『花の歌』を弾く花へ

 

村岡由梨

 
 

気が付けば、いつも下を向いて歩いている。
顔を上げれば、雲一つない青空が広がっているのに。
際限なく続くアスファルトの道。
そこに、めり込むように歩いている。
この世界で、苦しまずに生きる方法は無いんだろうか。

花が、ピアノでランゲの『花の歌』を弾いているのが聴こえる。
胸が詰まる。
私は死ぬまでに、あといくつの作品を残せるだろうか。

冬の夜に、窓を開け放つ花。
「夜って、いい匂いがするね。」
彼女はもう、世界の美しさを知っている。
一方で、世界を怖がる花もいる。
「世界はゼリーで、自分はその中の異物みたい。」

ある時ふと、自分が尊敬する人や好きな人たちは
皆、夭折していることに気が付いた。
34歳。45歳。45歳。46歳。
今、私が死んだとして
彼らのように美しい死体になり得るのだろうか。
世界の本当の怖さをまだ知らない、
15歳と13歳の娘たちを遺したまま。

20時過ぎ、世田谷代田の陸橋にぼんやり佇んで
スマホで『花の歌』を聴く私がいた。
行き交う車の音が何度も遮るのに抗って
大粒の涙を流しながら、とぼとぼと歩き出す。
自分が帰るべき場所へ向かって。

 

 

 

It has been raining on and off since noon.
正午から雨が降ったりやんだりしている。 *

 

さとう三千魚

 
 

when going out
afternoon

there was an explosion

there was a loud noise
black smoke was rising from the highway

is it a traffic accident
there was a siren sound

neighbors
go out

they were looking up at the black smoke

evening
when I go home

moco got up from the sofa

I let moco pee in the garden

night
with the woman

we ate chicken thighs with bones and ice cream
we drank wine

it was Eve

It has been raining on and off since noon *

 
 

出かける時
午後

爆発音がした

ボォーンと
大きな音がした

高速道路から黒煙が上がっていた

交通事故か
サイレンの音がした

近所の人たちが
外に出て

黒煙を見上げていた

夕方
帰ると

モコがソファーから起きてきた

オシッコを
庭でさせた


女と

骨付き鶏もも肉と
アイスクリームを食べた

ワインを飲んだ

イヴ
だった

正午から雨が降ったりやんだりしている *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

二〇二〇

 

工藤冬里

 
 

現実がスペクタクルを超えていくのできみは映画を観ている暇がない
監督になろうとしてエフェクトをかけ、目を潰す
主役になろうとしてレジの釣り銭を誤魔化す
レッドカーペットを歩く筈が国際テロ組織認定される
蒼いマスクの女の子たちをカメラは追え動くな死ね蘇れ
薊を捧げるアビガエル
溺れるノアと書く株価
立ち飲みレジスタンス無惨
帝国軍は釣り銭集計改竄に手を染める
歌合戦マイスタージンガーZ
都市の背て何?レジに立つレジスタンス
レッツダンス

 

 

 

#poetry #rock musician

Leave your desk as it is.
机をそのままにしておいてください。 *

 

さとう三千魚

 
 

the other day
thursday and

sunday
at night

with Mr. Yotsumoto
I talked

I talked to Mr. Yotsumoto on zoom

Mr. Yotsumoto
he said he was back from Germany

he put something in Germany
he came back to Japan

he said he was able to meet his dad

he said he had a meal with his dad

put your clothes in your bag

fold it up
put it in your bag

go home and meet your dad

Leave your desk as it is *

 
 

この前の
木曜と

日曜日の
夜に

四元さんと
お話しした

zoomで四元さんとお話しした

四元さんは
ドイツから帰ってきたのだという

ドイツになにかを置いて
日本に

帰ってきたのだろう

お父さんと
会えたという

食事を
一緒にしたという

服を鞄にしまう

畳んで
鞄にしまう

帰って父と会う

机をそのままにしておいてください *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

この日常とこの分断

 

工藤冬里

 
 

荒廃したみどりを住まいにしているみなさん

対象

方法
動機
が重要で
特に
動機
が重要で
それは
普段
天網恢恢のこの日常から
推し量られます
この日常です

さてこの日常は
分断とどのような関係にありますか

理論的には
時間が無いなら分断も幻です

でもこの分断です

クーデターはありません
空白00でもこの分断です

いばらとあざみの日常で
燃える剣を背後にして
このうすぐもりの荒地で
この分断を焼きなさい

 

 

 

#poetry #rock musician

Assassin

 

工藤冬里

 
 

一番離れて
傾いたまま
右翼がとうとう
雲の晴れ間の
月のように
冬至Assassin
怒れる男達は今は非常にソフトである
一方
井出に棲んでいる飛べない語彙鷺は左翼を失っている
渡りをしないと
僕らはどうなる
✖️一〇
たいへんなことが起きる
一番離れて
傾いたまま

 

 

 

#poetry #rock musician

It’s now or never.
今しかないよ。 *

 

さとう三千魚

 
 

the day before yesterday
I was reading Hodai Yamazaki

it was “green perilla flower”

standing

Hodai
was there

I saw the red flowers of my mother-in-law camellia

what was i waiting for
what did i not wait for

collect the winter light
the red camellia flowers were in bloom

It’s now or never *

 
 

一昨日だったか
山崎方代を読んでた

青じその花
だった

たたずむ

方代が
いた

義母の椿の紅い花を見てた

なにを待っていたのか
なにを待たなかったのか

冬の日を
集めて

椿の紅い花が咲いてた

今しかないよ *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

奴隷

 

工藤冬里

 
 

傅くこととか言って死んだ
字のきれいな奴隷
黄金町の川沿いで
八級
七級
六級
五級
四級
三級
二級
一級
初段
二段
三段
四段
五段
六段
七段
八段
九段
免許皆伝
その日に約三千人が加わった

弁当に燕が
茗荷のように

フード被って撒き足して去る

今日が地球上で最後の日

 

 

 

#poetry #rock musician

新しい年の終わりに

 

村岡由梨

 
 

あなたは今、幸せですか。不幸せですか。
って聞かれたら、何て答える?
私にはわからなくて、
何もわからなくて、不安で仕方がないから
曖昧な言葉ではぐらかさないで
まっすぐ私の目を見て答えてほしい。

ある晴れた寒い日に
工事現場から少し離れた道端で、
交通誘導員のおじいさんが
所在無さげに何度も腕を組みかえながら、
寒さから身を守るようにして縮こまっていた。
一方私の手元のスマホでは、
SNSのタイムラインに
美味しいもの、楽しいことがあふれていた。
キラキラ キラキラ
自分はこの人より、幸せか不幸せか。
比べてしまう。疲れてしまう。
世界中の争いや諍いが収束して、
飢えた子供たちや、迫害されて苦しむ人たちが
少しでも減って欲しい。
そう強く願いはするけれど、
一方で、キラキラした自分のタイムラインなんか、
真っ黒に塗りつぶしてやりたい、とも思ってしまう。
幸せで満たされた他人が、さらに幸せになることを望めない、
醜悪な自分がいる。
私には夫がいて、娘たちもいて、3匹の猫もいる。
仕事があって、住むところもある。
食べることにも困らない。
それなのに、なぜ
これ以上、何を望んでいるのか。

心療内科のクリニックがあるビルのエントランスに
小さなクリスマスツリーが飾ってあるのを見て、
軽い頭痛のような、絶望のようなものを感じてしまう。
思わず叫びたくなる。
夜20時過ぎ、仕事からの帰り道で、
民家が電球でデコレーションしてあるのを見て、
深い哀しみに沈んでしまう。
近くのコンビニの店員がサンタの帽子をかぶって働いているのを見ると、
何か良くないものを見てしまったような後ろめたさで、
足早に店を去ってしまう。
あんなにクリスマスが大好きだったのに、
子供の頃に感じたような、
体の中から溢れ出る高鳴りで目が潤む幸福感。もう手が届かない。
あの頃に戻りたいけれど、
私はもう、年をとりすぎた。

 

野々歩さんが右手の小指を骨折したので、
一緒にお風呂に入って、頭と体を洗ってあげる。
ある時、野々歩さんが鼻血を出して、
次から次へ、血が流れた。止まらない。
「ゆりっぺの白い背中に、俺の血がたれたら、すごくいいコントラストになるね」
私の背中に、野々歩さんの鮮血がポタポタと滴り落ちている。
決して私自身の肉眼で見られない光景が、
愛する人の鮮血で自分の体が染まる悦びの光景が、
そこにはあった。

私の財布には「お守り」がしまってあって、
どうしても苦しい時、取り出して眺める。
幼かった眠が、私にくれたメッセージだ。

「まま おたんじょうび おめでとう
ふるつけえき が すきなんだね
まま わ きれいなんだね
おりょり が うまいんだね
たたむのも うまいいんだね
かわいい おじょうさま なんだね
ねむより」

ねむ と はな は まま の たからもの
まま は しあわせだね
せかいで いちばん しあわせ だね
でも なんで なみだが とまらないんだろう
しあわせだから かな

 

あなたは今、幸せですか。不幸せですか。
って聞かれたら、何て答える?
花にそう聞いたら、
「幸せだよ」
と、はっきり答えた。
そう言ってくれる人が、そばにいてくれて、本当に良かったと思う。
花は、「夜の空は紫色」だという。
花の見た空は、花にしか描けない。
紫色だけでなく、黒や群青色の絵の具を用意して、
白いキャンバスに挑む花は、
自由なんだろう。幸せなんだろう。
幸せとは、無限に広がる自由なんだろう。

あと少しで、2020年が終わる。
もう少しで、新しい年の始まりだ。

 

 

 

ALMOST YELLOW
~ディレクターズ・カット長尺改訂版「雲古蘊蓄譚」

 

佐々木 眞

 
 

序詞

「彼らもお前たちと一緒に、自分の糞尿を飲み食いするようになるのだ。」*

 

その1 ウンチを耐える

 
宇治拾遺物語の第七十六段に「仮名暦誂えたる事」という短いコラムがある。

そこには3日連続で「雲古すべからず」と書き込まれた偽カレンダーを信じた生女房が、
「左右の手して、尻をかかへて、いかにせん、いかにせん、と、よぢりすじりするほどに、物も覚えず、してありけるとか。」
なぞと書かれている。

団鬼六のロマンポルノではないけれど、我慢に我慢した挙句に、とうとう、してしまったんだあ。可哀想に。

 

その2 ウンチを見る

 
むかしむかし、京の北白川にあった重度の障害児(者)施設で、黄色い風呂を見たことがある。
黄色と映ったものは利用者が排泄した雲古で、それは冷めた風呂水と上から下まで完全に混ざり合って、微動だにせず午前10時の太陽を浮かべていた。

そのとき私は、福祉の仕事というのは、このウンチがいっぱい浮かんだ風呂に飛び込んで、障害者の体を洗ってあげることなんだ、と思ったものだ。

 

その3 ウンチを踏む

 
私はうっかりしていて、(恐らく石ころの上にとまっている小型の茶色いチョウがテングチョウかヒメアカタテハかを確認しようとしていて)、道端のウンチを、ムギュっと踏んだことがある。

運動靴がズヌっとぬめって、明後日の方角にずれてしまって、相当不気味だった。
義姉のエイコさんは、蛇を何回か踏んだことがある、そうだ(今度会ったら確かめてみよう)。

私はまだ蛇を踏んだことはないが、あの明後日の方角にズヌっとぬめっていく感じは、限りなくそれに近いのではないかと、密かに考えている次第である。

ウンチを踏んだズックは、洗っても、洗っても、臭かった。

 

その4 ウンチを掴む

 
むかしむかしのそのむかし、丹波の綾部の上野の丘に小学校があって、僕は放課後に当番の同級生と便所掃除をしなければならなかった。

便所は汚れている時と、そうでない時があったが、汚れている時には、おおかたデブデブのオオツキマサト君が、率先してキレイにしてくれるので、僕らは、ほとんど何もする必要がなかった。

するとある日、突然そのことに気づいたように、オオツキマサト君が
「お前らあ、いっつも、いっつも、ずるいやないか。わいらあ、今日はなんもせえへんさかい、お前らあで、しっかりやらんかいな」
と怒鳴って、ぷいと校庭に出ていった。

オオツキマサト君が去ったあと、便器の傍には、プリプリの巨大なウンチが、ぐんにゃりと横たわっていて、微かに湯気が立ち上っていた。ついさっき誰かがやらかした出来たてのホヤホヤ、ちゅうやっちゃ。

アカオ君やキタハラ君やカワギタ君と一緒に、僕はしばらくその黄色いプリプリの巨大なウンチを眺めていたが、いつまでたっても誰も手を出さないので、これはもう僕がやるしかないと思って、恐る恐るその臭い立つ巨大なやつに両手を伸ばして、ぐウンとつかんだ。

えいやっと、つかみとって持ち上げたら、そいつは結構重くて生温かで、
「これはいったい、どこのどいつが垂れたんやろう」
と、不思議な気がした。

その日、僕はこの世の「実在」という奴に、初めて触れたのだった。

 

その5 ウンチの友

 
それからおよそ半世紀の歳月が流れた。と思いねえ。

私は今ではそんじょそこらの三等リーマンになりおおせていて、ある日大阪支店に出張して取引先の営業マンに会って名刺を交換したら、すっかり「難波のアキンド」になった、でも昔と同じようにでぶでぶの、オオツキマサト君だった。

私は彼の顔を見た瞬間、黄色いウンチのことを思い出し、2人だけの密かな西田哲学的な体験!?について語り合いたいと思ったのだが、彼はそんな私の胸中をいささかも忖度することなく、破顔一笑うれしそうに叫んだ。

「おやまあ、綾部のてらこのマコちゃんやないか! これはこれは、粗末に扱う訳にはいきまへんな。あんじょう勉強させてもらいまっせ!」

 

その6 ウンコが出なければ、人間ではない。

 
伊太利中部のウンバリア地方を、日本有数のインテリゲンちゃんと旅しているのだが、氏が時々鋭い警句を吐くので、ひとときも油断はできない。

小さな駅で降りて、縦板に水の彼の講釈を聞いているうちに、突如腹具合が悪くなってきたので、トイレを探して、あちこち駆けずり廻る破目に陥る。

道々いろんな人に、「トイレはどこじゃ? トイレはどこじゃ?」と尋ねるのだが、なんせ周りは伊太利人ばかりだから、さっぱり要領を得ない。

あちこちを右往左往しているうちに、どんどん時間が経つ。
今回のは団体の海外旅行だから、もしも集合時間に遅れたら、みんな先に行ってしまうのではなかろうかと思うと、ますます焦る。

ぐるぐる経めぐっているうちに、いつの間にやら、元の場所に戻ってしまったようだ。
仕方なく目の前の坂道を見たら、その先に木造の小屋が建っている。

もしや、と思って駆けつけると、そこには細長い長方形の個室が3つ並んでいた。
勇んで真ん中の白いドアを開けると、赤茶色の布袋さんとも道祖神ともつかない石像が2つ聳えていたので、私はカメラを縦形にして写真を撮ったんだ。

それから、悪臭紛々たる細穴から突き出た2体の布袋さん、もしくは道祖神の上に跨って、やっこらせと尻を下ろすと、それが伊太利式の古式豊かな便器だった。

ところが、「やれやれこれでやっと用が足せるぜ」と喜んだのもつかの間、いきんでも、いきんでも、出るべきものが出ない。形而下は実存だが、形而上は虚妄なり。よってウンコが出なければ、人間ではない。

私は、なおもいきみながら、さきほど、いみじくもかのインテリゲンちゃんが吐いた「実存は恐らく本質に先行するだろう」てふ言葉を、しみじみと思い出していた。

 

その7 世界中にウンチを垂れる

 
伊太利の後で、巴里を訪ねた初日に生牡蠣を喰らったら、案の定下痢をしちまった。
ホテルの近くにオルセー美術館があったので、せっかくだからと印象派の名品をちょっと眺めているうちにも、激しく催してくる。

急いでホテルに駆け戻ったが、そのままトイレから出られなくなってしまい、結局どこも見物できずに、そのまま帰国したのよ。

それでも懲りずに、今度はおらっちNYのグランド・セントラルステーションのオイスターバーで生牡蠣を食うたら、またしても腹を下したので、傍のグランド・ハイアット・ニューヨークのトイレでしゃがんでいた。ホテルの客でなくても利用できる或る種の公衆便所だ。

するとどこか別の扉を開いて見知らぬ黒人と白人が入って来て、しゃがんでいるおらっちの周りでペチャクチャ喋りまくるので、おらっち下痢も出来ない。

仕方なくそこから逃げ出したときに、ドアの釘に掛けていたダブルのトレンチコートを忘れてしまったので、急いで取りに戻ったのだが、男たちはもちろん、コートの影も姿もなかった。

 

その8 ウンコ哲学

 
毎日トイレで便器に跨るたびに、私は遠い親戚の言葉を思い浮かべる。

「人間はトイレに入る時には生まれたままの姿で、本音も建前もない。これこそ人間の真の姿である」

「大事なのは、ウンコを垂れるあの気持ちだ。堅からず、柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな」

この「ウンコ哲学」を唱えたのが、ほかならぬ私の伯祖父、上口作次郎(1892-1970)である。

彼は明治25年に谷中に生まれ、小学卆業後、宮内省御用の大谷洋服店に弟子入りし、大正末期に「超流行上口中等洋服店」を開店した。

最高級オーダーメイドスーツでしこたま儲けた金で、江戸時代の大名時計や長谷川利行の作品を収集したり、東京の土を捏ねて陶器を焼いたり、ぐるぐる廻る茶室「眩暈庵」や樹上の茶室「巣寝る庵」を作ったり、「雲谷斎愚朗」と称して、いつも裸で過ごしたこの破天荒の野人を、私は好きである。**

 

その9 ウンチが転がる

 
ある日のこと、私は新装なったコースカ・ベイサイド・ストアーズの「爬虫類倶楽部」で、
じっと動かぬ動物を見つけた。
名高いイグアナを、私は生まれて初めて、この目で見たのだ。

そいつは、ひび割れた白と茶と薄緑色の表皮で全身を包み、まるでサーカスの綱渡りのように細い木の上に危うく乗っかりながら、手足と長い尻尾をダラリと垂れ、いつまで経っても微動だにしない。

矯めつ眇めつその爬虫類を前後左右から眺めているうちに、私はなにやら畏敬の念に打たれ、思わず「泰然自若」という古めかしい熟語が脳内で浮かんだ。

やれコロナだ、マスクだ、などと下らない騒ぎに一喜一憂する己にひきかえ、全長1メートル足らずの、意外にも植物しか食べないその爬虫類は、なんと悠々たる人世を消長していることだろう。

突如、イグアナの左の目が開いた。死んだように眠っていたはずのイグアナの目が。
私は驚いてケージの裏側に走り寄って右目を見たが、それは閉じられたままである。
イグアナときたら、丹下左膳の真似をしていたのである。

とそのとき、私はジーンズの中で、なにか小さな物がコロコロと転げ落ちるのに気づいた。
ジーンズの右足の裾のところでかろうじて停止したそいつを、私がしゃがんでつまみ上げると、小さな茶色い石だった。

「なんだこの石は?」と訝しく思いながら、そいつを近くで見ると、微かにあの懐かしい臭いがした。

 

その10 ウンチとキリスト

 
西暦2020年7月29日、コロナ漬の梅雨の朝、
久しぶりにおばあちゃんチの換気をしようと、滑川沿いの小道を急いでいた私の下半身を、ある種の不穏が襲った。

どこが不穏なのか即答できないが、ともかく嫌な感じが走ったのだ。

急いで玄関まで駆け付け、厠に鎮座ましますTOTOの便座にとうとう跨った時は、すでに遅かった。私はパンツの中に、ひと固まりのビチビチウンコを発見したのだ。

やったあ、やったあ、嫌だなあ、年甲斐も無い久々のビチビチウンコだあ!
私が若い頃はよく下痢をしたが、その時は必ずお腹が下る予感がしてからウンチが出たものだ。

しかるに今朝のは予感は漠然とした不安感であって、まるで具体性がなかった。
つまり一言の挨拶も断りもなしにそいつは出ていたのだ。

私は昭和天皇と同様、文学的のことはよく分からないが、思うに私の下半身の括約筋が活躍せず、いつのまにか随意筋が不随意筋にとって代わられていたのだろう。

イエス・キリストいわく。
「口に入るものはみな、腹に入り、外に出されることが分からないのか」。***

されど構想75年、実践1秒。いつの間にか私は、人体の9つの穴から出る物も愛せるようになっていたのである。

 

終曲

 
大とこの糞ひりおはすかれの哉  蕪村****

ホカホカのウンチを入れたマッチ箱振り回しつつ学校へ行く 蝶人

トイレまであと一歩というところでパンツにぶちまけられたビチビチウンコ 蝶人

 
 

* 旧約聖書「イザヤ書36センナケブリの攻撃」第12節(聖書協会共同訳聖書)
** 片山和男編・「闘う茶碗~野人・上口愚朗ものがたり」
*** 「マタイによる福音書第15章第17節」(聖書協会共同訳聖書)
****「蕪村句集」(新潮日本古典集成 与謝蕪村集」)