breakfast 朝食

 

昨日の
朝食はなに

だったか

ごはんと
しじみの味噌汁と

納豆と
ハタハタの干物と

漬物と

だったの
かな

今朝もハタハタの干物を食べた

冬の朝
子供の頃はいつもハタハタだった

朝は
ハタハタだった

ハタハタみたいなコトバが食べたいな

 

 

 

共喰い

 

爽生ハム

 

均一なお祭りに参加し
青年のように神輿を担ぐ
ひとつずつ性欲を剥がすようにして
これは男だ
これは性としては男よりだと
いざ立ちあがる
作句と風流に
はみだしそうな感想をつめこむ

地団駄踏んでいた
性を超えた存在への
肥やしをひた隠しにしていた
自分の性別
いかに男を存在させるか
いかに女を装うか

厚い化粧のしたに
おはようからおやすみまでの
性欲が縦横無尽に待機している

口を開けば
好きだ嫌いだの判定がくだる
口は半開きで灰色の
どっちつかずを許している

女であるという体を
男であるという体がねじ込む
凸凹に閉じ込めた
人の液と液を交換する行為は
普通に愛でれる

液状から産まれる命が
常識としての赤ン坊でも構わないが
それが人間を殺すという感情でもいいし
人間を褒め称えるという感情でもいい
ともかく
交換によりお互いの未来が描かれつつある
そのダイアグラムに
存在意義を感じる

原型も元通りに戻らなくてもいい
交換を終えて
からのお互いは強気な動物として
交尾に神秘性をのせていたい

この液から人間が産まれるんだ
この液は汚物であり
比較的には正義であると
好きに子供を産んで好きに未来を生きる動物の性に感銘を授けたい

男の子でも女の子でも
嬉しいように
産まれたからには
両性に立ち返る人間を見てみたい

そして死ぬまでの間に
男と女をひとりの人間に詰め込むんだ
結果として
私達は性を行き来していた
その結果が感情の揺れとして
人間を揺さぶっていたんだと

 

 

 

九月の歌

 

佐々木 眞

 

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1939年1月15日、前頭4枚目の安藝の海に敗れて連勝記録を69で止められた横綱双葉山だったが、翌年5月場所では見事全勝優勝を果たし、安藝の海には、その後一度も負けなかった。

リベンジ、リベンジ、リベンジするぞ。
リベンジ、リベンジ、リベンジしたぞ。
人世は、いくつになってもやり直すことができる。

水原茂の監督就任によって巨人を追い出された三原脩は、西鉄ライオンズを率いて、1956年から日本シリーズで水原巨人に3連勝。さらに1960年には、大洋ホエールズの監督として、水原巨人を押さえてセリーグ優勝を果たした。

リベンジ、リベンジ、リベンジするぞ。
リベンジ、リベンジ、リベンジしたぞ。
人世は、いくつになってもやり直すことができる。

1971年、ジョー・フレジャーに敗れたモハメド・アリは、その3年後、フレージャーに代わってチャンピオンになっていたジョージ・フォアマンをKOして、ヘビー級の王座に返り咲いた。

リベンジ、リベンジ、リベンジするぞ。
リベンジ、リベンジ、リベンジしたぞ。
人世は、いくつになってもやり直すことができる。

1983年、かの吉田秀和翁から「罅の入った骨董品」と酷評された世界的ピアニスト、ウラジミール・ホロヴィッツは、その3年後に再び日本を訪れ、翁を「あっ!」と驚かせる見事な演奏を聴かせた。

リベンジ、リベンジ、リベンジするぞ。
リベンジ、リベンジ、リベンジしたぞ。
人世は、いくつになってもやり直すことができる。

1988年から90年代にかけて、子供服I.N.EXPRESSと浮沈をともにしたデザイナー、池田ノブオが、いつのまにやら新しい婦人服ブランドを立ち上げ、2015年初夏の昼下がり、奇妙な帽子をかぶってテレビ通販番組に出演してる!

リベンジ、リベンジ、リベンジするぞ。
リベンジ、リベンジ、リベンジしたぞ。
人世は、いくつになってもやり直すことができる。

 

 

 

水の頂

 

萩原健次郎

 

 

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東はどちらですかと尋ねられた。

山に近い方角が東で、遠くに見える山並みが北
山並みがさらに遠くに見えるのが西です。

南は、明るいですか、暗いですかと逆に聴き返した。
私は、どのみち降りる人であり、方角はどうでもよかった。

川面が先に細くなっている方が下で、とつぶやきかけて
勾配の上方を眺めたら、川面の上方が細くなっていた。
橋の上にいると、川の頂に立っているというわけだ。
とすると、なにげなく川面をぷらぷらしている
鳥たちも、水の頂にいるのかなあ
などと考えた。
そんなことはないか。とも。

南の方角は、山並みがなく抜けている。
寂しく抜けているという感じではなく、かといって
なにかののぞみの示唆でもなく
ただ、いつも白々としている。

あるいは、雨が来るときなどは
黒々と、白々と斑になった雲が、こちら側に迫ってくる。

景物とは、これだけで満ちている。
少なくとも、私には、満ちている。
それなのに、季節ごとに花を咲かせる木々たちの気まぐれは
なぐさみのようで、むしろ寂しい。

色彩を捨てる日が来ることを
形象もまた、ただ靄となることを
そして、水の頂に、なにもなくなってしまうことを
いつも想像している。

 

 

 

afraid 畏れて

 

雨は
ふって

いたろ

西の山は霞んで
いたろ

休日に
障子は閉めて

ラ・モンテ・ヤングのあと
説教節を聴いて

いたろ

おんどうぼうや
おんどうぎょうや

なんまいだぶなんまいだ

無数の声がした

世界から聴いた
無数の

事実の世界だった

 

 

 

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きのう
雨のあいまに

海にいった

モコを連れていった

磯ヒヨドリが
鳴いてた

ものすごいスピードで飛んでいた

戯れでなく
なにを奪い合っているのか

磯ヒヨドリたちが鳴いて
飛んでた

雨のあいまに
モコを連れていった

押し出して行った
暗い海をみた

 

 

 

布団蒸し

 

爽生ハム

 

 

ひとつやふたつじゃ
足りない仮病の布団は
ふたりが寝る布団。
ふたりが寝る布団。
来客がほしい
ひとつやふたつじゃ
後世に残らない、接触の果てにドレスを着た女。女が歩いた浜辺を、狙う男。男の背中に新しい子がいる。背骨に噛みつく新しい子
、肩甲骨を隠れ場所にしたみたい。

布団の下にはいつもの別れ。が
天才漫画家の筆で
ぼりぼり彫られている
ぼりぼり皮膚が解ける音は、
決して正解の音じゃない。消した子の数だけ擦れる。こすれる、痛いに決まっている。

 

 

 

窓、犬山の

 

薦田 愛

 

 

乗り込むと間もなく
チョコレート色のバスは動きはじめる
ふりかえって母と顔を見あわせる
博物館明治村というんだね
前に一度来ているのに憶えてなかったよ
岐阜だと思い込んでいたけれど
ここは愛知
犬山城へ寄らずにまっすぐ来る人は珍しいのかな

うねうねと坂はのび
白壁にバルコニーや瓦葺き木造の民家
煉瓦や石でできた洋館のあいまを縫って
あれは三重県庁舎、そして金沢監獄
その隣のこれは、なに?
車内アナウンスが追いつかない
ああ
ここで降りよう

十一月薄曇りの空のもと
午後の空気はひんやり
池の奥には帝国ホテル、
写真で見たことがあると母
一部といってもおおきい
日比谷からここまで運んできたんだね
細工の施されたタイルや煉瓦や石が組みあわされ
込み入った造り
声がするほうを見あげると
中二階でパーティーの様子
現在進行形で使ってるんだね
話しかけたらいない母を探すと
団体さんの向こうでデジカメ態勢
撮りたいものばかりなのは私も同じだけど
あまり長居はできないよ
今日のメインはここじゃない

何しろ教会が三つ
誰もカメラを咎めない
挙式の希望にも応えてくれるらしいけど
それはいつか必要が生じたら思い出すことにしよう
ステンドグラスもある
そして一年少し前
長崎の伊王島で
海に臨む馬込教会に行ったあと
島にもうひとつ教会があるとわかったものの
離れすぎていて辿り着けなかった
大明寺教会
正確には大明寺聖パウロ教会堂が
明治の初めに建てられた姿で
保存されているというのだから
急がなくては

銀行に写真館、芝居小屋に銭湯
ガラス工場に変電所、派出所に兵舎
幸田露伴や森鴎外、夏目漱石の住まいまで
近代史に文学史が混じる
そりゃあ博物館だもの
小学校に旧制高校そして師範学校
鼻の奥があつい

だってだってさ
明治村のことを知ったのは
高校のころ
明治の終わりにできた
女学校時代の建物もまだ使っていた
通称ベルサイユの旧校舎は火気厳禁
冬は手袋のまま学校新聞の記事を書いたり
ギロチン窓と呼ぶ上げ下げ窓が軋んだり
不自由極まりない旧校舎を
壊すというのだった私たちの目の前で
どうにか止められないのかと心は逸るのに
何ひとつしないままその日を迎えた
むざんむざんな
そのころ
明治村にでも保存できればねと
言ったのは教師のひとりだったか
明治村、というものが日本のどこかにあって
旧い建物を保存しているらしいと
たとえば旧校舎がそこに運ばれていくことを想像する
だったらだったらさ
上げ下げ窓の火気厳禁のそれが
目の前から失われてもいいと思えた
想像でしかなかった
運んでいくほどのものではないと
それでも当時、建築史だろうか専門家が来て
ひととおり調べたのだとあとから聞いた
それだけのものではあっても
それだけのものだったのか
だからだからさ
知りたくてならなかった
明治村にはどんな建物があるのか
保存するほどの建物って
どんなものなのか

そして三つの教会
京都にあった二つ
聖ザビエル天主堂と聖ヨハネ教会堂
そして長崎の大明寺聖パウロ教会堂
駆け足でまわってもまわりきれない村内の
北に二つ、南端の高台にひとつ
母はどれも見たいと言う
駆け足でまわろう
行けるところまで

紅葉の見ごろをやや過ぎ
赤はへりからちりちりと縮んで
ライトアップは今日明日まで
日没のあとも見ていられるけれど
きれいに撮るのは難しくなるかな
電池を換えなきゃと母はいそがしい
空へ伸びる聖ザビエル天主堂の内がわ
ほの暗いなかへ注ぎこまれる
すきとおった赤、青、黄、縦長のつづれ
そしておおきな円い
薔薇窓をこぼれる光の帯びる音
信仰のない母も私も
分け隔てなく染めてゆく誰かれの声
ほおっと溜め息で溶かしながら
母じしんと私じしんに返る
さあ大明寺教会堂へ
見えているのに近づかない道を選び直し
案内板を二度見直すふしぎ
どう眺めても教会ではないのだった
なにと言うなら学校の講堂や大きな田舎家
どうかするとお寺の本堂のような
ありきたりののどかさへ踏み入る、と
こうもり天井に祭壇
紛うことのない祈りの場
咎める人はいないのでシャッターをきる
余分なもののない清潔
表に出ると日脚は短い
急ごう

聖ヨハネ教会堂に通じる坂は幾度も折り返す
道の端には灯し
ライトアップに照らし出された外壁は
本当の色がわからない
階上にしつらえられてある
祈りの場はモノトーンに暮れて
壁いちめんは窓それが
ステンドグラスかどうか
判別できない暗さ
礼拝の時刻の様子を思い浮かべることはできないけれど
おごそかさを胸の底まで吸い込む
よそ行きではない習わしを
私としての誰かれが行なう
気配をたぐり寄せ
見あげる
ありはしない旧校舎の
上げ下げ窓
見あげる