徒党を組んで *

 

さとう三千魚

 
 

昨日
女と

港の温泉に行った
二十年

女と
暮らした

二十年が過ぎた

女と
風呂を出る時間を決めた

温泉に浸かり

露天で
浜風を嗅いだ

サウナを出て水風呂に入った

三回繰り返すと
汗は出ない

クラフトビール屋で女を待っていた

ビールは
蜜柑とメロンの香りがした

風が吹いていた
風は吹いていた

きみはそこにいた

きみは
風は

吹いていた

群れることがなかった
徒党を組むことがなかった

 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

淡路

 

工藤冬里

 
 

α波の上限近く、11.7Hz
https://youtu.be/jjmfRAlkpTQ
https://twitter.com/_yukiohakagawa/status/1474354700451737604?s=21
人間は縦横を組み合わせたがるがそれはあまりにも人間的だ
基本的には上下しかない
横はさまざまだからだ
ベッドのまま運ばれて
焼かれる前に
南極を上から見てみたかった
四方から見られている
厨房の仕切りのない
部首のレストランで
漢字を食べてみたかった
日が陰っただけで人を殺す奴は馬鹿だ
子供を抱いた女、と思ったら犬を抱いた女だった
木がそこら中に生えている
雲の切れ目から降りてくる光の束にそれぞれに違った角度が付いているのは何故ですか?
太陽は雲と同じくらいの高さにあって、大きさも月と同じくらいなのではないですか?
年が変わるというのは公転とは関係なく、かりそめの四季を支配者の在位年に重ねていただけだとしたら、冬至や正月の神聖の押し付けは何処から来ていますか?
人が大勢死ぬ予告を前にして矮小化した愛の定義を繰り返すのは、スーパーの惣菜売場に流れている霊に同化した頭蓋が、反帝国主義とレッドパージの枠組みの中で凍てつき縮みきっているのと同じです
海馬はさらに萎縮してもの忘れや失敗が多くなるでしょう
絵に描いたトラをどう退治しますか
https://youtu.be/-92gC_f0PMQ
光は波でもあるので雲間から広がって干渉します
意識しないときっぱりとはいきません
うすぼんやりと残ります
忘れようとすると一粒の実体になり忘れている時は波になっています
眞子に佳子
皇族に流石にキラキラはない
真理への匕首は初霜に珪角を表す
福引きは八ので付く二八日で終了
餅つきは九の付く日は避ける
ヤギ譲とヴァニ諦レコードを振り返る類いの旧市民の年末
カヴァーをディスってディスカヴァー
死人に口なしてほぶらきんのレコードにも書いてあったね
正月くらい自分で作れ
と茨木のり子のようなものに叱られても
正月は暦の中を毎年移動するし
毎日が正月、とも言えず
いきさつを楽に棄てていくことしか
わたしにはできない
漏らしたことが多すぎて
竹で編んだ笊のような球
分画は受け入れ
借り物の体に対して罪を犯す
人生の目的が分からないとボルヘスbotが言うので
悪いなボルヘス、俺は知ってるよ、と返したことがある
行えてはいないが知ってはいるからだ
分からないという人の強みは行えていないという罪悪感がないことだ
ただ、そうした保留された状態に留まって居られる期間は限られている
その限られた時間を活性化しようとしても空しいだけだ
行えてはいないが知ってはいるという人のための時間も限られている
知っていることを誇ることもできないし、知らない人を見下すこともできない
見下さないということを主題にすることもまた空しい
知っていて行う人が一番幸せだというのはこういうことだ
カントはこれも駄目それも駄目と言った
ヘーゲルは駄目と駄目との隙間を生きた
人類社会の全ての家族はその創世の最初期から喪中に付き年始のご挨拶は控えさせて頂いております。ここに本年中に賜りましたご厚情に感謝致しますと共に、皆様に良き年が訪れますようお祈り申し上げます。
トンネルの青魚
幸せの蛸
海の区分された色
全部やったという気持ちにさせるために
淡路には粒と波が与えられている

 

 

 

#poetry #rock musician

 

塔島ひろみ

 
 

転校生は六部(行者)で 森市といった
私の隣りの席になった
教科書とかがそろうまで 私が見せてあげる 
当番のこととか 図書室のこととか 教えてあげる
森市は太っていて 動作がにぶくて 頭もにぶくて おとなしかった
いろいろ教えても ちょっと笑ったみたいなあいまいな顔で ぐりぐりした大きな目で私を見るばかりで
たぶんなにもわかってなかった
いつも同じ服を着ていた
その服は 冬でも夏でも
おばあさんが着るような毛糸の長いベストと
おばさんがはくようなすそ広がりの黒っぽいズボン 
臭かった
お風呂に入っていないのだ
着替えもしないのだ
臭くて 本当は近くに寄りたくなかった 話したくなかった
「くっせえ」「うんこ」「でぶ」とののしられた 尻を蹴られた
そうやっていじめられる森市の顔を 私は見ないようにした
授業でさされると私が小声で答えを教えた
森市はそのとおり復唱した
私は森市に教えるばかりで
森市のことをなにも聞かなかった
家族のこと どこから来たのか どうしてここに越してきたのか テレビは見るのか 生理はあるのか
なにも聞かなかったので なにも知らない
給食室の工事が始まり
各自お弁当を持参することになった
森市の弁当は変わっていて
あるときは食パン1斤を袋ごと
あるときはポリ袋いっぱいのサクランボ
全部残さず食べていた
何も持ってこない日もよくあった
図工の時間
隣りの席の子の顔をお互い描きあう
という課題が出た
私は森市を 森市が私の顔を描く
よく見ると森市はまつ毛が長く 
肌はどぶのように黒ずんでいたがなめらかだった
鉛筆も筆もほとんど使えない森市は 私を全然描けず 手こずっていた
困って 上目遣いに私を見つめる森市を 私はそれ以上見ていることができなかった
私は見ないで森市を描いた
森市から漂うクサい臭いをかぎながら 画用紙に絵の具をどんどん塗りたてた
図工の先生が足をとめた

「すごい絵だなあこれは」

画用紙の中の人物は ギロリとした目で先生を見る
絵にはなんだか凄まじいものがあった
森市にはまるで似ていなかった
森市はもっとおだやかでやさしくておとなしい少女だ
なのにこんな恐ろしい絵に描いてしまった
絵は
まず校内展覧会で人目を引き
区展や都展にも出品され 賞をもらった
題名は「友だち」
もはや誰もそれが森市とは思わなかった
描いた私ばかりがちやほやされた

そのあとしばらくして森市は入定(生きながら墓穴に入り即身仏となって命を絶つ意)した
倒産した近所のアルミ工場の一室に入り 鍵をかけ
シャワーを浴びる水音が三日三晩つづいたという
音がやみ ドアを壊して消防団が踏み入ると
部屋には誰もいなかった
おびただしいアルミくずが 甘い とろけるようなにおいを放っていた

  村人は森市の死を哀れみ お地蔵さまを祀り供養しました。
  現在のお地蔵さまはお堂内に祀られている聖徳太子像の背面に安置されています。

蛇行しながら流れる中川に西、南、東の三方から挟まれるその場所は
以後 圦(いり)の川岸と呼ばれている

 
 

(奥戸2「圦の川岸」にて)

「入定塚」説明板(森市福地蔵尊/弘法大師奉賛会)を参照、一部引用

 

 

 

餉々戦記 (あっ、あらもっと 篇)

 

薦田愛

 
 

起き抜けの電気毛布から出られない
底冷えの丹波で二度目の冬
アラームを停めたスマホの画面を繰る指かじかむ
よわい光に浮かぶ山なみの写真
SNSの
ああ
七年経つのか阿波半田そうめんの里
大叔母ヤチヨさんを送りに行った時だ
目の大きなあっけらかんとした物言いの
ヤチヨさん
ひとりっ子のヒロム兄ちゃんは
かあさん、肉が好きで魚は食べんけど
ぶりだけは好きじゃなあ、と
言ってたな
そう
寒くなると、ね
ぶり、なんだ

ぶり 鰤 寒ぶり
ひ、ひみ、氷見のぶり
なんて無理 コーキューヒン
ひ、ひ、氷見漁港の寒ぶり
なんてものは料理屋さんの幟になって
寒風に吹かれているんだ
二年暮らした北摂刀根山
あるいはここ丹波の山あいでは
熊本長崎大分あたりや島根だったり
海の京都舞鶴なんて文字がパックにおどる
おもに天然まれに養殖
ムシが寄生するおそれがあるから天然のほうが安いと
この三年で知った
料理する前にしげしげ見つめて孔を発見
ピンセットで引っ張り出したこともある糸のようなのツルっとうわ
まだある長いぞうわあ
それでも及ばず加熱したあとにうっすら孔
恐るおそる身を割るとああっいやぁここにもって
害はなくても、ね
ベラにボウな食欲も
きゅきゅっとちぢこむ
その痛手でしばらく手を出さないことにして
ぶり
そう天然物のはらむムシとの遭遇
ちょっと、ね

それでもそう
寒くなって
ムシも減った頃なんじゃないかなんて
なんのエビデンスもなしに
気づけば鮮魚売り場のパックをきょろきょろ
でもって
あ、あら
あれっ
ぶりあらのパックではまだ
体験してなかったよムシとの遭遇
削がれ刻まれたあらには
ムシの居場所がなかったか
分厚い切り身の血合いもたっぷりのそれは
ヤチヨ大叔母さん
たしかに肉に似てるね
ちいさいころ、魚の血合いをみて
チョコレートと言ったのよあんたは、と
親に言われた
濃ぉい、コクのずしり
にじみでる脂と甘みは
粕漬けにしても照焼きでももちろんぶりしゃぶにしても
美味しい
とは言っても
お財布の都合もあるからね
できれば、というよりまずは
あらをさがす
あ、あらっ
ぶりあら三百グラムほどのパックをさがす
けれどなかなか
あったりなかったり
ねえ
ぶりのあら、もっと!
ぶりあら、もっと!
いえいえ、おおきな魚ですから
さばく個体の数も知れてますから
それで限りがあるんだろうか
いやいや、もっと!
ぶり、あら、もっと!
目を血走らせたおんなが鮮魚売り場をはしごする

そう
あらさがし
あらにこそあらわれる
ぶりのぶりたるゆえんを
白々とどっしり太ぶとしい
大根と炊き合わせるんだ
そう
ぶり大根
大根が待っているからさ
ちょっと小声になるが
じつのところ
ぶりと対等どころか
こっちが主役かもしれない
だってさ
寒さ極まる夜は
黄柚子の皮と味噌をからめて
ふ、ふう、ふっふうふろ吹き大根でいただくほどの
大ものだもの
ましてや今や丹波の古民家暮らし
畑で穫れた太っといいっぽんを
外の水道で洗いあげてユウキがどさっ
玄関のあがり口に置いて

「ねぎもかぶも白菜も穫ってきた
 大根は土からこんなに顔を出してるよ」
と指で十センチあまりを示す
この冬二度目の雪がとけ
畑はぬかるんでいるのだ
家からは見えないけれど

はしごして走っても
もし無念にも、ぶりのあら、入手能わずんば
立派な切り身ふたつほどをいくつかに切り分け
料理酒ふって十分後に熱湯をかける
これでくさみが取れるんだな
って
いっぽうで大根の下茹でをするわけだけれど
輪切りした片面に十字の切り目を入れ
のちのちこれを下にして煮るんだね
フライパンで水没させ
ごとごと
やわらかくなあれ
ふむ
生姜を厚切りにしておくとか
レシピの白髪ねぎはまぁ省略しちゃってもだいじょうぶとか
ぜんたいがわかるまで幾たび(溜め息)
あ、あらっ
今日のあらはカマの一部が入ってて
食べられるとこ少ないな
パックの外からだとわからない
持ち重りや身の色にくわえて
それとなく手ざわりも確かめなくちゃね
バットにキッチンペーパー
その上に麗々しく
ぶり、あらっ
展げて、さ
酒、ひとふりがむずかしくて
たたらっだっだだっ
あっ
コンロに
湯だつフライパンの大根めがけ細身のフォーク
ググッかったい
まだまだだな
ぴんぽぉん
うわぁ宅配便、まだ指定の十九時前なのに、

はぁい
火を止めてボールペン
ドア三枚むこうは息の白い夜

さあそろそろ
大根を孔開きお玉で掬う
フライパンに張った湯を片手で捨てるのが難儀だから
だけではなくて
ざるに移したぶりあらに
かけるから
そう
熱湯、じゃないけどね
料亭、じゃないからね
段取りよくなどちっともならない私だけれど
みえないところでみえないくらいに少ぅしずつ
あっ あらっ
えっ あれっ
気づくのだか腑におちるのだか
マイナーチェンジってやつ、
かな
生姜をざくざくり
ここから先まだ長い
酒にみりんに砂糖に減塩醤油
高血圧臨界点のひとのためにね
レシピより気持ち砂糖を控えめ
醤油は塩分五十パーセントカットのすぐれものゆえ
そのままの量
かきまぜ煮立たせたふつふつを
ずとっずとっ
大根で埋め尽くし
分け入る体であらっ
ぶりっ
ぶりあらっ
あらを差し込み
ぶくっぶっぶくっ
湯立つ火を少し弱めて蓋を
しかるのちさらに
ぐしゃ
アルミホイルで落し蓋
あわせて三十分

気のながぁい話でんな
今食べたい食べたいて思ても
すぐ食べられしまへんがな
レンチンな時世にあわへん
腹の虫、怒りまっしゃろ

てな内なる声が
草臥れてお腹すかせたユウキの
風呂上がりの姿と重なって
いや
「お腹すいたよ。まだ?」だなんて
練れたユウキはけっして言わないのに
はじめ十分加えて十五から二十分
とあれば
急くこころが短いほうへと傾いで
あわせて三十分を二十五から二十七分へと端折り
とった蓋うらつつっと湯気アルミホイルを取りのけ
茶に染まる大根を裏がえし皮のめくれた
ぶりあらっ その大きめのひとつから
皿に置く
煮汁をかぶった大根半月クォーターカットのそれと並べ
ビターチョコレートか肉と見紛う血合いたっぷりの
あらっ ぶりの
ブリリアントなこの眺めを
ねえユウキ
ヤチヨ大叔母さんにも見せてあげたいよ

 

 

 

迷い

 

たいい りょう

 
 

深い闇の中を
あてもなく
さ迷い続ける

目を開けることも
かなわない

光と闇とが交錯する
その場所に
精霊は降り立った

どこまでもどこまでも
深い闇の中へ
さ迷い続ける

光は遠く
闇は近い

深海の奥底へ
この身を委ねた時
永い眠りから
覚めた

 

 

 

雪が降ってるよと言った

 

さとう三千魚

 
 

年の暮れの暮れの
今日

午後に

秋田の姉から
荷物が

届いた

いぶりがっこと
芭蕉菜漬と

味噌と
酒と

入ってた

夕方に姉に電話した

姉は
元気に笑って

話した

義兄は逝った

一人で雪掻きをしていると言った
今日も

雪掻きをしたと言った

三時間もしたと言った

雪が降っているよと言った
雪が降っているよと言った

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

 

村岡由梨

 
 

雪が降っている。
前に住んでいた家の小さな庭で
真っ赤なコートを着て
仰向けに横たわる、幼い私。
手を伸ばせば届きそうな暗い空。
庭の木々にも、芝生にも、わたしにも
やわらかい雪が降り積もっていく。
このまま
白く清らかなままで
全て消えてしまえばいいのにな。

無垢な猫の胸毛のように真っ白で、
豊かにやわらかく揺れる母の乳房に、
身を捩って苦しむ母の乳房に、
ニトログリセリンを貼って、顔を埋める。
母の胸の奥に、赤くてあたたかな光が見える。
ほんとうは
もっと早くこうしたかった。

もし、あなたが
明日消えてしまうのなら
欠点も何もかも のみ込んで
あなたのことが好きだった、と伝えたい。

もし、私が、明日消えてしまうのなら、
これまで出会った全ての人たちに
優しく出来なかったことを
泣いて激しく悔やむでしょう。

濃い霧に覆われて、
先の見えない道の半ばに立たされた
孤独な娘たち。
赤いフリースを着せて、
震えるあなたたちにそっと目隠しをする。
見たくなければ、見なくていいよ。
逃げたかったら、逃げればいい。
やがて眠りについたあなたたちのそばに、
色違いの羊のぬいぐるみを、そっと置く。

ある日、一羽のカラスが一直線に大きく翼を開き、
冬の寒さを切り裂くように
私の目の前を低空飛行した。

母の胸の奥の赤い光が爆発して、
母の乳房が、体が、こっぱみじんになった。
女の血と肉片で着飾った私は、
真っ白な雪の絨毯に、仰向けに寝転がる。
手足の指がかじかんで、赤くなって、
やがて黒くなって、壊死してしまった。
雪はいつしか女の遺灰となって、
静かに降り積もっていく。
女の遺灰に埋もれて、
遺灰を鼻から吸い込んで、私は
このまま全部消えて無くなればいい、
そう思った。

けれど、私はこのままでは終われない。
白く激しく燃えるような
辺りいっぺんを激しく焼き尽くすような
作品を作るまでは。

出し尽くす。焼き尽くす。
自分の命を最後の一滴まで絞りだす。
私は、ひとりの表現者として生き切りたいのだ。

なんて強がりを言っても、
今際の際、きっと私は、
夫と二人の娘たちの名前を叫ぶでしょう。
そして、私が自分勝手な生き方をして、
いつも良い妻・良いお母さん
でいられなかったことを、
激しく泣いて悔やむでしょう。

狂おしいほどの怒り、苦しみ、憎しみ、悲しみの
全てをのみ込んでもなお
あなたたちのことを愛していたことを
うまく伝えきれるでしょうか。

赤くてあたたかい光が、
私の胸の奥にもあったことも、
いつか、気付いてくれるでしょうか。

そんなことを考えながら、
小さな庭に横たわる私の体に
雪が、母の遺灰が、
音もなく降り積もっていく。

 

 

 

空は フー

 

小関千恵

 
 

 

わたしは あなたの魔法に
愛された
空は フー
濡れた空の道

その皮膚を擦り歩き
演奏した 生業のように
それぞれのビジョンを隠した
合奏は 自然のように

空は フー
その道から
土は降ってくる

枯れた花を握りしめて
この夢を咲かせられるかと
絶望への愛が

尸を
雪に濡らす

空は フー

 

 

 

苦しい日々に、思いだしながら年末

 

ヒヨコブタ

 
 

この世が終わると信じていた時がある。
世紀末が叫ばれ声高なそれらが不安定なじぶんと
何も自信を持てなかった時期に重なっていた。
叱られることになれていた。
なれすぎてわたしはわたしを信じていなかった。
未来というものがよくなる、よくするという気持ちが消え失せていたのだ。
相反するように微かな自信を指先に灯して。

その年何も起こらずに正月はやってきたし、コンピューターの異変も起こらなかった。
普段通りに皆生きていたのだ。
ノストラダムスを恨むような、安堵するような複雑なこころもちでいた。

魔が差すということがある。
何度もそちらを選ぼうとしたことがある。
けれども悔しかった。なぜそんなことに振り回されるのだと微かな生きていたい気持ちが勝っていた。

それらはまったく紙一重だ。
巣くった悪魔のような毒はわたしを脅かしていたのに
この先の人生をすべて諦めることを馬鹿馬鹿しいと思いながら、生きていた。

今ならそれがよくわかる。
別れ道にいたのだと。
何かとても大きな幸福でなくていい。
今日を生きていられる僅かな、何かを皆が持っていられれば
明日になる。明日が迎えられる。
また何かが食べたい、またあの人に会いたい。
これを遺して逝ってはいけない。
宝物はじぶんのなかにいつも僅かに持っていられさえすれば、明日は闇ではないと。

ことばのちからだけは幼いときから信じてきた。
まだ読みたい。できれば書きたい。読んでもらえるかもしれない。突き動かされてきた。

すべてに絶望しても、ことばがありそこに明日を見ていたい。
別れ行くひとに絶望し続けないこと。
いつか逝く道を今勝手に決めてしまわないこと。
憑き物はかならずおちる。
傍にいるひとや物を信じること。
それは信仰のようなものでなくていい。
じぶんのなかに核があること。
揺れ動くじぶんの強さを信じること。
諦めたくないと泣きながら思うこと。

無力かもしれなくても明日がうつくしければみてみたい。
無限ではない明日に悲しみがあったとしても
わたしは生きて生きて明日を見る。
諦めが悪く、意地っ張りでよかったのだ。
欠点は、いつも裏返しだったのだ。

大事なひとの明日とじぶんの明日を重ねれば
きっと大丈夫が続いていく。
だから少しの勇気でわたしはあるいていく。
ことばのポケットに手を突っ込んで。
ぐいぐい風をきっていく。
決めたのだ。
着地点は必ずあると。
悲しみと苦しみを見続けないこと。
そう決めてこの冬もわたしは確かに、いる。

 

 

 

昼は朝を覚えていないが朝は夜を覚えている

 

工藤冬里

 

昼は朝を覚えていないが
朝は夜を覚えている

https://youtu.be/WULnMK4QX5A/
人のせいにするなとかはよく言われるけど、カントは物のせいにしちゃったんだよね
ヘーゲルはそれで安心してちゃいけないってんで安心できないように宙吊りにした
ジジェクはそれを居直りのピンク映画に仕立てた
〽︎信じていた俺が悪い
いけないことをしたような
裏切りの花が咲いていた
孫弁証法


初詣籤の代わりにオミクロン

漏れる器から割る器に移行しました
割向付

komariirimame@_YukioHakaga歳月を要しましたね.

_YukioHakaga@ komariirimame土手っ腹に穴を開けたのは三輪和彦、罅入っちゃったでもいいやはピーターヴォーコス、割って貼り付けたのは寺尾恍示ですが、概念としての「割る器」にまで進んだのは人類史上初だと思います。それは世界からプチブル的なものが失われたことと軸を一にしており、偽の宇宙旅行より遥かに重要な一歩です。

komariirimame@_YukioHakaga自暴磁器?
_YukioHakaga@ komariirimame割り寂びですよ

キュレーターのくせに死のうとしか言わず528発声はする耳だらけの動物
その後にオブジェとしての巨大な包丁が建立され毎日研がれているようで鳥が当たると真っ二つになる

山は勿体ない
掘れば中に住めるのに

手土産に持って行ったあの碗はどうなったのだろうか。糸井さんはわざわざ家の外に出て待ってくれていた。辞した後すぐに礼状が届いて「明日からこの器と生きるんだ」とあった。社交の真髄を見た気がした。

弛緩した周波数
腰が痛むのに空を睨む

スケボー園児の世話を離れて尾形に入ったら焼そばもあるよと耳打ちされ諒とする。それを知って騒ぐ隣の客に味見するかと水を向けると喜ぶが
夢にはオチがないのでネタバレもない
覚めよ覚めよおおエボラ
西安でマノアが目の当たりにしたのは
反原発シュトーレン合
ギャグは人生の役に立ってますか
寝転び乍らそんなこと言わないでよ
北原謙二の元歌「さよなら さよなら さようなら(作詞:星野哲郎 1962 )」はプロの作詞家の仕事だったが、平和勝次が完全に変えた「宗右衛門町ブルース」は星野には書けない識字教室のにおいがする。
https://youtu.be/gvmmG307y8c/
https://youtu.be/17r1mb4gumc/
星野の名誉のために付け加えればかれの作品で好きなのは韻を踏んだ「長崎の夜はむらさき」である。他の都市で試してみたがどこもうまくいかなかった。
https://youtu.be/jjmfRAlkpTQ/

人間は縦横を組み合わせたがるがそれはあまりにも人間的だ。基本的には上下しかない。横はさまざまだからだ。

民営化後も含めて役所仕事がのらりくらりしているのはあれは外資に対する精一杯の日本的抵抗なのだと思うと情趣がある。
人は配給を待つ間の行列の中で国家の善意の部分について自問自答する。
国家と私は共に敗北したということなのか?国家を哀れむ愛国心というものもあるのか?
artfolk @_YukioHakagaサッチャー以前の英国にも衰退する国家への愛惜と開き直りみたいな感情があったように思いますが、それと同じことでしょうか。
もちろんその後にやってきたのはサッチャーだったわけですが。
_YukioHakaga@ artfolkそうした機微はブレディみかこ「ワイルドサイドをほっつき歩け」で活写されていましたが、二重三重に屈折していて厄介です。
artfolk @_YukioHakaga年末年始の読書ガイドありがとうございます。
ハンガリーから移住したジョージ・ミケシュの本が念頭にあったのですが、ブレディみかこも移住者ですから半世紀違いのよそ者から見た英国という点で大変興味があります。

ビスケットは浸されるために堅くなければならない

具体的であることはなぜ大切か
住める洞窟はあるだろうか

https://youtu.be/4se3RUiVEHE/

手を失って苦悩する鉄雄

双方向一括り
怖れの上にケーキを組んだ
全ての答えを知っていなければならないというわけではないということを確かめなさい
変わる理由が違う

 

 

 

#poetry #rock musician