I felt like crying at the news.
私はその知らせを聞いて泣きたくなった。 *

 

さとう三千魚

 
 

that child
those children

Hachiro Tako

Mr. Shibayama
Mr. Kuri

my sister

woman
women

grandmother
mother
father
brother

mother-in-law

Mr. Kurusu
Mr. Nakamura
Mr. Neishi

Mr. Shiroyasu

Arai-kun
Mr. Kuwahara

over there
here

everyone
how are you

this morning
I was staring at the sea

I felt like crying at the new *

 
 

あの子
あの子たち

たこ八郎さん

柴山さん
栗さん

姉さん


女たち

祖母


義母さん

来栖さん
中村さん
根石さん

志郎康さん

荒井くん
桑原さん

そちらや
こちらで

みなさん
元気ですか

今朝
わたし海を見ていました

私はその知らせを聞いて泣きたくなった *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Untitled, 2020

 

小関千恵

 
 

夜に、
融合を遂げたチョウチンアンコウのムニエルを食べさせる

たわみに合わせて、うなづく

肌よりも、こぼれるものが触れていく
微かに結ばれている道の上で
血の流れにしっかりと掴まっている

月も、花も、見ないで
立ち漕ぎをした
丸い 夜の形を真っ二つにして
そうだ お金があればよかったよね
お父さん

白痴に向かい
行方不明になる影

光が、
一面におちてくる

月の内部は 母胎だったんだ

帰っていくね
いつか必ず、普通に死ぬから

束縛せず
孤独のまま 依存し合った
隣に居あわせながら 互いの地上で
星々と話し合った

夜が鳴いている

わたしは
夜の鳴き真似をする

10年

とうめいなおとになりたくて
住み続けた西窓の部屋がいまとても豊かだ

根を裸にして光と熱を見つめる

切り落とした水に
果たされなかった光が乱反射を起こしている

その光に、ただ揺られている

 

 

 

 

 

羅紗緬プラごみ焼却子

 

工藤冬里

 
 

環境は二の次だ
それを第一義にしてポシャったのが善意を吸い上げた一〇年代の悪霊の花傘の総括ではなかったか
絞られているのは国家の一点のみである
マグマの坦々緬は汁無し特赤の一点張でゴアの胸は安っぽく光る青い羅紗である
化学的事故や疫病を神にした報いで多国籍軍は繋ぎとしての沈下を予告される
希望だ
私は安全に住むpslm16:9が
七〇人訳では希望を持って生きるact2:26に変わっているが
それがどうした
似たようなものだ
おでんの味は煮ている時ではなく冷める時に染み込むのだ

 

 

 

#poetry #rock musician

I didn’t take part in the conversation.
私はその会話に加わらなかった。 *

 

さとう三千魚

 
 

sometimes
at midnight

I open a photo book taken by that person

a few
I have

open the photo book of the smallest paperback

that person dead
that person

he left a picture of the people in Asakusa

there
my

grandmother

mother
father and an older brother

my sister and my distant aunt
country acquaintances

is

they are there
the people I have thrown away

at that place

they are talking about their hometown and old talk

I didn’t take part in the conversation *

 
 

たまに
夜中に

そのヒトの写真集をひらく

いくつか
持っているが

一番
小さな

文庫の写真集をひらく **

そのヒトは死んだが
そのヒトは

浅草にいる人たちの写真を残してくれた

そこには
わたしの

祖母や

母や
父や兄や

姉や遠い叔母や
田舎の知り合いたちが

いる

そこにいる
わたしが捨ててきたヒトたちだ

そこで

彼らは
故郷のことや

旧い世間話をしている

私はその会話に加わらなかった *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

** 鬼海弘雄「世間のひと」ちくま文庫 のこと

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

鬼滅の刃

 

工藤冬里

 
 

肩幅のないちぐはぐの後、役者みたいな
奥まって霞んだ目なのでメンタルに影響出た
奥まった緑青の
芒化した枯泡立草の原の向こう
託された最後の一葉の前景を曇らせ
難破する視線
左右に轟音行き交う冬の草刈りの不自然
ホラーの監督は皆馬鹿だ
算盤を覗くと暗黒
偽の情報が左から出て窓を塞いでしまった
どうすれば逃れられるかシンプルに考えよう
出口は全て非常口
こんな顔でいいんだろうか
ある分野に関してはよく知っている
それにしてももう飼ってはいけない
死ぬから

今は近くにしかない
自分が時間
空地が時間
自分は他者に対する回路を適用した概念の反映
人を愛するように自分を愛するように人を愛する
時間は人類が使うためにある
脳はニューロン同士を繋ぐシナプスに残された過去の痕跡の集まり
未来の痕跡が存在しないのは過去のエントロピーが低いから

egg on 唆す
ぴったりのタイミングで
貰った
緊張
小声で
震えながら
消え失せる
繰り返し読む
力が低エントロピーの果てから
逆流する
コロナは治っても肺炎が残って
力の無さの中で
自殺したデリダ
アルツの介護でパニックを発症した
いろんな人と発症した
声をかけて
希望を持って生きる
内から時間が湧き上がる
誰が設計したかは
冷める過程で染み込む
地上の事柄ではなく

 

 

 

#poetry #rock musician

メイド・イン・ジャパンの底知れない凄さだよ

 

駿河昌樹

 
 

高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉が
不可能とわかったのは
ごたごたした2020年でも
日本の息の根への最高のトドメのような気がする

液体ナトリウムで冷却する構造の「もんじゅ」は
放射能を帯びた
この冷却剤を抜き取る設計になっていないと
わかってしまったのだ

液体ナトリウムは空気に触れれば発火する
水に触れれば化学反応して爆発する
この液体ナトリウムを抜き取らないことには
その後の廃炉作業は全く進められない

最初から廃炉を一切予定に入れずに
設計し完成させたというのだから
お見事この上ない日本文化というしかない
メイド・イン・ジャパンの底知れない凄さだよ

 

 

 

ムーンショット*

 

駿河昌樹

 
 

一見
病気のお話のように見せかけてある
新型コロナによって
どんなものが準備されつつあるか

あまりにわかっていない人が多すぎて
驚いてしまう
内閣府が臆面もなく
完全なSF未来を謳っていることの
とほうもない恐ろしさを
わかっていない人が多すぎる

内閣府が書いている
謳い文句を
そのまま読んでみよう

 

ムーンショット*
2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
ターゲット
誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター基盤
2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
注:サイバネティック・アバターは、身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張するICT技術やロボット技術を含む概念。Society 5.0時代のサイバー・フィジカル空間で自由自在に活躍するものを目指している。
サイバネティック・アバター生活
2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。
2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。
関連するエリアとビジョン
Area :「急進的イノベーションで少子高齢化時代を切り拓く」
Vision :「「誰もが夢を追求できる社会」の実現」、「「100歳まで健康不安なく、人生を楽しめる社会」の実現」
目標設定の背景
少子高齢化の進展により、今後、我が国では生産年齢人口が減少するが、これは同様の人口動態をたどる先進国やアジア周辺国においても共通の課題となっており、日本は課題先進国としてこの問題の解決に取り組むべきである。
さらに、人生100年時代において、様々な背景や価値観を持ったあらゆる年齢の人々が多様なライフスタイルを追求できる持続可能な社会(Society 5.0)の実現が求められている。
様々な背景や価値観を持つ人々によるライフスタイルに応じた社会参画を実現するために、身体的能力、時間や距離といった制約を、身体的能力、認知能力及び知覚能力を技術的に強化することによって解決する。
ムーンショットが目指す社会
人の能力拡張により、若者から高齢者までを含む様々な年齢や背景、価値観を持つ人々が多様なライフスタイルを追求できる社会を実現する。
サイバネティック・アバターの活用によってネットワークを介した国際的なコラボレーションを可能にするためのプラットフォームを開発し、様々な企業、組織及び個人が参加した新しいビジネスを実現する。
空間と時間の制約を超えて、企業と労働者をつなぐ新しい産業を創出する。
プラットフォームで収集された生活データに基づく新しい知識集約型産業やそれをベースとした新興企業を創出する。
人の能力拡張技術とAIロボット技術の調和の取れた活用により、通信遅延等にも対応できる様々なサービス(宇宙空間での作業等)が創出される。」

 

……いかがでしたか?
どれほど人間をわかっていない馬鹿が
チープなSFを企てているか
これだけでもよくわかるというもの

「様々な背景や価値観を持ったあらゆる年齢の人々」といった
表現を多用しているが
「様々な背景や価値観を持った」人びとが本当に集まった場合
価値観は「様々」であり得ようもないところに
まったく思考が向かっていない
恐ろしく幼い未来設計者

 

* https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html

 

 

 

It is five years to a day since I came here.
私がここへ来てからちょうど5年です。 *

 

さとう三千魚

 
 

yesterday
was it yesterday

the postcard arrived

“it would be delicious if both sides were roasted and split by hand to make a liquor knob”

so
it was written

she wants to roast my name and eat

I laughed

she seems to have known my name before
she seems to have met Hodai’s poetry for the first time

when I was in middle school
I was reading a poetry book she compiled

I was reading with graffiti on the light blue cover

it’s morning

also
it’s morning

the west mountains are under the gray sky
there is no moon in the sky

It is five years to a day since I came here *

 
 

昨日
かな

昨日なのかな

葉書が
届いた

“両面を焙って 手で割きながら 酒の肴にしたら おいしいだろうな”

そう
書いてあった

わたしの名前を焙って食べたいという

嗤って
しまった

わたしの名前は以前から知っていたという
方代の短歌とはじめて会ったという

中学の頃
わたし

その人の編んだ詩の本を読んでいた

水色の表紙に落書きして
読んでいた

朝になった

また
朝になった

西の山は灰色の空の下にいる
空に月はいない

私がここへ来てからちょうど5年です *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

冬の旅

 

工藤冬里

 
 

猫は真剣に聞いているように見える
避難する人たち

深夜、城から城、コンビニからコンビニ
暖を取る時は激辛の化調の液体
エジプトからエジプト、

イタリアでは移動が禁じられた
この町には異様な歯軋りの男とゲーム中異様な笑い声を発する男が居るので深夜喫茶は使えなかった

京都に移住してはいけない
あそこはもうじき草叢になる

城から城、コンビニからコンビニ、
化調から化調、エジプトからエジプト、

 

 

 

#poetry #rock musician

口紅

 

みわ はるか

 
 

三十歳を目前に、わたしは口紅を一つゴミ箱に捨てた。誰もが知るブランドメーカーのもので少し幼さが残る淡いピンク色。まだ半分以上使える状態で残っていた。それは大学時代の友人が三年前のわたしの誕生日に贈ってくれたもの。その友人は律儀で毎年プレゼントを渡してくれる。尋ねたことはないけれどそれはなぜか必ず有名化粧品メーカーの口紅だった。まだ開けていない封の上から覗くと一年ごとに異なる色のようだ。毎日使っていてももったいなくて中々消費できずにいた。もう三本程の頂き物のそれが化粧ポーチの中を陣取っている。ただ、たくさんあったから処分しようと思ったのではない。数ヵ月前から頭の中でぐるぐると考えていた結果、自分に対するけじめとして捨てたのだ。

小学生時代、教室には木でできた机と椅子がきれいに同じ間隔で人数分並べられていた。
特に入学したての小学一年生の時には机にも椅子にも自分の名前が平仮名で大きく書かれていた。自分の存在するべき場所がきちんと用意されていた。当然のようにそこに座り、何回かの席替えを経験してもその場所がなくなることはなかった。みんな当たり前のようにそれを使っていたし、座高が合わなくなったりねじが壊れてしまった時には先生にその窮状を訴えれば無条件で交換してくれた。それは中学生の時もほぼ同じで相変わらず自分のポジションが必ず教室の中にはあって、それが普通だと思い込んでいた。教室という組織の中で自分が存在する小さな小さな城に毎日君臨していたのだ。それは音楽室や美術室、家庭科室等といった移動教室でも同じだった。大きな机に椅子がそれぞれ四脚ずつだっただろうか、班ごとに座る。なんとなく一人一人の定位置ができていて、インフルエンザのように長期間休む人が出ても必ず同じ位置が空席になっていた。体育の授業でも似たような感覚になる。机や椅子という物理的なものはないにせよ、背の順、あいうえお順、男女別々の順、その時々によって体操座りしたり前ならえの格好をしたり。そこには規則正しい配列があって自分の整列する位置があった。それは運動場だろうが体育館だろうがプールサイドだろうが同じことが言えた。十五歳までの学生生活には無条件にわたしを迎い入れてくれるる器がそこにはあった。そういう安心感みたいな感情があったのと同時に、どこか窮屈なそこにいなければいけないという切迫感のようなものも感じていたような気がする。

少し状況が変わったのは高校生になったころだ。わたしの入学した高校は同じ学区内では校風が最も自由と言われていた所だった。当時としては珍しく授業以外での携帯電話の使用は自由に認められていたし、冬に着るカーディガンの色も特段指定はなかった。教室の席は決まっていたものの、能力別で割り振られた特別授業や土曜日に希望者だけが受講するセミナーはどこに座っても何も言われなかった。その瞬間、私の中で初めての感情が生まれた。後ろから見られる目線が気になるなら一番後ろに座ればいい、眼鏡を忘れた日には前列中央を選べばいい、暑い夏は涼しい風が心地よく入ってくる窓際にしよう。どこに座ったって何も言われない、干渉されない。それがとても心地よかった。

大学生になるとそれはますます加速した。
まず個人の席という概念がない。一年生の時には全学部共通科目があり大きな講堂で何十人、授業によっては何百人という規模で講義があった。遅刻してこっそり空いている席に座っても、こっくり居眠りしていても、なんとなくさぼってしまっても誰も何も言わなかった。学年が進んで専門科目が始まった。さすがに人数は少人数制になりはしたがそこでも自分の席というものは存在しなかった。卒業という目的を達成するには授業に出て単位を取る必要はあったが、そこに出席するかしないかは自分自身に託された。単位が取れたなと確信したつまらない授業には顔を出さなくなった。その分、芝生の上でぼーっとしたり目的もなく街をさまよったりする時間に当てていた。当時その特定な場所がないということをこの上なく素晴らしいものだとわたしは疑いもしていなかったと思う。

そしてわたしは晴れて社会人となった。自分のデスクこそあったがぼーっとしていたらあっという間になくなるような幻のデスクだった。自分から学ぶ姿勢をもって能動的にならなければなかった。あっという間に後輩が入ってきてせかされた。毎日毎日一生懸命走り続けた。朝職場に行って自分の席があることに心からほっとした。消えてなくなっているのではないかとたびたび冷や汗をぬぐった。右も左も分からない入職したてのころの方がよかったとさえ感じてしまう時が増えた。平気で八段の跳び箱を跳んでいた怖いもの知らずの昔の自分のように。そんな時わたしの姿をたたえ褒めてくれた上司がいた、わたしを見ていると自分も頑張ろうと思うよと伝えてくれた同期がいた、先輩がいてくれて心強いですとこっそり教えてくれた後輩がいた。何物でもない何かに怯えていた自分が急に馬鹿馬鹿しくなった。居場所は真摯に物事に向き合っていればきちんと用意されるものなんだろうなと。どうもがいても上手くいかなくて幻の机が消えてしまってもそれはそれでいいじゃないか、その時またそこから可能性を掘り出していけばいいじゃないかと。

気持ちよく朝を迎えられるようになった。
ドキドキしていた鼓動はゆっくりと規則正しく聞こえてくる。まだまだゴールが何なのかいまいち分からない人生がこれからも確実に続いていく。毎年一つずつ年を重ねながら長い長い道のりが。今まで色んな居場所を見て様々な感情を抱いてきたけれど、これからは自分の納得できる居場所を探し続けていこうと思う。自分を進化させながらその時々にあった居場所を。

淡いピンクの口紅を捨てた日、新しい口紅の包装を丁寧に破った。クルクルとケースの下側を左手で回す。そっと顔を出したそれは少しくすんだちょっぴりラメの入った美しい赤色だった。デパコスで背筋のいいきれいなお姉さんがつけているような色合い。自分には恐れ多くて一生手に取ることのない物だとずっと思っていた。いつもより鏡に顔を近づけてそっとそれの先を唇に走らせた。なりたい大人に少しだけ近づけた気がした。