まっさら ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 36     noriko 様へ

さとう三千魚

 
 

しらなかった

赤や
青や

紫でなく

白い
アネモネが好き

そうきみは
言った

花は色を捨てて
野に佇つ

花は咲く

きみの
白い花は咲く

 

 

***memo.

2023年4月2日(日)、静岡駅北口地下広場で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第十一回で作った36個めの詩です。

高橋悠治のインベンションとシンフォニアのピアノを聴きながら地上の木立と空を見ていました。

タイトル ”まっさら”
好きな花 ”アネモネ、白い”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

団地

 

塔島ひろみ

 
 

洗濯物が一斉に干された
雨の予報が出ていたけどこんなに晴れて春の陽気で
シャツやブラウス、帽子に靴下、カバー類
強い南風に歌うようにはためいている
団地の壁は肌色だ
ちふれ33番の肌色だ
ひび割れと落書き
シミ ほくろ 皮疹跡の醜いまだら
毎日 塗り重ねて
塗り重ねて 塗り重ねて
わたしはおばあさんになりました
冷蔵庫に霜がたまっていきます
換気扇に油がたまっていきます
ベランダにかたつむりの死骸がたまっていきます
ちふれ33番 オークル系 自然な肌色
その「自然」を
不自然で汚い顔の皮に塗りたくって出かけます
リュックをしょって 南風にさらされて
吹き溜まりは枯葉と 得体のしれない燃えないゴミ
牛や馬の骨が埋まっていると書いてあった
大昔の人間が使った家畜の骨だと書いてあった
団地はその上に平然と立つ
はげても はげても 塗り足して 
ペンキを滴らせて 立っている
あくまでも肌色で 剥がしても肌色で
掘っても 打ちのめしても 肌色だ
裸のようだ

早く部屋が開かないかなあと待っている
早く死なないかなあと待っている
早くくずれないかなあと待っている
団地になりたい
誰もいないのに洗濯物が干してある
みんな死んだのに開いた牛乳パックが干してある
団地になりたい

フギャーと赤ん坊の泣き声がする
階段を
レジ袋を提げたおやじがのぼっていく
郵便受けを開けて ハガキを手に取る
ハガキを読んでいる
ハガキを読みながら ずうっと読みながら
ゆっくりゆっくり 
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも
階段を上がる
フギャーと赤ん坊の泣き声がする
肌色の割れ目から子どもが生まれた
あちこちの割れ目からこぼれるように 
子どもが生まれた
泣いている 泣いている 泣いている

とても静かだ

 
 

(3月某日、奥戸二丁目アパートで)

 

 

 

はなうれい

 

薦田愛

 
 

ひとり遅い朝食を終え食卓を片づけ
しゅっと一枚ひきぬくティッシュをひろげる
手提げ紙袋に縦よこ詰めた中からまずプラボトル水色の粒を十四
平袋のパッケージから黄色いカプセル七つ
茶色いガラスの小瓶から赤の白い大ボトルから白濁した琥珀色の
山吹色砂色さくら色生成りのサプリメントを並べるティッシュの四角をはみ出す
ピルケース三つに三日分三日分四日分あわせて十日分おさまるうち
二つが空になるとこの作業ほぼ週いち
気づけば十種ほども飲んでいて
それを朝ごと晩ごと飲むたびに取り出すのは難儀すぎるのだ

電車を乗り継ぎドアトゥドアで三十分足らずの会社にかよっていたころ
こむらがえりで短い眠りが破れ
寝返りもうてないことしばしばのみならず
出勤の道みち歩いているさなかにも ううっ
ふくらはぎが攣ってしまい
ぼやくと教えてくれるひとがいたマグネシウムだよにがりでもいい
足りてないのか豆腐一丁いっぺんに食べるくらいじゃ追いつかないのかな
取り寄せた液状のそれはアスリート御用達の本格もの
分不相応かもしれなかったがおかげで
足は攣らなくなったのだけれど
人生半ばをそろそろと過ぎ女性たるもの
放っておいても分泌されていたものが供給されなくなるという
蛇口をひねって止めたのではないので
わからないが
はっとする
とある朝わずかにしびれていた薬指と中指が
ぎゅっと握りしめづらく
たなごころにいんげん一本ぶんほどの隙間ができ
その屈曲も滑らかではなくって
あれっこれは私の指だろうか
もともと器用な指でもきれいなそれでもなかったけれど
しらぬまに別の何かとすり替わってしまったのではないかと
いぶかしんだのだったがどうしても自分ごとと思えず
放置
していたのだったよと思い知る
拇指いわゆる親指の腹がずきん
ほかの指もしびれ
みとめたくないけれどこれは整形外科だろうか
歩いて通えるところに見つけた先生が手の専門医だったのは偶然
メチコバールを処方されたのだったが治りきらず
左手の拇指の腹に一本ひと月かふた月して右手の拇指にも一本
ぷすり
いたぁい
太ぉいステロイド注射を
打ったのだった
いたみによわいとうったえ足踏みしていたから
いたみどめを混ぜて打ちましたよと丸顔の先生はおだやかにのたまわった
効いた
二度まで打てますそのあとは手術になりますね
ときいて
ふるえたが二本目はまだ打たずに済んでいる
涸れてしまった女性ホルモン近似といわれる大豆イソフラボンを
試してみたのもこの時
ややあって春の到来
寒さという一因が去ってしびれは軽快
通院は区切りがついたけれどそうか
しびれ軽減メチコバールはビタミンB12で代用できるななんて独り合点して
サプリ売場で探すようになり
十年来飲んでいる亜鉛にくわえ
ビタミンB群 マルチビタミン コロナからこちらビタミンE
物覚えがいちだんと悪くなったとギンコつまり銀杏葉のお茶を探すも
かつて店先に並んでいたハーブティたちがオンラインでも見あたらず
代わりにサプリの小さな粒がつるつる指先を逃れるのを摑まえつかまえ
ガラパゴス携帯からスマホへ切り替えてから眼鏡の度が進んだのを食い止めたいと
ブルーベリーそうルティンのサプリ
気分変調対策も兼ねて還元型コエンザイム
あわせて日ごと十種十五粒ほどをケースに振り分けおさめるのが
一週間に一度の日課というわけなのだ
パッケージやボトルの表示を眼鏡でみれば
むむっコーティングやら識別のためだろうか色素やら添加物やまもりの感
これは不調をなだめるつもりが別の不調の種を蒔いてやしないか
いやいやこの際大切なのは直近の調子ととのえること
そしてまあ
大病もわずらわずにいられた過ぎ越しありがたや

大病はしなかったけれど
十歳になるやならず
鼻ばかりかんでいた冴えない子ども
家じゅうどこへ動くにもボックスティッシュをかかえ
外出のポケットにもティッシュがいくつも
こすれて小鼻がいつも赤かった
片手でかむんじゃない鼻が悪くなると叱られたけれど
もう悪くなっているよと片手でかみつづけた
あきれる親に連れられ大学病院
みっしり並んでいくつあったかアレルゲンの血液検査で判明
ブタクサにハウスダスト
二年と少し暮らした大阪は豊中の借り上げ社宅
一軒家の隣が空き地で
繫茂していたのだった
ブタクサ
しらずに遊んでいたから心おきなく全身に浴びていた
光化学スモッグなども騒がれ始めた時分
そう
りっぱなアレルギー性鼻炎というわけだった
花粉症という言葉がなかったか
あっても巷に知られていなかった頃
アレルギー性鼻炎などと子どもが言っても胡乱な感じ
教室でも親類の家でもご近所でも
怪訝な顔をされていた
それと知れたのは大阪から川口へ引っ越した後のこと
川口の社宅も工場街まっただなかだったから
アレルギー性鼻炎
治すには転地療養か大学病院で週一回の注射
との宣告
どちらも難しかったし命にかかわる重病ではなかったからだろう
漢方薬「鼻療」の茶色い顆粒をふくむことになり
まだまだティッシュは手放せなかった
それから一年あるいは二年
川口から豊中へ
以前のご近所さんに会いに行くことがあって
ふっくら気のいいイケダさんは
「これめぐみちゃんに効くとおもうねん
 飲んでみいひん?」
と差し出したのだった 見なかった
あれはサプリみたいなものではなかったか
どんなとも何だとも聞かなかった
私のなかでなにかはげしくあらがい軋むもの
ごそっがさっ
棒になってぼさっとかたまり
やっと言ったのだった
「いいのこのままで
 アレルギー性鼻炎も私の一部だから」
言ってしまって
まぁというように見開かれたイケダさんの目
せめてまずひとことありがとうと
言わなくてはいけなかったろうか
かけらほども思い浮かばなかった
そのようにしか言えなかった
なんてかわいげのない子ども
だったなあ
だのにいつからだろうどうしてか
もっとずっと無防備だ
まるはだかのこころ
「いいのこのままで
 これも私の一部だから」と二本の腕でむやみにじぶんを
抱えたままでいるくらい
もう少し構えて
用心ぶかくあってもいいんじゃないか私

重ねすぎた歳月ぶんの暦を
広げたサプリの向こうへ押しやり
いきをつく
くしゃん
鼻をかむ
なおっていたはずの鼻が
ぬれている