、赤。」
「赤。」
「赤。」
眠の涙
赤い涙
何もいない水槽はまだブクブクと音を立てていて
今月18歳になるというのに
余りにも幼すぎる眠の寝顔を見ながら
今、この詩を書いている、私。
2023年3月7日、深夜。
スヌーピーのトレーナーを着て、
ホットケーキが焼けるのを嬉しそうに待っている眠。
猫のサクラが見守る中、
洗い物をしたり、掃除機を掛けたり、
洗濯物をたたむのが上手くなった眠。
この春、徐々に学校での勉強を再開して、
眠の時間がまた動き出す。
私にとって春は苦手な季節だけれど、
3月は、別だ。
なぜって、それは
私の大切な、愛おしい眠が生まれた月だから。
ザリ子は亡くなったけれど、眠はまだまだ生き続ける。
だから元気を出して、
前を向いて、
時には立ち止まっていいから、
休み休みでいいから、
生きて 生きて 生きて
およそ二週間前に、義父が荼毘に付された。
詩人だった義父の為に、
棺に詩集を何冊か入れた。
そして今、
私は目を閉じて、
火葬炉の中で詩人の身体が焼かれていく様を
心の中で何度も反芻している。
激しい炎は、
詩人の詩集を焼き、詩人の肉も焼いた。
残ったのは、少しの骨と
金属製の人工股関節だけだった。
そんなことを思い出しながら私は、
今日も台所に立っている。
そして、焦がし過ぎないように、肉を焼く。
夕飯に肉が出ると、育ち盛りの娘達は喜ぶ。
娘達が嬉しそうに
食べる姿を見るのは気持ちが良い。
けれども私は肉を食べない。私は
肉を嬉々として食べる女が嫌いなのだ。
それなのに、次女がお腹にいた時、
無性に肉を貪りたくなった。
尖った犬歯で肉を引きちぎり、
滴る肉汁など気にせずに、
幼い頃食べた肉の味やにおいなど
遠い記憶をたぐり寄せ、
心の中で何度も何度も咀嚼したが、
結局実際に口にすることは無かった。
私は、肉を嬉々として食べる若い女が
たまらなく嫌いだったのだ。
昔、直立二足歩行をする犬によって
首に縄をかけられ、
真っ裸で地べたを這いずり回る、
という8ミリ映画を撮った。
肉を食べる・食べさせるという
優越性の転換だ。
今日も私は、
目を閉じて、
詩人の身体が燃えていく様を
ゆっくりと味わう。
幼い頃食べた肉の味やにおいを思い出し、
ゆっくりと咀嚼する。
けれどもやはり、
私は肉を食べることが出来ない。
肉は死だ。
死体は、こわい。
私はその死に
責任を持つことなど出来ないのだ。
ある夏の日、娘の眠は、
いつも通り学校へ行くために
新宿行きの電車に乗ろうとして、やめた。
そして何を思ったのか、
新宿とは反対方向の車両に、ひらり
と飛び乗って、多摩川まで行ったと言う。
私は、黒くて長い髪をなびかせて
多摩川沿いを歩く眠の姿を思い浮かべた。
そして、彼女が歩く度に立ち上る草いきれを想像して、
額が汗ばむのを感じた。
それから暫くして、今度は次女の花が、
塾へ行かずに、ひらりと電車に飛び乗って、
家から遠く離れた寒川神社へ行ったと言う。
夕暮れ時の寂れた駅前の歩道橋と、
自転車置き場と、
ひまわりが真っ直ぐに咲く光景を、
スマホで撮って、送ってくれた。
五時を知らせるチグハグな金属音が
誰もいない広場で鳴り響いていた。
矩形に切り取られた、花の孤独だ。
日常から、軽やかに逸脱する。
きれいだから孤独を撮り、
書きとめたい言葉があるから詩を書く。
そんな風に少女時代を生きられたのだったら、
どんなに気持ちが清々しただろう。
けれど私は、歳を取り過ぎた。
汗ばんだ額の生え際に
白髪が目立つようになってきた。
夏の終わり、家族で花火をした。
最後の線香花火が燃え尽きるのを見て、
眠がまだ幼かった頃、
パチパチと燃えている線香花火の先っぽを
手掴みしたことを思い出した。
「あまりにも火がきれいだったから、触りたくなったのかな?」
と野々歩さんが言った。
きれいだから、火を掴む。
けれど、今の私たちは、
火が熱いことを知っている。
触るのをためらい、
火傷をしない代わりに、私たちは
美しいものを手掴みする自由を失ったのか。
いや、違う。
私はこの夏、
少女達の眼の奥の奥の方に、
決して消えることのない
美しい炎が燃えているのを見た。
誰からの許可も求めない。
自分たちの意志で
日常のグチャグチャから
ひらりとエスケープする。
そんな風に生きられたら
そんな風に生きられたのなら、
たとえ少女時代をとうに生き過ぎたとしても
私は。
1998年作
2023年2月11日版
詩は
詩人のものだから
かなしいとき
あなたは
詩を
開こうともしない
だれでもない
あなたに
だれかになったひとの
ことばなど
むかない
だれでもない
ひとの
ことばをさがせば
あなたは
わたしに
たどりつくだけ
だれでもない
わたしの
詩ではない
ことばに
ちかごろ
インスタントコーヒーばかりで
不満にも思わず
いつかの
青空に
飛び立った鳩の影を
湯気のなかに
思い出したりする
ほんとうの友情が
じぶんに残っているのか
気になり
鳩
なんて
平和の象徴でなんかないと
つぶやこうとして
やめる
いいことも
わるいことも
やめてきた
そんなふうに
そんなふうなじぶん
と
反省が
伸びはじめて
また
やめる
花がすきで
切り花を買ってくるひとは
ほんとうに
花が
すきなの?
未来のない花
花の死を
みたいのでしょう?
花を飾るひと
死になさい
むごたらしく
大股びらきして
そうして
何百何万の花を救う
愚行かしら?
愚行かしら?
いちじくの
ドライフルーツを噛みながら
こころは
冬
そこも
ここも
わびしい枯野じゃないの
歯に
じゃりじゃりと
いちじくの種
ちいさな種
ほんとうに弱いものは
どこに
いるのか
わたしは複雑な電流だから
だれか
青い紅茶をいれてください
蝶々が
一羽、二羽、三羽、
花園ですもの
といって
姉は
さきに
毒をあおったのでした
嘘かしらね、それ
だれが
弱かったのかしら
と
ぷつぷつ
残る
つぶやき
共感がすすんでいく
ひとの
こころに
無限につながり
わたしは
わたしの外まで
痛い
どうしよう
寒い
枯れていくものが
わたしのなかに
わびしい
ざわざわと
集団のわたし
集団の外も
わたし
死ねない
魂が
死ねたら
と
夢みて
人間のふりを
していたり
する
の
よね
死ねないもの
と
あきらめて
きょうも
釣師に引き上げられて
ゆうがたには
活きづくり
それでも死ねない
ことばはいくつか
手持ちが
あるけれど
なにを
構成すればいいのか
わからない
だれに
むければいいのか
だれとして
音に
のせればいいのか
ああ、(とすぐにいえた頃はよかった……)
「として」
が
多すぎる時代
腕時計の螺子をまく
半ズボンの
ていねいなことばづかいの子も
もう
なかなか
みつからない
猫だけ永遠かしら
いつでも
ニャンとして
過去も未来も
ニャン
毛のはえた
聖書のようね
まだ
わたしは行くの?
つらい
つらい
といっているのも
つらい
結婚でも
して
しまおうか
じぶん自身への
複雑な愛人を
やめて
スリッパを
あたらしくし
玄関口を
模様替えして
さっぱりと
風ふきぬけるような
透明家族
の
ほうヘ
崩れようか
負けかもしれない
負けかもしれない
と
思うから
ことばはいくつか
手持ちがあるけれど
なにを
構成すればいいのか
わからない
だれに
むければいいのか
だれとして
音に
のせればいいのか
ああ、(とすぐにいえた頃はよかった……)
「として」
が
多すぎる時代
腕時計の螺子をまく
半ズボンの
ていねいなことばづかいの子も
もう
なかなか
みつからない
猫だけ永遠かしら
いつでも
ニャンとして
過去も未来も
ニャン
毛のはえた
聖書のようね
まだ
わたしは行くの?
つらい
つらい
といっているのも
つらい
結婚でも
して
しまおうか
じぶん自身への
複雑な愛人を
やめて
スリッパを
あたらしくし
玄関口を
模様替えして
さっぱりと
風ふきぬけるような
透明家族
の
ほうヘ
崩れようか
負けかもしれない
負けかもしれない
と
思うから
負けではない
のだろう
が
愛の問題ではなく
未来永劫
さびしさの
問題が
つづいていく
ばかり
じぶんが言い
じぶんが聞いて
を
くりかえす
ばかり
宇宙は
こんなにさびしくて
震えが
たましいのはじまりで
いまでも夜空の下
煙草に
火をつければ
宇宙の小さなはじまりが
くりかえされる
わたしだけ
ひとり
わたしだけ
震えて
ささえていく
虚空の森
目をつぶれば
この安寧は
どうしたことだろう
まだ
生きて
いけるか、遠い子ども
わたしなどのことは
もう
いいから
遠くに
たいせつなものが
奇跡の
うえにも
奇跡が
かさなり生まれ落ちて
育っていく
ように
希望の側へとむかおうか
希望ということばの
おそらく
エメラルド色の
影の
敷く側
わたしには未知の
土地
こんなにも
痩せ細った足で
つかれた腰で
わたしは
豊穣な荒れ野のほとりに
立つ
すばらしいことばは
前の世代たちが
語りつくし
すばらしいことばは
どれも
地に滅んだから
すばらしいことばを
わたしはいわない
わたしだけに
聞こえることばで
宇宙を
ほんのすこし
さびしくなくすことから
はじめる
からっぽな
わたしのしくみのすべて
見通したうえで
荒れ野の
枯れ木のように
まだ
かたちもとっていない希望の梁を
ささえていく
、
、
、
、
ー
。
そこには音を奏でる方がいた
肉体を使って音を創り出してもいた
その音は
黄色と黄緑と水色、透明
霧のような、粒のようなそれらが
ふわっと風のように流れていた
音を聞くと色がみえる
そう思った
学生の頃、イヤフォンを通して
音を聞いていた
頭のなかに映像が流れ
同時に目で見える現実の映像もあった
頭の映像を止めたくて
音を聞くのをやめたことを思い出した
そう、音は色であり、映像をも創り出す
昔知っていたことを思い出す
音、色、映像
全てをつなげる肉体
人間という器は複雑だ
知らない世界に連れ出してくれる音
魂が弾ける光も
愛おしい、おと
生命の
・
-解説-
ある空間での“音”によって、人間としての肉体感覚や過去の経験を思い出した。
音は色や映像をつなげ、自身が人間であると再確認させてくれる。
誕生しては流れて消えていく音、発する側や受ける側によっても色を変える音。
日常の空間でも音は彩りを添え、新しい世界に連れ出してくれる。
それは、生命の誕生とも重なる。
産声、という愛おしい音も地球という新しい世界に連れ出してくれる音。
誕生しては消えゆく愛おしい生命、音は生命がはじまる、こえである。