恋沼

 

萩原健次郎

 
 

 

地に沁む
はじめ項垂れる
詫びる
詫び通す
嗚呼と応える
世はないと思えば
鳥は鳴き
朝日は射てくる
内臓が透ける
臓腑がいちどからまって
無痛の味わいがすぎてゆけば
梢へ投げる
消えたとき
嗚呼
あなたの涎を舐める
地に垂れた清水を
掬う
あなたに臓腑がないことの
どれほどの安堵
あなたに悩みがないことの
救い
草と空と
生血の獄が
混ざる
しあわせよ
嗚呼
水の放浪者として
池に投げ捨てよ
やさしく
首をしめて
水底へ

 
 

連作 「不明の里」より

 

 

 

眠る男

 

道 ケージ

 
 

ひたすらに
眠る男
地下鉄 左斜め前

全く同じ姿勢で
うつむいて
まるまって

青いジャンバー
それなりに新しい
一ミリも動かず

こんこんとねる
寝る  眠る
私もねる

大手町で乗り合わせ
目が覚める九段下
出入り多い渋谷でも

同じ姿勢でねている
眠る力は
アルコールではない(ようだ)

三茶、二子玉、その度に
こっちは起きて
マダム一人と赤子が
乗り込んで

昼ひなか
小さな仕事を終え
さらに移動
貴重な眠り

起きぬ彼
シートに背中が吸われている
貴重を分かつ

ここで眠らねば
次の仕事で昏倒する
内へ内へ折りたたむ

鷺沼で目覚め
羽づくろい
あざみ野で
トゲ刺すも
起きず

だが
こうやって
彼も
私を見ているのでは

薄眼をあけて
見あげて
じぃっと
気取られぬよう

長津田
あらかた降りて
まさか月待ち
眠りつづけ

ピクリとも
動かず
見事なまで

終点中央林間
それでも眠っている
時間は止まり
彫像のように象られ

お前は降りるのだな
ここで別れたことを
やがて
思い出すだろう

立ち上がる前
その奧のその奧に
遺失したものを

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第21回

第7章 由良川漁族大戦争~ある戦いの歌

 

佐々木 眞

 
 

 

なにやら血なまぐさいにおいがしてきました。
いました。ライギョたちの大群です。
30、50、70、100、150,およそ200匹くらいでしょうか。
巨大な肉食魚のライギョたちが、イライタ。
不機嫌な表情で、お互いに八つ当たりをしながら、狂ったようにあたりをぐるぐる回っています。

もう昨日のホルスタインのご馳走は、今日はひとかけらもありません。
「腹が減ったときほど、魚に理性と常識を失わせるものはない」
と、いつかもタウナギ長老も申しておりました。

みずからを呪い、他魚を呪い、由良川を呪い、丹波を呪い、この国を呪い、ついには全世界を呪って、ありとあらゆるものへの敵意と憎悪が最高潮に達したライギョたちは、新たな獲物を求めて歯噛みしながら、血走った両眼をあちらこちらへ飛ばしています。

さあそこへ、ケンちゃんと若鮎特攻隊の討ち入りです。

雷魚タイフーン
「おや、あれは何だ。上の方でスイスイスイッタララッタスラスラスイとミニスカートで踊っている軽いやつらは?
なんだあれは由良川特産のアユじゃないか。
よーし、みんな俺についてこい。皆殺しにしてやる」

雷魚ハルマゲドン
「えばら焼き肉のタレで喰った昨日のこってりした牛肉とちごうて、アユはほんま純日本風の淡白な味や。塩焼きにしえ喰うたら最高でっせ。
ああヨダレがぎょうさん出る出る。ほな出陣しよか」

てな訳で、よだれを垂らしながら急上昇しはじめたライギョ集団めがけて、ナイフかざしたケンちゃんが、上から下へのさか落し。
先頭の雷魚タイフーンの顔面を真っ二つに引き裂いたものですから、さあ大変。
怒り狂ったおよそ200匹のピラニア集団は、ケンちゃんめがけて猛スピードで殺到しました。

するとこれまた決死の若鮎たちが一団となって、ケンちゃんとライギョ集団の間に、すかさず割って入りました。
ライギョは時速60キロ、対するアユは時速75キロですから、その差は大きい。
まるで戦艦と高速駆逐艦が、至近距離で戦うようなもの。
お互いに大砲も魚雷も打てないまま、体力と気力の続く限りの壮烈な肉弾戦が、由良川狭しとおっぱじまりました。

雷魚ハルマゲドン
「くそっ、待て待て莫迦アユめ!ちえっ、なんでこんな逃げ足が早いんじゃ。よおーし、とうとう追い詰めたぞ。これでもくらえっ!」

若鮎ハナコ
「オジサンこちら、手の鳴るほうへ。いくら気ばかり若くっても、もう体がいううこときかないんでしょ。

赤いおベベが
大お好き
テテシャン、
テテシャン」

雷魚ハルマゲドン
「若いも若いも
25まで
25過ぎたら
みなオバン
とくらあ。それっ、行くぞ。この尻軽フェロモン娘め。とっつかまえてやる!」

若鮎ヨーコ
「やれるもんなら、やってみなさいよ。
お城のさん
おん坂々々
赤坂道 四ツ谷道
四ツ谷 赤坂 麹町
街道ずんずと なったらば
お駕籠は覚悟 いくらでしょう
五百でしょう
もちいとまからんか
ちゃからか道
ひいや ふうや みいや
ようや いつや むうや
ようや やあや ここのつ
かえして
お城のさん
おん坂々々」

雷魚ハルマゲドン
「うちの裏のちしゃの木に
雀が三羽とまって
先な雀も物言わず
後な雀も者言わず
中な雀のいうことにゃ
むしろ三枚ござ三枚
あわせて六枚敷きつめて
夕べもらった花嫁さん
金華の座敷にすわらせて
きんらんどんすを縫わせたら
衿とおくみをようつけん
そんな嫁さんいんどくれ
お倉の道までおくって
おくら道で日が暮れて
もうしもうし子供しさん
ここは何というところ
ここは信濃の善光寺
善光寺さんに願かけて
梅と桜を供えたら
梅はすいとてもどされて
桜はよいとてほめられた」

若鮎ハナコ
「あやめに水仙 かきつばた
二度目にうぐいす ホーホケキョ
三度目にからしし 竹に虎
虎追うて走るは 和藤内
和藤内お方に 智慧かして
智慧の中山 せいがん寺
せいがん寺のおっさん ぼんさんで
ぼんさん頭に きんかくのせて
のるかのらぬか のせてみしょ

雷魚タイフーン
「京の大盡ゆずつやさんに
一人娘の名はおくまとて
伊勢へ信心 心をかけて
親の金をば 千両ぬすみ
ぬすみかくして 旅しょうぞくを
紺の股引 びろうどの脚絆
お手にかけたは りんずの手覆い
帯とたすきは いまおり錦
笠のしめ緒も 真紅のしめ緒
杖についたは しちくの小竹
もはや嬉しや こしらえ出来た
そこでぼつぼつ 出かけたとこで
ここは何処じゃと 馬子衆に問うたら
ここは篠田の 大森小森
もちと先行きや 土山のまち
くだの辻から 二軒目の茶屋で
縁に腰かけ お煙草あがれ
お茶もたばこも 望みでないが
亭主うちにと 物問いたが
何でござると 亭主が出たら
今宵一夜の 宿かしなされ
一人旅なら 寝かしゃせねど
見れば若輩 女の身なら
宿も貸しましょ おとまりなされ
早く急いで お風呂をたけよ
お風呂上りに 二の膳すえて
奥の一間に 床とりまして
昼のお疲れ お休みなされ
そこでおくまが 休んでおると
夜の八ッの 八ッ半の頃に
「おくまおくま」と 二声三声
何でござるかと おくまは起きて
金がほしくば 明日までまちゃれ
明日は京都へ 飛脚を出して
馬に十駄の 金でも進んじょ
それもまたずに あの亭主めが
赤い鉢巻 きりりと巻いて
二尺六寸 するりと抜いて
おくま胴体 三つにきりて
縁の下をば 三間ほりて
そこにおくまを 埋めておけば
犬がほり出す 狐がくわえ
亭主ひけひけ 竹のこぎりで
それでおくまは
のうかもうとののう一くだり」

雷魚ハルマゲドン
「ほら! 歌にご注意、恋にご注意、
油断大敵、うしろに回って
オジサンがつかまえた!
そらっ、泣くも笑うも、
この時ぞ、この時ぞ」

若鮎ハナコ、ヨーコ
「きゃあああ、やめて、やめて、
許して、お願い!」

雷魚タイフーン、ハルマゲドン
「千載一遇、ここで会ったが百年目。
ここは地獄の一丁目。ここで逃してなるものか。
処女アユめ、オジサン二人で貪り喰っちまうぜ。
おお、ウメエ、ウメエ、
処女アユときたら、なんてウメエんだあ!」

 
 

つづく

 

 

 

愛する大地

 

駿河昌樹

 
 

数日前に使った鉛筆削りを
机の上の
電灯の下の
スタンドの
上に
出しっぱなしにしてある

そんな風景
インスタにも上げたりしないし
データ保存もしない

だいたい
写真に撮りもしない

…こう記してみて
じつは
これだと
気づく

写真に撮られない風景がいっぱいなほうが
ほんとはいいな

撮ろうとも思われない
見逃されっぱなしの
見捨てられっぱなしの
風景とも光景とも呼ばれないような…

そんな
“愛する大地”っぽいもの

ほうへ

 

 

 

電車

 

みわ はるか

 
 

真冬の夜中、寒いので体を縮こめて布団の中で丸まっていた。
世間では梅の花が開花したところがあるとニュースで言っていたけれど、とても同じ日本とは思えなかった。あー明日の朝も布団から出るのが億劫なんだろうなと思って眠りに落ちようとしていた。
そんな時、遠く駅の方から軽快な音が聞こえてきた。
どこかで聞いたことあるなとよくよく考えていると、踏切で遮断機が降りているときのメロディーだった。
夜中、静かだと家の中まで聞こえてくるんだと驚いた。
その音が聞こえなくなるまでわたしは布団の中でずっと耳をそばだてていた。

高校、大学と合わせて7年間、わたしはJRにお世話になった。
朝は通勤ラッシュで車内は混んでいたし、それが夏なら汗臭く、雨なら濡れた傘の置き場に困ったものだ。
たいてい、通学の学生や通勤の社会人と一緒になった。
新聞を読んでいる人、ガムを噛んでいる人、マナー違反だが化粧をしている人、英単語帳を開けている人。
みんながみんな眠い目を擦りながら電車に乗っていた。
同じ時間の車両に乗れば大体顔ぶれは同じで、その人の着ている服から季節が感じとれたりもした。
ニットのセーターにコート、マフラーで完全に防寒対策されていた服装が、麻の白いワンピースを着てくるようになった社会人らしき女性を見て、冬から夏の到来を肌で感じた。
人身事故や機械的トラブルで電車が急に止まることが多々あった。
どこからともなく舌打ちする音や、無意識に腕時計を確認する人、会社や友達へ遅れるという連絡をする人へと雰囲気が変わった。
みんなイライラしていた。
中には耐えきれなくなって車掌に罵声を浴びせる人もいた。
誰も悪くないのに、悲しいけれどそれはよく目にする光景だった。

夜はこれまた学校帰りの学生や、会社終わりの社会人と一緒だった。
朝と違うのは疲れてはいるけれどどこかみんなほっとした顔で椅子に座ったり、吊り輪につかまっていたところ。
1日の終わり、真っ暗になった景色を窓から見ながら安堵しているように見えた。
金曜の夜は特にお酒に酔った人をよく見かけた。
頬を赤らめ、同僚や後輩だろうか、肩を借りて立っているのがやっとというような感じだった。
肩を貸している方はなんだか大変そうだったけど、決して嫌な顔ではなくてむしろ嬉しそうに見えた。
きっとものすごく気心知れているんだろうなと思った。
そんな人と金曜の夜にお酒を飲みに行けるなんて、なんて素敵なんだと羨ましかった。
一生のうちでそんな人に出会える確率は思っている以上に低いはずだ。
気のせいだとは思うけれど、電車がホームに入っていく音が朝よりも夜の方が静かなような気がした。
疲れた乗客に気を使うように遠慮がちにそっと停車しているかのようだった。

電車の中の人を観察するのが好きだった。
そこには一人一人小さなドラマを抱えている。

 

 

 

鰺フライ

 

塔島ひろみ

 
 

ハサミでアジをさばいていた
生臭いにおいが立ち込めている
頭部を開くと目玉が飛び出る
あー手が痛い
リウマチで日ごと動かなくなっている指を押さえ、Jは言った

栃木から上京し、下町のこの地に美容店を開業した
八百屋、鶏屋、駄菓子屋なども軒を連ね、小さな商店会を作っていた
今は住宅地にJの店だけがポッツリとある
「どうしてもっと早く来なかった」
と、Jは責めるように言い、
バケツに、切り刻まれたアジの死体を放った

今日はマウスピースを受け取りに来た
歯軋りで奥歯が痛むので、型を取ってもらったのだ
ところがうまく嵌まらない
この間に歯列がずれ、歯型が変形しているという
昔の私の口に合ったこのマウスピースは
昔の私以外に合う人はなく
行き場を失くした

Jの強張った手が
私の歯ぐきをグイと持ち、押す
イタタタタ
私でなく、Jが叫ぶ
私の口に突っ込んだ手を押さえ、
Jはその手に
ハサミを持った

ジョキン ジョキン
バサッとまとめて 髪の毛が落ちる
イタイ イタイ イタイ イタイ
リウマチの指は 何度もハサミを取り落としながら、また拾い、
私を、昔の私に戻す努力をする
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
生臭いにおいが充満する
切り刻まれた口中にマウスピースが押し込まれ、歯に嵌った

診察室に入ると 老いぼれた私が
アジフライを食っている
バリバリ ボリボリ 歯ぐきを真っ赤に染めながら 旨そうに食っている

 
 

(2018年2月19日、江橋歯科医院待合室で(Jに遇って))

 

 

 

ちいさなアスリート

 

ヒヨコブタ

 
 

失ったと感じるのは
なぜだろうか
あまりにも安直な導きでしか
あの雪のなか
勝つことなど求めず
ただひたすら前を向きゴールにたどり着いたころの

じぶんには
ことばもなく
それでも夢みたのは

なぜだろうか

雪は見た目より冷たくもなく
そこに横たわるとあたたかく包まれて

わたしはほっとしたのだと

氷柱はすこし鉄の味がする
血に似ているんだ

氷柱を食べていた頃から
世の中はいつも不思議だらけ

 

 

 

2月の風鈴

 

正山千夏

 
 

もっとも陽当たりの悪い月が終わる
太陽はよたよたとビル平線のきわをうろつき
私をイライラさせる

どこかで季節外れの風鈴が鳴っている
まるで雪の妖精の魔法のきらめき♡
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

20年前の自分の詩を翻訳する
不思議な運命のめぐりあわせか
それとも根強いカルマか
今の私の心情とまったく変わらないことに
あ然とするとともに
モーレツな共感にふるえる心
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

に耐えられず分厚い布団にくるまって
ひたすら眠ってしまう2月
ほんとうは20年間こうして
眠っていたのだろうかとも思う
そのあいだも忘れ去られた風鈴は
やむことのない風に翻弄されながら
遠くでりりんりりんと鳴っていたのだ

まるで熊
皮下脂肪に貯めた養分も
今ではすっかり消化され痩せ細った熊が
寒さに耐えきれず起き出してきて
また何かをさがしている
2月の風鈴が
遠くでりりんりりんと鳴っている

 

 

 

そだねー、そだねー

——茨木のり子詩集「倚りかからず」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 
 

題字をみると、「寄」りかからずじゃなくて、「倚」りかからず、なんだなあ。
でもお客さん、
「倚」りかからずなんて、辞書でもパソコンでも出てこないぜ。

しゃあけんど「倚りかからず」のほうが、「寄りかからず」より、よりかからないで、
なんちゅうか、
毅然と立っているような感じの漢字、に見えないか?

そだねー、そだねー。*
さすが茨木のり子さんは、詩人だなあ。
というか、もともと自らを恃むすべを身につけた、立派な人だったんだなあ。

ところがぎっちょん、軟弱なおらっちときたら、
できあいの宗教にこそ倚りかからなかったが、
できあいの思想には、相当倚りかかってきたような気がする。

そもそも学問なんか出来ない、というより、しなかったので
できあいの学問になんて、倚りかかりたくてもできなかったが、
権威という奴には、昔からかなり倚りかかりたがって、きたようだ。

そんなおらっちが、いまどっぷり倚りかかっているのは、
椅子の背もたれ、
でなくて、うちの奥さん。

私は彼女から、
「にんげんいつ死ぬか分からないんだから、なんでもかんでも、わたしに頼るのは、やめなさいよ」

とか、
「わたしはあなたの母親ではないのよ。いい加減に自立してくださいね」
(きょうママンが死んだ!)**

などと、再三再四にわたって、つよーく警告されているのだが、
私ときたら、基本的には、彼女より先に死ぬつもりなので、
なかなかその気になれないのだ。

でも、突如彼女がいなくなったら、
私はすってんどうと「高ころびに、あおのけに、転んで」***
涙が枯れるまで、エンエンエンと泣くだろう。

そだねー、そだねー。
西御門の寂しい洋館で、愛する妻に先立たれた江藤淳のように、
オイオイオイと泣くだろう。

けれども私は、
自分が江藤淳のように、風呂の中で血管を切って、
哲人セネカのように自死する勇気と根性はない、と知っている。

その時になって、はじめて私は、妻君に倚りかかりすぎてきたことを、
激しく悔やむに違いないのだ。
でも、それではもう遅すぎるのだ。

そだねー、そだねー。
全国の学友諸君! いまのうちから、否、否、本日只今から、
たとえほんの少しずつでも、妻君に倚りかからないように努めようではないか。

倚りかからないぞ!
倚りかからないぞお!
私は、もう誰にも倚りかからないぞお!

そだねー、そだねー。
「奥さん、おらっちは今日から、絶対あなたに倚りかからないようにしますから」
と呟きながら、私は茨木のり子の詩集「倚りかからず」を、パタンと閉じたんだ。

 

 


*平昌五輪日本女子カーリングチームの合言葉
**アルベール・カミュ「異邦人」より
***安国寺恵瓊「井上春忠宛書状」より