長田典子詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(思潮社)について

 

辻 和人

 

 

長田典子さんの最新詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』は、ニューヨークに2年間語学留学した体験をドキュメンタリー形式で書いたものだ。長田さんは小学校の先生をしていたが、50代半ばに退職して一発奮起し、長い間の夢を実現させた。帰国後、この一世一代の体験が自身の人生にどのような意味を持つかについて懸命に考え、詩の言葉によって結晶させたのが本書である。

 

空0高層ビルに囲まれた
空0四角いセントラルパーク
空0そこは むかし 羊のいた牧草地だったという
空0羊のかわりにヒトがたくさんいて
空0海辺でもないのに水着になって
空0芝生の上に寝転がり 肌を焼いていた
空0影のないヒトたち
空0わたしは過去から迷い込んだ
空0一匹の羊なのか

 

渡米してすぐ、セントラルパークを訪れた日を描いた「笑う羊」。最初は日本では見慣れない光景を珍しく感じていただけだったが、観光に来たのでない長田さんは、この風景のただ中に飛び込み、新しい環境に溶け込もうとして、大胆に想像力を膨らませる。

 

空0ワタシは羊ナノデス
空0ぴょーん ぴょーん
空0飛び跳ねる
空0羊なのです
空0<中略>
空0わたしを助け出さないでください
空0わたしを連れ出さないでください

 

小学校の先生として、厳しい規律を身に染み込ませ、子供たちに教える立場であった彼女は、一転して自由の身になった。気力の漲った、飛び跳ねたくなるような爽快そのものの気分。生まれ変わったような解放感が伝わってくる。そしてこの、伝えたいことを細かいところまできちんと説明して伝えていくという姿勢は最後まで貫かれる。

長田さんは、次の詩「Take a Walk on the Wild Side」で留学を決意するに至った深層の理由を説明する。これから200ページにわたって延々と紡がれる留学の記録は、単なる異国への訪問記ではなく、人生を進展させるための重要なステップの記録なのだ。まじめな人の冒険にはそれなりの理由がなければならない。順を追って読者に対する説明責任を果たそうとするところがいかにも元教師らしい。
早朝、昨夜ラジオで流れていた歌の「Doo, do, doo」という掛け声と「Take a Walk on the Wild Side(危ない方の道を歩け)」という歌詞を思い出したことをきっかけに、作者は幼い頃の酷い体験に浸り込む。

 

空0「お父さんは、いません」
空0玄関先で早朝から訪れる借金取りに言うのがわたしの役目だった
空0父は逃げて行方不明
空0次々と商売を始めては失敗に次ぐ失敗
空0恋人の家に隠れているらしかったが
空0夜中になるとまた借金取りが来て
空0家のドアを怒声を上げて叩き続けていたっけ

 

長田さんの父親は事業に失敗し家族に負担をかけていたのだった。「Doo, do, doo」は、借金取りがドアを叩く音に重なる。しかし、ここでひねくれなかったのが長田さんのすごいところだ。父の二の舞を踏むまいと、勉強して教師になり、安定した生活を築くことができた。

 

空0手堅い仕事は世間的には立派だった
空0手堅い仕事は満身創痍であった
空0手堅い仕事は大変に屈辱的だった
空0手堅い仕事は四冊の自作詩集と建売住宅を与えた
空0手堅い仕事はそこで終わりにして
空0わたしは異国で暮らし始めた
空0永遠に遂げられなかった愛を成就させるために

 

どうやらこの語学留学は英語を取得することが第一目的ではないようなのだ。もっと根源的な目的、即ち、奔放な父親の失敗を見て、こうはなるまいとまじめ一筋に過酷な仕事に長い間打ち込んだ挙句、自分を本来あるべき自由な姿に戻すためなのだ。外国語の取得を口実に未知の世界に飛び出すこと。本来の長田さんは、新事業に挑んで敗れたお父さんのように、冒険をする性質の人だったのだ。まさに「Take a Walk on the Wild Side」そのものだ。

 

空0ああ お父さん
空0わたしも ここで
空0もう一つの命を始めます

 

故郷から遠く離れたニューヨークで、ようやく父親との「和解」を果たすことができたというわけだ。

そしてそれからは勉強、勉強。中年期に達してからの語学学習には困難が伴ったようだが、努力家の長田さんは持ち前のガッツで着実に実力をつけていく。そして休日、久々にのんびり過ごしていたところ、思いがけないニュースを耳にする。

 

空0え、地震? トーホク?
空0一時間前に起きた地震を知らせる赤い文字、
空0配信映像、クリック、
空0キャスターがヘルメットをかぶって叫んでいる
空0「落ち着いて行動してください!身の安全を確保してください!」

 

東日本大震災である。長田さんはあの大惨事をニューヨークで知ったのだった。この「ズーム・アウト、ズーム・イン そしてチェリー味のコカ・コーラ」は、詩集の中のハイライトとも言うべき、長大で手の込んだものとなる。インターネットを介して映像を食い入るように見続ける長田さんは、この世のものとも思えないような悲惨な光景にショックを受けながら、その災禍が自分の身にふりかかっていないことから、次のような感慨を覚える。

 

空0ズームアウト、上空から、
空0分裂したもうひとつの意識がむしろ画面と一体になってしまう、上空から、
空0なんでこんなに冷静なんだわたし!
空0リアリティ、
空0リアリティ、ってなんなんだ!

 

現場にいないのだから、冷静なのは実は当たり前なのだ。これが別の国で起こったことであればどんなに悲惨であってもそれは「ニュース」であり、冷静であることも自分で納得できただろう。しかし、長田さんは災害が起こった日本を故国とする人である。そのため現場に立ち会えなかった者特有の罪障感、つまり一種の意識の倒錯が訪れる。そして長田さんは咄嗟に、今いるニューヨークでかつて起こった惨事、あの9.11事件を思い起こす。

 

空0ニホンで
空0ツインタワーに飛行機が突っ込むのを見ていたあのときテレビで
空0ビルに突っ込む飛行機と黒い噴煙に圧倒されてビルの中にいる
空0数えきれない人たちに思いが及ぶまで時間がかかった
空0映像の中のツインタワーだった

 

メディアが発達した現在、我々は大災害を、まず映像を見ることで体験するのが普通だ。そして、映像の中で多くの人が苦しんでいるのにもかかわらず、自分が掠り傷一つ負っていないことに違和感を覚えてしまうのだ。長田さんが日本にいたならば、たとえ被害に遭わなかったとしても、東日本大震災を自分の問題として受け止めることができただろう。周りに被害者を悼み、救済について考え、日本の将来を憂える、共感してくれる知人がたくさんいるからだ。しかし、ここはニューヨークだ。共感の輪の中にいない長田さんは、かつてニューヨークで起こった悲劇を、今日本で起こったばかりの悲劇と、「テレビの映像を見た」という体験の共通項で衝動的に結びつけてしまう。
いかにショックを受けていると言っても、日常生活を送らないわけにはいかない。猫に餌をやったり、洗濯したり。そして長田さんは原発についてのアメリカでの報道と日本での報道の違いを気にしたりしながら、次のようなことも書く。

 

空0いつものようにベーグルや水や果物を買いに出掛けるついでに
空0お気に入りのバナナリパブリックやGAPでのウィンドウショッピング
空0傷物のトレンチコートが百ドルで売られているのを見つけて買ってしまう
空0裏地は白に水色のストライプの布がとってもキュートな
空0“This is really beautiful” (これ、ほんとに素敵ですよね)
空0店員さんが言いながら袋に詰める横顔を見て大いに満足する
空0<中略>
空0朝 ニューヨーク三月十三日
空0泣きはらした目で支度をし
空0クラスメイトとバスでハーレムを横切ってクロイスターズ美術館に出掛ける
空0会うなり百ドルで買ったトレンチコートの自慢をする

 

実はこうした何気ない日常の描写がこの作品のうま味を作っているのだ。泣くほど衝撃を受けているのに、同時にのんびりと生活を楽しんでしまう、人間の二面性を、長田さんは細やかなタッチできびきびと描いている。オイスターバーの料理に舌鼓を打って帰宅すると、フクシマ第一原発が爆発したことを知る。

 

空0有名なニュースアンカーが被災地の報告をする
空0立っている場所はどう見てもトーキョーのどこか
空0同じだよ、
空0わたしもこんなに嘘くさい
空0遠い、ヨコハマ、遠い、トーキョー、センダイ、トーホク!
空0ズーム・アウト、わたし、上空から、わたし、ズーム・イン、
空0ぐうたら、ぐうたら、ズーム・イン、ズーム・アウト、
空0地震、火災、家屋倒壊、津波、余震、死者多数、死者多数、原発爆発!、原発爆発!!

 

いろいろな感情が錯綜し、混乱した長田さんは自分を「嘘くさい」と感じるようになり、落ち着きを失ってしまう。翌日の「午後のマイク先生の授業」では、何と皆の前で一時間も一人で地震や原発についての考えを喋ってしまうのだ。

 

空0眉間に皺を寄せて喋り続けてしまって喋るのが止まらなくなってしまって
空0マーク先生はわたしの話を遮らずに最後まで聞いていた
空0午前中、映画のCGみたいだったね、と無邪気に喋っていたクラスメイトたちも
空0黙り込んで下を向いていた

 

このクラスはすごく良いクラスだと思う。一人の生徒の心の痛みを皆で受け止めようとしてくれるのだから。言いたいことのある人が喋り、周りは真剣に聞いて理解する。言葉の教育とはこうあるべきではないだろうか。マイク先生は「もし、世界で一つだけ変えられることがあるなら、わたしは……」というテーマで作文の宿題を出し、長田さんは一週間後に原発事故について書いたエッセイを提出する。そのエッセイは英語の原文と日本語の訳文の両方でまるまる詩の中に引用される。長くなるので引用は避けるが、高揚した気分が伝わってくる熱い文章である。そして詩は、「たとえば/葬儀に参列したとき/きゅうに、ぷうっと吹き出したくなる/あの感じ」を想起しながら

 

空0同じだよ
空0わたしも
空0こんなに
空0嘘くさい
空0そらぞらしい

 

と締めくくられる。この詩全体は、海外に身を置いて東日本大震災のニュースに接した日本人の意識を生々しく書き留めた、非常に貴重な記録となるだろう。ここには、矛盾する行動と心理の混淆が、場面に即して精確に描かれている。現実というものはこうしたものなのだろう。「嘘くさい」のリフレインは、逆に作者の率直さの表れである。この「率直」をできるだけ落とさず、余さずに読者に説明するというのが、この本詩集のスタイルだ。

長田さんは語学学校の学生であり、そこには様々な地域から訪れた学生がいる。当然、文化の違いに敏感にならざるを得ない。「蛙の卵管、もしくはたくさんの眼について」は自作の英文の詩の引用から始まる。蛙の卵の一つが「僕」という話者として語るというもの。兄弟たちは成長してオタマジャクシになり、水から出ていくが、「僕」は卵のまま水の中に留まっていつしか干からびてしまう、そして「空に浮かぶ眼」となり、いつしか空で兄弟たちと再会し、また蛙の卵管に入っていく、という内容である。これもマーク先生の教室に提出されたものだ。

 

空0きょう
空0creative writingの授業で
空0マーク先生は
空0とてもよい詩だ、と褒めた後で
空0実はまったくわからないのだ
空0輪廻転生ということが……
空0キリスト教では
空0死は完全に終わってしまうことだから
空0穏やかに微笑みながら言った

 

このマーク先生という人は「自分はエジプト人とポーランド人の/血が混じっていると/誇らしげに」話すキリスト教徒ということだが、日本人の男女から生まれ、つきあう人々も皆日本人という環境で育った長田さんも実は教会に通っていたのだった。

 

空0田圃で蛙の卵塊を見かけるたびに
空0怖くなって走って家に帰ったあの頃
空0河岸段丘の底の小さな集落から
空0斜面に沿った急な坂道を登って
空0山の上の町に行き
空0そこをさらに横切って西に歩き
空0教会のある幼稚園に通った
空0礼拝の日は入口で神父様の前でひざまづき
空0パンを口に入れてもらったのだ

 

更に次のような告白をする。

 

空0幼い頃
空0いつも誰かに監視されているように感じていたんだ
空0小さな集落や教会のある町はわたしを縛りつけるたくさんの眼だった
空0強い結束が絡み合った大きな家族のようだった

 

同じキリスト教の経験でも随分違う。マイク先生の場合、異なる習慣を持つ多民族が共生する環境の中で、キリスト教が皆を束ねる軸の役割を果たしていたのではないだろうか。長田さんの場合は、互いを見張るような関係の密な村落の中で、教会はたまたまそこにあったものの一つでしかなかった。何しろ「幼稚園に行かない朝は/お仏壇にお線香をあげて拝みました」というのだから。

 

空0ずっと人の眼が怖かった
空0いや、自分の眼だ
空0人の眼は自分の眼だ
空0とてつもなく捻じれたコンプレックスの闇だ

 

長田さんは蛙の卵の詩を書くことによって、「眼」と対決しようとしていたのだった。しかし、ニューヨークには「わたしを見るたくさんの眼はどこにもない」。

 

空0Oh My God! Frog’s fallopian tubes are Chinese dessert ingredients!
空0(なぁんだ! それはチュウゴクのデザートの食材だよ!)

 

こんな声があがり、教室は爆笑の渦に包まれる。外からの「眼」によって相対化された蛙の卵は、凝り固まった自意識を解きほぐす。長田さんはふっきれた気分になり、明日はチャイナタウンで蛙の卵を食べようと決意するのだ。

ニューヨークでの生活も長くなってくるとちょっとした冒険もしたくなる。「DAYS/スパイス」は、「メキシコ料理店でホモセクシュアルやゲイやトランスジェンダーの人たちが/集まるパーティがあるから行かない?」とメキシコ系の女友達に誘われた時のことを書いた詩。長田さんは、メキシコ料理を食べてみたいという単純な思いから店に足を運ぶ。聞かされた通り、皆「とてもいい人たち」で、「どの人も穏やかな笑顔でずっと前から知り合いだったみたいに話しかけてくれた」。おいしい料理を堪能し、女友達に誘われて二階のダンスホールに行く。

 

空0階段を上がり終わったら急にアップテンポの曲が始まり
空0もともとダンサーの彼女はカクテルを頼むのもそこそこに
空0めまぐるしく交差する赤や黄色や青や白のライトの下で
空0ここぞとばかりに気持ちよさそうに全身を躍動させて踊り始め
空0わたしはあっという間に彼女を見失った

 

「料理を食べる」という目的を果たし、頼りにする知り合いを見失った長田さんは宙に浮いた存在になってしまう。店の隅っこでカクテルを飲んでいた長田さんだが、ここで「アクシデント」が起こる。

 

空0音楽が急にスローになり肩幅が広くて胸の厚い男の腕に肘を引っぱられた
空0ちらっと見えた大柄の男の横顔は浅黒いメキシコ系だった
空0顔を見たのはそのときだけだった
空0手をとって一緒に踊ろうというしぐさをしたかと思うと
空0すでにわたしの身体は男の分厚い胸や太い腕に抱きすくめられ
空0マリオネットのように男と一緒に踊っていた
空0赤や黄色や青や白の線状のライトも音楽のテンポに合わせてスローな動きになっていた
空0悪い気分ではなかったボタンの留められていない男の上着が
空0大きな翼のようにわたしの細い身体をくるみむしろすっかり安堵していた
空0留学生活はまるで薄氷の上を歩くみたいに冷や汗の連続だから
空0スパイシーな体臭さえも心地良くわたしの鼻を満足させた

 

映画のような豊かで細密な描写に魅せられる。ここで注目すべきは「顔を見たのはそのときだけだった」という一行だ。ダンスに誘われた長田さんは相手を個人としては認識していない。酒に酔い空気に酔い、その流れで、「異国の男」に酔ったのだ。

 

空0わたしは指先に弛んだ男の贅肉を見つけてちょっとだけ摘んでみた衝動的に
空0いつのまにか目を閉じていたはじめから目は閉じていたのかもしれない
空0それから男はわたしの唇に唇を押しあててきた
空0すごく柔らかい唇だった厚くて少し湿った唇はわたしの唇のうえを蠕動し
空0何年も前からわたしたちは恋人同士だったかのように自然に口づけをしながら
空0男の大きな懐に自分の身体をまかせていた
空0両方の掌を男の肌にぴったりあてたたまま
空0男がそっとわたしの口の中に舌をすべり込ませてきても自然に受け入れた
空0男はわたしの舌をも尊重かのするような人格のある舌をゆっくりと動かし舌と舌は
空0うっとりと絡み合いつづけ時がたつことなんかすっかり忘れていた
空0男はそれ以上のことはしなかったしわたしもそれだけでよかった

 

堅実な元教師で勤勉な学生である長田さんの隠れていた一面がくっきりと浮かび上がる。もし長田さんが日本にいたなら絶対にこのような行動はとらなかっただろう。誰しもなりふりかまわず官能に身を任せてみたいと思う時はある。が、若い頃はともかくある年齢を迎え社会的な地位ができると、歳相応・地位相応の振る舞いをするようになる。それを、分別がついた、と世間では言うのである。長田さんは、束縛の強い村から束縛の強い学校へと、「分をわきまえる」ことを強いられる生活を送ってきた。愛する男性との生活も「結婚」という枠の中で営まれてきた。まじめに、堅実に、悪く言えば小心者として、半生を送ってきた長田さんは、ここで一個の生命体としての欲求に身を任せることをしてみたのだ。

 

空0店を出てタクシーに乗るころには
空0わたしは男のこともメキシコ料理の味もすっかり忘れていた
空0柔らかく蠕動する唇と人格をもったような舌の動きだけは覚えていた

 

男のことは忘れたけれど「舌の動き」だけは覚えている―そのはずである。舌は、相手の男の部位であることを超えて、長田さんが自身の心と身体の自由を感じる、生きている律動そのものだったのだから。

この詩集は、留学生活の様々な局面を、具体的に描写することで成り立っている。いつ、どこで、誰が、何をした、ということが小説のようにきちんと明示的に書かれている。作者の内面を暗示的な方法で描くことを軸とした現代詩の多くとは、対称的な書法であると言って良いだろう。暗喩を中心とした書法では、読者が「何となく類推できること」から遠くへは行けない。だが、この小説的な、明示的な書法であれば、複雑な状況をその状況に即して幾らでも細かく描くことができる。散文的な手法を取り入れてはいるが、本作はあくまで詩であって小説ではない。表現の軸は、その時々の心の震えを言葉の律動として際立たせることにあり、そこから決してブレることはない。詩の表現の幅をぐーんと広げる、新しい書き方であると言えよう。
そして長田さんは散文性を大胆に取り入れた書法で、その時その時の自分を、ある時は外からある時は内から、しっかり眺め、その像を読者にしっかり伝えようとしている。まるで教室で30名程の人を相手に発表を行うかのように。一番後の席の人にも届くようにはっきりした発音で、じっくり丁寧に順序立てて、自分の一世一代の体験の意味をわかってもらおうとしている。
そこに長田さんの生来のきまじめな性格が明確に表れる。それは、強いられたのでない、内側から湧き出るきまじめさなのだ。

 

 

 

ごっ……くんっ

 

辻 和人

 
 

さあさあ
デジカメで撮った写真
パソコンに移すんだ
USBケーブル引っ込抜いて
乱暴にキーボードの上に投げ出したら
ケーブルは
そろりそろりとキーボードの上を滑るんだ

(ひと呼吸)

垂れ下がったかと思ったら

(1/2呼吸)

椅子をかすめ
しなる、しなる
しなって、床へ落ちるんだ

(1/4呼吸)

落ちた
何、これ?
さっき、さっき……

(ゼロ呼吸)

おおっ、これ、知ってます
つい、つい
さっき
ぼくはペットボトルの水を口に流し込んだんだ
その時、喉の筋肉は
伸びたり縮んだりしたんだ

ごっ……くんっ

(ひと呼吸)
(1/2呼吸)
(1/4呼吸)
(ゼロ呼吸)

誰にも知られるはずはない
ぼくの動作だったんだ
誰にも見られてない
まるで意識していない
ぼくの動作だったんだ
それがこんな風に
(滑って、垂れ下がって、しなって、落ちて)
かすめ取られて
再現されて
目の前に突きつけられるとは

もっかい
辺りを見渡すんだ
やっぱり誰もいないんだ
ドアには鍵もかかってるんだ
カーテンも降りてるんだ

ごっ……くんっ

ふぅーっ
ま、いいでしょ
気を取り直して写真をパソコンに取り込むんだ
そこにはたくさんの昔の時間が
再現を待ってるんだ
待ってるんだ

(ひと呼吸)
(1/2呼吸)
(1/4呼吸)
(ゼロ呼吸)

さあさあ
床に落ちたままぐったりしているUSBケーブルを拾い上げるんだ
そして
相似をなした者同士
改めて顔を見合わせるんだ

ごっ……くんっ

 

 

 

UFOみたいなのが降りてきました

 

辻 和人

 
 

ぷわっ、ぷわり
左に傾き、右に傾き
降りてきたよ
UFOみたいなのが
仕事お休みになった日は雨ザーザー
出かける気力がくじけたところ
つけっぱなしのテレビが「いいもの見せてやるよ」って教えてくれたのが
ぶわっ、ぷわり
六角柱の
UFOみたいなの
がっちりした台の上に
ぺたっ着陸
ほぉー、見事見事
てっぺんにエラソーな金色の鳥さん
6つの角っこをちょっと地味な鳥さんたちが守ってる
ほぉー、見応えあるある
てっぺんの鳥さん、長い首をぷるーんっと折り曲げて
毛づくろいする余裕を見せる
地味な鳥さんたち、時々上を見上げては
てっぺんの鳥さんが毛づくろいする隙に
羽の中に隠し持ったポップコーンを放り投げては飲み込んでる
ほぉー、上手上手
おっと、長身のカラス天狗みたいなのが2人、UFOみたいのに近づいて
おっと、扉を開けたぞ
ほぉー、ほぉー、ほぉー
出てきた出てきた
星人みたいなの
茶色の前掛けみたいなのをまとって
髪がびゅーんと上に伸びる
伸びて伸びて
おっ、もっと伸びるぞ
ぷるーんっ
後ろに折れ曲がった
てっぺんの鳥さんの毛づくろい姿とおんなじだ
手にでかいシャモジみたいなの握ってる
目、ぱちくりさせたかと思うと
UFOみたいなのの中から
出てきて出てきた
正方形の台の下にはいつのまにか
ペンギンみたいなのが一羽畏まって立っていて
それを見たてっぺんの鳥さん
対抗意識か、羽をパタパタさせる
六角を守る地味な鳥さんたちもポップコーン食べるのやめてパタパタ
壮観だなあ
星人みたいなのはカラス天狗みたいなのからカンペを受け取ると
ぱちくりさせてた目を見開いてぎゅっと中央に寄せ
「私の星の住民が幸せになると自動的にこの星は平和になりますよーっ」
ってひと言
え? 何言ってんの?
意味わかんない
ペンギンみたいなのは目をぱちくり
カラス天狗みたいなのも目をぱちくり
てっぺんの鳥さんも地味な鳥さんたちもパタパタやめて目をぱちくり
おいおい、大丈夫か、とテレビ越しに不安になったが
ペンギンみたいなのが気を取り直して
「バンザーイ、バンザーイ」
両手を挙げる
カラス天狗もてっぺんの鳥さんも地味な鳥さんたちも唱和したから
ぼくもつられて「バンザーイ」って叫んじゃったよ
星人みたいなのは満足気にUFOみたいなのの中に戻り
カラス天狗みたいなのが扉を閉め
てっぺんの鳥さんと地味な鳥さんたちは羽を広げた姿勢で静止して
ぷわっ、ぷわり
左に傾き、右に傾きながら
UFOみたいなのは飛び去ってしまった
結局何しに来たんだかわからなかったけど
あんたんトコの星の人が幸せだとどうして地球が平和になるのかわからなかったけど
あー、見応えあった
雨ザーザーを楽しく乗り切れたよ
つけっぱなしのテレビさん
教えてくれてありがとね

 

 

 

キャッ、シュッ、レス、キャッキャッ

 

辻 和人

 
 

10月だなあ
まだちょっと暑いなあ
街路の緑は心なしか褪せてるかなあ
10月と言えば
消費税上がったなあ
8%から10%へ
最初に導入された時は確か3%だったなあ
ぼくは社会人2年目であの頃大騒ぎだったなあ
それが、それがだなあ
5%だなあ
8%だなあ
ってきて
キリのいい10%
2%上乗せっていうとそれほどでもない気がするけど
当初から3倍以上だぜ、やっぱりすごいなあ
子供が多い家なんか大変だろうなあ
さて、昼飯昼飯
会社から歩いて3分のいつものコンビニへ
うーん、あんかけ焼きそば本体価格445円にするかあ
並んで並んで
急速にベテランになりつつあるランさんに
レンジでチンをお願い
小銭出しかけて
ストップ

キャッシュレス決済すると幾らか還元されるってテレビで言ってたなあ
めんどくさがりなんで電子マネーの登録はしてないなあ
キャッシュレスと言えるのはクレジットカードとSUICAだけだなあ
SUICAはカバンの中だから手元にあるのはクレジットだけだなあ
普段はこんな少額でクレジットなんか使わないけど
じゃあ、こいつでお願いします
「はい、かしこまりました」
ランさんの褐色の声、いつものようにきりっと縁取りされてるなあ

キャッ
シュ
レス

いつものように鳩さんいるなあ
公園のベンチに腰を下ろして
焼きそば食べながらレシート確認
本体445円に消費税35円
8%じゃないかあ
そうか、軽減税率かあ
食料品は持って帰れば8%のままなんだあ
おりょ、この9円ってのは何だあ
うひょ、キャッシュレス還元だあ
キャッ
シュ
レス
2%なんだあ
キャッキャッ

445円+35円-9円で471円かあ
おいおい
増税って聞いてたのに
クレジットで決裁しただけで
9円得しちゃったぞお
いいのかいいのかいいのかなあ
うーん、いい世の中だあ
このペースでお昼のお弁当買えば
10日ちょっとで缶コーヒー1本くらい買えちゃうんだあ
目に見えないけど
キャッ
シュッ
って存在して
レス
がつく
見えなくなった分だけ
凹と思ってたお金が凸に変わるんだあ
見えれば損するんだあ
見えないと得するんだあ

ほんとはさあ
見えなくなったものを
どっかで見てる奴がいるんだよなあ
キャッ
シュッ
って
その一瞬逃さない
レス
その分おまけ
嬉しいなあ
キャッキャッ
でもでも
お金動いたなあ
こいつお金払ったなあ
見てるなあ
見られてるなあ
キャッ
シュッ
この情報、どんな風に溜め込まれるんだろうなあ
どんな風に使われるのかなあ
わからないなあ
見られてることは確実なのに
こっちから向こうの姿は見えないなあ
それにさ
この還元、そのうち終わるんだなあ
得してるのは今だけなんだあ
そしたら
キャッ
シュッ
レス
するたびに
見られることになるんだなあ

ま、ま、気にすんなあ
とにかく今は9円の得だあ
10日ちょっとで缶コーヒー1本だあ
てな考えてるうちにお昼休みそろそろ終わりだあ
てなこと考えてたから焼きそばの味わかんなかったあ
焼きそばの味返せ
このぉー、見てる人

キャッ
シュッ
レス

おっとあの人いつもの鳩さんのエサやりさんだあ
こっそりパン屑みたいのあげてんだあ
集まってきたあ、降りてきたあ
鳩さん、よく見ると嘴の根本のトコ白いんだあ
足はピンクなんだあ
鋭い爪がカチッとついてるなあ
尾は心持ち上向きなんだなあ
ポットみたいなすっきりした形態だあ
いっつも体中を小刻みに震わせてるなあ
頭が微妙に上がったり下がったり
羽はバサバサッと広げたり閉じたり
袋を持ったエサやりさん、あと10歩
これからもらえるご飯への期待に
ポポポポポッ
沸いて震えるポットに足と羽が生えて
その姿
味わいがあるなあ
キャッ
シュッ
はないんだあ
レス
もないんだあ
得も損もないんだあ
まだ見ぬ缶コーヒー1本分の
味より
食べたのにわからなかったさっきの焼きそばの
味より
多分深いんだあ

キャッ
キャッ

 

 

 

村岡由梨『イデア』について

 

辻 和人

 
 

村岡由梨『イデア』は6編からなる私家版の小詩集である。村岡由梨さんはもともと映像作家で、私はイメージフォーラムで「The Miracle」(2002)と「yuRi=paRadox~眠りは覚醒である~」(2006)の2つの映像作品を見たことがある。どちらも自我の在り様を象徴的な手法で描いた作品だった。画面の作り方は古典演劇や絵画のように様式的である。プロフィールに統合失調症で一時活動を休止したと書かれてあるので、不安定な内面を、かっちりと形あるものとして、凝視したかったのかもしれない。

この小詩集は、第20回スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバルに出展された映像インスタレーション作品(石田尚志賞受賞)に付されたテキストを集成したもの。このインスタレーションは上記の映像作品と異なり、自身と家族(夫と娘2人)、及び病に侵された保護猫との日常を撮影している。仲睦まじく暮らし、旅行を楽しみ、のんびり猫と遊ぶ。何気ない幸せが「いつか失われる」という予感に晒される。

映像を見た感じでは「大切なもの」が流れ去っていく、という無常観が先に立つが、テキストだけの『イデア』は、逆に、その一瞬一瞬に踏みとどまり、一瞬の意味を深く見極めていこうとする力が強く働く。

「ねむの、若くて切実な歌声」は中学2年の娘ねむが、明日行われる学校の歌のテストで練習した歌を披露するという詩。その「みずみずしい音の果実」を夫とともに聞き入るうちに、「私」は次のような感慨を持つ。

 

空白空白「眠(ねむ」という名前をつける時に心の中で思い描いたような
空白空白しん と静かな森の奥の湖を思い出した。

 

成長した娘の元気な歌声が、出産時に思い描いた静寂の光景に連れていってくれたのだ。

「くるくる回る、はなの歌」は、11歳の次女はなについての詩。夫と喧嘩した時に「寄り添うように眠って」くれたり、シャワーを浴びている「私」にガラス越しにふざけた顔をして笑わせてくれたり、母親想いの子である。そんなはなが、家族で回転寿司に行った帰り、

 

空白空白クルンクルンと側転する。
空白空白一瞬の夢のように消えてしまう、小さな白い観覧車。

 

その体力と運動能力はもう幼女のものではなくなってきている。母子が無邪気に密着できる時間はあとわずか。過ぎ去る時間の速度が観覧車のイメージに託されているのだろう。

「しじみ と りんご」は、夫が拾ってきた保護猫しじみのことをうたった詩。しじみは虐待を受けた形跡があり、心臓付近に腫瘍があって長くは生きられないことがわかっている。「私」は懐いたしじみをかわいがるうち、「しじみの赤ちゃんになって、しじみのお腹に抱かれたいなあ」と妙な気を起こしたりしているうち、「私」は母親から「大きくて真っ赤なりんご」をもらう。「私」はそれをしじみの横に置いて写真を撮ることを思いつく。

 

空白空白しじみ と りんご。
空白空白しじみの体の中で、小さな心臓が真っ赤に命を燃やしている。

 

りんごは弱りつつあるしじみの心臓の代わりとなって、真っ赤にエネルギッシュに燃える。

「未完成の言葉たち」は、4つの短い詩を集めたもの。3「空」は文字通り未完成。ここでは「私」の不安定な心の様子がダイレクトに描かれる。1「旅」は、旅先で、「ママは大人になりたくないな」と話して笑われたことなどを思い出しながら、「誰もいないホームで笑う3人の姿を/遠く離れて撮っている私がいた」と、軽い疎外感を描く。この詩を序詩とし、
2番目の「夜」はいきなり次のような過激な言葉で始まる。

 

空白空白私は、叫んだ。
空白空白「あの女の性器を引き裂いてぶち殺せ!」

 

由梨さんは思春期に精神のバランスを崩して高校を中退したそうである。そこには自身の女性という性に対する嫌悪や恐怖がある。「私は悪だ。/私のからだは穢れている。/私のからだは穴だらけ。」のようなストレートな言葉も飛び出す。
4「光」ではそれがエスカレートし、「もうすぐ私は私のからだとさよならする。」と自殺をほのめかすようなことも言う。その挙句、「私」は「6本指になる夢」を見るに至る。

 

空白空白もどかしい6本目の指。
空白空白思い切ってナタを振り下ろしたら、
空白空白切り裂くような悲鳴をあげて、鮮血が飛び散った。

 

この激しい自壊の衝動は、「青空の部屋」において内省的に振り返られる。「私」は中学三年の時に個室を与えられ、部屋の壁紙を選ぶように言われ、青空の壁紙を指定する。丁度心の調子が悪くなり始めた頃だ。「私」は学校に行くのを止めて部屋に閉じこもり、奇怪な妄想に取り憑かれるようになる。

 

空白空白やがて日が昇り、
空白空白太陽の光に照らされて熱くなった部屋の床から
空白空白緑の生首が生えてきた。

 

「私の時間的成長は、15歳で止まってしまった」と述懐した「私」は次のように激白する。

 

空白空白その後15歳で働いて旅をして
空白空白15歳で作品制作を始めて
空白空白15歳で野々歩(ののほ)さんと出会って結婚して
空白空白15歳で長女の眠(ねむ)を産んで
空白空白15歳で次女の花(はな)を産んで
空白空白15歳で働きながらまだ作品制作を続けていて
空白空白15歳で老けていって

 

つまり、今の自分も昔と変わらず苦しんでいるというのだ。この苦しみは「私」の意識の核に潜むものであり、消失するものではない。しかし、今の自分には昔の自分が持っていなかった大切なものがある。子供たちの存在だ。

 

空白空白私が死んでも、眠と花は生き続ける。
空白空白続いていく、追い抜いていく。

 

こうして、「私」は精神の疾患に苦しみながらも、家族の支えにより、生きる元気を得ることができるのだった。

そして最後の詩「イデア」。子供たちの存在、家族の存在を再認識して安らぎを得た「私」だが、時の移ろいとととに、今ある家族の形がいつか失われることはわかっている。2年前、長女は、アトリエ近くの歩道橋から眺める景色に胸がいっぱいになる、と語っていたが、その歩道橋がもうなくなっているように。
そして「私」は瀕死の飼い猫についての映画(通算11本目)を撮る。

 

空白空白いつもは何かと注文をつけたがる野々歩さんが、
空白空白「君が今日まで生きてきて、この作品を作れて、本当に良かった。」
空白空白と言ってくれた。

 

この言葉を聞き、「私には一緒に泣いてくれる人がいるんだ」ということに気づき、改めて愛する人との絆の大切さを噛みしめる。

タイトルの「イデア」は、観念という意味である。由梨さんは日常や自分の心を見つめながら、絶えず、見えているものを超えた世界を探ろうとしている。「静かな森の奥の湖」「小さな白い観覧車」「大きくて真っ赤なりんご」は、宗教的な救いの啓示のように、神秘的な佇まいで屹立する。「6本目の指」や「緑の生首」は逆に、悪魔による黒魔術の仕業のように「私」を惑わせる。神と悪魔の間で引き裂かれそうになりながら、夫や子供たち、飼い猫との触れ合いを得て、ようやく「生の世界」に踏み止まる姿が記録されていると言えよう。

人間が感受する現実というものは、物理的世界と自意識と社会関係との混淆であろう。由梨さんは神経に障害を抱えることにより、自意識が肥大した状態となってしまったと考えられる。私が見た由梨さんの初期の映像作品は、この肥大した自我の様子を生々しく描いていた。しかし、この小詩集においては、自意識の拡大に待ったをかける、「生きている者たち」の描出に力点が置かれている。量感と体温と体臭を持ち、「私」が引きこもろうとするや否や、無遠慮に侵入してきて荒々しく目覚めさせる、騒々しい連中だ。内面で育まれた超越的な世界と騒々しい生の世界、両者の間でバランスを取る姿を可視化させることよって、村岡由梨の新しい世界が生まれたと感じたのだった。

 

村岡由梨『イデア』

http://mixpaper.jp/scr/viewer.php?id=5d1351e83719b&fbclid=IwAR3Axn6FA0DpKq9YvoJuGYDGX1JD5g1KSNRIS2u2JHLlYRiWo0Gl0Ph2UBU

 

 

 

落差の原理

 

辻 和人

 
 

遂に実物見ちゃいましたよ
何十年もの夢ですよ
うず、うず
うず潮
鳴門のうず潮
昔むかーしテレビで「鳴門秘帖」ってのをやっててね
話は忘れちゃったけど
オープニングのうず潮の映像がとにかくカッコいい
いつか見てやる、いつか見てやる
うず、うず、うず
心の底に何十年
それが遂に実物ですよ

金曜の夜に会社出てそのまま羽田空港へ
第1ターミナルと第2ダーミナル間違えてミヤミヤに叱られて
1泊してバスで1時間弱
喉乾いて「うず潮サイダー」
微かな塩味が喉元突き
うず、うず、うず
盛り上がっているうち
集まってきた、集まってきた
期待に胸を膨らませた皆さん
うず、うず、うず
強い陽差しに輝く「わんだーなると」の口に吸い込まれていく
さあ、ぼくたちも吸い込まれるぞ

船内の椅子に腰かけたものの1秒で無意味と悟り
子供たちの声が響き渡るデッキへ
家族連れが多いなあ
お、この御一行は中国からのお客さんかな
男の子女の子1人ずつ連れたご夫婦
2歳と3歳?
やっと歩けるって感じ
くたびれた時の備えとして2人用ベビーカーがスタンバってる
「わんだーなると」、泳ぎ出す
岸から離れるにつれ波が荒くなり

うず、うず、うず
わぁお、いきなりクライマックス
きゅるきゅるきゅる
海面から馬の頭みたいのが生え出る
にゅいーっと上体を起こしそうになる寸前
別の角度からの力にぶん殴られて
くぅるくぅるくぅるくぅるーっ
深い穴を開けながら沈んでいく
ほら次、ほら次
きゅるきゅるきゅる
と生え
くぅるくぅるくぅるくぅるーっ
と沈む
「わんだーなると」の周りだけ
騒々しい
でもって、この区画の外は平穏そのものなんだ
うず、うず、うず
すごいなあ、「鳴門秘帖」なんてメじゃないぞ
写真撮るのをやめてひたすら海面を覗き込むばかりのミヤミヤ
隣の中国人御一家も大はしゃぎ
特に子供たちが弾けてる
お父さんお母さんに抱っこされて
足バタバタ
「あーひゃー、あーひゃー」
良かったねえ、面白いもの見られて
うず、うず、うず

「すごかったねえ。聞きしに勝るとはこのことだね」
下船して満足そうなミヤミヤ
いやあ、ホント
何十年もの夢に実物があったなんて
顔にかかった飛沫はしょっぱい
生きて、動いて、回って
塩味までついてる
施設の説明によると
100メートル程の深さで高速度で流れる本流
浅瀬になっている両岸付近での低い速度の流れ
その速度の落差が海水の回転を生むのだそうだ
しゅーっと走り抜けようとする本流が
おっとりした両岸の流れにぶつかって
がたん、がくっ
跳ね返されては
うず、うず、うず
なるほど
世界の3大潮流の1つ
夫婦で地学の勉強もしちゃいましたよ

帰りのバス停に歩くと中国からの御一家にまた遭遇
力持ちのお父さんは荷物係
お母さんはベビーカーをゆっくり押して
微笑みあってる
お互い、珍しい景色見れて良かったですねえ
ボクちゃん、お嬢ちゃん、一緒のバスで帰ろうね
ところが、何と、何と
2人の子供たち、飛び降りて走り回ったかと思うと
ベビーカーをお母さんの手から奪い取った
バス停から少し低い位置にある道路へ
投げ落とす
がたん、がくっ
もういっちょ
がたん、がくっ
「あーひゃー、あーひゃー」
お母さん、慌てて止めに入る
「あーひゃー、あーひゃー」
うず、うず、うず

たまげた
落差だよ
うず潮生んだ落差だよ
海でもバス停でも
おんなじ落差の原理が
おんなじ歓声を発生させてる
実物ってのは違うねえ
何十年の夢よりすごいねえ
うず、うず、うず

 

 

 

朝の挨拶

 

辻 和人

 
 

頭やった?
頭やって!
そうそう、ウチには
「頭やる」って言葉がある

出勤前の慌ただしい時間
とんとんとん
かずとん、急げ
急げ、急げ
ネクタイ締めながら洗面所に入ると
洗濯機の上で待ってるのはミヤミヤが出してくれたドライヤー
鏡に映ったのは
寝ぐせ全開のぼくの姿
「頭やる」ぞ
指を水で濡らして髪の毛を
もしゃもしゃもしゃ
注意点は
「外からだけじゃなく、
髪の内側からも、まんべんなく、ね」
うねっていた髪は水分になだめられてしんなり
こんなもんか
今度はクルクルドライヤーで濡れた髪を整えながら乾かしていく
ゆっくりゆっくり
えーと、確か
「髪っていうのはね、水分と熱で形を作っていくんだから」
それから櫛の部分を左から右へ、そして右から左へ
「同じ方向ばかりでなく逆方向からもやらないと、
髪のクセは取れないよ」
最後にざっと全体に櫛を入れる
こんなもんかな

いつものようにミヤミヤの前に立ちますよ
ぐるっと回って
はい、裁定は?

「かずとん、ほんとにこれでいいと思ってるの?
左後のここ、まだ立ってるよ。
鏡ちゃんと見てない証拠。
あと、いつも言ってるけど、前髪少し散らさないとカッコ悪いから。
はい、まっすぐ立って。
背筋しゃんとする!」

ぼくより7センチ背が低いミヤミヤ
踵を微かに浮かし
腕いっぱい伸ばし
ぼくの髪を直していく
上目遣いにして上から目線
その尖がった先が
ぼくの頭をツンツン
7センチ下から突き上げる
「まあ、これでいいかな。
かずとん、この歳までよく社会人やってこれたね。
少しはカッコいいと思われたくないの?
もおぅー、あんまりひどいと私が恥ずかしいんだから。
ネクタイも曲がってるよ。
それじゃ、いってらっしゃい、気をつけてね」

これ、ずっと、毎朝
これがない日は落ち着かない
「頭やる」って
頭髪を整えることとは違うんだ
「頭やる」は
7センチ下から
上から目線
「いってらっしゃい」とセットの
朝の欠かせない挨拶
ここには
優位性ってものが働いてる
不平等ってものが働いてる
恥ずかしいから何とかしなきゃっていう
大義名分がしっかり支えてる
だから、ぼくも応えなきゃ
7センチ上から
下から目線
上と下から目と目がぶつかりあう
朝の大事な7センチ
「うん、いってきます。なるべく遅くならないように帰るから」

 

 

 

世界で一番美しい光景

 

辻 和人

 
 

2つの丸い目
最初きょとん
次にぐわって感じ

良かった、元気にしてた
帰りの小田急線は空いていて
真っ暗な窓の外は回想に耽るのにもってこい
実家へ様子を見に行ったんだ
大ケガして排尿・排便が困難になったレド
腰はおしめで巻かれてる
肛門の周辺の神経が麻痺してるからウンチを貯められない
作られたウンチはポロポロお尻の穴から零れて床に落ちちゃうから
おしめをすることに決めたんだ
おしめを嫌がったのはたった1日
早くも運命を受け入れた
白い異物が巻きついた新しい体を受け入れた
おしめの布を上手に避けて体を舐め舐め
それがずっと昔からのやり方であるように舐め舐め
取り替える時もじっとしていて
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める
細くしなる目尻が、今
電車の窓枠に置いたぼくの左手を
にゅくにゅく這って、消えた、よ

レドと言えば思い出す
2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光った

祐天寺のアパートでかまっていたノラ猫たちが次々いなくなった
レドもその一匹
猫嫌いの誰かが捕獲機を仕掛けたんだ
ファミは何とか助けて実家の家猫にしたけど
他の猫たちはみんないなくなってしまった
それが2009年の初夏
でね
あきらめきれなくてね
夜な夜な街を彷徨って猫路地を見つけては
いなくなった猫たちを探してた
秋に入る頃は半ば以上諦めてて
探すっていうより
「探す自分」の亡霊みたくなってた
亡霊になるって変な気分
歩いてるのに足の感覚なくって
道路をすーっと漂ってる
亡霊になりきってしまえば
目的喪失して移動だけ
すーっすーっ
そんな気楽さがあって
どうてもうういやって
ちょっと心地よかったな
それがだよ

2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜、駅近くのマンションの駐車場で
目的喪失したいつもの調子で停めてあった車の下を覗き込んだら
2つの丸い目が光った
きょとん
背を丸めて座ってた
きょとん
目が合った
イチ、ニィ、サン、シ、……
ぐわっ
目の光が強い閃光に変化して
ぼくもそいつも凍りついた

レド、レド
レド

閃光の中で
ウググゥー
ウググゥー
走り寄ってきた
強い力で膝にぶつかってきた
さっきまで亡霊だったぼくは
途端、亡霊でなくなった
膝に登ってきたものの頭を撫でて
うーん、人間のぼくの方がだな
衝動的に
うん、なんでかなー
レドの片耳を軽く噛んだんだな
うん、噛んじゃった
耳には三角形のカット
ぼくが受けさせた不妊手術の印だ
汚れた白い毛が舌に残ってぺっと吐き出した
膝に伸びた爪がぐいぐい食い込んで痛かったな
ウググゥー、唸りながら
ぼくの顎に何度も鼻先を強く突きつけてくるから痛かったな
痛いまま
閃光の中で抱き合っていた、な

それからさ
毎晩レドの好きなお刺身かなんかを持って
深夜のマンションの駐車場を訪ねたさ
この地域のエサやりさんの保護を受けていたらしく
レドはエサには困ってなくてむしろ丸々太ってた
エサを巡って他の猫とケンカしたんだろうね
レドの背中には小さな嚙み傷が幾つかあったさ
このままアパートに連れて帰るとまた同じことが起きるから
しばらくここで面倒をみようって思ったさ
だけどそうはいかなかったさ
ある日、帰ろうとするとどこまでもどこまでもついてきたさ
いつもは「帰れ」という怒ったみたいな仕草をするとビクついて駐車場に戻るのに
その日は何度「帰れ」をやってもついてきたさ
帰れ、帰れ
ビクッと立ち止まっても
少しするとトトトッとついてくる
仕方なくアパートに連れてきちゃったさ
そしたら大変さ
部屋に入れろっ部屋入れろって
ガラス戸に体をガンガンぶつけてきたさ
その音のうるさいことうるさいこと
実家にまた助けを求めたさ
「すいません、ファミの他にもう1匹家に置いて欲しい猫がいるんだけど」
そうして連れてきた猫レドが
はい、今は白いおしめ巻いて
人間の横でくつろいでるってさ

もうすぐ登戸だな
南武線に乗り換えだな
府中本町から武蔵野線で西国分寺、中央線に乗り換えて40分
ゴトンゴトン
小田急線はしんとしてて

だから
美しいってどういうことか?
なんてことゴトンゴトン考えてしまう
コンサートに行って名曲を聴いて
春になって桜が咲いて
「ああ、美しいなあ」って感じますよね
大抵の「美しいもの」は
準備がそれなりに整った上でそう感じる
だけど
その最中はどうってことなかったり
或いは無我夢中でわけがわからなかったりしても
後で「ああ、美しい」ってくることがある
いわゆる美化って奴
子供の頃の思い出なんかが代表格
想像力で増幅されるから最強

今、ぼくの頭の中で
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光ってる
最初きょとん
次にぐわって感じ
世界で一番美しい光景
ぼくにとっての
最強の
増幅されてく増幅されてく

 

 

 

令和、とかね

 

辻 和人

 
 

とかねとかね
令和
とかね
令和令和
天変地異とか戦争とかがきっかけで時代が変わるってことは
あるけど
無理矢理みたく変わるってことも
ないわけじゃない
朝からテレビは
令和令和
皇居の周りに押しかけたりとかね
万葉集の本が売れてるとかね
女性天皇の可能性とかね
令和おじさんとかね
令和饅頭とかね
とかねとかね

そんな
とかねの日の午後
行ってきますって電車に乗ったら
りゃりゃ
小雨
とかねとかね
傘忘れて失敗だあ
姉がアメリカ人と結婚して生まれた娘が大きくなって
日本大好きで日本の大学に語学留学とかね
でもって日本で仕事したいとかね
今伊勢原の、彼女から見ておじいちゃんおばあちゃんの家に来ている
よし、叔父として相談に乗ってやろう
とかねとかね

姪っ子の名前はAnju
漢字で杏珠って書く
「こんにちはー」
少々濡れ頭のぼくを笑顔で迎えてくれたAnju
絵本から抜け出たみたいなかわいいお嬢ちゃんだったけど
今はもうぼくと変わらない背丈の美人さん
ぱっと見白人っぽいけど
頬から顎にかけての柔らかなラインがアジア人
Anjuはもちろん日本語ペラペラ
さてさて話聞こうか

そしたら出るわ出るわ
「アメリカはさー、今、貧富の差がほんとにすごいんだよ」
とかね
「普通の人は就職しても家賃払ったら終わりくらいしかお給料貰えないんだよ」
とかね
「一部の大きな会社だけすごく儲かってるんだよ。小さい会社はどこも苦しいよ」
とかね
「医療保険がひどいから歯医者に行けなくて歯がボロボロになっている人がいっぱいいるよ」
とかね
「プエルトリコはハリケーンで被害受けて電気も使えなくなってるのに、
大統領は『すぐ他人に頼りたがる』って市長を非難するんだよ」
とかねとかね

さすがアメリカ、スケールが違う
昔は日本人がひと山当てようとアメリカに渡ったもんだが
まさかの逆パターン
日本もめいっぱい問題抱えてるのに
その日本に移民
とかね

「もう幾つか翻訳の会社とか探して申し込んでみたよ。いいトコあったよ」
スマホで見せてもらった会社の条件は確かにしっかりしてる
いろいろ骨折ってやろうと思ってたんだけど取り越し苦労だった
ママの姿が見えなくなるとグズッてたわがままお嬢ちゃんも
立派な大人になったもんだなあ
忠告もしとくか
「日本で仕事するには時期が良かったね。
今、日本は人手不足で外国人の力を借りようっていう気運が高まってるから。
日本人の上司とかお客さんには、とにかくお辞儀する癖をつけといた方がいい。
日本人ってのはお辞儀さえしてもらえればバカみたいに安心するからさ」
とかね

就職の話がひと段落
ぼくは缶ビール、Anjuは缶チューハイでもう少しお喋り
「日本はさ、平成から令和の世の中になったんだけど、そのことどう思う?」
「うーん、ちょっとわからない」
だろうね
ぼくもわかんないな
テレビの中は確かに令和令和だけど
お土産のケーキ買ったスーパーでも特に「令和セール」なんてやってなかったし
伊勢原駅前は平常運転で静かなもんだし
テレビに比べて現実は盛り上がりに欠けまくる
令和の令は命令の令だからけしからん
とかね
万葉集由来って言っても結局元を辿れば中国じゃん
とかね
まあ、批判がいろいろあるみたいだけど
それ以前に元号ってそんな使うかあ
勤めてる会社では書類の日付は西暦で統一
あってもなくてもどうでもいいから
令和
とかね
令和じゃない他の名称
とかね
どうでもいい
けど
今までずっとあったものがなくなると寂しいから何かしらあった方がいい
大半の人はそんな感じじゃないかな
アメリカ生まれのAnjuには尚更だろう

大学で人類学を専攻していたAnjuにとって
天皇が行う儀式の方が興味津々みたい
「あの三種の神器って奴、剣と勾玉と、あと何だったっけ?」
「鏡だよ。天照大御神のご神体だよ」
「良く知ってるな。そもそも天皇って不思議な存在だよね。
ヨーロッパの王家は教会の権力に対抗する民衆の代表という位置づけみたいだけど、
日本の天皇って神様と切れてないからやっかいなことが起こるよなあ」
「知ってるよ。天照大御神の子孫なんだよ」
得意そうに目を輝かせて喋るAnju
ああ、外から来た人にとって天皇って
ファンタジー
とかね
アニメ
とかね
楽しい妖精さんみたいな存在かも
天照大御神の子孫って
そんなわきゃないじゃん
架空だったり空想だったりすればいいものを
現実の世界で人間の肉体を持ったまま存在しなくちゃいけない
とかね
それはそれは大変
めちゃくちゃ大変
なことなんですよ
とかね

横から父が口を挟む
「天皇に直接責任はないにしても、
天皇の名の下で悲惨な戦争が行われたわけだから、
おじいちゃんの世代は天皇に複雑な想いを抱く人って多い。
おじいちゃん、子供の頃2年間ソウルにいたことがあるけど、
戦勝記念日ってのがあって、
朝鮮人は日の丸の旗を持って街道に並ばされて行進させられるわけ。
で、その中の1人が『こんな旗』って日の丸をくちゃくちゃにしちゃった。
すると憲兵が飛んできて殴ったり蹴ったりする。
すると朝鮮人の中のリーダー格の人が殴られている男をかばって
覆い被さって詫びるんだ。
日本の軍人はバカだねえ、そんなことすれば恨まれるに決まってる。
植民地支配するにしても日本は本当に統治が下手だったねえ」
おおっ、体験に即した貴重な発言
「日本と韓国では揉め事が多いけど、
そういう背景があること忘れちゃいけないかもしれない。
それでも国民同士は意外と仲がいいよね。
日本ではK―POPが大流行だし、
大勢の韓国人が日本に観光旅行に来るし」
と、Anjuが懐かしそうな目つきになって
「私が通ってた外語大にも韓国人の子がいっぱいいたよ。
みんな日本人の子と仲が良くていつも一緒に遊んでたよ」
何だよ、おい
令和令和
令和の精神じゃないか

しかしAnjuは明るいなあ
楽天的だなあ
今まで仕事らしい仕事なんてしたことないくせに
いきなり日本に来て何とかなるだろうって
ケロリとしている
令和とかね
天皇制とかね
アメリカとかね
そういうのスッと跨いで
何とかなってる
ぼくだってここへ来る前に少々雨にやられたけど
何とかなってる
「Anju、その100円の缶チューハイ、そんなにおいしいの?」
「うん、おいしいよ。
アメリカにはこういう甘いお酒がないんだよ。大好きだよ」
とかねとかね
とかね

 

 

 

パタタ

 

辻 和人

 
 

パタタだ
テーブルの上だ
パタタパタタ
逃げる逃げる
「かずとーん、ちょっと来てえ、大変大変」
ミヤミヤの切迫した声
駆けつける
職場の華道部のお稽古で使った花から黒っぽいモノが飛び出したっていうんだ
テーブルから椅子へ、椅子から床へ
飛び移ったパタタは
棚の下の暗がり目指して
パタタパタタ
奴か
殺虫剤を取りに行って無我夢中で
シューッシューッ
霧が晴れると
そこにはパタタじゃない
仰向けになった子供のゴキブリが
足を震わせていた
静かになった

ああ、前にもあったあった
会社から帰ってドアを開けた途端
暗い足元に黒い影
パタタパタタ
咄嗟に家は絶対きれいな状態を保ちたいというミヤミヤの言葉を思い出して
すぐさま殺虫剤をバラ撒いた
灯りを点けると
パタタじゃない
大きな脂ぎったゴキブリが足を震わせていた

「ゴキブリさん、ごめんなさい。でも、家はきれいに使いたいから。
かずとん、ティッシュに包んでゴミ箱に捨てておいて」
ミヤミヤがちょっと気の毒そうに言うので
無言で頷く

パタタが
パタタのままだったら良かったのにな
逃げるって恐怖の感情
足震わせるって苦痛の感覚
ああ、やだやだ
手を下すってやだな
パタタがずっとパタタのままで
殺虫剤も
いつか市販されるかもしれない家庭用ドローンからの散布とか
そんな感じならまだ良かったのにな

もう生きていない生き物を
ティッシュを何枚も重ねて
床から摘み取る
脆い胴体がティッシュの中でぐしゃっとなる
ゴミ箱に投げ捨てて
もう知らない、知らないよ
階段を昇って自室に引き上げる
でも、これで終わりじゃないだろう
パタタパタタ
ほーら、やっぱり
パタタが追っかけてくる