BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)

 

今井義行

 

 

太陽は見ていた───わたしは 夢の夢の夢で
こおりやの縁に腰をかけ練乳のしるをぽたぽたと垂らしていた
とてもまばゆい その日には
喪服の似合うおんなが露地をとおりすぎていって
喪服のしたには 赤ん坊をはぐくむ
しろい乳首が とがっているだろうとおもった

(だれの火葬があったのかしら)

わたしは52歳になりました いてもたってもいられない精液はすずらん
姿見のない部屋には手鏡を買って帰った

「帰省しなくていい あたしの
しごとは もうおわっているの」

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)
わたしのかあちゃんはわたしのあかちゃん

のぞいた手鏡のなかに・・・・・・こづくえをひらいて
あさぬのに いのりの品目のさらだ
を ならべた ひじきは黑い
のぞいた手鏡のなかに 亀戸天神のおふだ

亀戸天神さま 亀戸天神さま 亀戸天神さま
のぞいた手鏡のなかに、おれだけのはまぐり

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)
わたしのかあちゃんはわたしのあかちゃん

何もしらない赤ちゃん 東京発の東海道線
透きとおるようなすなはま はだしになってはしりたくて
そうおもったら もうはだしでした

波に打ちあげられた貝殻ひろい BE MY BABY
ほねやかわなどすくいあげては BE MY BABY

わたしのかあちゃんは わたしのあかちゃん
こころおきなく わたしにだかれてほしいのだ
よだれたらしてほしいのだ じゃあじゃあー
ないてほしいのだ 初めて会ったわたしの頬へ

破れてしまった睾丸のような狂おしい太陽は
見ていた───わたし の

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)
BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)

亀戸天神さま 亀戸天神さま 亀戸天神さま
のぞいた手鏡のなかに、おれだけのはまぐり

シャララララ シャララララ・・・・・・
うみかぜにそってあるいていたとき
波に打ちあげられた濃いあおのおんなの肩ひもは、ことだま

 

 

 

たたたんたんた

 

辻 和人

 

 

「私、なんとなくですが、結婚式を挙げるなら神社がいいかなあ。
従弟が神社で式を挙げて、ああ、いいなあ、と。
派手なのは嫌なので、家族と親戚だけの式で…。
神前式で良ければ試しに何か所か行ってみませんか?」

どうですか、神前式の結婚式?
うーん、うーん
いやー、いやー
とゆーか、とゆーか
昔から「式」と名がつくものは全般的に苦手なんだよね
袴履いたりタキシード着たり
うわ、想像するだけで震えが走る

でもでも
こういうのも通り抜けなきゃいけない関門の一つだろう
彼女が望むことは何でもやろうとぼくは決めていたし
今までの人生で避けに避けてきた
うーん、うーん
いやー、いやー
とゆーか、とゆーか、に
向き合う時が遂に来た
そう考えてみよう

で、はい、今御茶の水駅です
10月の風が涼しく光る神田川を渡って
ミヤコさんの従弟さんが結婚式を挙げたという神田明神へ
ほほーっ、いい感じじゃない
ちょっと中華風(?)な真っ赤な社殿に、でっかいお茶目な大黒様の石像
ん、あの斬新なデザインの緑のお守りは?
はぁ? 「IT情報安全守護」
アキバが近いしねえ
歴史は古いししっかりした伝統を感じさせるけれど
素直な商売っ気が茶目っ気も生んでる
「気取りのない雰囲気がいいね。」
「従弟の結婚式の時、いい感じだなって思っていたんですよ。」

お昼をはさみ午後は飯田橋に移動して、東京大神宮を見学
社殿は落ち着いた色調で全体に荘重な感じ
花を植えた鉢と木の椅子が並べてあって
きれいな公園のよう
参拝してふと横を見ると
女性参拝者の多いこと多いこと
どうも東京大神宮は縁結びの神社として有名らしい
売店では縁結びのお守りがいっぱい
吊るされている絵馬は恋愛成就祈願がいっぱい
静かな境内は、実は熱気でいっぱい
「人気のある神社ですね。」
「落ち着いた雰囲気の中に活気があって、なかなかいいですね。」

翌週はまず信濃町の明治記念館へ
駅からテクテク歩いていると敷地がいかに広大かよくわかる
到着したら豪華なウェディングドレスの展示が目に飛び込んできて
会館はブライダルの見学や相談でごった返している
何組ものカップルと一緒にしばし待機
ようやく名前を呼ばれて係の人に案内してもらう
儀式の場所、披露宴の間、それに庭園
庭園はホントすごい
広いし手入れが行き届いているし、親族一同の記念撮影には最高だろう
でも
「賑やかすぎて落ち着かないかなあ。」
「そうですね。私たちはもっとこじんまりとやりたいですね。」

いよいよ最後、赤坂の日枝神社
ここはビルの谷間に位置していて
境内に辿り着くまでにながーい階段を昇らなくてはいけない
おや、途中からエスカレーターがついている
昇って昇って
ほい、いい眺め
昇りきった広い場所が神社の敷地で、何と宝物殿なんかもある
神門の横には奉納された酒樽がぎっしり
境内も広い
おりゃ、あれは
涎かけをかけたお猿さん夫婦の像
涎かけを真っ赤なマントのようにお洒落に着こなして
すっごく偉そう
偉そうで、そして、かわいい
荘重な雰囲気の中に癒しの要素
良く考えてるなあ
「祭神がお猿さんとはユニークだね。」
「そうですね。でも格式がある感じもしました。」

神社って今までお正月くらいしか来たことなかったけど
(子供の頃、自分勝手な願かけのためにのみ行っていた伊勢原の八幡様を除く)
じっくり見学してみるとどこも個性的で面白い
まさに「ぼくの知らなかった世界」
それにしてもミヤコさん、熱心だった
よく調べているし、よく見てるよな
ブライダルの係の人にも細かい質問してメモ取って
きりっきりりっ、仕事してる顔
勤務先でもきっとこうなんだろう
こういう姿も
「ぼくの知らなかった世界」だ

「ところで、今まで周った中で、和人さんはどこが良かったですか?」
「そうですねえ。
みんな良かったけど、やっぱり神田明神かな。
うまく言えないですけど、伝統あるけど庶民的っていう感じが、ね。」
「そうですよね。私たちには一番合っている感じがしました。
広さはぴったりだし、交通の便もいいですし。
長い石段なんかないから高齢の方でも安心して歩けると思います。
私たち、やっぱり感覚が似てるんですかね。」
ありゃま?
そんなトコまでチェックしてなかった
見ているポイントが違う気がするんですけど
でも結果オーライ
「そうだねえ、同じ神奈川出身だからかな。」
何となく調子を合わせてみました(笑)
ミヤコさん、上機嫌
「それじゃ明日にでも仮予約取っちゃいましょう。」

帰りにもう一回神田明神に寄ってみた
夕闇の中、ライトに照らし出された社殿は
三角形の屋根が赤く映えて美しい
賽銭箱に百円玉を投げて「無事に良い式ができますように」
同じタイミングで顔をあげて
ミヤコさんとにっこり
おや、どこからか
チープなお囃子の音がする
たたたんたんた、たたたんたんた、ひゅーぅ
お金を入れると動く、獅子舞おみくじかぁ
昔、こういうの大っ嫌いだったんだが
「和人さん、面白いですよ、獅子舞の動きうまく真似てますよ。」
2人組の女の子は獅子が運んできたおみくじ見て大喜び
うーん、うーん
いやー、いやー
とゆーか、とゆーか
で避けてきた「ぼくの知らなかった世界」が
どんどん近くなってくる
それどころか、どーっと押し寄せてくることだろう
大丈夫、受けて立ちますぞ
たたたんたんた、たたたんたんた、ひゅーぅ
うん、うん、うん!

 

 

 

nod うなずく

 

今朝
電車の中で

叫ぶ
赤ちゃんを見た

母に抱っこされ
ああ

ああ あああ あああ あああ
と叫んでいた

リズムがあり
前後にあたまを

振っていた

新幹線の中では
ブラームスを聴いていた

あたまは振らなかったが
うなずいていた

ブラームスに

 

 

 

愛知

 

爽生ハム

 

19の時に飲んだビールも苦いまま、今日も未だ、
眺めてる動画
夏バテのバテなんて、死には及ばない。

津波のYoutube動画、四角の中の世界
を見て。
泣きに入る。
四角の外の世界、の黒みに
距離というより、陥没を埋める作業をする
脳内と網膜で、これ裸動画の処理と同じ

落ちた、落ちた、落選した大半の人が、受け入れた自分は
理想を失った自分を見て、まだ落ち続ける
あの人は憑依しきれてない。だってその人を愛してないから
興味がないのを、
あからさまに音楽にしないで。
笑ける音楽は嫌い、PC落とせ

どう、ここにいるみたい?
体温の下がりと興奮で頭に血が上りきってますか?
でもね、こういうの、2分で消沈
その風情を知っている。型として憂鬱である。
こういうの、非力な憑依が最もあざとい
感情は使わないと減る。
ネットにはインタビューされている人が吸収した言葉
そして、隣人が書いた言葉
ひきこもりの外国人が書いた言葉
誰も介在しないで
その人のみで語られた言葉に
今の流行の気持ちをはりつける。
俯瞰した言葉に映像をつけて見せてやりたい。
その言葉に見合ったビジュアルの甘さをわからせたい。
感情を使ったかどうか、わからない人へ
失敗を望むことで、諦めを早める人へ
今、台本になったら、気合いで過去との距離を詰める。
こういうのって、陥没を埋めるって言うんじゃなかったっけ
私の思い込み…
特異な人を求めていた。
声が大きくて、喉がいい人を求めていた。
その場に居ないことを喜ぶ人を求めていた。
ここに居ないから、声があさっての方向から

扇風機に指切りしたら、ほんまに夏が終わる
また、舟で帰りたいからWi-Fiだけが繋がる。
出逢いの引力に屈する
出逢った瞬間から失敗なら、そりゃ楽だわ。
指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます
指きった。縁切れた。
切断面の丸みで打つ文字は、どんな健常者の言葉よりも
純度が高いんだろな。

舟になりたいからWi-Fiを繋ぐ。

 

 

 

ちゃったちゃったちゃったで八月十五日に詩を書いちゃった

 

鈴木志郎康

 

 

日本語で
詩を
書いちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

日本語っていうことを
自覚しなかったなあ、
ずっと ずっと
詩を書けば、
母語の
日本語ってことで
自覚してこなかったんですね。

この2週間
麻理は
スイカが大好きって、
セブンイレブンで
丸ごと一個
ごろごろ買ってきちゃってね。
毎日、スイカを
食べちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

ここんところ
朝日新聞じゃ、
連日の戦後70年の
特集記事を
読んじゃった。
じゃった じゃった じゃった。

現代詩手帖も、
八月号は
特集「戦後70年、痛みのアーカイヴ いまを生きるために」
と来ましたね。
詩もエッセイも
全部読みましたよ。
その中の「一九四五年詩集」の、
高村光太郎の詩の
「一億の號泣」は
強烈だったですね。
「綸言一たび出でて一億號泣す
昭和二十年八月十五日正午」で始まって、
「玉音の低きとどろきに五体うたる
五体わななきとどめあへず」と受け止めてちゃってる。
すごい。
「五体わななき」ですよ。
そして
「鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのづから強からんとす
真と美の至らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの號泣を母胎として其の形相を孕まん」で終わっちゃってる。
ちゃってるね。
二日後の8月17日の朝日新聞に掲載されたんですね。
鋼鉄の武器から
精神の武器への
素早い転換には、
びっくりです。
びっくり くり くり。

「綸言一たび出でて一億號泣す
昭和二十年八月十五日正午」
それから一年後に
「日本国憲法が誕生し、
大元帥だった昭和天皇は
軍服から一転、
背広姿の
象徴天皇に変わった」(注)
変わっちゃったんですよ。
天皇は現人神じゃなくなちゃった。
ちゃった ちゃった。
国民の象徴になちゃって、
国民は神国日本の臣民じゃなくなちゃった。
ちゃった ちゃった。
その背広姿の天皇の言葉に、
「五体わななきとどめあへず」
なんてことはわたしにはないっすね。
いやいや、あなたの、
そばに来られて話しかけられたら、
どうしますか。
わかんないっすよ。
勲章をくれるって言ったらどうしますか。
わたしゃ
断るね。
やっぱり、
そういう国家的序列っていうのが、
嫌なんですね。
嫌なんですね。

だって、
日本国憲法じゃ、
すべて国民は、個人として尊重され、
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重」されるってことで、
自由と平等が保証されてんですよ。
俺って、
戦後育ち、
子どもの時から、
自由、自由って、
親にも、先生にも
反抗して、
民主主義が実現された世の中で、
80歳になっちゃったわたしゃ、
80年も生きてきちゃったんですね。
なんとかお金を稼いで、
詩を書いて、
映画を作って、
生きてきちゃっんですよ。
ちゃったんですよ。
ちゃったんですよ。
ちゃった ちゃった ちゃった。

昨日も、
麻理と
スイカを
食べちゃった。
ちゃった。
種が多かったけど、
甘かったね。
そしたら麻理は
近くの
セブンイレブンに、
電池を買いに行ったついでに、
スイカを丸ごと
また買ってきちゃった。
また買ってきちゃった。
1個880円は安いからって、
また一個買ってきちゃった。
もう、8個目ですよ。

そんな夏の日に、
ちゃったちゃったで、
わたしは
日本語で、
詩を
書いちゃった。
書いちゃった。

自覚しないで
日本語で
詩を書いちゃった。
ヤバいっすよ。

七十年経った今年、
二〇一五年の
八月十五日の
1日前に、
内閣総理大臣安倍晋三が、
「戦後70年首相談話」ってのを
発表しちゃった。
ちゃった ちゃった。
テレビの前で、
スイカを食べながら
聞いてたんだけど、
先ずは、
中学生向け歴史教科書みたいだなあ、
と思っていたら、
出てきましたよ。
積極的平和主義とかなんとか、
旗を高く掲げようって、
積極的ってなんじゃい。
じゃい じゃい。
よその国に
自衛隊を送り込もうってことか。
よその国に
自衛隊を送り込もうってことか。
武器を持った人間を
送り込むのはやめてくれ。
そのよその国に
70年以前には、
日本人は武器を持って入って行って、
そのよその国の、
朝鮮半島の
人々の母語を奪った日本語だったんですね。
女の人たちを陵辱したって言われてる。
中国大陸の
人々を苦しめた日本語だったんですね。
東南アジアの国々にも、
ずかずかと入っていった。
日本人は、
と言ってもお父さんやお兄ちゃんなんだけども、
日本語の至上の命令に、
自分を押し殺して、
もう、訳が分からなくなっちゃったんでしょうね。
日本語はおそろしいものなっちゃってた。
なちゃってた。
今では、
その日本語を、
よその国の若い人たちが
学んでいるっていう。

日本語は学ぶのが難しいっていう。
麻理は病気になる前には、
そのよその国の若い人たちに、
日本語を教えていたんですよ。
わたしが詩を書いっている日本語を、
麻理は教えていたんですね。
それなのに、
わたしゃ
自分の書く詩と、
そのよその国の若者たちが
重ならかったんですね。
彼らが
わたしの詩を
読むかもしれない。
そう思うと、
わっー、
なんか、かあーっと、
来ちゃうね。
想像力がない
バカ詩人って、
麻理によく言われるけど、
あはは、
ほんと、
バカ詩人だったですね。
バカ詩人
バカ詩人
日本語は難しい、
現代詩は難しい。

八月十五日を過ぎて、
もう一週間経って、
五体不調ですが、
あんまり力を入れないで、
優しい気持ちで
わたしなりに
力を込めて、
日本語で
詩を書いちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

この夏、
丸ごと
八個目の
スイカ。
台所で、
包丁の刃を入れると、
パリッと二つに割れた。
半分をラップして
冷蔵庫に入れる。
残りの半分を
二つに切って、
その四分の一をラップして
冷蔵庫に入れる。
その残りの四分の一を
また二つに切って、
その八分の一をラップして
冷蔵庫に入れる。
そして残った、
丸ごとの
八分の一を四つに切って、
麻理と
食べちゃった、
食べちゃった。
ちゃった ちゃった ちゃった。

 

 

(注)朝日新聞2015年8月21日夕刊
「この人をたどって 戦後70年10」

 

 

 

notice 気がつく

 

こだまは
熱海を

過ぎた
ブラームスの

6つのピアノ曲の

第2曲を
くりかえし

聴いてる

休みのあいだに
戦争の映像をみた

わたしと
同じ

ヒトビトが
死んだ

世間のために
無意味に死んだ

たくさん
たくさん

たくさん

死んでいった
たくさん

 

 

 

八月の歌

 

佐々木 眞

 

 

いやさか、いやさか
葉月になれば、
ものみなすべてが、帰ってくる。
みんな、みんな、帰ってくる。

朝から高らかに鳴き誇るのは、クマゼミ、ミンミン、アブラゼミ
負けじと声を合わせるのは、ニイニイ、ヒグラシ、ツクツクボウシ
みんな、みんな、帰ってきたんだ。
去年のやつらが、帰ってきたんだ。

滑川には毎度お馴染みのカモのカップルに加えて、
大亀のドン太と息子のドン太郎、
久しぶりに青鷺のザミュエルも姿を見せて
みんな、みんな、ブルームーンを見上げています。

いやさか、いやさか
葉月になれば、
ものみなすべてが、帰ってくる。
みんな、みんな、帰ってくる。

八月二日の夜七時
三つの連続台風で由比ヶ浜に流された、と諦めていたら
オオウナギのウナジロウが、帰ってきたんだ。
懐かしい故郷の川に、帰ってきたんだ。

「おいウナジロウ、小町の鰻獲り名人の爺さんの手から逃れて、よく戻ってきたな」
と声を掛けると、
天然ウナギのウナジロウは、夜の滑川でくねくね、くねくね泳ぎながら、
いつものように軽やかにジャンプしてみせたんだ。

いやさか、いやさか
葉月になれば、
ものみなすべてが、帰ってくる。
みんな、みんな、帰ってくる。

もうすぐお盆
耕君の弟の健ちゃんも、
久しぶりにおうちに、帰ってくるでしょう。
亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんも、
手に手をとって、帰ってくることでしょう。

いやさか、いやさか
葉月になれば、
ものみなすべてが、帰ってくる。
みんな、みんな、帰ってくる。