歩道橋

 

道 ケージ

 
 

オマエ 橋なのか
近いのに遠ざけるって
橋なのか
遠ざかって近づけるって

安楽に高く
恥ずかしく低い
蛇の抜け殻のペンキは剥がれて
青いくせに青くない

なぜ薄汚れた
有り難がられず
恥ずかしげもなく跨る
「渡りなさい」

義務走る小学生が
一目散に上っていく
「遠回りじゃないよ」

 

足 上げた朝
お腹空かして 出アフリカ
殺し合いは御免と海に出た
足だけで生きなさい

十万年
つま先を繰り出す
そこしかないと
倒れ込む

昔から
渡してきた
継ぎ足し継ぎ足し
オマエの足先は
その末端にすぎぬ

海跨って
かけるかける
のぼるのぼる
夜空

口曲がったオヤジの
オヤジが(炭鉱でしこたま儲けて)
建てたとさ

 

 

 

不在童子 Ⅰ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

立春だ おまえらしく 
笑える詩を書いたらいいじゃないか
天国のKが ささやく
ふ〜ん 「笑門来福」かね
幼少期の曲がり角で
笑いながら 服を着替えて
一瞬 襟を正して 
すぐさま それはさておき
僕に来る 音楽の夢をみている
オーボエとかバソンとか
木管がいいな
去年は老いたホリガーの 
恥じらう笑顔に触れた  *
でも 笑える詩は むずかしいよ

散乱ということばは 美しい
積み上げられ 崩れおちて
悲鳴をあげているような
本と本のあいだには
記憶喪失の思い出が
栞のようにはさまっている
失われて 失われていないような 
ナウマン象の牙に 擦り込まれた
恩寵なのだろう 眠ったように生きている
僕に来る 未来のことを

小庭に梅の古木がある
二月になれば白梅がほころび
満開のころともなれば うっすらと
香りたなびき ここにも ゆめうつつ
また来ては去る メジロやキセキレイ
花のあいだに 不在童子が座っている
毎年この季節になると 梅の木に
ちょこなんと座っている
どこにもいないくせに  

あいつは誰だ

 

* ハインツ・ホリガー(1939〜 オーボエ奏者・作曲家) 椌椌偏愛の音楽家です。

 

 

 

その天辺で男が歌っている *

 

墓参してきた

けさ

義母の
墓に

線香をあげた
手をあわせた

きょう
きみのお誕生日だね

きみの幸を

祈った

詩を書くために
君たちから

離れた
かもしれない

いま海を見てきた

海は

空を映して
青く

平らだった

ヒトは何万年もまえから
海をみてたろう

このまえ駿河さんの詩を読んだ

宇宙はまったく待ってなどいない **
という詩だった

そう
宇宙はまったく待ってなどいない **

だけど

海をみてると

この海も
この男も

宇宙だと思う

宇宙は待ってなどいないよ
だけどこの胸の中にあるよ

その天辺で男が歌っている *
その天辺で男が歌っている *

その歌をきみに伝えたい

ここがほんとうのはきだめなら *
ここがほんとうのはきだめなら *

その歌を

きみに伝えたい

 
 

* 工藤冬里の詩「三つ巴」からの引用
** 駿河昌樹の詩「宇宙はまったく待ってなどいない」からの引用

 

 

 

三つ巴

 

工藤冬里

 
 

歳を取るほど忙しくなるのは
時間が減って休息を許す余裕も減るから
狂わないで
一文字違うだけだ
ここがほんとうのはきだめなら
却って背筋を伸ばせ
水道管は殺された
涙の蛇口とか
農業は一月早まった
キウイとか
実話現代
ボルヘスの国から来た人が
共有相手が見つかりませんと言って
ドロップを呉れたが
人殺しの味もしたし
温泉で野菜売るか
と突っ込み革命
確かにナスの焼いたのしか
作らなかった母は
身罷りし父を悔やみ
カードが出てこない
よし寝よう
時間つぶそう
空耳ドンドン

映像が積み重なって
その天辺で男が歌っている
映像の天辺をどれにするか

話し方じたいは救いになれない
まやくのぼくめつはできない
あんさつされるのでコントロールできない
サタンと私達の不完全さの三つ巴
顔の上に線などない
恭しくあるべき
男が出来たのかと思われてはいけない
症例エ×ラルド
細線端
行って淫行の妻を娶れ
労働と安息の対立ではない
大抵のことは三つ巴なのだ
企業と労組の対立ではないのだ
爽××××
話し方は描線に似ている
いつからそんな書き方になった
家畜も仕事をしてはいけなかった
石組みの会堂
帆布
古城の窓が緑
亀裂
波が洗う岩礁
楽にして食べて飲んで楽しめ
過酷な奴隷状態
ねる機械
שבת sabbath
テレビのパロディー
やぎの角のドアノブ
宿舎から違う

 

 

 

自由

 

松田朋春

 
 

猫は日向で眠っている
夜更けには出かけて
首輪をなくして帰ってくる
生まれてすぐ
避妊手術をして
恋からも未来からも
自由になった
毛皮で傷がわからないから
自由に生まれてきただけにみえる

そうしよう
男も女も
生まれたらすぐ
100年もすれば
おろかで卑怯な国が
すっかり片付くのだ

 

 

 

温かい孤独

 

小関千恵

 
 

孤独の喜びは膨よかだ

寂しさは、懐かしく
悲しみは、柔らかい

いのちを品定めなどされないで
こころを妨げられないで

わたしだけが、わたしにしか分からないわたしを感じること

わたしだけが、わたしのこころを
大切にできること

ほんとうの孤独

これから
どんな命に触れるのか、
どんなこころに出逢うのか、

これからの、お楽しみの為の
わたしの
大切な孤独

温かい孤独

 

 

 

 

キリリ

 

駿河昌樹

 
 

わたしは抽象的なものが好きである
つかみようもないものをつかみようもなく思うのが好きである
はっきりしないものをすこぶるぼんやり語るのが大好きである

しかしながら
ことばはものに寄り添わせて並べるとキリリとする
ひとがことばならではのことばに触れた気がするのは
このキリリが随所随所に現われているような場合である

そこでいつも思いなやむのだが
抽象的なものをキリリと表わせたらいちばんだろうと憧れる
つかみようもないものをつかみようもなくキリリとやれたらと悶える
はっきりしないものをすこぶるぼんやりキリリできたらと恋い焦がれる

 

 

 

宇宙はまったく待ってなどいない

 

駿河昌樹

 
 

時間を無駄にしているのは
じんるいの
ぜんいん

わずかの木の実や草を食べるほかは
黙って
空や
海や
川や
森林のみどり
花々のとりどりの色
かたち
雪の白さ
はかなさ
雨のふしぎなやわらかさを
見ていればいいのに
風に吹かれてもいれば
いいのに

それ以外は
たゞの時間の無駄
ちからの無駄

宇宙はまったく
待ってなどいない
望んでなどいない
じんるいが
なにかをこしらえたりするのなど
ことばの連結を
理解ということだと思い間違えたりすることなど
数千年すればなにひとつ残らないのに
まるで
なにごとか成し遂げたかのように
思いあがることなど

 

 

 

馬の首を折る *

 

姉と

甥夫婦が
週末に遊びにきていた

甥夫婦は

さわやかと
動物園と
駿府城と
海に
行きたいといった

それで車でさわやかに寄り海を見に行った

姉は
味噌と荏胡麻とふくだちを

送ってくれていた

納豆汁を
作ってくれた

ふくだちは湯掻いて食べてといった

秋田では
まったく雪が無いといった

めまいがして
このまえ仕事を休んでいたのだと姉はいった

日本平動物園では
チンパンジーと

ハイエナ

キリン
白クマ
ゴマフアザラシ
ジャガー
ライオンを見た

ペンギンも見た

どの動物も寒そうに丸まっていたが
ペンギンとゴマフアザラシは元気に泳いでいた

キリンは冬の空の下で長い首を捻り高い木の葉を食べていた

キリンは

どうしてそんな首が伸びたか
わからない

 

* 工藤冬里の詩「二月」からの引用

 

 

 

朝を感じる

 

みわ はるか

 
 

今年は全国的に雪が少ないらしく、寒さが大の苦手なわたしにとってはありがたいかぎりだ。
雪かきをすることもなく日々過ぎていく。
朝晩さえ我慢すればあとはわりと快適だ。
昔はあんなに雪が降ったのになぁ、兄弟でよくそり遊びをしたことを思い出した。
雪はきれいなんだと疑わなかったあの頃は、ガラスの器に雪をてんこ盛りにして、
夏に使いきれず冷蔵庫に残っていたブルーハワイの蜜をかけかき氷にしたこともあった。
当然冬に食べるのだからさらに体は冷えたのだけれど、なんだか特別なことをやり遂げたような
気分になって1人にやにや笑っていた。
当時飼っていた愛犬だけにはその姿を見られてしまった。
なんだか不思議なものを見るような目で小首をかしげていたっけ。

さて、そんな暖冬ということもあって最近職場まで歩いて通勤することにした。
歩くとおよそ20分かかる。
今年新調した超軽量登山用ダウン、インナーは超極暖、毛糸の帽子と手袋、リュックスタイルだ。
歩いてみると朝の空気は冷たいけれどとても心地よく背筋が伸びる。
顔だけは寒いけれどなんだか楽しい気分になる。
意外にも徒歩通勤の人も多く、だいだいわたしとほぼ変わらないスタイルで歩いている。
勝手に仲間だと思って心の中で「ニヒヒ」と笑う。
田舎道なので民家や商店が立ち並ぶ所を通過する。
みんな朝早いのに色んなことをしている人を目撃する。
まだ寝間着姿でなぜか必死に窓ふきをしているおばあちゃん、郵便受けから取った新聞を
その場で広げてしげしげと眺めている腰のだいぶ曲がったおじいちゃん、子供が言うことを
聞かないのか怪獣のようにわき目もふらず大声で怒鳴っている目の吊り上がったお母さま。
さらに民家やお店を眺めるのも楽しい。
看板の色が剥げに剥げて目を凝らしてようやく「クリーニング屋」だと分かる店、真冬だというのに
風鈴だけが数百個も並べられ売られている店(果たして需要はあるのか)、朝6時~夕方16時まで
モーニングセット提供とかかれた喫茶店(もはやモーニングではない時間帯だ!)、
早朝から年配の人が列をなし今にも開店するであろう大衆浴場。
こんなにも朝早くから人って動いてるんだなと思うとなんとも不思議な気持ちに包まれた。
ビュンビュン通る車をやり過ごしながら職場の近くまで来た。
わりと速足で歩いてしまうせいかいつも早目に着きそうになるのですぐ近くにある建物に入ることにしている。
なんとそこはとても大きいコインランドリーだ。
本当はコンビニとかそういう所が近くにあればいいのだけれどそういう類のものが全くない。
初めは抵抗があったけれど意外と快適なのだ。
ソファ、新聞、雑誌、テレビ、自販機となんでもあるからだ。
洗濯や乾燥をしに来る人が何人かいるのだけれど、朝の忙しい時間帯だからなのかわたしには見向きもしない。
ぐるぐると洗濯物が回っているのを遠目に眺めていると眠気に襲われる。
ついうとうとしてしまうのをぐっとこらえる。
もうここまでくると仕事に行くのが嫌になってしまうのだけれどなんとか重い腰を上げててくてくとまた歩き出す。
ふぅーと吐いた息は白い。
近くの工業高校では朝からカキーンとボールをバットで打つ音が聞こえる。
職場の真ん前の工事現場の人が魔法瓶に入った湯気の立つ熱々のお茶をおいしそうにごくりと飲んでいる。
みんな人間をちゃんとやっている。
毎日決まった時間に同じことを繰り返している。
晴れだろうが、雨だろうが、雪だろうが、必ずやってくる朝をきちんと迎えている。
人生は変わっていくものだから楽しいと誰かが言っていたけれど、わたしはこういう小さな変わらない日々も
結構好きだなぁと感じる。
なんだかそういうものに安心する。

大寒ももうとっくに過ぎたそんな朝の小さな物語。