佐々木 眞
人
在天のH・Mさん、その後いかがお過ごしですか?
こちら下界はいま晩秋。今日は少し寒いけれど快晴ですが、そちらの雲の上でも四季はあるのでしょうか?
季節はなくても五風十雨、もう毎日原稿を書くこともないし、高い税金を納める必要もないからいいですね。
きっと穏やかであるだろうそちらに比べて、下界では大変なことになっていますよ。
アメリカでは再選を目指すトランプ大統領が、民主党の対立候補をやつけようとウクライナの大統領に頼んだり、二酸化炭素を抑制する国際的な取り決め、パリ条約を脱退したりの大活躍。
これによって地球温暖化の勢いは加速され、アメリカではより多くのハリケーンが、わが国ではより多くの台風が、列島を襲撃することになるでしょう。たまったものではありません。
最近ホワイトハウスでは、全政府機関における「NYタイムズ」と「ワシントンポスト」の定期購読の廃止を命じたそうですが、自分に不都合な情報をすべてフェイクニュースとして退けるという前代未聞の狂気の振る舞いは、世界をますます分断し、余計な対立と混乱をまき散らしていくに違いありません。
そうそう、生前あなたが活躍されていた香港では、中華人民共和国による民草への民主化規制が一段と強化され、「5大要求」の実現を求めて立ち上がった学生や市民への弾圧は、丸腰の学生に対して武装警官がいきなり拳銃を発射するところにまでエスカレートしています。あのジャッキー・チェンも、さぞや驚いていることでしょう。
もしもあなたが香港に在住いていたら、きっと学生たちと一緒に戦っていたことでしょうね。いや、きっとあなたの魂は、香港理工大学のバリケードの中にあるのでしょう。
横暴と専制では、わが国の安倍首相も負けてはいません。
公職選挙法なにするものぞと、地元の後援会の大勢のメンバーを「桜を見る会」に送り込んだり、先日行われた天皇就任祝賀パレードでは、なにを勘違いしたのか、自分も車に乗り込んで沿道に向かって手を振ったり、最早やりたい放題なのに、誰も止めようとはしません。
金八先生の「3年B組」に出演して有名になり、自民党の参議院議員になって国会で「八紘一宇」礼賛演説をしてさらに名を上げた元女優は、「この国の政権を握っているのは、総理大臣だけですよ」と断言し、全国民を唖然とさせました。
外交・安保、経済などの誤謬に満ちた政策展開にもかかわらず、三権を利権と忖度で固める強権維持体制を確立したことによって、陰険かつ凶悪な安倍独裁体制は当分続いていくのでしょう。
でも、暗くて憂鬱な話ばかりでもありません。
先日はラグビーのW杯で日本チームが思いがけず善戦健闘して全国を沸かせましたし、野球チームが世界選手権で見事優勝しました。
我が家では、昨日の午後、庭で芝刈りをしていたら、子狸と鉢合わせしました。
「ほらこっちへおいで」と呼びかけたのですが、子狸はちょっと小首を傾げてから、納屋の裏手にトコトコ歩み去りました。
それがあんまり可愛かったので、私は「タンタンタヌキのタヌサブロー」と名付けてやりました。またタヌサブローと交歓できたら、とひそかに願う今日この頃です。
とりとめのない手紙になりましたが、詩一篇を同封しましたので、ご笑覧ください。
またお便りいたします。それまでどうか愚かな私たちを温かく見守っていてください。
香港は、いま真夏、
秋も終わりだというのに、
朝から真っ赤な太陽が、
ギラギラと燃え盛っている。
百千の雨傘は、ワラワラと花開き
「自由」と「民主」の理想は、
地上で最後のオオムラサキのように
虹色に輝く。
カルタゴ、滅すべし!
巨悪は、腐敗しているぞ。
カルタゴ、滅すべし!
正義は、君らの頭上にあるぞ。
戦え!
戦さ上手のカルタゴと戦え!
殷鑑遠からず
君らの内なるカルタゴとも戦え!
さらば自立への道は、
おのずから切り開かれん。
目を開け!
走れ!
どこからも、助けなんか来やしないぞ。
遠くまで走り続けよ。
彼方へ! 彼方へ!
カルタゴ、滅すべし!
いま君らの高鳴る心臓が、夢見ているものは、
まだ誰もみたことがない、新しい時代の到来の予感か。
もしかすると、これが民主主義というやつか?
いくたびも多くの国で人々が味わい、
味わっては、やっぱり挫折してきたという。
そう。
あの奇跡の高揚を、
おそらくは、生涯でたった一度の瞬間を
君らは、その戦い疲れた全身で、抱きしめよ。
カルタゴ、滅すべし!
カルタゴ、滅すべし!
若者よ、行け!
いまは迷うことなく、
ジャッキー・チェンのいない国際警察に向かって、
クリストファー・パッテン総督のいない香港政庁に向かって、
まっしぐらに突撃せよ!
墓参に
行ってきた
今朝
義母の月命日だった
女と
車で行った
帰りは
駅に車を置いて
歩いて
帰ってきた
義母は
二月十九日に
心臓が止まった
死んだ
それを見ていた
見ていた
月末になると
義母は
お金をくれた
隠れて
お金をくれた
全部
飲んでしまった
たまに間違えてわたしのことを
むっちゃんと呼んだ
みっちゃんだよ
というと
笑ってた
足はつめたい *
足はつめたい *
車を駅の駐車場に置いて
帰ってきた
川沿いを
歩いて
帰ってきた
* 工藤冬里の詩「11月」からの引用
私たちはどのようにして生きているのかというと車のデザインを見せられて野獣や涙目の動向を見せられて生きているのです
あとはヴィノ・ノヴェッロで現在世界を読まされて生きているのです
絵画によって生きているのではありません
家族の物語によって生きているのでもありません
私たちは車の威圧によって生きているのです
あるいは舌の先の金属の味によって
草によってみどりを得ているのではなく
その生え方や生え際によって強迫されているだけなのです
枝ぶりは
なくならなければ自然とは言えません
光と影は
産道以外の意味で使われてはなりません
薬局が量販店になったのがいけなかったのです
それで松が死にました
子供たち、横断歩道を渡る時は首をかき切られないように気をつけてください!
車が、ナイフだからです
みどりはすべて図鑑の緑になってしまった
彩色を行う手がふるびてしまってもうどうしようもない
失敗と戦争の間につながりがあり
そのつながりは渦であり
渦は腐っている
腐った渦は失敗のビオから出て
巻き貝のペンダントは直ぐに千切られ
港の対岸の島はあまりにも近く
えりかさんの翼は滑走路をはみ出す
節目に生えるのが羽根なら
見落とし勝ちな歩行者を轢くのは
モーセの体を巡る論争の螺旋
注射針の痕に四角い絆創膏を貼って
ゆきさんはクジラの温さを盛り付け
源の安全も忘れて命を落とす
ディスプレイを磨いて死んで四日経つまで待つ
おもしろい夢
夢はおもしろい
きみはでてこない
きみってだれですか
きみじゃないよ
しにたい朝
朝はしにたい
きみのせいで
わたしのせいですか
きみじゃないよ
つめたい足
足はつめたい
しんだらもっとつめたくなった
ぼくの足ですか
きみの足だよ
家族で小さな小さな会社を経営している。
訪問介護の会社だ。
昨年母から代表の立場を引き継いだものの、
「代表」とは名ばかりで
実態は経理全般と事務担当だ。
私がこの世で一番関わりたくないもの「お金」の責任者。
もちろんヘルパー業務もする。
このところ日が落ちるのが早くて、辺りはもう真っ暗だった。
冷たい風を裂くように自転車を走らせて、
その日、私は母の現場仕事に同行していた。
初めて行く御宅だった。
着いたのは、まるでおばけやしきのような古いアパート。
母にくっついて、
向かって右側の古くて狭い階段をカンカン昇っていく。
恐る恐る手すりの隙間から向こう側の景色を見たら、
街がべっこう飴みたいに てらてら光っていた。
母が部屋のインターフォンを押すと
ドアが開いて、おじいさんが床を這って出て来た。
不思議な部屋だった。
家具も照明器具も見当たらない。
ガランとした部屋が、月光に青白く照らされていた。
床は腐っているのか、湿って傾いていた。
殺風景な部屋に、古いケージが一つあって、
中には赤茶色の鶏が一羽と
スズメのような鳥が一羽。
傍に、肌色の温かい卵が一つ落ちていた。
母は、その卵を拾って台所へ行くと
コンコンと割って、黄身と白身に分けた。
黄身が入った殻と、真っ白なショートケーキをお皿に載せて、
おじいさんの傍にそっと置いた。
おじいさんは布団も敷かずに、
まっすぐ横になっていた。
私は床にゴロンと寝転がった。
すると、母も私の隣に横になって
二人で夜空を眺めた。
流れ星が五つ。
私が「きれいだね」と言うと、
北海道生まれの母は
「私の小さな頃はこんなもんじゃないわよ」
と言った。
帰り道、ふと自分の手のひらを見たら、
おじいさんのうんこがベッタリ付いていた。
母の手のひらにも付いていた。
私たちは、おじいさんのうんこを
お互いにベタベタ付け合いながら
声をあげて笑った。
「ただいま!」
家に帰ると、娘たちが
ディズニープリンセスの顔パネルを作って遊んでいた。
「すごい御宅だったよ。
塔の上のラプンツェルみたいなお家だった!
今から詩に書くから! そしたら読んでね、野々歩さん」
そう言ったところで、目が覚めた。
母と寝転んで流れ星を見たことが一気に遠ざかって
急に悲しみと寂しさが込み上げてきた。
受験生のねむの期末テストが近いこと、
少し眠るから、1時間経ったら起こしてね
と言われたことを思い出した。寝過ごしてしまった。
ねむの憂鬱と切羽詰まった気持ちを思うと
遣る瀬ない気持ちになった。
中学校にほとんど行かず、
高校も3日で辞めた私のアドバイスなんて
クソの役にも立たないのだ。
「内申点に響く」「人生に関わる」って言って
狭い世界は子どもたちを追い詰めるけれど
そんな必死にならないで
太陽が優しい時 一緒に原っぱに寝転がって
うんと伸びをして
好きな絵を描いて過ごす
そんな風に生きていくわけにはいかないのかな。
そんな生き方を許容出来る世界ではないのかな。
やっぱり「お金」を稼がないと、生きていけないのかな。
考え込む私の横で、
猫が大きなあくびを一つして
丸くなって眠っていた。
アルジェリー、これからは おおきな 綱渡りに なるだろう
挙式後 私たちは 途轍もない 貧困に 見舞われる
精神障害者年金2級 で 暮らす
「私は とても不安だが
・・・・・・・・・しかし ちからをあわせて 乗り越えていきましょう」
「私は 理解して います──── 仕事を 見つけて
私は はたらきます そして あなたを助けるつもりです」
[ Think Positive ] が あなたの 口癖だった
仕事は そうそう 簡単には 見つからない
貯蓄が 20万円を切ったら 私たちは 江戸川区の 生活援護課に行こう
入籍後なら 妻が 生活保護を 受けられる 可能性があるからだ
あなたが望む 工場のライン作業を 見つけるのは それからだ
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昭和通り改札口を出て
秋葉原公園の おちばを 踏みしだいて 歩いていた
晩秋の 神田川が ながれている ────
人びとも それぞれに ながれている ────
私は 清水ビル二階にある 心療内科に入っていった
受付で 国民健康保険証と 診察券を出した
なまえをよばれて 私は 診察室に入っていった
「先生、私は 予定通り 年末から 約40日間 フィリピンへ 赴きます」
「ああ わかってる」と 主治医は 微笑いながら 言った
「せっかく 行くんだ あかるい島国で 癒されていらっしゃい」
「それから再度 6月に行って 挙式をします」
「ああ わかってる」
[ Think Positive ] が ここにも あったか
帰り道 ATMで 通帳記帳を した
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<お金が 無い ────>
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行って 帰って くることは できるけど
でも 私たちは
でも 私たちは
これから おおきな 綱渡りを するけれど
ふりかえったり しないで
なかみを おおきく あかるく ふくらませて いこうぜ
[ Think Positive ] で。
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「羽田発 423便で行くよ マニラ空港 到着は 朝の5:30」
アルジェリーの 顔が 画面のなかで ぱあっと 輝いた
「I’m excited to see U soon !!
私たちは 家族みんなで ターミナル2に 迎えに行きます」
いま 東京も 朝の5:30
マニラに着いたら まず みんなで あさごはんだ
それから ワンボックスカーに 乗って あなたの家に向かうんだ
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予備校にはどこも小さな洞穴教室がある。受験生を丸裸にしてまず生ぬるい風呂に入れいきなり冷水を眉間中心にかけ続ける。世に言う藤垈の術である。その後に糸瓜で過度の乾布摩擦。施術を学生と共にするため大抵の予備校講師は肌がつるりとしているか荒れ果てているかのどちらかである。洞窟を出られた珍しい生徒は当然目をやられている。中でやることが王義之「蘭亭序」の書写のみであるからだ。会稽山麓蘭亭の曲水の盃には小さな豆腐が重しとして据えられていたという。
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豆腐 摑み損ねた
白く穏やかな丸み
若々しい冷たい肌
ニキビない青白い発信
絹漉しの面倒がざわつく
豆腐鍛えて
厚揚げる作業
「白けりゃいいってもんじゃない
空0パリピで行けや(笑)」
葱ふり生姜づけ
豆腐の位置に立つことは
豆腐になることであり
日がなとうふである
いつものようにひょいと
摘めるはずなのに
摑み損ねて
爆発するとは
飛び散った豆腐
どんと机を叩き飛び散って
泣いていた
あまりのことに
慄く
卑しく粒をすくう
木綿ではないから
綺麗にえぐれる角
ごめんよ
にがり
今朝
お城のある
町で
研修だった
子どもたち
ひとりひとりを
どう理解してどう関わっていくか
という
研修だった
講師がいて
講師は小児科の医師で
ヒトは
思考と行為と生理と感情の四輪で動いて
いて
変えられるのは
思考と行為なのだと
いった
子どもも
おとなも
居場所がなくなってしまった
そう
医師はいった
だから
思考と行為のハンドルを3°だけ
まわすのだと
いった
詩も
まわせるのかな
心のドアは内側しかノブが付いてない *
だから
3°だけ
ハンドルをきり
内側から開ける
内側から開けてもらう
昨日は
香港にいる
荒井くんから映像が届いた
無防備の青年が至近距離からピストルで警官に撃たれる映像だった
* 工藤冬里の詩「切断線のある風景」からの引用
東温上空は川内の北方で8月から絵に描いたような偽の分断を仕掛けられている。その偽の分断に対してノーと言うこれもまた偽の左右勢力から「令和だ安全だ」という叫びが上がる時に真の切断が始まる。無気力にも音程があるとしたら無力そのものを一人サーバーに向かって吠えさせねばならない。
それを前にして表現における倫理なき切断は最早意味を持たない
プログレもtiktokも同じことだ
俺が、俺の身体が切断されるのだ
分かるか? 股から八つ裂きにされるのだ
なんの希望もなく、ただ八つ裂きにされるのだ
イカのように!
スメルジャコフならまだ良かった
これじゃスルメ雑魚フだ
糸電話が泣くのではなくて、糸が泣くだけなんだけれども、その糸は、ただの悔し涙にも反応するものなのか?だとしたら、俺の九四国フェリーのピアノで泣いたというOの涙も、そういうことだ。犬も食わない哀しみを抒情と呼ぶ乎。
犬も食わないから哀しみなのよと開き直るやつもいるが、その苦闘を鑑賞するなどというのは演者にとっては磁器やドルフィーと同じで地獄以外の何物でもない。
それにつけても、全てを敵に回す仕草の、なんと古びて陳腐なことか。そして、だからといって、世間の明け暮れは朝刊の字面のようにフォントとしては何も少しも変わりはしないのだ。
もうすぐ陽を浴びて皇帝ダリアが眼に沁みるだろう
そして僕は皇帝ダリアも皇帝ダリア飼育係も、と例年のように呟くだろう
鎌倉の近代文学館の庭の、被曝前の夢のなかのような写真も想い出すだろう
ブレていて、白い着物がゆうれいのように翻っていた
その幹は竹のようでよく伸びるので僕は恐ろしかった
作務衣を着た陶芸家の作務衣は妻が洗うのか?リベラルは消滅してそのコンテンツはジャンケンで陣営に分けられた。その分配、分捕り方には何らの倫理も働かなかった。分断は混乱のためだけに発想された。
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イギリスのローカルチャート
くらいの辺境
魚の顔して
モニターの背景の青の映り込みが違って
実体の方が沈んでいる
撫で肩の円熟が悪魔の思い上がりを語り
赤とオレンジは合わない
時間をパンのように割く
複雑に捕らわれそうになったら
慰める
痛みの最大の薬は理解
勤勉さと同程度の思考力が必要
管理人としてその能力を使う
dorcas in doldrum ドルイド
発進前に下顎を左右に動かす
土気色ゾンビ
画面映りでその気になった顔を円熟と呼ぶ乎
がぶり寄り荒勢
真ん中分け
なんで豚が主人公なんだ ああ豚にされたからか 最後は人間になるんだった
表情と内容が一致している
二本指 指は太い
ステレオタイプすぎて仮面に近づくくらい素面
三本指も太い
あるときは父親のように
あるときは母親のように
薄すぎて本当
上半身アニメ
家族のように親しくなる
と言い切った
土気色の魚
死んだ目の優しさとは何だろう
顔の筋肉だろうか
豚の鼻の孔
鸚䳇
蒲鉾型の赤味を帯びたトンネルが想像界を貫いている
フクロウ!!
タイとハンカチの柄を合わせ
頭を上げて
角度がモアイ
勇気を絞って と言った
最後までサイコパス
父と娘の絆が
赤味がかったトンネルの
想像界の花道を出てゆく
みみずく!!
トレーナーが限界を引き上げてくれる
二重瞼の給水所
下の歯が見える人種
どこから来ましたか
笑っている
笑えている
本心なのだろう
六角とか八角とか
何によって定められるのだろう
今は九角以上あるな
愛はあるものを喜び あるものを喜ばない
ということは 愛は何かを見分ける助けになる
感情の真を導きとするのではない
ぼたん系とオレンジ系は合わないのに
愛は覆う
直射日光から
愛は原則に基づく意思決定である故に
あなたは嵐のように彼らを襲う (俺以外の左右上下全てが、嵐のように俺を襲うだろう)
なめくじ姉妹
偽りの安心感を抱かせる
ずっと目を見ている
目だけを見ている
額に穴
胃や腸ではない体の周縁に話しかけている
私たちはもう子供であってはならず,波にもまれるかのように翻弄されたり,風に吹かれるかのようにさまざまな教えに振り回されたりしてはなりません。人に欺かれたり,ずる賢いたくらみに乗せられたりしてはならないのです。
法は力を吹き込む (九条は人に力を吹き込まないことを僕は知っている。その一点で俺はリベラルから切断されるだろう。)
腐敗の要素が全くないエチレンガスを放出
体の各部が共同し合う
総力戦の時となりました
心のドアは内側しかノブが付いてない
全開にして全体像を見ないと進まない
炎は小さく調整できない
消極的な見方は炎を消してしまう冷水でしかない
背広の肩のラインに 切断がある
多くの男性は
愛されることよりも敬意を払われることを望む
赤ん坊の泣き声が
蚊のように耳の後ろに上った