ある恩師にささげる言葉

 

みわはるか

 
 

社会人になって気づくことは思いのほか多いなと感じます。
今回はその中の一つ、わたしの尊敬する大人の一人である高校生の時の数学の先生の話をここに残したいと思います。
仮にこの場でその先生のことを桜井先生とすることにします。

わたしが地元の普通科の高校へ進学したのは今からもう11年も前の話になります。
右も左もわからないままランダムにクラス分けされた教室に入りました。
わたしの所属するクラスは1年4組でした。
ほかのクラスの生徒に比べて個性的なメンバーがそろっていたような気がします。
わりといつも騒がしく楽しいクラスだったと記憶しています。
そこでもう一人わたしたちと同じようにこの高校に1年生としてやってきたのが桜井先生でした。
わたしたちの副担任に着任しました。
教室の後ろの方に姿勢よく立っていた桜井先生は当時で40前半くらいの年齢だっただろうか。
やや肌色は小麦色、目はわりと細く 、背は男性としてはやや小柄でした。
恐縮したようにわたしたちのことを後ろから見ていた先生の目は穏やかで人柄の良さが伝わってきました。

桜井先生の受け持ちは数学でした。
黒板に書かれた文字はお世辞にもきれいとは言えませんでしたが、説明は丁寧で上手でした。
いつも穏やかな表情で接してくれる桜井先生はほとんどの人から慕われていたのではなかったでしょうか。
わたしは桜井先生に褒めてもらいたい一心で数学の授業はもちろん、宿題、自分で購入した参考書に取り組むようになりました。
元々、導き方は多数あるけれど答えは1つしかない数学という学問が嫌いではなかったので、ますます好きになっていったのです。

授業が終わるのは17時過ぎだったでしょうか。
部活がない日にはよく学校で居残り勉強をしていました。
どの教科よりも疑問点が多く出てくるのはやはり数学がだんとつでした。
職員室の数学の先生の周りにはいつも質問の列ができていました。
桜井先生はいつも丁寧にわたしが理解するまで教えてくれました。
19時を過ぎるころにはほとんどの先生が帰宅する中、桜井先生は全ての生徒の質問を快く引き受けていました。
恥ずかしながら、その時のわたしは、先生であるのだから質問に答えてくれるのは当たり前、そんな傲慢な気持ちがどこかにあったような気がします。
悪い気持ちを一切持たず桜井先生に延々と疑問を投げつけていたこともあったように 思います。

桜井先生は高校3年間わたしの属するクラスの数学の授業を持ってくれました。
それはわたしにとって幸福なことでした。
数学の試験の点数が悪かったときには、廊下ですれちがうと「どうした、大丈夫か、君ならもっとできたはずだ。また頑張れ。」
そう声をかけてくれて鼓舞してくれました。
それはわたしという存在を認めてくれている気がしてとてもうれしかったのです。
その言葉をばねにわたしはどれだけ頑張れたか。
それはそれは感謝していたのです。

それから月日は流れ、わたしは社会人になりました。
仕事をある程度の時間で終わらせ、帰宅する、ご飯を食べる、お風呂にゆっくり入る、一日の限 られた唯一の自分の時間を過ごす。
この仕事終わりの時間は一日を気持ちよくリセットするのにとても必要なことです。
そんなときふと、本当にふと、桜井先生のことを思い出したのです。
桜井先生の定時の時間をわたしは考えたことがあっただろうか、先生の個人的な時間の必要性を思ったことがあっただろうか。
残念ながらその時のわたしはみじんもそんなこと考えたことはなかったのです。
どうしてあんなにも、嫌な顔ひとつせず、3年間もわたしをはじめ生徒のことを考えていてくれたのだろうか。
夜いったい何時に学校を出ていたのだろうか。
そんなことを考え出すと本当に申し訳なかったという気持ちがふつふつとわいてくる。
そしてそん な人柄の桜井先生に敬意の念がわいてきたのです。
この年齢になるまでそんなことに気付かなった自分のことが非常に恥ずかしいですが、今なら、この今なら、桜井先生に敬意の気持ちを伝えることができそうです。
残念ながら、もうわたしの母校にはいらっしゃらないのですが、もし機会があるならばあのときのことを感謝の言葉にして伝えたいのです。

「高校時代、のびのびと数学に向き合えたのは桜井先生、あなたのおかげです。わたしに数学の面白さを教えてくれてありがとうございました。
今も変わらずどこかでにこにこと教壇に立っていることを心から望んでいます。 11年前1年4組だったある一人の生徒より。」

 

 

 

ある恩師にささげる言葉

 

みわ はるか

 
 

社会人になって気づくことは思いのほか多いなと感じます。
今回はその中の一つ、わたしの尊敬する大人の一人である高校生の時の数学の先生の話をここに残したいと思います。
仮にこの場でその先生のことを桜井先生とすることにします。

わたしが地元の普通科の高校へ進学したのは今からもう11年も前の話になります。
右も左もわからないままランダムにクラス分けされた教室に入りました。
わたしの所属するクラスは1年4組でした。
ほかのクラスの生徒に比べて個性的なメンバーがそろっていたような気がします。
わりといつも騒がしく楽しいクラスだったと記憶しています。
そこでもう一人わたしたちと同じようにこの高校に1年生としてやってきたのが桜井先生でした。
わたしたちの副担任に着任しました。
教室の後ろの方に姿勢よく立っていた桜井先生は当時で40前半くらいの年齢だっただろうか。
やや肌色は小麦色、目はわりと細く、背は男性としてはやや小柄でした。
恐縮したようにわたしたちのことを後ろから見ていた先生の目は穏やかで人柄の良さが伝わってきました。

桜井先生の受け持ちは数学でした。
黒板に書かれた文字はお世辞にもきれいとは言えませんでしたが、説明は丁寧で上手でした。
いつも穏やかな表情で接してくれる桜井先生はほとんどの人から慕われていたのではなかったでしょうか。
わたしは桜井先生に褒めてもらいたい一心で数学の授業はもちろん、宿題、自分で購入した参考書に取り組むようになりました。
元々、導き方は多数あるけれど答えは1つしかない数学という学問が嫌いではなかったので、ますます好きになっていったのです。

授業が終わるのは17時過ぎだったでしょうか。
部活がない日にはよく学校で居残り勉強をしていました。
どの教科よりも疑問点が多く出てくるのはやはり数学がだんとつでした。
職員室の数学の先生の周りにはいつも質問の列ができていました。
桜井先生はいつも丁寧にわたしが理解するまで教えてくれました。
19時を過ぎるころにはほとんどの先生が帰宅する中、桜井先生は全ての生徒の質問を快く引き受けていました。
恥ずかしながら、その時のわたしは、先生であるのだから質問に答えてくれるのは当たり前、そんな傲慢な気持ちがどこかにあったような気がします。
悪い気持ちを一切持たず桜井先生に延々と疑問を投げつけていたこともあったように思います。

桜井先生は高校3年間わたしの属するクラスの数学の授業を持ってくれました。
それはわたしにとって幸福なことでした。
数学の試験の点数が悪かったときには、廊下ですれちがうと「どうした、大丈夫か、君ならもっとできたはずだ。また頑張れ。」
そう声をかけてくれて鼓舞してくれました。
それはわたしという存在を認めてくれている気がしてとてもうれしかったのです。
その言葉をばねにわたしはどれだけ頑張れたか。
それはそれは感謝していたのです。

それから月日は流れ、わたしは社会人になりました。
仕事をある程度の時間で終わらせ、帰宅する、ご飯を食べる、お風呂にゆっくり入る、一日の限られた唯一の自分の時間を過ごす。
この仕事終わりの時間は一日を気持ちよくリセットするのにとても必要なことです。
そんなときふと、本当にふと、桜井先生のことを思い出したのです。
桜井先生の定時の時間をわたしは考えたことがあっただろうか、先生の個人的な時間の必要性を思ったことがあっただろうか。
残念ながらその時のわたしはみじんもそんなこと考えたことはなかったのです。
どうしてあんなにも、嫌な顔ひとつせず、3年間もわたしをはじめ生徒のことを考えていてくれたのだろうか。
夜いったい何時に学校を出ていたのだろうか。
そんなことを考え出すと本当に申し訳なかったという気持ちがふつふつとわいてくる。
そしてそんな人柄の桜井先生に敬意の念がわいてきたのです。
この年齢になるまでそんなことに気付かなった自分のことが非常に恥ずかしいですが、今なら、この今なら、桜井先生に敬意の気持ちを伝えることができそうです。
残念ながら、もうわたしの母校にはいらっしゃらないのですが、もし機会があるならばあのときのことを感謝の言葉にして伝えたいのです。

「高校時代、のびのびと数学に向き合えたのは桜井先生、あなたのおかげです。わたしに数学の面白さを教えてくれてありがとうございました。
今も変わらずどこかでにこにこと教壇に立っていることを心から望んでいます。 11年前1年4組だったある一人の生徒より。」

 

 

 

ダイニングテーブル

 

正山千夏

 
 

新しいダイニングテーブルを探す
ふたり用の
小さな真四角のテーブルが
意外にない
テレビをあいだに置いて
向かいあう私たちの距離をはかる
ワイングラスは壊さないように
そおっと洗う

ファミリー用の
長方形のテーブルに
ディスプレイされた食器たち
あちこちに飛びはじめる
スプーンやフォーク
トマトソースをテーブルにぶちまけて
食べながら寝てしまう子ども
の横をしずかに通り過ぎる

店をひとまわりしてくると
また別の
長方形のテーブルで
向かいあう白いあたまはなんと
私たちだ
となりでは
もっと年老いた父と母が
やわらかいものを食べている

 

 

 

西暦2016年7月26日

 

佐々木 眞

 
 

西暦2016年7月26日未明、相模原市緑区の社会福祉法人かながわ共同会「津久井やまゆり園」に侵入した君は、当直の職員を拘束して自由を奪った後、そこに収容されていた重度の障害者たちを、持参した5本の出刃庖丁を使って突き刺した。

君は、67歳の男性、Aさんを刺した。
君の両手は血に染まり、Aさんは死んだ。

人には、すべて名前がある。
その名前のもとで生き、その名前のもとで死ぬ、そんな大切な名前が。
私はNHKの番組「日本人のお名前」を参考にして、仮名のAさんを、この国でもっともポピュラーな「佐藤さん」という姓で呼ぼせてもらおう。

Aさんこと、佐藤耕作さん。
演歌ファンのあなたは、北島三郎のテープを100本近く持っていたそうだ。
畑作業が得意で、若い頃はクワガタやカブトムシを採集し、園ではヤギやニワトリの世話を手伝っていたという。
室内での作業にも意欲的で、外部の人からは職員と間違われるくらい温厚で、リーダー的な存在だったそうだ。

その夜、君は35歳の女性を刺した。グサッ、グサッと刺した。
鈴木良子さんは、死んだ。
コーヒーが大好きで、みかんやいちごも大好物。抱っこをせがむ甘えん坊で、いつも笑顔で過ごしていた良子さんを、君は殺した。

それから君は、音楽が好きで、レクレーションを楽しみにしていた43歳の男性、高橋義男さんを刺した。
グサリ、グサリと何度も刺したのだろう。
君は、高橋義男さんを殺した。

君は、26歳の愛くるしい娘を殺した。
中学生の時、書き初めで「まま」という字を書くようになり、母親がとても喜んでいた。そして誰からも愛された田中しのぶさんを、殺した。

それから君は、囲碁や将棋が大好きで、職員とじゃんけんをして「あっぷっぷ」を楽しんでいた49歳の男性、渡辺一郎さんを刺した。ずぶりと刺した。
渡辺一郎さんは、死んだ。

君は、歌が好きで、お兄さんが教えてくれた「椰子の実」の歌をよく口ずさんでいた70歳の女性、伊藤百合子さんを刺した。
伊藤百合子さんは、死んだ。

ラジオが大好きで、小さな携帯用のトランジスタラジオをいつも手に持ったり、ポケットに入れたりして持ち歩き、楽しそうに聴いていた66歳の男性を、君は殺した。
ちょっとお茶目なところがあった中村純一郎さんを、君はずぶりと刺し殺した。

短期で施設を利用していたころから、かわいらしい笑顔の人気者の女性を、君は何度も刺した。
小林栄子さんは、まだ19歳だった。
栄子さんは、死んだ。

65歳の女性、木村静子さんは、いつも笑顔で、仲間の中心にいる人だった。家族と一緒に外出したとき、とても嬉しそうだったという。
そんな静子さんを、君は何度も突き刺した。
静子さんは、死んだ。

短期で施設を利用し、作業のときもふだんから、ホームの仲間たちを優しく見守っていた41歳の男性を、君は刺し殺した。
山本大輔さんは、死んでしまった。

その笑顔に会いたくて、ホームを訪れる人もいたという40歳の女性、加藤恵子さんを、君は刺し殺した。
恵子さんは、毎日の食事をおいしそうに食べ、お散歩やドライブ、ひとつひとつを楽しみながら過ごしていた。

55歳の男性、吉田宏さんを、君は刺した。
吉田さんは、施設から少し離れたところにある100円の缶コーヒーを自動販売機まで行くのが楽しみだった。
部屋に貼ってある家族や行事の写真などを指差しながら、楽しそうにいろいろと話す姿をみんなが覚えている。
吉田宏さんは、死んだ。しかし体の傷があまりにも酷かったので、遺族の方は棺の中の顔だけを見てお別れをされたという。

60歳の女性、山田みずえさんを、君は刺し殺した。
本当に穏やかな人で、話すことはあまりできなかったが、相手の目をじっと見つめ、そうすることで自分の思いを伝えようとしていた。
うれしいときは体を左右に揺すって、にっこり笑う姿が印象的だった。

野球が大好きな43歳の男性、佐々木清さんを、君はグサグサと突き刺した。
いつもニコニコ笑っていた佐々木さんは、突然死んでしまった。
清さんのタンスには、たくさんの野球のユニホームが入っていたが、あれはどうなったのだろう。

山口瑠璃さんは、明るくて世話好きな65歳の女性だった。
洗濯物を畳むのが得意で、ほかの入所者の衣服やタオルを畳んで、決められたタンスにしまうなど、よく職員の仕事を手伝っていた。
うれしいことがあると、声を出して楽しそうに笑っていた。
瑠璃さんは、殺された。君が殺した。

松本さゆりさんは、穏やかで純粋な55歳の女性だった。
施設の周りに散歩に行くと、道ばたの草や葉を手に取って、その草を自分の目の高さにあげて、じっと見つめながら、くるくると回して喜んでいた。
君はそんなさゆりさんを、刺し殺した。

井上健太さんは、音や香りにとても敏感な66歳の男性だった。
ラベンダーやミントなどの匂いがするアロマオイルがお気に入りで、香りを嗅いでうれしそうにしていた。
趣味は散歩で、外の空気を吸うのが好きだった。
君は、そんな健太さんを刺し殺した。

斎藤由香里さんは46歳の女性で、持病を抱えていたが、中山美穂や工藤静香などのアイドルに興味があった。
とても話し好きで、人なつっこくて、よく職員の会話に入ってきた。
そんな由香里さんを、君は何度も突き刺した。
由香里さんは、死んだ。

林雄二さんは 言葉は思うように話せなかったが、65歳とは思えない活動的な男性で、よく食事のあとの掃除や食器の片付けなどを自発的に手伝っていた。
とても仲間思いで、他の利用者が困っているとすぐに職員を呼びに来てくれて、すごく助かったという。
そんな林雄二さんを、君は何度も突き刺した。
雄二さんは、死んだ。

西暦2016年7月26日未明、相模原市緑区の社会福祉法人かながわ共同会「津久井やまゆり園」に侵入した君は、入所者ほか43名の身体を柳刃包丁などで突き刺し、うち19名を腹部刺傷による脾動脈損傷にもとづく腹腔内出血などで殺害し、その他の24名にはそれぞれ全治約6カ月間の前胸部切創、両手背挫創などの傷害を負わせた。

君は、「意思疎通の出来ない人は、幸せをつくれない」と語っていたそうだが、果たしてそうだろうか?
物言えぬ人々も意思疎通はできるし、誰だって生きているだけで幸せを感じられるのではないだろうか?

君は「障害者は不幸を作ることしかできません。周りを不幸にするので、いない方がよい」と語っていたそうだが、果たしてそうだろうか?
私の長男も障害者だが、彼のおかげで我が家は不幸や離散を免れることができて心から感謝している。

君は「障害者は死んだ方がいい」と言い、「こういう人たちは安楽死させたほうがよい」と主張しているようだが、果たしてそうだろうか?
それは障害者への差別であり、人間の自由・平等・博愛への挑戦ではないだろうか?

君は、アメリカの大統領トランプ氏の選挙演説を聞いて、今回の犯行を決意したそうだ。
君は、あの狂犬のような男の排他的な発言を聞いて、「障害者は要らない存在だ」と思ったのではないだろうか。

誰かを「この世で要らない奴だ」と言い切れる人間は、他人から「それならお前もこの世で要らない奴だ」と言われても仕方がない人間だ。
この世の中では、役に立つ人間も、まったく役に立たない人間も、同じように有用であり、同じように無用なのである。

どんな人にも、地上で安穏に暮らす資格がある。
その資格を、君は無慈悲に奪い去った。
どんな障害を持つ人にも、楽しく生きる権利がある。
その権利を、君は問答無用に奪い去った。

さあ、来なさい。君よ。植松聖という名の青年よ。
ここに座りなさい。君が殺めた19人の遺影の前に座りなさい。
佐藤耕作さん、鈴木良子さん、高橋義男さん、田中しのぶさん、渡辺一郎さん、伊藤百合子さん、中村純一郎さん、小林栄子さん、木村静子さん、山本大輔さん、加藤恵子さん、吉田宏さん、山田みずえさん、佐々木清さん、山口瑠璃さん、松本さゆりさん、井上健太さん、斎藤由香里さん、林雄二さんの霊前に、深く頭を垂れなさい。

さあ、来なさい。君よ。植松聖という名の青年よ。
君のその血塗れの両手を合せて、私と共に今は亡き19名の冥福を祈ろう。
せめて彼らが、この世で果たせなかった安気な暮らしを、天上で送れるように。
突如奪い去られた平安を、経巡る六道輪廻の中でおいおい取り戻せるように。

 
 

*お断り 文中の犠牲者の皆さんについての記述は、NHKの「19のいのち―障害者殺傷事件」ホームページの文章から引用し、要旨を適宜リライトしました。

 

 

 

In Dreams Begin Responsibilities.

 

狩野雅之

 
 

“In dreams begin responsibilities” と言ったのはWilliam Butler Yeats だ。わたしはそのことを村上春樹の長編小説「海辺のカフカ」で知った。主人公の少年は物語の中で語る、「夢の中から責任は始まる。その言葉は僕の胸に響く。」

私は最近フルカラーの夢を見る。昔風に「総天然色」と言ったほうがしっくりくるようなじつに美しい夢だ。そこで私は様々な物語の中に浸り様々な者たちに出会う。それは想い出であり同時にいまここに在る現実であった。

 


通りすがりの邂逅

 


消えゆく記憶の辺境に咲きしものども

 


夢の中に歩きし庭園にて…

 


仄暗い闇から浮かび上がりしもの

 


高原別荘地の異界に咲く

 


蓮華躑躅(れんげつつじ)の艶めかしく濡れたるを

 


寝覚めに咲く花

 


Empathy or Sympathy

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第14回

第5章 魚たちの饗宴~全由良川淡水魚同盟

 

佐々木 眞

 
 

 

♪タラッタ、ラッタラッタ、ウナギのダンス
ニッポンウナギは世界一 あ世界一、ラッタラッタラア

と歌いながら半身に半身を寄せ合って一体になることを夢見ながら愛のチークダンスを踊っていた2匹の男女ウナギも、顔を赤らめて席に戻ったところで、全由良川淡水魚同盟議長のタウナギ長老が重々しく口を開きました。

「諸君! いよいよわれらの危急存亡のときは迫った。
諸君! われわれ魚類はいったい何のために生きているのであるか?
それは魚世界の真理を追究し、究めつくし、1匹の魚としての正しき生をまっとうするために、ではないだろうか?

諸君、ではまず、われらをとりまく世界の歴史と構造を調べてみようではないか。
地球誕生以来46億年、われらの祖先である複合細胞生物誕生以来12億年。
そしてわれら魚族の大繁栄期であったBC4億年から2億年を経て、われらの輝かしきヘゲモニーは、その後彗星のように現れた爬虫類、なかんずくプロントザウルスや剣竜、ティラノザウルスなどの恐竜たちによって簒奪され、彼らが滅びたあとは、カンガルー、ウマ、ゾウ、ネズミ、サル、キツネなどの哺乳類、わけても500万年前に登場したかの奸佞邪智をもってなる最悪最凶の最強存在、すなわち人類によって無惨に奪い去られ、あまつさえ平和愛好生物、平地いや平河川に乱を好まぬ絶対平和主義者として数億年の輝かしき伝統と実績を誇るわれわれのレーゾン・デートルすら土足で踏みにじられ、かのバイブルに謳われしごとく『われは漁る者、汝は漁られし者』との汚名と屈辱に甘んじつつ、既にして無慮1万年が経過したのである。

改めて問う、われらにとりて、世界とはなんぞや?
それは全生物的抑圧と被虐の階級ピラミッドの最下層にあって、日々大いなる苦痛を甘受せざるを得ない。そういう世界である。
弱肉強食の食物連鎖のもっとも弱い環、それがわれわれの日夜呻吟し、苦渋に喘ぐ世界である。

ふたたび諸君に問う。われらにとりて、まったき生とはなんぞや?
それは真理と善と美を求め、それによって深く充たされる生ではないか。
それが魚たちの、魚たちによる、魚たちのためのくらしではないだろうか。

幸福とは、究極のアレテー、すなわち卓越性に即してのプシュケ、すなわち魂のうるわしき活動である、とアリストテレスはいうた。
しかし残念ながら、こんにちわれわれの前途から幸福へ到る道は、あらかじめ遠く彼方に失われている。わたしたちの不倶戴天の敵である人類の無知と横暴と独裁によって……
彼らは全生物の全歴史にわたる共有財産としての地球を、自然ともども完膚なきまでに破壊しつくし、天地創造以来連綿として続けられてきた種族多様性保存維持の神聖なる責務さえ放棄して顧みようとしない。

おお、諸君! われわれはなんというおぞましく悲惨な世界に生きているのであろうか!われらあらゆる私情と万難を排し、悪辣非道、無知蒙昧、鬼畜米英のかの人間どもを、この地上、この水中よりすみやかに撲滅せねばならない!

一日も早く、ふたたび全世界の頂点に立ち、全生物界を嚮導し、自らの運命を自らの手中に握りしめたるかの輝かしき西暦紀元前2億年、魚類大黄金時代の御代へと帰還することこそ、われらの悲願であるう。

最後に言う!
わが親愛なる全由良川淡水魚同盟の同志諸君! 人類打倒暴力革命の最前線へ、真紅の旗、流血淋漓の旗を掲げて参加せよ!
全世界をふたたび獲得するために、われわれはいまこそ団結せねばならない!」

北朝鮮の最高指導者、金正恩の演説を徹底的に研究した最長老タウナギの、およそ2時間半にわたる基調報告というよりアジ演説がようやっと終了するや否や、人民大会堂、いや聖なる大広間を立錐の余地なく埋め尽くした由良川のすべてのフィッシュ・プロレタリアートは総立ち泳ぎとなり、尾ヒレ、背ビレ、胸ビレのすべてを狂ったように揺り動かして、ヤンヤ、ヤンヤの拍手大喝采を、なんと10分以上にわたって送り続けたのでした。

 

空白空白空白空白空次号へつづく

 

 

 

3人娘が来る!

 

辻 和人

 
 

イチ
ニィ
サン
3人の

来る
来るぞ
やって来る
どうしよ
「ドーシー、ヨォーヨォーヨォー。」
輪っかの形でぷかぷか浮かぶ光線君ののんびりした声
光線君は「お客さん」の重みなんかわからないもんなあ
どうしよぉーよぉーよぉー

互いの家族は別として
結婚してからお迎えするお客様第一号
3人ともミヤミヤの職場に関係する方たちだ
同僚のHさんとWさん
以前職場の医務室に勤めていたMさん
皆さん独身
「これから私の大切なお友だち3人をお迎えしますからね。
かずとん、粗相のないようにしてね。」
イチ
ニィ
サン
3人娘だ

ぼく、慣れてないんだよね
「お客様」ってのに
思えば祐天寺のアパート、誰も入れなかったなあ
母親が一度様子を見に来てくれたきり
ファミちゃん、レドちゃんは毎日来てくれたけどさ
そんなぼくにホスト役が務まるのかな?
昨日は念入りにお掃除
普段サボッてる床の拭き掃除もバッチリやった
散らかり気味だったかずとん部屋も片付けた
約束の正午まで1時間
「かずとん、かずとん。
私、お料理頑張るから飲み物買ってきてくれる?
それから連絡きたらバス停まで迎えに行ってあげてね。」
はーい、はいはい
いなげやで白ワインとウーロン茶とオレンジジュースを買って帰ると
ジィー、ミヤミヤの携帯が鳴った
観念だ

「カーンネン、ネーン、ネン。」
輪っかの輪郭をぷっくぷっくさせながら光線君がついてくる
お気楽でいいな、光線君は
バス停には2人の女性が立っている
あれ、3人じゃない
「辻さんですか? 今日はありがとうございます。
実はWさん急用ができて1時間ほど遅くなりそうなんです。」
小柄で丸顔のH さん
メガネをかけて長身のMさん
3人娘のうちの2人娘
やって来ちゃった
キンチョーしてる場合じゃないぞ
「今日はわざわざ足をお運びいただきありがとうございます。
家はすぐそこです。」

3人娘のうちの2人娘
にこやかだけど
キョロッと目力強し
背丈も髪型も全然違うのにどことなく感じが似てる
「かずとーん、2階を案内してあげてーっ。」
キッチンでいまだ奮闘中のミヤミヤが叫ぶ
「えーっと、ではこちらへどうぞ。階段は急なのでお気をつけてください。」
好奇心をキラキラさせてついてくる3人娘のうちの2人娘
「セボネー、セーボーネー、ザウルスーッ、ココ、セーボー、セーボー。」
工事中の家が恐竜だったことを知ってる光線君
ゆっくり階段を昇る2人の頭上を輪っかになってくるくるくるくる
「ここはフリースペース、このパキラはミヤコが10年育てたものです。」
「ザウルスーッ、アゴー、アーゴー。」
「ぼくの書斎です。
本棚に入りきらなかった本は恥ずかしながら箱詰めして積んでます。」
「キバー、スルドーイー、ザウルスーッ、キバー、バー。」
「こっちが寝室で、ミヤコの部屋も兼ねてます。」
「メーダーマー、ガンガン、ガンキュー、キュー、ザウルスーッ。」
光線君も頑張ってお客さんにお部屋をご案内している
「お客さん」をいつのまにか理解している光線君、えらいぞ
「素敵なお家ですねえ。明るくて周りも静かですねえ。」
説明する方向にキョロッ、キョロッと首を動かす
3人娘のうちの2人娘
礼儀正しいし、フレンドリーだし
さすがミヤミヤのお友だちだ
「ご飯できたので降りてきてください。Wさん遅れるので先に始めちゃいましょ。」

スパークリングワインとウーロン茶で乾杯
チーズと干しブドウをつまんでからアボガトとトマトと生ハムのサラダへ
「お庭素敵ですねえ。植える植物は自分で考えたんですか?」とHさん
「すっごく小さい庭だけどねえ。木は庭師さんと相談して決めたんですよ。」
「このサラダおいしい。生ハムとアボガトって最高の組み合わせよね。」とMさん
「ありがとう。アボガトって、私、昔から好きなのよ。」
ほめてくれる
何でもほめてくれる
にこにこほめてくれる
おりゃ?
ほめられると
空気がにこにこするんだな
「コーニー、コーニー、コニコニココッ、ニーニー。」
体を球状にコニコニッと弾ませ
丸い黒い目をすばやくあちこちに移動させる光線君
コニコニッ、コニコニッ
「周りは静かで緑も多いし、私もこんなところに住みたいなあ。」
ま、東京にしちゃ田舎ってことだけどね
Hさんにこにこ
Mさんにこにこ
ミヤミヤにこにこ
光線君はコニコニ
とくれば
ぼくもにこにこしないわけにはいかない
にこにこをにこにこで返し続ける
にこにこした時間
ここには否定ってモンがつけいる隙がない
「お客さん」を迎えるってこういうことなんだ

HさんとMさん、海外旅行が大好き
「前にMさんと北欧回ったことあったんですよ。オーロラきれいだったなあ。」
ミヤミヤより6つ年下のHさんが軽く宙を見上げる
「ネパール行った時困ったことあったよね。
山に登るつもりだったのに天候が悪くて2日も足止めされちゃったんです。
でも現地の人みんな親切で助かりました。」
ミヤミヤより1つ上のMさん、自らうんうん頷く
3人娘のうちの2人娘
旅の話になると目が輝きを増していく
キョロッ、キョロッ
「仕事で外国人の方とお話することがあるんですが、
するとすぐその国に行ってみたくなっちゃったりするんですよ。」
というHさん
私、世界をいろいろ旅したくて。
看護師という仕事を選んだのも職場に縛られることが少ないからなんです。」
というMさん
ミヤミヤも負けていない
「日本の外に出ると解放感が半ぱじゃないよねえ。
グアムの海に潜ってウミガメが一緒に泳いでくれた時は感動でしたよ。」
キョロッ、キョロッ
キョロッ、キョロッ
皆さん、祐天寺のアパートに閉じこもってばかりいたぼくとは大違い
れれれ、それでも
話聞きながら、ぼく
「へえ、トルコの絨毯、現地で売ってるとこ見てみたいですね。」
なんて返してるぞ、おい

良くは知らかなった人を
家に招いて
ワイン飲んでフリット食べて
お喋りして
にこにこして
ほめて、ほめられて
その輪の中になぜかぼくがいるんだよ

3年前の冬休みの朝
いつもはダラダラ寝坊しているぼくは
「よし、結婚してみるかな。」とガバッと起きた
ガバッと
ガバッと
ガバッと、だ
生身とメールして
生身とお話しして
生身と歩いて
生身と触れ合って
生身が収まる空間を作って
それから、それから
ついに、ついに
3人娘のうちの2人娘という生身が
というぼくとミヤミヤ以外の生身が
キョロッキョロッと歩いてきた
仲良く飲み食いしてお喋りして
でもって
今、にこにこした空気が流れている

おっと話題が変わった
「私、猫好きなんですよ。今度生まれ変わるとしたら、
かわいがられている家の飼い猫がいいなあ。」だって!
そんなHさんの言葉とともに
ファミとレドが空気の淀みとしてぽっと現れ
背を丸っこくさせて互いの体を舐め舐め
鼻筋をそっと撫でてやるとふにゅっと暖かくしなる
こりゃ生身だ
あったかい
チリビーンズが
Hさんの口に吸いこまれ
ワインの雫が
Mさんの口に流し込まれ
パンの欠片が
ミヤミヤの口に放り込まれ
そして
カップラーメンの器に注いだミルクが
ファミとレドの喉にピチャピチャ掬い取られ
せわしない
騒々しい
ガバッと起きてから
ついに、ついに
ぼく、こんな場面に辿り着いたんだ

「すみません、実はこれからジャムセッションに行く用事があって、
外に出なくちゃなりません。
Wさんにお会いできなかったのが残念ですが、
皆さん、ごゆっくりお話しなさってください。Wさんによろしくお伝えください。」
以前から誘われていて予定が動かせなくてね
丁寧に頭を下げて席を立つ
イチ
ニィ
サン
3人娘には会えなかったけど
3人娘の中の2人娘には会うことができた
キョロッ、キョロッ
生身だった
「ありがとうございました。セッション楽しんできてください。」
楽器を背負ってドアを開けると
11月も終わりの冷たい空気が流れ込んできた
それを搔きわけていくのは
あったかい
ぼくの生身だ
「コニコニーッ、コニ、コニーィ。」
唯一生身の存在じゃない光線君が円盤みたいな形状で回転しながらついてくる
イチ
ニィ
サン
3人の

の中の2人娘
来た
来たぞ
やって来た

 

 

 

夢は第2の人生である 第52回

西暦2017年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 


 

「マーサ製造所」という看板はいったい誰が掲げたのか? 「うどんそばを製造している我が家にはふさわしくないから、なんとかしろ」と、さっちゃんに迫るのだが、知らん顔してそっぽを向いているのだ。3/1

「なぜおれはなにをやっても成功するのか? それはおれが絶対に他人の真似をしないからだ」と、その男は吹きつける風に向かって叫び続けていた。3/2

ベンチで寝ころんでいる女の上を乗り越え、なおも進んでいくと、ストに参加した5、6人の労働者たちが、プラットホームに、マグロのように横たわっていた。3/3

部屋の中のニイニイが鳴き始めると、屋外のニイニイも、一斉にニイニイ鳴き始めたので、今年は豊作だと分かった。3/3

半年前に、渋谷でモザールの2台のピアノのための協奏曲を弾いていた青年と一緒に、同じ曲を演奏している。彼は「この半年間のことは全然覚えていない」というので驚いた。3/4

そいつは、私がつけた値段をコピぺしたものに、「?」マークをつけて、送って寄越した。3/4

我われは敵を見おろす高台の陣地にあって、一晩中篝火を焚いて警戒していたが、それは大平原の覇者と称されている敵だけに、一瞬の油断も許されなかったからだ。

アライサの元芸人は、ブースの中に一室を与えられていたが、特に仕事はなさそうだった。私がシエラザードのビデオをつけると、珍しそうに眺めていたが、お互いに一言も交わさずに別れた。3/5

そのホテルの支配人は、「うちでは1年間どんな忘れ物でもお取り置きしてあります」と言って、様々な貴金属や本やカバンを見せてくれた。3/6

展示会では、5社中2社からのサンプルが間に合わず、バイヤーからクレームが殺到した。3/7

サルマ川に着いたのは、もう夕方だったが、急激な引き潮の余波で、浅瀬には無数のバルウオがバチャバチャと跳ねまわっていたので、私らは手当たり次第に収穫して、晩御飯のおかずにした。3/7

久しぶりに7人の妾を夜の友としようと呼び出しをかけたのだが、誰一人としてやって来ないので、7軒の家を訪ねて、次々にベルを鳴らしたが、誰も出てこない。きっとどこかで7人で談合しているのだろう。3/8

予約しようと思って帝国ホテルへ行ったら、どういうわけだか、フロントに大勢の子供たちが列を作って並んでいたが、夜になると、子供もフロント係も、お客も、誰もいなくなった。3/9

夏の夜、体育館でブラブラ遊んでいると、誰かが「このパンツを、あんたに穿かせてやろう」と叫んだので、私は「僕は嫌だ。Tに穿かせろ」と言いながら逃げ出したが、とうせんぼしていたY子が、私の胸をドンと突いたので、私はその場でひっくり返ってしまった。3/10

空を眺めていると、世界中からタイキ者がやってくる。何をなぜ待機しているのか知らないが、アルゼンチン、アメリカ、イタリア、ウクライナ、ウズベキスタンのアイウエオ順で、世界中からタイキ者がやってくるのだ。3/11

アマゾンのタイムサービスで、私は一瞬の隙をついて、日本列島全域の不動産を買収してしまったのだが、その翌日から資金繰りで七転八倒することになってしまった。3/12

河出の文学全集の欠本をアマゾンで検索したら、なんと7億円の超高値がついていたので、これは妙だなと思いつつ、こないだの宝籤で7億円を当てたばかりの私は、ひょいとクリックしてしまった。3/13

自室に戻ると、数人の男女が談笑しながら煙草をふかしていたので、私は激怒して「お前たち! いったい誰の許しを得て入って来た。ここはおらっちの部屋だ。即刻出ていけ!」と怒鳴ったのだが、彼らは知らん顔している。3/14

九龍ホテルに連泊している私の部屋には、毎晩見知らぬ客が訪れたが、ある晩電通のフルカワと名乗る男から、私は2本のラジオ・ドラマの脚本を依頼された。
しかし私は生まれてこの方、ドラマのシナリオなんて書いたことがないので、はてどうしたものかと、悩みに悩んだ。3/15

下宿のおばさんは、万年床の少女探偵にほとほと愛想を尽かしていたが、かといって彼女を追いだそうとはしなかった。3/16

建築業界の若きボスとなって君臨しているかのように世間では噂されている私だったが、しかしてその実態は、若い妖艶な情婦の言いなりになる男奴隷なのだった。3/16

死の床に就いていた老将軍は、私を招いて遺言しようとしていたが、そうはさせじと悪代官がうろちょろするので、私は酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせている将軍の枕元に、なかなか近づけないでいるのだった。3/17

「ウスイと申しますが、キョウセンさんはいらっしゃいませんか?」という声がした。
すると路地の奥から声がして「おや、あのときのウスイさんですか。あれは10年前でしたね。でも昨日のことのようによく覚えていますよ。今日の出物は何ですか?」
という声が聞こえた。3/18

中国へ飛んだら、大きな変化が起こっていた。それは「情から無情」ということで、まさしくこれこそが、かの国の政治経済社会に決定的な影響を及ぼしていたのである。3/19

久しぶりに春闘で満額回答を勝ち取ったというのに、米原産業の労働者諸君に喜びの表情はこれっぽっちも見えなかった。みんな安倍蚤糞の所為だった。3/20

私が眼を瞑っていると、耳元で「センセ、ワダエミのこたあ、もうお忘れになったほうがよござんすぜ」という男の声がした。
ワダエミって誰だろう? 眼を見開いた私は、早速検索してみようと思ったのだが、あいにくどこにもPCなど見当たらなかった。3/21

満月の光に煌々と照らしだされて、真昼のように明るい大空の彼方から、突如巨大な惑星が大接近してきたので、驚いて見詰めていると、その惑星から打ちだされた無数の岩石が、我が家に押し寄せてくるので、私は妻子ともども、命からがら逃げ出した。3/22

銀座で4人でお茶していたら、紅一点のイラストレーターのカワムラさんが、突然「あなたたちは男根の世代なの?」とよく通る声で叫んだので、われわれ男どもは、手に持った紅茶のカップを、思わず取り落とすほど動揺した。3/23

昔のDurbanの服を着てみたら、思いのほか塩梅がよかったので、「なかなかいいなあ」と呟くと、そんな私をじっと見つめている女性がいるので、誰かと思ったら、もうとっくにこの世の人ではないコンドウ嬢だった。3/24

新書館と打ち合わせをするために、原宿の竹下通りを歩いていた私は、突然アオキ嬢がいなければ行っても無駄だと気付いたので、急いで会社に引き返そうとしたのだが、歩いている途中で、自分はいったいなんのために引き返すのかを忘れてしまった。3/24

生死を賭した菊人形劇の最終番で、私はコースを外れてしまったので、途方に暮れている。果たして本来の道筋に戻れるだろうか。3/25

そこはまことに夢のような楽園であったが、私は涙を呑んで、泣く泣くそこから立ち去らねばならなかった。3/26

犯人の井桁の紋どころの男は、どさくさまぎれに逃げ出そうとしたが、私が背後から首をギュッと締めたので、ようやく大人しくなった。3/27

「カルメン」でドンホセを歌った私は、カーテンが降りるや否や、気を失ってしまったが、劇場全体を覆い尽くす「ブラボー!」で意識を取り戻し、一緒に手をつなごうとカルメンを探したが、どこにも見つからなかった。3/28

昼飯を食おうと思ってパスタを注文したら、ぬあんと真っ白な肩を出した白雪姫が、席まで運んでくれたので大喜びしたのだが、白雪姫ときたら、真っ赤な唇を開いて麺を1本ずつおいしそうに吸い込んでしまうので、「僕にも早く呉れよ」と催促したのだが、彼女は皿を持ったまま引き返してしまった。3/31