奴隷への命令

 

長尾高弘

 
 

昨日遊歩道を歩いていたらさ、
目の前の市立小学校から子どもたちの歌が聞こえてきたんだ。
最初は何を歌ってるのかよくわかんなかったけど、
「ちよにやちよに」という言葉が耳に入ってきたよ。
なんてことだろう。
学校でそんなものを歌わされて。
天皇の世が永遠に続くようになんて歌は憲法違反じゃないか。
象徴天皇制なんて本当は賛成できないけど、
仮に認めたとしても、
「君が代」ではないはずだよね。
あえて言うなら「民が代」じゃないの?
主権者は国民なんだから。
話のついでだから言っておくけどさ、
教育勅語を丸暗記させる幼稚園が話題になってるけど、
ネットで教育勅語の現代語訳というのを探したら、
軒並み「臣民」を「国民」と訳してるんだよね。
「臣民」は天皇の奴隷で主権者になれないんだから、
「国民」ではあり得ないはずさ。
ニューヨークタイムズは、subjectって訳してたよ。
従属する人、服従する人ってこと。
日本語訳より英訳の方が的確だなんて、
とんだ笑い話さ。
教育勅語は、天皇という支配者から
支配に服従する臣民への命令だよ。
だからさ、
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」
親を大事にして兄弟夫婦が仲良くしてといった徳目でも、
天皇の臣民に対する命令となれば桎梏でしかないんだ。
実際、教育勅語の時代には家制度があり、
尊属殺人制度があって(これは戦後もずるずる続いたけど)、
人は個人として決して自由になれなかったんだ。
「國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」
憲法に従うのは権力者じゃなくて臣民なんだよ。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
挙句、戦争になったら私を捨てて(公ニ奉シ)、
天皇のために戦え(皇運ヲ扶翼スヘシ)ってさ。
徴兵令に危機感を抱く人々でも、
教育勅語に危機感がないのは、
教育勅語の正体が知られてないからだと思うよ。
戦前の暗黒をすべて体現しているのが教育勅語だと思うけどな。
「ウイスキーを水でわるように
言葉を意味でわるわけにはいかない」(田村隆一)
いつまで奴隷でいるつもりなんだい?

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第9回

第3章 ウナギストQの冒険~戦う深海魚たち

 

佐々木 眞

 
 

 

ああケンちゃん、僕はもうこれですべてジ・エンドだ。
由良川のウナギストたちには申し訳ないけど、僕は、性格が悪くて腹ペコちゃんりんゆであずきの深海魚たちの手にかかって、よってたかってオルフェオのように八つざきにされて短い一生を終えるんだ。

ああ、魚たちが僕に襲いかかって来た。
急いで急いで辞世の歌をうたわなくっちゃ。
ああ、早くしなくちゃ。
えいくそッ、この非常事態に、いっとう大切な時に何の文句も出てこないとは!
と嘆きつつも、僕は歌ったんだ。

ゆうべえびすで呼ばれて来たのは
鯛の吸い物ございの吸い物
一杯おすすで
スースースー
二杯おすすで
スースースー、
三杯めにさかながないとて
出雲の殿様お腹をたてて
ハテナ ハテナ
ハテ ハテ ハテナ……

するとその時、殺到するタラたちの前に、チョウチンアンコウが、夜目にも美しく輝くあのチョウトンを高々と掲げて、立ちふさがったの。
そして大声で叫んだんだよ。

「待て、このチビウナギをお前たちに独り占めさせておく俺さまだと思ったら、大間違いだぞ。こいつを喰いたきゃ、その前に俺さまを斃してからにしろ!」と。

そこへ、フジクジラとカラスザメも大勢の仲間と一緒に駆けつけ、アバンコウ、ワヌケフウリュウウオ、トリカジカ、それに例の悪漢3人組が入り乱れて、光と闇、蛍火と燐光、正義と邪悪、弱肉と強食、天使と悪魔、髑髏と般若、有鱗と無鱗、花と蝶とが丁々発止の大決戦!

深海魚同士の同志討ち、さらには共喰い騒ぎまでおッぱじまったのをいいことに、雲を霞み、夜を曙、波を帆かけの夜討ち朝駆け、艦長ネモの操縦するノーチラス号を遥かに凌ぐ最大巡航速度25ノットで、深度800メートルから、たちまち500メートル、300メートルまで、ぼく、一気に浮上したの。

そしてヒョーキン者のスナイトマキやキタホンブンブク、チャマガモドキ、クモリソデ、ウチダニチリンヒトデ、トゲヒゲガニ、エゾアイナメにアヤボラ君たちが元気に泳ぐ姿を見たときには、「やれやれこれで助かった」と思わずひと安心したんだ。

ここでケンちゃんは、
「田舎のおっさん
あぜ道通って
蛙をふんで
ギュ
Qちゃん、九死に一生だったんだね」
と、かるーく一発ジョークをかましたのですが、
Qちゃんは全然耳に入らないようで、夢中で話を続けます。

ねえケンちゃん、聞いて、聞いて。
ボク「もう怖いことは、こんりんざいごめんだ、ごめんだ」と泣き叫びながらも、さらにエンジンを全開して、水深わずか50メートルのところを、猛スピードで泳いでいたら、時計回りにぐるぐる回るあたたかな黒潮と、反時計回りでぐるぐる回るつめたい親潮とが入り混じっているところに出くわして、上を下へのぐるぐる巻きに状態になってしまったの。

アジ、サバ、スルメイカ、サンマ、ブリ、カツオ、キハダ、カジキマグロの大群が、おいしいプランクトンを求めて踊り狂う大海原。
ようやっとの思いで水面すれすれ、青空と青い潮のいりまじる境界線にぽっかり顔を突き出したところは、ちょうど鹿島灘の沖合およそ1.5キロの地点でした。

 

 

 

鈴木志郎康著「新選鈴木志郎康詩集」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 
 

 

1980年に思潮社から出版された12冊目の詩集です。

ここには「家庭教訓劇怨恨猥雑篇」「完全無欠新聞とうふ屋版」「やわらかい闇の夢」「見えない隣人」「家族の日溜り」「日々涙滴」から抜粋された92の詩篇と2つの詩論、富岡多恵子氏の鋭い詩人論、清水哲男氏の誠実な解説がぎっしりと充満していて、最近少しずつ現代詩を勉強しはじめた私にとっては、大いに勉強になりました。

「家庭教訓劇怨恨猥雑篇」の「グングングン! 純粋処女魂、グングンちゃん!」や「完全無欠新聞とうふ屋版」の「爆裂するタイガー処女キイ子ちゃん」などは、それ以前の「プアプア詩」の前衛的パンクてんこもりの続編として、読めば読むほどに血沸き肉踊るような破壊的な喜びを覚えました。

でも、もう先輩の皆さんにとっては周知の事実なのでしょうが、
そんな詩人の作風は、3番目の「やわらかい闇の夢」で、突然その世界がうって変わります。

まあ、豹変ですね。

あのシュトルムウントドランクの日々は限りなく永遠に続いて、“戦後日本を代表する世界遺産”になるかと思われたのに、さらば真夏の太陽の黄金の輝きよ。それは余りにも短かった。

「ああ、なんて勿体ないことをしてしまったんだ!」

と、思わず私は叫んだほどでした。

そんな門外漢の私の歯軋りなどおいてけぼりにして、詩人は、さながら東洋のボードレールのように、

「もう秋だ。お嬢さん、おうちに帰りな。往来の言葉蹴り遊びはもう終わったぜ」

とでも言いたげに、ひそやかに別の歌を呟きはじめるのです。

深夜鏡の前で自分の裸体を見つめながら“裸の言葉、裸の心”という奴を探し求めるように、とうとつと独語しながら、いわゆるひとつの内省的な思索を繰り広げるようになるのです。

あたかもベートーヴェンの「第9」の合唱が入るところで、すっくと立ち上がったバリトンが、能天気なはやとちりの管弦楽をさえぎって、

「おお友よ、その調べではない。もっと別の歌をうたおうではないか」

と叫ぶように。

けれどもそれは、耳に心地よい歌ではありません。「狂気がバタバタしている」物音です。

新しい自分、新しい詩を求める詩人が、自分の心臓に向かって蛇入する血まみれの即物音。
まるで自分の胸に聴診器を当てながら、病根を探ろうとする医者のモノローグのような肺腑の言が、ここにはドクドク刻まれているようです。

さて、自ら求めて人為的な“冬の時代”に突入した詩人が、その後どのような紆余曲折を辿りつつ「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」の現在にまで至ったのか?

不勉強な私はてんで知らないのですが、いろいろ有為転変があったにもかかわらず、詩人の心底の底の底では、あのプアプアちゃんの純粋桃色小陰唇の幻影が、いまなおプアプアと浮遊しているのではなかろうかと睨んでいるのですが。

 

空白空白プアプアちゃんグングンちゃんとキイ子ちゃん3人揃って爆裂するや 蝶人

 

 

 

俺っち、気持ちが先走ってるっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

俺っち、
こんちきしょうだっちゃ。
二本の杖がなけりゃ歩けないっちゃ。
どうもならんちゃ。
でも、歩けることは歩けんるだから、
ふらふら歩きでも、
せいぜい歩かないきゃね。

俺っち、
こんちきしょうだっちゃ。
歩いてますよ。
二本の杖をしっかり突いて、
部屋の中を
ふらふら、
ぐるぐる、
ふらふら、
ぐるぐる、
七回回ったっちゃ。
寝たきりなっちゃかなわねえよ。
でも、杖に力が入って、
肩がこるねえ。

それでもさ、
俺っちは、
こんちきしょうだっちゃ。
椅子から立ち上がったら、
両方太ももが、
いてて、
いてて、
いててで、
しばらく足元を見て、
立ったままよ。

俺っち、
こんちきしょうだっちゃ。
便秘で糞詰まりになるのをおそれて、
毎晩アローゼン1mgを呑んでるっちゃ。
こんちきしょうだっちゃ。
明くる日、
少しづつ出るうんこのために、
五回もトイレに行くっちゃ。
詩を書いちゃ、
うんこ、
詩を書いちゃ、
うんこ。
ハハハ、
ハハハ、
ハハハ。

春一番が吹いたっちゃ。
俺っち、
元気が出て来たっちゃ。
気持ちが先走ってるっちゃ。
身体がまだまだ動かせないので、
めっちゃくっちゃ詩を
書きたくなったっちゃ。
めっちゃくっちゃな詩、
めっちゃくっちゃな詩。
へへ、
へへへ。

俺っち、
こんちきしょうだっちゃ。
テレビから目が離せなくなっちまったよ。
テレビはこのところ、
二〇一七年二月半ばから毎日、
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄の、
金正男(キムジヨンナム)って人の殺害で
その謎を追って騒いでるっちゃ。
クアラルンプールの空港で、
金正男さんが女に後ろから抱きつかれて、
顔に猛毒VXを塗りつけられて、
殺されちまったよ。
北朝鮮の仕業だってさ。
その北朝鮮をテロ支援国家だと決めて、
核・ミサイル保有に対向して、
アメリカさんが、戦争なんか
仕掛けないでくれよっちゃ。
こんちきしょうだっちゃ。
俺っちの妄想だっちゃ。
でも、でも、
ホワイトハウスに戦略家の軍人を引き入れた
トランプ大統領はわからんぞ。
安倍晋三総理が引き込まれたりしたら、
かなわんぞ、
かなわんぞ。
こんちきしょうだっちゃ。
凡ゆる殺人行為ってのが、
この世から無くなってほしいっちゃ。
みんな大切な身体で生きてるんっちゃ。
うーん、
ふう。

俺っち、
こんちきしょうだっちゃ。
こんちきしょうだっちゃ。
まだまだ、
めっちゃくっちゃな詩を、
書きたいっちゃ。
詩作依存性になっちまったよ。
だけんど、
この詩は、
これで終わりっちゃ。
めっちゃくっちゃ、
めっちゃくっちゃ。
目茶苦茶、
へへ、
お茶にしようっちゃ。
牛蒡茶は美味しいよ。

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 25

 

朝‬
‪雨だった‬

‪地面を叩きつけていた‬
‪東海道線の電車に乗った‬

‪雨も‬
‪買わないな‬

‪ヒトは冬の雨も買わない‬

‪電車の窓硝子が白く曇っていた‬
‪その向こうを‬

‪景色は‬
‪過ぎていった‬

‪リノリウムの床が‬
‪窓のカタチに光っていた‬

‪窓硝子の向こうを景色は流れていった‬

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 24

 

アマリリスの花も萎れてしまった

一つ目の花は萎れてしまった
四つ目の花は

まだ
咲いている

萎れた花を
ヒトは買わないだろう

咲いている花も
萎れてしまった花も

アマリリスのピンク色の花だが

萎れてしまった
萎れている

萎れた花をヒトは買わない

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 23

 

日野の駅で
雪の降るのを見てた

ゆらゆら
雪は

降りてきた

ゆらゆら
ゆらゆら

雪は
降りてきました

買わないだろう

ヒトは
雪を買わないだろう

ゆらゆらゆらゆらと降りてきた

アマリリスの花も萎れてしまった

萎れた花も
ヒトは買わないだろう