michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

 

塔島ひろみ

 
 

転校生は六部(行者)で 森市といった
私の隣りの席になった
教科書とかがそろうまで 私が見せてあげる 
当番のこととか 図書室のこととか 教えてあげる
森市は太っていて 動作がにぶくて 頭もにぶくて おとなしかった
いろいろ教えても ちょっと笑ったみたいなあいまいな顔で ぐりぐりした大きな目で私を見るばかりで
たぶんなにもわかってなかった
いつも同じ服を着ていた
その服は 冬でも夏でも
おばあさんが着るような毛糸の長いベストと
おばさんがはくようなすそ広がりの黒っぽいズボン 
臭かった
お風呂に入っていないのだ
着替えもしないのだ
臭くて 本当は近くに寄りたくなかった 話したくなかった
「くっせえ」「うんこ」「でぶ」とののしられた 尻を蹴られた
そうやっていじめられる森市の顔を 私は見ないようにした
授業でさされると私が小声で答えを教えた
森市はそのとおり復唱した
私は森市に教えるばかりで
森市のことをなにも聞かなかった
家族のこと どこから来たのか どうしてここに越してきたのか テレビは見るのか 生理はあるのか
なにも聞かなかったので なにも知らない
給食室の工事が始まり
各自お弁当を持参することになった
森市の弁当は変わっていて
あるときは食パン1斤を袋ごと
あるときはポリ袋いっぱいのサクランボ
全部残さず食べていた
何も持ってこない日もよくあった
図工の時間
隣りの席の子の顔をお互い描きあう
という課題が出た
私は森市を 森市が私の顔を描く
よく見ると森市はまつ毛が長く 
肌はどぶのように黒ずんでいたがなめらかだった
鉛筆も筆もほとんど使えない森市は 私を全然描けず 手こずっていた
困って 上目遣いに私を見つめる森市を 私はそれ以上見ていることができなかった
私は見ないで森市を描いた
森市から漂うクサい臭いをかぎながら 画用紙に絵の具をどんどん塗りたてた
図工の先生が足をとめた

「すごい絵だなあこれは」

画用紙の中の人物は ギロリとした目で先生を見る
絵にはなんだか凄まじいものがあった
森市にはまるで似ていなかった
森市はもっとおだやかでやさしくておとなしい少女だ
なのにこんな恐ろしい絵に描いてしまった
絵は
まず校内展覧会で人目を引き
区展や都展にも出品され 賞をもらった
題名は「友だち」
もはや誰もそれが森市とは思わなかった
描いた私ばかりがちやほやされた

そのあとしばらくして森市は入定(生きながら墓穴に入り即身仏となって命を絶つ意)した
倒産した近所のアルミ工場の一室に入り 鍵をかけ
シャワーを浴びる水音が三日三晩つづいたという
音がやみ ドアを壊して消防団が踏み入ると
部屋には誰もいなかった
おびただしいアルミくずが 甘い とろけるようなにおいを放っていた

  村人は森市の死を哀れみ お地蔵さまを祀り供養しました。
  現在のお地蔵さまはお堂内に祀られている聖徳太子像の背面に安置されています。

蛇行しながら流れる中川に西、南、東の三方から挟まれるその場所は
以後 圦(いり)の川岸と呼ばれている

 
 

(奥戸2「圦の川岸」にて)

「入定塚」説明板(森市福地蔵尊/弘法大師奉賛会)を参照、一部引用

 

 

 

餉々戦記 (あっ、あらもっと 篇)

 

薦田愛

 
 

起き抜けの電気毛布から出られない
底冷えの丹波で二度目の冬
アラームを停めたスマホの画面を繰る指かじかむ
よわい光に浮かぶ山なみの写真
SNSの
ああ
七年経つのか阿波半田そうめんの里
大叔母ヤチヨさんを送りに行った時だ
目の大きなあっけらかんとした物言いの
ヤチヨさん
ひとりっ子のヒロム兄ちゃんは
かあさん、肉が好きで魚は食べんけど
ぶりだけは好きじゃなあ、と
言ってたな
そう
寒くなると、ね
ぶり、なんだ

ぶり 鰤 寒ぶり
ひ、ひみ、氷見のぶり
なんて無理 コーキューヒン
ひ、ひ、氷見漁港の寒ぶり
なんてものは料理屋さんの幟になって
寒風に吹かれているんだ
二年暮らした北摂刀根山
あるいはここ丹波の山あいでは
熊本長崎大分あたりや島根だったり
海の京都舞鶴なんて文字がパックにおどる
おもに天然まれに養殖
ムシが寄生するおそれがあるから天然のほうが安いと
この三年で知った
料理する前にしげしげ見つめて孔を発見
ピンセットで引っ張り出したこともある糸のようなのツルっとうわ
まだある長いぞうわあ
それでも及ばず加熱したあとにうっすら孔
恐るおそる身を割るとああっいやぁここにもって
害はなくても、ね
ベラにボウな食欲も
きゅきゅっとちぢこむ
その痛手でしばらく手を出さないことにして
ぶり
そう天然物のはらむムシとの遭遇
ちょっと、ね

それでもそう
寒くなって
ムシも減った頃なんじゃないかなんて
なんのエビデンスもなしに
気づけば鮮魚売り場のパックをきょろきょろ
でもって
あ、あら
あれっ
ぶりあらのパックではまだ
体験してなかったよムシとの遭遇
削がれ刻まれたあらには
ムシの居場所がなかったか
分厚い切り身の血合いもたっぷりのそれは
ヤチヨ大叔母さん
たしかに肉に似てるね
ちいさいころ、魚の血合いをみて
チョコレートと言ったのよあんたは、と
親に言われた
濃ぉい、コクのずしり
にじみでる脂と甘みは
粕漬けにしても照焼きでももちろんぶりしゃぶにしても
美味しい
とは言っても
お財布の都合もあるからね
できれば、というよりまずは
あらをさがす
あ、あらっ
ぶりあら三百グラムほどのパックをさがす
けれどなかなか
あったりなかったり
ねえ
ぶりのあら、もっと!
ぶりあら、もっと!
いえいえ、おおきな魚ですから
さばく個体の数も知れてますから
それで限りがあるんだろうか
いやいや、もっと!
ぶり、あら、もっと!
目を血走らせたおんなが鮮魚売り場をはしごする

そう
あらさがし
あらにこそあらわれる
ぶりのぶりたるゆえんを
白々とどっしり太ぶとしい
大根と炊き合わせるんだ
そう
ぶり大根
大根が待っているからさ
ちょっと小声になるが
じつのところ
ぶりと対等どころか
こっちが主役かもしれない
だってさ
寒さ極まる夜は
黄柚子の皮と味噌をからめて
ふ、ふう、ふっふうふろ吹き大根でいただくほどの
大ものだもの
ましてや今や丹波の古民家暮らし
畑で穫れた太っといいっぽんを
外の水道で洗いあげてユウキがどさっ
玄関のあがり口に置いて

「ねぎもかぶも白菜も穫ってきた
 大根は土からこんなに顔を出してるよ」
と指で十センチあまりを示す
この冬二度目の雪がとけ
畑はぬかるんでいるのだ
家からは見えないけれど

はしごして走っても
もし無念にも、ぶりのあら、入手能わずんば
立派な切り身ふたつほどをいくつかに切り分け
料理酒ふって十分後に熱湯をかける
これでくさみが取れるんだな
って
いっぽうで大根の下茹でをするわけだけれど
輪切りした片面に十字の切り目を入れ
のちのちこれを下にして煮るんだね
フライパンで水没させ
ごとごと
やわらかくなあれ
ふむ
生姜を厚切りにしておくとか
レシピの白髪ねぎはまぁ省略しちゃってもだいじょうぶとか
ぜんたいがわかるまで幾たび(溜め息)
あ、あらっ
今日のあらはカマの一部が入ってて
食べられるとこ少ないな
パックの外からだとわからない
持ち重りや身の色にくわえて
それとなく手ざわりも確かめなくちゃね
バットにキッチンペーパー
その上に麗々しく
ぶり、あらっ
展げて、さ
酒、ひとふりがむずかしくて
たたらっだっだだっ
あっ
コンロに
湯だつフライパンの大根めがけ細身のフォーク
ググッかったい
まだまだだな
ぴんぽぉん
うわぁ宅配便、まだ指定の十九時前なのに、

はぁい
火を止めてボールペン
ドア三枚むこうは息の白い夜

さあそろそろ
大根を孔開きお玉で掬う
フライパンに張った湯を片手で捨てるのが難儀だから
だけではなくて
ざるに移したぶりあらに
かけるから
そう
熱湯、じゃないけどね
料亭、じゃないからね
段取りよくなどちっともならない私だけれど
みえないところでみえないくらいに少ぅしずつ
あっ あらっ
えっ あれっ
気づくのだか腑におちるのだか
マイナーチェンジってやつ、
かな
生姜をざくざくり
ここから先まだ長い
酒にみりんに砂糖に減塩醤油
高血圧臨界点のひとのためにね
レシピより気持ち砂糖を控えめ
醤油は塩分五十パーセントカットのすぐれものゆえ
そのままの量
かきまぜ煮立たせたふつふつを
ずとっずとっ
大根で埋め尽くし
分け入る体であらっ
ぶりっ
ぶりあらっ
あらを差し込み
ぶくっぶっぶくっ
湯立つ火を少し弱めて蓋を
しかるのちさらに
ぐしゃ
アルミホイルで落し蓋
あわせて三十分

気のながぁい話でんな
今食べたい食べたいて思ても
すぐ食べられしまへんがな
レンチンな時世にあわへん
腹の虫、怒りまっしゃろ

てな内なる声が
草臥れてお腹すかせたユウキの
風呂上がりの姿と重なって
いや
「お腹すいたよ。まだ?」だなんて
練れたユウキはけっして言わないのに
はじめ十分加えて十五から二十分
とあれば
急くこころが短いほうへと傾いで
あわせて三十分を二十五から二十七分へと端折り
とった蓋うらつつっと湯気アルミホイルを取りのけ
茶に染まる大根を裏がえし皮のめくれた
ぶりあらっ その大きめのひとつから
皿に置く
煮汁をかぶった大根半月クォーターカットのそれと並べ
ビターチョコレートか肉と見紛う血合いたっぷりの
あらっ ぶりの
ブリリアントなこの眺めを
ねえユウキ
ヤチヨ大叔母さんにも見せてあげたいよ

 

 

 

迷い

 

たいい りょう

 
 

深い闇の中を
あてもなく
さ迷い続ける

目を開けることも
かなわない

光と闇とが交錯する
その場所に
精霊は降り立った

どこまでもどこまでも
深い闇の中へ
さ迷い続ける

光は遠く
闇は近い

深海の奥底へ
この身を委ねた時
永い眠りから
覚めた

 

 

 

雪が降ってるよと言った

 

さとう三千魚

 
 

年の暮れの暮れの
今日

午後に

秋田の姉から
荷物が

届いた

いぶりがっこと
芭蕉菜漬と

味噌と
酒と

入ってた

夕方に姉に電話した

姉は
元気に笑って

話した

義兄は逝った

一人で雪掻きをしていると言った
今日も

雪掻きをしたと言った

三時間もしたと言った

雪が降っているよと言った
雪が降っているよと言った

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

 

村岡由梨

 
 

雪が降っている。
前に住んでいた家の小さな庭で
真っ赤なコートを着て
仰向けに横たわる、幼い私。
手を伸ばせば届きそうな暗い空。
庭の木々にも、芝生にも、わたしにも
やわらかい雪が降り積もっていく。
このまま
白く清らかなままで
全て消えてしまえばいいのにな。

無垢な猫の胸毛のように真っ白で、
豊かにやわらかく揺れる母の乳房に、
身を捩って苦しむ母の乳房に、
ニトログリセリンを貼って、顔を埋める。
母の胸の奥に、赤くてあたたかな光が見える。
ほんとうは
もっと早くこうしたかった。

もし、あなたが
明日消えてしまうのなら
欠点も何もかも のみ込んで
あなたのことが好きだった、と伝えたい。

もし、私が、明日消えてしまうのなら、
これまで出会った全ての人たちに
優しく出来なかったことを
泣いて激しく悔やむでしょう。

濃い霧に覆われて、
先の見えない道の半ばに立たされた
孤独な娘たち。
赤いフリースを着せて、
震えるあなたたちにそっと目隠しをする。
見たくなければ、見なくていいよ。
逃げたかったら、逃げればいい。
やがて眠りについたあなたたちのそばに、
色違いの羊のぬいぐるみを、そっと置く。

ある日、一羽のカラスが一直線に大きく翼を開き、
冬の寒さを切り裂くように
私の目の前を低空飛行した。

母の胸の奥の赤い光が爆発して、
母の乳房が、体が、こっぱみじんになった。
女の血と肉片で着飾った私は、
真っ白な雪の絨毯に、仰向けに寝転がる。
手足の指がかじかんで、赤くなって、
やがて黒くなって、壊死してしまった。
雪はいつしか女の遺灰となって、
静かに降り積もっていく。
女の遺灰に埋もれて、
遺灰を鼻から吸い込んで、私は
このまま全部消えて無くなればいい、
そう思った。

けれど、私はこのままでは終われない。
白く激しく燃えるような
辺りいっぺんを激しく焼き尽くすような
作品を作るまでは。

出し尽くす。焼き尽くす。
自分の命を最後の一滴まで絞りだす。
私は、ひとりの表現者として生き切りたいのだ。

なんて強がりを言っても、
今際の際、きっと私は、
夫と二人の娘たちの名前を叫ぶでしょう。
そして、私が自分勝手な生き方をして、
いつも良い妻・良いお母さん
でいられなかったことを、
激しく泣いて悔やむでしょう。

狂おしいほどの怒り、苦しみ、憎しみ、悲しみの
全てをのみ込んでもなお
あなたたちのことを愛していたことを
うまく伝えきれるでしょうか。

赤くてあたたかい光が、
私の胸の奥にもあったことも、
いつか、気付いてくれるでしょうか。

そんなことを考えながら、
小さな庭に横たわる私の体に
雪が、母の遺灰が、
音もなく降り積もっていく。

 

 

 

空は フー

 

小関千恵

 
 

 

わたしは あなたの魔法に
愛された
空は フー
濡れた空の道

その皮膚を擦り歩き
演奏した 生業のように
それぞれのビジョンを隠した
合奏は 自然のように

空は フー
その道から
土は降ってくる

枯れた花を握りしめて
この夢を咲かせられるかと
絶望への愛が

尸を
雪に濡らす

空は フー