鳥がいた

 

さとう三千魚

 
 

今朝も

ゴンチチの
ラヂヲを聴いて

小川の傍を歩いてきた

小川には
白鷺がいて

川鵜もいる

雀も
磯ヒヨドリも

たまに翡翠もいる

春には
燕たちもやってくる

小川には

野花も
咲いている

ラヂヲからは
遠藤賢司の”カレーライス”の歌が聴こえてた

ばかだなばかだな *

だれかがおなかをきっちゃったって *
う〜ん とってもとってもいたいだろうにね *

一昨日の夕方には
HIBARI Booksの店の前の木立に

雀かな

たくさん
群れてた

たくさん
たくさん

群れて鳴いていた

たくさん群れて
たくさん鳴いて

いまを
いた

鳥がいた
生きていた

 

* 遠藤賢司「カレーライス」の歌から引用しました。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

ひー頑張んな

 

工藤冬里

 
 

決定する能力は批判されるべきではない
昭和に鞭して
身体の決定は常に「眠れ」
終わりの時代に工藝性は必要なのか?
そうやって結論ありきでAIに相談してるといつかヤラベアム化するぞ

 

 

 

#poetry #rock musician

 

廿楽順治

 
 

わたしの足は
けっして洗わないでください

多くの足が
そう言い出してきかない

(うるさい地面の夜が来る)

がむしゃらに菜めしを
喰っているものに
そのかかとをあげてやりましたが

ある日
きみはわたしの足を
知らないと三度まで言うだろう

喰ったにわとりの足は静か

などと うつくしく
詩に書いてしまうだろう

その詩は
足に来た夜でも
だれの地面でもないというのに