さようなら ありがとう 志郎康さん!

 

佐々木 眞

 
 

この夏も、多くの死がありました。

8月には妹が昇天し、9月に入るとゴダールが自死したというので嘆いていると、15日には思いもかけぬ詩人の訃報に接したので、大きな衝撃を受けたのでした。

鈴木志郎康という人は、私が心から敬愛し、師と仰いだ、たった一人の詩人でした。

でも、志郎康さんには、たった一度しか会ったことは無い。
その後も会おうと思えば機会はあったのですが、余りにも鮮烈だったその記憶を大事にするために、あえて会おうとはしなかったのです。

太いパイプをくわえ、度の強そうな眼鏡をかけ、仏陀のように温厚な顔立ちをしたその人は、私の顔をじっと見つめると、開口一番、「私が思った通りの人だった。」と仰ったので、私は驚きながらも、ちょっと嬉しかったのです。

私の詩を読んで、私という人間について興味を抱き、いちど実物を見てやろうと思いたった詩人は、その目の前の現物が想像通りの人間だったので、まるで千里眼の手相見のように喜んでいるのでした。

それまで私は、有名な大詩人の、有名な詩を読んでも、ちっとも心が動かされず、ほんのちょっとでも面白いと思ったことがなかった。だから詩なんてつまらないと思い込んでいたのです。

ところが私は、プアプアなどのスズキ詩に初めて出会った時、「ああこれが詩だ。これこそが本物の詩なんだ」と、生まれて初めて思ったのです。
頭で思ったのではない。腹の底から、いわば臓腑の認識として、分かったのでした。

それで、詩とは自分の思いを、自分が思った通り自由に書いてもいいのだと、初めて得心した私が、その通りに書き殴ってみると、不思議なことに、詩だか、詩のようなものだか分からない代物が、どんどん書けてしまえたので、私は、思わず「ヤッホー!」と叫んだものでした。

喜んだ私は、それから無我夢中になって、来る日も来る日も、その詩のようなものを書き続けていると、驚いたことには、そんな私のシロウト詩に、志郎康さんはイイネを押してくれたので、私は一日中言い知れぬ喜びに浸ったのでした。

「帰玄」という短い詩を書いたときには、いつものイイネだけではなく、「これはなかなかの抒情詩ですね」というコメントまで下さったので、私は文字通り狂気乱舞したことを、生涯忘れることはないでしょう。

それは氏一流の詩の初心者への励ましであり、先輩としての人世の応援歌だったのでしょう。

その励ましと応援歌を手渡しで受け取った私は、イイネのついた作品を集めて生まれて初めての詩集を編み、恩師の志郎康さんに読んでもらえる日が来るのを指折り数えて待ち望んでいた、その矢先の訃報でありました。

志郎康さんの殆ど最後の詩に、「赤ちゃん」という小品があります。

上の2人のお兄さんは両親の寝室に窓がなく、2年続きで暗闇の中で死んでしまったが、窓が作られた後で生まれた志郎康さんは、「光の中で生きのびることができた」というのです。

志郎康さんの悲報が届いた日、夜空に瞬く星の光を探しながら、私も志郎康さんにあやかって、光の中で生きのび、できるだけ長く詩を書くことができますように、と、しばし祈ったことでした。

さようなら ありがとう 志郎康さん!

 
 

※鈴木志郎康「赤ちゃん』
 https://beachwind-lib.net/?p=21235

 

 

 

エスケーピング

 

村岡由梨

 
 

手元に見慣れない紙がある。
「死亡診断書」
「鈴木康之」
「(ア)直接死因 腎盂腎炎」
「(イ)(ア)の原因 前立腺癌」

どうしよう。
志郎康さんが亡くなってしまった!

思えば亡くなる2日前、奇妙な夢を見たんだった。
赤ちゃんになった志郎康さんを、
老齢の麻理さんがフラフラと手招きして
「これが最後だから」と言って、抱き寄せようとする夢。
そんな最愛の人を残して、
一足先にエスケープしてしまった志郎康さん。
大好きなバニラ味のハーゲンダッツみたいに
溶けて無くなってしまった。

ハーゲンダッツといえば、
子供のように駄々をこねるヤスユキさんだ。
便通の良くなる粉薬を飲ませると、
「苦い苦い苦い苦い苦い、
ニーーガーーイーーヨーーー!!!!!」
「アイス アイス アイスアイスアイスアイス!!!!!」
思わず「うるさい!!!」と一喝したくなるけれど、
そこは我慢。冷凍庫からハーゲンダッツを出してきて、
スプーンで一口二口と食べさせる。
そうするとヤスユキさんは大人しくなる。
ご機嫌なヤスユキさん、悪いヤスユキさん、
しょうもないヤスユキさん、
父親としてのヤスユキさん、祖父としてのヤスユキさん。
色々なヤスユキさんがいて、いっぱい翻弄された介護の日々。
でも、どんな時でも、帰り際の握手は忘れなかった。

梅雨頃からだんだん体調が不安定になり始めて、
夏の途中から食欲も顕著に落ちていった。
傾眠傾向が強く、いつも眠っている状態だった。
でも、時々「!“#$%&‘()=〜|」と言うので
注意深く聞いてみると「孫たちは元気?」とか
「今日は由梨ひとりで来たの?」とか
こちらを気遣う言葉ばかりだった。

亡くなる前日、救急車に同乗して
ずっと手を握っていた。冷たい手だった。
耳が遠いので、耳元で「由梨ですよ」と言っても
「うー」としか言わなかった。

それっきりシロウヤスさんの口から
「言葉」が出ることは無かった。

斎場の霊安室でシロウヤスさんの遺体と対面した時、
まるで作り物のゴム人形のようだったけれど、
トレードマークの度の厚いメガネをかけたら、
ゴム人形は、シロウヤスさんになった。
でも、これが、シロウヤスさんなのか。
シロウヤスさん、本当に死んじゃった。
シロウヤスさん、本当に死んじゃったんだ。
そう言って泣くことしか出来なかった。

 

私が作品を作れずに苦しんでいる時、
「とにかく続けなさい」と励ましてくれた志郎康さん。
私の顔を見る度「詩、書いてる?」と言う志郎康さん。
その度に「書いてますよ!」と答えていた私。
逆に「志郎康さんはもう書かないんですか」って言って
赤い表紙のノートを1冊買って渡したら、
次の日、詩がポコっと生まれていた。
それがこの詩。

 
 

鈴木志郎康

詩って書いちゃって、
どうなるんだい。

詩を書いてなくて、
もう何年にも、
なるぜ!

ノートを買って来てくれた
ゆりにはげまされて、
なんとかなるかって、
始めたってわけ。

それゆけ、ポエム。
それゆけ、ポエム。

 
 

ヤスユキはいなくなってしまったけど、
小さなシロウヤスはウジャウジャと世界中に広がっているみたい。

私も、詩を書き続けることを誓います。
いつかまた、「詩、書いてる?」って聞かれても大丈夫なように。

 

 

 

あたかも今朝の ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 18     megumi 様へ

さとう三千魚

 
 

白も
あるけど

淡い桃色もあります

瀬戸内の
島を

渡ってきた

川口の
アパートで育った

工場の煙突が見えた

ぬかるんでた
裁縫が上手だった

母と
旅もした

いまは
丹波にいます

ひとり
男が

佇っていました

あたかも今朝
硬い蕾

ひらいた
秋明菊の花が咲いた

 

 

memo.

2022年9月12日(月)、自宅にて、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」として作った詩です。

お名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、お送りしました。

タイトル ”あたかも今朝の”
花の名前 ”秋明菊”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

粘土に気をつけろ Soigne ta argile

 

工藤冬里

 
 

凛とした」和服汚しが英吉利にも
三十路兄さん桜トラスと
桜とラスト ビールはtorus(宇宙ブリューイング)
Truss is marching in

巨石を積みモニュメントの点在する、近所で一番豪華な造成地が死者のための庭園だというのはおかしいと思いつつもよくそこの自販機辺りで寛いでいる
無教会派の合同墓碑があり一人の名前が削り取られている

海水中には50億tある全ての金を
途中で止める
トンネルも掘らない

なんてこった今頃蛍https://youtube.com/shorts/4FS6eN2rX7E?feature=share

ワンネスの間違いと調子こいた錬金野郎の老衰

形を変えた道教に過ぎないものに縋るな
年金が出ないのと同じ理由で逆転しない余生を死ね

レプリカ

鳴門の海で肌色の長石を見つけた
それを再現したくて30時間焼いたが失敗した
志野は最低50時間だが燃料費が捻出できなかった
今後は胎土を混ぜて15時間でやってみるしかない
半透明オレンジなどという結果を想定すると焼き物は途端に難しくなる
歴史に弁証法など効かないからだ
撒いて、刈り取るだけだ

声を知らない
知らない声には付いていかない
腹話術師は任命
変形した声が形になり

我聽了兩個四川樂隊
https://wvsorcerer.bandcamp.com/album/mountain-fog

足立さんにとっては日常から羽田に突っ込むのを半世紀待ってとうとう目の当たりにしたわけだからそりゃあやる気になるさ
恐ろしいパワーが集まっている粘土に気をつけろ
身体を額縁で覆おうとしてもタイトルは必ず僥を抑え込む
即興詩人より即興舞踏の方が易く感じられるのはそのためだしそれ故の途方もなさをも(5歳のリュウセイオー君のような)言葉抜きのダンスは併せ持っている
それでも何かひとつ、と無理に名付けるならば「先に手が出る」が唯一の仕切りとなる

天蓋の雲の、滞留することのない抽象はフラクタルでしかも重層になっている
空に昇る具象はすぐに呑まれてパルーシアは見えず、アキアカネが羽を付けて飛ぶ

朝顔は一度咲くと次の日は咲かない。次、次、という感じである。次、次、というのはひとを刺していく表現である。次、次、とずれ込んだ秋を刺しているのである。

みずをのむことができるので
えいようをとることができています
みずのじゅんかんのほうそくです
いとしたとおりにものごとははこび
ちからをもっている、ということがわかります

スズメの次にアシナガを殺した
スズメは離散しただけだがアシナガは巣を叩き落とせないのでぼとぼと落ちた
黄色と黒がこんくりの上にぼとぼと落ちて

コクミンをうちやぶる必要があった
どのように崩れ去ったのでしょうか
焦げたクッキーの城壁
から赤い紐
首が鳴る
もうながくはありません

サラ地にする粉にするイチヂクを植える
待ちたいと思います

discern, perceive, reveal
ケヤキのjigsaw puzzle

人間では退治できない

 

 

 

#poetry #rock musician

更日子的艱難來臨

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

更日子的艱難來臨
最後的金鏃射入堡壘
無聲地跌入灰暗蜂房,失血
還沒有到散場的時候。
粵語已經知道,十一月以後
不能安心回家,孩子們
一無所有,在我抵達之後,
法庭清白無辜。
看着鹽在傷口上宰制雨水。

"你不是花,你是,花。"
 深深地,如此的深
 如雀喉,如烏雲。

 
    .
 

更日子的艱難來臨
 さらなる艱難の日々がやってくる
最後的金鏃射入堡壘
 最後の金の矢じりが砦に射ちこまれ
無聲地跌入灰暗蜂房,失血
 音もなくほの暗い蜂の巣のなかに落ち込んで、血を流すが
還沒有到散場的時候。
 まだ終幕の時は来ていない。
粵語已經知道,十一月以後
 広東の言葉ではもう分かっている、十一月から先は
不能安心回家,孩子們
 安心して家には帰れないことを、子供たちは
一無所有,在我抵達之後,
 何もかも無くして、私が到着した後に、
法庭清白無辜。
 法廷で潔白を申したてる。
看着鹽在傷口上宰制雨水。
 塩が傷口で雨水をはねのけるのを目の当たりにしながら。

"你不是花,你是,花。"
  「君は花じゃない、君は、花なんだ。」
 深深地,如此的深  
    深々と、こんなにも奥深くに
 如雀喉,如烏雲。  
    雀の喉のように、真っ黒な雲のように。

 

日本語訳:ぐるーぷ・とりつ

 
 

 

 

 

外へはずれ出る

 

駿河昌樹

 
 

なんでもよい
なにかものを書かせれば
ひとはかならず
思い出を
すなわち過去を
書くだろう

あるいは
身近に起こったことへの感情を

断片的な考えを

なにかについての
好き嫌いを

目の前の
風景や
光景を

見よ!
こうして詩歌は
できあがる

なんと
むなしいことか!

素朴とか
真率とか
呼びたがるひとも
いるようだが

かといって
これらの
どれにも当てはまらないような
なにか
あたらしいもの
超越したもの
奇想を
書いてやりたいと
躍起になるひともいたりする

なんと
子どもじみた
素朴このうえない
頑張り!

こうして
書くことの外へ
出るほか
なくなって
いく

こうして
詩歌の外へ
はずれ出るほか
なくなって
いく

俗人

愛するは
未だ
詩と為さず


陸游
『朝飢えて子聿に示す』

 

 

 

山の道

 

工藤冬里

 
 

抽象化が以前ほど称揚されないのは、抽象化が教えるものが世界平和ではなく狂気であるからだ
止揚の果てが戦争であることを銘記することを自然化と呼ぶべきなのだ
いま具象で大事なことはシンボリックをイマジナリーと切り離すことである
ヘーゲルはそれを夜と呼ぶ
だから模索舎前で闇鍋、は正しい

ソファーに座って脛骨を鳴らし
映り込む暗い背景を比較する
外壁は焼杉
山の道許される建築は少ない
許されないアイスなら売っている
山の道

FSAL未空庵、行けない代わりに湯呑みを24個送ろうとして、黒猫運送のタブレットに〒検索から入力できないことから、京都では、通り名と官の地名とふた通り使えることを知る
地点と記号の、デリダ的な、一対一の幻想が崩れるのが良い

検診の人が危ないのでスズメバチの巣をマクラウドの棒(モップの柄に留金がジャラジャラ付いている楽器)で落とした
彼らはまだ右往左往してかわいそうだ

巣を壊されたスズメバチの
待つことが希望だったのか
希望を待っているのか
エグザゴンに疑念を植え付ける
きみは愛されていない

全ては温度だ
レントゲンで内部を診ても
きみの場合ただの腑分けだ

ものづくりが工業デザインに限定されるようになって日本は限定されなくなった。なぜ平仮名や片仮名なのかさえ口を挟ませぬ昭和であった。油彩科から逃げるのはいい。しかしそれこそをユサイ化すべきであったのだ。
24日は松山でオンガクをやることになっていて、たいばんは知らない。宣伝に夕食とやったゆきてかへらぬが流れている。そういう物を求められているとき、デザイン主義者としてではなく油彩画家として登場するのが正しい村八分だ。

Los ríos vuelven al lugar donde nacieron

外山には石は切るもの、切れるものという認識があるように思える。これはもはや単味としてはここにしかない陶石を使った世界一贅沢な石垣である。

人造セメントにはまだ再考の余地があると思う。コンクリートブロックの失敗は即ち文明の失敗であった。

https://youtube.com/shorts/B-uYeGtAm7Y?feature=share

 

 

 

#poetry #rock musician

夏の終わりに ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 17     koichi 様へ

さとう三千魚

 
 

おわった
のか

おわったのかな

朝顔
咲いていたな

青かった
青かったな

虫の声
聴こえて

いた
眠るまえに

きみの
声を

聴いたことがある

いまも
聴いている

 

 

memo.

2022年9月4日(日)、静岡駅北口地下広場で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩!」第四回 で作った詩です。

お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。

タイトル ”夏の終わりに”
花の名前 ”朝顔、青い”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

餉々戦記 (むしょうに茄子が 篇)

 

薦田愛

 
 

墨色の扇子を
ひらいてはとじ開いては閉じしているような
ものしずかなオハグロトンボに代わって
今朝
うすあおい羽根のシオカラが
目の高さをよぎる
夜中の雨がまだ乾かない
ウッドデッキの下には
ツユクサが二輪

なんだろう なんだか
つっと
むしょうに茄子が
と頭をかすめ これは
食べたい、という係り結びになるのだろうが
いやいや
そうではなかろう

意識をさぐる
茄子は茄子だけれど
むしょうに
ではなくって
むやみやたら 
めったやたらと
やみくもに
辺りだろうか

ユウキが仕事ではやく出かけて二時間
日が高い
ひとりの朝食の洗い物を済ませた手をタオルでぬぐい
冷蔵庫の最下段
野菜室をあける
今夜なににしようと
指先がおもうのだ
つくるのは夕方でも
レシピのプリントを探りだし
肉を解凍
足りないものは買いにゆく
今朝
庭先で
シオカラの青がよぎるや
どうしてか
むしょうに茄子が
いや
むやみやたら
めったやたらと
やみくもに
そう
たわわというのか
まるく張りつめたのや
「し」の字に曲がったのや
むんずと摑まれぐいぐい引き延ばされたろうやけに細いのや
向こう傷のひとつふたつ刻んだのや
おととい夕方ユウキが
たらいいっぱい
ピーマンやらキュウリやら名残のトマトやらと
盛り合わせるように畑から
その
両手にあまる色いろ色の重さのなか
ひときわ艶つるみっしりきゅるん と
茄子
やみくもに
レジ袋にふたつほど
ああ
やみくもに
なった茄子をひときわ美味しく
食べたい
茄子の速度に追いつきたい

ただいまの総菜の在庫
ゆうべつくった黒酢酢豚の残りはユウキが弁当箱に詰めてあらかたなくなり
カレー粉で仕上げたきんぴらが小鉢にすこし
そうだな茄子のメニューといえば
くったり煮て生姜のすりおろし入れるのやら
輪切りもしくはタテ割りにして焼き味噌田楽やら
三センチ角に切って椎茸と鶏むね肉と炒めるのもよく登場するけれど
今夜はメインに使わない
メインはホッケか鯵の干物を焼くことにして
茄子は味噌汁に入れよう
そう
あの味噌汁つくるんだ

ユウキとふたり大阪に移った翌年だったか
地元で人気の日本料理の店でどうしても
ランチを食べてたくて
電話した
ハローワークの帰り道
最後の一席にすべりこめた
最寄駅から徒歩十五分とあったろうか
アーケードの商店街をぬけ国道を渡り高校のフェンスの横を
ずんずん歩いてお腹の隙間がひろがった
窓の大きな打ちっ放しの壁がすっきりした小体な構え
カウンターで供された
お造りも炊き合わせもうっとりする味わいと眺めで
さいごの小さな最中も美味しかったけれど
何より
あのひと椀
焼き茄子の味噌汁
香ばしくてやわらかい
鼻腔の右奥をふるわせたのだったか
どうしてもユウキに食べてほしくて
家でつくってみたのだったが
茄子をどんなふうに焼いたのか思い出せない
三口ガスコンロだったから
フライパンで素焼きにもしたのだったか
トースターで炙ってみたかもしれない
あの
鼻腔の奥がふるえた匂いに届かない
あの
ぎゅっと濃いい味わいに届かない
その年の誕生日だったか
ユウキと店に出かけたけれど
季節が違って味噌椀は茄子ではなかった

あの味噌汁を

午後五時半
野菜室のレジ袋その一をあける
ぎゅうっと引き延ばされたように細長いのと
はじけそうに丸いのを洗う
二口コンロの下グリルの網に並べる
まずは十分くらい焼いてみよう
火力は勝手に調整されるようだから最小でスタート
その間に軒先から取り入れてもらった玉葱を四分割
ざっくざっく大まかに刻んで平底鍋に
血圧数値高めのユウキも気にせず食べられるように
出汁の素から無添加出汁パックに切り替えて一年
濃い目にとって冷蔵してあるのを注ぐ
しめじ半パックをほぐして浄水をまわしかけた時
ブッと低く音がした 
あ コンロの中のほう
もしやとグリルをあけたら あっ
うす黄緑の こ れは
バクハツ事件です
茄子の
――というのは
今日の今日のことではなく
このあいだ二度目に焼いた時のこと
今日は包丁で皮に何本かスリットを入れたから
だいじょうぶ だいじょうぶ
グリルのタイマーを最長の十五分に設定
皮が焦げるまで入念に ね 実がくたっとろっとなるまでね
鍋にしめじと水を加えて蓋を少しずらし火にかける
しまった せっかくなら茄子は
味噌汁のぶんだけじゃなく
ぽん酢と生姜でもりもり食べるぶんも一緒にぎっしり並べて
焼くんだったよ
ピピッ ピピッ
グリルが知らせてくる残り三十秒
ボウルとトングをスタンバイ
グッ ジャラッと引き出すと
網の上に艶消しの焦げ色トングでつかむ
ふにゃっ ぐにゃ 
ボウルで受けて浄水つつっ
ふふ いい匂い
焦げたお尻がわから するっ あつっ
おわっとあふれる湯気が指紋をとかすっ あつっ
ぽろっ崩れる焦げの薄いいちまいのなかに浅みどりの
くたっと汗ばむ実があらわれ
キッチン鋏でヘタを落とし
ぶつっとふたつ 長いほうは三つに分け
まだあつっ 指で裂いては鍋へ すとっ
ぐらっぐら 出汁のなか玉葱は透けて
うん ちょうどいいな 火を止め
冷蔵庫から麦味噌を出した
ああいい塩梅に階段を下りる足おと
ユウキ また焼き茄子の味噌汁しちゃったよ
「いいじゃない 時期なんだから
農家だったら当たり前のことだよ」
そうかな もっといろいろ食べ方があるのに
「美味しければ何でもいいんだよ
食べよう」
出汁の味わいに慣れたユウキは
よその味噌汁の味が濃すぎると言う
「うちの味噌汁の味がいい」と
グリルで十五分
すっかり焦げてくったりした茄子はもちろん
皮ごと輪切りで入れるよりふわっと美味しい
けれど
まだあのランチの味噌汁の香りに
届かない
もっと
もっと長く焼いて焼き目をつければいいのか
何か掛け算する工夫があるのか
そもそも茄子や味噌の出来栄えが違うのか
私のなかの食いしん坊が
むしょうに悔しがって
地団駄を踏んでいる

 

 

 

水のかたち

 

塔島ひろみ

 
 

橋は鮮やかな水色に塗られている。それは空と雪を混ぜたようなきれいな色だ。その下の川にはおそらく本物の水が流れるがこれは水色とは似ても似つかない淀んだ暗い、夜の戦車のような色をしている。川はたっぷりとそんな水をたたえながらダイナミックにここで曲がり左方向に逸れていく。小刻みに水面が揺れている。
川の生命を感じさせるこの曲線はしかし人工のものでかつて川は男が今立つこの場所の後方に広がる総合グランドの位置にあった。
グランドでは少年の野球チームが練習していて横の児童広場では年寄りが1人備え付けの器具を使って体操をしている。肩から黄色いタオルをぶら下げている。
その脇にかつて土手だった道に沿って神社がある。そこは水神ー水波能売神を祀る水神社で「水は万物生成の根源であり一日片時も欠くことのできないものであると共に、この水を飲むと邪気を払って下さる」と塀に神徳が書かれていたが水は男の手の届かないところにあった。整備された護岸から川は遠く男はこの水色でない物体が果たして本当に水であるか手を差し入れて確かめることもできない。公園の水道の蛇口をひねると他の川で採取・浄水された水が出てくる。透き通っているが生あたたかく男はグランド付近をうろちょろして自販機を探しそこで富士山麓のおいしい水を2本買った。
堤防を兼ねてグランドは高台になっている。急坂を斜めに下りていく。角地に壊された2階屋の残骸があった。HITACHIと書かれたオレンジ色の重機が1台コンクリートをくわえたままのショベルを下に向けてかつて家だった場所に乗っかっている。枯れた木の枝や幹が横倒しになって1か所にまとめられ家財らしきものは残っておらずコンクリート片がいくつか散らばっているだけで荒涼としていた。基礎部のコンクリートがそのままのため土も見えない。
そのすぐ横にトラックが1台停まっている。荷台にはパンパンに膨れたうす茶色の袋がいくつも積まれ今にも落ちそうなのを無理に紐でしばっている。袋は特殊加工のプラスチック製で中には壊された家の天井や壁、屋根板なんかが無造作に詰まる。そのすべてがアスベストを含んでいた。
灰色の作業服を着た男がトラックの運転席にすわりアスベスト袋のミニチュアのような色も形もそっくりな物体を手に持ちむしゃむしゃ食べていた。
川の方から下りてきた男はドアを開けてトラックの助手席に上がり座った。中はエアコンがきいていて涼しい。運転席の男に今買ってきた水を渡し自分もキャップをねじって一口飲み袋からうす茶色の物体を取り出し口に運んだ。中にはぬっちゃりとした少し甘いやわらかいものが入っていた。
運転席の男は先に食べ終わると外に出て「あちーー!」と言いながら小便をした。かつて川べりのヨシ原だった場所かつて2階家が建ってた場所今はコンクリートでおおわれただけのその上にサンサン照りつける太陽の下小便は弱弱しい弧を描いてコンクリートのがれきを濡らしちょろちょろの筋になって低い方低い方へ流れていく。
男は助手席でくちゃくちゃ口を動かしながらそれを見ていた。富士山麓の透き通った冷たい水を飲む。男の粉じんだらけの体内で水はただちに戦車のような色に変わる。
おしっこという声がした。
振り向くと後ろの方の席でMが半ズボンから汚い細長いチンチンを引っ張り出し、と思ったらそこから噴水のように小便が飛び出た。
小便はホームランの打球まがいの見事な弧を描きながら男の席を通り越し、ずっと離れた前から2番目の女子のイスの後ろに着陸した。しぶきを浴びながらも驚きのあまりクラス全員が息をのみ、静まり返った4年2組の教室で普段おとなしくて目立たない、やせて不健康に浅黒いMの股間からほとばしり出る金色の、生きもののような水のワンマンショーを見守った。それは数十秒のことだったかもしれないが男には、おそらくMにもクラス全員にとってももっと全然ながい、永遠の時間のように感じられた。
女子のイスの後ろにはこんもりとした水たまりができた。Mは保健室へ行ったきり戻って来ず誰も手をつけようとしないそれは時間とともにつぶれ板張りの床にしみ込んでいき放課後には床の模様としてその存在を示すのみとなったがそのしみを雑巾で拭くように男は「ボス」から命じられた。
男は床に膝をつき濡れ雑巾でしみを拭いた。しみはまだ生々しい水気を含んでいてバケツで雑巾を洗うとムッとアンモニア臭が鼻をつく。「まだだ、まだだぞ」と笑いながら「ボス」は言った。確かに一度拭いただけでは臭い小便のしみはとれない。「リンチ」が恐いから男はまた四つん這いになって犬のように四つん這いになって豚のように四つん這いになってゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシMの小便がしみ込んだ床を雑巾で拭いた。いびつなしみは拭けば拭くほど大きくなっていくようだった。
下着まで汗びっしょりになった。泣いてしまったので顔を上げられず気づくと「ボス」はいなくなっていた。男はバケツの水を誰もいない暗い廊下の水道に流し雑巾を水道の水でじゃぶじゃぶ洗った。水は低い方へ低い方へ流れていって排水溝に飲みこまれた。Mの小便はどこか男の知らないところMも「ボス」も知らないところへ水やゴミと混じって流れていった。
そんなことを思い出しながら男はトラックを下り、運転席の男の皺だらけのチンポコから出た小便が重機なしでは太刀打ちできない頑強なコンクリートに描いたしみを見に行った。その形を、見たいと思った。

 
 

(奥戸2丁目、水神社近くで)