幸せな結末

 

村岡由梨

 
 

仕事に疲れて、
帰宅してベッドに倒れ込んだ。
体の震えが止まらない。
目を閉じて、少し眠ろうとしたけれど、
あの人や
あの人の取り巻きの幻影にうなされて
呼吸が苦しくなる。
朧気な意識の中、
不意に赤ん坊の頃の花を思い出した。
私の腕に抱かれて
お乳を飲んで
私の顔をじっと見つめていた。
両腕にかかる花の重みや温かさ。
ほんのり香る、甘い乳の匂いに包まれて
私たちは幸せだった。

それから15年経って、
家の中から外へ
徐々に軸足を移し、
私に背を向けて離れていく花。
あれは去年の暮れのことだった。
夜22時を過ぎて
雨でびしょ濡れになって
塾から帰ってきた花の、
私の不甲斐なさを射抜くような目。
親としての嘘やごまかしを一切許さない
真っ直ぐな目。

まだ、ママを置いて行かないで。
冷たい言葉で遠ざけないでほしい。

そんな私の自分勝手な気持ちを
全身で振り払うように花は、
私の知らない世界へと
スピードを上げてゆく。

 

2023年3月20日、晴天。
花の中学校の卒業式だった。
受付を済ますと、
生徒一人一人が保護者に宛てて書いた
手紙を渡された。
席に座って、早速封を切った。
そこには、
15歳の激しい怒りと
早すぎる諦念と
精一杯の優しさと
訣別の言葉が、あった。
一度読み、二度読み、
三度目読んだところで涙が止まらなくなり、
読むのをやめた。
親として、
花の孤独や苦しみに
きちんと向き合って来なかったこと。
私には泣く資格も無い。
一度言った / 書いた言葉は簡単に消せない。
一度傷付いた心は簡単に癒えるものじゃない。
けれど花は、深く傷付いてもなお
私たちが「家族」でいることを、諦めなかった。

卒業式から数日経って、
花からの手紙を読み直した。
そこには、
たくさんの花の優しさが、あった。
私たちが置かれている困難な状況を
何とか理解し、
受け入れようと苦しんだ花の姿が、あった。
「幸せになってください」
「200年、生きてください」
「これからまた200年、よろしく」
そう書いてあった。

 

今から約16年前、
産婦人科で
「出産予定日は10月22日ですよ」
と告げられた時、
10月22日生まれのママは、
その狂った頭で
「ついに私が私を殺しにくる」
って勝手に思い込んで、
生まれてくるあなたに恐れ慄いた。
結局その年の10月11日に生まれたのは
かわいい目をした愛くるしいあなたで、
あまりにも可愛かったから
ベビーベッドには寝かせず、
ママのお布団に入れて
寄り添いあって冬の寒さをしのいだ。

それから15年。
ごめん、
ママは、未だ良い母親になれずにいます。

けれど、もし許してくれるのなら、
ひとつお願いしても良いかな。
いつか、「その日」「その時」が来たら
スマホの電源を落として
パパと眠と花に見守られて
静かに旅立ちたい。
陸橋から飛び降りて
車に轢かれて
ぐちゃぐちゃの死体になりたいとは
もう思わない。
最後に思い出すのは、きっと
パパと初めて手を繋いだ
2002年のクリスマスイブのこと。
パパ手作りの銀の結婚指輪をして、
パパとママの二人で
渋谷区役所へ婚姻届を出しに行った時のこと。
そして何より、
生まれたばかりの眠と花を胸に抱いた時のこと。

今日は骨盤がバラバラになって、
ひとりのヒトを産む夢を見たよ。
それは、産まれ直したママ自身かもしれない。

「2023年2月26日日曜日18:10。仕事が終わって空を見たら星が光っていた。自分の現在位置がわからない。いつもそうだ。けれど今日の私は、いま自分が帰るべき場所がどこなのかをはっきりと自覚している。それがどれだけ幸せなことなのかも。あちこちから夕飯の支度をする音が聴こえる。一日の終わり。」

「200年、生きてください」
そうあなたは言った。
200年経っても、
忘れたくない。
忘れてほしくない。
私たちが家族だったこと。