広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
たくさんの年始の挨拶のなかに
おばの懐かしい文字があった
幼い頃に農家へ養子に出たその人の
一文字一文字が胸をうつ
元気でいればまたお目にかかることも出来るでしょう
そのときを楽しみにしています
親の兄弟姉妹のなかでも一目おかれる彼女は
確かにそう思っているのだと
一つひとつの文字の強さにそう感じる
この冬も家のまわりは吹雪くだろう
田畑は雪に覆われて
地吹雪も酷いだろう
腰はとうに曲がり
いつも生まれたての玉子を持たせてくれた
訪ねると持っていった以上の収穫物を
美味しい米も美しい花も
彼女にいまとても会いたい
白髪の長い髪を乙女のように三つ編みにした
愛らしいひとに
わたしが生まれたばしょではないのに
訪れるたび先祖の開墾をおもうばしょに
確かに彼女はいる
叶わぬことも
叶えるために
日々呼吸をしている
また彼女に会うために
またあの地に立ち
あらゆる記憶をつかみとるために
高音の最低の最速
低音の手袋の障子山
高音の最低の最速がぶった斬る
低音の手袋の田に首が落ちる
田に竜たちが群がっている
その様々な動機!
貞(ただ)しくしているのが利(よろ)しい。
#poetry #rock musician
建物がごちゃごちゃと 校歌を唄っている
バッハにとってのフランスはVOGUEのようだった?
準備しなければならない即興は身に余る
地球が禁煙して
随分経つ
参道は俯いて
携帯を見る人々の
クーポン用アプリの檻
バッハにとってイタリアは
Lanciaみたいなもの?
不死の主題は同じでも
山が、木が、代わりになっている?
コロニーの歌を唄うとでも?
集合の重なりが青くなっていて
そこに経済ITアナリストの正当性のみが簾のように呼んでいる
命のクーポンを前もってゲットしようと
人々は俯く
手指から首に
首から頭上に
疲労は二酸化炭素のように上っていく
ああ自然よ
父よ
ぼくの前に道はあるが青い
ぼくの後ろに道はできない
#poetry #rock musician
2007年に生まれた次女に『花』と名付けたのは、
「平和」を想起させる名前にしたかったから。
『花』の漢字を分解すると、
「艹」「イ」「ヒ」となる。
「艹」は植物を、「イ」は生きている人を、「ヒ」は死んだ人を表す。
生きている人と死んだ人の上に、草花が生い茂っている。
その光景が何だかすごく自然で平和に思えて、
娘を『花』と名付けたのだった。
今、世界は平和ですか。
世界中の人々は今、まるで
空っぽの鳥かごを見て呆然としているみたいだ。
その鳥かごにはきっと、
愛とか、慈しみとか
大切で温かな生き物が入っていたはずなのに、
それがどんなものだったのか、世界は思い出せずにいる。
盗まれたのか、殺されたのか、
それを失ったことがただ悲しくて
ドクン ゴボッと ナプキンに落ちてくる
経血みたいに揺れて、
徐々にスピードを上げて汚れていくみたい。
「ママ、ここにあるナイフで手を切ったら、どうなるの?」
「すごく痛いと思うよ。血も出るだろうし。」
「ふーん」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、別に。」
いや、別に。って
何て悲しい言葉だろう。
もっと私を信じてほしい。
心を閉ざさないでほしい。
自分勝手な私がそう言う度に
君は私から遠ざかっていく。
この世界の綺麗事の一切を脱ぎ捨てて、
使い物にならない自分をビリビリに破り捨てて、
手首をナイフで切り刻むように
君の内側に、真っ赤な言葉を刻みたい。
私が死んだら、そこらへんにある原っぱに
適当に転がしておいていいよ。
ぞんざいに扱っていい。
時々思い出してくれるだけでいい。
そして偶に生きている美しい君がやってきて、
ウジのわいた私の傍に寝っ転がってくれたなら、
それが私たちの「平和」なのかもね。なのかな。
ほったらかしにして、最後に残るものが
きっと大切にしなくてはならないもの。
骨片とか。
思い出とか。
ただそれだけの、少し拗ねて書いてみたお話。
素直になれない、ただそれだけの話。
きれいな思い出の上に、
いつかきれいな花が咲くことを願って。
だろうなあと思う。
夢というのは、自己浄化作用があって、懺悔すらも吸収してくれる。
だから、夢は薬みたいなものかなあ。
というより、精神のというか、心のリハビリみたいなものだ。
だから、いくらでも夢を見て良いし、いくらでもその夢を忘れても良い。
感動して書きとめてたくなる夢もあるが、それはそれで良いと思う。その夢には、自浄作用があるに違いないので、繰り返し思い出しても良と思う。
見たくない夢もある。
それも、思い出しても良い。
思い出したくなければ封印しても良い。
ただ、夢の記憶というのは無くならない。
これは、経験上断定できる。
詳しくは、前に書いた。
もうそろそろ寝よう。
というか、寝なければならぬ。
明日のというか、明日もというか、肉体労働。
その前に風呂に入ろう。
そして、何日かが過ぎた。
何日過ぎたのだろう。数日とも言えるし、十数日とも言える。
ただ、一ヶ月は経っていない。
とにかく、何日かが過ぎた。
このところ、よく眠れる。
このところとは数日かな、いや、十数日かな。
ただ、一ヶ月前より、もうちょっと近い頃からだ。
トラックの仕事をしている。
ドライバーというと聞こえは良いが、
実労は人夫である。
重い荷物を押したり引っ張ったり、荷役とも言う。
六十二か六十三歳の頃から、十年間の予定で始めた。
「絵幻想解体作業/行為∞思考/原記憶交感儀/労働について」だ。
長ったらしいタイトルだがしょうがない。
まあ肉体労働である。
仕事そのものより、体の痛みとの闘いである。
で、六年間ほどは、朝三時から午後三時だった。
仕事をしている時に日の出がある。
そうして、昼過ぎには帰って来て夕刻五時か六時頃には寝る。
ところが、突然、コロナ禍で会社の仕事が減り、やむなく夜の仕事になった。突然の十二時間逆転である。
昨年の十一月より、そのようになった。
午後三時から午前三時。
センターに向かう時、太陽を背にしている。
そして、夕刻になり…。
太陽とは縁遠くなってしまった。
ただ、月はよく見る。
このところ、よく眠れる。
昼夜逆転し、しばらく、三ヶ月くらいかな、眠れない日が続いた。
太陽がのぼって明るいときに寝なければならない。
これが辛い。
このところ、よく眠れる。
十二時間熟睡する時もある。
おおよそ、寝れば起きるまで。
つまり、途中で起きて何度も寝るということが無くなった。
これが続くと良いなあと思うが、
今これを書いていて、夜明けになってしまった。
どころか、もう午前九時だ。
やばい。
今頃はぐっすり眠っている時間帯なのだ。
こんな時間まで起きているのは異常な事なのだ。
女房はさっき、というか、一時間前に仕事に出かけた。
もうそろそろ寝ないと。
でも今日は休み。
といっても、と言いながら、少し横になった。
再び筆を取る。
その少しの間に、たくさんの夢を見たなあ。
でも、起きると同時に全部忘れてしまった。
いや、正確にいうと、忘れてはいない。
日常言語に置き換えられないパルスとしてどこかに存在している。これは間違いないというより、まさしくであって、そうして、かろうじて、精神の安寧を維持している。
雉鳩が鳴いている。
庭木で。
もう寝よう。
今日は良い天気で明るい。
雨戸を閉めるか。