偶然という光風

 

藤生 すゆ葉

 
 

一、

予想の域を超えて 鈴の響きとともに
目の前に現れる

 

夜明けに始まる鳥のコーラス 
夕暮れに眠るマーガレット
綺麗な月に寄り添う澄んだ空

今という時を読み返す

 

あの日 印象的な舞台が在った

人と私 人とモノ
右 左 後ろ
自然と身体揺らし
リズム刻む 前へ

人と人と私 オレンジの空間
同じ街 となりの道を歩んできた
はじめましての 人と人

風が吹き 高揚する
光の合図で 笑いあう

虹の粒が弾けだし 拍手とともに色が満ちる

 
幾千もの点 幾千もの辻

これからへつなぐ
今というあたたかさ

創られた、
創り出した舞台

円い愛と

あなたと

 
 

二、

ある日のこと

ユニークな大先輩と
食事に行くことになった

彼の提案してくれたお店は

近くか遠く

選択を彼に委ねた

“遠く”へ行くことになり、タクシーを探した

通るタクシーはすべて乗車

こんな日もあるのかと思うくらい

 
しかし、彼がこちらを向いた瞬間

空車のタクシーが彼の背を通り過ぎた

この世は創られていると感じた

遠く後ろのほうから今を眺めているようだった

近くを選択し お店に入った

常連さんたちでにぎわっていた

歴史を感じる空間には

人の感情がコロコロ落ちていた
色とりどりの葉のようだ

お店の方に席をつくっていただき

常連さんのおとなりの席についた

彼と言葉を交わす
そして常連さんと言葉を交わす

いつの間にか3人の空間になっていた

言葉が交わされるほどに
彼と常連さんがどの時代も同じ空間にいたことが発覚する

半世紀以上たった今

やっと出会う

こんなにも早く、かもしれない

奇跡という偶然

今がこれからに願う
あたたかさ

ふわっと恩光が通り抜けたように感じた

橋が架かった

予期されていないように

今を創り出す

愛だった

 
 

三、

不思議な偶然がよく起こり、なぜそのようなことが起こるのか
辿っていたころだった
“偶然という顔をした必然”を他者を通して
垣間見るときがあった
お店を選ぶ、席につく、会話をする、
(先輩と会う前にも様々な偶然が重なるのだが)
これらの選択から起きた出会いという偶然は
なるべくして起こったようにしか
感じられなかった
次元を超えた働きがその状況をつくりだしているのであれば
なぜつくりだすのだろうか
自らが定めたストーリーなのだろうか

このような事象に遭遇すると少なからず人は
その“今”について立ち止まって考える
…ような気がする

 
あの時の光風は
きっと愛という前提のもとに生まれている
人間の意識内
人間の意識外魂内
偶然は愛の変容形、なのだろう

 

 

 

夜空 ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 37     ryou 様へ

さとう三千魚

 
 

みあげて
しまう

いつも

見上げて
しまう

月や
木星や

金星が
いる

オリオンもいる

紫の
クレマチスが

夜空にいる
きみもいる

咲いている
夜空にいる

 

 

***memo.

2023年4月2日(日)、静岡駅北口地下広場で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第十一回で作った37個めの詩です。

高橋悠治のインベンションとシンフォニアのピアノを聴きながら地上の木立と空を見ていました。

タイトル ”夜空”
好きな花 ”クレマチス、紫の”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

稀人たちの止まり木で

 

小関千恵

 
 

彷徨うゆうれいだった
家を無くしたのか
またはそれを予てから持たないのか、
小さな止まり木を渡っている
そこで会う
この穴とは違う、未知の穴
この空洞とは別の象をした空洞
その空間こそ、きみの家と呼んでしまえるのかもしれない
故郷ように何度でも帰ってしまうその洞からの景色を
ほんの少し覗きあう
触れずに潜る途中で、そこから水が湧き出したなら
わたしは
その痛みを羨ましくも感じるのだった

暮らした家や故郷よりも、
郷愁を感じる絵や風景に出会ったりする
筆の動きが見えることが懐かしい
埋もれたいくらいに愛おしい
きっとただの運動だったところに生まれていた
「稀人たち」

わたしというゆうれいはいま、
過剰に伸びすぎた不毛な髪を天に掴まれぶら下がっているみたいだ
天だと感じているのは、雲かもしれない
ただ流動する小さな雲の何処かに引っかかっているだけかもしれない
宙吊りの脳を切り落とせないまま
地上から浮いた軀が揺れている
揺らしているのは
風か 心か
わたしを吊るした雲なのか
川、

きみから湧き出たあの水が川となって
足先に触れている日

 

 

 

 

まっさら ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 36     noriko 様へ

さとう三千魚

 
 

しらなかった

赤や
青や

紫でなく

白い
アネモネが好き

そうきみは
言った

花は色を捨てて
野に佇つ

花は咲く

きみの
白い花は咲く

 

 

***memo.

2023年4月2日(日)、静岡駅北口地下広場で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第十一回で作った36個めの詩です。

高橋悠治のインベンションとシンフォニアのピアノを聴きながら地上の木立と空を見ていました。

タイトル ”まっさら”
好きな花 ”アネモネ、白い”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

団地

 

塔島ひろみ

 
 

洗濯物が一斉に干された
雨の予報が出ていたけどこんなに晴れて春の陽気で
シャツやブラウス、帽子に靴下、カバー類
強い南風に歌うようにはためいている
団地の壁は肌色だ
ちふれ33番の肌色だ
ひび割れと落書き
シミ ほくろ 皮疹跡の醜いまだら
毎日 塗り重ねて
塗り重ねて 塗り重ねて
わたしはおばあさんになりました
冷蔵庫に霜がたまっていきます
換気扇に油がたまっていきます
ベランダにかたつむりの死骸がたまっていきます
ちふれ33番 オークル系 自然な肌色
その「自然」を
不自然で汚い顔の皮に塗りたくって出かけます
リュックをしょって 南風にさらされて
吹き溜まりは枯葉と 得体のしれない燃えないゴミ
牛や馬の骨が埋まっていると書いてあった
大昔の人間が使った家畜の骨だと書いてあった
団地はその上に平然と立つ
はげても はげても 塗り足して 
ペンキを滴らせて 立っている
あくまでも肌色で 剥がしても肌色で
掘っても 打ちのめしても 肌色だ
裸のようだ

早く部屋が開かないかなあと待っている
早く死なないかなあと待っている
早くくずれないかなあと待っている
団地になりたい
誰もいないのに洗濯物が干してある
みんな死んだのに開いた牛乳パックが干してある
団地になりたい

フギャーと赤ん坊の泣き声がする
階段を
レジ袋を提げたおやじがのぼっていく
郵便受けを開けて ハガキを手に取る
ハガキを読んでいる
ハガキを読みながら ずうっと読みながら
ゆっくりゆっくり 
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも
階段を上がる
フギャーと赤ん坊の泣き声がする
肌色の割れ目から子どもが生まれた
あちこちの割れ目からこぼれるように 
子どもが生まれた
泣いている 泣いている 泣いている

とても静かだ

 
 

(3月某日、奥戸二丁目アパートで)

 

 

 

はなうれい

 

薦田愛

 
 

ひとり遅い朝食を終え食卓を片づけ
しゅっと一枚ひきぬくティッシュをひろげる
手提げ紙袋に縦よこ詰めた中からまずプラボトル水色の粒を十四
平袋のパッケージから黄色いカプセル七つ
茶色いガラスの小瓶から赤の白い大ボトルから白濁した琥珀色の
山吹色砂色さくら色生成りのサプリメントを並べるティッシュの四角をはみ出す
ピルケース三つに三日分三日分四日分あわせて十日分おさまるうち
二つが空になるとこの作業ほぼ週いち
気づけば十種ほども飲んでいて
それを朝ごと晩ごと飲むたびに取り出すのは難儀すぎるのだ

電車を乗り継ぎドアトゥドアで三十分足らずの会社にかよっていたころ
こむらがえりで短い眠りが破れ
寝返りもうてないことしばしばのみならず
出勤の道みち歩いているさなかにも ううっ
ふくらはぎが攣ってしまい
ぼやくと教えてくれるひとがいたマグネシウムだよにがりでもいい
足りてないのか豆腐一丁いっぺんに食べるくらいじゃ追いつかないのかな
取り寄せた液状のそれはアスリート御用達の本格もの
分不相応かもしれなかったがおかげで
足は攣らなくなったのだけれど
人生半ばをそろそろと過ぎ女性たるもの
放っておいても分泌されていたものが供給されなくなるという
蛇口をひねって止めたのではないので
わからないが
はっとする
とある朝わずかにしびれていた薬指と中指が
ぎゅっと握りしめづらく
たなごころにいんげん一本ぶんほどの隙間ができ
その屈曲も滑らかではなくって
あれっこれは私の指だろうか
もともと器用な指でもきれいなそれでもなかったけれど
しらぬまに別の何かとすり替わってしまったのではないかと
いぶかしんだのだったがどうしても自分ごとと思えず
放置
していたのだったよと思い知る
拇指いわゆる親指の腹がずきん
ほかの指もしびれ
みとめたくないけれどこれは整形外科だろうか
歩いて通えるところに見つけた先生が手の専門医だったのは偶然
メチコバールを処方されたのだったが治りきらず
左手の拇指の腹に一本ひと月かふた月して右手の拇指にも一本
ぷすり
いたぁい
太ぉいステロイド注射を
打ったのだった
いたみによわいとうったえ足踏みしていたから
いたみどめを混ぜて打ちましたよと丸顔の先生はおだやかにのたまわった
効いた
二度まで打てますそのあとは手術になりますね
ときいて
ふるえたが二本目はまだ打たずに済んでいる
涸れてしまった女性ホルモン近似といわれる大豆イソフラボンを
試してみたのもこの時
ややあって春の到来
寒さという一因が去ってしびれは軽快
通院は区切りがついたけれどそうか
しびれ軽減メチコバールはビタミンB12で代用できるななんて独り合点して
サプリ売場で探すようになり
十年来飲んでいる亜鉛にくわえ
ビタミンB群 マルチビタミン コロナからこちらビタミンE
物覚えがいちだんと悪くなったとギンコつまり銀杏葉のお茶を探すも
かつて店先に並んでいたハーブティたちがオンラインでも見あたらず
代わりにサプリの小さな粒がつるつる指先を逃れるのを摑まえつかまえ
ガラパゴス携帯からスマホへ切り替えてから眼鏡の度が進んだのを食い止めたいと
ブルーベリーそうルティンのサプリ
気分変調対策も兼ねて還元型コエンザイム
あわせて日ごと十種十五粒ほどをケースに振り分けおさめるのが
一週間に一度の日課というわけなのだ
パッケージやボトルの表示を眼鏡でみれば
むむっコーティングやら識別のためだろうか色素やら添加物やまもりの感
これは不調をなだめるつもりが別の不調の種を蒔いてやしないか
いやいやこの際大切なのは直近の調子ととのえること
そしてまあ
大病もわずらわずにいられた過ぎ越しありがたや

大病はしなかったけれど
十歳になるやならず
鼻ばかりかんでいた冴えない子ども
家じゅうどこへ動くにもボックスティッシュをかかえ
外出のポケットにもティッシュがいくつも
こすれて小鼻がいつも赤かった
片手でかむんじゃない鼻が悪くなると叱られたけれど
もう悪くなっているよと片手でかみつづけた
あきれる親に連れられ大学病院
みっしり並んでいくつあったかアレルゲンの血液検査で判明
ブタクサにハウスダスト
二年と少し暮らした大阪は豊中の借り上げ社宅
一軒家の隣が空き地で
繫茂していたのだった
ブタクサ
しらずに遊んでいたから心おきなく全身に浴びていた
光化学スモッグなども騒がれ始めた時分
そう
りっぱなアレルギー性鼻炎というわけだった
花粉症という言葉がなかったか
あっても巷に知られていなかった頃
アレルギー性鼻炎などと子どもが言っても胡乱な感じ
教室でも親類の家でもご近所でも
怪訝な顔をされていた
それと知れたのは大阪から川口へ引っ越した後のこと
川口の社宅も工場街まっただなかだったから
アレルギー性鼻炎
治すには転地療養か大学病院で週一回の注射
との宣告
どちらも難しかったし命にかかわる重病ではなかったからだろう
漢方薬「鼻療」の茶色い顆粒をふくむことになり
まだまだティッシュは手放せなかった
それから一年あるいは二年
川口から豊中へ
以前のご近所さんに会いに行くことがあって
ふっくら気のいいイケダさんは
「これめぐみちゃんに効くとおもうねん
 飲んでみいひん?」
と差し出したのだった 見なかった
あれはサプリみたいなものではなかったか
どんなとも何だとも聞かなかった
私のなかでなにかはげしくあらがい軋むもの
ごそっがさっ
棒になってぼさっとかたまり
やっと言ったのだった
「いいのこのままで
 アレルギー性鼻炎も私の一部だから」
言ってしまって
まぁというように見開かれたイケダさんの目
せめてまずひとことありがとうと
言わなくてはいけなかったろうか
かけらほども思い浮かばなかった
そのようにしか言えなかった
なんてかわいげのない子ども
だったなあ
だのにいつからだろうどうしてか
もっとずっと無防備だ
まるはだかのこころ
「いいのこのままで
 これも私の一部だから」と二本の腕でむやみにじぶんを
抱えたままでいるくらい
もう少し構えて
用心ぶかくあってもいいんじゃないか私

重ねすぎた歳月ぶんの暦を
広げたサプリの向こうへ押しやり
いきをつく
くしゃん
鼻をかむ
なおっていたはずの鼻が
ぬれている