michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

高知

 

工藤冬里

 
 

手放し運転
手放しに喜ばれる
暴風にフェンスの蔦が靡く

白く装っていても
中身はドロドロ、みたいな

殖産興業の
谷を朝市は
痩せ細り
暴風は
何でも売れます

警報だらけの
仁淀川
ドレスの白から
白を抜け
木々は靡く
おいでおいで
赤い橋を渡れ

フロントガラスに
溜まる雨粒
ワイプアウトされない
航走履歴
飽和状態で推移していく
仁淀は殆ど湖

通行止めになる前に
この白を抜けろ

枝の散乱
緑の橋を抜け
白い橋も抜け
ここから川は逆に流れる

ここには遺跡がある
黒岩
遺跡があるのは
風がここで止まるからだ

ここで最後のひぐらしを聴いた

* *

針の穴を通すように俯き
筵の上で一点を凝視する祈りの横顔
デザインされた横顔の高知
家の中の蛇は放って置け
すべての小富士に登れ
空いたアパートの部屋をゲストハウスにすると
なりすましのカップルが住みついた
昔は葉を食べていた
今は蜜を食べている
となりすました蝶disguising transformerは言うが
心など信用できない
肉の代わりに石を食べたって本当ですか?

* *

川は逆には流れていなかった
久万からさえも
変容と変革のからまりのように
私たちは太平洋に転がり落ちる

 
 

 

 

 

あきれて物も言えない 03

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

敗戦の日なのだ

 

昨日は終戦の日だった。
太平洋戦争が終わり74年が過ぎたわけです。

敗戦の日と言ってもいいのでしょう。

夏になりますと戦争ということが思い出されます。
人の死ということが思われます。

昨日、8月15日の全国戦没者追悼式での新天皇のおことばが、
今朝、新聞の一面に掲載されています。

“本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。”
(2019年8月16日 朝日新聞 朝刊より引用)

戦争により死んだ、あるいは傷ついた、日本人と世界の人々に、これらの言葉は届くでしょうか?

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
という誓いと祈りを大切にしたいとも思います。

 

人はいつか死ぬんでしょうけれど、
戦争というのは国の命令で人が敵国の人を殺したり殺されたりするわけなんでしょう。

ウィキペディアで「第二次世界大戦の犠牲者」を調べると第二次世界大戦の死者数は5000万〜8000万人ということです。

※参照ウィキペディア「第二次世界大戦の犠牲者」

これは傷病者を含まない死者数だといいます。

日本では約312万人の死者数で、軍人が212万人、民間人が100万人が死んでいるということです。

朝鮮(日本統治)では民間人死者数が約48万人、軍人は日本軍の数字に含まれるようです。
中国(中華民国)では約1,000万人〜2,000万人の死者数で、軍人が約400万人、民間人が約1,600万人、
フィリピンでは約105万人の死者数で、軍人が約5万人、民間人が約100万人、
インド(イギリス領)では約258万人の死者数で、軍人が約8万人、民間人が約250万人、
東インド(オランダ領)では民間人の死者数が約400万人、
インドシナ(フランス領)では民間人が約150万人、死んでいます。

ドイツでは700万人〜900万人の死者数で軍人が約550万人、民間人が約350万人、
ソビエトでは2,180万人〜2,800万人の死者数で軍人が約1,385万人、民間人が約1,800万人、死んでいます。

また、
イギリスでは約45万人の死者数で軍人が38.3万人、民間人が6.7万人、
アメリカでは約41.8万人の死者数で軍人が41.6万人、民間人が1,700人、死んでいます。

これらの死者数の単位は万人です。
アメリカの民間人の死者数以外は全て単位は万人なのです。
死者は一人一人で死んでいったでしょう。
単位が万人とはじつに大雑把です。
約1万人の死者の姿さえ想像することができません。
約5000万〜8000万人という死者の姿など想像できません。

日本人が310万人死んでいる。
朝鮮の民間人が48万人死んでいる。
中国人が2,000万人死んでいる。
フィリピン人が105万人死んでいる。
インド人が550万人死んでいる。
インドシナ人の民間人が150万人死んでいる。
ドイツ人が900万人死んでいる。
ロシア人が2,800万人死んでいる。
イギリス人が45万人死んでいる。
アメリカ人が41.8万人死んでいる。

それ以外の国の人びとも死んでいる。

また、この数以上に恐らくは傷ついた人たちがいる。
国から捨てられた人たちがいる。
慰安婦にされた少女たちもいる。

人類はこんなことをまたいつか繰り返すのでしょうか?

わたしの母の母、祖母は、一人息子、わたしの叔父を沖縄の戦いで失いました。
祖母は大切な一人息子を「天皇陛下万歳」と言って送り出したのでしょう。
老いた祖母が着物姿で庭の生垣の野ばらの白い花を窓越しから眺めていたのを思い出します。
いつまでも灰色になった眼玉で野ばらの白い花を見ていました。

日本人の多くが戦争を体験しました。
ほとんどの人びとは天皇の名の下に戦ったわけです。
世界の多くの人びとも国の名の下で戦ったのでしょう。
戦闘だけでなく病気や飢餓、大空襲、各都市での空襲、沖縄戦、広島の原爆、長崎の原爆、外地での敗戦による自決や暴力や殺害などなどを体験しました。

国や天皇の名の下に人は通常では犯罪となる殺人や暴力行為を大量に行ったのです。
いまやこの世界ではAIやロボットや小型化された核兵器による戦争までも行われつつあります。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

聖ニノ像

 

今井義行

 
 

私たちは 1度は 離れたので
そして
私はまた 無宗教者 だったので
エンゲージリングとキッチンウェア以外のもの
例えば
いのりの 象徴

聖ニノ像は
失くして しまったのだ

アルジェリーは
ビデオ通話で「一緒に写ってる写真を
プリントアウトしてください」と言った
私は「データは殆どないんだ」と言った

すると あなたは
「じゃあ ニノは?
ニノは どこにあるの?」と言った
私は「ニノは、わからない」と言った

「ニノはどこに? ニノに
いのってほしいの」とあなたは言った
「ニノは 聖人なんです」

「イエス、アイアンダースタンド」
(ごめんよ、アルジェリー、、、、)
「古い アイフォンから
写真のデータを たくさん見つけたわ
それをプリントして
提出書類に 添付します」

結婚式は 早まって
2020年1月26日 日曜日になった
あなたは 教会結婚式を 夢みていたが
私が クリスチャンでないので
多目的ホールでの 市民結婚式になった

「調べてみたけど
フィリピン式の 結婚式は 複雑そうだね」
「ノウ !」
「そう ?」
「きれいに 書類をそろえれば だいじょうぶよ
きれいに、、、、」

私たちが使っているのは
WhatsAppという コミュニケーションアプリだ

中東では これが主流のようだ
WhatsAppの ビデオ画面の中で
あなたは 純白のガウンを夢みている
多目的ホールには
家族や 親戚たちの祝福がいっぱい !! 「ニノはどこに? ニノに
いのってほしいの」とあなたは言った
聖ニノ、もしくはグルジアの亜使徒光照者 ニノは、4世紀のグルジアにキリスト教を伝道・紹介した女性である。※引用
多目的ホールには
贈られた 花束がいっぱい、、、、
「ユキ、何処にいるの ?
花束が まぶしくて まわりが見えないわ、、、、」
「アルジェリー、
ぼくは ここに 居るよ !!
あなたが さがしていた 聖ニノ像も
ほら、ここに あるよ !!」

1度は 失敗してしまった 結婚
1度は 離れてしてしまった私たち
今度こそは 幸福に ならなきゃね

多目的ホールには 讃美歌がなりひびく
長女のリアンが
次女のアンジェラが
三女の ペンペンが
あなたのまわりを 輪になって踊ってる
「Congratulations、ママ !!」

私は その輪の真ん中に
聖ニノ像を そっと 置く
「私たちみんなを どうぞ 護ってください !!」

「ユキ、あなたの部屋を 写真に撮って
送って頂戴 ──」
「いま用意するから 待ってて」
「はい」
「送ったよ これがぼくのアパートメント
1階で ここが窓
ここがキッチン ここがユニットバス
ここが ベッド ──洗濯機は置けない造りなんだ」

「ノウプロブレム
私は 洗濯物を手洗いするし
窓辺に 蘭の花をかざるし
きれいに ベッドメイキングします
日本に 行ったなら」

(アルジェリーが 日本に滞在するためには
入国管理局が発行する
在留資格認定証明書が 必要不可欠である

実は この認定を受けるのが難しい
日本人とフィリピン人の
国際結婚の場合
まず 偽装結婚が疑われるからだ、、、、)

そんな話を いつだったか
アルジェリーに したことがあった

「なぜですか ?
私たちは リーガルに きれいに
話を進めているのに なぜですか ?」
「入国手続きを 穢してしまった人たちがいるんだ」
「、、、、、、
私は あきらめません
私たちは 何ひとつ
悪いことをしていないのですから
We only pray !!」
「そのとおりだ
私たちが 裁かれる 筋合いはない」
「私たちは 真剣に
メイクラヴをした 私たちは私の家で
いっしょに
食事をして いっしょにシャワーを浴びた」

今度こそは 幸福に ならなきゃね

多目的ホールには 讃美歌がなりひびく
長女のリアンが
次女のアンジェラが
三女の ペンペンが
あなたのまわりを 輪になって踊ってる
「Congratulations、ママ !!」

「Congratulations、パパ !!」
WhatsAppの ビデオ画面の中で
あなたは 純白のガウンを夢みている
それは とても正しい 夢だ

「アルジェリー、おいで !!」
私は 画面の中から あなたの手を強く握って
引っ張り出す
「アルジェリー、おいで !!」

あなたは 私のアパートメントの1室の
貧しい ベッドサイドで
純白のガウンを ひるがえしている

アルジェリーは しばらく
呆然としてから 頬を昂揚させて
私に言った
「この部屋をきれいに アレンジメントします !!」
「うん、まかせるよ !!」

「それから私、
ベッドサイドに 聖ニノ像を飾ります──」

 

 

 

また旅だより 12

 

尾仲浩二

 
 

島根県の江津に泊まった。ごうつと読む。
七月の終わりから約二週間のひとり旅。
この日は夏休みはじめての土曜日で、観光地はどこも宿代が高かった。
仕方なくこのちいさな町のビジネスホテルに泊まったのだ。
どうやら東京からの移動時間距離がいちばん遠い町らしい。
そこは気になったけれど、なにしろ強烈な暑さだった。
なので陽が落ちる頃に宿の回りを散歩しただけで、翌朝はすぐに駅へ向かった。
でもそんなついでに泊まった町が妙に記憶に残ったりする。

2019年8月3日 島根県江津にて

 

 

 

 

帰ってみれば *

 

シンガポールに行ってきた

女と
行ってきた

シンガポールは
金融と情報と娯楽の多民族国家だった

ナショナル・ギャラリー・シンガポールで

Lee Wenの
イエローマンのビデオと写真を見た

Lee Wenは
2019年3月3日に

死んだ
この世にはいない

夜にはナイトサファリというツアーで動物たちを見た
夜の動物たちは小さく集まっていた

吠えなかった
話さなかった

翌日は
インド街に行き

辛いカレーを食べた
西瓜ジュースを飲んだ

それからベイエリアで
植物園を歩き

夜には光のショーを見た

翌朝
シンガポール航空で羽田に向かい

こだまで
帰ったきた

帰ってみれば *
モコはいない

ガランとした蒸し暑い部屋がいた

モコは
動物病院のホテルに預けていた

 

* 工藤冬里 詩「なりすましのバラード」より引用

 

 

 

パラレルワールド

 

田辺 弓

 

 

雨上がりの土手の道

足もとに光る草むら

泣きつかれたこどもみたいな

一日のおわり

しずくは数珠のように連なって

緑のなかでゆれる

逆さまの世界は

 

パラレルワールド

わたしたち、どこにいる

 

運動場にね、白線を引いたでしょう

あの線の 向こうとこっち側

わたしには超えられない

新しいスニーカーのかかとで

踏みにじったらたやすく消える

あの線の 向こうとこっち側

雨が降ったり

風で巻き上げられたり

小さな足あとを残す笑い声に

晒されるだけでさえ

消えて

消えてしまう

 

そうしたら

入り口も出口も

どこにあるのか分からなくなって

ひとは

道を塞がれた蟻みたいに

戸惑い、

困惑して、

ウロつき回り、

訳もわからぬまま、

それでも闇雲に、

とつとつとやたらな方角に進むのみ

 

あの線の向こうとこっち側

わたしとあなたを分けている

あの線の

 

それでも

入り口と出口を

探して

首を振ったり

ターンしたり

うつむいたり

四つん這いになったりしながら

途方に暮れて

空を見上げる

 

夕暮れどき

波のような雲

空の果て

 

雲が

やさしい身ぶりで

ゆれる

あの線をまたいだ

向こうとこっち側

あの線の

向こう へ

いける気がして

 

 

 

人とそのお椀 06

 

山岡さ希子

 
 

 

無理な体勢 どうしたいのか 座り込み 両手でお椀をしっかり掴み 思い切り前かがみ 両足の間から 股の下に両腕を押し込み お尻の下にお椀を送り出す ちょうど肛門の下に お椀がくるように つるりとした身体で 性別不明 頭と目は少し前の方を向いている

 
 
 

椅子

※ M氏追悼

 

道 ケージ

 
 

森の外れ
血管で出来た椅子は
蔦と絡まり
佇む

ラメの泡のような液血は
混じらずも許し
宿命を代謝しあっている

地表の実生たちが
ソーダ水のようと
われがちに駈け上がる

座られた記憶に
座りこむ椅子
真ん中の窪みが誘う
椅子は花である

ためらいなく入る人々
置き去りの私

椅子は
あちらから落ち窪んだ根茎か

死ねば終わる
二つの世界

あの崖だよと誰かが指差す
死んでみせた人
緑に包まれると
もう椅子とはわからない

 

 

 

なりすましのバラード

 

工藤冬里

 
 

一行目を抜かれて
すでに発生していた
わたしはすでに発生し啼きはじめた
蛇腹を震わせ
音図ozと立ち上がった
ozOzと進路がずれていくことはわかっていた
ずれた
ずれたままバスは進んだ
透析の血に脳が追いつかなかった
即ち脳は萎んだ
脳は谷を越えた
谷を越えて脳ははしる
血に追いつけないまま
脳を凋ませている

* *

置き換えられた枕に
良く似た顔のidol
かどみせのグレーヘアー
セブン・シスターズ
現実逃避は大好きなんですけど 銀化するんだよね
その通りですね全くその通りです
羽織り乍ら言う
そのようなことがあったとしてもひとつづつなくして
不義に顔を顰める
南洋の髪型に
緑を流す
水鳥の首
馬場はどうなっちゃったんだろう
あのやもめの子はどうなっただろう
軽天の時は飴玉を皆に分けていた
この体制での居住は一時的なものなのでリフォームしたりはしない
寝間違えたまま例えを使う
カイツブリだ
イボイノシシよ
進歩していない老人が
江戸っ子っぽい不完全さで
おしえをしろめる
山腹に点在するうつ伏せのマンゴー
目を閉じて階段を塗る
そこまで悪くなるのです
クビは簡単
タレ目で頷く良心
思ってもいない時刻
すでに火は点けられた
安全のうちに破棄してください

* *

蟻浴するカラス
大久保の夜空に雲
ルビが逃げていく
赤い蜘蛛の子らのように
赤い 引き潮
百人町の 喜久井の
約束の地に川はなく
知らない耕作法を学ばなければならなかった
4月後半から9月まで雨が降らなかったので
豊作を紐の字の主(バアル)的曖昧に縋った
東京の夏もいちばん長い日を前に天気の子に縋っていた
脳梗塞の前に
弱さとレインボーがタッグを組む
哲学は人の自然な願いに付け込んでいる

* *

さてその頃
一行目では彼が死んでいた
透析の血に脳が追いつかなかったのだ
見舞を仕舞った最期の日(八月六日)
数日前に見覚えのある、三つの棒のような入道雲を彼も描いていた
はんぶんインド人の孫たちが病室でそれに着色していた
りんごはごりんじゅうの祖父の顔を見て失神した
石鎚に雲は立つ
帰ってみれば
「サンダル下駄の感触が秋だった」